« 怖ろしいのは天災ではなく人災(2) | トップページ | 怖ろしいのは天災ではなく人災(4) »

2015年2月 3日 (火)

怖ろしいのは天災ではなく人災(3)

『怖ろしいのは天災ではなく人災』という表現は一種のレトリックで、『天災は怖ろしくない』ということではありません。

『宇宙』や『地球』の歴史を考えれば、『物質世界』の変容は巨大な規模で継続しており、私たちの地球環境が現在のままであり続けることがないと推測する方が妥当です。

約50億年後には、『太陽』は燃え尽きますし、約40億年後には、『天の川銀河(私たちが存在する銀河)』と『アンドロメダ銀河』が衝突します。その時『地球』に何が起こるかを考えれば、人類が棲息できる環境が消失するという推測になります。

それほど先のことでなくとも、『小天体』が『地球』と衝突する危険は常に存在しています。もっと身近には、『日本』は、複数の地殻プレートが交錯する場所に存在しますから、大規模な地震はいつ発生してもおかしくない危険と隣り合わせです。

私たち『ホモ・サピエンス(現生人類)』の歴史は、高々20万年であり、『文明』の歴史は5000年程度です。私たちの時間感覚で、『地球環境がほぼ同じであった』だけで、『宇宙』や『地球』の歴史からみれば、瞬間の小康状態ともいえる時期に私たちが幸運にも遭遇しているということになります。『地球』は人類が存在しようがしまいが、変容していくことは同じです。私たちは自分の時間感覚で『当分は大丈夫』と予測しているに過ぎません。『宇宙』にとって数万年は一瞬ですが、私たちには永遠に近い時間であるという話です。

『天災も人災も怖ろしい。天災はしかたないとあきらめるとしても、人災は自殺行為でもあり馬鹿らしいから避けよう』というのが私たちのホンネになります。

『温暖化』のように、『人間の行為』が引き金になって起きているかもしれないといった『天災』もあり、実に複雑です。

『現在の地球環境』は、未来永劫ではないにしても、せめて人類が自ら変容を早めるようなことは避けようという話には異論がありません。

梅爺は、自然の摂理で『自分が幸運にも生かされている』と強く感じ、感謝していますが、人類も『幸運にも存在できている』という認識が必要なのではないでしょうか。少しでもながく『生きる』『存在する』ことは、個人や人間社会の『願望』であるのは、当然のことです。

しかし、『いつかは死にいたる』のは、残念ながら個人も人間社会も同じ宿命を帯びています。ただ、人間社会の『死』は、少なくとも数十万年以上先のことであって欲しいと願うばかりです。

|

« 怖ろしいのは天災ではなく人災(2) | トップページ | 怖ろしいのは天災ではなく人災(4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 怖ろしいのは天災ではなく人災(2) | トップページ | 怖ろしいのは天災ではなく人災(4) »