« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2015年1月31日 (土)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(6)

この小説では、最後に『民主的な思想を優先する善い副首相』が、『権力のためなら手段を選ばないという悪い副首相』に勝利して、これで『中国の将来は明るい』という明るい展望を示唆して終わります。 

現実には、現在の中国政権中枢は、このような単純な構造ではなく、従ってこのような単純なきっかけで『明るい展望』が開けるといった国ではありません。

人類の歴史の中で、『国家』『帝国』『連邦』などの体制が出現して以来、統治の基盤として『法』か『徳』かという議論が繰り返されてきました。

中国の歴史は、現在に至るまでこの典型例で、『秦の始皇帝』が最初に国家統一を果たして以来、『法による支配』が優先される傾向が強いと言えます。

現在の日本は『法治国家』ですから、『法による支配』は悪いことではないと、勘違いしがちですが、日本の場合は、『国民の基本的な人権を守る』という前提があるのに対して、中国の場合は『為政者が権力維持を最優先する』という前提ですので、『法』は『為政者の都合の悪いことを取り締まる』手段として、利用(悪用)されます。

『法』は元々人間が考え出したコミュニティの『約束事』ですが、『コミュニティの大半のメンバーが合意した内容』ではなく、『為政者が自分の都合を押しつける内容』である場合には、『法による支配』は『いかがわしいもの』に変貌します。『法』は秩序や統治効率を高めるためには有効ですが、為政者に異を唱える国民を弾圧、粛清する『恐怖政治』を生み出す手段としても有効であることになります。

一方、『徳による支配』が結局強い国家を作るという考え方がやがて生まれ、『法による支配』を牽制する要素として、中国では存在し続けてきています。儒教の考え方が典型的です。

中国は、『法による支配(Legalism)』と『徳による支配(Confucianism)』のせめぎ合いの歴史と言えますが、『秦の始皇帝』から『毛沢東』に至るまで『Legalism』の色彩が強い為政者が優勢でありましたので、中国の人たちは『本当の民主主義はどのようなものか』を一度も体験していないことになります。

『ロシアのプーチン』や『北朝鮮の金正恩』なども『Legalism』の権化のように梅爺の眼には映ります。自分の権力を誇示するために、『厳しい表情』を崩さず、『突っ張ったしぐさ』を繰り返すのを見ていると、滑稽にも思えてきます。梅爺の人生経験では教訓の一つは『偉そうに振る舞う人に偉い人はいない』ということです。

この本の作家『Steve Berry』が、中国の政治の歴史の根底に流れる『Legalism(強権主義)』と『Cofucianism(儒教の精神)』のせめぎ合いを、見抜き小説の主題に選んだことは見事ですが、『善が悪に勝って、明るい将来が開ける』という単純な結末にしているのは、いかにもアメリカ的な楽観のように思いました。

中国がやがて真の『民主国家』に変貌しないとは言えませんが、そこへ至るプロセスは平坦なものではなく、多大な犠牲を伴うものではないかと危惧しています。

中国だけでなく、『ロシア』『北朝鮮』『シリア』『ウクライナ』などすべて同様です。

日本国民は『第二次世界大戦の敗戦』という多大な犠牲の副産物として『民主主義』を手に入れました。

日本の為政者は、『法の支配』と『徳の支配』の本質的な意味を理解し、そのバランスを保ってほしいと強く願います。そういう為政者が存在することが『民主国家』の証になります。

| | コメント (0)

2015年1月30日 (金)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(5)

『Steve Berry』がこの小説を面白くするために採用したのが『非生物由来原油(Abionic Oil)』の存在です。

私たちは、学校で『石油原油』は、地下に堆積された『太古の生物の死骸』を原料に出来上がったものだと教わってきました。つまり『生物由来原油(Bionic Oil)』を正しい学説として受け容れています。従って『石油原油』の埋蔵量は有限であり、やがては枯渇すると言われれば、『それは大変だ』と石油に代わる代替エネルギー源に注目します。

しかし、旧ソ連時代から、ロシアには『非生物由来原油(Abionic Oil)』の学説を唱える学者がいます。マグマから噴き出す『水素』と、地中の『一酸化炭素』が、ジルコニア化合物などを触媒として反応し、『原油』が作られるという説です。

確かに、地中から噴出するガスを精製分離してつくる、『天然ガス(可燃性液化ガス)』や、最近注目される『シェール・ガス』や『メタン・ハイドレート』は、必ずしも『生物由来』とは云えないとすると、『非生物由来原油』説にも一理があるのかもしれないと考えてしまいます。

『非生物由来原油』説が正しければ、人類にとっては相対的に無尽蔵と言えるエネルギー源を地球そのものが作り続けていることになり、『エネルギー危機』は一気に解消します。

『非生物由来原油』が本当に地下深くに存在するかどうかは証明されておらず、現時点で『仮説』の領域に留まっています。仮に存在が確認されても、採掘技術が次なる課題になるでしょう。

『生物由来原油』説が『やがて枯渇するぞ』と脅かすのは、原油価格を引き上げる、産油国、石油供給会社の陰謀であると、反論する人もいます。

この小説では、『始皇帝稜』に副葬品として埋葬されていた『ランプ』の中に密閉されている『油』が、『Abionic Oil』であり、このことは2000年以前の昔に、『中国でAbiobic Oilが採掘されていた』ことを証明する証拠になると考えた『悪人の副首相』が、これを自分の将来の権力基盤として利用しようと、暗躍します。

中国は、現在『原油』を輸入し続けていて、供給が止まれば一気に中国の経済や国民生活は麻痺状態になります。中国がなりふり構わずエネルギー源を確保しようとするのはこのためです。『原油不足』は、中国の弱点の一つですから、国内に無尽蔵に近い『Abionic Oil』が存在すると分かれば、中国にとっては有利な国際情勢に変ることは確かです。

しかし、いくら古代中国文明が進んでいたとはいえ、地下深く存在する『Abionic Oil』を、採掘できたとは考えにくい話で、現実性を欠くと思いますが、これも作者がしかけた『フィクション』と割り切れば、楽しむことができます。とにかく『Steve Berry』の発想は、縦横無尽で、それが魅力です。

| | コメント (0)

2015年1月29日 (木)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(4)

この小説では、『毛沢東』の側近として仕えた『宦官』が、『毛沢東』の死後中国を離れ、ベルギーのアントワープに、中国の骨とう品とボディーガードに囲まれた豪邸住まいをしているという設定になっています。

この『宦官』は、在任時に『兵馬俑坑』の発掘に関与し、『秘密の蔵書室』『始皇帝の巨大な地下墳墓』へ最初に潜入した人物で、『文化大革命』で、歴史的に貴重な品々が破壊されることを危惧して、発掘した『文書』や『副葬品』をすべて辺境の地の秘密の建物の中に移送、秘匿したという筋書きです。勿論全てフィクションです。

いくらなんでも、このような行動が、『秘密裏』に行われたとするのは、現実的でないと梅爺は感じますが、『Steve Berry』は、平気でこのような『フィクション』を多用します。ハリウッドの活劇映画で、ヒーローが不死身に近い振舞いを繰り返すのを『不自然』といっても始まらないのと似ています。『フィクション』を『フィクション』として楽しむのは、問題がありませんが、『この世の現実』もこのような『フィクション』同様単純であると、誤解する人が出現するのは困ります。

ハリウッド映画のせいか、アメリカには、『現実を、単純な構図で理解する』人達が多いように感じます。『Steve Berry』の小説も、ハリウッドの娯楽映画と基本的には同類です。

アントワープに住む『宦官』は、中国に現存する『宦官秘密結社』の親玉で、『兵馬俑坑』から移送した品々を秘匿する辺境の建物が、『秘密結社』の本部であるという設定です。『秘密結社』のメンバーが使用する武器は、ピストルなどではなく、『弓(クロスボー)』であるというのも、いささか奇を衒(てら)う設定です。

この『秘密結社』の親玉も、中国への密入国を果たし、この小説の主人公である、『コットン・マローン(元アメリカ秘密工作員、ベルギーの古書店主)』『カシオペア・ヴィット(アラブ系フランス人、フランス古城の女主(あるじ)』に絡んで、『兵馬俑坑』『始皇帝稜地下室』『宦官秘密結社本部』を舞台に、ハラハラドキドキの活劇が繰り広げられます。勿論、最後は『中国を民主国家にする』という希望を持つ『善(副首相)』が勝利をおさめ、メデタシメデタシで大団円を迎えます。

主人公男女のお互いの恋心も強まりますが、『次の作品』のために結ばれることなく、気をもたせた終わり方になっています。『Steve Berry』の小説の主人公は原則としていつも同じです。読者が感情移入して次の作品も読みたくなるためのしかけです。

短い章建てで、一つの事象を観方を変えた側面で、並列的にテンポよく記述する手法など、この作家は『娯楽小説』の『壺』を心得ています。つまり『映画的』『漫画的』とも言えます。しかし扱う主題は理解するのにある程度の『教養』を必要とする『歴史の謎』であり、英語の文体も必ずしも平易とはいえません。これらを総合して、成功するためにどのような読者層を想定しているのかが、ある程度想像できます。

これだけ冷静に分析できる梅爺も、優れたマジシャンのショーに引き込まれるように、『Steve Berry』の世界に引き込まれ、『それは無いだろう』と呟(つぶや)きながら言いながらも、楽しんでいます。

| | コメント (0)

2015年1月28日 (水)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(3)

この小説は、中国の二人の副首相が、次の首相の座を激しく争う展開が物語の中心です。一人は『強権的なリーダーを目指す、自己顕示欲が強く冷酷無比な人物』で、もう一人は『中国の改革や国民への奉仕を優先する人物』と、極めて善悪対立がはっきりしている構図になっています。なんとなく、西部劇の『正義の保安官』対『悪徳牧場主』の対決、『水戸黄門』テレビドラマシリーズの『黄門さまご一行』対『旅で遭遇する悪党一味』の対決に似ています。

読者や視聴者は、最初から『どちらが勝つか』は容易に想像でき、それでも途中ハラハラしながら物語の展開につきあい、最後に、想像通りに『善』が勝って、『ああ、良かった』と満足することになります。

作者の『Steve Berry』は、稀代の『ストーリー・テラー』ですから、この単純な『善悪対立』に、『宦官秘密結社』『非生物由来原油(Abiotic Oil)』『アメリカ、ロシアの諜報機関関与』『誘拐された人質救出』などのエピソードを組み合わせて、レベルの高い『歴史ミステリー小説』に仕立てています。

更に、『毛沢東』『鄧小平』が行った政治の功罪(やや罪の部分を強調)、『天安門事件』の弾圧の実態などが、小説のなかでとりあげられています。永久保存の処理を施し、公開されている『毛沢東』の遺体は実は蝋人形であるというような、巷間の噂も、事実のように記述されています。

いずれも、中国政府にとっては、あまり触れてもらいたくない話題でしょうから、『いくら小説とはいえ、中傷誹謗は許さない』と、強硬な非難声明が出されてもおかしくありませんが、そのようなことが起きているようには見えません。

アメリカ人作家なので、許されるのかどうか分かりませんが、少なくとも日本人がこのような小説を発表し話題になれば、ただでは済まされないのではないでしょうか。この小説の中国語翻訳版が、中国で発売許可されているのかどうか、梅爺は分かっていません。

『宦官(かんがん)』は、歴代中国王朝で、皇帝や後宮の私生活までに関与する役割を果たした、『去勢された男の側近』のことです。誰でも『宦官』になれたわけではなく、優秀な人材が選ばれましたので、中には『影の実力者』として、政治に影響を及ぼす人物も数々登場しました。歴史書で有名な『司馬遷』も、自分の意に反して『宦官』になることを強要された人物と伝えられています。

