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2015年2月 8日 (日)

謎が謎を呼ぶ(4)

『ビッグ・バン』や『生物進化』は、『科学』の『定説』になっていますが、『ビッグ・バンはどのように始まったのか』『地球上の最初の生命体はどのようにして出現したのか』は、『定説』にはなっていません。科学の場合、一つの『謎』が解明されると、その先にまた新しい『謎』が出現します。つまり『謎が謎を生む』ことになります。

『科学』は、『宇宙の始まり』『地球上の生命体の始まり』について、かなり『真理』近くまで追い詰めていますが、最後の『謎』は解明されていません。

『科学』の『真理』は、『普遍的で合理的な説明が可能』であることを条件としますので、『真理』追求のプロセスに『望む』『期待する』『信ずる』という『精神世界』の『情』に根ざした行為の介入は許されません。強いて『精神世界』の行為として有効なのは『疑う』という行為だけです。

この科学者の姿勢が、『宗教』関係者の目には非常に不遜に写ります。何故ならば『宗教』は『信ずる』ことを基盤に成り立っているからで、『疑う』行為は、『神を疑う』ことにつながり、『神を冒涜する』ことにもなりかねません。キリスト教の礼拝では、教義の根幹にかかわる事柄(使徒信条)を並べて、『私はこれを信じます』と宣誓する儀式が毎回行われます。

『願う』『祈る』『信ずる』という行為は、『物質世界』の真理(摂理)を探求する『科学』の世界では直接的な意味を持ちませんが、人間の『精神世界』の中では、極めて重要な意味を持ちます。それらは『安泰を希求する』という本能に根ざした行為であるからです。『安泰を希求する』のは、私たちが生きている環境が、『安泰を阻害するもの』と『感じられる』ことで満ちていて、『精神世界』はそれを『不安』『痛み』『悲しみ』『寂しさ』『醜さ』『恐れ』として更に『感じ取る』からです。『願う』『祈る』『信ずる』ことで、『精神世界』は『心の安らぎ(安泰)』を得ることができる可能性が高まりますから『宗教』の効用は絶大です。

つまり『宗教』は、人間の『精神世界』で避けられない精神の葛藤から生ずるストレスを軽減する手段として、人類の歴史ではその役目を果たしてきたことになります。本来『物質世界』の『真理』を追求する手段として存在し続けてきたわけではありません。

1000年以上前に、『宗教』が大議論の末に確立した『教義』の内容で、『物質世界』の『真理(摂理)』に関ることを説明しようとしても、現代では歯が立ちません。『天地は神が創造した』という説明は、『ビッグ・バン』の前では滑稽な説明となってしまいます。

そこで『科学』が、『宗教』の教義の一部を、『合理的で普遍的な説明になっていない』と糾弾しても、『宗教』の存在意義を全て否定することにはなりません。『科学』は『心の安らぎ』の正体を未だ解明できておらず、『宗教』に代ってそれを提供する役割を果たせないからです。現在『科学』が提供できるのは、『精神安定剤』や精神医による『コンサルタント』のような対処療法だけです。『科学』が、『精神世界』の葛藤の原因、『脳』のからくりを解明し『心の安らぎ』に関して『合理的普遍的な説明』を行い、対応方法も明らかにした時に、初めて『科学』は『宗教』を掌中に収めたことになります。

『科学』と『宗教』は、現時点では、それぞれすれ違っていますが、将来は『科学』が『宗教』を見極める可能性を秘めていると梅爺は思います。逆に『宗教』は教義だけにこだわる限り『科学』をカバーできません。しかし、『科学』が人間の『脳』が紡ぎだす『精神世界』を解明するには、かなりの時間を要すると思います。それでも、例えば100年後に、『昔の人々は神を信ずることで心の安らぎを得ていた』という共通認識が多数派になっているかもしれません。そう云う時代が来るかもしれないと『宗教』は心構えをしておく必要があるのではないでしょうか。『信ずる』『疑う』は『精神世界』の根幹をなす矛盾した機能ですが、人間はどちらかに徹することができないようにできてると梅爺は考えています。

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