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2016年4月30日 (土)

善と悪の最終決戦(2)

『戦争絶対反対』と叫ぶ方が、『自ら起こす戦争』と『不本意な攻撃を受けた時に巻き込まれる戦争』を区別されておられるのかどうか、梅爺はいつも気になっています。『日本が戦争を起こさない国』であるように、私たちが厳しく身を処すのは当然ですが、『日本が戦争に巻き込まれない国』であり続ける保証はありません。日本人の意思や決意だけで決まる問題ではないからです。

『泥棒反対』と叫んで、自分は『泥棒にならない』決意を示すことはできますが、自分が『泥棒の被害者』にならない保証は無いのと同じです。残念ながら『泥棒がいない社会』は実現できないために、私たちは『警察機構』の維持を肯定しています。

人類が、『軍隊』や『警察』を不要とする社会を実現できないのは、『人』の『精神世界』が『個性的』であるように生物として宿命付けられているからで、『価値観』や『判断基準』がそれぞれ異なっているからです。『個性』は『人』を魅力的な存在にすると同時に、おぞましい存在にもします。『法』『道徳』『倫理』は、ほとんどの人が合意する『約束事』ですが、自分の欲望を優先して、これらを無視する人間が出現することを抑止できません。『人』の本質的な習性を理解しない『戦争』『犯罪』論争は、皮相すぎます。

梅爺はへそ曲がりですので、『Armageddon』で、『善が最終的に悪を滅ぼす』という話をきいても、『やっぱり善が勝つんだな』などと単純に納得しません。『最後に愛は勝つ』という歌を聴いても同じです。『善や愛が勝って欲しい』という『願い』の意義は認めますが、現実に『勝つ』かどうかは、別のことであると思うからです。

『善』『悪』という言葉は、極めて誤解を招きやすい言葉であると感じています。これらは『精神世界』が考え出した『抽象概念』ですから、自然界などの『物質世界』には適用できません。『雨』は存在しますが『善い雨』『悪い雨』の区別は自然界にはありません。

『善』『悪』を区分する絶対尺度がありませんから、私たちが『善い』と言っている時は、厳密には『自分が善いと思う』と言っているだけに過ぎません。『個性的』な他人が、自分と同じように『善い』と判断している保証もありません。

古代の人達も、賢い人ならば、『これはどうも埒(らち)が明かない』と感じたに違いありません。そこで、『神』に『絶対的な善』の資質を付与するという妙案を思いついたのではないでしょうか。『全知全能』などという資質も同じで、『人』は自分が『全知全能』でない不安を、『神』にその資質を付与することで、『神に従えば全て解決できる』と観方を変えて、安堵を得ようとしたのではないでしょうか。

ところが、『神の言葉』は、現実には聖書を解釈する『教会(聖職者)』の言葉が代弁しますから、『教会』はやがて絶対的な権威を保持するようになりました。『神の代弁者』が『絶対的な判断尺度』となったという話です。

近世の西欧諸国では、『絶対的な善(神)』は、抽象的な概念であり、結局『神の代弁人』である『教会(人)』が善悪を決めているという矛盾に気づく人達が増え、『面倒なことでも、善悪の判定は、人々の合意に頼るしかない』と考えるようになりました。『神主主義』から『民主主義』へと移行したことになります。現在の『イスラム圏』では、未だ『神主主義』の色彩が強く残っています。宗教の最高指導者の言葉は、政治的な意味を持っています。

『キリストに率いられる勢力(善)』が『反キリストの勢力(悪)』に勝利する、勝利するのは当然という考え方は、『ジハード(聖戦)』を正義と唱える『イスラム原理主義者』と同じように見えます。現実に人間社会には『絶対的な善』が無いとしたら、この主張は成り立たなくなります。

『戦争反対』と叫ぶ人が、聖書の『Armageddon』は間違っていると糾弾した話は聞いたことがありません。『Arnmageddon』といえども、実態は『殺戮合戦』であるはずですから、好ましくないと主張する人が出現しないのはどうしてなのでしょうか。

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2016年4月29日 (金)

善と悪の最終決戦(1)

『What should we be worried about ?(我々が危惧すべきは何か)』というマルチ・エッセイ集の20番目の話題は『Armageddon(アルマゲドン)』です。著者はウィーン大学の考古学教授の『Timothy Taylor』です。科学知識を受け入れようとしない人達の存在を『懸念』しています。

『Armageddon』は、新約聖書『ヨハネの黙示録』で予言されている『終末論』で、悪魔に率いられる『悪の軍団』と、再降臨したキリストに率いられる『善の軍団』の最終決戦が将来行われ『善の軍団』が勝利を収めるという話です。

オーム真理教のようなカルト集団が、『Armageddon』を勝手に解釈し、『地球最後の日が近い』などと主張して、人々の不安を煽るために『サリン事件』を起こしました。このように『Armageddon』は『世界の終末』を表す言葉として用いられることもあります。

アフリカとユーラシアをつなぐイスラエルの要衝地『メギドの丘』は、古くから『直立原人(ホモ・エレクトス)』『ネアンデルタール』が住んでいた痕跡があり、現生人類の時代になっては、紀元前15世紀に、攻め込んできたエジプトの『トトメス3世』の軍隊と、ユダヤ人の間で『決戦』があったことが、歴史的に分かっています。

この『メギドの丘』の決戦の伝承が、新約聖書の『アルマゲドン』予言の下地になっていると、一般に考えられています。

聖書の中で、『最後の審判』と『Armageddon』は、必ずしも関連付けられてはいませんが、『再降臨したキリストによって、悪が滅ぼされ、全ての死者が蘇って審判を受け、善人は天国へ導かれる』というストーリーが、キリスト教徒の中で受け入れられています。

理性で考えれば、『人』は『死』によって、『全て無に帰す』、特に『その人の精神世界は消滅する』と考えるのが妥当であろうと梅爺は考えています。そうであるからこそ『生きている(摂理に依って生かされている)』ことへの感謝がつのり、『一度だけの生』を大切にして、豊かな精神生活を送りたいと願います。

しかし多くの方は、『死で全てが無に帰す』という考え方を、『なんとなく気に入らない、面白くない』として『情』で受け容れることを拒もうとします。『魂は残る』『やがて再び肉体も得て蘇る』という話を『信じて』、安堵しようとします。

『安泰を希求する精神世界』は、都合の良い『虚構』を次々に考え出すものだと考えると、人々の対応は説明がつきます。科学知識が無かった昔の人が、このような『虚構』を思いついたことを責めるわけにはいきません。現代人も、現代人なりの『虚構』を創りだしながら生きています。

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2016年4月28日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(6)

『言葉』は、真実を明らかにする手段でもありますが、本質をぼかしてしまう手段にもなります。このエッセイのタイトル『On Political Correctness』の『Political Correctness(政治的な正しさ)』にしても、表現としては成り立ちますが、『政治的な正しさ』を判定する普遍的な共有尺度を人類は持ち合わせていないことに気づけば、『不適切表現』の一つと云えないことはありません。 

世の中は、このような『言語明瞭意味不明』の表現が沢山横行しています。意図的にこれを活用する人は、ずる賢い人ですが、多くの方は、それと知らずに使っているのではないでしょうか。 

政治家は得意げに『骨太の政策を創る』『粛々と対応する』『しっかり精査し、議論する』『国民の理解を得る』『格差の無い社会を創る』『国際平和に貢献する』などという表現を使いますが、具体的な内容をぼかす『めくらまし』の手段のように梅爺には思えます。 

意図的に使っているリーダーには国民は警戒すべきですが、『現実には何も云っていない』ことに気づいていない凡庸なリーダーは、選挙で投票の対象にすべきではありません。上記のような答弁で、事足りるなら梅爺でも政治家になれます。 

実は『不適切な表現を避ける』という云い方も『言語明瞭意味不明』です。『適切』か『不適切』かの判断基準は、『人』の『精神世界』が個性的であることに起因して異なる以上、万人が共通に『避ける』ことなど期待できないからです。

そこで、私たちは、『コミュニティ』の中で、より多くの人が共感する『価値観』を『正しい』として採用します。『民主主義』はこの考え方を基盤としています。ただし、この場合の『正しい』は、科学の世界の普遍的に『正しい(真)』とは異なります。この『正しい』という言葉の意味の違いを私たちは理解する必要があります。『イスラム国』の『正しい』が、他の多くの国家の『正しい』と異なるのはこのためです。相互に干渉せず共存するか、どちらかが考え方を変えるか、一方が他方を『抹殺』するかしか論理的な解決はありませんから、『抹殺』を選んだ時には『テロ』と『空爆』が繰り返されることになります。過去の『戦争』もこのような対立で起こりました。

『ウンベルト・エーコ』は、盲目の人や黒人が、『メクラ』『ニグロ(ニガー)』とばれることを心情的に嫌い『視覚障害者』『アフリカン・アメリカン』と呼ばれることを望むなら、それを『コミュニティ』の合意とすればよいと書いています。対象者や多数の人達が、心情的に受け容れる表現を採用するという原則が唯一の原則であるとも書いています。ごもっともな話です。

ただし、言葉の表現や呼び名を変えてみても、現実や実態は変わらないという主張は梅爺と同じです。『差別』は呼び名を変えるくらいで、なくなるという生易しい問題ではありません。『戦争は善くない』と叫んでも戦争がなくならないのと同じです。『人』の『精神世界』が個性的であり、自分の都合を優先する生物としての本能が、自分の中でどす黒くうごめいている事実を誰もが『理性』で認めないかぎり、『差別(いじめ)』『戦争(諍い)』はなくなりません。

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2016年4月27日 (水)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(5)

1980年代、アメリカでは、言葉による『差別』とみなされる『不適切表現』の摘発が次々に行われました。

最初にやり玉に挙がったのは、ある種の名称が、『男性優先社会』を前提としているという批判で、『Chairman(議長)』や『Mankind(人類)』などがその例です。『man(男)』という言葉が使われているのは怪しからんということで、それぞれ『Chairperson』『Humanity』という言葉に置き換えられました。

このことだけを取り上げれば、『理』の議論といえますが、言葉は伝統的な文化を反映しているものでもありますから、一々重箱の隅を突っつくような議論はやめて、『それはそれ、これはこれ』と泰然と受け止めればよいではないかと、梅爺は個人的に考えてしまいます。細部にわたって、何もかも白黒をはっきりさせようという議論にこだわる人はどうも苦手です。そのため梅爺は『チャランポラン』と非難されることが少なくありません。

『ウンベルト・エーコ』も、やや梅爺の心情に近いのか、それならば『Mailman(郵便配達夫)』は『Personperson』に置き換えるのかと茶化しています。『Mail(手紙)』の発音は『Male(男性)』と同じ響きであるからです。

『History(歴史)』は『Herstory』でもあるなどという、行きすぎの議論についても、『History』の語源はギリシャ語で、『his-』は単なる接頭語で、『彼の』などという意味とは無関係であると、無知を指摘しています。