いくら『為政者への忠誠心の表明』とは言え、このような『しきたり』を制度化して権力構造の維持を計る歪んだ方法は、中国特有の発想です。

『宦官』は、共産党が国家をつくった時点で、廃止されたものと梅爺は想像しますが、この小説では、現在でも『秘密結社』が存在し、『毛沢東』時代はおろか、現在も政府の中枢に『秘密結社』のメンバーが入り込んでいるという想定になっています。

『まさか!』と思いますが、『Steve Berry』の筆にかかると、なんとなく『そんなこともあるかもしれない』と感じてしまいます。こういう『奔放な発想』がこの作家の魅力の一つです。

| | コメント (0)

2015年1月27日 (火)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(2)

小説のタイトル『皇帝の墓』は、『秦始皇帝の稜』のことです。中国西安にあるこの稜は、稜の周囲から発掘された、膨大な数の『兵馬俑(へいばよう)』で有名で、これを見ようと世界から沢山の観光客が押し寄せます。 

『兵馬俑』は、等身大の兵士や馬を、土を素材とした素焼き(テラコッタ)で表現したもので、約8000の兵士、670頭の馬、130台の戦車(チャリオット)が見つかっています。投入された職人の数、職人や技量レベルを統制するしくみ、費やした時間など想像しただけで圧倒されます。兵士は、一人一人容姿が異なっていますので、実在の人物を模して作成されたと考えられています。制作当時は、彩色されていたことが分かっています。兵士は皆『東』を向いています。勿論『皇帝の死後の世界』を守る軍団として、埋葬されたものですから、当時の宗教観を反映しています。 

1974年に、農夫が井戸を掘っていて、偶然『兵馬俑抗』が発見されました。現在三つの『抗』が発掘されていて、第三番目の『抗』は、兵士の数が少ないことから、『皇帝』の周囲を守る精鋭の護衛兵団であろうと考えられています。 

発見された時の『兵馬俑』の多くは、バラバラに崩れていましたが、中国は人手をかけて、これを『立体ジグゾーパズル』のように根気よく復元してきました。観光客には、この復元像が展示公開されています。 

『秦始皇帝の稜』は、中国政府の意向で、発掘が許可されておらず、現在も密閉状態が保たれています。発掘した時に外気に触れて、遺体や副葬品が変化してしまうのを阻止する手段が現状ではないという口実になっていますが、真相は梅爺にはわかりません。中国政府は、秘密裏に発掘は行ったものの、何らかの理由で公開はしない方針を決定したのかもしれません。 

この小説では、『兵馬俑第三抗』に隣接して、小部屋があり、そこは図書館で、当時の文書(もんじょ)が格納されていたことになっていて、これらの文書は、ある人物によってこっそり別の場所に移され、現存するという話になっています。 

また、『皇帝の稜』も、実は既に発掘されていて、遺品、副葬品もすべて同じく別の場所へ移されているという想定になっています。 

この小説では、主人公たちも『稜』の内部へ潜入し、それが一つの山場になっています。サッカー場が一つ入るくらいのドーム天井を持つ『死後の世界』が人工的に創られていることになっていて、皇帝の領土が、山、川、海も含めて立体地図として再現されており、川や海は、水銀で水が表現されています。建築構造強度の点で、そのような大空間を地下に作ることは難しいと梅爺は思いますが、娯楽小説ですから、何でもありと言われればそれまでです。 

『図書館』や『皇帝が眠る死後の世界』は、フィクションですが、これらを表現する『Steve Berry』の想像力には感服します。

『秦の始皇帝』は紀元前3世紀の人物で、中国を初めて統一支配した皇帝として有名です。当時の他の世界文明と比較しても、劣らないばかりか、多くの点で進んでいたことが分かっています。

在位期間は25年程度ですが、中央集権的な法による政治体制、貨幣制度を導入した経済体制、強大な軍事体制などを実現し、『万里の長城』の建設も行いました。絶対的権力で民を支配するという手法をとり、過酷な労役を強いて、都合の悪い思想の弾圧(焚書坑儒)も行いました。その後、現在に至るまで『中国型統治体制』の原型であるように思われます。

『強権統治』と『仁徳統治(儒教などの思想)』は、中国の二つの対立する政治イデオロギーとして、現在まで継承されています。現在の中国は、共産党の一党独裁という『強権政治』の色彩が強いことになります。国民からの体制批判に対しては、『天安門事件』のような容赦ない弾圧がおこなわれます。

『強権統治』は、長続きしないのは、人間の歴史をみれば分かります。現在の中国が、いつまでも現状を維持できないことは容易に推測できますが、いつどのように変貌を遂げるのかは、予測は容易ではありません。追い詰められた政権が、第二の『天安門事件』を起こさないように願うばかりです。

| | コメント (0)

2015年1月26日 (月)

歴史ミステリー小説『皇帝の墓』(1)

アメリカの歴史ミステリー小説作家『Steve Berry』の、『The Emperor's Tomb(皇帝の墓)』を英語版ペーパーバックで読みました。

『Steve Berry』は、古代、中世の世界史の人物や出来事を題材にして、現代を舞台とした冒険活劇ミステリー小説を発表し続ける作家で、歴史の『謎解き』と、スリリングな物語展開の両方が同時に堪能できるために、梅爺のお気に入りで、既に9冊の読後感想を『梅爺閑話』で紹介してきました。

左側の『カテゴリー』で『Steve Berry』をクリックいただければ、参照いただけます。

『Steve Berry』は、多作な作家ですが、毎回異なった『歴史』を扱うわけですから、下調べや準備が大変であろうと推測します。どの作品もある程度以上のレベルの満足感で読者を魅了しますので、かなりの才人であり、教養人であることが分かります。

『ダ・ヴィンチ・コード』で一躍有名になったアメリカの歴史ミステリー小説作家『Dan Brown』と『Steve Berry』は双璧で、いつも同じ主人公(アメリカ人)が登場するという手法も似ています。作風の違いで、読者の好き嫌いがあろうと思いますが、『Steve Berry』は、読者が唖然とするような『虚構』をアッケラカンと提示するところが特徴です。読者が『虚構』を『虚構』と察知して、それを楽しむという前提ですから、『虚構』を『虚構』と見抜けず『事実』と勘違いする人や、後で『騙された』といって怒るような人には『Steve Berry』はあまりお薦めできません。作者と読者が、あるレベルの大人の関係である必要があるということになります。

今回の『皇帝の墓』は、中国の『秦の始皇帝』を題材とし、現代中国を舞台とした政治権力抗争に、主人公(アメリカ人)が巻き込まれると言う物語ですから、『文化大革命』『天安門事件』など中国の『負の歴史』が、批判的に扱われ、ごく少数の権力者で国家が運営されているような『単純な図式』で、現代中国が描写されています。

『恐怖政治』スタイルを志向する権力者と、国民の人権を重視する『民主政治』スタイルを志向する権力者が争い、最後は後者が勝つという、実に単純明快なアメリカ人らしい認識の物語になっています。また『宦官(かんがん)』の秘密結社が今でも存在し、それが政争に少なからず影響を与えているという話にもなっています。

現実の中国は、『共産党内派閥抗争』『中央と地方の相克』『軍の中の派閥抗争』『軍と共産党の相克』など、極めてドロドロしたものの上に、成り立っている危うい体制であろうとことは、梅爺でも推測できます。外部には『中国は一枚岩』であるように見せるためにとりつくろうものの、実態は異なっているに違いありません。軍が勝手に行動して、政府が後からとりつくろうことや、権力にとって都合が悪いために闇に葬られる事件が沢山あるのではないでしょうか。

『勧善懲悪』物語に仕立てるために、単純な図式として提示しているとしても、中国の歴史や実情に詳しくない欧米の読者が、この小説を読んで『中国を誤解する』ことがありはしないかと、少し心配になりました。

この『小説』に対して、『面子(めんつ)』にこだわるはずの中国政府が抗議の声明を出したとは聞いていませんが、アメリカ人作家であるが故に問題視されないのでしょうか。

もし、梅爺なり、日本人の作家がこのような小説を発表したら、中国政府は『中国を侮辱している』として、『反日』運動に火がつきかねないと思います。

| | コメント (0)

2015年1月25日 (日)

明治維新直後の自由民権運動(8)

東北地方で『自由民権運動』の中心人物であった、『苅宿仲衛(かりやどなかえ:士族出身)』『山口千代作(福島自由新聞発刊:農村出身)』『河野広中(後の衆議院議長:士族出身』『三浦文次(農村出身)』『小田為綱(北奥羽開拓を建白:士族出身)』などが、番組で紹介されました。

『戊辰戦争』で賊軍となった東北諸藩が、『薩長藩閥色の強い明治政府』から、不当の扱いを受けたこともあり、特に東北地方で『自由民権運動』が活発であった事情は既に紹介しました。

特に、弾圧の急先鋒として送り込まれた『福島県令』の『三島通庸(みちつね:旧薩摩藩士)』が、道路整備などで、過酷な使役を住民に課したことに県議会も反撥し、住民が決起した『喜多方事件』などが有名です。これらも含め、約1000人の『自由民権運動家』が、検挙投獄されました。

この時の、『苅宿仲衛』の言葉『自由や、自由や、我汝と死せん』や、『三浦文次』の言葉『身の肥ゆるを欲せず、志の肥ゆるを欲す』などが番組で紹介されました。まさしく『死を覚悟した思想活動』であったことが分かります。

『権力側の視点に立った歴史』と、『庶民の視点に立った歴史』の両方を観ていかないと、日本の近世史は正しく理解できません。『権力側のリーダー』として歴史に名を残した人物だけが、素晴らしいわけではありません。無名の素晴らしい日本人が沢山いたことを、私たちは誇りにすべきです。

『東日本大震災』で、東北地方は、再び過酷な状況に現在置かれています。しかし、『東北復興』の形の中に、『日本の将来の希望』があるように思います。震災前の状態に戻すことが、必ずしも『復興』ではありませんので、政府や国民全体の支援の下で、東北の人たちがどのような『知恵』を発揮するかが課題です。『強靭な東北の再生』は、日本中の地方格差を緩和する、モデルになりうるからです。

過酷な状況からは、必ず『人物』が登場してくるのが、日本の歴史の伝統です。今回も例外ではないと梅爺は確信しています。

| | コメント (3)

2015年1月24日 (土)

明治維新直後の自由民権運動(7)

『欽定憲法』の発布の大分前に、多くの民間人が個人的に『憲法草案』を起草しています。法律の専門家ではない下級武士や農民の子息も含めれており、当時の日本の状況を考えると、これは驚くべきことです。 

梅爺は、今『憲法草案を書いてごらんなさい』と言われても、戸惑います。インターネットなどで、内外の関連資料を検索し、形式や構成を見掛け上整えることはできても、質の高い『理念』や、その表現を案出するのに苦労することは目に見えています。 

『明治維新』の直後から、日本の各地で、自発的に『自由民権』や『憲法』についての勉強するグループが存在していたのでしょう。海外の事情に詳しくない人達が、入手できる限られた資料(翻訳資料)をむさぼり読んで、議論をし、『板垣退助』などを招聘して、話をきいていたのではないでしょうか。『自由民権』は、あこがれに近い言葉として、独り歩きし、切実で現実的な課題を抱えていた『明治政府』は苦々しく思っていたに違いありません。

番組では、個人的な『憲法草案』の著者として、『植木枝盛』と『千葉卓三郎』を紹介していました。

『植木枝盛』は、土佐藩の武士の子息で、東京にでて勉強し、その後『板垣退助』の書生になり、『自由民権』思想のリーダーとして活躍しました。『第一回衆議院選挙』に高知県から立候補して当選していますが、36歳の若さで亡くなっています。彼の『草案』には、『国民の幸福追求の権利』が含まれていて、『抵抗権』『革命権』もうたっています。また、日本を70の州に分割し、地方自治権を強化した『連邦制』を提唱しています。コミュニティの規模が小さいほど、現地に密着した『民意』を採りいれた行政ができるという考え方で、大都会集中で、地方との格差が大問題になっている現在の日本でも、配慮すべき提言です。

