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2014年10月19日 (日)

インドの土着宗教と『仏教』(3)

現代人が『宗教』離れしていく理由の一つが、『教え』と『出来事』『戒律』とが一体となって『教義』が構成されていることによるのではないでしょうか。つまり『出来事』『戒律』を現代の科学知識で受け容れることが困難になりつつあることを示唆しています。

『教え』は、『神仏との関係で、人はどう生きるべきか』という内容を説いたもので、『何かによって生かされている』と感ずる人間にとっては、示唆に富み、傾聴すべきものが含まれています。科学知識が増えた現代では、一層『何かによって生かされている』と感ずる度合いが高まりつつありますから、『教え』は輝きを失うことはありません。『死生観』に十分影響を与える潜在力を持っています。

一方『出来事』は、教祖の生涯に起きた出来事や、宗教が成立する前提で起きた出来事などを、『事実』として信者に『信ずる』ように求める事柄です。

『キリスト教』を例に挙げれば、『神による天地創造』『キリストの生誕(処女懐妊)』『キリストが行った奇跡的行為』『キリストの死後復活』などがそれにあたります。いずれも現代人が保有する科学知識では説明がつきません。『だからこそ奇跡なのだ。世の中には理で説明できないことがあるのだ』と宗教関係者は主張しますが、理性を重んずる現代人を説得することにはなりません。

『戒律』にいたっては、一層『教え』との直接的な関係は曖昧なものになります。『ユダヤ教の割礼』『イスラームの豚肉忌避』などが端的な例ですが、生活習慣として、なんらかの『知恵』が背景にあるとしても、少なくとも『教え』にとって不可欠な要因であることを理性的に説得することはできません。

梅爺でも気付くようなこのような事柄に、賢い宗教関係者が気付かぬはずはありませんから、多くの聖人や神学者が、『出来事』や『戒律』を正当化する『論理』を歴史的に構築してきました。そして『出来事』こそが、『教義』の真髄で、『教え』を本当に理解するには『出来事』を信ずる必要があるという、逆転の『論理』を作り上げました。『キリストの十字架の死は、あらゆる人の罪を身代わりに背負われるためのものであった』というような『論理』で、『十字架の死には、特別深い意味が込められている』という説明になります。

それでも『なるほどそうか』という考えと、『でも理性では受け容れがたい』という思いが交錯しますまら、『信ずれば救われる』というだけの説得だけでは済まされない時代になりつつあります。

インドの土着宗教や、各地の土着宗教と融合してきた『仏教』にも当然、『教え』とは直接関係があるとは思えない、『出来事』『戒律』などが沢山あります。『釈迦』の教えは比較的純粋な哲学的な思想のように、梅爺は思いますが、その後の『仏教』は、土着の宗教と結びつき『神秘性』が増したために、理性による理解からは遠ざかることになっています。

庶民にとっては、この『神秘性』が『ありがたさ』を感ずる要素になっていますが、高僧の説教の大半は『釈迦』の『教え』を対象としますので、『仏教』の原点は『釈迦』の『教え』であるという認識が強いのかもしれません。

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