同じく、『Mankind』を『Humanity』に置き換えるのも、『Humanity』は元々ラテン語の『Homo(男)』に由来するもので、置き換えてみても『男性強調』は変わらないではないかと、議論の背景に教養が欠如していることを笑っています。

『ウンベルト・エーコ』のような教養人にかかると、私たち凡人の言動の多くは、滑稽に見えるのでしょう。

『人種差別』につながる言葉も、次々にやり玉に挙がりました。『Negro(黒人)』『Jew(ユダヤ人)』『Indian(インディアン)』は、それぞれ『African-American(アフリカ系アメリカ人)』『Israelite(イスラエル人)』『Native-American(先住アメリカ人)』に置き換えられました。

『身体障害者差別』も同様で、『handicapped』とか『Disabled』などと表現されるようになりました。

『ウンベルト・エーコ』は『言葉』を置き換えてみても、問題の本質は変わらないことを理解すべきと述べています。

『アメリカ』社会で、このような議論が行われるのは、社会自体が『差別』に満ちているからです。『夢』を実現したり、『自由』を獲得することが難しいからこそ『アメリカン・ドリーム』『自由な国』が強調されます。健康な時には、人は病気のことを気に病んだりしません。

『アメリカ』立国の、特殊な背景(短期間に人為的な国づくりが行われた)があることも理解しなければなりません。日本人が、『アメリカ』を模倣すべき『理想の社会』と仰ぎ見るのは、少々危険です。どのような社会も、長所、短所があることを冷静に見極める洞察力が求められます。『日本』を美化するのは、慎重であるべきですが、ことさら卑下する必要もありません。

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2016年4月26日 (火)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(4)

『不適切表現』が問題になるのは、私たちが『群(コミュニティ)』の中で生きているからです。無人島に暮らす『ロビンソー・クルーソー』は、どのような内容であれ、表現であれ自由に発言できます。彼を非難する『他人』がいないからです。

つまり、『不適切表現』の問題は、多様な個性を保有する『個』が、『群』のなかでは、一律の『価値観(群の合意事項)』に順ずる必要に迫られるという『矛盾』に起因しています。何度も書いてきたように、この『矛盾』を解決するための絶対的な方策(知恵)を人類は見出していません。『民主主義』は、次善の策として多くの『コミュニティ』が採用していますが、『民主主義』には、合意形成までに時間と労力を要するという弱点があります。『独裁者』『独裁政党』『特定の宗教』による国家運営は、決定が速い利点がありますが、自由に考え、主張する国民は抑圧、処罰されるという『恐怖支配』になりがちです。現在、地球上にどれだけ多くの『非民主主義国家(または組織)』が存在するかを観れば、『民主主義』が最善であるという合意に人類が達していないことは明白です。

『民主主義』を確立するために、どれほどの『闘争』が行われ、人命を含むどれほど多くの犠牲が支払われてきたは歴史が物語っています。

現在の日本の『民主主義』は、日本国民が『闘争』の末に勝ち取ったものとは言えず、第二次世界大戦の敗戦で、戦勝国のアメリカから与えられたものです。勿論、『明治維新』『大正デモクラシー』の時代にもその萌芽(ほうが)はありましたが、結局『帝国主義』『軍国主義』を優先し、悲惨な戦争へ突き進みました。

国土を焦土と化し、国民の多くが命を失って、その代償ととして『民主主義』が与えられたことは皮肉なことですが、少なくとも『民主主義』は自分たちの意志で勝ち取ったという意識が、私たちの意識の中で今でも薄いような気がします。

このようなプロセスで『民主主義』を手に入れ、それを徐々に自分のものにして行ったという事例は、世界史の中に沢山はありません。『天皇』の扱いが難題でしたが『立憲君主制』と『民主主義』を融合させるという知恵で切り抜けました。与えられた『民主主義』を、曲がりなりにも根付かせ、現状まで発展させたのは、日本人の資質、教育レベル、宗教観、精神文化などが総合的に関与しています。受け容れの下地があったからということもできます。

『サダム・フセイン』を打倒すれば、『イラク』は民主主義国家になると、ブッシュ大統領が考えたのは、『日本』での成功例があったからとは思いますが、『日本』と『イラク』の違いを洞察できなかったのは、大国の指導者として勉強不足です。

下地が無い所へ、『民主主義』のタネを蒔いてみても、うまくいかないことは『南ベトナム』『イラク』の例でアメリカも思い知らされたのではないでしょうか。『ロシア』の『民主主義』も、まだまだチグハグに見えます。

話が逸れましたが、『不適切表現』という言葉の問題は、『個』と『全体(群)』の間の価値判断基準の相違がもたらすものであるということを申し上げたかっただけです。つまり、『不適切表現』をただす、絶対的な方法はありません。逆に云えば、言語の中には、誰かが『不適切表現』だと糾弾する言葉が必ずあるということです。

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2016年4月25日 (月)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(3)

1973年に、アメリカの最高裁判所は、ある裁判の判決の中で『国家は国民のために存在する』という基本見解を示しました。『当たり前ではないか』と思いますが、兵士となって戦場へ赴く、税金を払うなどの行為は、観方(みかた)によっては『国民は国家のために存在する』ようにも見えます。

昨日も書いたように、『個』と『全体(群)』のどちらの価値観を優先するかを決める絶対基準はありませんから、アメリカの判決は『基本的には『個』が尊重されるべき』という見解(アメリカ社会の合意)であることになります。基本原則ですから、これで具体的な個々の問題が解決するわけではありません。

この判決をうけて、1980年代に、アメリカでは『人種』『性別』『性の嗜好(同性愛)』『身体的障害』『宗教』『政治思想』などを理由に、『個人』が不当な扱いを受けてはならないという議論が、極端なくらいに蔓延しました。『理』を優先し、白黒を明確にしたがるのが西欧文化ですが、特にアメリカはその傾向が強いように思えます。大統領が、アメリカにとって好ましくない他国を『邪悪の帝国』などと表現し、暗に自国は『正義の国家』であると主張したりします。日本人の私たちには、少々『単純』『幼稚』な言動に見えます。

この議論の延長で、言葉の『不適切表現』を是正する風潮がアメリカで広がりました。これも日本人には『単純』『幼稚』な議論に見えますが、やがて、日本にも『言葉の見直し運動』は飛び火し、『放送使用禁止語』などが決まりました。アメリカのことなら、何でも真似るという発想なのでしょうか。

世の中に現存する事象には、何らかの言葉を当てはめなければなりませんから、『不適切』であるからといってその事象に眼をつぶるわけにはいきません。『盲目(めくら』は差別用語で、『視的障害者』なら差別用語にならないという考えには、梅爺は違和感を覚えます。実際は『婉曲な表現』で置き換えるに過ぎませんから、現実は何も変わっていません。

日本語で『バカ』『アホ』は確かに品のある言葉ではありませんが、諧謔の文化が反映されている場合もありますから、単純に相手を蔑視しているわけでもありません。『アホかいな』『バカ云っちゃいけないよ』などは、会話の成り行きで、効果的に使われます。『バカ』『アホ』は使ってはいけないなどという、杓子定規な考えこそ『バカをお云いでないよ』と云いたくなります。『梅爺創作落語』も創れなくなります。

『ウンベルト・エーコ』も、『不適切表現』の行きすぎの規制に、うんざりの様子がエッセイから窺(うかが)えます。『言葉』はその国の『文化』と深く関連していますから、文学者として気が滅入る気持ちはよくわかります。

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2016年4月24日 (日)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(2)

『人』に関して最も厄介なことは、『生物として個性的であるように宿命付けられている』ということです。両親の遺伝子の偶然な組み合わせで子の遺伝子が決まるからです。 

『人が個性的である』ことは、誰もが表面的には気づいています。『容貌』『能力』『好み』に違いがあることは歴然としているからです。しかし、このことが、『人の生き方』『社会の営み』の中で、どれほど重要な意味を持つかを、深く考えその本質を理解している人は多いようには思えません。例えば、『政治』や『経済』は『格差』の存在を認め、または利用しています。『格差の無い社会』などは存在しません。 

梅爺が学生であった頃、このことを強く指摘して下さった先生は、残念ながらいませんでした。もし、若いころにこのことを理解できていたら、その後の考え方や、生き方も変わっていたに違いありません。 

『人が個性的である』ことで生ずる最も厄介なことがらは、『生きる』ために『群(コミュニティ、社会、チームなど)』の一員であることが必要であることです。生物進化の過程で、『生き残りの確率』を高めるために、『ヒト』は『群で生きる』方法を選択したからです。『群からはぐれる』『仲間外れにされる』ことは、個人にとって最も危険、不安なことであることを、脳が危険信号を発して警告する(ある種のホルモンを分泌する)習性を本能として受け継いできました。逆に『絆』が確認できたときは、脳には安堵を感ずるホルモンが分泌されます。

人と人との『絆』を感じ取った時に、安堵するのはそのためです。『愛』という抽象概念が『人』にとって重要な意味をもつのもこの『絆』が関与しているからです。『神仏との絆』を感じ取った時に『心の安らぎ』が得られるのもこのためで、『宗教』はこの習性を利用しています。

『群』の中で、メンバーが勝手な振舞いをすれば、『群』の秩序は成り立ちませんから、『群』には『掟(おきて)(法、道徳、倫理)』が必要になります。ここで重要なことは『掟』はその『群』の『約束事』であり、必ずしも他の『群』では通用しないということです。

個性的であるが故に、本来は異なった『価値観』を有する『個』が、『群』の一員としては、『群』の一律の『価値観(約束事)』を守る必要があるという矛盾が存在することを理解しなければなりません。この矛盾を本質的に解決する知恵を人類はまだ持ち合わせていません。『民主主義』は一つの対応策に過ぎません。

『人』と『人』、『群』と『群』との間に、『諍(いさか)い』『抗争』『戦争』が絶えないのは、『個』が個性的であること、『個』と『群(全体)』の価値観の間に齟齬(そご)があること、『群』によって『掟(群の価値観)』は異なっていることに起因しています。

『言葉』も『群』の中の『約束事』ですから、ある事象を表現する方法が、『群』の中で『適切』であるかどうかの合意が求められます。

つまり、『適切』か『不適切』かを、普遍的に判断する基準はなく、その『群』の中の合意だけが頼りの綱ということになります。

私たちは、『絶対的な判断基準』があると勘違いして、『善い、悪い』『正しい、間違い』という表現を日常頻繁に用いていますが、それらの大半は相対的な『価値観』による判断に過ぎないことを、時と場合で自覚する必要があります。

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2016年4月23日 (土)

ウンベルト・エーコのエッセイ『不適切表現』(1)