『千葉卓三郎』は、仙台藩の武士の子息で、彼の起草した『草案』は、40年前に五日市(東京都)の農家の土蔵の中で発見されましたので、『五日市憲法』と呼ばれています。204条で構成されていて、『信教の自由』など、『国民の基本的権利』が記述されています。土蔵があるところは、人里離れた辺鄙(へんぴ)な農村ですから、このような所でも若者が熱い議論をしていたことが分かります。日本はなんとレベルの高い国かと、あらためて誇らしく思います。『千葉卓三郎』も31歳の若さで病死しています。

面白いことに、『植木枝盛』『千葉卓三郎』ともに、キリスト教に関心を持ち、特に『千葉卓三郎』は、『正教』の信者になっています。西欧の思想をすべてあこがれの対象にした、明治の若者の気質が窺えます。『新渡戸稲造』『内村鑑三』『新島譲』などと共通しています。

現在の『日本国憲法』は、GHQからの押し付けで、日本人の民意が反映されていないという批判を耳にしますが、この番組のゲストであった『樋口陽一(東北大学名誉教授)』は、必ずしもそうではないと発言していました。

憲法学者『鈴木安蔵』が、『植木枝盛』の『草案』も参照して、『民間草案』を作成し、GHQに提出し、GHQもその内容の多くを受け容れていることから、明治の『自由民権』思想は、地下水脈のように現在の日本人にも受け継がれているという主張でした。『戦争』という、あまりにも大きな犠牲の代償として、日本国民は『民主主義』を獲得したことになります。

| | コメント (0)

2015年1月23日 (金)

明治維新直後の自由民権運動(6)

明治維新直後の自由民権運動の中心地は、現在の高知県と東北地方でした。高知県(土佐)は、薩長藩閥からやや疎外されたことと、『板垣退助』という運動の中心人物が存在していたこと、東北地方の諸藩は、『戊辰戦争』で敗北し、賊軍として明治政府から冷たく処遇されたことへの反撥が強い地方であったことが原因と考えられます。

『明治維新政府』にとっては、『富国強兵』で、何としても西欧諸国から一目を置かれる『国家』『国力』を作り上げることを優先したかったわけですから、『自由民権運動』は目の上のたんこぶであったことになります。警察や軍隊を動員して、この運動の弾圧をおこないました。

『今は国家存亡の時、そのような甘っちょろい議論をしている時ではない』というのが『明治政府』要人の考え方であったのでしょう。第二次世界大戦時には、『欲しがりません勝つまでは』というスローガンが横行したのと似ています。

『国家権力』は、時に国民を『衆愚』とみなし、『お前たちは国家が決めたことに黙って従え』と強いることがあります。『国家権力』が優先事項として決めたことは必ずしもすべて不当とは言えませんが、『国家のため』と称して『権力者のため』を押しつける危険性もはらんでいます。現在の中国、北朝鮮などの権力者の行動は典型的です。

『明治政府』が、『自由民権』を弾圧し『富国強兵』を優先したことの良し悪しは別にしても、その後の日本の歴史に大きな影響を及ぼしたことは確かでしょう。『自由民権』を優先していたら、日本はもっと早く、西欧が認める『国家』になって、戦争も避けられたかもしれませんが、想像の域を出ません。

このように、人間社会に『価値観』『優先度』の違いが生ずるのは、何度もブログに書いてきたように人間の『精神世界』は個性があり、各人異なっているためです。『生物進化』の過程で、そうなる『しくみ』を踏襲してきたわけですから、これは宿命です。

従って、私たちは相互に違いを認め、相手の価値観も尊重するよう配慮するしか対応方法はありません。価値観の多くには、評価の絶対尺度がないからです。『白』が好きな人に、『黒』を好きになるのが『正しい』などと迫ってもしかたがありません。残念ながら、この考え方は人類の『常識』として定着していませんので、『脅す』『弾圧する』『投獄する』『殺す』などの手段を行使する人達や権力が後を絶ちません。

『明治政府』も『自由民権運動』を弾圧しました。思想の弾圧は、人間の本性を理解しない愚かで恥ずかしい行為です。しかし、根強い国民の世論を無視できず、明治14年に『10年後の国会実現』を国民に約束しました。

『板垣退助』の『民撰議院設立建白(明治7年)』、『国会期成同盟(大阪)』で24万人の署名提出(明治13年)などが、『明治政府』に約束させる原動力になりました。

『板垣退助』は『自由党』を結成して、『国会開設』に備えますが、『自由党』もまた『明治政府』の弾圧の対象になりました。

| | コメント (0)

2015年1月22日 (木)

明治維新直後の自由民権運動(5)

近代国家は、国民が共有する基本理念として『憲法』を保有します。人間社会には『法』による統治の必要が生じますから、『明治維新』以前の日本にも、当然『掟(おきて)』はありました。しかし、国家の基本理念を『憲法』として共有するという考え方は、明治政府および国民にとって、斬新なものであったでしょう。

近代国家として認めてもらうためには『憲法』が必要なので、とりあえず形式的に作ろうという人もいたかもしれませんが、多くの日本人は、『国家理念』を真面目に考えようとしました。

明治政府の要人は、使節団を西欧へ送って、各国の事情を知ることから始めました。通訳として同行した『福沢諭吉』は、表面的な事情だけではなく、その国の『本質』を鋭く洞察しています。

勿論、日本の『法学者』も、西欧へ官費留学し、詳しい知識、理解を得ようとしました。梅爺の母方の祖父は、『民法』を学ぶために、フランス、ドイツへ留学しています。梅爺が生まれた時には、祖父は既に他界していて、直接話を聞いたことはありませんが、残されている資料を読む限り、『考え方』が梅爺と似ていることに気付きます。梅爺の『理屈好き』は、祖父からの遺伝なのかもしれません。

これらの努力によって、『明治欽定憲法』は明治22年に発布されました。『立憲君主国』を目指したために、『天皇』によって定められ下賜された、つまり『欽定』の『憲法』という形式をとったことになります。『天皇のお考えを国民の総意とせよ』ということですから、民意を基盤とするという今日の常識的な発想とは異なっています。

現在の中国や北朝鮮にも『憲法』がありますが、それぞれ『共産党の考え方』、『偉大なる金日成の思想』を、国民に『総意とせよ』と提示しているもので、民意が基本的に反映されているわけではないと言う点は、『明治欽定憲法』と似ています。『憲法』は、『為政者』や『権力者』に都合のよい内容として提示され、都合のよい解釈がなされることがあることを示しています。

『明治欽定憲法』の中で、後の日本人に多大な影響を及ぼしたのが、軍隊の『統帥権』に関る規定です。『山形有朋』が『統帥権は天皇に帰す』と主張し、『伊藤博文』などは反対しましたが、結局『天皇が統帥権を持つ』という内容で『憲法』が発布されました。

昭和になってから、『関東軍』の中国(満州)における謀略や暴走を、当時の日本政府が管理できず、後追いで承認していったのも、『統帥権』が政府になかったからで、結果的に数百万人の国民が、『戦争』の犠牲で亡くなりました。『憲法』が形式的なものではなく、国民の命にもかかわる影響力をもっていることが分かります。

明治政府や、学者が努力をして、『憲法』発布にこぎつけるまでに、22年を要したことになりますが、これよりずっと早い段階で、何人かの日本国民が、個人的に『憲法草案』を書いていて、その内容を今日みることができます。

『憲法草案』を書いたのは、学者ではなく、元下級武士や農民出身の若者であることに驚きます。日本人はなんと素晴らしいのだろうと誇らしくなります。

| | コメント (0)

2015年1月21日 (水)

明治維新直後の自由民権運動(4)

『明治維新』以降、『日本』がどのような道程を辿って今日に至ったかを知っている私たちは、維新後の政治体制は、維新前から決まっていたと錯覚しがちですが、『倒幕』という最大の目的を達した後に、新しいリーダー達には『どのような国家をつくるのか』について、必ずしも明確なガイドやビジョンは無く、いたるところに混乱や矛盾があったと考えるべきではないでしょうか。

『坂本竜馬』が、『勝海舟』などから教えられた新国家のあり方を『船中八策』としてまとめましたが、これは基本論であり、日々の行政には役立ちません。

『政治』は空白にできませんから、勝者の薩摩、長州中心の『新政府』が構成され、試行錯誤の行政が、始まりました。

『廃藩置県』で、薩長に味方した大名には爵位などがあたえられましたが、多くの武士は突然職を失い、特に『賊軍』として虐げられる身になった東北諸藩(特に会津)や、薩長から少々仲間はずれにされた土佐には、『新政府』を『薩長の藩閥政治』として批判する気運が高まったのは当然のことのように思います。

横暴な『薩長の藩閥政治』の面もあったと思いますが、とにかく新体制をつくらねばならない、問題は放置できない環境の中では、強引に牽引することがあるのも、ある程度しかたがないことであったように感じます。

『明治維新』の直後、『新体制』をとにかく築こうとした人達と、『こんなはずではなかった』と『新政府』へ不満を持つ人達との対立が深まっていったことになります。『明治維新』の場合は極端ですが、いかなる人間社会も、『肯定』と『反撥』に別れる習性があります。『精神世界』に個性がある人間にとっては宿命です。『誰もが満足して暮らせる社会』などは『願望』に過ぎません。

『新政府』の重鎮であった『西郷隆盛』が、元武士たちの不満を根こそぎ解消するために、『西南戦争』で反乱軍(元武士)に味方し、自分の死をもって、武士の時代が終わったことを世に示そうとした、といううがった説がありますが、確かに『西郷どん』の死で、元武士たちの気勢もそがれることになり、結果的に『西郷隆盛』は、『新政府』の地盤固めに貢献したように見えます。『西郷隆盛』が『元武士の恨み』を背負って身代わりに死んだと言うことですから、『キリスト』が皆の『罪』を背負って身代わりに死んだという話と似ています。

番組の中で、『明治維新』直後の自由民権運動は、『東北地方』と『土佐(高知県)』が中心地であったことを知りました。

『薩長の藩閥政治』に対する強い反発が、対極として『自由民権運動』という形をとったと考えると、肯けます。

人間は、問題意識が強ければ強いほど、『解決』に奔走し、虐げられれば『反撥』するところがあり、『自由民権運動』は、綺麗ごとの思想ではなく、強い不満の中から産まれたものであったと言えそうです。

| | コメント (0)

2015年1月20日 (火)

明治維新直後の自由民権運動(3)

西欧諸国がアジアの植民地化で進出した時に、『日本』もそのターゲットになりながら、西欧の意のままにならなかったのは、単に地理的な利点だけの理由ではなかったと梅爺は思います。 

問題は自分たちで何とかしようと、考え、行動する賢人たちが『日本』には存在していたということになりますが、そういう人材を輩出する基盤は、280年に及ぶ『徳川幕府』体制に源泉があるのではないでしょうか。 

『徳川家康』の優れたところは、『中央集権国家』ではなく、基本的には地方に大幅な自治権をみとめる、言ってみれば『地方分権連邦制国家』を採用したことです。『関ヶ原の合戦』以降も、大名たちの権利を認めざるをえなかったということもあろうと思いますが、中央からの『縛り』と地方の『自治』のバランスをうまくとることで、長期政権が可能になったのだと思います。 

『徳川家康』が、中国で歴史的に繰り返された『革命』のように、『天皇』を廃し、大名も廃して『中央集権統一国家』を創り上げ、自分が『国王、皇帝』になっていたら、『日本』の歴史は大きく変わっていたでしょう。 

