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2015年2月12日 (木)

ウンベルト・エーコのエッセイ『敵を創る』(1)

イタリアの作家(大学教授、評論家)の『ウンベルト・エーコ』は、小説『薔薇の名前』を読んで以来梅爺のお気に入りです。 

彼のエッセイ集『Inventing the enemy(敵を創りだす)』(英語版ペーパーバック)を購入し、読みました。14編のエッセイが収められています。 

『ウンベルト・エーコ』自身は、『時に応じて書きためたもの(Occaisional Writings)』というタイトルを考えていた様ですが、これではインパクトがなくて注目が集まらず、本は売れないと出版社が考え、最初のエッセイとして収められている『Inventing the enemy』を本のタイトルとして採用したと『序』に書いてあります。『教養』や『芸術』も『商業主義』を無視できないのが、人間社会の特性です。 

『Occasional Writings』は、作家が自ら思いついた対象ではなく、周囲からの要請や、その時々遭遇した『世事』に触発されて書き始めたもので、作家にとっては、思いもかけない発見があったりして、それなりに意味があると『ウンベルト・エーコ』は書いています。『梅爺閑話』も、読んだ本、映画、テレビ番組などに触発されて、考えを書いている内に新しい発見をすることがありますので、この気持ちは分かります。 

この本の最初のエッセイは『Inventing the enemy(敵を創りだす)』で、確かにこれは一体何が言いたいのだろうと興味がわきます。 

『ウンベルト・エーコ』がニューヨークを訪ねた折に、乗ったタクシーの運転手(パキスタン人)から、『どこから来たのか?』と尋ねられ『イタリア』と答えると、『イタリアの敵は誰か?』と次に質問され、『ここ、数十年イタリアには敵がいない』と答えると運転手は怪訝な顔をしたというエピソードから、このエッセイは始まります。

タクシーを降りてから、『ウンベルト・エーコ』は、そっけない答をしてしまったことを反省し、『人間社会』にとって、『敵』とは何か、時に『敵』を必要として、それを創りだすのは何故かを徹底的に考えて、このエッセイを書きました。こういう『知的好奇心』から探索を開始するところが、梅爺に似ていて大好きです。勿論『ウンベルト・エーコ』の『教養』の度合いは、梅爺のはるか及ばないものですから、比較するのはおこがましい話ですが。

『ウンベルト・エーコ』は、『人間社会』が、自分たちと容姿、文化、言葉、宗教が異なる人達を、『異質』として差別し、時に『敵』とみなして蔑視したり迫害したりしてきた、歴史事例を、過去の事件や文献を、これでもかとばかり、提示します。全てごもっともなのですが、こういう西欧文化特有の『執拗さ』は、梅爺は少々辟易(へきえき)しないでもありません。

『敵』というと『戦争』を連想し、殺し合いの悲惨な状況を思い浮かべますが、『競争相手(ライバル)』と言えば、切磋琢磨してお互いに向上するという良い面があることも理解できます。

巨人軍の原監督は、チーム内に非情とも言える徹底した『競い合い』を求め、誰ひとり特別扱いすることなく、これがチームの強さの源泉になっています。チームが勝つことを最優先し、個々の選手の『自尊心』などは、時に優先度が低く扱われますから、選手のストレスは大変なものでしょう。意図的にチーム内に『敵を創る』ことが、チームが勝つために必要という論理が実践されていることが分かります。

『真珠湾攻撃』『9.11事件』で、アメリカ国民の『愛国心』に火がつき、現在の中国や韓国の政治首脳者が、国内政治に関する国民の不満を逸らすために、意図的に『反日』で日本を敵視しているように見えることから、『国家』にとっては、『敵』は意味のあるもので、時に意図的に『創り出す』必要があることも、なんとなく理解できます。

『平和』であって欲しいと言いながら、『敵』を必要とするという矛盾を『人間社会』は本質的に抱えていることになります。

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