『ウンベルト・エーコ』のエッセイ集『Turning back the clock(時を遡る)』の9番目の話題は、『On Political Correctness』です。直訳すると『政治的な正しさについて』となりますが、エッセイの内容は、『不適切な言葉の表現』を論じたものですので、ここでは『不適切表現』と意訳しました。 

日本人は、社会的に『不適切な表現』が存在することは認識しますが、それを必ずしも政治的に『不適切な表現』という風にはとらえません。『社会』と『政治』を一体と考える西欧の文化と、『政治』は『お上のまつりごと』と感覚的にとらえる日本文化の違いを感じます。翻訳は難しいものです。 

日本へ帰化した日本文学研究者『ドナルド・キーン』は、日本人の特徴のとして第一に『あいまい(余情)を受け容れる精神』を挙げています。 

日本人の『あいまい』を受け容れる精神は、物事は多面的で、『こうだ』と決めつけることはできないと感覚的に理解していることで、『無知』とは異なります。『表現しないこと(または表現を制約すること)』が最も効果的な『表現』であるということを私たちは知っています。『能』『狂言』『和歌』『俳句』『日本画』『茶道』『華道』などが如実にそれを語っています。『情(情緒)』が『精神世界』で重要な役割を演じているとも言えます。日本人が直感的に理解する『ワビ(侘び)』『サビ(寂び)』『イキ(粋)』などという抽象概念を外国語に訳すことは至難の技です。これらは全て『余情』の表現であるからです。 

人類学的にみれば、『日本人』は、アジアの各地から渡来した先住人が、雑種としてまじりあった人種で、『ホモ・サピエンス』の末裔の一種であるにすぎませんが、『独特の精神文化を育成継承してきた民族』ととらえると、『日本人』という区別が成り立ちます。『中国人』も『日本人』も『ホモ・サピエンス』であるという点では同じですが、『精神文化』の観点では、『中国人』と『日本人』は区別できるという話です。『ヒト』としては同じ、『人(精神世界を保有したヒト)』として区別できるということを混同しないようにしなければなりません。 

一方西欧でも同じことが云え、『イギリス人』『フランス人』『ドイツ人』『イタリア人』『アメリカ人』の区別は可能です。西欧文化の基盤には、古代ギリシャから継承されている『理性尊重思想』や、キリスト教文化による『絶対神信仰』があり、どちらかと言えば『理』が重んじられます。 

平たく云ってしまえば『あいまいを排除する』『白黒をはっきりさせる』ことが優先される傾向が強いことになります。 

『あいまいを尊重する』日本人と、『あいまいを排除する』西欧人で、『不適切表現』に関する考え方が異なってくるのは当然です。

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2016年4月22日 (金)

杉本鉞子(えつこ)著『武士の娘』(4)

『鉞子』は、1950年(昭和25年)に日本で亡くなっています(76歳)。アメリカをよく知っている日本人が、アメリカと戦って敗れた祖国に対して、普通の日本人とは異なった思いを抱いていたに違いありません。 

『戦争へ向かうことになった、全ての原因を洗い出し、それを刈り取る努力が将来のために必要』というような主旨の言葉を残しています。『国民が軍国主義の犠牲になった』などという皮相な意見が多い現在、この言葉は重い意味を持っています。『全ての原因』の中には、『私たち一人一人の理性や知性のレベル』も含まれるはずです。『鉞子』には『鬼畜米英』などという叫びは、空しいものであったでしょう。『普通のアメリカ人』はどのような人達かを知っていたからです。 

『武士の娘』として厳格に育てられ、後にクリスチャンとして、アメリカ文化を体験した『鉞子』は、文字通り『異文化』を自分の中で共存させる必要があり、必然的に複数の価値観の存在を許容していたに違いありません。またその様な許容が大切なことを示すのが『武士の娘』を書いた目的でもあったはずです。 

生まれ育った環境や社会が、『人』にある種の価値観を植え付け、その価値観にそって行動することが、『当たり前』と思い込みますが、世の中には、異なった環境や社会があり、そこには異なった『当たり前』があることに気づくことが大切です。そして、自分の『当たり前』が『正しく』、相手の『当たり前』が『間違っている』と主張することは、多くの場合極めて不適切であり、慎重であるあるべきことに気づくことが更に大切です。

『異文化との共存』を苦にせず、しかも『日本の文化』の長所を、説得力を持って主張、表現でき、外国の人の理解が得られる人が、『素晴らしい日本人』です。既に沢山の『素晴らしい日本人』はおられますが、更に若い世代からそのような人達が、沢山出現することを願っています。梅爺は『日本の文化が世界一である』などと主張するつもりはありませんが、『少なくとも世界の人達に知ってもらうに値する文化である』と強く感じています。

NHKのこの特集番組は、『鉞子』の生涯をドラマ仕立てで構成していました。実母を演ずる役者が『完璧な長岡弁』を話すのに感心しました。『長岡弁』は梅爺の『ネイティブ・ランゲイジ』のようなものですから、懐かしく聴きほれ、さすがNHKの考証能力は高いと感心しました。

長岡出身のジャーナリストで、『鉞子』に詳しい『内田義雄』氏の著作をベースに番組が創られたことを知り、『それならば』と納得できました。

『鉞子』は、文字通り『素晴らしい日本人』の一人です。

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2016年4月21日 (木)

杉本鉞子(えつこ)著『武士の娘』(3)

杉本夫妻には、二人の娘が生まれますが、夫『杉本松雄』の商売がうまくいかず倒産します。『鉞子』は12年のアメリカ生活の後、二人の娘と『母親代わりの友人』になっていた『フローレンス』を伴って、日本へ帰国し、『鉞子』の長岡の実家に身を寄せます。『フローレンス』は、この時『長岡中学(長岡高校:梅爺の母校)』で英語の教師を務めています。 

アメリカに残った夫『杉本松雄』は、事業再建に奔走しますが過労で亡くなってしまいます。

『鉞子』は、実母の死後、娘二人にアメリカで高等教育を受けさせたいと考え、日本へ帰国して7年後に再び、娘たちと『フローレンス』を伴い、アメリカ(ニューヨーク)へ移住します。

ここで、『鉞子』は、コロンビア大学で新設された『日本文化、歴史』の講座の講師を務めます。日本人女性で、アメリカの大学の教壇に立ったのは『鉞子』が最初ではないでしょうか。小柄でいつも着物姿の先生は、生徒たちから慕われました。

この頃英語での文筆活動を始めますが、最初はなかなかうまくいきませんでした。『フローレンス』の助言で、自伝的な『武士の娘』を執筆し、これが雑誌『Asia』に連載され、作家『クリストファー・モーレー』の目にとまります。

やがて『武士の娘』は、単行本となり、『クリストファー・モーレー』が、『東西文化の懸け橋になるのは勿論、人生の教訓となる本』というような内容の序文を書いています。この単行本がアメリカをはじめ各国でベストセラーになりました。

単行本を出版するにあたり、『鉞子』は『フローレンス』との共著形式を望みましたが、『フローレンス』は、頑なに固辞し、実現しませんでした。

当時、日本の中国での侵略的な行動に対し、アメリカ国内で『反日感情』が高まっていたのが、『フローレンス』が共著を断った理由とも言われていますが、梅爺は、純粋にストイックなクリスチャンとして、栄誉だけを得ることを拒んだのであろうと推察します。『フローレンス』は、11年のニューヨークでの生活の後、『鉞子』一家と再び日本へ移り(昭和2年)、そのままアメリカへは帰らずに日本で亡くなっています。

『武士の娘』は、1940年(昭和15年)に、日本でも翻訳本が出版されますが、当時は、アメリカは仮想敵国であり、内容は厳しい検閲対象になりました。序文は『阿部知二』が書いていますが、『日本の精神文化が世界の鑑(かがみ)になる』というな日本礼賛の内容にして、検閲を通す腐心をしています。本文も一部は、翻訳対象から削除されています。

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2016年4月20日 (水)

杉本鉞子(えつこ)著『武士の娘』(2)

『鉞子(えつこ)』の父『稲垣平助』は、明治の時代になっても『藩の方針に反対した人物』として長岡では白い眼で見られていたのでしょう。木賃宿のような商売で、細々と生計を立てていたようです。

しかし母親は『鉞子』に、『武士の娘』としての誇りを失わないように、厳しく躾(しつ)けました。『武士の娘』が、アメリカの全く異なった文化、風習に接し、戸惑いながら次第に理解していく様子が、『武士の娘』には優雅な文章で表現されていて、アメリカ人の多くが、興味本位もあったとはおもいますが、むしろ自分たちに欠けている資質を『鉞子』の中に見出して感動したことになります。

アメリカ建国前に、ヨーロッパからアメリカへ渡った白人の多くは『清教徒』で、清貧、厳しい規律を重んずる人達でしたから、『武士の娘』に、共感するところがあったのではないでしょうか。

『鉞子』の兄が、アメリカで職をえようと海を渡りましたが、うまくいかず、アメリカで世話になった日本人『杉本松雄』に、妹『鉞子』を嫁がせることを約束して帰国します。現在とは異なったた『結婚観』ですが、当時の『鉞子』は、違和感なく受け容れています。ただし『杉本松雄』氏も、兄が見込んだ人物だけのことはあり、クリスチャンで若いころ『福沢諭吉』の考えに傾倒し、新天地を求めてアメリカに渡った立派な人でした。

当時の『鉞子』は、未だ12歳で、結局渡米して結婚したのは25歳の時ですから、10年間以上一度も会ったことのない人の『許嫁(いいなずけ)』であったことになります。当然その間手紙のやりとりなどはあったのでしょう。

『鉞子』は15歳で上京し、ミッションスクール(青山学院の前身)や英和女学院で4年間『英語』を学び、21歳の時にキリスト教の洗礼も受けています。未来の夫に信仰も合わせようという思いがあったのでしょう。その後、浅草の小学校の女教師を務めた後に、25歳で、初めて渡米し、シンシナチで『日本骨董店』を営んでいた『杉本松雄』氏と、晴れて結婚します。

新婚時代の二人を支援したのは、当地で出版社を営む『ウィルソン家』で、『鉞子』は、15歳年上の『フローレンス・ウィルソン』という一族の女性と運命的な出会いをします。『ウィルソン家』は、28代ウィルソン大統領にもつながる名家で、厳格なメソジスト派の信徒でもありました。『鉞子』は『フローレンス・ウィルソン』を『アメリカの母』と慕い、独身であった『フローレンス・ウィルソン』は、その後『鉞子』と日米両国で生活を共にします。

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2016年4月19日 (火)

杉本鉞子(えつこ)著『武士の娘』(1)