『徳川幕府』時代の『日本』が、現在の『日本』と大きく異なるのは、『地方分権連邦国家』であったために、日本の各地に高い文化を誇る『中心地』が散在していたことです。勿論『江戸』『大阪』『京都』などの大都市も隆盛でしたが、各地の城下町も、高い文化や教育水準を維持していました。『地方分権』があったからこそ、農村の『里山』が存続できたともいえます。 

この地方の高い文化レベルの中から、海外の情勢を感じ取り、『日本』の行く末を案ずる行動家が出現し、『明治維新』へつながっていきました。基本的に『鎖国』であったにもかかわらず、このようなことが起きたのは、特筆すべきことではないでしょうか。日本人の資質の高さ故ともいえますが、体制が幸いしたと思います。 

『中央集権国家』であった中国(当時清王朝)や、朝鮮(李王朝)が、西欧の植民地化に屈したり、屈しそうになった時に、『日本』が屈しなかったのは、『地方分権連邦国家』であったからであるといえるのではないでしょうか。中国や韓国が日本の歴史的行為(植民地支配者側に立った)に『反日感情』を持ち、『日本』だけを悪者にして、自分は一方的な被害者であるように主張したい気持ちも分かりますが、自国の歴史に対する一片の反省もあってしかるべきです。 

『中央集権国家』は一見強力そうに見えますが、腐敗がはびこったり、独裁で民意が離れたりしがちで、特に体制を維持することが優先され、変化は悪とみなされ、人材(考える人、主張する人)が育たなくなります。この点『地方分権連邦国家』の方が実は、柔軟で強靭です。『民主主義』も小さなコミュニティの方が、機能しやすい面があります。

『明治維新』以降、『日本』は『中央集権』の色彩を強め、今日に至っていますが、再び地方荒廃の危機に今さらされています。『中央集権』と『地方分権自治』のバランスを大幅に見直す必要があるのではないでしょうか。地方を蘇らせることが、『日本』の『強靭さ』を取り戻す原動力になるように思います。

| | コメント (0)

2015年1月19日 (月)

明治維新直後の自由民権運動(2)

極東アジアの『日本』が、アジア諸国の中で最初に、西欧の体制を模して『近代国家』へ自ら変貌しようとし、それが可能であったのは何故なのでしょう。

西欧国家が国力、軍事力を背景に、アジアを『陣取り合戦(植民地化)』の対象にした時に、『日本』は島国であると同時に地理的に有利な場所に位置していたことも、勿論一つの理由であろうと思います。

西欧諸国は、『陣取り合戦』に後れを取らないようにすることが国家の最優先課題であり、『陣取り合戦』という行為が『悪いこと』であるという認識は希薄であったことを私たちは知るべきではないでしょうか。『民族主権』などという考え方が国際的に定着したのは、後の話です。歴史は、その時代の(当事者の)価値観で観る必要があります。

『強者(西欧)』が劣等な『弱者(アフリカ、アジア、南米、オセアニア)』を我がものにし、統治するのは『当然』であるという、現在の視点で観れば身勝手な価値観が西欧諸国の『常識』であったことになります。

『日本』も、『富国強兵』で励んだ結果、『近代国家』の仲間入りを果たし、自分が『強者』になったと勘違いして、アジアの『弱者』を保護すると言う名目で、アジアを対象とした『陣取り合戦』に参加したことになります。

今となっては、『過ちを犯した』と言えますが、当時の日本人の多くは、『大東亜共栄圏』などという言葉に踊らされたこともあり、アジア進出を『悪いこと』とは考えていなかったのではないでしょうか。勿論当時の『日本』にも、一握りの賢者がいて、道義上、経済政策上、アジア侵略は、『日本』のためにならないと主張しましたが、『強者』になったと勘違いしている大半の国民は、耳を貸さなかったことになります。

歴史は、一握りの賢者、思想的な行動家が動かす場合もありますが、多くの場合は、大衆の『常識』が、賢者の意見を押し殺してしまいます。ただ大衆の『常識』は、市井(しせい)の『知恵』として尊重すべき時もありますが、メディアや煽動家によって形成される危うい面もあります。大衆が『衆愚』となった時は、国家が道を間違いやすくなります。

『明治維新』は、一握りの思想的行動家で達成され、その後の『近代国家』への道のりも、新しいリーダー(新政府、おかみ)が推進して、多くの大衆は、何が起きているのか分からずに、右往左往していたのかというと、そうではないことがこの『東北で始まった自由民権運動』というこの番組を観て分かります。

大衆の中からも賢人が出現するという、『日本』社会の特徴は、どのような歴史背景で醸成されたのでしょうか。

| | コメント (0)

2015年1月18日 (日)

明治維新直後の自由民権運動(1)

2012年~2013年にかけて、地上波NHK教育チャンネルで、12回にわたりシリーズで放送された『日本人は何を考えてきたのか』は、梅爺好みの大変啓発的な内容でした。万華鏡をのぞき見るような人間の『精神世界』を、『時代背景』『日本人』の視点で再度見直すことができるからです。 

必ずしも視聴率は期待できないこのような『教養番組』は、民放では制作されることはないでしょうから、軽薄だけに走らないNHKの、姿勢、能力に梅爺は喝采を贈りたいと思います。視聴料を徴収するNHKは不要だなどという浅薄な意見には同意できません。 

民放の番組で梅爺が唯一敬意を表するのは、『題名のない音楽会』です。世界に類をみない長寿番組ですが、日本の『クラシック音楽ファン』の数を、まだまだ少数派とはいえ、増やすことに貢献しているからです。大袈裟に言えば、日本の文化レベルを下支えしているとも言えます。『クラシック音楽』は、『音楽』の一つのジャンルであることを啓蒙するために、『ジャズ』や『日本の伝統音楽』なども紹介されます。これも素晴らしい企画です。 

このようなことが実現しているのは、スポンサーの『出光興産』の経営者が、社会貢献、ブランド確立のために、ゆるぎない『姿勢』を貫いてきたからです。毎週オーケストラを動員するには、経費もかかるはずですが、スポンサーは『番組の内容や質』には口を出し、視聴率が低いことや経費がかかることについては、ある程度目をつむるようにしているのではないでしょうか。 

このような、スポンサーが番組内容企画に参加し、視聴率だけを評価の対象としない番組が増えることを梅爺は期待しています。日本の民放やスポンサー企業の底力を問われる時代になってきていると思います。『大宅壮一』ではありませんが、テレビが『1億総白痴化』へ拍車をかけ続けるのは、好ましいことではありません。

『日本人は何を考えてきたのか』は、今まで観た分(8回分)については、感想をブログに書いてきました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9944.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-6639.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-9015.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-ced2.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-3b59.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-7f02.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-8677.html

今回は、今まで見落としていた第二回目『民権運動 東北からはじまる』の再放送を録画して観ることができました。

| | コメント (0)

2015年1月17日 (土)

A contented mind is a perpetual feast.

英語の諺『A contented mind is a perpetual feast.』の話です。

直訳すると『満足した心は絶え間ない祝宴である』ということで、意訳をすれば『満ち足りた気持ちの時は何もかも楽しい』ということになるのでしょうか。

英語の本を読んでいて、『mind』『heart』『spirit』『soul』が微妙に使い分けられていることを感じます。『heart』は『物質世界』で実態のある臓器『心臓』の名前でもありますが、上記のように4つならべた場合は、他の言葉と同様『抽象概念』に付与された名前です。

『spirit』と『soul』は、深い精神性(魂や霊など)を表現した言葉で、特に宗教では多用されます。『Negro Spirituals』は黒人霊歌ですし、『Soulmate』は、深い絆で結ばれた仲間のことで、『オカルト』的な世界では、『宿命的関係が定められている仲間』を指し、『輪廻(りんね)』を遡ると同じ祖先に到達するなどを意味します。

日本語では『mind』も『heart』も『心』となってしまい、違いを見落としがちですが、梅爺は、心の『理』の部分に関する表現が『mind』で、『情』の部分に関する表現が『heart』かなと、感じています。

『精神世界』は、深層に『情』があり、表層に『理』があって、相互に密接に関与しながら『心』が形成されていますから、『mind』は表層、『heart』は深層に関る表現の時に使われるような気がしています。間違っているかもしれません。

梅爺のいつもながらの流儀に従えば、『精神世界』の根底には『安泰を希求する(自分に都合のよいことを優先する)本能』がありますから、『満ち足りた気持ち』とは『安泰を感じている時の気持ち』と言うことになり、脳内にはそれに対応するホルモンが分泌されていますので、『何もかも楽しい』と感ずるのは当然です。

逆に『満ち足りていない気持ち』の場合は、『不満』『不安』『危険』などのストレスを脳が感じている時で、脳内には危険信号を知らせる対応するホルモンが分泌されますから、『心』は陰鬱になります。

『楽あれば苦あり、苦あれば楽あり』と人生は繰り返しで、一般に『満ちたりた気持ち』は永続きしません。そのため、永遠にその状態にあることを理想として願い『天国』などという抽象概念を思いついたのではないでしょうか。

しかし、人間の『精神世界』は奇妙なもので、『安泰』が長続きすると、いつこれが終わるのだろうかと『不安』になったり、変化の無さに飽きて耐えられなくなったりします。テレビも、インターネットもない生活にあこがれて、辺鄙なリゾート地に出かけても、三日もすれば都会の生活が恋しくなるというような話です。『天国』でさえも、飽きてしまう恐れがあります。

適度に、ポジティブ、ネガティブのストレスが繰り返し存在する環境が、心身の健康を保つために必要であるというように、人間はできています。特に梅爺のような老人は、これが『呆け防止』の決め手になります。

| | コメント (0)

2015年1月16日 (金)

松山で『子規』を歌う(2)

Dscn5928
松山城天守
Dscn5931
久松伯爵別邸『晩翠荘』

『アカデミカ・コール』の今回の演奏の指揮は『前田幸康』先生にお願いしました。前田先生は、梅爺が大学時代に属していた『コール・アカデミー(男声合唱団)』の指揮者『前田幸市郎』先生の御子息で、最近までドイツのオーケストラでチェロ奏者として活躍されておられましたが、現在は日本で音楽活動に携わっておられます。
 

琴奏者『松本安也子』さんんと、チェロ奏者『前田幸康』先生は、一緒にヨーロッパでも合奏をされており、今回の演奏会でも、お二人の合奏が披露されました。前田先生にとっては、チェロの演奏と、合唱の指揮で大忙しの演奏会でした。 

『松山』は、人口52万人の四国第一の都会ですが、東京の喧騒に慣れてしまっている梅爺の目には、のどかな文化都市として映りました。 

『松山城』『道後温泉』という観光資源を有し、『夏目漱石』が英語教師として赴任した松山中学時代を題材にして執筆した『坊ちゃん』や、松山出身の明治の軍人『秋山好古』『秋山真之』兄弟と文人『正岡子規』を主人公にした『司馬遼太郎』の『坂の上の雲』の舞台としても有名で、街を歩いているだけで、市民の『松山を大切にし、誇りにしている心』に沢山出会います。 

2007年にオープンした『坂の上の雲ミュージアム』は、『安藤忠雄』が設計に関った近代的な建築物ですが、これを中心に、『松山』全体を、『屋根の無いフィールド・ミュージアム』にしようと言うコンセプトが掲げられています。 

『坂の上の雲ミュージアム』のすぐ隣には、最後の伊予松山藩主の子孫『久松 定謨(ひさまつ さだこと)』伯爵が建てたフランス風別荘『晩翠荘』があり、これに広大な『松山城』やその敷地内にある公園、県立美術館などを加えると、たしかに『屋根の無いフィールド・ミュージアム』というコンセプトが伝わってきます。単なる観光地ではなく、歴史、芸術を絡めた文化都市を目指しているのでしょう。 

