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2015年2月27日 (金)

ウンベルト・エーコのエッセイ『絶対と相対』(6)

『絶対』に類似した抽象概念に『真実』があり、『ウンベルト・エーコ』は『真実』についても述べています。

最近日本では、『課題』と言う意味で『命題』という表現が使われますが、本来『命題』は、論理的に真偽検証の対象となる文章表現の内容のことです。

『ウンベルト・エーコ』は以下の『命題』を真偽検証のための例文として挙げています。皆さまも『頭の体操』として『真偽』を判定してみてください。

(1)私はおなかが痛い。
(2)昨夜夢にマザー・テレサが現れた。
(3)明日はきっと雨だろう。
(4)世界は2536年に終わりを迎える。
(5)死後の霊は存在する。
(6)三角形の内角の総和は180度である。
(7)水は100度(C)で沸騰する。
(8)リンゴは被子植物である。
(9)ナポレオンは1821年5月5日に死んだ。
(10)太陽の軌道(東から西へ)を参照しながら進んで、航海者は海岸(陸地)へ到達した。
(11)キリストは神の子である。
(12)聖書の正しい解釈は教会が行う。
(13)胎児は既に人間であり精神を持つ。

梅爺流に『物質世界』の『摂理(科学法則など)』に関連するもののみ『真』と言えるとすれば、(6)(7)(8)が対象になりますが、上記の表現だけでは『真』とは言い切れません。(6)はユークリッド幾何学の範囲でのみ『真』であり、(7)は気圧の条件によっては『真』とはならず、(8)は人間が決めた植物学の約束事の区分に該当しているだけですから『真』とは言い切れません。

その他の『命題』は、『精神世界』が創り出す『虚構』『想定』表現が絡んでいたり、確認の手段によっては異なった結果が得られるかもしれない事象ですから、到底論理的に『真』とは言えません。

このように考えると、私たちが日常何気なく交わしている『会話』の大半は、『真』とは程遠いものであることが分かります。

しかし、発言している本人は、『正しい』と『信じて』いたり、相手の発言を『間違い』と『感じ』たりして、大真面目に論争しているつもりでいるわけですから、滑稽ということになります。

勿論、日常生活のすべてで、このような厳密性を追求していては、とてもやっていけませんが、発言内容は脆弱であることを知っておく必要があります。

特に、政治リーダーなどの発言は、慎重にチェックする必要があります。『誰もが幸せに暮らせる社会』『格差のない社会』などと言われても、そのような『社会』はとても想像できませんし、『テロリストに正義の鉄槌を下す』などと言う表現も、テロリストと最後まで戦うぞという意志は分かりますが、自分の行為を『正義』と美化するのは抵抗を感じます。

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