NHKBS1チャンネルで放送されたドキュメンタリー『武士の娘 鉞子(えつこ)とフローレンス』を録画して観ました。

浅学にして梅爺は『杉本鉞子(えつこ)』とその著作『武士の娘』の存在を知りませんでした。

90年前に、アメリカで出版された『武士の娘(当然英語で書かれている)』は、たちまち8万部のベストセラーになり、その後8ケ国で翻訳本が出版されました。

日本人の女性が英語で執筆し、それが世界的なベストセラーになったという事実もさることながら、著者の『杉本鉞子』が越後長岡藩の筆頭家老『稲垣平助』の娘であることが、梅爺の興味を喚起しました。新潟県長岡市は、梅爺が幼少期から高校までを送った思い出の地であったからです。

越後長岡藩は、徳川幕府の親藩で、『戊辰(ぼしん)戦争』では、『官軍』とまともに戦った、『会津藩』と並ぶ数少ない藩の一つです。『錦の御旗』をかざして進軍する『官軍』に、多くの藩は恭順の意を示し、幕府の本拠地江戸も、『勝海舟』と『西郷隆盛』の折衝で『無血開城』となったにも関わらず、『会津藩』『長岡藩』などは、事前の和議申し入れが聞き入れられず、徹底敗北に追いやられたのは、『官軍』の決定的勝利を印象付けるための証拠が必要であったからと後世の歴史家は分析していますが、それが正しい見解なのかどうか梅爺は分かりません。

長岡城は、三度『とったり、とりかえしたり』の攻防の末に、燃え落ち、長岡の城下町も大半が戦火で焼け野原になりました。

第二次世界大戦の『玉音放送(敗戦受諾)』の2週間前に、長岡は米空軍の爆撃を受けて、再び焼け野原になりました。梅爺は当時4歳でしたが、猛火の中を逃げまどったことを今でもおぼろげに覚えています。家や家財は一切焼失し、母親は下半身に大やけどを負いました。

長岡は、歴史上2度『戦火』で焼け野原になり、2度目は梅爺自身の体験と結びついています。そしてこの体験と、その後の貧しい生活体験が、梅爺の人生に有形無形の影響を与えていると、今なら省(かえり)みることができます。しかし、当時の日本人は多かれ少なかれ敗戦の苦境を生き抜こうとしたわけですから、梅爺だけの特殊な体験ではありません。能天気なブログを書く余世が待ち受けているなどとは、当時は想像もつきませんでした。こう考えると、現在生きている幸運に感謝がつのるばかりです。

『戊辰戦争』で長岡藩を指揮したのは家老『河井継之介』で、『司馬遼太郎』の小説『峠』で、有名になりました。また『戊辰戦争』で敗戦後、『会津藩』の友藩から送られてきた『米百俵』を金に替え、次代の人材育成のための『長岡洋学校』を設立した『小林虎三郎』も、『山本有三』の戯曲『米百俵』で有名になり、昨今では小泉首相が、この話を引用して、注目を集めました。

『長岡洋学校』は、『長岡中学』になり、梅爺の母校『県立長岡高校』になりました。『山本五十六元帥』『小野塚喜平次東大総長』『堀口大學(詩人)』などの有名人を輩出しています。校訓の『和して同ぜず(和而不同)』は、周囲との『和』は尊び、しかしむやみに『迎合』しない、ということで、梅爺の人生の指針の一つとなっています。

『杉本鉞子』の父親は、長岡藩の筆頭家老『稲垣平助』ですが、『官軍』と戦うことに反対し、裏切り者の汚名を着せられ、藩を追われています。

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2016年4月18日 (月)

シンボリック・アナリスト(4)

『ロバート・ライシュ』教授が創りだした言葉に『シンボリック・アナリスト』があります。『象徴的分析者』などと直訳してみても、何のことか分かりません。

世の中の事象の『本質』は、洞察が難しいのですが、それでも何らかの『手掛かり』や『予兆』が、表面に現れているはずです。普通の人はそれに気づかず身落としますが、感覚の鋭い人はそれを身落とさず、因果関係を辿って『本質』を推量します。

『シンボリック・アナリスト』は、このように表面に現れている『手掛かり(シンボル)』を感知し、問題解決のための具体的な手順を考えて実行する人のことです。つまり経済行為でいうならば、新しい需要の存在を感知し、必要な、ヒト、モノ、カネを集めて需要を満たすための行為を実行し、『金儲け』してしまう資質をもった人達のことです。

現在アメリカの高額所得者の上位1%は、『シンボリック・アナリスト』としての成功者や、有名プロスポーツ選手で占められています。

能力を持った人達が、それなりの報酬を得ることを『アメリカン・ドリーム』と称して、それが可能であるのは『自由の国アメリカ』であるからこそと誰もが賛美していて、気が付いたら1%の人に富の配分が偏ったへんてこな国になっていたという話です。

『ロバート・ライシュ』教授は、能力を持った人なりがそれなりの報酬を得ることに反対しているのではなく、多数を占める能力を持たない人を含めて、健全な社会を構築するために、どうすればよいかを考えるように若者に呼び掛けています。云うまでもなくこれが『政治家』の本来の任務です。『貧乏人は麦を食え』などと放言するのは真の政治家ではありません。

『高額所得者』へ課税率を引き上がること、健全な労働組合を育成すること、教育への財政支出の割合を高めること、などを具体的に提言しています。これらのことは、日本も他人事(ひとごと)ではありません。

『ロバート・ライシュ』教授の最大の危惧は、1%の富裕層が、『金で政治を買収できる』と勘違いすることだと述べています。富の配分を見直さないと、アメリカの民主主義が危機にさらされるという警告です。

少しオーバーではないかと思いますが、大富豪の『トランプ』氏が大統領候補として出馬するのをみると、あながちオーバーとはいえないのかもしれません。

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2016年4月17日 (日)

シンボリック・アナリスト(3)

『アメリカの所得格差問題』の発端は、1970年代から始まった、『アメリカの労働賃金の頭打ちや低下傾向』であるというのが、『ロバート・ライシュ』教授の分析です。当然、統計的な数値を駆使して、分析を裏付ける説明がなされました。ここ20年で、急速な格差拡大になっています。

『労働賃金の頭打ち、低下』の背景には、アメリカをめぐる経済環境で、『グローバライゼーション』『テクノロジー』の影響が強く関与しています。

製造現場が安い賃金を求めて、外国へ移り、アメリカ国内も単純な労働は、コンピュータやロボットにとって代わられることになりました。失業率が高まり、低賃金でも働き口があれば恩の字という環境に移行してしまいました。

企業の経営者にとって、企業の資産価値を高めるために、収益や株価を重視する傾向が強まり、『作業効率改善』の名のもとに単純労働に対する労働賃金を上げない努力がなされました。政治家も、富裕層からの政治献金欲しさに、富裕層への所得課税率を引き下げる政策をとりました。

『金持ちが一層金持ちになる』ことへの危惧も叫ばれましたが、富裕層の高所得は、新しい企業へ再投資され、結果的に新しい雇用につながるという説明がなされました。

しかし、実態はその様にことは推移しませんでした。富裕層は、所得の大半を『グローバル金融投資』へまわし、アメリカの雇用拡大などには全く寄与していません。この間アメリカの『マネー』が一番流れ込んだ国が日本であるという統計値が番組で提示され、梅爺は驚きました。アメリカの格差助長に日本が片棒担いでいるという認識はなかったからです。

労働賃金が増えないということは、中間層の消費が伸びないことを意味し、これが、アメリカ経済を『悪循環』へと向かわせたということになります。経済的に観ると、中間層に強い購買(消費)意欲がある社会が健全であるということです。

中間層の労働者は、それでもなけなしの知恵を絞って、所得を少しでも増やす行動をとりました。『女性の職場進出(共稼ぎ)』『実質労働時間の延長(残業)』がそれにあたります。更に『禁じ手』の『借金』に手を出すことになります。勿論『サブプライムローン』などといういかがわしい手法で中間層を騙した金融業界の詐欺まがいの振舞いが背景にあります。不動産価格が右上がりに高くなっているバブルの時代は、不動産を担保にした『借金』が、金の卵を産むガチョウのように機能しましたが、バブルがはじけて、アメリカの悲惨な所得格差だけが浮き彫りになって残りました。

『ロバート・ライシュ』教授が、最も危惧しているのは、中間層の消費が伸び悩むと同時に、中間層は子弟の教育に回す金がなくなったということです。国の教育への財政投資も減り、公立大学でさえ高い授業料を要求するようになっています。文明国家の労働が、『単純労働』から『知的労働』へ推移しなければならない環境の中で、アメリカは一層『悪循環』へ向かうと警鐘を鳴らしています。

日本はアメリカほどではないにせよ『格差拡大傾向』の問題を抱えていますから、今のうちに教授の提言には耳を傾ける意味があります。

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2016年4月16日 (土)

シンボリック・アナリスト(2)

『経済』の複雑なしくみに関する表面的な説明を受けても、『どうせ分からない』という印象はぬぐえず、逃げ出したくなりますが、奥に存在する『本質』を分かり易く解説してもらえると、梅爺のような『経済音痴』でも俄然興味が湧いてきます。学生の興味は教師次第ともいえ、教師の資質がいかに大切か分かります。 

梅爺は、山崎次郎さんのブログ『おゆみ野四季の道 新』を愛読しています。山崎さんは多彩な才能で、話題は色々な分野にまたがるのですが、元銀行マンのキャリアを活用し、『山崎経済研究所所長』という洒落た肩書で、世界経済の背景を分かり易く解説してくださることがあり、『経済音痴』の梅爺は助かっています。 

今回の番組で『ロバート・ライシュ』教授の講義内容を拝聴して、『アメリカの所得格差問題』の『本質』が梅爺でも理解できたような気になりました。 

このように、複雑多様に見える事象の『本質』を、分かり易く説明する能力は、『経済』だけでなく、『政治』『宗教』『芸術』などのあらゆる分野で求められます。『本質』の提示は、問題を直接解決することにはなりませんが、誰もが、『次にどのように行動したら良いか』を自分で考える手掛かりを得ることになります。『どうせ分からない』と投げ出しているのとは、大きな違いです。 

手っ取り早く『答』を見つけようとするのではなく、『本質』に迫って、自分で考えることが『学ぶ』ことではないでしょうか。 

『ロバート・ライシュ』教授は、アメリカの歴代大統領へ助言する仕事に携わってきました。特に『クリントン大統領』の時代は『労働長官』として実務を経験しています。『政治学』『経済学』などは、学問とは言え、世の中の実態と密接に関係する分野ですから、学者が実務に就くことは歓迎すべきことです。日本でそのような例が少ないのは、原因が政治の仕組みにあるのか、大学側にあるのか梅爺にはわかりません。実務は『やけど』をする可能性がありますから、学者は『象牙の塔』に立ちこもり、『外国の論文の翻訳』やら『死亡診断書のような事後の解説』を行っていれば安全であるということなのでしょうか。 