市役所の垂れ幕には、『50万人以上の都市で、一人当たりのゴミ排出量が日本最少』と誇らしげに書いてありました。どこを訪れても、ボランティアが親切に対応してくれます。『正岡子規』を生んだ街らしく、『ことばのちから』運動が展開されていて、あちこちに気の効いた『ことば』が、掲示されています。梅爺が気にいったのは、『一寸先は、たいていは光』でした。『俳句』をたしなむ人も多いと見えて、路面電車には、乗客を対象とした『投稿箱』が設置されていました。 

『正岡子規』は『子規』の他に、沢山の雅号を創って楽しんでおり、中には『情鬼凡夫(蒸気ポンプの洒落)』などという『オヤジギャグ』まがいのものまであります。『夏目漱石』の俳号『愚陀佛(夏目漱石の松山の下宿は愚陀佛庵と呼ばれています)』などもそうですが、いずれも『諧謔精神』にあふれています。松山の『ことばのちから』運動は、この精神を踏襲しているのでしょう。『大真面目』と『諧謔』は紙一重とする日本人の人生観は、梅爺も大好きです。 

このような、独自の文化を大切にする地方都市に触れることができて、梅爺には楽しい演奏旅行になりました。

| | コメント (0)

2015年1月15日 (木)

松山で『子規』を歌う(1)

Dscn5933_2
ひめぎんホールのエントランス・ホール
Dscn5935
ひめぎんホールのステージから観客席を望む

1月10日(土)の、松山(愛媛県)の『ひめぎんホール(愛媛県県民文化会館)メインホール』で開催された『- 音の旅 -松本安也子 仲間たち演奏会』に、梅爺が所属する『アカデミカ・コール(東京大学コール・アカデミーOB男声合唱団)』が賛助出演(ワンステージ担当)し、当地出身の『正岡子規』の和歌を集めた『男声合唱組曲(桜茂りて)』を歌いました。
 

『松本安也子』さんは、盲目の琴奏者で有名な故『宮城道夫』の直系弟子で、永年松山を中心に『琴』の師匠をされている方です。大変活動的な方で、アメリカやヨーロッパで日本文化を知ってもらうための演奏会を開いたり、洋楽器との合同演奏などにも意欲的に取り組んでおられます。交友範囲も広く、今回の演奏会も地元のテレビ局南海放送の主催で行われました。 

当然演奏会の主は、『琴』を中心とした和楽ですが、『琴』とチェロ、『琴』と小編成室内楽オーケストラとの合奏や、ピアノ独奏、男声合唱を含む、バラエティに富んだプログラム構成で、プロのテレビ局アナウンサーが合間を『トーク』でつないでいくという、楽しい形式の音楽会でした。 

梅爺は『ひめぎんホール(メインホール)』の規模の大きさにびっくりしました。ステージから眺めると、5階まである総数3000にも及ぶ客席の様子は壮大です。一昨年『アカデミカ・コール』はカーネギー・ホール(ニューヨーク)で歌い、梅爺も参加しましたが、大規模コンサート・ホールとして『ひめぎんホール』はそれを凌ぐ規模です。 

『東京』『大阪』などの大都市や、日本の各地に、世界に誇る施設を持つ『コンサート・ホール』は沢山ありますが、3000人を収容できる会場は、そう沢山はありません。愛媛県が文化啓蒙に力を入れている証の一つではないでしょうか。音楽に関しては、日本は、世界の中で最先端の文化国家の一つで、誇らしいことです。 

梅爺達が今回歌った曲『男声合唱組曲(桜茂りて)』は、松山出身の文学者『正岡子規』の和歌で歌詞を構成したもので、10年以上前に、『アカデミカ・コール』がベルリン(ドイツ)在住の若手作曲家『番場俊之』氏に作曲を委嘱したものです。その後同様の形式で作曲依頼した男声合唱曲『待てば久しも』も含め、『アカデミカ・コール』は何回かステージで演奏してきました。 

日本語の美しさを、流麗なピアノ伴奏で見事に表現した曲で、この情感は日本人の演奏家でないと表現は難しいのではないでしょうか。しかし、作曲そのものは、西洋音楽の高度な和声進行などの技法が駆使されていますから、文字通り和洋折衷の音楽作品です。 

今回は、久しぶりの演奏と言うことで、作曲家の『番場俊之』氏が、わざわざベルリンから松山まで聴きに来てくださいました。梅爺達の演奏も、まずまずの出来で、番場氏からも、褒めていいただきました。

| | コメント (0)

2015年1月14日 (水)

巨大地震(3)

『東日本大震災』の震源地海底を日本の科学者が調査した結果、『地震』のメカニズムに関して、分かってきたことがあります。

『陸プレート』の下へ潜り込んでいく『海プレート』の表面に『山』があると、その部分に歪エネルギーが多く発生し、『大地震』の原因になっていることが判明しました。この海底の『山』は、3000メートルクラスの高さですので、陸地にあれば『高山』です。『山』がスムーズなプレートの潜り込み現象を妨げているという話は常識に合致します。

論理的には、『海プレート』にある潜り込み直前の『山』を見つけて、取り除けば『地震』の確率を減らすことができるということになりますが、陸地の3000メートル級の山を除去することさえ難しいわけですから、海底の山を取り除くことは実質的に困難です。

ただ『山』の所在地が分かっていれば、『大地震』の震源地を予測する精度はあがります。海底の地殻に関する、地理的な高低、硬軟(硬い岩盤かどうかなど)は『地震サーモグラフィー』という測定技術で知ることが可能になっています。

『四国東南沖』『東海沖』で、潜り込み中の『海プレート』に『山』があり、それぞれ3500メートル、3000メートルの高さであることが分かっています。『南海トラフ地震』『東海沖地震』が、次に起こるとすれば、どこが震源地になるかの予測がある程度できると言う話です。

『地震』による『津波』は、地球上の遠い場所にまで被害を及ぼすことは分かっていますが、『地震』そのものも震源地近辺だけではなく、遠い場所まで影響を及ぼすことが分かってきています。『東日本大震災』の影響で、ノルウェイのフィヨルドの海水面が異常に揺れ動いたと報告されています。オホーツク海地震の時には、モスクワでマグニチュード3の地震を感じました。断層が付近にないモスクワで『地震』を観測したのは、地震波が『マントル』を介して伝わったためと推定されています。

『海プレート』と『陸プレート』の潜り込み近辺で、歪エネルギー解消の現象としておきる『地震(深さ60km程度)』が大半ですが、中には『プレート』が折れて一部が『マントル』の中へ落下した場合(深さ数百km)も『地震』が起きると考えられています。オホーツク海地震が、モスクワにまで影響を及ぼしたのは、この種の『地震』と推定されています。

『マントル』に含まれている水分が、潜り込み中の『プレート』間に入りこんで、『潤滑剤』の役目で『地震』の引き金になることも分かってきました。『東日本大震災』の震源地近くの海水に『ヘリューム3』という物質が多量に含まれていることから、それが分かりました。『ヘリューム3』は『マントル』に含まれている物質で、普通海水にはほとんど含まれていません。

地球は、誕生以来『変容』を続けていて、それは、『人間』の存在や、『人間』の願い、思い、祈りとは無関係であることを改めて再認識しました。『物質世界』の視点で観れば、『人間』はちっぽけで、ほとんど無力な存在であるということでもあります。

| | コメント (0)

2015年1月13日 (火)

巨大地震(2)

『東日本大震災』の後、日本の科学者は、『何がどこで起きたのか』を丹念に調べ、『巨大地震』のメカニズムについて、多くのことが明らかになりつつあることを知りました。

基本的には、46億年の『地球』の歴史が関与していますから『ビッグ・ヒストリー』の視点で理解する必要があります。

誕生直後の『地球』は、灼熱の天体であり、他の天体と衝突して、『月』ができました。『太陽』や『月』、他の『惑星』との重力バランスが、やがて『地球』の公転軌道、自転をを生みだされました。勿論、当初の公転軌道,、自転速度、自転軸の傾き角は、現在のものとは異なっていましたが、動的に『平衡』を求めて、徐々に現状のようなバランスになっていったことになります。

誕生の数億年後に、『地球』の表面は冷えて、陸と海で覆われる天体になりました。しかし、今でも『地球』内部には、高熱の流動体『マントル』が存在し、鉄分を含む『マントル』も自転の慣性で、地球内部で対流していると考えられています。地磁気はそれによって発生しています。

言ってみれば『地球』は『卵』のようなもので、表面は地殻で覆われていますが、内部は高熱でドロドロの液体であることになります。そして地殻の厚さも、相対的には非常に『薄い』ものです。地殻の隙間から、『マントル』が『マグマ』として噴出するのが『火山』です。

現在の『地球』の表面は、12枚の『プレート』と呼ばれる地殻ピースで構成されています。『プレート』は『マントル』に乗って動き続けています。約5億年まえには、地球の大陸(バンゲア)は一つでしたが、その後『プレート』の移動で、今日の地球地理に変りました。『プレート』と『プレート』がぶつかっている場所が『断層』であり、この場所の歪(ひずみ)に蓄積されたエネルギーが、放出される時に『地震』が起きます。具体的には、海底の『プレート』が、陸の『プレート』の下へ、潜り込もうとするときに歪が生じ、その部分にエネルギーが貯まっていきます。

この巨大な『地球』の『変容』が続く限り、『必ず地震は起きる』ことになります。

『日本列島』は、4つの『プレート』がぶつかり合っている近辺に存在しますから、世界の中では有数な『地震国』で、世界の『地震』の10%は日本近辺で起きていると言われています。

私たち日本人は、そうだからと言って日本を見捨ててどこかへ移住することはできませんから、覚悟して、対応するしかありません。

『南海トラフ』では、マグニチュード9の地震が起きてもおかしくないと考えられていて、四国、中国、九州で最悪32万人の死者が出るという予想もあります。広島の原爆を上回る犠牲が生ずる可能性があり、日本は国家の存立さえ揺らぐ事態になりかねません。

歪エネルギーが蓄積されるには、一般に数100年かかりますから、数100年に一度の『大地震』を覚悟しなければなりません。自分の人生で遭遇しないとしてもそれは幸運なだけで、『必ず起こる』ことは避けようがありません。

| | コメント (0)

2015年1月12日 (月)

巨大地震(1)

NHKのテレビで、『巨大地震』のメカニズムを解説する番組があり、録画して観ました。

梅爺流に言えば、このメカニズムは、『物質世界』の『摂理』がもたらす絶え間ない『変容』の一種ですから、人間の『精神世界』の『情(情感)』は、入り込む余地がありません。人間の命や生活を奪いかねない『地震』『津波』は、『非情な災い』ですが、『非情』『災い』は、人間の『精神世界』が共有している『視点(価値観)』であって、『物質世界』の地球規模の『変容』が引き起こす『地震』『津波』は、味気ない言い方で恐縮ですが、物理現象に過ぎず、『人間を困らせてやろう、苦しめてやろう』などという『意図』や『目的』は込められていません。従って、人間の『願い』『祈り』で『巨大地震』をくいとめることはできません。

番組に登場した科学者は、『巨大地震は必ず起こります。私たちは時限爆弾を抱えて生きているようなものです』とコメントしていました。これは『脅し』ではなく、『理』による確率の高い『推論』ですから、反論は困難です。

生物の中で『賢さ』に秀(ひい)でた『人間』でも、宇宙規模、地球規模の巨大な『変容』の前では、『全く無力』であることを再確認して、梅爺は途方に暮れました。言うまでもなく『途方に暮れる』は梅爺の『精神世界』の反応に過ぎません。

『いくらなんでも、ただ手をこまねいて、怯えながら待っている手は無いだろう』とおっしゃる方もおありと思います。確かに『地震発生予測精度を上げる』『防災対策を強化する』などの対応策はありますが、いずれも『対症療法』のようなもので、『地震』発生をくいとめることにはなりません。残念ながら、基本的には『覚悟して待つ』という対応しかありませんから、人生で『死を待つ』のと類似しています。『死』も『時限爆弾を抱えながら生きている』という表現が該当するからです。

