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2015年2月23日 (月)

ウンベルト・エーコにエッセイ『絶対と相対』(2)

『ウンベルト・エーコ』はこのエッセイの中で、古代から現代にいたるまで、『絶対と相対』に関する議論がどのようになされてきたか、豊富な引用で、読者が考えるヒントを提示しています。

聖職者や神学者は、『絶対なるものとして神の存在を肯定する』という立場ですから、『神』が存在する以上『絶対』も存在するという主張になります。

一方、哲学者や論理学者の一部は、『絶対』や『相対』は、人間が論理思考で考え出した『抽象概念』であるという立場ですから、『絶対』は論理的な仮想存在であって、実態としては存在しないという主張になります。

『ウンベルト・エーコ』は、この二つの主張を公平に紹介し、自らがどちらに加担するかの直接的な表明は避けています。梅爺のような凡庸な読者は、『それで、あなたはどちらを支持するのですか』と性急に問いただしたくなりますが、『ウンベルト・エーコ』としては、この議論は、どちらも証明できない仮定の上に成り立っていますから『水掛け論』であることが分かっていて、例え心情的にどちらかを重く観ることがあっても、『個人的な立場の表明』は、あまり意味のないことだと考えた上での賢い対応なのでしょう。

梅爺は、自分のブログに何回も書いてきたように、『絶対や神は、人間が考え出した抽象概念で、精神世界にのみ論理的に存在する』という後者の立場を個人的に支持しています。こう考えた方が、身の周りの色々な事象を矛盾なく理解できると感じているからです。

しかし、この梅爺の考え方にも問題があります。それは『物質世界』の変容を支配している『摂理』をどのように受け止めるかという問題です。

『摂理』は、目に見える実態ではありませんが、明らかにそれに従って全ての変容が起きていることから存在は間接的、論理的に推測できます。『摂理』の一部は人間が『発見』したものですが、人間がいない時代にも存在していたことになりますから、人間の『精神世界』が創りだした抽象概念ではないことが分かります。

『摂理の全貌』はまだ見つかっていませんが、それこそが『真理』と呼べるもので、『絶対』という表現がふさわしいもののように見えます。

『摂理の全貌』が存在するとすれば、その中に『何故摂理が存在するか』を説明する要因も含まれていなければなりません。そうしないと、『因果関係』が『堂々巡り』になり、『摂理の全貌』も『絶対』とは言えなくなるからです。

その『摂理の全貌』こそが『神』ではないかという意見に、梅爺は異論がありません。しかし、この場合の『神』は、冷厳な『摂理』に過ぎず、『人間と姿かたちが似ている』ことも『人間を特別に愛してくれる』こともありません。人間の『願い』や『祈り』とも無関係な存在になります。これを『神』と呼ぶことは、宗教関係者自身がむしろ反対するのではないでしょうか。

人間が『精神世界』で考え出した『絶対』という抽象概念に、最も近いものがあるとすれば、それは『摂理の全貌』であろうという、梅爺の論理的な推定になります。いうまでもなく『摂理の全貌』の存在そのものが重要であって、それが『絶対』に近い属性を有していることは、副次的なことです。

『絶対』という抽象概念がなくても、『摂理の全貌』は存在しうると考えれば良いという話になります。

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コメント

私、こういったテーマは結構好きです。「絶対と相対」。観念の中にその存在を求めるとき、自分の存在が先ず肯定されないと、観念の世界も構築されないのではないでしょうか。そして同じ世界に存在しても、百人百様の世界が存在すると思うのです。個人が自分の正解を構築するのは五感・六感を働かせて獲得したものを自分の価値判断で構築しなおしたのがその人の世界ではないかと思うのです。そしてその世界はその人の成長に合わせて変化してゆく…ウンベルト・エーコの世界に同調しても、彼と同じ世界にはいないと思います。絶対という観念がその人に有っても、その人だけの絶対であると思うのですが…。

投稿: 五老訓 | 2015年2月23日 (月) 22時45分

五老訓 さま

コメントありがとうございます。

『観念と自分の関係の大切さ』『観念は百人百様』『しかも観念は絶えず移ろっていく』というご指摘は全く同感です。

『哲学などに興味を持たない不が健全だ。でも必ず興味を抱く人もいる』というようなことを哲学者自身が云っているのを読んだことがあります。

私はそういう一人であるように感じています。

投稿: 梅爺 | 2015年2月24日 (火) 10時38分

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