アメリカは『上位1%の富裕層の総所得が、残り99%の中間層以下の人達の総所得に匹敵する』という極端な『所得格差問題』を抱えています。 

中東の産油国で、石油利権を持つ一握りの王族が、国家の富の大半を占有しているというのなら未だ分かりますが、『自由な国、民主主義の国アメリカ』で、何故このような事態が生じたのか、このようなことになる前に警鐘を鳴らし、是正する政策はとれなかったのかという素朴な疑問が湧いてきます。 

『ロバート・ライシュ』教授は、『気がついた時にはひどいことになっていた』ということを認めた上で、背景の『本質』を見抜き、アメリカの若い国民に、問題解決へ向けて立ち上がり行動するように訴えています。 

結果的には『富裕層への所得税税率を上げる』『健全な労働組合を結成して労働者の意見を政治へ反映させる』などですから、アメリカの富裕層の一部や、保守的な政治家からは疎まれることになるのでしょうが、このような発言や行動を許すのもアメリカです。 

アメリカは、『素晴らしいもの』と『ひどいもの』が、混在する国です。島国で、人種的にも均一性が高く、永い歴史を経てきた日本人の視点で、アメリカを観ることも大切ですが、本当の理解は、アメリカ人の視点を推測して観る必要があるのではないでしょうか。

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2016年4月15日 (金)

シンボリック・アナリスト(1)

NHKBS1チャンネルの『世界のドキュメンタリー』で、アメリカのカリフォルニア州立大学バークレー校の経済学教授『ロバート・ライシュ』の『アメリカの所得格差問題』の本質を講義する内容が放映され、録画して観ました。

『ロバート・ライシュ』教授の存在を初めて知りましたが、本質を分かり易く解説する能力と、実直そうな人柄(梅爺が受けた印象)にすっかり魅せられました。

梅爺は『経済』に関しては、恥ずかしいくらい無知で、無知をカバーするために勉強しようという意欲もあまりない、御しがたい人間です。

どうしてそうなのかと、深く考えたことはありませんが、なんとなく『経済』は、『欲にまみれた魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する胡散(うさん)臭い領域』と勝手に考えて、無意識に避けているような気もします。そうは云いながら『金には無関心』というほど聖人君子でもありませんから、我ながら矛盾しています。

『経済』や『政治』の世界は、現象的には『物質世界』と似ていて、多様な要因の相互作用で、絶えず新しい平衡状態をもとめて『変容』していると考えています。つまり『変容』は『動的平衡推移』であるということです。

『物質世界』の『変容』は、『物質世界』を構成する素材の部分的な不均質、歪みなどを解消しようとして起こる事象で、人間の欲望や願いなどとは無縁なものです。言い換えると人間が存在しなくなった世界でも、『変容』は同じように続きます。

一方『経済』や『政治』の『変容』は、人間の『精神世界』が根本で関わっていますので、『物質世界』の『変容』とは異なっています。『変容』が起こる仕組みが類似しているだけで、『変容』を起こす要因がまるで違っています。

人間の『精神世界』は『個性的』で、『個性的な個人』が集まって人間社会は形成されていますから、人間社会の運用が如何に難しいかはすぐに想像できます。人間社会を効率よく運用するために『約束事』を決めようとしても、個人の多様な価値観が常に障害になります。『誰もが心から納得する約束事』などは論理的に望めないからです。

人間社会が抱えている基本的な問題は、『個の安泰(都合)』と『全体(社会)の安泰(都合)』は必ずしも一致せず、矛盾することが多いということです。残念ながら人類はこの矛盾を解決する普遍的な知恵を未だ獲得していません。

このような複雑なメカニズムの中で、『経済』『政治』は『変容』していますから、起きてしまった事象については、誰もが確認できますが、将来起きることを予測することが極めて難しいことになります。

起きてしまった事象について、専門家は詳しく解説してくださいますが、死亡診断書のようなもので、次に起こるであろう事柄には、専門家でさえも明言を避けようとします。

このような『いくら考えてもどうせ分からない』という印象が、梅爺を『経済』から遠ざけている本当の理由なのかもしれません。

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2016年4月14日 (木)

狂言『宗論』(4)

この狂言では、『法華僧』は『南無妙法蓮華経』を、『浄土僧』は『南無阿弥陀仏』を大事な題目であると主張し、諍いはエスカレートしていきます。釈迦の教えの本質よりも、作法や決めごとが重要だとする滑稽が笑いの対象です。 

この狂言が作られたのが、現代なら頷(うなづ)けますが、『日本の室町時代』であることに、梅爺は興味を抱きます。

この時代の日本人は、現代人よりも『神仏』を本当に『信じて』いたはずですから、仏に仕える『僧』は、尊敬の対象であったはずですが、そのような状況で既に、『僧』の皮相な振舞いを笑いの対象にしてしまう風潮もあったことをうかがい知ることができるからです。

作者は、『仏の教え』を茶化しているのではなく、『仏の教え』の解釈を巡る争いを茶化しています。本質よりも些細な考え方の違いを『大切にする』本末転倒ともいえる対応を笑い飛ばしています。

『人』は本質を忘れて、些細な違いで深刻な対立を犯すという、普遍の習性を持っていることが分かります。よくよく考えてみると、梅爺も些細なことを重視して、泣いたり笑ったりしながら生きています。

宗教関係者には、自分が属している『宗派』が『正しい』とおっしゃる前に、『何故宗教は必ず宗派別れするのか』を考えていただきたいと梅爺は願います。

『物質世界』の『摂理』で、出現した『生命体』が、やがて同じく『摂理』のなかで『進化』し、『ヒト』という生物種が出現したことを、科学的に理解しないと、『人の習性』は解き明かせません。

現代は、『宗教』『哲学』『芸術』さへも、『物質世界』への理解なしには語れない時代になっています。『宗教』を『宗教』の世界だけで論じてみても、埒(らち)があきません。

『宗教が宗派別れする理由』は、単純な理由に依るものと梅爺は考えています。

それは、『生物種』としての『ヒト』が、『個性的』であるように宿命づけられているからです。受胎時の遺伝子の偶然な組み合わせで、『ヒト』は『個性』をもって産まれてきます。容姿はもとより、脳神経細胞ネットワークのパターンも個性的ですから、厳密にいえば一人一人『考え方』『感じ方』『価値判断基準』が異なっています。

更にややこしいことに『精神世界』で共有する『抽象概念』には、絶対的な評価基準がありません。『善』や『美』さへも、相対的な概念です。

『宗教』の『教義』の解釈を巡って、『私はあなたの様には考えない』という人が出現するのは、当然のことです。

人間社会は『違いを認めて、共存することを理性で受け容れる』以外に、存立させる方法が見当たりません。『独裁者』や『一党独裁』の恐怖政治は、方便の一つですが、人間の習性を考えると、永続きせず、いつかは破綻します。

狂言『宗論』をベースに、後に落語『宗論』も出現しました。浄土真宗の信徒である父親とキリスト教の息子の諍いを題材にしています。

宗教をこのように笑いの対象にすることは不敬なことだとは、梅爺はあまり感じません。むしろ日本人の『諧謔精神』に喝采をおくりたくなります。

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2016年4月13日 (水)

狂言『宗論』(3)

日本人が『精神世界』を表現する様式で、大切と考えてきた『価値観』に、『できるだけ少ない表現にとどめた方が、反って多くを伝えることができる』というパラドックスのような考え方があります。

この考え方の原点は、中国にあり、必ずしも日本人のオリジナリティではありませんが、それを徹底して追及し、共有してきた点では、日本は得意な文化を醸成してきたことになります。

言葉数や表現ルールまでも制約した『和歌』『俳句』、簡素な舞台仕立てで、簡素な所作に徹する『能』『狂言』、飾りを排した書院造の建築様式、枯山水の庭園、『茶道』『華道』の基本ルールなど、全て『少ない情報の提示』が、相手の『精神世界』に広大な『想像の世界』を生みだすということを、日本人が見抜いたからに他なりません。『ワビ』『サビ』『粋(いき)』などという、極めて抽象的な概念を、即座に理解する文化にまで発展しました。

西欧の文化は、『正しく表現すれば、正しく伝わる』という前提で、色々な趣向を凝らしますが、日本人は、『人は個性的であり、正しく伝えることには限界がある。それならば、逆に表現は簡素にして、相手に相手なりの広大な世界を想像してもらうことの方に価値がある』と感じ取ったのではないでしょうか。

『理』を重視したのが、西欧の文化であり、『情』を重視したのが日本の文化とも言えます。したがって、日本の文化の弱点は、『以心伝心』などにこだわり、『理』の伝達が『曖昧(あいまい)』になりがちなことです。

西欧の文化、日本の文化ともに一長一短ありますから、どちらが優れているかを議論することはあまり意味がありません。しかし、梅爺は日本の文化基盤が『好き』です。また、特徴ある文化を継承してきたことを『誇り』に思いますし、外国の人が日本の文化を評価してくれた時には『嬉しく』感じます。

『能』も『狂言』も、同じ舞台装置を共有しています。この舞台には、背景の『画(か)き割り』も、大道具もありません。小道具の使用も最小限度に制約されます。所作、口上、音曲も簡素な表現に徹し、顔の表現を一見無表情な『面』に置き換えたりもします。

『能』は、『幽玄』など深遠な心を表現し、『狂言』は軽妙な『諧謔』を表現します。いずれも日本人が求める『精神世界』の異なった側面です。

『能』や『狂言』は、その後庶民の芸能である『人形浄瑠璃』『歌舞伎』や『落語』『漫才』などに変容し、『装飾』や『饒舌』が加わりますが、それでも基本的な日本人の『美意識』や、『価値観』は継承されていきます。

世俗的なもの(例えば食文化や日用品)の中にも『簡素な美』を求める日本の『精神文化』は、非常にユニークであり、この価値を多くの外国の人に知ってもらうことが、日本を戦争から遠ざける最も有効な外交手段ではないでしょうか。

新しい時代の『戦争』は、第二次世界大戦のような昔の『戦争』とは、趣が全く異なるはずです。『軍事同盟』や『集団的自衛権』を論ずるなら、新しい時代の『戦争』について、もっと深く洞察してからにすべきです。

日本を安泰に保つ有効な手段は、必ずしも軍事力ではなく、文化の力であるという議論が深まらないのは残念です。

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2016年4月12日 (火)

狂言『宗論』(2)

『人』は生物としての進化の過程で、高度な『脳』の機能を保有するようになりました。高度な『脳』の機能は、種として『生き残る確率を高める』ために重要な要因であったからです。 

しかし、この高度な『脳』の機能が、やがて『精神世界』という広大な『仮想の世界』を創りだしました。 

『精神世界』も、勿論『生き残る確率を高める』ために必要なものとして出現、取得したと考えられますが、『人』が自分の『精神世界』を、何らかの具体的に体感できる様式として『表現』したいと本能的に欲するのは何故かというのが、梅爺の次なる疑問となりました。 