『精神世界』を配慮せずに観れば、私たちの『命』は、『物質世界』の中で、ある条件の下に維持が可能な『変容』の一種に過ぎません。『命を維持するしくみ』は、一見非常に複雑に見えますが、『摂理(物理法則、化学法則)』に従っているだけで、何ら特別なものではありません。

この事実を正視し、認めたくないために、人間は『自分たちは神が愛(め)でてくださる特別の存在である』という『虚構』を創りだし、それを『信じて、神に救いを求める』ことを拠り所にしてきました。『安泰を希求する本能』が『精神世界』でこのような『虚構』を創りだしたというのが、信仰心の薄い梅爺の推論です。

人間の身体は、一方的な『摂理』の支配で維持されているだけで、『摂理』がもたらす『変容』条件が変われば、命の維持はできないということを、『巨大地震』は示唆しています。基本的には『打つ手がない』わけですから、梅爺の『精神世界』が『途方に暮れる』のはもっともなことです。

| | コメント (0)

2015年1月11日 (日)

『仮説』のすすめ(4)

『百家争鳴』という表現があり、『皆が自由にものを言う』自由な雰囲気を良しとする場合と、『皆が勝手なことを言って収拾がつかない』ことを揶揄する場合の双方で使われます。

自動車会社の『ホンダ』では、『ワイガヤ(ワイワイガヤガヤの略)会議』という形式が尊重され、参加者が肩書や上下関係とは無関係に、自分の考えを述べます。議論は相互啓発を促し、『独自で斬新な発想』を見出す可能性を秘めていることを利用したものです。市場における企業の強弱を決める要素が、『Me Too』ではなく『Me Only』であるからで、他社の真似では、勝ち抜けないという企業理念が背景にあります。

梅爺が若いころ、会社の事業責任者は、『他社より、ちょっと良い製品を、ちょっと安く、ちょっと早く市場に投入せよ』と梅爺達に訓示しました。これは、『Me Too』に少し色をつけて対応した方が安全であると言う経営理念に基づいています。冒険を冒して死ぬよりは、とにかく生き続けることが重要だということでしょう。

『ハイリスク、ハイリターン』と『ロウリスク、ロウリターン』のどちらが生き残りに有利かと言う話と似ていて、これは会社の経営ばかりではなく、個人の生き方にも通じます。

『価値観』の違いに立脚していますから『どちらが正しいか』は決められません。しかし、『難しい課題、高い目標』への挑戦のほうが、人間の『精神世界』は高揚し、仲間の結束も強固になります。

ブラジルのサッカー・ワールドカップで、日本の『ザッケローニ』監督は、『超攻撃型サッカー』を目指しましたが、一次リーグで残念ながら敗退しました。その前の南アフリカ大会では、『岡田』監督は、『守備重視のサッカー』を選択し、一次リーグを突破しました。結果だけをみると、差がありますが、梅爺個人は、日本人の体格や性格を利用した『日本流サッカー』を目指した『ザッケローニ』に共鳴します。一次リーグを勝ち抜くことより、世界の頂点を争えるサッカーを本当に目指すなら、今後『日本流サッカー(Me Only)』に磨きをかけることを期待します。

話が逸れましたが、梅爺は『百家争鳴』の社会が健全であると考えています。個人が自分の『精神世界』を駆使して、『仮説』を自由に述べ、異なった意見のぶつかり合いの中から、更に新しい考え方が誘発される方が、結果的に文明を進化させる確率が高いと考えるからです。新しい秩序は、混乱から生まれる可能性が高いという話です。

『沈黙は金』などと気どって寡黙を尊重するより、勇気を持って自分の『仮説』を開陳すべきです。時に『仮説』の開陳は、自分の未熟さを露呈し、恥ずかしい思いもしますが、その時は未熟さを率直に認めれば、周囲はやさしく受け止めてくれる上に、その様な人柄をむしろ魅力的と評価してもらえます。

『学び』『考える』ことが『仮説』を生み出す要因です。梅爺は、老人の生きがいにとっても、このことは重要であるように感じています。

『仮説のすすめ』には、そのような意味が込められています。

| | コメント (0)

2015年1月10日 (土)

『仮説』のすすめ(3)

江戸いろはカルタに『論より証拠』という諺があり、『ごもっとも』と素直に受け容れたくなりますが、これを論理命題として考えれば『真』とは云えないことに気付きます。『証拠より論』という逆の表現も可能で、これもまた論理命題としては『真』とは言えません。『花より団子』『団子より花』も同様です。

つまり、世の中の事象には、『論より証拠』が説得力をもつ場合と、逆に『証拠より論』が説得力をもつ場合の両方があり、あらゆる場合にどちらか一方が『正しい』とは云えないということです。

自分の正当性を主張する時に、私たちは自分に都合のよい『諺』を例に出して、相手を説得しようとします。『ごもっとも』などという先入観念を持っている人は、簡単に説得されてしまいます。

『何もそんなにひねくれた考えをもつことはない』と梅爺も最初は考えていましたが、このように論理思考を放棄するのは、日本人の弱点で、これでは西欧人との『ディベート(討論)』に勝てないと、仕事の現役時代に思い知らされました。

元々へそ曲がりの性格が強い梅爺は、この体験から、『相手の主張を鵜呑みにせず、自分の論理で検証してみる』姿勢が強くなりました。『テレビで有名な評論家や学者がこう言っていた』『新聞や本にこう書いてあった』ということを鵜呑みにせずに、『本当だろうか』と先ず疑ってみるわけですから、実に可愛げのない爺さんで、周囲が辟易(へきえき)することになります。

周囲の迷惑はご容赦いただくしかありませんが、『自分で考えてみる』という行為は、自分にとっては『愉しい』ことでもあり、『脳』を総動員することで老化防止にもなると勝手に考えて、老後の生き方として気にいっています。『梅爺閑話』はその副産物です。

『論より証拠』『証拠より論』が、両方重要な説得力を持つのが、『科学』の世界です。『理論物理学』と『実験物理学』の両方が、協力することで『真理』が究明されていきます。

『理論物理学』は、純粋な論理思考で『仮説』を提示しますから、『証拠より論』の世界です。一方『実験物理学』は、事実を事象として確認することが任務で、時に『理論物理学』が提示した『仮説』を裏付けたり、新たな『仮説』を求めたりしますから『論より証拠』の世界です。

『仮説』が完全に証明されれば『公理』となりますが、完全に証明されないにしても、矛盾が見つからないと多くの科学者が認めた時に、『仮説』は『定説』として格上げされます。

現時点で、『生物進化論』『ビッグ・バン理論』などは、矛盾が見つからず『定説』として受け容れられています。しかし、決定的な矛盾が今後見つかれば、理論そのものが否定されることになります。

『科学』は『理詰め』の世界で、人間の『精神世界』で重要な意味をもつ『信ずる』『好む』といった『情』が絡む行為は通用しません。

『科学』では、『信ずるから正しい』『嫌いだから間違い』などという主張は通用しないということですが、私たちは、日常の生活の中で『信ずるから正しい』『嫌いだから間違い』という主張を多用しがちです。

『科学』以外の世界では、事象の『真偽』を絶対的に判定する基準が存在しないために陥り易い誤りで、『全ての事象は真偽の判定の対象である』という先入観念を捨てない限り、この誤謬からは逃れることができません。

『精神世界』が創り出した『宗教』や『芸術』の分野には、絶対的な『真偽の判定基準』が無いのは当然のことです。なぜならば元々『精神世界』は個性的なものであり、個々人が独自の尺度の『価値観』で判定しているにすぎないからです。

『精神世界』の『情』が絡む『政治』や『経済』なども、『正しい答』はありません。そこにあるのは『私が正しいと思う(信ずる)答』だけです。

『私が正しいと思う(信ずる)』という主張することは当然許され、また社会生活では、自分の価値観を披歴すると言う意味で重要なことですが、『私が正しいと思うから本当に正しい』と主張することは慎重であるべきです。

| | コメント (0)

2015年1月 9日 (金)

『仮説』のすすめ(2)

『生物進化』の過程で、『ヒト(生物種)』は、高度な機能を発揮できる『脳』を獲得しました。『脳』は『ヒト』だけが持つ特殊な器官ではありませんが、『抽象概念』をコミニュケーションの手段として仲間内で共有する能力、因果関係を『推論する能力』、論理構造を保有する『言語、記号』で意図や情感を細やかに表現できる能力、といった点では、『ヒト』の『脳』の能力は突出しています。

感覚器官と連動する『脳』の機能では、『ヒト』よりも優れた生物は沢山存在します。私たちの『嗅覚』は、犬の『嗅覚』に遠く及びません。『ヒト』が全て優れているわけではなく、『ある部分で非常に優れてる』という言い方が妥当ではないでしょうか。

何故『ヒト』の『脳』が、現在のように進化したのかは、科学的に解明されていません。勿論、色々な『仮説』はありますが、『定説』にはなっていません。いずれにせよ『進化』は、新しい環境への適応が引き金になっていますから、『脳』は『ヒト』が過酷な環境変化に耐え抜いてきた証(あかし)とも言えます。梅爺は進化には偶然の要因も多数あり、『現生人類(ホモ・サピエンス)』が現存できていることには、幸運もあったと推測しています。

『脳』の原点は、『生物としての生き残りの可能性を高める』ために獲得した器官ですから、『外部環境が、自分にとって都合が良いか悪いかを判断する』機能が根底にあります。梅爺流に言えば『安泰を希求する本能』が原点で、これは『ヒト』も他の生物も同じです。

『哲学』『宗教』『芸術』など、『ヒト』の『精神世界(脳が創り出す世界)』は、深遠な領域にまで達していますが、原点は『安泰を希求する本能』に由来するというのが、梅爺の大胆な『仮説』です。

『脳』は、周囲が自分にとって都合が良い(快)か悪い(不快)かを先ず判定する機能が発達し、これが細分化されて、各種の『情感』が出来上がったものと推測できます。『楽しい』『嬉しい』『美しい』などは『快』が枝分かれしたもので、『悲しい』『寂しい』『醜い』などは『不快』が枝分かれしたものです。『快』にせよ『不快』にせよ、『脳』は対応するホルモンを分泌します。後に『理』が発達して『正しい』『間違い』の区分概念を獲得するようになりますが、これも『快』『不快』から発したものと梅爺は考えています。『善悪を判断する能力は神から授かったものではない』という畏れ多い『仮説』です。

『不安』『恐怖』は『不快』の最たるものですから、強いストレスとしてホルモンが分泌され、『ヒト』は、『逃げる』『闘う』などの次なる行動に備えます。ストレスが対応できないほど強い場合は、『脳』は『精神疾患』を発症します。

『ヒト』の『脳』が、『情(情感)』に次いで獲得した機能が『理』です。因果関係を論理的に推論する能力がこれに相当します。『理』は『情』の土台の上に増築されたもので、両者の間の連絡路は、思いのほか細いと脳科学は推測しています。多くの場合、『情』の方が『理』より先に反応します。

この『推論能力』と、『抽象概念』を理解できる能力が組み合わされて、『精神世界』は広大な『仮想世界』を生み出します。

『視点』を『過去』『現在』『未来』に自由に移して思考したり、『自分』を『他人』に、または『他人』を『自分』に置き換えて考えたりできることも、『精神世界』の大きな特徴です。

『精神世界』は『情と理の複雑な絡み合い』が創り出す世界であるというのが、梅爺のこれまた『仮説』です。

更に厄介なことに、『脳』の機能には個人差があり、詳細においては、誰もが同じとは云えないことです。つまり『精神世界』には個性があるという、宿命を帯びている(生殖による遺伝子継承のしくみ、および生後の体験の違いの蓄積がもたらす)ことになります。

