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2013年12月29日 (日)

生かされている(1)

梅爺の興味の対象の一つが『生命』です。『生命の起源』『生命のカラクリ(生物分子学)』『生物進化』などは直接的に関連しますが、『宇宙の起源と歴史』『人類の出現と人類学的な歴史』『人間の脳のカラクリ』などは、間接的な関連があり、何度も何度もブログで取り上げてきました。多分、『宗教』『哲学』『芸術』などの話題も、突き詰めれば『生命』や『脳のカラクリ』と深い関わりがあるのでしょう。

『生命』は科学の対象として観れば、非常に複雑なしくみではありますが、基本は『化学』『物理』の法則で説明ができます。人間の『生命』も例外ではありません。その非常に複雑なしくみは、それだけを観ると、あまりにも巧妙にできている驚異的なものですから、『こんなものをデザインできるのは神様だけ』と考えたくなります。昔の人が、神に依る『天地創造』を信じたのは無理からぬことです。『宇宙』や『生命』は、当時の人間の知力をはるかに超えたものであったからです。しかし、私たちは自然の摂理が偶然によって産み出すものは、人間の想像をはるかに超えていることを知るようになりました。『科学』はこの自然の摂理を後追いで探究する行為であるとも言えます。

現代の科学でも、『宇宙』や『生命』の全てを解き明かしたわけではありませんが、それでも、多くのことが判明したり、定説として定着したりしています。20世紀は、人類にとっては『科学の世紀』で、私たちは、それ以前の人類とは、『別世界』で生きているといっても過言ではありません。19世紀以前の『考え方』は、古い、間違いとして全て切り捨てる必要はありませんが、少なくとも新しく獲得した『科学知識』で、見直してみる必要があります。残念なことに、現在学校で使われる教科書の内容は、大半が古いもので、最新の科学知識に更新されていません。従って、現代人の多くは、最新の科学知識を利用はしていながら、その内容を理解していないというチグハグな状態で生活しています。

最新の『科学知識』を本当に理解している人は、現代では一握りの人たちです。しかも、全貌を理解している人はほとんどいないと言えるほど、個々の科学領域が複雑化しています。この一握りの『知っている人』と大半の『知らない人』の間に生ずる種々の問題が、21世紀の人類の課題の一つとジャーナリストの立花隆氏は指摘しています。原発の事故が起きて、類が自分に及んではじめて多くの人が『安全であると聞かされていた』と、自分の無知を棚に上げて、一握りの人たちの判断を批難し始めたことをみれば、これが慧眼であることが分かります。国家のリーダーになるような人は、少なくても最新の『科学』の本質だけは理解しておく必要がある時代になりつつあるということです。『知らない人』が、『情』にまかせて原発の将来を論じてみても、役に立ちません。

『生命』を『科学』だけで論ずるのは、あまりにも『唯物論』すぎると、違和感を多くの方は抱かれるのではないでしょうか。『生命』の基本は、化学、物理現象にすぎないというだけでは、あまりにも味気ないからです。梅爺もそう思います。たとえば『生命』の尊さを『科学』では推し量れないというのはその通りですが、逆に『生命』の問題を、『一つの命は地球より重い』などと形而上学的な表現だけで論ずるのも『唯心論』すぎるように思います。

『生命』は、味気ないものでもあり、深遠な意味が込められているものでもあるという、矛盾するように見える両面を承知の上で、『生命』の問題に立ち向かう必要があるように思います。『生命』の解明しようという科学者には、特にこの姿勢は求められます。

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