『脳』が『精神世界』を表現するための道具として創りだした『言葉』は、『危険の接近を仲間に知らせる』など、『生き残るための確立を高める』目的で有効であることは明白ですが、やがて『和歌』『俳句』『詩』『物語(虚構)』などを表現する手段としても使われるようになります。一見『生き残りのための確率を高める』こととは無関係に見えるこれらの表現様式に『人』が固執するのは、何故かという疑問です。この疑問に答えることができれば、『人』は何故『芸術』を必要とするのかが解明できることになります。 

梅爺が見出した『結論』は、『脳』の機能の基本動機は、『生き残りの確率を高める』ための『安泰優先』であり、これは『精神世界』にも受け継がれ『安泰を優先して希求する本能』が、『精神世界』を動かす基本要因になっているという仮説(推測)です。 

『脳』や『精神世界』は、周囲の事象が『自分にとって都合の良いこと(安泰)』か『自分にとって都合の悪いこと(危険)か』を先ず優先して判断します。 

しかし、この原則に従うだけでは、『うまくいかないこと』があることに『人』はやがて気づきます。それは『人』が、同じく『生き残りの確率を高める』ために『群を作って生きる』という方法を選択したからです。 

つまり『個』の都合と、『群』の都合は一致しないことがあるという矛盾に気づいたことになります。人類はこの矛盾に対応するために、以降悪戦苦闘を重ねてきて、法、道徳、倫理、イデオロギーなどを考え出しましたが、未だに決定的な解決方法を見出しているとは言えません。 

『自分が何を考え、何を感じているか』を群の仲間に『知ってもらう』ことが、『安泰』につながるという本能が、『芸術』の原点であるというのが梅爺の仮説です。『人』は容姿も『精神世界』も個性的であり、皆異なっているらしいと、薄々感じたからに違いありません。

『宗教』も、同じく『安泰を希求する本能』が考え出した様式であろうと考えると、得心がいきます。少なくとも梅爺は、そう考えました。

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2016年4月11日 (月)

狂言『宗論』(1)

NHK地上波教育チャンネルで日曜日の夜放映される番組『古典芸能への招待』は、歌舞伎、能、狂言などの舞台録画中継が主体で、音声副チャンネルでは専門家の解説が同時に流れますので、梅爺は楽しみにして録画し、観ています。日本語の変遷、日本人の美意識(所作、発声、音色、リズム、色彩、様式など)を知る上で、大変勉強になります。 

通常、この時間帯の教育チャンネルでは、『クラシック音楽館』が放映され、『NHK交響楽団の定期演奏会』を楽しむことができます。 

『クラシック音楽館』を録画鑑賞する習慣がつき、その延長で『古典芸能への招待』の存在を知りました。両方ともファンの数は限られていて、視聴率は高いとは言えないのでしょうが、NHKならではの企画で、梅爺は評価しています。『NHK不要論(民放だけで良いとする)』に梅爺が反対する理由でもあります。 

『古典芸能への招待』で紹介された狂言『宗論』を観て、見事な話の構成に感心しました。日本人の『精神世界』の特徴の一つとも言える『諧謔精神』が、どのように形成されてきたかを考える上でも、貴重な演目のような気がします。 

『宗論』は、室町時代に創られた作品であろうと思いますが、仏教の二つの宗派の僧、『法華僧(日蓮宗)』と『浄土僧(真言宗)』とが、偶然旅先で知り合い、旅を共にするうちに、互いに自分の宗派が『正しい』と主張して、諍(いさか)いになりますが、最後は、同じお釈迦様の教えにたどり着くことを悟るという話の展開です。

通常の狂言で主役になる『太郎冠者(たろうかじゃ)』は登場せず、『法華僧』『浄土僧』『宿の主人』の3人が登場人物です。約50分の演目時間ですから、狂言としては大作です。

梅爺が興味を抱いたのは、『宗教論争』を意味する『宗論』という言葉と、その『宗論』を『諧謔精神』で笑いの対象として受け容れる下地が、室町時代の日本に既に存在していたということです。

『諧謔精神』は、江戸時代に庶民の間で確固たるものになっていたことは、『いろはカルタ』や『狂歌』で知ることができますが、少なくとも室町時代には、その下地ができていたことが分かります。

日本の伝統精神の一つである『諧謔』が、梅爺は大好きで、自分が『日本人で良かった』と思うことの一つです。

『諧謔』は、西欧の『ジョーク』『ブラック・ジョーク』とは一味違います。強いて挙げれば『ユーモア』が近いと思いますが、なんといっても自分自身を笑いの対象として受け容れている姿勢が特徴です。

他人を笑いの対象にしているのではなく、自分を含めた『人間』の本性を笑いの対象にしている柔軟な姿勢が魅力的です。

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2016年4月10日 (日)

Cleanliness is next to godliness.

英語の諺『Cleanliness is next to godliness.』の話です。 

『清潔であることは、信心深かいことに次ぐ重要なことだ』と云うような意味になります。 

人間にとって一番重要なことは『信仰厚いこと』、そしてその次は『清潔であること』と真っ向から言われてしまうと、信仰が薄く、無精に過ごしている梅爺は、立つ瀬がなく、畏れ入るばかりです。 

インターネットでこの諺を検索して観ると、キリスト教の教会で、信者に奉仕活動の『掃除』を呼びかけるポスターなどに使われている様子が紹介されていますので、てっきり『聖書』の引用かと思いましたが、どうも『聖書』が原典ではないらしいと分かりました。 

最初に誰が云ったのかは、よく分っていない様ですが、『ユダヤ』の諺ではないか云う説もあるようで、そう言われてみると『ユダヤ教』的な考え方なら、さもありなんと思えてきます。 

『Godliness』は、『神の様であること』とも理解できますから、『神は潔(きよ)い』という考え方が、『ユダヤ教』『キリスト教』『イスラム教』で継承されていることが分かります。『潔い』は『考えることも見た目も潔い』ということです。たしかに『悪だくみをし、むさくるしい神の姿』では、信仰の対象になり難いにちがいありません。

一方『神』は『万物の創造主』であり、『あらゆる事象をその意図で司る御方』であるということですから、『神』のお考え、御振舞いは、全て無条件に『潔い』という論理帰結になります。

そこで、いつも梅爺の頭が混乱してしまうのは、『何故神は、時に神の御意志に反して行動してしまう人間を創ったのだろうか』という単純な疑問を抱いてしまうことです。『神の命令に反してアダムが知恵の木の実を食べたから』という説明も説得性を欠きます。『何故そういう行いをしてしまうアダムを創ったのか』という疑問は解消しないからです。

『神の意図に反することも時に行う人間を創った』のも『神の意図』であるということになると、論理はややこしくなります。『わざと罪を犯す人間を創っておいて、神を信じ、身を潔く保つ者は罪を赦してやろう』などというのは、『ちょいと、いじわるが過ぎませんか』と、畏れ多くも『神』を恨みたくなってしまいます。

『生物進化』のプロセスで人間が出現したとすれば、『自分の都合を優先して、どんなこともしてしまう習性』を何故生物として保有しているかは、論理的に説明できますから、当面こちらの考え方で得心しています。つまり『人間は神に似せて神が創られたもの』という考え方は理性では受け容れ難いと感じています。実に御しがたい爺さんです。

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2016年4月 9日 (土)

天正遣欧少年視察団(2)

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使節団がリスボンで滞在したサン・ロッカ教会。
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使節団が招かれたシントラの王宮。
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バチカン(ローマ)での法王グレゴリウス13世への謁見(伊東マンショ)。

使節団は、4人の少年正使が主ですが、勿論ポルトガル人(神父、修道士)や日本人の随員(世話役、印刷技術習得目的の少年)も含まれています。
 

この使節団派遣を計画したヴァリニャーノ神父の思惑は以下であったのではないでしょうか。 

(1)日本布教の成果(自分たちの業績)を、本国やバチカンに披露する。
(2)ポルトガル王やバチカンに、布教のための更なる経済支援を願いでる。
(3)少年たちの見聞を、日本帰国後布教に役立てる。
 

使節団は、ポルトガル、スペイン、イタリア(トスカーナ大公国、フィレンツェ、バチカン)で想像以上の歓迎を受けました。王侯や法王への謁見が実現しています。 

当時のヨーロッパの人々には、『日本』に関する知識はほとんどなかったはずですから、『物珍しさ』が主体であり、『優越意識』も背景にある対応であったのでしょう。何よりも敬虔なカトリック信徒の『少年達』であったことが、好印象を与えた要因ではないでしょうか。 

日本へ帰国後、『豊臣秀吉』に聚楽第(じゅらくだい)で謁見して、西洋音楽を演奏してみせたなどという記録ものこっていますから、日本人も好奇心で最初は対応したのでしょう。 

しかし、『バテレン追放令(1587年)』や徳川幕府の『禁教令(1613年)』による『キリシタン弾圧』が厳しくなり、4人は過酷な運命にさらされます。 

伊東マンショ  司祭になり、1612年に長崎で死去
千々石ミゲル  棄教
中浦ジュリアン 逆さ穴釣りの拷問でも棄教せず1633年殉教
原マルティノ   司祭になるもマカオへ追放され1629年現地で死去 

ポルトガル人の司祭でさえも、過酷な拷問に耐えかねて、『棄教』を誓った人(転びバテレン)がいた中で、中浦ジュリアンの殉教は、後々まで敬虔な信徒達の心の支えになり、敬愛の対象になっています。 

『命』と『信仰』の問題は、軽々に論ずる対象ではありませんから、『棄教はいけない行為、殉教は畏敬すべき行為』などと単純な区分けは適切ではありません。遠藤周作が小説『沈黙』であつかっているテーマもこの問題です。 

偶然カトリックに遭遇した日本の少年たちが、当時の日本人の誰もが体験できない世界を見聞し、最後に『命』か『信仰』かという過酷な選択を迫られる運命が待ち受けていたことになります。普通の人の数倍に匹敵する人生を体験したとも言えます。偶然が数奇な人生を人に強いることがある典型的な例ではないでしょうか。

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2016年4月 8日 (金)

天正遣欧少年使節団(1)

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1586年ドイツで印刷された『使節団肖像画』。伊東(右上)、千々石(右下)、中浦(左上)、原(左下)。中央はメスキータ神父(通訳として日本から同行)。

ポルトガルへのツアの中で、添乗員の方や現地のガイドさんから何度も『天正遣欧少年使節団』の話がありました。『ポルトガル』を歴史上初めて体験した『日本人』の話ですから、野次馬の梅爺の興味をそそらないはずはなく、ツア感想のブログの最後に『番外編』として載せることにしました。

『天正遣欧少年使節団』は、カトリック宣教のために日本に滞在していたヴァリニャーノ神父(ポルトガル人)の発案で、キリシタン大名(大友宗麟・大村純忠・有馬晴信)の名代として、4人の日本人少年たち(キリシタン)がヨーロッパへ出向いた出来事です。