親子、兄妹といえども異なっていますから、いわんや他人を理解することは至難のことになります。『安泰』を得るために『絆』を確認したいという次なる本能が出来上がるのもこのためです。更に、この延長で、地球上の人間社会には『民族』『文化』『宗教』などの違いがありますから、『他国』を理解することは易しくありません。

全て『安泰を希求する本能』が原点であると、梅爺は推測しますが、原点がかすんでしまうほどに、現状の『精神世界』は多様化してしてしまっています。

| | コメント (0)

2015年1月 8日 (木)

『仮説』のすすめ(1)

『科学』は、『物質世界』の事象の因果関係を明らかにする領域ですから、『理』を好む人には、たまらなく魅力的で、居心地の良い世界です。『精神世界』で厄介な『情』が無用の世界であるからです。

何と言っても事象に関して、『普遍的に真偽の判定が可能、または可能であると言う前提』で探究が行われますから、私たちは、誰はばかることなく、『正しい』『間違い』を論ずることができます。『仮説』と宣言すれば、原則としてどのような主張も許されます。しかし『仮説』に矛盾が指摘されれば、『仮説』は消滅します。

このようなことが可能になるのは、『物質世界』が、『摂理』という絶対的なルールで支配されていると考えられているからです。勿論『支配されている』と言い切ることは論理的にできませんが、現在のところ、『支配されている』とすることに矛盾は見つかっていません。

『物質世界』は、すべて解明されているわけではなく、多くの事象に関して私たちは分かっていません。分かっていないのは、『摂理』による因果関係の説明ができていないということで、いつの日にか解明される可能性を秘めています。

科学者は、現時点で理解できない事象を、『摩訶不思議』『奇跡』などと称して、探究をあきらめることはありません。つまり『物質世界』には、一見『摩訶不思議』『奇跡』にみえる事象は存在しますが、本質的に『摩訶不思議』『奇跡』は存在しないことになります。

人類は、ここ100年から200年の間に、急速に『摂理』に関する知識を増やしました。『生物進化論』『電磁波理論』『量子物理学と素粒子理論』『ビッグ・バン理論』『DNA構造の発見と究明』『インフレーション理論』などがその代表です。これによって、多くの『摩訶不思議』『奇跡』は消滅しました。また知識を応用した『工学技術』も目覚ましく進歩し、『自動車』『飛行機』『テレビ』『コンピュータ』『インターネット』『携帯電話』などが、当たり前の環境として私たちの周囲に存在しています。『核兵器』などというおぞましいものまで出現しました。

『科学』の『摂理』に関する知識が増えたことが、現代人の『精神世界』にも影響をもたらすと考えるのが妥当ではないでしょうか。

『宗教』『哲学』『芸術』など、『精神世界』を代表する領域も、決して神聖な領域ではなく、科学知識と無縁ではありえないと、梅爺は推測しています。

『精神世界』も『脳』という『物質世界』に属するものが作りだす世界ですから、基本的には『摂理』に支配されていることにはなりますが、『精神世界』は、一面に置いて『仮想世界』でもあり、そこには『摂理』に支配されない価値観も出現します。『ドラゴン』『フェニックス(不死鳥)』『かぐや姫』『一寸法師』などは『精神世界』でのみ存在可能となります。

数千年前の人類は、当時の知識をベースとした『精神世界』を駆使して『この世は神が支配している』と推測したのは当然ですが、現代人の『精神世界』が、そのままそれを受け容れることは難しくなります。『神』イコール『摂理』とすれば、問題は解決するかと言うとそうもいきません。人類は『神の赦し、神の救い、神の慈悲』などという価値観も同時に継承してきたからです。残念ながら『摂理』は冷酷で、『赦し、救い、慈悲』とは無縁です。自然災害は、『摂理』が創り出す『変容』が表面化したものですが、容赦なく善良な人間の命さえも奪います。

| | コメント (0)

2015年1月 7日 (水)

インフレーション理論(6)

『インフレーション理論』を肯定すると、更に驚くべき可能性(予測)が浮上することを知りました。私たちが属する『宇宙』の他に、無数の別の『宇宙』が存在するという予測です。

私たちは、『宇宙』の中の『天の川銀河系』に属する『太陽系』の一つの惑星『地球』に存在していますが、『宇宙』には、約2000億個の別の『銀河系』があり、各々の『銀河系』には、更に平均して2000億個の『星』があることを知って、驚いていましたが、実は、私たちの『宇宙』以外に、無数の別の『宇宙』があり得るという『説』ですから、呆然としてしまいます。

しかし、冷静に考えてみれば、『宇宙』は一つしかないという考えより、無数の『宇宙』が『インフレーション』で生まれ続けているという想定の方が、蓋然性が高いと梅爺は直感します。『人間』は生物の一種で特別な存在ではないように、私たちの『宇宙』も、沢山の『宇宙』の一つで特別なものではないという想像の方がピンときます。つまり無数の『ビッグ・バン』の一つが、私たちの『宇宙』の『ビッグ・バン』であったという予測です。

別の『宇宙』とは、どんなものか、私たちの『宇宙』と似ているのか、人間はその存在を確認する手段をみつけることができるのか、などと野次馬的な興味が尽きません。

『真空のエネルギー』『インフレーション理論』で、『ビッグ・バン』が何故誕生したかが分かってくると、無数の『宇宙』を産みだし続ける可能性のある『真空のエネルギー』の詳しい正体や、何故存在するのかが、次なる『科学』の疑問になります。『ビッグ・バン』の神秘なヴェールが取り除かれると、次なるヴェールが待ち構えています。科学者は『神秘』を『神秘』と認めて、立ち止まることはありません。『物質世界』には『未知』はあっても、『神秘』や『奇跡』はないと考えているからです。

勿論、『インフレーション理論』と、従来確立していた『量子物理学』『超弦理論』との整合性も更に検証されるに違いありません。

この番組では『ビッグ・バン』のより確実な確証を得るために、日本も含む世界の科学者たちが努力している様子も伝えていました。『ビッグ・バン』の時に発生した『重力波』の痕跡を『宇宙』で観測しようという壮大な試みです。近いうちに『ビッグ・ニュース』が報じられるかもしれません。

私たちの『宇宙』は、『ビッグ・バン』以降膨張を続けていますが、その膨張の原因と考えられている正体不明の『ダーク・エネルギー』と『真空のエネルギー』の関連も梅爺は知りたくなります。

『インフレーション理論』の一人の発表者、アメリカの『アラン・グース』氏は、『インフレーションは究極のタダ食いである』と表現していました。

私たちは、何もないように見えるところから、代償も払わずに、貴重なもの(宇宙)を手に入れ、それで『生きている』わけですから、『なるほど、そういうことですか』とちょっぴり分かったような気になりました。

| | コメント (0)

2015年1月 6日 (火)

インフレーション理論(5)

『宇宙』は時間や空間の概念がない状態から誕生した、巨大な『真空エネルギー』が『宇宙』を産みだした、というような話は、『ミクロな物質世界』の『摂理』を知らない梅爺のような凡人には、理解を越えた話です。

従って、その話を『信ずる』かどうかを問われることになり、『宗教』と似ているように見えますが、実は全く違います。

『科学』における『説』は、『形式的論理の世界(数式など)』や、既に確立している『法則』をもちいて導き出されたものであり、論理検証の対象になります。根本的な『論理矛盾』が見つかれば、その『説』は『偽り』であると判定されます。無条件に絶対正しいとされる『教義』が存在する『宗教』とはこの点が違います。『正しいと信ずる』という主張は『科学』では意味をなしません。

『神が天地を創造した』という表現を『論理命題』とすれば、検証のしようがありませんので、少なくとも『真とはいえない』という結論になりますが、『真空エネルギーの中からインフレーションでビッグ・バンが出現した』という『論理命題』は、『論理命題』が導き出された『論理』も提示されていますから、他の有能な科学者による論理検証をうける対象になり、やがて『真偽』も明らかになっていきます。梅爺は有能な科学者ではありませんので、検証の推移を傍観しているだけですが、有能な科学者たちでも『矛盾』を見つけ出すことができないというなら『信じよう』という、『他力本願』で臨んでいます。『偽』が見つかったと言う科学的な報告があれば、『信ずる』ことをいつでも撤回します。

『科学』は『物質世界』の事象を検証対象としていますから、『摂理』をもちいて『真偽』の判定が可能ですが、人間の『精神世界』が創り出した『虚構』に属する事象は、『真偽』の判定のしようがありません。この『違い』を理解していれば、混乱を最小限度にとどめることができます。生きるために時に『虚構』を『信ずる』必要に迫られることもありますが、一方『疑う』必要に迫られることもあります。『精神世界』の『虚構』との付き合いは、このように矛盾したもので、容易ではありません。『宗教』がその典型例であろうと梅爺は考えています。

『インフレーション理論』は、現時点では『仮説』ですが、今のところ大きな矛盾がみつかっていない様子で、これに代る『仮説』もなさそうなことから、梅爺は前述のように『信ずる』ことにしました。

非常に短時間の膨張で、『真空エネルギー』から『ビッグ・バン』の状態が出現したために、最初の『宇宙』は、温度が均一であり、形状は『歪みのない平坦な形状』であったことが矛盾なく説明できることになり、『ビッグ・バン』に関しての謎であった『地平線問題』『平坦性の問題』が解けたことになります。

『ミクロな物質世界』には、『真空のエネルギー』という、素粒子が生まれたり、なくなったりする特殊な『エネルギー』があるとアメリカの『ワインバーグ博士』が論文を発表し、この論文に触発されて、日本の『佐藤勝彦』氏、アメリカの『アラン・グース』氏が、物理法則の数式から『インフレーション理論』を導きだしました。

『佐藤勝彦』氏は、発見したあまりにも驚くべき結果に、自分でも戸惑い、最初はどこかに『誤り』が潜んでいないかと『疑った』と述べておられます。

『科学』の歴史は、思いもよらない『真実』の発見の歴史とも言えます。

『電磁場理論』『一般相対性理論』『超弦理論』『ビッグ・バン理論』や、『生物進化論』『生物に共通な遺伝子構造』などは、人類に『思いもよらない驚き』を提供してきました。『インフレーション理論』もその一つになるかもしれません。

| | コメント (0)

2015年1月 5日 (月)

インフレーション理論(4)

『無から有は生まれない』というのが、私たちの『理』が認める論理帰結です。そのため、『時間、空間の概念がない無の世界に、ビッグ・バンで宇宙が出現した』と言われると、頭が混乱してしまいます。

正しくは、『巨大な「真空のエネルギー」だけが存在する状態から、時間、空間、物質などの概念を保有する宇宙が出現した』ということかなと、理解しました。

『インフレーション理論』は、『真空のエネルギー』を前提に、『アインシュタインの方程式』などをもちいて、理論計算して導き出されたものと、番組では説明がありました。

『真空のエネルギー』状態から、『宇宙』が誕生するまでに要した時間は、10の34乗分の1秒で、この間指数関数的な速さで急膨張したという説明です。

138億年の歴史を持つ『宇宙』が、人間の時間感覚では捕えられないほどの短時間で誕生したという驚くべき相違に、驚かされます。梅爺には、詳細は理解できませんが、『物質世界』には『ミクロな世界』と『マクロな世界』があり、『真空のエネルギー』『超弦(ひも)』『素粒子』などは、『ミクロな物質世界』に属し、『ミクロな物質世界』だけに通用する『摂理(量子物理学など)』があると理解しました。『インフレーション理論』や『ビッグ・バン』は『ミクロな物質世界』の『摂理』でしか説明ができないのでしょう。

