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2014年2月28日 (金)

梅爺創作落語『神の味噌汁』(4)

やがて夏も終わり、秋を迎える季節になり、大工の熊八は、忙しい仕事に追われ『不思議な老人』の一件は、すっかり忘れておりました。

今日も仕事を終わらせて、早く長屋へ帰って、一っ風呂浴びに銭湯へでも行こうと、道具箱を小脇へはさんで、小走りに道を急いでおりました。

大川(隅田川)の橋の袂(たもと)へさしかかりますっていと、近所のお宮かなんぞでお祭りでもあるらしく、人混みが激しくなってまいりました。

(熊八)『おっ、ちょいとごめんよ。こちとら急いでいるんで、道をあけておくれでないかい』

人混みをかきわけて、進んでまいりますと、運の悪いことに、前から歩いてきたお侍の脇腹に、熊八の道具箱がドスンとあたってしまいました。

(侍)『無礼者!町人風情で武士に体当たりするとは怪しからん。そこへなおれ!』

(熊八)『あっ、これはどうも大変失礼をいたしました。ちょいと急ぎの用で、気が急(せ)いておりましたんで、とんだご無礼をいたしました。どうかご勘弁ください』

(侍)『いやいや、勘弁などならぬ。武士たるもの、辱(はずかし)めをうけて、泣き寝入りとはいかぬ。成敗するゆえそこへなおれ!』

熊八が、道に正座をして、頭を地面にこすりつけて謝れば謝るほど、お侍の怒りは増すばかりで、腰の刀に手をかけ、今にも抜かんばかりの形相になってまいりました。相手が弱いと分かると、やたらと威張り散らすご仁(じん)ていものが世の中にいるもので、本当に強い人は、こうは振舞いませんから、熊八も、とんだ災難に出くわしてしまったことになります。

侍の血相に恐れをなして、野次馬は遠巻きに二人を固唾(かたず)をのんで見守るばかりで、仲裁をしようというものは誰も現れません。

(熊八の独り言)『どうも、よわっちまったな。こんなところで、お手打ちになって、首が飛んじまったら、長屋の皆やご先祖様にも会わす顔もねーやな。それに、おっかぁだって後家になるにはまだ若いし、ター坊をててなし児にはしたくねぃしなぁ。そうだ、困った時には、あの不思議なご老人が助けに来てくれると言う話だったな。ダメで元々、ひとつやってみるか』

熊八は、老人の言葉を思い出し、胸に両手をあてて、『叩けよ、さらば開かれん』と3度呟きました。

すると、遠巻きの人混みの中から、『あいや、しばし待たれよ!』という声が聞こえ、かの白髪白衣の老人が現れて、二人へ近づいてまいりました。

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2014年2月27日 (木)

梅爺創作落語『神の味噌汁』(3)

するっていと、不思議なことに、今までフーフー喘(あえ)いでいた太吉の荒い息が急におさまり、頬(ほほ)にもうっすらと赤みがさしてまいりました。そして、突然布団の上で上半身を起こし、キョトンとして不思議そうに家の中を見まわしました。

(太吉)『あーあ、すっかりよく眠っちまった。あれっ、おとっつぁん、このお爺さんは誰なの。長屋じゃみかけない人だね。物乞いかい』

(熊八)『おいおい、人様に失礼なことを云うもんじゃないぞ。このお方がお前の病気を診てくださったんじゃねーか。よーくお礼を申し上げないと罰が当たるぞ』

(太吉)『ふーん、お爺さんどうもありがとう。ところで、おっかー、おいら腹が減っちまったから、おまんまが食いたいな』

(熊八の女房)『そうかい、もうどこも具合が悪い所は無いんだね。それは良かった。ちょうど夕餉(ゆうげ)の支度をしたところだから、ちょいとお待ちよ』

熊八の女房が、半信半疑で太吉の額に手を当ててみますてーと、確かに熱は嘘のようにひいております。

(熊八の女房)『お前さん、驚いたね。本当に風邪は治っちまっているよ』

(熊八)『ご老人、あっしは、生まれてこのかた、こんな不思議なことに出会ったことはございません。夢じゃねーかと、いま頬っぺたをつねっちまいました。なんともお礼の申しようもありません。そんなわけで、お礼にはなりませんが、是非夕餉を召しあがっていっておくんなさい。といっても、特別の馳走ではございませんが・・・』

(老人)『それはどうも御親切にありがとうございます。それがし今のところ空腹ではござりませぬ故、どうか夕餉のご心配などは無用に願います。しかし、先ほどから味噌汁の良い匂いが気になっておりましたゆえ、味噌汁を一杯だけ御所望(しょもう)いたしましょうかな』

熊八の女房が、急いで味噌汁を椀によそい、差し出しますっていと、老人は、これを実にうまそうに一気に食しました。

(老人)『いや、実にお内儀は料理上手ですな。久方ぶりでうまい味噌汁をいただきました。さて、さて雨も丁度あがった様子故、ここいらでお暇(いとま)させていただとしますか』

(熊八)『ちょいとお待ちください。大変お世話になりながら、まだご老人のお名前をうかがっておりません』

(老人)『それがしは、名乗るようなものではございません。世の中では、お助け爺(じじい)と呼ばれております故、そのように呼んでくだされ』

(熊八)『それでは、お願いの筋がある時には、どちらへ伺えば、よろしいんでしょうか』

(老人)『それがしの助けが欲しい時には、胸に両手をあて、「叩けよ、さらば開かれん」と三度唱えていただくだけで結構です。それがしの方から出向きますのでご案じなく。それではこれで失礼して』

そう言い残して、老人とは思えぬ素早さで、あっという間に長屋の先へ消えていってしまいました。

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2014年2月26日 (水)

梅爺創作落語『神の味噌汁』(2)

老人が手持無沙汰で、ひょいと家の中を眺めますっていと、男の子が、頭に冷やし手ぬぐいをのせて、フーフー言いながら臥(ふせ)せっているのが目に入りました。

(老人)『そこに臥せっておられるのは、この家の御子息ですかな』

(熊八)『御子息ってぃほどのものじゃございませんが、あっしの一人息子のター坊(太吉)でございます。どういうわけか、昨晩から急に熱が出て、なかなか下がらず、咳きこんだりしていますので、夏風邪をもらっちまったんじゃねーかと思うんでございますが・・・』

(老人)『それは、ご心配なことですな。差し支えなければそれがしが診て進ぜましょうか』

(熊八)『これはこれは、ご老人はお医者様でいらっしゃいますか。どーもお見それをいたしました』

(老人)『いやいや、それがしは医者ではござらぬが、少しばかり、人さまの悩みを癒すことに関ってまいった程度のことでございます』

(熊八)『するっていと、筮竹(ぜいちく)をジャラジャラいわせたて手相を観たりする占い師か、おみくじをつくって神社に卸(おろ)すようなお仕事でございますか。おみくじなんざ、元手がかからないものですから、たんまり儲かるんでございましょうな』

(老人)『いやいや、それがしはそのような金儲けとは、とんと無縁の人間でございます。別に、御子息を是非診たいと申しておるわけではございませんので、気が進まないようならどうかご放念くだされ』

(熊八)『これはどうも、失礼なことを申し上げました。どうか診てやっておくんなさい』

(老人)『それでは、ちょいと失礼をして・・・』

(熊八)『(小声で)何とも得体の知れない爺さんだね。診るったって道具も薬も何もなけりゃ直せるわけねーだろう。まぁ、ダメで元々、こちとらが損するわけではねーし』

(老人)『何か申されましたかな』

(熊八)『いえ、こちらの話でございます』

老人は、草鞋(わらじ)を脱いで、部屋に上がり、太吉の枕元に正座し、額に乗せた冷や手ぬぐいをはずしまして、右手の掌(てのひら)を額にのせ、瞑目(めいもく)しながら、なにやら呪文のようなものを唱えました。

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2014年2月25日 (火)

梅爺創作落語『神の味噌汁』(1)

えー、いっぱいのお運び、まことに有難うございます。  

世の中には、自分に都合の悪いことは、全部誰か他人(ひと)のせいにして、眉間(みけん)にしわを寄せ、口をへの字に曲げて文句を言うお方がおられます。ご自分が誰かに迷惑をかけているなんてことは、微塵も考えずに、周りばかりを責めるわけですから、実に手に負えません。  

『どーも、今年の夏はやけに暑いじゃねーか。夏を暑くしている奴は一体誰だい。おー、そこへ行くのは風鈴(ふうりん)屋じゃねーか。お前さん、もしかして風鈴を売りたいために夏を暑くしているんじゃねーのかい』。こんな難癖を付けられるんじゃ、風鈴屋もたまったものではありません。  

世の中は『持ちつ持たれつ』なんてことを申しますから、誰かれなく当たり散らすよりは、困ったお人にでくわしましたら、できるだけ親切にしてあげる方が、よろしゅうございますな。 

大工の熊八が、夕方道具箱を抱えて、長屋のそばまで帰ってまいりますっていと、突然夏の夕立がザーっと降ってまいりまして、これが、よくいう篠(しの)突くような雨でございます。  

(熊八)『こりゃーひどい雨だな。ひとっ走りして帰るとするか』  

熊八は、尻をはしょって、道具箱を雨よけに頭に載せ、小走りに長屋へ帰ってきますっていと、我が家の軒下に、見慣れぬ白髪、白衣の品の良い老人がぽつんと一人雨宿りをしております。 

(熊八)『こんな雨じゃ、軒下でも濡れてしまいましょう。さーさ、ご老人、どうぞ中へ入って雨宿りをしてください』  

(老人)『これは、この家の主(あるじ)様でいらっしゃいますか。それでは、ご厚意に甘えて、すこしばかり中をお借りすることにしますか』  

(熊八)『おーい、おっかー今帰ったよ』  

(熊八の女房)『お前さん、お帰りなさい。外はひどい雨のようだね。おや、そこのご老人は客人かい』  

(熊八)『いや、たまたまおいらが帰ってきた時に、このご老人が軒下で雨宿りをなさっておられたんで、どうせなら中へってお連れしたんだよ』  

(熊八の女房)『おや、そうかい。さーさご老人、むさくるしいところですが、上りがまちにでも腰かけて休んでくださいな。今茶でも煎れますから』  

(老人)『いやいや、御内儀、どうかそのような気は使わずにお願いします』

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2014年2月24日 (月)

映画『カティンの森』(4)

戦争の最初の頃は『ドイツ軍』が優勢で、『ソ連軍』を押し戻し、ソ連領土内にも侵攻して、『カティンの森』で、地中に埋められた多量の虐殺死体を発見し、これを『共産主義の冷酷さ』として、鬼の首をとったように、世界へ報道します。死体の所持品などから身元が分かった人の名前が『ポーランド』の新聞にも掲載され、『アンジェイ』の妻『アンナ』は、毎日新聞を買って、夫の名前がないことを確認し、希望を持ち続けようとします。

後に『ナチス』が、『アウシュビッツ収容所』などで行った、ユダヤ人大量虐殺のことを考えると、『カティンの森』事件を、『ナチス』が告発して得意になっている様は笑止千万ですが、相手を糾弾して、自分の正当性を主張するのは、人間や人間社会によくある出来事です。

やがて、『ドイツ軍』が劣勢になり、『ソ連軍』が『ポーランド』に進駐して支配者になると、今度は『カティンの森』の虐殺は、『ナチス・ドイツの仕業』であるという大々的なキャンペーンを開始します。『ソ連』にとって都合の悪い証人や、証拠を抹殺しようとします。これも酷い話ですが、人間の歴史の中ではこのようなことが繰り返されてきました。

ソ連に連行された『ポーランド』将校の一部は、『ソ連』に寝返り、『ソ連軍』と一緒に『ポーランド』へ帰国しますが、『カティンの森』の実態を知り、良心の呵責から自殺する人も現れます。

第二次世界大戦の後も、『ソ連』は、『カティンの森』事件の犯人は『ナチス』であると言い張りますが、国際的な調査団の報告で、『ソ連』が犯人であることが明らかになっていきます。

『ロシア』の『プーチン大統領』は、『カティンの森』の慰霊碑に献花して、『全体主義者(スターリン)の過ち』であるとは認めましたが、『現在のロシア国民に罪はない』と言って、国家としての『謝罪』はしていません。外交的な自己弁明の常套手段ですが、日本の首相が、『中国や朝鮮半島で過去に日本が行ったことは、軍国主義者の過ちではあるが、現在の日本国民に罪は無い』などと発言したら、どんなことになるのだろうと想像してしまいます。

『過去の日本の所業』に対して、現在の日本人の責任は皆無であるとは、梅爺は思いませんが、『罪の意識』だけを強調し過ぎることは、あまり良い成果をもたらさないと思います。現在の『日本』は、過去の『日本』と違っていることを正しく理解してもらう努力が大切です。

梅爺は、仕事の現役の頃、中国の会社とのビジネスを担当しましたが、その時親しくなった中国人から、『私は学校で、反日教育を受け、日本人は皆殺人鬼であると思っていました』と言われたことがあります。梅爺は即座に『それで、今あなたの眼の前にいる私も殺人鬼に見えますか』と聴き返し、私たちは笑顔で握手をし直しました。

人間同士、壊れた『絆』を修復する方法は無いわけではありません。それは善悪をはっきりさせることではなく、お互いが必ずしも完全な『人間』ではないことを、自覚し合うことではないでしょうか。

『カティンの森』という映画を観て、人間社会が暴走した時に生ずる悲劇の大きさを改めて痛感しましたが、こういう映画を作れる環境になった『ポーランド』に、拍手を送りたくなりました。

人間を直視して、狭い視野にとらわれずに、人間はこういうものだと冷静に判断できる人が多い社会こそが、文明度の高い社会と言えるように気がします。嫌な面を蔽い隠したり、見て見ぬふりをしても、個人や社会は向上することがありません。何もかも容認せよというのではなく、『嫌なことを、嫌なこととして認める勇気』が、やがて『嫌なことを減らす』原動力になると思います。

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2014年2月23日 (日)

映画『カティンの森』(3)

この映画は、ポーランド軍将校(大尉)の『アンジェイ』と、妻『アンナ』一人娘『ニカ』が、戦争に翻弄される様(さま)を中心に展開します。『アンジェイ』達将校は、ソ連軍に拘束され、ソ連内の強制収容所に送られた後に、一部が『カティンの森』に連行されて、まとめて処刑されます。頭蓋を至近距離からピストルで撃ち抜かれ、死体はまとめて埋められました。『アンジェイ』もこの犠牲者の一人ですが、最後まで書き続けた日記が、後に遺体と一緒に掘り出され、ソ連の残虐な行為を裏付ける証拠になりました。 

戦争の初期に、『ポーランド』は『ナチ・ドイツ』の攻撃を受けますが、同時に『ソ連軍』が国境を越えて迫ってきます。『ポーランド』は、『ナチ・ドイツ』から『ポーランド』を解放する『解放軍』であることを『ソ連軍』に期待したのではないでしょうか。『ソ連軍』もそれを装って、『ポーランド軍』に接し、兵士は解放して、将校たちだけをソ連へ連行しました。 

しかし、その後の歴史で『ソ連(スターリン)』のホンネは、『ポーランド』を支配下に置くことであったことが分かっています。『ソ連軍』は『ポーランド』内へ進駐してからも、『ナチ・ドイツ軍』との大規模な戦闘を避けて、『ポーランド(市民による抵抗)』が消耗、疲弊するのを傍観する態度をとります。『獲物を弱らせてからし止める』という、『スターリン』の冷酷な戦略であったと言われています。 

主人公の『アンジェイ』達が、『ソ連軍』に拘束された時点では、自由な行動がある程度できる状態でした。『ソ連へ一時連行し、ドイツ軍と戦うための将校としての再教育をする』というような甘い言葉を『ソ連軍』は口にしたのではないでしょうか。そして、『ポーランド』の反抗する力を封ずるために、将校たちを大量虐殺したと推測できます。 

連行直前の場所に、妻『アンナ』は、幼い娘『ニカ』を連れて、夫『アンジェイ』に会いに行き、『家族のために、ここから逃げて欲しい』と夫に懇願します。しかし『アンジェイ』は、『自分は国家に忠誠を誓った軍人であり、軍と行動を共にする』といって、連行されていきます。妻の懇願も理解できますし、夫の決意も理解できます。仮にここで『アンジェイ』が脱走して生き延びたとしても、一生『仲間を裏切った罪悪感』を背負うことになるからです。

『アンジェイ』の父親は大学教授でしたが、総長以下教授たちは『ドイツ軍』に呼び出され、まとめて『反逆者』として、強制収容所へ送られ、父親はここで心臓病で亡くなります。呼び出しに、教授の奥さん(『アンジェイ』の母親)は、『気が進まないなら出頭しないように』と言いますが、教授は『総長と行動を共にする』といって出向きます。これも『絆』に対する責任感による決断で、人間の『精神世界』に起因しています。

人間は、自分の安泰よりも『絆』への責任感を優先することがあります。日本の特攻隊の少年たちも、これで死地へ向かいました。『軍国主義は怪しからん』『人道主義で命を優先すべきだ』という一般論は誰でも口にできますが、それほど単純な問題ではありません。

私たちも、人生の大半のことは、『何が正しいか』は分からぬまま行動し、その責任だけを採り続けています。人生の『素晴らしさ』『醜さ』『冷酷さ』の全てが『精神世界』に起因しています。生きる代償として、私たちは非常に厄介なものである『精神世界』を保有していることになります。

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2014年2月22日 (土)

映画『カティンの森』(2)

第二次世界大戦における『ポーランド』は、後世に冷酷無比のリーダーとして悪名が高い『ヒトラー』と『スターリン』率いる『ナチ・ドイツ』『ソ連』が、領土拡大の野心を秘めて凌ぎ合う『場所』になりました。『ポーランド』の国家主権や、そこに住む人たちの人権や自由などは、両陣営にとって、一顧だにされなかったことになります。

大国同士の争いの前では、小国、弱国は、単なる『陣取り合戦』の対象で、そこに住む人たちの、愛情の絆で結ばれた人間関係、夫婦、家族、恋人同士などは、あたかも存在しないもののように無視されます。

『明治維新』後の『日本』は、この小国、弱国の悲哀を味わいたくないと『富国強兵』に邁進しましたが、不幸なことに、いつの間にか『日本』が『大国』のように振舞う側に変っていきました。『国益』『国家主権』を守るという『大義』は、他国の『国益』『国家主権』を侵害することになりかねないという際どい話ですから、これからの『日本』がどう振舞うかにも関連します。

『軍事力』だけが、小国、弱国を決める要素ではありませんから、『日本』は、『経済力』『科学技術力』『文化力』などを総合駆使して、『防衛』を考えるべきです。外国の人たちに『日本』を知ってもらうための努力は、強い『防衛』手段になります。そのためには、『教育大国』であることが必須で、この『教育』は、一律の価値観をもった国民を作り上げることではなく、『問題を自分で解決できる能力を有する国民』を作り上げることです。色々な『考え方』が共存する社会は、決して脆弱ではなく、むしろ強靭です。

『ナチ』に侵略された『ポーランド』は、政府自体が亡命してしまい、国民の一部は『パルチザン』として武器を持ちゲリラ的に『ナチ』へ対抗しました。しかし、圧倒的な武力で『ナチ』は『ポーランド』を制圧し、抵抗する人間は、処刑され、または強制収容所送られました。こういう状況下では、保身のために『ナチ』へ協力する人間も出現し、密告で同胞(抵抗者)を売る人間も現れます。『恐怖政治』下では、世界中どこでも起こる現象で、同胞の間に後々まで『不信』という傷跡が残ります。自由を求めて闘って死んでいった人も悲劇、同胞を裏切った人も悲劇という状況になります。『絆』を失った人間社会ほど悲惨なものはありません。

この映画で『アンジェイ・ワイダ』監督は、人間社会が抗しきれないほどの大きな力で蹂躙される時に、個人や人間関係が、激流に流される木の葉のように翻弄される事実を提示して、ある意味で『人間や人間社会の持つ弱さ』を私たちへ突きつけてきます。しかし、抗しきれない力を創り出したのも人間であるという不条理さへの『怒り』も、ひしひしと伝わってきます。

人間の『精神世界』は、『愛』や『平和』も創出しますが、暴走すると『憎悪』や『戦争』を引き起こします。『精神世界』をどのように理解し、どのように対応していくかに人類の未来がかかっています。

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2014年2月21日 (金)

映画『カティンの森』(1)

NHKBSプレミアムチャンネルで放映された2007年ポーランドの映画『カティンの森』を録画して観ました。

巨匠『アンジェイ・ワイダ』監督が、80歳の時に脚本共同執筆、監督を手掛けた作品で、第二次世界大戦の初期に、ソ連へ連行されたポーランド軍将校ら12000人が、ソ連領内の『カティンの森』で集団虐殺された歴史的事件を題材にしています。

『アンジェイ・ワイダ』監督は、梅爺が尊敬する映画人の一人で、以前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-a979.html

『映画』は、『人間』という生物種だけが保有する『精神世界』の表現様式の一つです。人類の科学の歴史が実現を可能にした様式ですから、誕生以来120年程度しか経っていません。つまり、『映画』を当たり前のものとして享受している私たちは、人類史の中では特殊な存在なのです。『映画』だけでなく、『電車』『自動車』『飛行機』『電話』『テレビ』『インターネット』も同じことです。『電気エネルギー』『下水道』『通信環境』などの社会インフラも、科学技術の成果の反映で、先進国である『日本』に住む『日本人』は、これらすべてを保有している、地球上では『少数派』に属する恵まれた『人間』なのです。『外国』や『歴史的過去』について考える時には、『現在の自分と同じように考え、行動している』と勘違いしないようにしなければなりませんが、なかなか難しいことです。特に、異なった環境にある人の『精神世界』を想像することは難しさを伴います。『釈迦』と同時代のインドの人々、『キリスト』と同時代のユダヤの人々の『精神世界』が想像できなければ、『釈迦』や『キリスト』の教えは理解できないのではないでしょうか。

『映画』は脚本家、演出家の『精神世界』で創出された内容を、関係者が協力して具象化したものです。人間の視聴覚を利用しているという点では、オペラ、舞台劇などと共通ですが、『映画』は、入念に創りこんで記録した内容を、何度でも繰り返し再生できるという点で、『ぶっつけ本番型』ではありません。オペラや舞台劇の制約から解放され、更に『自由な表現』が可能で、『現実世界』ではありえない事象を『仮想世界』として具象化することも可能です。つまり、『精神世界』を表現する最強の手段であると言えます。

『ポーランド』の近世は、ドイツやソ連に蹂躙され、『ベルリンの壁崩壊』までは、イデオロギーを強制された不幸な国家と言えますが、過去には逆にバルト三国など近隣諸国を支配していますから、常に被害者であったわけでもありません。

第二次世界大戦中に起きた『カティンの森』事件は、ポーランド人にとって、同胞が大量虐殺された『悲劇の事件』というだけのものではありません。この時代ポーランド人の一部は『ドイツ』『ソ連』への協力した人もいて、裏切りや、密告も横行したに違いありませんので、その傷跡は、国民の中に現在にまで及んでいるはずです。生きるか死ぬかの極限状態に追い込まれれば、人間は、『手段を選ばず生きることを選ぶ』こともありますから、裏切りや密告を、『けしからん』と単純に切り捨てられなくなります。

『カティンの森』を『映画』で題材にすることは、民族の心の傷を直視する勇気のいることであったに違いありません。80歳の『アンジェイ・ワイダ』は、人生を賭けて、この問題を表現したいと衝動にかられたのでしょう。目をそむけたくなる虐殺の場面も含め、気迫が伝わってくる映画です。

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2014年2月20日 (木)

ニューロンの発火『スパイク』(6)

個々の『ニューロン』や『シナプス』を、いくら詳細に観察しても、『脳』の『認知活動』『記憶活動』『推論活動』『情感活動』の『しくみ』は分かりません。

誰もが『脳』を保有していて、日常的に『認知』『記憶』『推論』『情感』を駆使して『生きて』いるにもかかわらず、人類は『しくみ』の解明ができていません。最先端の脳科学者は、私たちよりは多くの断片的な知識は持っていますが、『全貌が分かっていない』という点では、私たちと同様です。

『人間の脳は、自らのしくみを解明するだけの能力を持っていない』と、自嘲気味に予言する学者もいますが、梅爺には、真偽の判定ができません。『宇宙』と同様に、一つのことが分かると、それに関する新しい謎がまた発生するであろうことは推測できますから、『全貌が解明される』ことは、未来永劫無いのかもしれませんが、現状より『理解が深まる』というプロセスが継続すると期待してもよいのではないでしょうか。

私たちは、犬を観れば犬と認識し、猫を観れば猫と認識します。人の顔を観て、『知人』か『赤の他人』かも即座に判別します。当たり前のようですが、これと同じことをコンピュータで実現しようとすると、そう易しくはありません。勿論、この時コンピュータで使われる認識の『しくみ』は、『脳』の認識の『しくみ』とは異なります。『脳』の認識の『しくみ』は分かっていないわけですから、『異なっているだろうと推測できる』という表現が適切かもしれません。

色々な実験から、動物は、相手の『顔』を最優先で判別し、それで相手の行動や意向を推測する本能を保有しているらしいことが分かっています。『安全な相手(安泰)』かどうかを判断するためなのでしょう。先ず『目の位置』をとらえて、『顔』を判別するらしく、『目を見つける』ことが重要になります。梅爺が数年前まで飼っていた愛犬は、必ず梅爺の目を見つめて、梅爺の意向を読みとろうとしていました。人間の赤ん坊も、最初に眼が見えるようになると、母親の目を追いかけます。

人間の『脳』には、『顔判別』を専門に行う部位があると考えられています。面白いことに、『眼が上にあって口が下にある』という位置関係は即座に認識しますが、『顔』が逆さで、口が上にある位置関係では、正しく認識できないか、認識に時間がかかることも分かっています。

『脳』の中は、情報を何らかの『パターン』に変換し、幾層かの『パターン照合認識』作業を積み重ねて、最終的に『ある統一認識』に至ると考えられています。情報をどのように『パターン』に変換するのか、照合に使われる『記憶されているパターン』は、どのように存在し、どのように利用されるのか、新しい『照合用パターン』はどのように追加されていくのかなど、詳細は分かっていません。

『自分の中で何が起きているのか分かっていない』にもかかわらず、私たちは高度な『精神世界』を駆使し、『泣いたり』『笑ったり』『愛したり』『憎んだり』しています。

しかし、土台の所では、140億個の『ニューロン』が、律義に『スパイク(発火)』を繰り返していることになりますので、なにはともあれ『御苦労さま』と『スパイク』に感謝したくなります。

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2014年2月19日 (水)

ニューロンの発火『スパイク』(5)

『脳』に存在する『ニューロン』は、均一の素子ではなく、色々なタイプがあることも判明しています。『スパイク(発火)』を助長する『興奮性ニューロン』と、逆に抑制する『抑制性ニューロン』があり、システム(脳)が、過度の状態にならないように、コントロールしていることも分かっていますが、詳細な役割や『しくみ』は分かっていません。

また『ニューロン』間の結合形態も、色々あるらしいことも分かってきました。一般には『シナプス』と呼ばれる連結路が存在し、電気信号を受け渡す『電線』の役割を果たしています。この『シナプス』は、利用する頻度によって、伝導効率が変化するらしいことも分かっています。化学物質が関与していますから、この現象は『化学的シナプスの可塑性』と呼ばれています。『ニューロン』そのものも『スパイク』の起こり易さが、『閾値(いきち)』が変わることで存在するのではと推測されていますが、これに『化学的シナプスの可塑性』が加わることで、『脳』の『記憶』『学習効果』を説明する仮説が立てやすくなります。

簡単に言ってしまえば、何回も同じことを繰り返し訓練している内に、その『刺激』に対して『ニューロン』は『スパイク』しやすくなり、電線(シナプス)の電気抵抗も減じて、信号が通り易くなるということです。つまり『学習効果』が向上し、『記憶』は確実なものになります。単調な訓練を繰り返すことは苦痛ですが、何事もこれを避けては『うまくならない』と覚悟すべきでしょう。

若い頃の方が『学習効果』が高いことは、直感で分かりますが、老人でも少しはその能力が残っているのではないかと、一縷の望みを抱いて、梅爺は『英語の本』を読むことを続けています。訓練を継続しないとどんどん語彙を忘れてしまいそうな気がするからです。

上記の『化学的シナプス』は、電線に匹敵する存在ですが、そのようなものを利用せずに『ニューロン』同士が直接接触して、電気信号のやり取りを行っているケースもあることが最近分かってきました。この形態を『電気的シナプス』と呼んでいます。『化学的シナプス』との対比上そう呼ぶだけで、この場合は電線に相当するものはありません。

『電気的シナプス』では、信号伝達が速いこと、『ニューロン』同士の『同期的な活動』がし易いことなどが推測できますが、『脳』が『化学的シナプス』と『電気的シナプス』をどのように使い分けているのかは、よく分かっていません。

『人工ニューロン』と『人工シナプス』を組み合わせて、情報処理装置を構成すれば、『人工頭脳』に近いものができるかもしれないという期待が生じますが、現状の『ニューロン』『シナプス』に関する理解程度では、とても無理と言えそうです。

ただ『脳』と『コンピュータ』では、情報処理の方式が異なっていますので、『コンピュータ』を『人工頭脳』と呼ぶのも、適切ではないように思います

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2014年2月18日 (火)

ニューロンの発火『スパイク』(4)

『ニューロン』が『スパイク(発火)』して、電気信号パルスを発生させる時に、『ニューロン』の電位膜が『振動』して、連続的にある周波数のパルス列を発生させるものと、そうではなく単一パルスの発生に終わるものがあることが分かっています。 

パルスの数が、次の『スパイク』を起こす要因ですから、これが『脳』の情報処理と大きく関っていることは確かですが、上記の『ある周波数のパルス列』が持つ意味は、必ずしも明確には分かっていません。 

脳波の測定で、以下の異なった周波数のパルス列があることが分かっています。 

デルタ波  0.5~3ヘルツ
シータ波  3~8ヘルツ
アルファ波 8~13ヘルツ
ベータ波  13~20ヘルツ
ガンマ波  20~80ヘルツ
 

これらの異なった周波数のパルス列は、人間の認知的機能を知るための手掛かりであると考えられ研究が進められています。熟睡している時、浅い眠りで夢を見ている時などの『脳波』の違いは良く知られています。 

また異なった『ニューロン』が、ほぼ同時に『スパイク』を起こしている事象も観察されていて、何か意味を持っていそうだと推測はできますが、これもよく分かっていません。この場合は、『スパイク』のタイミングに意味があるらしいという推測になります。 

『スパイク』が、『脳』の活動の基本要因であることだけが分かっていて、活動全体の『しくみ』については、分からないことが大半であるということになりますから、科学者にとって、『脳』の解明は『宇宙』の解明より難物であるとも言えます。

『脳』は人間の『精神世界』を産みだす拠点でもありますから、『脳』の解明が如何に重要であるかは言うまでもありません。

私たちは誰もが『脳』を所有し、そのお陰で生きていますから、『脳』の事象を自ら観察することもできます。自分の体験をベースに『こういうことなのではないか』と考えをめぐらすことができます。つまり、誰もが『素人脳科学者』になれます。そして梅爺のように、自らの『心象』を『梅爺閑話』として表現しようという人間も登場します。

生物種として、偶発的な試行錯誤の中から、『生き残り』を最優先に選択し、代々継承してきた能力の一部が、『脳』の『認知機能』『情感機能』であることは間違いがないでしょう。

『認知』や『情感』は、やがて崇高な『宗教』『哲学』『芸術』などの『精神世界』を形成する要素になりましたが、原始的なレベルでは、『安泰の希求』という『生き残り』に直接かかわる本能がもたらしたものであったにちがいないというのが、梅爺の推測です。

こう考えれば、『人は何故好奇心を保有するのか(哲学、科学)』『人は何故神という概念を必要とするのか(宗教)』『人は何故感動を絆として共有しようとするのか(芸術)』が少しばかり見えてくるように感じています。

『安泰の希求本能』は、全ての生物に共通のものですが、そのレベルから高尚な『精神世界』にまで進化させたのは『人間』だけですから、私たちは『精神世界』を誇りに思うべきです。『精神世界』は今のところ神秘に満ちていて、分からないことだらけですが、いつまでも神秘にとどめておく必要はないと梅爺は考えています。神秘が解明されれば、少々驚くことにはなっても、人間の尊厳が失われることにはならないと考えています。

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2014年2月17日 (月)

ニューロンの発火『スパイク』(3)

『ニューロン』は、他の『ニューロン』から『シナプス(連絡路)』を介して送り込まれてきた電気信号(パルス)のエネルギー総量が、ある値(閾値:いきち)、に達すると、今度は自分自身が電気信号を発信して(『スパイク』して)、別の『ニューロン』へ情報を伝えます。

このことから『ニューロン』には、入力用の『シナプス』と、出力用の『シナプス』が連絡路として結合していることがわかります。

一つ一つの『ニューロン』は、化学反応、物理反応を利用した単純な処理要素に過ぎませんが、140億個の『ニューロン』が全体として創りだす世界は、目もくらむような『精神世界』となります。『素粒子』が全体として広大な『宇宙』を形成していることと、どこか似ているように梅爺は感じます。

『ニューロン』は、入力された電気信号を蓄積して、その量があるレベルを越えると、自分自身が今度は行動を起こすわけですから、数学的には『積分』行為であると言えます。更に『あるレベル(閾値)』は常に一定ではなく、経験が増えると『閾値が下がる』と推定されています。つまり、今までは10個のパルス入力が蓄積されないと発火(スパイク)しなかった『ニューロン』が、同じことを繰り返していると、8個の入力パルスや、5個の入力パルスでも発火するようになるのではないかということです。『ニューロン』には経験を記憶する機能があるらしいと想像できます。

練習や訓練をすると、私たちの反応は速まり、記憶も確かなものに変りますから、上記の『閾値の変化(低下)』は、納得がいく話です。

また、『頭の回転の速い人』や『物覚えが悪くなった老人』の『脳』で、何が起こっているかも推測ができます。『頭が悪い』というのは、『脳』の情報伝達、情報処理の効率が悪いことを意味し、ひょっとして効率を改善する方法が見つかれば、『頭が良い』人に変身できるのかもしれません。

梅爺は、『頭の良い』人を羨ましく思いますが、人為的に自分の頭を良くしてもらいたいとは願いません。梅爺の頭の程度は、梅爺の大切な『個性』ですから、死ぬまで、この愛すべき『程度』と付き合ってきたいと思います。

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2014年2月16日 (日)

ニューロンの発火『スパイク』(2)

『脳』のニューロンが、どのようにしてお互いに『情報交換』を行っているかという、基本的な『しくみ』に関しては、科学は解明しています。

ニューロンが『ある状態』になると、ニューロンはパルス状の電気信号を発し、その信号は連結路であるシナプスを介して他のニューロンへ伝えられます。このパルス状の電気信号を発する行為を『スパイク(発火)』と呼んでいます。

電気信号で情報を伝達するという『しくみ』は、人間の『脳』も、コンピュータも同じです。しかし、大半のコンピュータは、『クロック』と呼ばれる『基本周波数の時計』を用いていて、専門的には『同期型の情報処理』を行っていますが、『脳』は『クロック』を利用しない『非同期型の情報処理』を行っています。

『同期型』は、情報処理を論理的に進めやすい長所がありますが、情報処理の速度が『基本周波数』に制約されると言う短所があります。しかし、現在の『パーソナル・コンピュータ(PC)』の『基本周波数』は1Ghz以上になっていますから、1秒間に10億回の処理が論理的には可能で、普通の人間は速度の問題を感じません。しかし、『スーパー・コンピュータ』で『速さ』を競うような場合は、この『基本周波数』が問題になります。

一方『非同期型』は、効率は良いのですが、全体のシステム制御が難しいという難点を抱えます。人間の『脳』が、生物進化の過程で、徐々に規模や機能を拡大していったと考えると、何故『非同期型』なのかは分かるような気がします。『クロック』を常に作動させておくためには、エネルギーを必要とします(PCが熱を発する理由がそれです)ので、省エネの『非同期型』を採用したとも考えられます。

ニューロンの『スパイク(発火)』は、他のニューロンから複数の電気信号(パルス)を受け取り、蓄積された電気エネルギーがあるレベル(閾値:いきち)を超えた時に起こります。桶に水を注いで一杯になるとあふれ出るというようなイメージです。『スパイク』は純粋な、化学反応、物理反応ですから、『脳』を基本的に支配しているのは、『物質世界』の『摂理』であることが分かります。

『脳』が死の状態になれば、『スパイク』は起こらなくなります。人間の『生命活動』の基盤は、『スパイク』や、毛細血管で身体の隅々にまで、血流と一緒に、エネルギー源となる物質、タンパク質を作る物質、あるメッセージを伝える物質(ホルモンなど)を運搬する『しくみ』であることが分かります。

目もくらむような複雑なシステムである『生命活動(精神世界の活動も含む)』が、単純な『物質世界』の『摂理』で支えられていることを私たちは冷静に理解する必要があります。しかし、それは『生命活動』『精神世界』の崇高さを否定することではありません。『所詮人間はロボットと同じ』などと投げやりになる必要はありません。私たちに付与されている『個性』は、文字通りかけがえがないものなのですから。

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2014年2月15日 (土)

ニューロンの発火『スパイク』(1)

『脳研究の最前線(上下巻):講談社ブルーバックス』の上巻第六章は、『脳はどのように情報を伝えるのか(深井朋樹著)』を読みました。 

『脳』に関しては、断片的な研究成果は増えていますが、総合的には理解からは程遠い段階であることが分かりました。 

梅爺は『研究者の努力不足』などと非難する気持ちにはなりません。それは梅爺のような素人でも、『脳』が研究対象としていかに難物であるかを想像できるからです。 

人間の『脳』の容量は、1.4リットル程度ですが、この中に約140億個の脳神経細胞(ニューロン)が収められていて、各ニューロンは、シナプスと呼ばれる連結手段で結合し、非常に複雑な連結網(ネットワーク)を形成しています。 

現在地球上には70億人の現生人類(ホモ・サピエンス)が生活していますが、この倍の数の『ニューロン』が、一人の人間の『脳』の中で複雑なネットワークを形成しながら活動していることになります。ネットワークでの『情報処理』は、並列的、階層的であると考えられますので、そう簡単に『全貌の理解』が得られるはずがありません。 

その上、『ネットワーク』は生まれつき出来上がっているわけではなく、誕生後に、内部、外部の諸条件に応じて、時間をかけて整備されていくらしいことが分かっています。新生児のネットワークは、ランダムに繋がっっていますが、その後、不必要な結合が排除されて、必要なネットワークになっていくと考えられています。最初に『無駄』があって、その後に試行錯誤で有効なものが見出されて、その部分だけが残るという、プロセスは、なんとなく『生物進化』の本質を示唆しているように感じます。その上『ネットワーク』は固定的ではなく、内部、外部の要因で刻々と変わっています。つまり梅爺の脳の状態は、今と少し前では異なっていて、じっと同じ状態を保っているわけではありません。 

このことからも分かるように、私たちの『脳』のニューロン・ネットワークのパターンは、厳密にいえば、個人で全て異なっている上に、個人のパターンも刻々と変容していることになります。 

個性を持っている上にダイナミックに変貌するニューロン・ネットワークの機能を、普遍的に理解することが非常に難しいことも分かります。『脳』は、複雑な『並列処理コンピュータ』とみなすことができますが、実際の『コンピュータ』と異なるのは、一人一人がことなった『仕様』の『コンピュータ』を保有していることです。『パーソナル・コンピュータ(PC)』のように、規格化された同一の『仕様』でできてるわけではありません。

従って、各人は基本的には『同じような処理』を行っていますが、出力される『結果』は、『同じ』ではありません。このことが、『精神世界』の『個性』を産みだしています。『悲しみを感ずる』という意味では、同じように見えても『悲しみのレベル』は全員同じとは言えません。

『精神世界』の『個性』が、人間や人間社会を魅力的にすると同時に、おぞましい現象を引き起こす要因にもなっています。

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2014年2月14日 (金)

Big fleas have little fleas.

英語の諺『Big fleas have little fleas.』の話です。これは、『Big fleas have little fleas, upon their backs to bite 'em. And little fleas have lesser fleas, and so, ad infinitum.』という長い表現の最初の部分だけを引用していることを知らないと、何を言おうとしているのかは分かりません。梅爺は最初『大きな蚤が小さな蚤を食べてしまう』という意味かと勘違いしました。

長い表現を直訳すれば、『大きな蚤(ノミ)は、小さな蚤に背中を刺される。小さな蚤は更に小さな蚤に背中を刺される。この関係は際限なく続く』ということになります。『Ad Infinitum』はラテン語の表現で、『際限なく(究極に至るまで)』という意味です。

どのような大きさの蚤も、自分より小さな蚤に背中を刺される(血を吸われる)と同時に、自分より大きな蚤の背中にとりついてその背中を刺して(血を吸って)生きている、という際限のない『連鎖』が目に浮かんできます。

さて、そこまで理解した上で、『Big fleas have little fleas.』は何を言いたいのかを考えることになります。先ず、自然界の『生態系』や、『万物は繋がっている』という釈迦の教え『縁起』を梅爺は思い浮かべました。日本人の感覚で表現すれば、『世の中は、お互いさま』ということになります。『生きる』ことは『誰かに頼られ、誰かを頼る』ことと思い至たれば、自分だけが被害者であるとひがむことも、誰にも迷惑をかけずに生きているなどと尊大になることも、どちらも滑稽と分かります。

英語圏の人たちも、この諺の真意がつかめないらしく、インターネットには質疑が掲載されています。

一つの回答は、『どんな問題も追求していくと、更に細かい問題に行きつく』ということでした。これは『物質世界』の『摂理』を思い浮かべれば、納得がいく話です。科学は『宇宙』や『生命』の根源に迫っていますが、まだ究極の『真理』到達しているとは言えません。そもそも際限なく疑問が出現するなら、究極の『真理』は、存在しないことになります。どこかで『神』にお出ましいただいて、『はい、ここまで』と追求を打ち切りたくなる気持ちも分かります。一方、『際限なく真理を追い求める』という姿勢もロマンチックです。

もう一つの回答は、『どんな人間でも、その人なりの問題や悩み事はある』というものでした。貴賎、貧富、優劣など、違いがあってもそれなりに問題や悩みはあるということで、ごもっともな話です。しかし、そうであれば、人は生きている以上問題や悩みからは解放されることはないということになり、ストレスはたまりっぱなしになりますから、『神』や『仏』の存在を想定して、救済してもらおうという話になるのも無理からぬことです。

問題や悩みから解放されることを夢み、よい人間になろうと願いつづけることが人生かもしれません。『それは現実には不可能だ』などと訳知り顔にいうのは藪蛇です。『夢』や『願い』が、人間にとって『生きる』ことの力の源泉なのですから。

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2014年2月13日 (木)

『大化の改新』の真相(7)

梅爺は、2012年に明日香を訪れ、現場に立って歴史に思いを馳せることができました。『甘樫丘(あまかしのおか)』という小高い丘があり、これに登ると、眼下に明日香の都跡を、遠くに『大和三山』を望むことができました。

明日香は『蘇我一族』の勢力拠点であり、都もその支配下に造られたのでしょう。『甘樫丘』の中腹に『蘇我入鹿』の邸宅跡と見られる遺跡があります。権力者の邸宅と言うことで、さぞ豪邸と思いきや、発掘してみると、石垣や、倉庫が目立ち、邸宅と言うよりむしろ『砦』の印象が強いことがわかり、考古学者の間で論争の種になっています。

もし『砦』の色彩が強いとしたら、『入鹿』は一体誰から攻められることを懸念していたのでしょう。自分の身を守ろうと考えていたのか、それとも『明日香の都および天皇』を守ろうとしていたのでしょうか。

前者なら、自分に対する『敵対勢力』の決起をある程度予測していたことになりますし、後者なら、『ヤマト朝廷国家(天皇)』を外敵から守ろうとした忠臣であったという解釈になります。

『大化の改新』が無ければ、その後の日本の歴史は違うものになっていたでしょう。人間社会は、人間がつくりだす『事件』であれ、自然がもたらす『災害』であれ、それを起点に次の展開のための選択がなされます。『事件』や『災害』を事前に予測することは難しいことですから、その後の展開を予測することも一層むずかしくなります。

社会の変容は、『物質世界』の『動的に新しい平衡を求める変容』と似ています。『政治』『経済』『外交』なども、現象的には『動的平衡』の原理が働く世界です。

ただ、これらには人間の『精神世界』の価値観である意図や目的が絡みますから、『物質世界』の目的のない『変容』とは異なります。

個性を持つ人間の『精神世界』が絡む分、人間社会の変容は、『物質世界』の変容より、更に予測が難しいことが分かります。

あらかじめ将来を予測して対応することは、勿論大切ですが、生きていくことの大半は、『起きてしまったこと』を認めて、次にどうするかの選択をすることの繰り返しではないでしょうか。『防火』と『消火』の両方を行う必要に迫られます。

そのたびに、泣いたり、笑ったりすることになりますが、変容を全て予測できない人間にとっては、観念してそれを受け容れるほかに方法がみあたりません。『消火』ばかりしていないで、ビジョンをもって『防火』をしなさいなどと言われても、現実はそうはいきません。

他人の『間違い』の責任は厳しく追及しますが、自分の『間違い』には意外に私たちは寛容です。『何と自分は身勝手なのだろう』と気付くことができる人は、器の大きな人です。

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2014年2月12日 (水)

『大化の改新』の真相(6)

『大化の改新』の本当の『黒幕』は、この事件で退位した『皇極天皇』に変って『孝徳天皇』として即位した『軽皇子(皇極天皇の弟)』ではないかという説もあります。

『大化の改新』以降に行われた政治改革の内容は、確かに『明治維新』の『廃藩置県』と同様に、地方の自治権を弱め、中央政府直轄の方法への変換(公地公民、国郡制度など)ですから、中央集権的な律令国家を目指しており、表面的には『天皇の権限の強化』に見えます。しかし、それはあくまで『形式的な天皇権限を利用した改革』であって、実質的な政治の権力は、天皇の側近が担うという考え方が覆ることはなかったように感じます。

『中大兄皇子』もそれが分かっていたために、『天皇』にはならず、『皇太子』の地位をその後23年間も維持したのではないでしょうか。そう考えると、『軽皇子(孝徳天皇)』が『黒幕』とは思えません。『孝徳天皇』も、『権威の象徴』に止まっていて、後の『天武天皇』のような『天皇による親政』を求めて強引に振舞っているようには見えません。

『明治維新』が、『日本が列強の植民地になる』ことを避けるための、国家強化策であったように、『大化の改新』も、中国や朝鮮半島からの脅威に備えるための国家強化策を余儀なくされたのではと梅爺は想像します。『ヤマト朝廷国家』には、そのような外交上の緊迫感があったのではないでしょうか。

『明治維新』では先進列強の政治体制を模倣したように、『大化の改新』では先進大国『唐』の律令体制を参考にしたのではないかと思います。

『大化の改新』で行われた改革の多くは、現在の民主的な政治の視点でみても『善政』といえる妥当なものです。権力者が巨大な墳墓をつくることを制限したり(これで古墳時代が終焉した)、官位を世襲とすることを廃止したりしています。しかし、これらは、『民主政治』を目指したものではなく、『唐』に対抗する国家強化策であったと理解すべきではないでしょうか。

『蘇我一族』の支配は『徳川幕府』の支配、『中大兄皇子』『中臣鎌足』は『薩長同盟』と考えると、『大化の改新』は理解しやすいように思います。『蘇我一族』の横暴もあるとはおもいますが、その旧態依然の政治では『ヤマト朝廷国家』は危機に瀕すると言う切迫意識が、クーデターの背景にあるように思います。

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2014年2月11日 (火)

『大化の改新』の真相(5)

『大化の改新』で『蘇我入鹿』は殺害され、『入鹿』の父『蝦夷(えみし)』も追い詰められ、自宅館に火を放って自害しました。『大化の改新』は入念に計画され、数人だけで実行されたものではないことがうかがわれます。

朝鮮半島の三韓(百済、新羅、高句麗)から『ヤマト朝廷国家』への朝貢使者を迎える儀式の機会を利用して、クーデターは実行されたと言われていますが、梅爺は腑に落ちません。当時朝鮮半島は、国家間の争いが続いており、中国(唐)の介入もあって混乱していた時代ですから、三韓が仲良く一緒に『ヤマト朝廷国家』へ使者を送るとは考えにくいからです。いずれか一国が、『ヤマト朝廷国家』に同盟支援を求めて使者を送ってきたというなら、まだわかりますが、それにしても、そのような重要な外交の場で、わざわざ『ヤマト朝廷国家』の問題点をさらけ出すような事件を起こすとは思えません。後代に歴史書を書いた時に、当時の『ヤマト朝廷国家』が、朝鮮半島の国家より強大であったと言いたいために挿入した話ではないでしょうか。

『ヤマト朝廷国家』にとって、朝鮮半島との関係は交易による利益を独占するためにも重要であったと考えられます。『百済』との関係は比較的親密で、文化(仏教、学問)の交流があり、帰化人も受け容れていました。『馬子』の時代に、『新羅』が『ヤマト朝廷国家』に朝貢してこないということで、軍勢を送って威嚇し、『新羅』は戦わずに恭順の意を表して、『ヤマト朝廷国家』に使者をおくってきたりしていますので、『ヤマト朝廷国家』が優勢にあったことは、確かかもしれません。

『ヤマト朝廷国家』は、中国(隋、唐)へは朝貢使者(遣隋使、遣唐使)を送っていますから、自分たちより強い国家として認めていたと思われますが、朝鮮半島の国家は対等、または自分たちが優位と考えていたのではないでしょうか。いずれにしても、中国、朝鮮半島との関係は、その後の日本史でも常に重要な影響を及ぼす要因となっています。日本の歴史は、東アジアの中での日本を考慮しないと、理解できません。

近世、現代も中国、朝鮮半島との関係は、問題をはらみ続けています。文化、経済、人材の交流で、政治的な緊張を徐々に和らげるしか関係改善の道は無さそうですので、時間をかけて関係を修復するしかないのではないでしょうか。短慮な政治決着を計ることは、最も危険な結果を招きかねません。

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2014年2月10日 (月)

『大化の改新』の真相(4)

『大化の改新』で『蘇我一族』は歴史上すっかり悪者にされてしまいましたが、何から何まで悪者としてしまうのは極端です。殺された『入鹿』の祖父『馬子』は、権謀術数の策略家でしたが、『推古天皇』の代には、摂政『聖徳太子』の後ろ盾となっています。『聖徳太子』の偉業は、『馬子』の功績と言えないこともありません。本格的に日本へ『仏教文化』を導入したのも『馬子』が関与しています。 

『大化の改新』の約50年前に活躍した『聖徳太子』は、父は『用明天皇』で母は『欽明天皇』の皇女です。つまり『欽明天皇』は母方の祖父になりますが、『欽明天皇』の皇后は『蘇我稲目』の娘ですから、母方の祖母は『蘇我家』の出であることになります。分かり易く言ってしまえば、『聖徳太子』にも『蘇我家』の血が流れているということになります。 

当時の『天皇家』と『蘇我家』の婚姻関係は、複雑で、一度聞いたくらいでは頭に入りません。そのくらい『蘇我家』は『稲目』『馬子』の2代にわたって、『天皇家』の黒幕として権力をふるっていたことが分かります。『馬子』は自ら『天皇』になりたかったのではないかという説もありますが、梅爺はそうは思いません。 

もしその気があれば、4代の天皇に54年間にわたって仕えている間に、いくらでもチャンスはあり、『天皇』になっていたのではないでしょうか。『馬子』は『キング』になるより『キングメーカー』の座の方が、権力の中枢であることを理解していたはずです。 

『馬子』は表向きは『天皇』に仕えながら、気にいらない『天皇』は更迭しています。『馬子』の横暴を非難した『崇峻天皇』を、人を使って殺害して『推古天皇』を即位させました。権力闘争の中で、ライバルを滅ぼす、殺すという行為は、当時珍しいことではなかったと言えます。『大化の改新』もそのような事件の一つです。

『馬子』の時代に、『蘇我一族』に対抗した豪族は『物部一族』で、ライバルは『物部守屋』でした。『馬子』の妻は『物部守屋』の妹ですから、一時は、微妙な力関係を、婚姻でバランスをとろうとしたのでしょう。誰を『天皇』にするかで、『蘇我氏』と『物部氏』との間には争いが絶えませんでした。

一番分かりやすい対立の構図は、『蘇我氏』が仏教の擁護派であり、『物部氏』が、日本古来の神道の擁護派であったことです。宗教を手段とした権力闘争であったとも言えます。奈良の明日香近辺には、『蘇我氏』が建立した仏教の寺(飛鳥寺が有名)がいくつかあり、一方『物部氏』が祭祀した『石上(いそのかみ)神宮』が残っています。『聖徳太子』の仏教の理解度は大変深いものであったことは分かりますが、『馬子』が仏教をどの程度理解していたのかはよく分かりません。病気を治すために帰依したなどとも言われています。いずれにしてもこの時代『政治』と『宗教』は切り離しては考えられませんから、手段として『仏教』が有効であるとは考えていたのでしょう。

結局『馬子』の軍勢が、『物部守屋』の軍勢を河内国に追い詰め、勝利して(守屋を殺害し)実質的に『物部氏』は滅びました。

『馬子』は『聖徳太子』の後ろ盾でありながら、『聖徳太子』が『天皇』の実権を強化しようとすることには警戒を怠らなかったと言われています。

『聖徳太子』の死の4年後に、『馬子』もこの世を去りました。

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2014年2月 9日 (日)

『大化の改新』の真相(3)

『大化の改新』は、歴史の流れの中で理解する必要がありそうです。つまり、蓄積されてきた『因縁(人間関係)』、宗教の対立(伝来の仏教と、日本で古代から継承されてきた神道)、外交(中国や朝鮮半島との関係)、クーデター達成後の体制(天皇の実権強化、功労者の高官登用など)、国内経済基盤である東国(関東地方)の支配方針などの思惑が複雑に絡んでいるはずです。

この時代、『ヤマト朝廷国家』は、完全に日本全土を掌握していたわけではなく、地方には、表面的には『ヤマト朝廷国家』に従いながらも、かなり自由に振舞う豪族が存在していたと考えられます。『ヤマト朝廷国家』としては、いかに経済基盤となる東国を実質支配下に置くか、外国との交易を独占するかが、重要な政策であったはずです。

『大化の改新』で『蘇我一族』が滅びたというのは、単純すぎる観方です。確かに『稲目』『馬子』『蝦夷』『入鹿』と続いてきた『蘇我家本流』は滅亡しますが、『馬子』の孫にあたる『蘇我倉山田石川麻呂(娘は中大兄皇子の妻)』は、『中大兄皇子』『中臣鎌足』に加担して、クーデター後は、右大臣の要職に就いています。『蘇我一族』の中でも『本流』と『傍流』には確執があったことが分かります。

『中大兄皇子』は、実に興味深い人物です。クーデターの最大功労者でありながら、直ぐに天皇に即位することを避け、クーデター後、23年間皇太子であり続けます。非常に奥ゆかしい人というより、したたかな策略家であるように梅爺は感じます。クーデターの時は19歳で、『天智天皇』として即位したのは42歳の時でした。

『皇太子』の方が『天皇』より政治の『黒幕』に徹しやすいという面もあろうかと思いますが、じっくり周囲を観察し、機が熟するのを待ったという風にみえます。

『大化の改新』で、皇極天皇(中大兄皇子の母)は退位しますが、『中大兄皇子』は、『天皇』の座を辞退し、叔父(皇極天皇の弟)の『軽皇子』が『孝徳天皇』として即位します。そうしておきながら、今度は『孝徳天皇』と意見が合わないということで追い詰め、孤立させ、『孝徳天皇』を実質死へ追いやります。今度こそ『中大兄皇子』は『天皇』になるのか誰もが思ったに違いありませんが、またまた辞退し、母親(元皇極天皇)が、再び『斉明天皇』に即位することになります。気にいらない人物は排除するという酷いことをやっておきながら、『私は天皇の器ではない』と言い続け、周囲が『どうかお願いですから天皇をお受け下さい』と懇願する状況を根気よく創っていったように見えます。権謀術数の最たるものではないでしょうか。

もう一人のクーデターの功労者『中臣(藤原)鎌足』も、興味深い人物です。元々神官の家系と言われていますが、少なくとも豪族の家系ではありませんので、才覚だけでのしあがってきた人物なのでしょう。

神官の出であれば、仏教を重視する『蘇我一族』に反感を持っていたとも言えます。『中臣鎌足』は、『大化の改新』後、新設された『内大臣』の重職に就いていますから、大抜擢、大昇進を果たしたことになります。才覚と同時に、世渡り上手な人間のように見受けられます。

後に天皇から『藤原』姓をたまわり、『鎌足』の子『藤原不比等』は、大権力者になり、『藤原摂関家(せっかんけ)』の時代が到来することになります。

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2014年2月 8日 (土)

『大化の改新』の真相(2)

『天皇』の中には、『形式的な支配者ではなく、実質的な支配者になりたい』と考える人物が出現するのも当然です。歴史上、もっとも成功したのは『壬申の乱』を制し天皇になった『天武天皇』ではないでしょうか。 

強力な『天皇直接の親政』を敷き、後継者の『持統天皇(天武天皇の后妃)』の後は『万世一系』という、男子継承という基本的な考え方も確立しました。勿論その後も『女性天皇』は出現しましたが、徐々に『万世一系男子継承』が主流になっていきます。『天武天皇』以前の『天皇』は、皇族から選ばれていますが、選択基準は厳格ではなく、『皇子』『皇妃』『天皇の兄弟』などが『天皇』に即位しています。 

『天皇』の下で、実質権力者になろうという人物は、『大臣』などの高い位を獲得することは当然として、娘を『天皇』に嫁がせ、孫を『天皇』にして、権力の座を確固たるものにしようとします。『蘇我馬子』『藤原不比等』『平清盛』など、すべて同じパターンですが、こういう権力者は、比較的長期にわたって、権力の座にいなければ『うまい汁』は吸えません。その間ライバルや、不都合な人物は抹殺するなどの権謀術数を振るうことになります。 

『蘇我馬子』は、『敏達天皇』の大臣になってから、『用明天皇(母は馬子の姉)』『崇峻天皇(皇妃は馬子の娘)』『推古天皇(母は馬子の妹)』の4代の『天皇』に54年間にわたって仕え、権力の座を確固たるものにしました。明日香に残る『石舞台』は、『馬子』の墳墓と考えられています。その規模をみると、実質的に『天皇』を凌ぐほどの権力を握っていたことは、容易に推測できます。 

『蘇我馬子』の父は『蘇我稲目』で、『稲目』の代も、大臣になって娘を『天皇』へ嫁がせるパターンは同じです。『稲目』の妻は、豪族『葛城一族』の出ですので、『蘇我一族』は『葛城一族』の権力も継承していると考えられます。 

『蘇我馬子』の妻は、『物部守屋』の妹です。後に『蘇我一族』と『物部一族』は、宗教的な対立などで争うことになり、結局『蘇我一族』は『物部一族』を滅亡に追いやります。滅亡に追いやったライバルの妹が自分の妻という、なんともおどろおどろしい話です。

現代でも、財界の大物の子女同士の結婚、政治家の子女同士の結婚は、よくある話ですので、当時の権力者の価値観だけを非難はできません。結婚を人生の有利な条件として利用するという考え方は、いざとなれば誰もが考えることかもしれません。『愛が全て』などと綺麗ごとだけで、この世は済まされないということでしょう。

『大化の改新』で殺された『蘇我入鹿』は、『馬子』の孫ですが、『馬子(祖父)』『蝦夷(父)』と受け継いできた価値観を、当たり前のこととして振舞ったために、『目に余る横暴な権力者』になっていったのではないでしょうか。何となく、北朝鮮の『将軍様』3代継承を想起してしまいます

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2014年2月 7日 (金)

『大化の改新』の真相(1)

『日本の古代史は謎だらけ』というブログを前に書きました。5世紀以前の文字資料がほとんどに時代の検証は、『謎』が残るのは当然ですが、文字文化が定着した6世紀以後の歴史も、はっきり断定できないことが沢山あります。その分、専門外の人でも『あーだろう、こーだろう』と勝手な想像ができますから、歴史は好奇心をかきたてる材料になります。 

日本人が大好きな『有徳のリーダー:聖徳太子』も、その様な人物は本当は存在しなかったのではないかという説まであります。 

『大化の改新(645年)』のように、その後の日本の歴史に大きな影響を与えた事件も、真相は必ずしもはっきりしていません。 

後に編纂された『古事記』『日本書紀』も、天武天皇、藤原不比等などの為政者の意図が反映していますから、必ずしも正確な事実だけで構成されているとは限りません。 

『大化の改新』は、『中大兄皇子と中臣鎌足が結託してクーデターを起こし、蘇我一族の中心人物である蘇我入鹿を皇極天皇の御前で殺害した事件、これにより天皇中心の律令国家体制が強化された』と歴史の時間に習った程度の知識を私たちは保有しています。 

印象としては、『善玉(中大兄皇子と中臣鎌足)』が『悪玉(蘇我入鹿)』を倒し、蘇我氏によって私物化されていた権力が正しい道へ戻された歴史事件と受け取られています。しかし、へそ曲がりな梅爺は、『そのように単純な話ではないのではないか』と疑いを持っています。

梅爺は、当時の時代背景を必ずしも理解していませんので、誤認、誤解が混入することを承知で、勝手な推論を試みたいと思います。一人の爺さんが勝手にそう思っているという話ですからご容赦ください。

『大化の改新』は、雅(みやび)な宮廷環境で、突然不似合いな『血なまぐさい事件』が起きたような印象を受けますが、当時は、権力をめぐって、ライバルや自分に不都合な人物を死へ追いやることは、日常茶飯事の出来事であったのではないでしょうか。

諸外国と日本の歴史の違いの一つは、諸外国の『王』や『皇帝』の多くが、組織の頂点に位置し『実質支配を行う権力者』であるのに対し、日本の『天皇』は、『形式的な権威者』で、『実質支配を行う権力者』では必ずしもないということのように思います。『形式的権威(天皇)』と『実質的権威(為政者)』という実に巧妙な2重構造が、何故、どのように日本に定着したのかは、非常に興味深いことです。『卑弥呼』がそうであったように、『天皇』は『神との関係』の色合いが濃く、世事は配下の側近達が代行するという構図が、『ヤマト』の建国以来受け継がれてきたのでしょうか。『神事』は『天皇』、『俗事』は臣下の権力者という住み分けになります。

『ヤマト』は、『天皇』の強力なリーダーシップで建国されたといういうより、豪族たちが、宗教的なリーダーを祀り上げて、自分たちの実質支配権益は確保するためにできた国家体制のように思えます。

豪族たちは、『天皇』になることより、見掛け上の臣下の位にとどまり、実質的な権益を享受した方が、『甘い汁が吸えて』ずっと得であると考えていたのではないでしょうか。勿論『天皇』の座を巡る抗争もありますが、豪族たちは、いかに『天皇』直下の高い臣下の座を確保するかで争うことになります。

豪族たちは、自分の娘を『天皇』の『皇妃』として嫁がせることで、実質的に『天皇』を支配しようとします。表向きは『臣下の礼』をとりながら、実質は国の為政者として権力をほしいままにするという、じつに巧妙な手段が横行することになります。

明らかにこのような手段で権力の中枢を握った人物が、『蘇我入鹿』の祖父『蘇我馬子』であり、後の『藤原不比等』なども同じ手段でのし上がりました。平安時代以降武士の時代になりましたが、この『天皇』を形式的にまつり挙げて、実質支配をするという構図は続きました。現代の『民主国家日本』も、基本的にはこの構図を継承しています。

実質支配者の権益を受け継いできた『蘇我入鹿』を、排除したいと考えた人たちによって『大化の改新』は実行されましたが、『中大兄皇子』と『中臣鎌足』が正義心だけで立ち上がったという単純な事件とは思えません。

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2014年2月 6日 (木)

カール・ジェンキンス『平和への道程』(2)

第二部の『平和への道程』は、オーケストラと合唱(混声合唱、児童合唱)のための作品で、13曲から構成される『組曲』形式になっています。内4曲は、『キリエ』『サンクトゥス』『アニュス・デイ(神の子羊)』『ベネディクトゥス』とラテン語のミサ曲の歌詞を流用したもので、曲想もミサ曲、レクイエム(鎮魂ミサ曲)などと類似していますので、全体としてはミサ曲の印象を受けます。 

作曲家の『カール・ジェンキンス』は、1944年の英国ウェールズ出身で、若いころはジャズ・ピアニストでもあり、ロック・バンドに加わっていたという経歴の持ち主です。この経歴をパンフレットで読んで、梅爺は、ジャズ風のリズムや和音進行を勝手に想像しましたが、実際の演奏を聴いてみると、ケルト音楽の抒情性などは感ずるものの、その他は極めてオーソドックスで宗教的な曲想であることが分かりました。 

『平和への道程』の原曲タイトルは『The Armed Man  A mass for Peace(武装した男 平和を望むミサ)』で『コソボの犠牲者に捧ぐ』というサブタイトルがついています。『武装した男』と『市民の犠牲者』という、人間の異なった側面を対比し、人間が抜け出すことができない不条理な行為『戦争、虐殺』を嘆く『レクイエム』として作曲したものであることが分かります。 

コソボ紛争は、1996年~1999年にかけて、旧ユーゴスラビアの『コソボ』地区で起きたアルバニア人の独立運動に関る争いで、セルビア軍が独立を阻止するためにコソボの爆撃を行いました。この行為が非人道的であるとして、NATOがセルビアを爆撃し、一般市民を含め多くの犠牲者が出ました。 

コソボ地区は、過去にオスマントルコに支配されていた経緯もあり、アルバニア人の多くがイスラーム信者ですが、実際はかなり世俗的で、現在では無宗教の人も増えているとも言われています。ただ、独立運動の時には、イランや、アルカイダからの援助があったと言われていて、アメリカはこの独立運動勢力を『テロリスト集団』と認定していました。アルバニア人、セルビア、NATO、アメリカと思惑が異なった勢力が、20世紀の最終段階で、悲惨な殺戮合戦を繰り広げていたことになります。『民族対立』『宗教対立』などが原因で一度紛争が始まると、双方が『我に正義あり』と主張して、徹底虐殺も正当化するというパターンは、昔も今も変わりません。 

『平和への道程』という組曲では、この不条理を端的に表現するために、『武装した男を歌うフランスの古謡(第1曲)』『イスラームでモスクのミナレット(塔)から流れる礼拝を促す歌アザーン(第2曲)』『血ぬられた人から我を救い給えという旧約聖書詩篇の引用(第4曲)』『出陣前に武運を願うキプリングの詩の引用(第6曲)』『戦闘は避けられないというスウィフトの詩の引用(第7曲)』『広島で被爆した峠三吉氏の原爆投下直後の地獄のような光景を表現した詩(英訳)に曲をつけたもの(第8曲)』『悲惨な虐殺を歌ったインドのマハーバーラタの引用(英訳)(第9曲)』『今や銃声は止んだというウィルソンの詩の引用(第11曲)』『平和が望ましいという切なる願い(第13曲)』が、ラテン語のミサ曲の合間に挿入されています。

清冽な宗教的雰囲気のレクイエムではなく、軍靴の足音や、大砲の炸裂音がドラムで表現される異色のレクイエムです。主旨はブリテンの『戦争レクイエム』とも類似していますが、イスラームの『アザーン』や、ヒンドゥー教の『マハーバーラタ』を引用している点は、むしろ宗教への期待と不信が垣間見えるような気がしました。『平和への願い』で終わっていますが、『平和は夢想』というあきらめも感じられるやるせない終わり方でした。

これら人間の不条理に関する表現は、人間の言葉でないと表現できませんから、人間の声(合唱)が、最高の『楽器』であることも再認識できる作品と言えます。

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2014年2月 5日 (水)

カール・ジェンキンス『平和への道程』(1)

2月2日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで開催された、NPO法人『音楽の共同作業場』主催の演奏会を、梅婆と聴きに出かけました。

梅爺の大学時代の合唱仲間で、現在も東京大学OB男声合唱団『アカデミカ・コール』で一緒に歌っている畏友Uさんと奥さまが混声合唱団のメンバーとして、この演奏会の2部プログラム『平和への道程(カール・ジェンキンス作曲)』で、演奏に参加されるのを拝聴するのが主目的でした。

今回の演奏会は、『地雷で傷ついたアフガニスタンの子供たちに車椅子を贈るベネフィットコンサートPART12』ですから、NPOが地道な努力を継続しておられることが分かります。

プログラム内容は以下でした。

第一部 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(ブラームス)
   ヴァイオリン: 中島ゆみ子  チェロ: エリック・ウィリアムス
 

第二部 平和への道程(カール・ジェンキンス)

第一部、第二部ともに、オーケストラはオラトリオ・シンフォニカJAPAN、指揮はジェフリー・リンク氏で、第二部の合唱には、4名のソリスト(ソプラノ、アルト、テノール、バス)とアマチュアの混声合唱団(東京ライエンコーア、東京オラトリオ研究会)、児童合唱団が共演しました。

『オラトリオ・シンフォニカJAPAN』は、プロの若手楽器演奏家が、コンサート開催の目的で結集するオーケストラで、大変質の高い演奏に、いつも感銘を受けます。

少し余談になりますが、日本には沢山のプロ、アマのオーケストラが存在します。プロの頂点にある、『N響』『東フィル』『日フィル』『読売日響』などのレベルは、当然世界に評価される高いものです。世界には『ベルリン・フィル』『ウィーン・フィル』『ロンドン・フル』『ボストン・フィル』など著名なオーケストラがありますが、レベルの高さでは日本のオーケストラは、少しもひけをとりません。梅爺は『N響』のファンで、毎週日曜日にNHK地上波教育放送で、放映される『N響定期演奏会』を録画して楽しんでいます。

このほか、日本の合唱団、吹奏楽団の数やレベルも、世界に誇れます。世界で活躍する、指揮者、ソロ演奏家も数多くおられます。音楽が国の文明度を表す指標の一つであるとすれば、日本は世界屈指の文明国です。

今回の指揮者『ジェフリー・リンク』氏は、アメリカを中心に活動している方です。梅爺は浅学にして今までその存在を知りませんでした。拝見するところでは、大変オーソドックスな指揮ぶりで、多分リハーサルでは、人間味豊かにオーケストラや合唱の団員を指導されるタイプではないかと想像しました。

第一部の『ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲(ブラームス)』は、ブラームスが永年不仲であったヴァイオリニストのヨアヒムとの仲を寄り戻すために、ヨアヒムの意見を取り入れながら作曲した曲として有名です。

4つの交響曲を作曲し終わり、次の交響曲の構想を練っていた時と符合するため、結局こちらにエネルギーを使い、その後交響曲は作曲されなくなりました。そういう理由からか、二つの弦楽器(ヴァイオリンとチェロ)の重奏曲でありながら、バックはフル編成に近いオーケストラで演奏されますので、極めて『交響曲』風の二重奏曲になっています。

初演の後の評価は賛否両論であったようですから、もう少し楽器の数を絞って、『室内楽』風であることを望む声があったのかもしれません。 

二人のソリストの感性と、バックのオーケストラの音楽をどのように組み合わせるかが指揮者の腕の見せ所で、ソリストにとってもオーケストラにとっても難曲せあろうと推察しましたが、梅爺は、心地よく聴けました。

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2014年2月 4日 (火)

もし地球に月が無かったら?(4)

『松本清張』の推理小説で、最後に事件の真相が明らかになる時に、日常生活ではとても起こりそうもない、『偶然』が謎解きの鍵であったりして、『いくらなんでもリアリティに欠ける』と、白けることがあります。 

私たちは、『その様なことが起こる確率は、通常ありえない』と判断する自分の感覚で、他のことも判断しようとします。思いがけない所で思いがけない人と出会ったりしたり、もうだめかと覚悟した病人が恢復したりすると、『信じられない奇跡が起きた』と言い、その背後に眼に見えない『神仏のお導き』があるのではと推論します。『人間の肉体や脳の驚くべき複雑なしくみ』を知れば、これが『偶然』の積み重ねで出来上がったなどとは、とても思えませんので、『人間は神様が創ってくださった(神がデザインした)』という説明の方が説得力があると考えます。因果関係を何としても見いだして『安堵』したいという『精神世界』の本能が作用するからではないかと梅爺は考えています。 

しかし、『物質世界』の変容は、『形式的な数学の世界』ともいえる『ルール』に従って起きているだけで、『奇跡』は存在しないと科学者は考え『ルール』を明らかにしようと努力しています。勿論、『物質世界』にも、人類が理解できていない事象は未だ沢山ありますが、それは『ルール』が見つかっていないからだと考えています。『物質世界』では『不均衡(インバランス)』を『均衡(バランス)』に変えようとして、諸要素の相互関係が変動することで『変容』が生じます。部分的な小さな『不均衡』が、全体を大きく『変容』させる結果にもなります。

言い方を変えれば、『物質世界』の『変容』には、あらかじめ定められた『ビジョン』『目的』『デザイン』は存在しないように見えます。その時の諸要素の相互関係で、次の状態が産みだされることの繰り返しで、『動的に新しい平衡を求めて変容している』という表現が当たっています。『宇宙』も『人間の身体』も『動的平衡』の原理で変容をしているだけです。

一方『精神世界』では、『ビジョン』『目的』『デザイン』は極めて重要な概念で、個人の人生、社会の効率に大きな影響をあたえます。したがって『物質世界も、見えないビジョン、目的、デザインが存在し、それへ向かって変容している』と考えたくなりますが、梅爺は『物質世界と精神世界は同じではない』と割り切るようになって、自分の中の多くの矛盾が解消しました。

『ビッグ・バン』『太陽系』『地球』『月』が、偶然の積み重ねの『変容』で出現し、それでできあがった『地球環境』で、これまた偶然の積み重ねで、『生命』が出現し『人間』にまで進化したという話を聞いても、梅爺は『松本清張』の推理小説のように白けたりしません。これほどの偶然の積み重ねは、人間の感覚では『奇跡』ですが、『物質世界』の『ルール』からみれば『奇跡』でもなんでもありません。

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2014年2月 3日 (月)

もし地球に月が無かったら?(3)

『ジャイアント・インパクト』で、鉄などの重い元素は地球内部へ残り、水分、炭酸ガス、窒素ガスなどが放出されて、『地球』に『大気』ができたと考えられています。やがて、『地球』の表面温度が下がり、大気の中の水分は『雨』となって降り注ぎ、灼熱の天体であった『地球』は、一転して全球『海』に覆われました。

その後、『地球』内部のマグマは火山活動で噴出し、溶岩が固まって『陸』が形成されたと推定されます。大気に『酸素』が含まれるようになったのは、後に『光合成』をする『植物』が誕生したためです、『酸素』のお陰でその後多くの『動物』が生息できる環境ができあがりました。

当初の『月』は、現在より『地球』に近い軌道を周回していましたので、『月』の重力は今よりも強く、『陸』と『海』の境界は、顕著な『潮の満干(みちひ)』が繰り返されました。

この『水が存在したり、しなかったりする環境』に紫外線が照射されると、無機物質から後の『生命』を構成する重要物質『RNA(リボ核酸)』が出来上がることが、実験室で確認されています。『RNA』は『DNA(遺伝子)』を形成するには不可欠と考えられています。『DNA』のおかげで『生物』は『世代交代』が可能となり、現在まで『命』を継承してきたことになります。

『生命』には『水』は必須の要件であるにもかかわらず、『生命』の遺伝子を形成するのに必要な『RNA』をつくるには、化学的には脱水還元が必要であり、『水』の中では出現しない(水は邪魔な要素)という、一見矛盾した事象を説明するには、浜辺の『潮の満干』という環境を想定するしかないという推論です。

最初の『生命』は、海底の熱噴出口近辺という説が有力ですが、この環境で『RNA』が形成されることを実験では再現できませんので、『仮説』の域をでません。

このように考えると、『ジャイアント・インパクト』が無ければ、『地球』の地軸が23°傾くこともなく(季節が生まれず)、海と陸が出現することもなく、『月』も存在せず、『潮の満干』も起きなかったとすると、『地球』に『生命』が誕生しなかったという推論になります。

『ビッグ・バン』以降、『銀河』の誕生、『太陽系』の誕生、『地球』の誕生という、『動的平衡』を求めた偶然の『変容』が無ければ、私たちは存在しないという話に加えて、『地球』誕生後も、『ジャイアント・インパクト』などの偶然の『変容』がなければ、私たちは存在しないということになりますから、気も遠くなるような偶発的な事象が積み重ねられて最初の『生命』が誕生したことが分かります。

『ビッグ・バン』から、『地球』での『生命』誕生まで、約100億年を要したことになります。私たちは『生命』の見事なしくみを観て、『これは神のデザインとしか考えられない』と推論しますが、実は、途方もない時間をかけて、これまた途方もない数の試行錯誤が繰り返され、環境に適した遺伝子を継承する子孫のみが生き延びてきたのだと理解できます。『単細胞生物』が進化して『人間』のような高度な『多細胞生物』になるために、いかに効率の悪いプロセスが繰り返されたかを考えると呆然となります。それでも『生命』が絶えることなく継承されてきて、『人間』はついに『精神世界』までも獲得したわけですから、変容を支えてきた『自然の摂理』に感謝するほかありません。

これが『神の意図』で行われたのであるとすると、『神は効率の悪い方法を好み、実に辛抱強いお方』であるということになります。

『ビッグ・バン』と『生物進化』は、『物質世界』が変容するのは『動的平衡』が要因であり、宗教の定義する『神の意図』は関与していないらしいことを明らかにしました。『動的平衡』による変容には、『目的』は存在しません。『目的』の視点で観ると、『生物進化』は極めて効率の悪い手段です。

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2014年2月 2日 (日)

もし地球に月が無かったら?(2)

『月』は言うまでもなく、太陽系の惑星である『地球』を周回する『衛星』です。太陽系の他の惑星『木星』『土星』なども『衛星』を保有しています。

『月』は太陽系の『衛星』としては、五番目の大きさで、直径は3474Kmです。『地球』からの距離は、約38.4万Kmですが、周回軌道は真円ではありませんので、厳密には近づいたり、遠ざかったりしています。

『月』はどのようにしてできたのかについては、太陽系ができた(46億年前)直後に、『地球』へ『原始惑星(ティア)』が衝突したことによるとする説が有力です。そのように考えると、観測されている色々な事実が、最も矛盾なく説明できるからです。

『ティア』は『火星』ほどの大きさの惑星であったと考えられていますから、天体同士の『大衝突』で、『ジャイアント・インパクト』と呼ばれています。『月』のクレーターは、小天体との衝突の跡ですから、太陽系誕生の直後は、天体の衝突は頻繁であったと想像できます。

アポロ計画で、『月』から持ち帰った岩石の成分を分析した結果、『地球』の岩石の成分とほぼ同じであることが判明しました。『ティア』の成分は、『地球』とは異なっていたと考えられますから、『ティア』の痕跡が『月』で発見されないのはおかしいとして、『ジャイアント・インパクト』説に疑問が投げかけられましたが、その後、当時の『地球』の自転の速さ(現在よりはかなり速かった)を考慮して、『ジャイアント・インパクト』をコンピュータ・シュミレーションをした結果、『ティア』は衝突で『地球』内部へ取り込まれ、『地球』の表面近くの物質が、宇宙へ飛散し、それが集まって『月』になったと推定することで、謎が解けました。

最初の『月』は、『地球』から2万Kmの距離のところにできたと考えられています。更に同じ周回軌道上に、二つの『月』があったとも考えられています。第二の『月』は、第一の『月』の1/3の大きさで、誕生から1億年後に二つの『月』は接近衝突し、現在の『月』になったという説です。『月』の地殻の厚さが、表(『地球』へ向いている面)と裏とでは、異なっていることの理由が、これで説明可能になります。『月』はその後『地球』から段々遠ざかりました。現在でも毎年3.78㎝づつ遠ざかっています。

『地球』と『ティア』の衝突で、『地球』の自転軸は、約23°傾きました。この地軸の傾きが『地球』に『季節』をもたらすことになりました。この傾きが生じなければ、『地球』には『季節』がなく、1日の寒暖の差も大きくなりますから、『生物』は生存できないであろうと学者は推定しています。『生物』は寒さだけ、暑さだけには、ある程度耐えられるように進化しましたが、極端な寒さと暑さの繰り返しには、いかなる『生物』も対応できないと考えられるからです。

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2014年2月 1日 (土)

もし地球に月が無かったら?(1)

NHKBSプレミアムチャンネルの宇宙科学番組『コズミック・フロント』を観て、『もし地球に月が無かったら、地球に生物は誕生しなかった』かもしれないことを知りました。

梅爺は『What if the Earth had two moons?(もし地球に月がふたつあったら?)』という英語版ペーパーバック(ノン・フィクション)を購入し、未読のまま書棚に積んであります。『もし、○○なら?』という、想定でアメリカの天体物理学者たちが、『太陽系』について思考をめぐらせるという趣向の本で、本のタイトルは、10個の想定の中の一つを流用しています。

『地球に月が二つある』は、純粋な頭の体操のための想定であろうと思っていましたら、『太古の地球には本当に月が二つあったかもしれない』ことを番組で知り、驚きました。

『太陽』『月』『星』は、太古の人類にとって『不思議』な存在であったことは容易に想像がつきます。『太陽』『月』『星』の動きを観察して、それらが『季節』と連動していること、つまり『周期性』を有していることを知ります。『暦』を考案し、人間社会の営みをこの『周期性』と関連付けることで、『農耕』などを効率よく行うようになりました。人間以外の他の生物も、天体を感知する能力をもつものもありますが、『周期性』という普遍的な『抽象概念』として把握できるのは、『人間』だけのように見えます。高度な『精神世界』の能力がそれを可能にしています。

『何故周期性が存在するのか?』は、勿論理解できていたわけではありませんが、関連する『普遍的なルール』を利用する『知恵』を手にしたことになります。『関連する普遍的なルールを先に見つけて、これを利用する知恵』が、その後も人類文明を推進してきました。

『携帯電話が利用する無線通信のカラクリ』『インターネットのカラクリ』『テレビの画像処理のカラクリ』『パソコンの情報処理のカラクリ』などを、多くの人は理解せずに、提供された『便利さ』だけを利用しています。内部で何が行われているのかについては興味を示しません。それでは専門家は何もかも知っているのかというと、そうではなく、程度の違いだけで、やはり手に入れた『関連する普遍的なルール』だけを理解して利用しているに過ぎません。『物質世界』の奥の奥に存在するであろう『摂理』の大元は、科学者といえどもまだ理解できていません。

表面的な『便利さ』『快適さ』だけで満足し、内部で何が行われているのかを知らないで過ごす習性に慣れてしまうと、ある時、とんでもない『しっぺ返し』を受けることになりかねません。『福島原発の事故』などはその例です。

何もかも疑いながら生きていくことはできませんが、何も疑わないことも、人生を危険にさらしかねません。

大昔の人は、『太陽』や『月』に関連するルールは見つけて、利用することを始めましたが、何故『太陽』や『月』が存在するかは、理解できませんでしたので、『太陽』や『月』は『神の化身』と考えて、自分を納得させようとしました。『不思議』なものは全て、『神や霊が宿る』という推論で対応したと考えられます。現代社会にも、この習性は踏襲されていて、多くの人が、『神や霊』は『精神世界』にのみ存在する『抽象概念』なのか、『物質世界』にも実態として存在するものなのかと、深く考える(疑う)ことなく『神や霊の存在』を『信じて』いるように見受けられます。

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