4人は以下の少年達です。

伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代(血縁者でもある)
千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代(有馬晴信の従兄弟)
中浦ジュリアン(副使) 
原マルティノ(副使)

4人の正式な生年月日は分かっていませんが、日本出発時(1582年)には13~14歳程度であったと推察されます。当然大名の血縁者であったり、とりわけ聡明な少年たちが選ばれたのでしょう。ポルトガル、イタリアで異例の大歓迎を受けていますが、少年たちの聡明さ、礼儀正しさ、謙虚さがそうさせたのではないでしょうか。現地でパイプオルガンを演奏してみせたなどという逸話も残っています。勿論言葉(ポルトガル語、イタリア語)への対応も見事であったのでしょう。

日本への帰国は1590年で、約8年間を要したことになりますが、行き帰りの船旅(インドのゴア経由)に6年以上を費やしていますから、ヨーロッパ滞在は約2年間ということになります。『大航海時代』の到来で、ヨーロッパから極東までの航路が確保されたとはいえ、当時の航海がいかに大変なものであったか分かります。それから約500年後の梅爺は、当たり前のこととして約9日間で北スペインとポルトガルをまわって帰って来たわけですから、実に能天気な話です。

少年たちは、帰国時に20歳を越えた青年になっていたことになりますが、それよりも日本の『キリシタン』事情が出発時と大きくことなってしまっていたことが青年達の運命を後に翻弄することになります。帰国の3年前の1587年に『豊臣秀吉』が『バテレン追放令』を発令し、頼りの綱であるキリシタン大名大友宗麟、大村純忠も既に亡くなっていました。

使節団が日本へ持ち帰ったものに、『活版印刷機(グーテンベルク式)』『西洋楽器』『海図』などがあります。

『フランシスコ・ザビエル』が来日(1549年)して、わずか33年後(1582年)に、日本には『キリシタン大名』や日本人信徒が沢山存在していて、『遣欧使節団』を送り出すレベルにまでなっていたことは注目に値します。カトリックの宣教が、いかに効率よく行われたかを示しているからです。『豊臣秀吉』の対応が異なっていたら、日本は実質『ポルトガル』の植民地となり、カトリック国になっていたかもしれないという話です。

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2016年4月 7日 (木)

ポルトガル雑感(2)

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ユーラシア大陸最西端ロカ岬。到達証明書がもらえる。
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城壁に囲まれた小都市オビドス。

『大航海時代』の野心、挑戦心に満ち、エネルギッシュであった過去の『ポルトガル』と、現在の『ポルトガル』のありさまを比較して、その違いは何に由来するのだろうと梅爺は考えさせられました。現在の『ポルトガル』は、現状を肯定して『高望みなど無用』と悟っているようにも見えるからです。
 

観光地の土産店でも、アジアやトルコのように店員がしつこく客にまとわりつくようなことはありません。日本人には『この人達はやる気があるのだろうか』といぶかる人もいますが、『他人へ干渉しない(あなたがお望みなら、お売りしましょう)』という価値観を重視する文化であって、梅爺の好みに合います。 

『大航海時代』の『ポルトガル人』も、現在の『ポルトガル人』も、実は同じ『ポルトガル人』であるということを理解しなければならないのではないでしょうか。 

軍国主義で『第二次世界大戦』に突き進んだ『日本人』も、現在の『日本人』も同じ『日本人』であるということと同様です。 

人間社会は、周囲との関係、経済的な環境、インセンティブ(達成時に得られるであろう報償)などで、異なった色彩を放つ『社会』へ変貌するということに他なりません。これは人間社会に共通する資質ですから、『ポルトガル人』『日本人』だけの固有の資質ではありません。 

中国は、日本の首相が靖国神社に参拝しただけで、『日本の本心は侵略国家へ逆戻りすることだ』と日本を非難しながら、自分の『覇権主義、侵略主義』的な現在の立場は棚に上げています。 

過去に列強によって侵略される側にあった時の『中国人』も、逆に居直っている現在の『中国人』も同じ『中国人』であるということです。 

人間社会は、複雑な環境条件で、時には『野心的、能動的、攻撃的』にもなれば、逆に『安泰重視、受動的、防御的』にもなるということでしょう。 

現在の『ポルトガル』『日本』『中国』の社会が放つ色彩を観て、それが『ポルトガル人』『日本人』『中国人』固有の資質に由来しているように論ずるのは、適切ではないような気がします。社会が『変容』するのは、人間に共通する資質に依るものだと理解する必要があります。 

このことは『個人』にも言えることで、10代の梅爺は『野心的』であったかもしれませんが、現在の梅爺は『安泰志向』が強い人間に変っています。10代の頃を取り上げて『お前は野心的な人間だ』と決めつけられても戸惑います。中国が現在の日本を『侵略国家だ』と決めつけるのも、これに似て滑稽な話です。 

『ポルトガル』の大都市は、『スリ』『かっぱらい』が横行する治安の悪い所ですが、これも失業率が高いなど国が置かれている経済環境が背景にあることで、『ポルトガル人は道徳心に乏しい』などと決めつけるは適切ではありません。『貧すれば鈍する』というのが、残念ながら人間に共通する資質なのです。

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2016年4月 6日 (水)

ポルトガル雑感(1)

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水の都アヴェイロの彩色された漁師舟。現在は観光クルーズ用。

日本には、ポルトガル語を語源とする沢山の言葉があります。当然のことながら、『キリスト教』に関する、『キリシタン』『デウス(神)』『バテレン(神父)』『オラショ(祈祷)』『ロザリオ』などがあります。
 

食べ物、菓子、嗜好品や珍しい品物の名前として、『ボーロ』『ばってら』『ビスケット』『キャラメル』『かぼちゃ』『カステラ』『天ぷら』『金平糖』『タバコ』それに『カルタ』『ブランコ』『しゃぼん』『ビードロ(ガラス)』『ボタン』『襦袢』『ビロード』『メリヤス』などがあります。 

当時の日本人が、初めてヨーロッパの異文化に触れて、どのように反応したのか、好奇心は何に向けられたのかを間接的に知ることにができます。 

今回のツアで、『これが、カステラ、金平糖、もなか(菓子)の原型です』という菓子の紹介がありましたが、洗練された日本の菓子にくらべ、いかにも素朴なもので、少々戸惑いました。『ポルトガル』は劣っているとは言えませんが、すくなくとも『従来のままを踏襲する』という考え方が強いのかもしれません。

『ポルトガル』では、古い路面電車、ケーブルカー、エレベーターなどが、今でも使われているのは観光客には『レトロ』として歓迎されますが、日本なら、エネルギー効率、安全性、利便性などが優先されて、最新技術のものに置き換えられるにちがいありません。

新しいものに触れて、それを受け容れることに止まらず、より洗練された様式に進化させる意欲、能力に長けている日本人の習性が、何に由来するのか梅爺は大変興味があります。

『不易(変えないもの)』と『流行(変えるべきもの)』という対立する概念が日本人の関心事であり、そのバランスを追求しようとします。人間も社会も、進歩しようとすれば、どうしてもこの問題に直面します。

昨今の日本は、『流行』に傾きがちで、『不易』であるべき真の日本らしさが失われつつあると嘆く方も多く、梅爺も『心の豊かさ』より『ものの豊かさ』が優先される風潮が気にはなりますが、それでも現状は、『まあまあ、こんなものだろう』と受け容れています。

『不易』も『流行』も行き過ぎは好ましくないことは分かっていますが、何を行き過ぎとするかは、普遍的に決める手立てがありませんから、試行錯誤で対応するしかないからです。『生きる』ということは、まさしくそういうことではないでしょうか。

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2016年4月 5日 (火)

ファド

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典型的なファド演奏形式、左がポルトガル・ギター、右がクラシック・ギター。

『ファド』は『ポルトガル』の民俗歌謡で、フランスの『シャンソン』、イタリアの『カンツォーネ』、アルゼンチンの『タンゴ』、ブラジルの『サンバ』などとならんで有名です。

『ファド』で梅爺が思い浮かべるのは、『ファドの女王』と呼ばれた往年の『アマリア・ロドリゲス』が歌う『暗い艀(はしけ)』です。『暗い艀』は厳密には『ファド』ではなく、映画の挿入歌ですが、『アマリア・ロドリゲス』の圧倒的な存在感で迫る歌声は魅力的でした。

『ファド』は『運命』『宿命』というような意味で、確かに『ファド』には、運命に翻弄される切ない女心などを歌ったものが多く、『陰鬱な歌』のイメージがありますが、実際にはリズミカルで明るい歌もあります。歌手も女性には限りません。

伴奏は、丸い形の『ポルトガル・ギター』と通常の『クラシック・ギター』の2本のギターが担当し、『ポルトガル・ギター』が高音旋律部を、『クラシック・ギター』が低音部とリズムセクションを担当します。

『ファド』の形式が始まったのは、比較的最近の19世紀頃で、一般に云われている『大航海時代、船乗りの妻が、いつ帰るか分からない夫の無事を祈って歌ったのが最初』という起源説は、『ファド』をPRするために創られた話のようです。

『言葉』と『音楽』を結びつけた『歌』は、人間の『精神世界』が創りだした『自己表現』の素晴らしい形式です。他の生物もコミニュケーションのために、原始的な『鳴き声』『囀(さえず)り』を利用しますが、人間の場合は、細やかな『情感』など見事なレベルで表現するまでに進化しています。『歌』と言う表現形式は、数十万年に及ぶ『人類の生物進化』がもたらした傑作の一つではないでしょうか。『人は何故歌うのか』という問いに答えるには、生物進化や脳科学の知識が必要になります。

『ポルトガル』『アイルランド』『スコットランド』『ロシア』そして『日本』では、一般に哀愁を帯びた『歌』が好まれますが、『イタリア』『中年米の国々』では、陽気な『歌』が好まれます。

気候、歴史などが複雑に関与して『歌』に関する『国民的嗜好』が醸成されるのであろうと思いますが、これも人間の『精神世界』を知る手掛かりの一つです。

今回のツアでは、リスボンの有名な『ファド・レストラン』で、生の『ファド』を聴くことができました。

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2016年4月 4日 (月)

ポルトガル(北スペイン)の料理、ワイン(3)

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港町『ポルト』にあるポート・ワイン醸造所の内部。

『ポルトガル』のワインの歴史は古く、フェニキア人、カルタゴ人などによってワイン文化がもたらされたと考えられています。イベリア半島が『ローマ帝国』の支配下(属州)であったときには、既にローマへワインが輸出されていました。

気候と土質が葡萄栽培に適しているのでしょう。ミーニョ川、ドウロ(スペインではドゥエロ)川流域がワイン用の葡萄の産地で、ミーニョ地方のワインは『ヴィーニョ・ヴェルデ』、ドウロ川の河口の『ポルト』で創られる『ヴィーニョ・ド・ポルト』が有名です。