私たちは、日常『マクロな物質世界』しか体感できませんから、その世界の『摂理』で『ミクロな物質世界』を考えても、分かりにくいのは当然のように思います。

しかし『ミクロな物質世界』から『マクロな物質世界』が生まれたわけですから、最終的には、一貫した『統一摂理』を科学者は見出すのではないでしょうか。

『ミクロな物質世界』の『摂理』は、純粋な論理で推定され、何らかの観測結果でその論理の正当性(矛盾がないこと)が確認される領域です。

最先端の『物質世界』の『摂理』を理解し、更に究明しようとしている科学者は、70億人の地球の人口の中で、一握りの人達です。

多くの人たちは、『摂理』の存在を知らず、関心も示さず、狭い自分の理解の範囲、自分勝手な価値観の範囲で周囲を眺め、対応し、泣いたり、笑ったりしていることになります。この『一握りの人達』と『多くの人達』の違いも、梅爺は気になります。全員が科学者になる必要はありませんが、『摂理』の本質だけは、もっと多くの人たちが理解できる教育環境を整えるべきではないでしょうか。

梅爺は、ブログを書くことで、『摂理』に興味が増し、『生き方』『考え方』に変化が生じました。周囲が今までとは違って見えてくることは、愉しい体験です。

| | コメント (0)

2015年1月 4日 (日)

インフレーション理論(3)

たった17万年前に地球へ出現した私たち現生人類(ホモ・サピエンス)が、『精神世界』の『理』による推論を駆使して、138億年前の事象『ビッグ・バン』を発見したことは、驚くべきことです。 

『生物進化論』『一般相対性理論』『遺伝子構造(DNA)と役割』なども、驚くべき発見に属します。 

そしてこれら『物質世界』の事象に関する発見は、各々無縁のものではなく、相互に関連していることも私たちは知るようになりました。 

これらの科学知識を持たなかった、2500年前の『釈迦』が、この世を支配する『理(ことわり)』の根源は『縁起(相互関連)』である考え、万物は同じ状態に止まることがない(諸行無常)と見抜いた洞察力は驚嘆すべきものです。 

『物質世界』は常に『変容』し続けていて(諸行無常)、私たちの肉体も、『物質世界』に属する以上、その『摂理』から逃れることができません。『物質世界』では『摂理』に則さないことは起きませんし、則さないものは存在しません。つまり『奇跡』は存在しません。 

『精神世界』は、自分が『今』存在していることを感知し、それが『いつまでも続いて欲しい』『たとえ肉体は滅びても魂は永遠に存在し続けて欲しい』と『願い』ますが、残念ながらそのような『願い』は、『物質世界』の『摂理』には影響を及ぼしません。私たちにできることは、自分が『今』生かされていることに一方的に『感謝』することだけです。梅爺は、そのように理解して絶望するより、むしろ安堵と感謝の気持ちが強まりました。梅爺の魂は、死後『千の風』になることも、心残りがあって『うらめしや』と、この世に戻ってくることもないと予測しています。『死が全てを無に帰す』ということを、当然のことと受け容れています。 

『ビッグ・バン』は、科学の分野で『定説』になっているとはいえ、分からない謎が残されていないわけではありません。『ビッグ・バンが何故起きたのか』は最大の謎ですが、それ以外にも『地平線問題』『平坦性の問題』があることを番組で知りました。 

『地平線問題』は、精度よく観測した『ビッグ・バン』の名残の温度が、全て『同じ』であるという事象を指します。時間と空間を保有する実態として出現した最初の『宇宙』の温度が一定であるのは何故か、という謎になります。 

『平坦性の問題』は、最初に出現した『宇宙』は『歪みのない平面』であるように見えることです。色々な形状になる可能性がある中で、何故『歪みのない平面』であるのかという謎です。 

科学者は、執拗に『何故』にこだわり、それを『理』で説明できる『解』を求めようとすることがわかります。この姿勢が『科学』を進化させてきました。 

『インフレーション理論』は、『ビッグ・バンが何故起きたのか』を説明するだけではなく、『地平線問題』『平坦性の問題』も、矛盾なく説明できる理論として、一躍注目されるようになりました。

| | コメント (0)

2015年1月 3日 (土)

インフレーション理論(2)

『一般相対性理論』を導き出した、理論物理学者の大天才『アインシュタイン』でさえも、『宇宙には始まりがない』と予測していました。

ところが、1929年にアメリカの天文学者『ハッブル』が、宇宙を観測していて『全ての銀河はどんどん遠ざかっている』ことを発見しました。つまり『宇宙は膨張し続けている』ことになります。この発見をうけて理論物理学者の『ガモフ』は、『それならば、時間を逆戻りすれば、宇宙はどんどん収縮していくはずだ』と考え、138億年前の『ビッグ・バン』を予測しました。

科学の世界では、このように大天才『アインシュタイン』の予測も『誤り』であることが判明し、新しい知識で新しい定説が生まれます。スポーツの世界で、『新記録』が塗り替えられても、前の記録保持者が不名誉とされることがないように、科学でも『アインシュタイン』の『誤り』が訂正されることは不名誉なことではありません。一つの『誤り』で『アインシュタイン』の全てが否定されることもありません。

これに反して宗教では、一度創りあげた『教義』を絶対視し、一部でも否定されると、全部が否定されるかのようにおののいて、頑なに『教義』に執着しているように見えます。批判する者を『異端』として排除しようとします。

1千年以上も前に人間が考え出した『教義』に、『誤り』はないとするのは無理があるように梅爺は感じますが、『全知全能の神』が『教義』にかかわっているとして、批判は退けられます。

海面上昇で、沈没の危機にさらされているオセアニアの島国『ツバル』の原住民の大半は、キリスト教の信者で、『ノアの箱舟の後、神様は2度とこのような試練を与えないと約束してくださっているから、島は沈まない』と話しているのをテレビで観ました。見事な信仰とも言えますが、これで命を失っては元も子もありません。梅爺の視点で観れば、海面上昇は、『物質世界』の『変容』の一つで、『精神世界』の『祈る』『願う』『信ずる』とは無縁の事象です。

『ブレない信念をもって生きる』こともある場合には必要ですが、逆に『疑って対応する』ことも時に必要になります。『こだわり』と『柔軟性』と言う矛盾のバランスをとらないと生きていけません。

信じて真実へ到達しようとする『宗教』と、疑って真実へ到達しようとする『科学』とは、なかなか相容れませんが、やがて『科学』は人間の『脳』のカラクリを解明し、『宗教』の根本を脅かす『事実』を見出す可能性があります。『科学』は『神秘』を『神秘』として放置しないからです。

時間、空間の概念がない『無』の世界で、突然『ビッグ・バン』が起こり、その後の宇宙に存在するすべてのものの素材が出現したという説は、どのようなマジックよりも驚くべき話です。

『ビッグ・バン』を想定すれば、その後の『宇宙』で起きたことは、『摂理』で大方説明がつきますが、どのようにして『ビッグ・バン』が起きたかが科学者たちを悩ませてきました。

地球に『最初の生命体』が出現した以降のことは『生物進化論』で説明できますが、『最初の生命体』がどのようにして出現したのかは、解明されていないことと似ています。

人類にとっての究極の謎が『ビッグバン』と『最初の生命体』であることがわかります。

| | コメント (0)

2015年1月 2日 (金)

インフレーション理論(1)

『インフレーション理論』といっても『経済』の話ではなく、宇宙の始まりに関する話です。

『経済』は、『人間社会』や『文明』に関係する重要な分野であることは分かっていますが、梅爺の不得意な分野で、『梅爺閑話』で話題にすることはほとんどありません。

ただ、『経済』行為の原点に、人間の『インセンティブ(欲望動機)』があり、この『インセンティブ』も『精神世界』が生み出していることには興味があります。この視点で『経済』を面白おかしく論じた『Freakonomics』『Super Freakonomics』という本を読んだ感想は前に紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/freakonomics-c6.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/superfreakonomi.html

梅爺は、『経済のカラクリ』や『カラクリの裏話』については、山崎次郎さんのブログ『おゆみ野四季の道(新)』をもっぱら読んで、知識を得ています。山崎さんの個性的な主張や意見が魅力的であるからです。経済事象の表面だけを伝えるニュースには、どうも興味がわきません。もっとはっきり言ってしまえば、梅爺は、金儲けや蓄財が下手な人間です。

NHKBSプレミアムチャンネルで放映される『コズミック・フロント』という宇宙科学番組を観て、最新の宇宙誕生に関る学説『インフレーション理論』を学びました。

現時点では『仮説』ですが、『ビッグ・バン』に関る従来の疑問点のいくつかが、矛盾なく説明できることから、有力な理論であると梅爺は感じました。

私たちが属する『宇宙』は、138億年前の『ビッグ・バン』で誕生したというのが、現在の定説です。世界中の科学者や天文学者が、その確実な証拠を見つけようと努力を継続しています。まだ分からないこともありますが、少なくとも分かっている事象は、すべて矛盾なく説明できていて、『ほぼ間違いない』と関係者は考えています。

『インフレーション理論』は、どのように『ビッグ・バン』が起きたかを説明するものです。『ビッグ・バン』以降に宇宙で何が起きたかは、多くのことが矛盾なく説明できていますが、『ビッグ・バン』そのものが何故起きたのかは、謎に包まれていますので、『インフレーション理論』は画期的です。

『インフレーション理論』は、日本の科学者『佐藤勝彦』氏と、アメリカの科学者『アラン・グース』氏が、別々に理論から導き出したもので、両者は偶然ほぼ同じ時期(1980年)にこれに関する論文を発表しました。次の『ノーベル賞』の有力な候補ではないでしょうか。

『ビッグ・バン』は、1950年から1960年頃に、確立していった学説(アメリカのハッブルの観測、ガモフの推理など)ですから、人類が『ビッグ・バン』を知るようになってから、60年程度、『インフレーション理論』にいたっては、未だ30年しか経っていません。

つまり、梅爺が生まれる以前の、どのような偉大な科学者、哲学者、宗教家も『知らなかった』ことを、梅爺は『知っている』ことになります。

この結果、彼らが『自分は何者で、どこから来たのか』などと悩んだように、梅爺は悩むことなく、極めて皮相的ですが、『ビッグ・バン以降に物質世界で起きた無数の変容の偶然の組み合わせのお陰で自分は存在している』と説明することができます。最新の科学知識を含めて、私たちは全ての事象を学際的に常に見直すことの重要性を再認識することができます。『宗教』もこの見直しの対象になりますから、いつまでも『神秘』として止まるわけにはいきません

| | コメント (0)

2015年1月 1日 (木)

梅爺詩集『老いの言の葉』(1)

年頭のブログとして、『老いの言の葉』という、拙い詩をお届けします。今後も思いついた時に『老いの言の葉』を綴りたいと思っています。

皆さまにとって、今年は良い年でありますように。

---------------------------------------------------

愛、希望、真実

愛だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、私の心は醜いことを知らなくて済む

愛だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、私の涙は暖いだけで済む

もし愛がこの世に無かったら
私は、冷たい知識だけを求めて生きていくのだろうか

もし愛がこの世に無かったら
私は、自分のことだけしか考えなくなるのだろうか

希望だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、躓(つまづ)くことに怯えなくて済む

希望だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、あきらめを弁解に変えなくて済む

もし希望がこの世に無かったら
私は一切の努力をやめてしまうのだろうか

もし希望がこの世に無かったら
私は、暗闇の中をただ彷徨(さまよ)うだけなのだろうか

真実だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、いかがわしいものを信じなくて済む

真実だけで生きていけたら、どんなに善いだろう
そうすれば、選ぶことで迷わなくて済む

もし真実がこの世に無かったら
私は、他人の言葉に耳を傾けなくなるのだろうか

もし真実がこの世に無かったら
私は、全てを批判し、自分さえも疑うようになるのだろうか

愛、希望、真実だけでは生きていけない

それでも、愛、希望、真実が無ければ、生きる喜びもなくなってしまう

| | コメント (0)

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »