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2015年2月 1日 (日)

怖ろしいのは天災ではなく人災(1)

『What should we be worried about(我々が真に危惧すべきこと)』という本の次なるテーマは、『We are in denial about catastrophic risks.(我々は、壊滅的な危険要因を気にかけていない)』で、論者はイギリスの天文学者『Martin Rees』です。書かれている内容を斟酌(しんしゃく)して、梅爺が『怖ろしいのは天災ではなく人災』と意訳をしました。 

『私たちが危惧すべきは、幸運にも今まで一度も起きていないだけで、一度起きたら取り返しがつかない危険要因である』と言う主張で、それは、天災ではなく、具体的には『情報処理工学』『生物(バイオ)工学』『ナノ工学』など、人間が近代になって急速に獲得した『科学』の成果であるという主張です。 

『科学』は現代社会にとって『両刃の剣』であることは、議論の余地がありません。『核エネルギー』を『兵器』として利用したことは、論外ですが、安価なエネルギー獲得手段というふれこみで開発された『原発』が、『スリーマイル』『チェルノブイリ』『福島』のような大惨事を引き起こしていることを観れば明白です。

『原子炉』がある程度安全であったとしても、『使用済み燃料』の『処理』『保管』に関する政策、技術が確立されていないことは、小泉元首相でなくても『おかしい』と感ずるのは当然のことです。関係者が『原子炉』の非軍事利用を安易な見切り発車で開始したことの『つけ』を、私たちは抱えていることになります。アメリカのような広大な国土を持つ国でさえも、住民の反対などで、『使用済み燃料』の保管場所は特定されれていません。地下520メートルまでトンネルを掘り、保管場所を確立したのは、世界で『オンカロ(フィンランド)』だけですが、これも予測通り10万年安全であるという保証はありません。いわんや地震国の日本では、場所、技術、政策を決めることは大変です。 

難病救済の救世主として期待されている『万能細胞』も、利用の仕方によっては、『クローン人間』『超長寿命人間』を創りだす可能性を秘めており、人間社会や文明の『平衡』を覆す、インパクトになりかねません。『長生きしたい』は個人の願望レベルとしては、ごもっともことですが、全員が『長生き』になると、人間社会のバランスは崩れて、それが『人類にとって望ましいことかどうか』は、別の議論になるからです。自然の『摂理』に従って、生と死が決まり、それで世代交代を繰り返すことが、人類を絶滅に追い込まない、『知恵』であるかもしれないという話です。証明されていませんが、人間の遺伝子には『平均80年程度生きるという前提のプログラム(時計)が仕込まれている』という仮説があります。本当なら、それが自然の摂理といえるのかもしれません。

『現代科学』の怖ろしい側面は、内容が、極めて高度で複雑化しているために、その真髄を理解できる人が、ごく少数の人達に限定されることです。大多数の人達は、内容を理解せずに、つまり盲目的にその便利な『成果』だけを享受していることになります。突然『不都合な側面』が噴出した時には、人間社会が壊滅状態に追い込まれないとは限らないという、綱渡りのような状態で社会が成り立っていることになります。

大袈裟に言えば、『一握りの人達』に、人類の将来を託しているということで、人類の歴史上このような状態は初めてです。昔も『狂気の独裁者』が存在しましたが、影響はある地域に限定され、人類全体が滅びると言う危険はありませんでした。

先進国の政策の中で、『科学政策』が如何に重要であるかが分かります。永田町の先生方が、どれほどの『科学の本質』に関する理解力があるのか、梅爺は知りませんが、その言動を観ていると、心配になります。

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