『ヴィーニョ・ヴェルデ』はそのまま訳せば『緑のワイン』となりますが、微発泡性で酸味がやや強いのですがフレッシュな飲み心地の『白ワイン』です。

『ヴィーニョ・ド・ポルト』は、『ポート・ワイン』として世界中に知られている、甘口のデザート・ワインです。梅爺のような年配者は、戦後サントリーが売り出した『赤玉ポートワイン』の記憶から、『赤ワイン』を想像しますが、『ポート・ワイン』は『赤ワイン』とは限りません。

『ポート・ワイン』の特徴は、その製法にあり『酒精強化ワイン』と呼ばれています。自然発酵のプロセスの途中で、ブランディなどのアルコール度数の高い蒸留酒を混ぜ、発酵がそれ以上続かないように強制的に抑制します。

ワインの発酵は、糖分がアルコールに変化する化学反応ですが、発酵が抑制されると糖分が多く残り『甘いワイン』になります。ただし、アルコールの度数がその分低くなりますので、これは混ぜたブランディで補うといった、巧妙な製法です。

伝統的な『ワイン作り』からみると、『酒精強化ワイン』はやや邪道といえるのかもしれませんが、デザート・ワイン(食前酒、食後酒)を量産するには向いています。

『ポルトガル』は隣国『スペイン』との間の紛争が絶えず、その分『イギリス』とは友好関係を築いて、支援を仰いでいた歴史的経緯があり、『イギリス』人が好む甘いデザート・ワインを輸出する目的で、港町『ポルト』がワインの醸造拠点として繁栄するようになりました。

今回のツアで見学した醸造元『サンデマン』は、元々イギリスの商人が創業したワイナリーでした。

『大航海時代』に繁栄した『ポルトガル』も、現在の主要輸出品は『ワイン』と『コルク』というつつましい国になってしまっています。栄光の時代の遺産が、観光資源となっていますから、観光客はどの時代の視点で『ポルトガル』を観るかで、印象が大きく変わります。

歴史遺産もあり、最先端の文明国家の一つでもある『日本』は、実は世界の中で珍しい『国』であると気づきました。

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2016年4月 3日 (日)

ポルトガル(北スペイン)の料理、ワイン(2)

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マテ貝の料理
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国営ホテル『ポサーダ』のディナー。豚肉と栗。
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ナザレ(港町)名物、イワシの炭火焼(日本人には全く違和感ない)。

『ポルトガルの料理は、素材に魚介類が多く使われ、味付けも日本人の舌に合うものが多い』と大雑把な事前情報を得て出かけました。

現在の日本人は、日本にいても『和食』『洋食』『中華料理』を日常的に体験でき、『素材』『調理方法』『香辛料』の違いも承知していますから、外国に出て、よほど『予想外』『未体験』のものに遭遇しないかぎり、驚くようなことはありません。

『ポルトガル』は、ヨーロッパ圏の国で、料理は日本人の『洋食』に属しますから、『フランス料理』『イタリア料理』『スペイン料理』などと類似したものとして、すんなり受け入れることができるのは確かです。

逆にいえば、アフリカや南米の未開の奥地にでも行かない限り、現在の日本人は『仰天する』料理には遭遇しないのかもしれません。日本人は、外国で遭遇する大概の料理には驚かないわけですから、明治維新の頃の日本人とは様変わりしています。

『洋食』に定番の、『オリーブオイル』『胡椒』『ガーリック』『トマト・ペースト』が、『ポルトガル』でも基本に使われていますが、今回のツアで食べた料理の中には、『油ギトギト』『塩辛い』と日本人には感じられるものがあって、ツアメンバーの一部には不評でした。これがその店だけの話なのか、『ポルトガル』の料理に共通する傾向なのかどうかは、梅爺には分かりません。

新鮮な魚介類素材が『美味』と感ずるものはありましたが、『ポルトガル』独特の『調理法』故に『美味』といえるようなものには、梅爺は遭遇しませんでした。くどいようですが、これはあくまでも梅爺の個人的な感想です。

人間は、自分の『精神世界』で、自分を認識し、周囲を観ています。同じ周囲が他人にはどのように観えているのか、自分は他人にどのように観えているのかは、想像するしかありません。この『精神世界は個性的である』という事実の重要性を私たちはもっと知るべきではないでしょうか。『誰もが同じ精神世界を保有している』『自分の精神世界が正しい』という勘違いが、人間社会に多くの悲劇をもたらしていると梅爺は感じています。

梅爺の『ポルトガル』に関する感想は、梅爺の個性的な『精神世界』の産物ですから、参考にされることはあっても、『鵜呑み』にはなさらないようにお願いします。

特に料理に関する好みは、『個性的』であることの最たるものですから、ご自分で確認するには、『ポルトガル』までおでかけいただくしかありません。

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2016年4月 2日 (土)

ポルトガル(北スペイン)の料理、ワイン(1)

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ポルトガルの魚介リゾット。オリーブオイル多用と強い塩味が、ツア仲間の一部の人達に不評。
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スペイン国営ホテルパラドールのディナー前菜(たこ)。今回のツアでこのディナーコースが最も洗練されていると梅爺は感じた。

初めての土地へ旅をする楽しみは、歴史、文化、風物に触れることで『精神世界』が非日常の体験をし、好奇心が満たされたり、知識が深まったり、新しい価値基準が芽生えたりすることです。

特に、旅先での食べ物、飲み物の初体験は、人間の原始的な欲望に関係しますから、誰もが好奇心の対象にしますし、勿論梅爺とて同じです。

『頭が痛くなるようなしち面倒くさい旅の感想文などどうでもよいから、料理やワインを分かり易く紹介しろ』というご要望があることは重々承知していますが、そう言われるとまたまた屁理屈を云いたくなるのが梅爺の悪い癖です。

外国の『食べ物』『飲み物』を体験することは、少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが『異文化を体験すること』です。なにも『テロ集団のイスラム国』や『独裁者支配の北朝鮮』だけが『異文化』ではありません。

外国の『食べ物』『飲み物』を体験し、『口に合わない』と感じた時の代表的な反応は以下のようなものでしょう。

(A)『口に合わない』と判断するにとどまる。
(B)『口に合わない。このようなもので満足しているこの国の人達の味感覚は日本人に比べて粗雑である』と優越感を覚える。
(C)『私の口には合わない。でもこの味を好む人達がいることが分かった』と相手の存在を認める。

梅爺が何を云いたいか、お察ししただけたかと思いますが、『異文化』への対応で好ましいのは(C)の対応姿勢です。つまり、できるだけ優劣判定を排除して、『相手の存在を認める』ことで、『異文化との共存』はこの姿勢なしには成り立ちません。

『バカなことを云うな。お前はイスラム国や北朝鮮を認めるのか』とお叱りを受けそうですが、『異文化の共存』は双方が『相手の存在(立場)を認める』ことが基本であり、イスラム国や北朝鮮は、相手を認めようとしないわけですから、事情が異なります。『自分だけが正しい』と狂信的に主張する相手とどう対応するかの普遍的な知恵を人類は持ち合わせていません。『対話』の余地がないわけですから、無視できないと判断した場合は『武力による徹底殲滅』ということになりかねません。そして怨念の連鎖という、救い難い事態へ陥ります。

外国の『食べ物』『飲み物』の体験は、『異文化の体験』であると同時に、個人的には各自の『精神世界』の反応ですから、個性的、流動的であることを配慮しなければなりません。梅爺の個性的な『味の好み』が先ず関与しますが、梅爺のその時の体調などでも、異なった判定になる可能性があるということです。

つまり、梅爺がブログに書いた感想は、梅爺の『精神世界』が下した個性的な判断であり、梅爺が『ポルトガルの料理で特に感動するものはなかった』と仮に書いたとしても、皆さまは『そうか、ポルトガルの料理はそれほど美味しくないのか』などと早とちりされないようにお願いします。

梅爺は、食の好みはあったとしても、『絶対食べられない食べ物』は原則的にありませんから、ポルトガル、北スペインで出された料理は全ていただきました。しかし、歳をとるにつれて、『日本食味嗜好』が強くなっていますから、この素材なら日本的に料理をすればもっと美味しいのにと、感じたことも正直度々ありました。

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2016年4月 1日 (金)

アズレージョ

『ポルトガル』を旅すると、各地で『アズレージョ』に関する説明を聞き、沢山の『アズレージョ』を目にすることになります。

『アズレージョ』は、色つき焼きタイルを利用して、建築物の壁面、床面を装飾したもので、アラベスク風の繰り返し模様もあれば、全体として組みタイルで大きな壁画を構成したものもあります。

『アズレージョ』の語源は、青色が多用されることから『アズーレ(青)』が転じたものと言う説や、アラビヤ語の『磨かれた石』を意味する言葉が転じたとする説やらがあるようです。

今回のツアでは、教会、王宮、駅舎、店舗など、多くの場所で『アズレージョ』を観て、リスボンでは『国立アズレージョ博物館』を訪ねました。
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ポルト、『サンベント駅』のアズレージョ壁画
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ナザレの『ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会のアズレージョ壁画


『ポルトガル』が誇らしげに観光対象にしている『アジレージョ』も、元々は『ポルトガル』発祥の技術、工法ではありません。

色つき焼きタイルの技術は、もともとはペルシャで始まったもので、その後イスラム文化圏に普及しました。イスラム教では、絵画や彫刻を宗教的な礼拝の対象にしてはいけないというきまりがありますから、タイルを組み合わせて、『アラベスク』といわれる幾何学模様を表現するのに用いられました。
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リスボン、国立アズレージョ博物館に展示されている昔のリスボンの様子がわかるアズレージョ

この技術は、『ビザンチン帝国(東ローマ帝国)』に伝播し、色つきタイルを一度破壊し、その断片を寄せ集めて『絵』を構成する、いわゆる『モザイク画』の技法が確立しました。『カトリック』『正教』の聖堂内部の壁面、天井面などには、この技法で描かれた宗教画が沢山残されています。

色つき焼きタイルの技術は、北アフリカから侵攻してきたムーア人(イスラム教徒)によってイベリア半島へもたらされたのでしょう。

15世紀の後半、『レコンキスタ(再征服運動)』が成就し、イベリア半島は『カソリック』を信奉する王国(スペイン、ポルトガル)の支配下にもどりますが、色つき焼きタイル技術は南スペインに継承され、これが『アズレージョ』として開花していきました。

『ポルトガル』では、当初南スペインの色つき焼きタイルを輸入していましたが、16世紀の頃から自製が始まり、『ポルトガル』を象徴するような装飾技術に発展しました。

繊細な彩色を施した陶器、磁器の焼き物技術に慣れ親しんでいる日本人には、『アズレージョ』は驚愕の技術とは思えませんが、風景、風物、歴史シーンを描いた『アズレージョ』壁画は、異国の文化として楽しめました。

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