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2015年2月 7日 (土)

謎が謎を生む(3)

『事実は小説より奇なり』などという表現がありますが、『ビッグ・バン』ほど私たちを戸惑わせる『定説』はありません。『生物進化』も、戸惑いの対象ですが、『ビッグ・バン』はその比ではありません。 

自分の『常識』を『信ずる』人には、『ビッグ・バン』も『生物進化』も受け容れがたく、『天地は神が創造したもの』という説明の方が、むしろ受け容れ易いくらいです。人間の『常識』は、何によって形成されるかが問題ですが、『自分の能力(知識、経験)だけに依存して判断する』『子供のころから、そう云うものだと教えられたことに依存する』ということなのでしょう。『異文化』の存在に気づくことは、『自分の常識』『他人の常識』の違いに気づくことです。『違い』を認めることと、『どちらの主張に分があるか』を判別することは、別のことであると区分けできる人は、器の大きな人です。

『ガリレオ』の『地動説』や、『ダーウィン』の『生物進化論』は、当時の人間社会が有していた『常識』に反するもので、『ガリレオ』はカトリックの『異端尋問』にかけられ、『ダーウィン』は、世間の反応を危惧して発表を永い間逡巡しました。『宗教』の『教義』が堅固に作り上げてきた『常識』は、いかに強大なものであるかが分かります。さすがに現代では『ビッグ・バン』は、『異端尋問』の対象になりませんが、それでも、『教義』を『常識』とする考え方は、『キリスト教文化』でも『イスラーム文化』でも根強い支配力を持っています。『死者は天国へ召される』『この世の罪は、あの世で裁かれる』などという表現、宗教教義に基づいた『常識』として根付いていますから、多くの人は違和感を抱かずに『信じて』います。

『宗教』ばかりではなく、中国の『一党独裁』、北朝鮮の『将軍様崇拝』も、コミュニティを『一様の常識』で縛ろうとします。『常識』に異を唱えることは死を覚悟した行為になります。それに比べて、日本は梅爺のような、風変わりで疑い深い爺さんが、身勝手な意見を開陳することが許されていますから、ありがたい話です。

異なった考え方に、比較的に柔軟に対応できると自負している梅爺でも、さすがに最初は、『ビッグ・バン』『生物進化』には、『本当かいな?』と戸惑いました。しかし、関連する事項を全て矛盾なく説明するには、これ以外の『説』は見当たらないことを徐々に知り(確認でき)、今では、『ビッグ・バン』も『生命進化』も受け容れています。

『ビッグ・バン』が起きて、1秒後に『宇宙は、リンゴくらいの大きさの灼熱の球体であった』などという話だけ聞けば、梅爺でなくてもあっけにとられるにちがいありません。人間にとっては無限にも見える広大な現在の『宇宙』が、リンゴ位の大きさであったというのですから。『事実は小説より奇なり』などという生易しい話ではありません。

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