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2015年2月 6日 (金)

謎が謎を生む(2)

『宇宙の誕生』にしても『最初の生命の誕生』にしても、私たちは50年前では考えられないほどの知識を保有し、『かなり真理へ肉薄できている』と実感できるに至っています。梅爺が高校生、大学生であった頃の知識では、とうてい考えられない領域にまで現代科学は歩を進めています。

『最初の生命の誕生』に関しては、『実験』で、人工的に『生命』を創り出すことに成功すれば、『真理』として実証されることになり、将来そのようなことが起こらないとは言えませんが、現状では実現できていません。『人工的な生命の創出』は、『倫理』的な議論の対象でもあり、一方それが『現生人類』を絶滅に追いやる脅威の源になる可能性も秘めていますから、どう対応していくかは人類自身の選択に懸ります。

『宇宙の誕生』に関しては、浅学な梅爺でも、『人工的に誕生を再現すること』は、不可能であろうと推測できます。膨大なエネルギー(真空エネルギー)、超高温高圧の環境を人間業では準備できないであろうと考えるからです。地震や台風を制御できないレベルで、『宇宙の誕生再現実験』など、できるはずがありません。加速器で二つの『陽子』を衝突させ、瞬間的に全てを『素粒子』に戻す実験が行われていますが、これは『宇宙の誕生』の極々一部の環境を模擬しているだけでにすぎません。

従って、『宇宙の誕生』にしても『最初の生命の誕生』にしても、科学者は『仮説』を提示し、その『仮説』に矛盾はないかどうかを検証して、矛盾が見つからなければ、『真相に近い』と合意する方式が採られています。まさしく『推論能力』を最大限に発揮していることになります。当然ながら、この論理思考プロセスには、『情』は関与する余地がありません。『こうあって欲しい(願望)』『こうであると信ずる(信念)』という発言は意味がありません。

しかし、厄介なことに『人間』は、自らが創出した『精神世界』で、『願望』や『信念』が『生きる支え』になるほどの意味を持つことを『実感』しています。『宗教』は『信ずる』ことを前提に『教義』を創り出し、『信仰』が『心の安らぎ』につながっています。この視点でみると『信ずる』ことを認めない『科学』は、『宗教』にとっては『困った存在』であり、一方『科学』からは『宗教』は『非論理的な存在』であることになります。『宗教』は『精神世界』をいつまでも神秘的な世界にとどめておきたいと考え、『科学』は『精神世界』のからくりを解き明かそうとします。無責任な予想をお許しいただければ、『生きる支え』や『心の安らぎ』は、必ずしも『宗教』に依存しなくても得られるものだと『科学』が明らかにする時が来るような気がします。『宗教』が否定されるというより、『宗教』は一つの有効な手段であることが鮮明になるのではないでしょうか。

『宇宙の誕生』に関する『ビッグ・バン(Big Bang)』説も、『仮説』として提示され、矛盾が見つからないということで『定説』になりました。興味深いことに、物質の究極の素材を扱う『素粒子の研究』が、『宇宙の誕生』を『定説』とすることに大きく寄与しています。現在では『素粒子の研究』が、『宇宙の誕生』を解明する決め手になることは『科学』の常識になりつつあります。

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