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2013年11月30日 (土)

音楽という芸術の特殊性(9)

『オーケストラ』や『合唱』は、『作曲家(楽譜として作品を表現)』『演奏家(実際の演奏で作品を表現)』そして『指揮者(作曲家の意図を楽譜から読み取り、自分の解釈を加えて演奏の詳細表現のありかたを指示)』の3者で、『作品』が成り立ちます。 

『作曲家の意図(楽譜に表現されている)』が最も尊重されるのは当然ですが、次に重要な役割を果たすのが『指揮者の解釈』で、『演奏家』は原則として、『指揮者の指示』に従って演奏します。それでは『演奏家』は、自分の『精神世界(個性)』を発揮するチャンスが皆無かというと、そうではないところが『音楽』の面白い所です。『作曲家』『指揮者』『演奏家』の異なった『精神世界』が、階層的に紡ぎだす『総合表現』が、聴衆に伝わることになります。 

非凡な『指揮者』は、『作曲家』の意図を深く洞察し、それを分かりやすい表現(言葉による比喩、しぐさ)で、『演奏家』へ伝えます。『演奏家』は、その内容に共鳴し、自分の能力の限りを尽くして、それに応えようとします。 

この関係が理想的に成立した時に、『名演奏』が出現し、それに接した聴衆は『感動』することになります。これで『作曲家』『指揮者』『演奏家』『聴衆』の『精神世界』の『絆』が生まれます。『絆』の確認が、『人間』の喜び、幸福感であり、それこそが芸術の本質です。 

『指揮者』は『精神世界』の本質を深く理解している必要がありますから、『感受性』にすぐれ、『博識』であり、結果的に穏やかで『人格円満』な人物かというと、必ずしもそうではありません。勿論、『ブルーノ・ワルター』のような『人格円満』な指揮者もいますから、『指揮者』は『人格円満』であってはならないなどということではありません。 

近世以降の『名指揮者』と呼ばれる巨匠の多くは、むしろ『カリスマ性』が強く、『自信たっぷり』であったり、時に『身勝手』であったりで、とても穏やかで『人格円満』などとは云えない人たちです。『ヘルベルト・フォン・カラヤン』『カルロス・クライバー』などが、その典型例でしょうか。 

『精神世界』の『情』が関与する事柄は、絶対尺度の評価基準がないわけですから、逆に『身勝手、独裁的』であっても、『カリスマ的な自信』が、周囲をガイドするために必要なのかもしれません。これが許容されるのは、周囲が『指揮者の総合能力』に尊敬の念を抱いている場合です。 

中身のないリーダーが、『カリスマ性』を装って、『独裁者』になると、『ナチスドイツ』や、現在の『北朝鮮』のようなことになります。こういう社長が君臨する会社も最悪です。『音楽』では、中身のない『指揮者』は、直ぐに化けの皮がはがれますから、永続きしません。 

聴衆は、本番演奏だけを聴くことになりますが、実は、本番のための事前リハーサルの時に、『指揮者』が『演奏家』へ伝えるメッセージの内容が、『指揮者』を知る上で重要な手掛かりになります。 

『指揮者』は、『凡人が思い浮かべることがない言葉による比喩』『顔の表情や体や手の繊細な動き』で、『演奏家』の『表現意欲』を喚起しようとします。 

梅爺は、テレビの音楽番組を観ていて、本番演奏よりも、リハーサルを中継した方が、番組としては面白いのではないかと思うことが良くあります。 

梅爺も男声合唱を続けていて、すばらしい『指揮者』に接していますので、特にそのように思うのでしょう。

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2013年11月29日 (金)

音楽という芸術の特殊性(8)

『音』は、空気の振動波が創り出す事象ですから、『音楽』は『物質世界』の『摂理(法則)』に支配される『事象』を利用していることになります。『物質世界』に属する『脳』があって、『精神世界』が成り立つように、『物質世界』の『事象』を利用して『精神世界』の『音楽』が成り立つという関係は興味深い話です。 

『物質世界』と『精神世界』は、別の世界であるということと、『物質世界』に依存して『精神世界』が存在するということを、同時に理解しなければならないわけですから、ややこしい話でもあります。人間が『生まれる』『生きる』『死ぬ』は、『物質世界』の『摂理』に支配される事象ですが、『生きている間だけ精神世界が存在する』のは『精神世界』が『物質世界』に依存していることを考えれば当然のように思えます。偉人のかけがえのない『精神世界』が、死とともに消滅するのは、なんとも惜しい気がしますが、『摂理』は変えられません。『芸術』の場合、『精神世界』の副産物である『作品』だけは、後の世まで継承されます。 

『対位法』で、異なった旋律が同時進行する『音楽』形式が出現すると、どうしてもある局面では、異なった高さの音が同時に鳴る『事象』が発生します。異なった高さの音が複数組み合わされたものは『和音』と呼ばれますが、組み合わせによって、人間の耳に比較的心地よく聞こえる『和音』と、そうでないものがあることに気付くことになります。後者は『不協和音』と呼ばれます。

『和音』の種類によって、人間の『精神世界』は微妙に異なった情感を得ることを『音楽』は利用します。そして音の組み合わせを区分し、それを記号(コード)表現するようになります。『長調』と『短調』のいずれかを基盤とする『コード』かによっても、人間は異なった情感を感じます。『長調』の『コード』は一般に明るい印象であるのに対して、『短調』の『コード』からは暗い印象を受けます。そして時間とともに『コード』がどのように進行すべきかに関する『約束事』ができあがります。『音楽』の世界では、この『コード進行』に関する『約束事』を『和声学』と呼びます。

これ以外に『音』には、『長さ』『強さ』『音色(人の声、楽器の音など)』の属性があり、これらの属性と、『旋律』『リズム』それに約束事(『対位法』『和声学』)を総合的に駆使して『西洋音楽』は成立します。

作曲家は、自分の『精神世界』を、『楽譜(記号)』でできるだけ忠実に表現しようとしますが、残念ながら限界があります。『音楽』という芸術の特殊性は、作曲家が残した『楽譜』から、演奏家が『作曲家が意図した音楽はこうであるに違いない』と推測し、更に『演奏家自身の精神世界の感性』も加えて、『自分の演奏』をすることにあります。『作曲家』と『演奏家』がいて、『音楽』は成立します。一人の画家で『絵画』が成立するのと大きな違いです。ショパンのピアノ曲を、ショパン自身が演奏するという形態が、『音楽』の場合最も理想的な『精神世界』の表現形式と言えます。

『オーケストラ』や『合唱』では、複数の演奏家の『精神世界』が関与しますから、下手をするとまとまりがつかないことになりますので、『演奏』の意図を一つにまとめ上げるために『指揮者』が必要になります。『オーケストラ』や『合唱』のメンバーは、ある程度自分の『精神世界』を抑制して、『指揮者』の『精神世界』に合わせることが求められます。逆にいえば『指揮者』は、豊かな『精神世界』の持ち主で、メンバーを説得する必要があります。

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2013年11月28日 (木)

音楽という芸術の特殊性(7)

世界には色々な『音楽』があり、『音楽』を一律に論ずることはできませんが、ここでは、梅爺が日常的に接することが多い『西洋音楽』を取り上げて考えていきたいと思います。

人間のコミュニティが存在するところには、『仲間との絆確認』『神への祈り』などの目的で、必ず『歌』や『踊り』を伴う『音楽』が出現したのではないかと、昨日書きました。これらの、いわば『民族音楽』は、自然発生的にできあがり、代々継承されていったものと思います。『民族音楽』を後々分析してみると、『様式』や『約束事』が見つかりますが、『様式』や『約束事』を意識して『音楽』が作られたわけではありません。この関係は、『言葉』が出現し、後々分析してみるとそこに『文法』という『約束事』が見つかるのと似ています。私たちは、普段『文法』をあまり意識せずに『言葉』を話します。幼児が『言葉』をしゃべりだすプロセスを観察すれば、そのことが良く分かります。私たちの『脳』は、無意識に論理構造を理解し、利用する習性を保有しているとしか思えません。科学者は、遺伝子のなかの基本機能としてそれを理解しようとしていますが、まだ解明はできていません。

『西洋音楽』の特徴の一つは、『様式』『約束事』を最初に決めて、その制約の中で作曲が行われるようになったことです。言ってみれば、最初に『文法』を規定して、それに合った『言葉』を創り出すというようなことに匹敵します。

このように『理』で、『様式』や『約束事』を規定し、それに従って行動すると言う習性は、『東洋人』より『西欧人』が強いように梅爺は感じます。どういうわけか、日本人は最初に『枠組み』や『ビジョン』を構想するという『理』の行為が得意ではありません。日本人は行動しながら、方向を微調整することは得意ですが、西欧人は、方向を先ず定めないと行動が難しいように見えます。この文化の違いが何に由来するのか、梅爺は分かっていません。

『西洋音楽』が『様式』や『約束事』を確立していくプロセスに、『教会』における『音楽』が強く影響していることは興味深いことです。

『神への賛歌』が、『グレゴリオ聖歌』のように言葉とともに単旋律コーラスで歌われますが、やがて、異なった旋律を同時に重ね合わせて進行させることで、全く新しい情感を産みだせることに気付きます。この新しい情感の方が、より荘厳に『神の賛美』になると気付いたことになります。これで全員が同じ旋律を歌う『単声合唱(ユニゾン)』から、『多声合唱』に進化しました。仏教の『声明(しょうみょう)』は基本的に単旋律ですが、日本人は『異なった旋律を同時に重ね合わせて進行させる』方法を『西洋音楽』に接するまで気付かなかったことがわかります。

しかし、むやみやたらに異なった旋律を同時進行させても、調和は表現できませんので、異なった旋律を同時進行させながら、情感の表現として調和が保たれるように、『様式』『約束事』が規定されるようになります。これが『音楽』の歴史で『対位法』と言われる作曲技法です。勿論、『音楽』を『記号』で表記する『楽譜』の『約束事』も同時に進化していきます。『音楽』は基本的に12個の音(半音で高低がつながる)をグループ(オクターブとして高低の繰り返し表現可能)とし、どれか一つの音を基音として、『長調(ドレミファソラシド)』『単調(ラシドレミファソラ)』という相対的なグループを構成できるという『約束事(調律)』も確立していきます。

『バッハ』を代表とする『バロック音楽』は、この『対位法』が主流の時代でした。見事な情感の表現を実現している作曲が、実は緻密な『約束事』を意識して計算しつくされたた『理』の作業であることに、梅爺は大変興味を惹かれます。『情』を表現することを主目的とする『音楽』は、実は『理』の基盤で構成されているという何とも不思議な組み合わせであると感ずるからです。

あまりに『約束事』に縛られると、それなりの『様式美』は表現できますが、自由な情感の表現が難しくなります。『西欧音楽』はその後、自由な表現を求めて色々変遷を遂げますが、『約束事』の見直しはなされたものの、『約束事』を完全に排除はしていません。

『ジャズ』のように自由奔放な即興表現が許されているようにみえる『音楽』でも、『約束事』が無いわけではありません。

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2013年11月27日 (水)

音楽という芸術の特殊性(6)

原始社会の『人間』は、周囲に存在する『物質世界』の『具象物』の姿を『真似て描く』『真似て創る』ことを始め、それが『絵画』や『彫刻』の始まりであると推測できます。 

少し、難しい表現をすれば、『物質世界』の『具象物』を、一度『精神世界』で咀嚼(そしゃく)し、『精神世界』の能力を駆使して表現したものが『絵画』『彫刻』といえます。 

単に『真似することで、お絵描きを楽しんだ』のではなく、『具象物』の中に『神』や『霊』が存在すると『感じ』、祭祀行為として『絵画』や『彫刻』が誕生したのではないでしょうか。『感じる』『願う』『信ずる』は『精神世界』の『情』がつくりだす代表的な行為です。 

『お面』をつけて、『歌い』『踊る』という風習が現在までも私たちの中に継承されていますが、この風習こそが『芸術』の原点であるように梅爺は感じます。原始社会では、宗教活動が『生きる』ことの全てに影響を与えていたと考えたくなります。後世『宗教』と『芸術』は、高尚な進化を遂げますが、両者がもともと結びつきやすい背景は何となく理解できます。 

『音楽』の原点の一つも、楽器(道具)で、『物質世界』に存在する『事象』の音を模倣することであったとは考えられますが、直ぐに、『物質世界』には存在しない『音の表現が可能』であることに気付き、その表現を『仲間との絆確認手段』『神への祈りの手段』などとして活用するようになったのではないでしょうか。『言葉』に旋律とリズムを付加する『歌』も、かなり初期に出現したものと思われます。『絵画』や『彫刻』が、『模倣』の度合いが強いのに対して、『音楽』は、最初から『創造』の度合いが強いように感じます。言い換えると『音楽』の方が、抽象的な表現の色彩が強いということになり、『抽象概念』を駆使する『精神世界』の特徴を如実に表しているように感じます。

『精神世界』は、『理』と『情』で構成されていて、人間は『精神世界』を表現することに試行錯誤してきたことになります。『言葉』はその目的の代表的な手段で、『文学』という『芸術』領域がやがて確立していきますが、『言葉』だけでは伝えられないもの、特に『情』の表現に、『絵画』『彫刻』『音楽』を適用してきたものと考えられます。音楽は、抽象性の高い『情』を表現するのに、適していると梅爺は感じます。

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2013年11月26日 (火)

音楽という芸術の特殊性(5)

梅爺は6年以上ブログを書き続けて、『物質世界』と『精神世界』の違いを理解すると、世の中や人間に関する事象が、『なんだ、そういうことか』と見えてくることに気付きました。『新しい視点』で『従来の視点』を見直す必要がありますが、梅爺は、『従来の視点』にこだわる性格の人間ではないので、あまり苦になりません。むしろ、この『物事を観察する時の基準』として、『新しい視点』が気にいっています。 

今までの梅爺の人生で、この単純な方法を明確に教えて下さる先生や本が無かったことが不思議に思えます。もっとも、あったけれども梅爺が気付かなかったか、理解しようとしなかった(理解できなかった)のかもしれません。 

『物質世界』に存在する具象物は、全て『宇宙共通の素材』で構成されていて、人間の肉体も例外ではありません。そして、『物質世界』の事象は、全て『自然の摂理(法則)』に支配されていて、これも例外はないと考えられます。現時点で、『説明がつかない不思議な事象』があるように見える場合もありますが、それは『自然の摂理』の全てが解明されていないためのと科学者は考えます。

つまり『物質世界』は、『自然の摂理』という冷厳で普遍的な『理(法則)』だけが支配する世界で、人間の『精神世界』で重要な役割を果たしている『情』が関与する余地がありません。『恵みの雨』は人間が『精神世界』でそう判断した表現で、人間がいない世界では、『雨』は『雨』に過ぎません。

一方『精神世界』は、『自分の安泰を最優先にしようとする本能』が根底にありますから、主観的で、普遍的とは言えない『願望』という『情』に強く支配される傾向にあります。『情』は、本質的に自分では制御できない『不随意』なものですから、不意に『悲しみ』『悩み』『不安』『喜び』『感動』などが襲ってきます。勿論、『精神世界』にも、自分で制御できる(『随意』の)『理』の思考の分野があります。『不随意』の『情』と、『随意』の『理』の二元的な要素の組み合わせで『精神世界』が構成されていることが、『精神世界』の理解を難しくします。しかも厄介なことに『精神世界』には『個人差』があります。梅爺の『精神世界』は、文字通り『梅爺の精神世界』であって、厳密にいえば他に『同じもの』は存在しません。『梅爺閑話』は、『梅爺の精神世界』が生みだしています。

『精神世界』は、『物質世界』には存在しない『抽象物』を容易に創出します。この『抽象物』は、当然『自然の摂理』に支配されることはありません。『物質世界』の『具象物』は必ず『宇宙』に存在する共通素材で構成され、『活動』は、必ず『エネルギー源』を必要とします。しかし、『精神世界』の『抽象物』は、『素材は何か』『エネルギー源は何か』などを問う必要がありません。従って誰も『神様の身体を構成している素材は何か』『神様の活動のエネルギー源は何か』などとは問いません。『空腹でひもじい思いをしている神様』『睡魔に襲われてウトウトしている神様』等と言う話も聞いたことがありません。それは『神』が、『精神世界』の『抽象概念(物)』であるからと考えて、梅爺は得心できました。

なかなか『音楽』の話にならずに、脱線が続いていますが、『音楽』は『精神世界』を表現する方法で、『精神世界』を理解しないと『音楽』も理解できないと考え、『精神世界』を考察しようとしてのことですので、少々我慢をお願いします。

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2013年11月25日 (月)

音楽という芸術の特殊性(4)

『人間』の『精神世界』が、他の生物の『脳』が創り出している世界より『優れている』という表現は『人間本位』の考え方で、適切ではないかもしれません。『他の生物とは異なった進化を遂げている』ということなのでしょう。 

いずれにしても『抽象概念の理解能力』『論理的な思考能力』『記憶の活用能力』などが、『人間』の『脳』が『精神世界』を創り出す基盤になっています。 

梅爺は、もう一つ『安泰を希求する本能』が『精神世界』の引き金になっていると推察しています。生物として『生き残り』を優先してきた名残であると思いますが、この推察は梅爺の『仮説』です。最終的に深遠で崇高に見える世界にまで発展した『哲学』『宗教』『芸術』の世界も、最初の動機は『安泰を希求する本能』であったと考えると、物事が矛盾なく見えてくるように感じています。

自然環境がもたらす恵みや、災害の後ろに、自分たちの『命』を支配する『見えない力』を感じ、それを『神』という『抽象概念』でとらえて、仲間で共有するようになったのでしょう。どの未開の部族にも『神』という『抽象概念』があることから、『推論』と『抽象思考』から、『人類』は必ず『神』を考え出す能力を持っていると考えられます。このような『神』は、良いことも悪いことももたらす『得体の知れない外部の力』ですから、『悪いことに関しては、どうか鎮まっていて欲しい』と祈りを捧げることになるのも当然の帰結です。

後にこの『神』の役割は、キリスト教に代表されるように、『良いことの象徴である神』と『悪いことの象徴である悪魔』に二分されます。これも『推論』と『抽象思考』がもたらす一つの帰結です。ただしヒンズー教のように『神』は『創造と破壊を両方司る』と今でも考えられているものもあります。

『神』は『唯一無二』という『一神教』の考え方も、『推論』と『抽象思考』が考え出した一つの形式です。その証拠に、世界には、多く『多神教』が今でも存続しています。

このように考えて、梅爺は、人間が『安泰を希求する本能で、得体の知れない力の正体を推定し納得しようとした』のが『神』の始まりと推測しています。梅爺の推測が正しければ、『神』は『精神世界』にのみ存在する『抽象概念』で、『人間がいない世界には神も存在しない』という結論になります。何とも畏れ多い結論ですが、梅爺のなけなしの『理性』を総動員して考えるとそうなるという話です。

誤解が無いように申しあがれば、『神は抽象概念であるから無意味である』といっているわけではありません。人間が『生きる』ために必要とした『概念』ですから、『愛』や『正義』という『抽象概念』と同様に『人間にとっては意味がある』ことになります。ただし梅爺が『抽象概念』として認める『神』は、『宗教』の教義が教える『神』の定義とは大きく異なっています。『畏れ多い』と申し上げたのはそのことを指します。

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2013年11月24日 (日)

音楽という芸術の特殊性(3)

『人類』は生物進化の過程で、『高度な脳』を獲得しました。それが『生き残り』の可能性を高めるために重要な要素であったからです。

しかし、多くの動物も『脳』を保有し、それぞれ『生き残り』の可能性を高める進化をしてきたにもかかわらず、『人類』のような『精神世界』を実現できる『脳』のレベルに達していないのは何故か、という問いに答えるのは易しくありません。何かのきっかけで、『人類』の『精神世界』が飛躍的な進化をしたと想像はできますが、そのきっかけは何かは、必ずしも特定できていません。

『サル』と『ヒト』の共通先祖が、樹上生活から地上生活に生活の場を変え(食料を求めて)、偶然の突然変異で『二足歩行』するようになり、自由になった『手』で道具を利用し、道具を自分と一体化させることで、自分以上の能力を発揮できることを知り、更に有効な道具を創造するようになったと言われています。

『道具(客体)』と『自分(主体)』を一体化して把握する『抽象思考能力』、有効な『道具』を創り出す『創造能力』が『脳』進化の決め手になったという有力な『仮説』がありますが、今のところ『仮説』です。

『人類』は『生き残り』の可能性を高めるために、『群』をつくって生活する習性を踏襲してきました。『群』の仲間と、同じ『情感』『思考』を共有するまたは、共有していることを確認する手段として『言葉』を進化させていったというのが、もう一つの『仮説』です。仲間との絆を本能的に確認しようとする習性を確かに人間は保有しています。『孤独』は不安、恐怖のもとになります。

しかし、『群』をつくって生きる生物は人間以外にも沢山存在しますから、人間だけが飛びぬけた表現能力を持つ『言語』を何故保有するに至ったかのかは、説明ができません。

多分『手や指を器用に利用する』『群の絆を強める』など色々な要因が複合的に作用し、『人類』は、高度な『精神世界』を持つ『脳』を獲得してきたのでしょう。

しかし、『人類』は『脳』を進化させた代償も支払うことになりました。『脳』を収納する頭蓋が大きくなり、出産の危険が増大したことと、『脳』が一人前になる(大人になる)までに、永い期間を要し、この間子供は親の庇護が無いと生きていけないというハンデキャップを負ったことです。これらの要因は、種としての『生き残り』の可能性を低める要因です。

『人間』は、何もかもが理想的にデザインされた生物ではなく、姿かたち、能力など永い期間をかけて、偶然の選択を積み重ねて『現状』に至ったと考えるべきではないでしょうか。明らかに長所、短所を持ち合わせていますから、とても『神』に似せて創られた生物であるなどとは思えません。

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2013年11月23日 (土)

音楽という芸術の特殊性(2)

『音楽』を『芸術』の領域にまで高めたのは、人間の『精神世界』です。これは『絵画』『彫刻』や、『文学』も同じことです。

『人間は何故芸術を創出するのか』『人間は何故芸術を必要とするのか』は、『精神世界』の本質を洞察しなければなりません。しかし、『精神世界』は『脳』の産物であり、『脳』のカラクリは必ずしも解明されているとは言えない現状では、『芸術』は『神秘』な領域を伴います。

『宗教』はこの『芸術』の『神秘性』を、布教の手段として利用してきました。『宗教』と『芸術』は、『精神世界』の同じ基盤と関連しているからであると推察できますが、『それが何か』はまだ解明されていません。しかし『科学』は、『脳』の研究を介してこの『神秘性』をも探求の対象にするでしょうから、やがて、『芸術』『宗教』が何故『精神世界』で創り出されるのか、そして人間は何故『芸術』『宗教』を必要とするのかも明らかになる可能性を秘めています。

『人間の尊厳は、この神秘があってこそ存在するので、神秘は神秘のままに止めよ』という主張があることも承知していますが、梅爺は、そうは考えていません。解明されて揺らぐような『尊厳』は、もともと大したものではないと思うからです。

大聖堂に荘厳に鳴り響くパイプオルガンの調べ、聖歌隊の清らかな歌声、ステンドグラスから降り注ぐ虹色の光、といった環境に身を置けば、ヨーロッパの人々は『神の世界』を垣間見たと感じたに違いありません。日本でも、『東大寺』のような大伽藍に響く僧侶の読経、声明(しょうみょう)、絶え間なく続く木魚のリズム、心地よい線香の香、金色に輝く仏像、といった環境に身を置けば、当時の日本の人たちは『仏の世界』を垣間見たと感じ、宇治の『平等院』、平泉の『毛越寺(もうつうじ)』をみれば、『極楽浄土』を垣間見たと感じたに違いありません。これらは人間の『情』を利用した布教方法です。

『芸術』が、『神の世界』『仏の世界』『極楽浄土』を表現するのに適しているらしいことは、これでわかりますが、一方『宗教』の『教義』の大半は、『言葉』で人間の『生き方』を表現したもので、いわば『理』で諭そうとします。『宗教』は、『情』で『神の世界』を感じ、『理』で『神の言葉』を理解するという両面で迫ってくることが分かります。

『宗教』と『芸術』は、『理』と『情』を両輪とする人間の『精神世界』の特性をいかんなく利用する領域であることだけは確かです。

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2013年11月22日 (金)

音楽という芸術の特殊性(1)

梅爺は、基本的にジャンルを問わず『音楽』が好きです。そうは言っても時には『演歌』や『ロック』の一部に拒否反応を示すことがあります。『演歌』の『あからさまな媚(こ)び』や『ロック』の『野生的なエネルギー』に対して、『音楽』はもっと洗練された『精神世界』の表現であって欲しいという個人的な願望が心の奥にあるからなのでしょう。『音楽が好きであるからこそ、これは嫌い』と言う話ですから、逆にいえば、好きな『演歌』や『ロック』も当然あります。 

『何故音楽が好きか』と問われても、即答できないところをみると、そういう習性を遺伝子で受け継いでいるのだろうと考えてしまいます。しかし、小さいころから音楽につつまれた家庭環境で育ったわけではありません。 

梅爺の幼児期は、敗戦後の極貧生活でしたから、『音楽どころではない』環境でしたが、母親が梅爺の『音楽好き』に気付き、『木琴』や『ハーモニカ』を買ってくれました。それらは梅爺の宝物で、直ぐに独学で演奏できるようになりました。父親は『音楽』には無頓着で、むしろ『歌舞音曲は男のなりわいに非ず』と考えていたようです。 

その後、中学ではブラスバンドで『トロンボーン』を吹き、高校では『混声合唱』を、大学では『男声合唱』を課外活動で選び、仕事を引退した現在は『男声合唱』を続けています。誰に教わったわけではありませんが、『楽譜』はまがりなりに読めます。 

幼いころに家庭が裕福で、『ピアノ』か『ヴァイオリン』のレッスンを受けることができたら、また人生が変っていたかもしれませんが、現時点で冷静に自分を分析すれば、そこそこのレベルで挫折した可能性の方が高いと思われます。『プロの演奏家の能力は持ち合わせないが、素人の聴き手としては無類の音楽好き』というのが梅爺のプロフィールになります。 

ありがたいことに、大画面のテレビで高画質、高音質の音楽番具が鑑賞できる時代になりましたので、『オペラ』『オーケストラ演奏』などの番組は、欠かさず録画して楽しんでいます。我が家の特等席で、著名な劇場の雰囲気、演奏家達の演奏に接することができるわけですから、『音楽好きの年金爺さん』にとっては、夢のような話です。

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2013年11月21日 (木)

浜離宮恩賜庭園

Dscn5780高層ビルを背景にした『浜離宮恩賜庭園』

Dscn5783_2樹齢300年の松。後ろに見えるのが幹で、手前の枝ぶりは全てその幹からのびたもの。

梅爺の現役時代、仕事で知り合った仲間(同業他社、4社8人)と、現在まで夫婦同伴のお付き合いが続いています。海外旅行(ヨーロッパ、アメリカ)、国内旅行も楽しんできましたが、最近は、首都圏で年に2回程度の『食事会』が恒例になっています。

11月19日(火)に、『サンフラワー会』と名付けたこのグループの『食事会(ランチ)』が開催されました。今回の幹事は梅爺でしたので、浜松町、竹芝桟橋近くの『インターコンチネンタルホテル東京ベイ』のイタリア・レストランを予約し、食事の後、近所の『浜離宮恩賜庭園』の散策をしました。

『浜離宮恩賜庭園』は、現在は東京都が所有する公園で、有料で一般公開されています。

徳川幕府の初期のころに、この地は『甲府藩(藩主徳川綱重)』が海を埋め立て、『江戸中屋敷』として使っていましたが、6代将軍徳川家宣(甲府藩主徳川綱重の子)の時に幕府の別邸となり『浜御殿』と呼ばれるようになりました。茶園、庭園などが整備され、将軍の『鷹狩り』の場としても利用されました。

明治になって、宮内庁の管轄になりましたが、第二次世界大戦の敗戦後、GHQの要請で、東京都に下賜され現在に至っています。宮内庁の管轄時代に『離宮』と呼ばれていましたので、現在も『浜離宮』の名が残されています。

池や築山を配した広大な日本庭園ですが、隣接する『汐留』地区に、高層ビルが立ち並んでいるために、景色の背景に必ず近代的なビル群が入ってしまうことになります。『風情が損なわれている』と見るか、『現代日本の象徴的な景色』と見るかは、受け止め方次第です。

8代将軍徳川吉宗の時代には、ここで『象』が飼育されていた記録が残っています。当時、ベトナムから2頭の象が長崎へ送られてきて、更に江戸へ移送する途中で1頭は死に、残った1頭が、ここで飼育されていました。当時の庶民がどれほど『象』をみることができたのかは梅爺にはわかりませんが、初めて『象』に接した日本人は驚愕したに違いありません。

徳川吉宗は、将軍としては珍しいほど『理』を好んだ型破りの人物で、江戸城内部に天体観測所を作って自ら観測を行ったり、珍しい動物を集めて、現代風に言えば『動物園』までも作ったりしています。洋書(キリスト教関連を除く)を解禁にしたり、享保の改革で財政を立て直したり、『目安箱』を設置して民意を集めようとしたりと、『名君』と呼ばれる将軍です。

『浜離宮恩賜庭園』内には、樹齢300年の松があり、まるで歌舞伎の三番叟の背景の絵のような見事な枝ぶりをみることができます。

ビルの谷間の『オアシス』のような庭園で、都会人の散策には適しています。

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2013年11月20日 (水)

人類の救世主『菌界(Fungi)』(4)

『菌株』は、栄養源にとりつくと、そこから『菌糸』を四方八方へ向けて張り巡らし始めます。この様子は『植物』が地中に根を張ることや、地上で幹から枝分かれしていくことと似ています。『植物』の根や枝と異なるのは、『菌糸』同士が交差したところで、一体となる『交点』を形成することです。ネットワークとしては、『交点』を持つことで、『う回路』選択などの融通がきくようになります。

『菌糸』の先端は細く、どのような隙間でも入り込みます。栄養源に遭遇すれば、これを『酵素』で分解し吸収しますし、相手が『生物』やその残骸であれば、相手の細胞内部にまでも進入することがあります。

『菌界』生物の細胞自身は、過酷な環境(高温、低温)や、毒性に対しても耐性が強く、栄養源を分解して吸収する能力も旺盛です(食欲旺盛)から、堆積した枯葉などを、みるみる『土』へ変えていきます。

自然の森が、再生循環してきたのは、『植物』、『動物』、『菌界』生物、微生物などが共生する生態系であったためと分かります。木材となる樹木を効率よく育成てるために、『人間が森に手を入れて管理することが必要』などと言われると、それが最上の策と勘違いしますが、『人間にとって都合のよい平衡状態』を優先させているだけで、『自然な平衡状態』とは言えません。一見『都合のよい平衡状態(バランス)』は、長期的にみると『都合の悪い平衡状態』であるかもしれないと、冷静に判断する必要があります。再生可能な環境に依存しない限り、人類は将来生き残れないのは明白です。

人間の『五感』のような感覚器官や『脳』をもたないように見える『菌界』生物が、どのような『ルール』で、『菌糸体』のネットワークを拡大していくのかは、解明されていません。単に『試行錯誤』しているだけとは思えないほどに、このネットワークは『構造安定性』『順応性』『自己組織性』を保有しているように見えます。つまり、部分的にネットワークが破壊されても、『う回路』などでうまく補って全体は生きていく、有効と思える方面のネットワーク活動を優先するなどの巧妙な『知恵』を内在しているように見えます。この『知恵』の正体が解明できれば、『インターネット』などにも活用できるはずです。

『再生可能な環境つくり(土地や海の浄化)』『再生可能な材料つくり(石油に頼らず化学材料をうみだす)』の他にも、『菌界』生物が保有する潜在能力は、人間にとって重要であるらしいことが分かってきましたので、多くの研究者が注目し始めました。

人類の救世主『菌界(Fungi)』は、それほどオーバーな表現ではないのかもしれません。

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2013年11月19日 (火)

人類の救世主『菌界(Fungi)』(3)

自然界に存在する『菌界』生物で、人間が発見、識別できているものは、15%程度に過ぎないとのことですので、まだまだ地球には未知の『菌界』生物が沢山存在することになります。 

単独の『菌界』生物を特定し(『菌株』を取り出し)、その分泌する『酵素』の効用を調べれば、中には人間にとって非常に都合のよい『働き』をしてくれるものが見つかる可能性を秘めていますから、有効『酵素』を見つけ、商用化する研究や、工業化が進んでいます。 

『油脂』を分解する『酵素』は、既に『洗剤』の中に混ぜられ、利用されています。しつこい油汚れが、魔法のように消え去ります。 

現在、最も注目されているのは、石油毒性で汚染された土壌を、健全な土壌に戻す『酵素』を分泌する『菌界』生物です。石油毒性は『PHA(多環芳香族化合物)』ですが、これを毒性のない成分に分解してしまうわけですから、こんな素晴らしい話はありません。毒性を持っていた土壌が、健全な土壌になれば、更にそこには、他の生物(ミミズ、幼虫)や微生物が住み着き、一層『自然な土壌』になっていきます。 

この『菌界』生物による土壌の浄化は、『自然界が持つ免疫』のように見えます。なにより素晴らしいのは、『菌界』生物は、『植物』などと同様に、『再生可能な資源』で、石油のようにやがて枯渇することはありません。『再生可能な資源』『ほとんど無限な資源(太陽光、太陽熱)』を利用する『再生可能な環境に依存する社会』が理想ですから、たしかに『菌界』生物の一部は、人類の救世主と言えるかもしれません。『化学肥料』に依存しない農業への転換も期待が持てるようになります。 

自然界では分解されないと考えられていた石油化学製品を、分解してしまう『酵素』が、アマゾンの『菌界』生物から見つかったなどという報道もありますので、『菌界』生物の活用は、これからも広がっていくことでしょう。石油製品の残骸や粉砕されたチップで、海は急速に汚染されていますが、これも浄化できる可能性が高まります。 

更に、アフリカの砂漠で見つかった『菌界』生物の『酵素』を利用して、砂漠を緑地に戻すプロジェクトもすすめられています。『植物』の根と、『菌界』生物の『酵素菌』が共生することで、『植物(ナツメヤシなど)』と『菌界』生物が両方繁殖できる環境が出来上がります。『菌根共生』というこの『しくみ』は、自然の摂理の奥深さを感じさせます。『菌』と『根』が相互に化学物質(ホルモン)を分泌して相手を認識し、『菌』が集めた『水分』『ミネラル』を、『根』が創りだした『でんぷん』と交換するという驚くべき『しくみ』です。

『生物』と自然の共生、『生物』同士の共生が、環境を維持するためにいかに大切であるかが分かります。『人間』だけが特別などと思いあがって、自然を破壊することが、いかに罪深いかが分かります。

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2013年11月18日 (月)

人類の救世主『菌界(Fungi)』(2)

当然ながら『菌界』生物が、すべて人類の『救世主』になるわけではありません。多くの『カビ』は、人間には都合の悪い存在ですし、キノコにも毒性をもったものもあります。したがって、『中には人類の救世主になりそうなものもある』という表現が妥当です。

人間の『精神世界』は、人間中心の価値観で、周囲の事象を『良い』『悪い』と判断しますが、『物質世界』の視点でみれば、『カビ』や『毒キノコ』は別に人間を困らせようと言う意図(悪意)をもって存在しているわけではありません。全ての生物は、自らの生き残りを最優先にして、懸命に生命活動を行っているだけです。

もし、人間以外の生物にも『精神世界』があれば、彼らにとって『人間』は、『もっとも獰猛で危険な生物』ということになりかねません。『お互いさま』なのです。

『植物』が地中に根を張り巡らせ、水分や栄養分を摂取するのと同様に、『菌界』の生物も、栄養源を摂取するために、住み着いた環境で『菌糸体』を張り巡らせます。腐木や落ち葉などは、『菌界』生物の栄養源で、これを摂取するために、浅い地中に『菌糸体』は張り巡らされることが多いので、掘り起こしてみれば、いたるところで『菌糸体』は見つかります。

生命活動の形態では、『菌界』生物は『植物』こ似ていますが、決定的な違いは『植物』のように『光合成』でエネルギー源を摂取しないことです。

『菌界』生物も『生物』である以上、『個』は死滅しますが、他の生物同様に世代交代で『種』の存続を図ります。『キノコ』は、『菌糸体』が、子孫の元となる『胞子』を創り出し、『胞子』を新しい環境へばらまく地表拠点としてつくりだしたものです。『菌界』生物にも、『無性生殖』で繁殖するものと、『有性生殖』で繁殖するものがあるようですが、梅爺は詳しいことは分かっていません。

『菌界』生物の栄養摂取の方法は、栄養源にとりつくと『酵素』を分泌し、『大きな分子』を『小さな分子』に分解して摂取します。人間も体の中で『酵素』を利用して『タンパク質をアミノ酸に分解して吸収』したり、『脂質を分解』したりしていますから、『酵素』応用能力は、生物共通の先祖から受け継いでいることが分かります。

『菌界』生物が創りだす『酵素』の中には、人間にとって非常に有益なものがあり、これを利用して『味噌』『醤油』『酒』『乳製品』『納豆』などをつくってきました。

最近、『酵素』の能力を『汚染環境の浄化』に利用しようという研究が盛んになっています。まさしく『人類の救済』になるのではと、期待が高まっています。

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2013年11月17日 (日)

人類の救世主『菌界(Fungi)』(1)

NHKBS1チャンネルで、フランスで制作されたドキュメンタリー番組『菌類のチカラが人類を救う』を観ました。

『菌類』が秘めている、『チカラ(能力)』を、汚染された環境修復や、工業新製品に活用できないかと、その可能性を追求する科学者たちを紹介する内容でした。

梅爺は、いままで何度もしたり顔で『生物進化論』について述べてきましたが、よくよく考えてみると『生物とは何か』について、体系的な理解が乏しいことに気付きました。大変お恥ずかしい話です。

『菌類』は、学術的に『菌界(Regnum Fungi)』に属する、キノコ、カビ、酵母などの総称であるという定義を、確認することから始めることになりました。

これで頭がスッキリしたのかというと、そうではなく、『細菌』『微生物』との区別が未だ判然としないところがあります。日本語で、『菌類』『細菌』『病原菌』『バイ菌』などと『菌』という文字が共通に使われることが、理解を混乱させる原因になっているのではないでしょうか。『同じ種類』と誤解しがちです。

英語では、『Fungi(菌界)』『Bacteria(細菌)』『Germ(バイ菌、病原菌)』と言葉が使い分けられていますので、混乱は少ないのであろうと思いますが、それでも『Microbe(微生物)』には、『病原菌』の意味が込められることがありますので、定義区分が重複していないわけではありません。

『Virus(ウィルス)』は、福岡伸一先生の本でも紹介されているように、『生物と非生物のあいだ』の存在ですから、厳密には『生物』とは云えないのでしょうが、一般には『微生物』として扱われたりしますので、梅爺の頭は一層混乱します。

『動物界』『植物界』とは異なった『菌界』という生物区分の世界があるということですが、勿論『生物進化』の過程で、同じ先祖(原生生物)から枝分かれしたことになります。『菌界』に属する生物が、いつ登場したのか梅爺は分かっていませんが、少なくとも『人類』に比べれば途方もなく昔から地球上に存在していたことになります。

『菌界』の生物は、過酷な環境でも生存できる『耐性』が強く、砂漠地帯、凍土それに毒性のある土壌でも生き残ることができます。つまり人間が生きていけないような不毛の土地も、採取して観察すると『菌界』の生物が見つかります。

人間の生活環境でも、『菌界』の生物は、ウヨウヨ存在していますから、少し気を許すと、食べ物にはカビが生え、風呂場のタイルのメジにも黒カビが発生します。一般に『菌界』の生物は、人間にとっては『厄介者』のイメージですが、1928年に『青カビ』から『ペニシリン』が創られ、一躍『救世主』になりました

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2013年11月16日 (土)

太陽の兄弟星(4)

『天地は神が創造(デザイン)した』という主張には、『神様が愛する人間のために、人間に都合のよい世界を創ってくださった』という考え方が含まれているように梅爺は感じます。

しかしどう考えても、『物質世界』を支配する『自然の摂理』は、『人間の都合』とは無縁に見えます。逆にいえば、『人間は、自然の摂理の都合のよい部分だけを利用して生きている(生かされている)』と言えるのではないでしょうか。『都合が悪い部分』が強く作用すれば、生きていけなくなります。『病気』や『天災』は、容赦なく私たちの命を奪います。

『自然の摂理』は、人間が地球上に出現するずっと前から、『宇宙の歴史』とともに存在していたもので、そもそも『人間を愛するために』『人間を懲らしめるために』存在しているわけではありません。『愛する』『懲らしめる』は、人間の『精神世界』の『情』が作りだした概念に過ぎません。つまり『自然の摂理』は『情』とは無縁なもの、非情なものです。

『神が愛する人間のために天地を創造した』とすれば、『神』は、人間が出現するまで、137億年以上、我慢強く待っておられたことになります。『人間』は地球上に現れたのは、高々数100万年前のことですから。『全知全能』の『神』にしては、なんとも効率の悪いことをなさったことになります。

『自然の摂理』で梅爺は『生かされて』いますから、感謝しますが、その感謝の念は一方的なもので、祈っても、願っても『自然の摂理』は変えられない、都合の悪い部分をなくすことはできないと覚悟することにしています。

『太陽の兄弟星』の話が、とんでもなく脱線してしまいすみません。

『太陽』が誕生した時に、複数の『兄弟星』があったと科学者は推測しています。しかし、『太陽』の惑星が、比較的整然とした軌道で周回していることから、非常に近接した兄弟星は無かったと考えられます。もし近接した恒星があれば、『太陽』の惑星の軌道はその恒星の重力の影響を受けて、現在のような整然としたものではなくなってしまうと想像できるからです。

『太陽』は『兄弟星』と一緒に、『天の川銀河系』の中心を周回する内に、徐々に『兄弟星』と離ればなれになっていき、現在のように近傍に大きな『兄弟星』が無い状態になったと考えられます。

逆に、昔『兄弟星』であった恒星は、『太陽系』が『天の川銀河系』の中心の周囲を周回しているのと同じ軌道の上にあるはずでると科学者は予測しています。そしてそれらしい恒星も見つかりつつあります。

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2013年11月15日 (金)

太陽の兄弟星(3)

私たちは科学知識のお陰で、『太陽』は止まっていて、『地球』がその周囲を周回している(地動説)と考えるようになりました。しかし、更に『太陽』を中心とする『太陽系』全体が、『天の川銀河系』の中心の周囲を周回していることが観測で確認されました。その周期は2億6千万年程度ということですから、『太陽系』は誕生以来既に約120回周回している計算になります。

なんとも壮大な話ですが、そういうことなら、『天の川銀河系』も、『宇宙』の中心の周囲を周回しているのではないかと推測をしてしまいます。しかし、梅爺には答える能力がありません。『ビッグ・バン』が微細な『ひも』から膨張を開始したと聞けば、最初に『ひも』があった場所が『宇宙の中心』かと、感覚的に考えてしまいますが、『宇宙の中心』という概念そのものが適切なのかどうかも梅爺は分かっていません。

『太陽系』の誕生は、46億年前のことで、『人間』の時間感覚では途方もなく昔の出来事ですが、『宇宙』の中では、現在でも新しい星が誕生し続けているわけですから、『宇宙』の出来事としては、珍しい出来事ではありません。

『ビッグ・バン』で、素粒子が誕生し、やがて素粒子から元素や、元素同士の化合物が誕生し、それらが作りだすガスや塵が集まって星が誕生し、星が集まって『銀河』ができたという、おおまかなプロセスは判明していますが、『銀河』ができる詳細なしくみなどは、必ずしも全て解明されていないようです。

『銀河』が存在する場所は、『ダーク・マター』の存在密度が高い場所と一致することから、『ダーク・マター』が関与していると推測されていますが、『ダーク・マター』の正体は完全には解明されていません。

『ビッグ・バン』以降、『宇宙』で起きている事象は全て、『物質世界』を支配する『自然の摂理(「法則)』に則っています。いわば『理』だけが支配する世界で、『情』が重要な意味を持つ人間の『精神世界』の価値観が適用できません。『精神世界』の価値観で『宇宙』を観ると、実に『味気無い、ぶっきらぼーな世界』です。『理』だけで、『真偽』の判定が可能である『物質世界(宇宙)』は、科学者の好奇心の的になり、探究努力が続けられています。しかし、科学者も『人間』ですから、『科学者は味気なく、ぶっきらぼーな人間である』と断ずることはできません。

『物質世界』と『精神世界』を分けて考えるという方法に梅爺は気付き、そうすることで、今まで判然としていなかったことが自分なりに得心できることから、大いに気に入っています。この思考方法だけが正しいなどと主張したり、皆様に強要したりするつもりはありませんが、一度既成概念をリセットして、周囲の事象を『物質世界』『精神世界』に分けて考えてみていただければ、『なーんだ、そういうことか』という発見を体験いただけるかもしれません。

梅爺流に考えれば『宇宙』は、『あるべき姿』『目的』に向かって変容しているようには見えません。偶然部分的に発生する何らかの事象の密度の違い(ムラ)が、引き金になって、新しい『平衡状態』を求めて全体が変容し続けているだけに見えます。

一方人間の『精神世界』では、『あるべき姿(目的)を明確にして、それを実現するために努力をする』という価値観は、『生きる』上で重要な意味を持ちます。しかし、この価値観を『物質世界』へ適用し、『天地は神が創造した(デザインした)』と考えると、多くのことが説明できなくなります。むしろ『神』『デザイン(あるべき姿へ向かって実現道程を明確にする)』は『精神世界』だけで意味を持つ概念、価値観であると割り切った方が、梅爺はスッキリします。

誤解が無いように申し上げれば、『神』『デザイン』という概念は、意味が無いと言っているわけではありません。『精神世界』でのみ、重要な意味を持つと言いたいだけです。

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2013年11月14日 (木)

太陽の兄弟星(2)

『宇宙』には、いくつの『銀河系』があり、その一つの『銀河系』には、いくつの『星(恒星)』が含まれているのかという疑問が自然にわいてきますが、現代科学でも正確には分かっていません。少なくとも『銀河系』の数は2000億個~3000億個で、ひとつの『銀河系』には2000億個の『星』が含まれているというのが一つの予測数値です。 

『天の川銀河系』は、『宇宙』の中の『銀河系』の一つに過ぎず、『天の川銀河系』の中の一つの恒星『太陽』の、これまた一つの惑星である『地球』に私たちは生命を得て存在していることになります。肉体的には人間は『物質世界』の一員に過ぎませんから、『宇宙』の中では浜辺の一粒の砂にもあたらない存在であると思い知って、『生きるの死ぬの、楽しいの悲しいの』と大騒ぎしている自分が滑稽にも思えてきます。『宇宙(物質世界の摂理)』のお陰で梅爺は存在していますが、逆に梅爺は『宇宙』に影響を及ぼす存在ではありません。 

しかし、大変ありがたいことに、梅爺の『脳』は、概念的に広大な『精神世界』を保有しています。梅爺にとって『精神世界』は、『とるにたらない無価値なもの』ではありません。『精神世界』では『楽しい』『悲しい』は個人的に大きな意味を持ちます。『精神世界』は、『生きている』間だけ保有できるものですから、命ある限るこれと大切に関っていきたいと梅爺は思います。 

『人間は物質世界の視点ではちっぽけな存在ですが、一方において広大とも言える精神世界を誰もが有しており、その世界は個性的である』という『事実』を、多くの人がありのままに受け容れれば、人間社会や人間関係は変るのではないでしょうか。『精神世界』が個性的であるという意味では、親子、兄弟も他人です。しかし残念なことに多くの人は『自分の精神世界が正しい。自分と異なった精神世界を持っている人は間違っている』と主張し、最悪の場合『憎みあい、殺し合い』までに発展します。それほど酷い話でなくても、親は『子供の幸せのため』と信じて自分の『精神世界』の価値観を子供に押し付けようとしたりします。 

私たちの生命維持のエネルギーの源である『太陽』は、唯一稀有の価値を持つ『恒星』のように考えてしまいますが、『宇宙』には『太陽』のような恒星は、文字通り無数に近いほど存在していることになります。『太陽系』の惑星『地球』に生命が出現したことが、『宇宙』で唯一の例外的な事象であるとは想像しがたいものですから、科学者の多くは、『宇宙』には、地球とは異なった『生命体』が存在すると予測しています。

『太陽』が、星団のなかで兄弟星と一緒に誕生したにもかかわらず、現在は近傍に恒星がなく(最も近い星でも3光年以上離れている)、孤独に見える星である事実は、『太陽』および『太陽系』が、『天の川銀河』の中心の周りを周回している(周期は2億6千万年)ことが関与していると科学者たちは考えています。

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2013年11月13日 (水)

太陽の兄弟星(1)

138億年前に、『宇宙』が『ビッグ・バン』で誕生し、46億年前に『太陽系』、つまり『地球』が誕生したと聞くと、現在のような『宇宙』や『地球』がポッコリ出現したと勘違いしがちですが、そうではありません。最初の『宇宙』や『地球』は、現在の『宇宙』や『地球』とは、まったく様相を異(こと)にしていました。

約40億年前に、『地球』上に出現した最初の『生命体』が、私たちとは似ても似つかぬものであったのと同様な話です。

『宇宙』や『生命体』がその後辿(たど)った時間と、『人間』が『生きる』なかで感じる時間とは別次元ともいえるほどの感覚の違いがあります。

『物質世界』が変容に要した時間に比べると、『人間』が『永い』と感ずる時間などは、『ほんの一瞬』に過ぎません。『人間』にとって1千年前は『遠い昔』ですから、『釈迦』や『キリスト』は昔の人物と考えますが、高々2500年、2000年前の人物です。『宇宙の変容』『生命体の変容(生物進化)』に要した時間に比べれば、文字通り『一瞬前』に存在した人物ということになります。

『人間』が、自分の時間感覚で『ビッグ・バン』や『生物進化』を思い浮かべて『信じられない』と感ずるのは無理からぬことです。『人間』にとって『永い時間』と感ずる千年程度の期間では、『物質世界』は大きく変容しないように見受けられるからです。『自分を基準にものごとを判定する』のは『人間』の『精神世界』の特徴ですから、時間感覚も『精神世界』の産物で、科学者のようにこれを排除して『ものごとを異なった時間軸で観る』には、『理性』を必要とします。『精神世界』の『情』が赴(おもむ)くままに『信ずる』ことは、誰にでもできる易しいことですが、『疑って、本質を洞察する』ことには『理性』を必要としますから、必ずしも易しいことではありません。

やたらに『疑う』習性の強い梅爺は、周囲から『何とも味気ない、薄情な人間』であると言われますが、『理』の強弱と『情』の強弱は別の話ですので、本人は困惑しています。

科学者は、『太陽系』の近傍に、『太陽(恒星)』の『兄弟星』が存在しないのは何故だろうかと疑問を持ちました。なぜならば、『宇宙』で星(恒星)が誕生するプロセスを観察して、複数の星が銀河系の中で『星団』として一緒に形成される可能性が高いことが分かってきたからです。星は、宇宙のガスや塵が集まってできるものですので、ガスや塵の密度が高い場所に、『星団』が出現するのは『理』に適った話です。

初期の『太陽』に『兄弟星』があったとすると、何故現在は近傍に『兄弟星』が無いのかという疑問が生じます。科学者の『理性』による『疑い(疑問)』はこのようにして始まります。

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2013年11月12日 (火)

Queen Anne is dead.

英語の諺『Queen Anne is dead.』の話です。 

『アン女王はもう亡くなっている』という意味ですから、この諺を使い慣れていない人には、真意を知る手がかりもありません。 

これは、『アン女王が既に亡くなっている』という『事実』は周知のことで、『そんなことは、あなたが得意げにおっしゃらなくても誰も知っていますよ』『そのようなことは既に旧聞ですよ』と、やんわり相手をたしなめる時に用いる『常套句』なのです。いいかえれば、『あなたは、世の中から遅れていますよ』という警告、皮肉が込められています。 

この諺に関する、英語の質疑応答サイトをインターネットで閲覧してみましたら、何人かの人が、『この諺の由来はなんですか?』という質問を投稿していますので、英語圏の人でも由来は知らずに使っているらしいことが分かります。

『アン女王』は、イギリスの女王で、18世紀の初めに亡くなっていますから、この諺が流布し始めたのはその後のことなのでしょう。何かの都合で、女王の死はある期間公にされることなく、宮廷は箝口令(かんこうれい)を敷いたのに、情報は漏れて、公にされた時には、庶民は皆そのことを既に知っていたというようなことがあったのでしょう。

自分が知らなかった知識を得ると、人は『自分が今まで知らなかったのだから、他人も知らないにちがいない』と勘違いし、得意げにそれを口にしたくなるものです。特に『自分は他人より物知りだ』と内心思っている人にありがちなことです。

梅爺は、多くの事実を知ることには、あまり興味がなく、多くのことに自分なりの考えをもつことに執着する性格をもっています。奈良から京都への遷都は794年で、『鶯泣くよ(794)平安京』と覚えなさい、などと歴史の時間に教わっても興味はわきませんでしたが、『何故奈良から京都へ遷都する必要があったのか』という疑問には、人一倍強く反応しました。日本の教育が、表面的な知識を暗記させようとすることに生意気にも反発し、このような詰め込み暗記を強いる歴史は好きな科目ではありませんでした。

自分なりの考えを持つためには、物事の本質を理解する必要があり、本質を理解するために必要な知識は、梅爺も進んで獲得しようとします。知識の獲得が目的ではなく、知識は自分が考える時の手段であると認識しています。

このようにして、単なる伝聞転記ではなく、自分の考えを確認して、『梅爺閑話』を書くように心がけていますが、これも、ひょっとすると多くの方々は既に思いついていることで、目新しいことではないのかもしれません。

その様な時には、『Queen Anne is dead.』とたしなめていただければ幸いです。

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2013年11月11日 (月)

札幌雑感(3)

Dscn0451北大キャンパス内の目玉観光スポット、『ポプラ並木』。

『サッポロビール園』でジンギスカン鍋を食べ、『ビール博物館』を見学してから、午後は、『北海道大学(北大)キャンパス散策』に出かけました。

最近は、国立大学も法人化され、自主経営努力がなされていて、東大の本郷キャンパスの中には、洒落たレストラン、カフェ、カレッジ・グッズの売店などがあり、一般の人も利用できるようになっています。北大も、インフォメーション・センターがあり、カフェや売店が併設されていました。観光客用の『散策ガイドマップ』をもらって、定番の『クラーク博士の銅像』や『ポプラ並木』を観て廻りました。

キャンパス内に『北海道大学総合博物館』があることを初めて知り、見学しました。『北大の歴史』『北海道の生物標本』『考古学資料』『地質学資料』『現在特化している研究課題』などが分かり易く展示されていて、梅爺は大いに興味を覚えました。子供むけに『特別展示(恐竜や当時の大型爬虫類に関する展示)』も用意されていますので、家族連れで気軽に見学できるような配慮もなされています。

『北大の歴史』では『クラーク博士』が欠かせない人物ですが、農学校の初期の生徒であった『新渡戸稲造』『内村鑑三』の後の功績を考えると、学問より『キリスト教思想(プロテスタント)』で、日本に大きな影響を残したことが分かります。博士は、『イエスを信ずる者の契約』署名を、農学校の職員、生徒に求めています。現在なら、信仰を強要するということで、プライバシー(個人権利)の侵害ということになりますが、明治初期の日本の若者が西欧の学問、西欧の思想を、無条件に『進んでいるもの』として、吸収しようとしていたことが窺えます。『少年よ大志を抱け』と言った(本当にそう言ったのかどうか証拠はないらしい)博士本人は、アメリカへ帰国後、事業に失敗して不遇な生涯を終えているのは、少し皮肉な話です。『大志を抱かない』方が幸せな人生もあります。

『現在特化している研究課題』では、2010年に、北大初のノーベル賞(化学賞)の受賞者となられた『鈴木章』博士(現在は名誉教授)の研究室の一部が再現されていていました。博士の受賞は『金属パナジュームを触媒として炭素同士を効率よくつなげる画期的な合成法(クロス・カップリング)』を編みだしたことが対象になっています。

この技術は、製薬、農薬、殺菌剤や液晶などの製造に広く応用されていて、人類への大きな貢献となっていることが授賞理由です。博士がモットーとして発言された内容が、いくつか掲示してありましたが、その中に『仕事を成功させるため、真剣に研究に対処し、結果を把握し、一生懸命続ける。そうしないと、幸運に恵まれない』と言うのがありました。『幸運』はそう云うものだとは思いますが、努力しても『幸運』に恵まれないこともありますので『ウーン』と唸ってしまいました。『クロス・カップリング』に挑戦した動機を『自然界にできることを人間ができないはずはない』と考えたからとも言っておられますが、これも、『情熱』『信念』といった『情』を研究の動機としているという点では、面白いと思いますが、『頑張れば勝てる』というような話として受け止められると誤解を招きそうです。『科学』が立ち向かう世界では、『人間にはできないこともあるかもしれない』という疑念を保有し続けることが必要ではないでしょうか。

博士は、この発見で『特許』を取得されませんでした。このためこの技術が世界中にひろまりましたが、数千の『関連特許』を他人が取得することにもなりました。博士が『基本特許』を取得していれば、ご本人ばかりではなく日本としても、多大な収入があったはずです。当時は、大学の研究を『特許』に結びつけるという発想が乏しかったのでしょう。『特許』は必ずしも金もうけの手段としなくても、有効に戦略的活用ができますから、『基本特許』を取得しなかったことは、少し残念な気がします。

北大キャンパスの散策を終えて、新千歳空港へ行き、北海道の老舗ラーメン屋が並ぶ『ラーメン村』コーナーで、『北海道のラーメン』を最後の食べ収めとして飛行機に乗りこみました。出だしは『台風』に翻弄されましたが、終わってみれば楽しい旅行になりました。

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2013年11月10日 (日)

札幌雑感(2)

Dscn0430『サッポロビール園』内のジンギスカン鍋レストラン内部。

『北海道庁旧本舎』の見学が終わったところで、丁度昼食時になりましたので、タクシーで『サッポロビール園』に『ジンギスカン鍋』を食べにでかけました。

梅爺は、昔仕事の出張で『札幌』を訪れた時に、ここを訪れたことはありますが、いずれも夕刻以降で、『ジンギスカン鍋』を食べさせる広大なレストラン内部の騒がしい風情だけが記憶に残っていました。しかし、昼間訪ねてみると、ここは旧『サッポロビール工場』の跡地を利用した、赤レンガの建物が立ち並ぶ綺麗な公園のような場所であることを知りました。

建物は、『インフォメーション・センター、売店』、三つの風情の異なる『レストラン』、『ビール博物館』として再利用されています。

『ジンギスカン鍋』は、薄切りの冷凍肉と2種類の生肉のミックスをオーダーし、生ビールを飲みながら食べました。冷凍肉は、野菜を敷き詰めた上で蒸すように焼き、生肉は、直接鍋で焼くこと、と店員さんに教えに従いました。いずれも羊肉独特の臭いは全くなく、美味に満足しました。

『可愛い羊さん』などと一方で愛でながら、一方では容赦なく殺して『美味しい』と言いながら食べてしまう『人間』は、実に矛盾していますが、この矛盾は、『物質世界』の摂理に支配されている肉体を持ちながら、『精神世界』を進化させ、独自の価値観を保有するにいたった『人間』であるからこそ起こる現象です。自分が殺される状況を推測すれば、それは『安泰』が脅かされる嫌悪すべき状況であると感じますから、『人間』は『殺すなかれ』という約束事をコミュニティを維持するための『善いこと』として共有することになったのでしょう。『神』という概念が無くても、人間は『殺すなかれ』『盗むなかれ』という基本的な『律』を考え出せると梅爺は考えています。

『あらゆる命を奪ってはいけない』という教えは、『精神世界』が到達する高尚な『律』ですが、これを本当に守ると、『物質世界』に支配されている肉体は維持できなくなります。自然界は『物質世界』の摂理で支配されていて、この摂理は『精神世界』の価値観とは異なることがあります。生物は、他の種を捕食しながら、生態系のバランスの中で生きています。基本的には『人間』も同じですが、異常に増えた『人間』だけは、生態系のバランスだけには頼れず、人工的な、農耕、牧畜(家畜飼育)、魚介養殖を行っています。

『他の命を奪うことは好ましくない。しかしそうしないと自分が生きていけないので、申し訳ないと感謝していただく(食する)』という程度の妥協策しかありません。『食欲』『性欲』などという、『物質世界』の摂理に根ざす欲望を、野放しに認めることはできないにしても、一方これを『罪』として完全に抑圧することも適切で現実的な対応とは言えません。

『物質世界』と『精神世界』を正しく理解すれば、自ずと穏やかな共存を見出すことができるのではないでしょうか。先ずは『物質世界』の冷徹ともいえる摂理を、『精神世界』の『情(例えば善悪の区別など)』を排して理解することから始めるべきです。『物質世界』で起きている変容は、『善悪』などとは無関係です。『台風』や『地震』は人間にとっては極めて不都合(不都合と感ずるのは精神世界の価値観)な現象ですが、『物質世界』では、ただ起こるべき変容として発生しているに過ぎません。

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2013年11月 9日 (土)

札幌雑感(1)

Dscn5757001札幌にある赤レンガ造りの『北海道庁旧本舎』。アメリカのネオ・バロック様式踏襲。

10月20日の朝、山口県へ帰るNさんご夫妻、東京へ戻るAさんご夫妻と小樽で別れ、梅爺夫婦は、夕刻の新千歳空港からの便(羽田経由で帰宅)に搭乗するまでの時間を『札幌』で過ごしました。 

手っ取り早く、『札幌』駅前からの遊覧観光バスに乗ろうと思いましたが、適当なコース(時間)が無いために、自分たちだけで気ままな観光をすることにしました。 

先ず赤レンガ造りの『北海道庁旧本舎』を訪れました。1988年に建造された建物で、現在は、北海道開拓関係資料、北方領土に関する資料などをおさめた『北海道立文書館』として内部が一般公開されています。アメリカ、ボストンの庁舎をモデル(ネオ・バロック様式)にしたとのことで、そういわれれば、玄関ホールの階段などは、日本人の体格には合っていない(段差が高く、急こう配)ように感じました。 

私たちは、『北海道の歴史』という時に、『倭人(日本人)』が入植した後の時代だけを問題にしがちですが、それ以前、少なくとも2000年程度前に、現生人類種が北方から到達し、住んでいたと考えるべきではないでしょうか。『倭人の北海道の歴史』は、高々500年程度ですが、その数倍の永い期間『北海道』は『アイヌ』の支配する地であったということで、当然その間の『歴史』も『文化』も存在します。 

北アメリカ大陸も同じことで、白人が入植して以降の数百年が『アメリカの歴史』として語られがちですが、実は、ベーリング海峡経由で『モンゴロイド』が到達したのは、少なくとも1万年も前のことで、原住民となった『モンゴロイド(ネイティブ・アメリカン)』の『歴史』を加えて、『アメリカ大陸の歴史』は語られるべきものです。 

このように、私たちは『自分(自民族)の歴史』を重視して、『他人(多民族)の歴史』を、存在しなかったかのごとくに軽視しがちです。『アイヌ』の人たちには日本国籍が付与され、同化がすすみましたが、『倭人の歴史』を『歴史』として教えられた『アイヌ』の人々の心情は察するに余りがあります。北海道の多くの地名に『アイヌ時代の呼び名』が継承されていることが、せめての救いのようにも思えます。 

そうかといって、『倭人』はやすやすと『北海道入植』を実現したわけではなく、命がけの努力が続けられたことが、『文書館』に残る資料から分かります。冬の厳寒と、原野開拓に挑戦し続けて、現在の『農耕』『酪農』の王国が出現しました。先人の功績に感謝するしかありません。 

『北海道庁旧本舎』内には、『北方領土(四島)』に関する特別の資料展示コーナーがあり、梅爺はここも複雑な思いで閲覧しました。 

『ロシア』に実質支配されてしまっている『北方領土』を、国際法の主張だけを振りかざし、武力を用いずに日本の領土として復帰させることは、極めて困難です。『戻らない』ことを覚悟の上で、いつまでも『あれは私のものだ』と言い続けるか、経済条件を絡めて、突飛とも思える発想で、現実的な妥協案を見出すか、どちらかしかないのではないでしょうか。『ロシア』との折衝が全てのベースになりますが、日本の外交能力がためされることになるのでしょう。

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2013年11月 8日 (金)

小樽雑感(3)

Dscn0382『旧日本銀行小樽支店』。現在は『金融資料館』として公開されている。

1920年頃の『小樽』は、『札幌』より人口が多い所でした。漁業(鰊漁)、海運業の中心地で、当然金融業の中心地でもありました。

当時は、『日本銀行』を始め、多くの大手銀行が『小樽』に支店をつくり進出しました。しかし現在では大半が撤退し、歴史的な建物のみが、『北のウォール街』と呼ばれて観光スポットになっています。

『日本銀行小樽支店』は、2002年に閉鎖され、現在では日銀の広報施設『金融資料館』として公開されています。親切な説明員から、隆盛時の支店の様子を聴くことができました。東京駅を設計した辰野金吾等が設計を担当した立派な歴史的建物です。今回『小樽』観光を一緒に行った仲間のAさんは、もと日本銀行の幹部でしたので、2002年の『小樽支店閉鎖』に関する裏話が聞けました。地元からは、『閉鎖は小樽衰亡に一層の拍車をかけることになり困る』と強い反対があったのだそうです。時の流れに逆らえないことはありますが、それを認めようとしない人たちは、いつの時代にもいるものです。

同じく撤退したかつての大手銀行支店の立派な建物は、レストラン、バスターミナル・ビル、工芸品店舗などとして再利用されています。

現在の『小樽』は、観光主体の町に変り、『ガラス工芸品』を町起こしの中心にしているらしく、目抜き通りには、『ガラス工芸品』の店や博物館などが軒を並べています。かつては隆盛を極めた都市が、現在では歴史遺産だけを頼りに観光だけの場所になっているのは、ヨーロッパには沢山ありますが、『小樽』は、『ガラス工芸品』という新しい産業を中心に据えようとしているのは立派なことです。先祖の遺産だけで生きていこうとするのでは、限界があり、将来は拓けません。

観光客のもう一つのお目当ては、美味しい海の幸を食べることで、『寿司』『海鮮丼』『炉端焼き』の店も沢山あります。

梅爺達3組の夫婦も、居酒屋、寿司屋で、2晩『小宴会』を催しました。

青梅に帰宅して数日後、何気なくテレビを観ていましたら、『小樽』に関する番組が放映されていて、梅爺達が行った同じ『寿司屋』が紹介されていました。梅爺達に対応してくれた同じオバサンが、テレビに登場して、偶然のこととは言え、ビックリしました。

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2013年11月 7日 (木)

小樽雑感(2)

Dscn0409_2小樽にある『にしん御殿』。鰊漁で巨万の富を得た網本青山家の別邸。現在は、建物と蒐集された美術品が観光用に公開されている。

『小樽』には『札幌』から電車で30分程度で着きます。首都圏で30分の通勤圏と言えば、近い部類に入りますので、『小樽』は『札幌』のベッドタウンとして人口増加しているのかと思いましたら、現実は、人口減少になかなか歯止めがかからず、一時20万人以上あった人口は、現在では13万人程度になってしまっているとのことでした。『札幌』市内及び近郊の発展要素の方が、『小樽』のそれに優っているのでしょう。首都圏と『札幌』は事情が違うということです。
 

一見多くの観光客が押し寄せる『小樽』ですが、自治体にはそれなりの悩みがあるのでしょう。観光客の主体が若い世代、外国人になっているため、少し前までは『小樽』の観光名所であった『石原裕次郎記念館』も寂れる一方で、閉館されるのではとの噂もあるようです。 

今回『小樽』を訪れた『コール39会』の3組の夫婦は、本来なら『石原裕次郎』をよく知る世代ですが、ひとりとして、『記念館』を訪れようと言いだす人がおらず、『記念館』救済へ向けての貢献にはなりませんでした。当然のこととは言え、時が移り、『石原裕次郎』も自分たちも、主役ではなくなり、目立たぬようにひっそり生きる存在になったということでしょう。老人は、卑屈になる必要はありませんが、『でしゃばり』は、どちらかと言えば自粛すべきです。 

『小樽』の観光スポット『運河沿いの倉庫』は、大変にぎわっていましたが、周囲は韓国語や中国語が飛び交い、6割は外国人の観光客であることが分かりました。秋や冬の北海道は、暖かい土地柄の台湾の人たちには人気の観光地なのでしょう。それにしても『大声で話す』『傍若無人に振舞う』外国人は、日本の社会風習には、明らかにそぐいませんから、つい眉をしかめたくなります。『函館』の朝市でも、土産店では、客が日本人かどうかを確認して試食品を提供していました。中国人の観光客が押し寄せると、我も我もとアッと間に試食品を平らげてしまうらしいのです。試食品の意味が理解できずに、『無料での食べ物提供』と考えているのでしょう。しかし、外国へ出かけた日本人の行為も、現地で顰蹙(ひんしゅく)をかう対象になっていないとは言えませんので、『おあいこ』なのかもしれません。

『自分の言動が、相手の基準で判断すると迷惑なことかもしれない』と推察できる人は器の大きな人です。梅爺が利用するJR青梅線には、時折横田基地に住むアメリカ兵の子女がグループで乗り込んできて、傍若無人に振舞って周囲の日本人は眉をしかめています。どの国にも器の大きな人と小さな人がいますが、比較的器の大きな人の比率が高い国が文化国家といえるのでないでしょうか。

異文化と接する時の原則は『郷に入れば郷に従え』ですから、相手の習慣を配慮することが大切です。日本も観光立国を目指すなら、外国人に分かり易く日本の習慣をPRすべきです。それでも配慮しない観光客には、ある程度寛大に接することも必要になります。しかし、このバランスを保つことは簡単ではありませんが、多くの日本人が『異文化』を意識することは、将来の日本にとって重要なことです。

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2013年11月 6日 (水)

小樽雑感(1)

Dscn5753小樽観光の代表的なスポット、運河沿いのと倉庫。今は使われなくなった倉庫は、横浜や函館の赤レンガ倉庫のように、有効に他の観光目的に転用(再開発)できていない。何か理由があるのだろうか。

『コール39会』函館、大沼公園旅行の後、梅爺夫婦は、Nさんご夫妻、Aさんご夫妻と一緒に、小樽に2泊し、観光や食事(夕食は小宴会)を楽しみました。

大沼公園から小樽までは、最近トラブル続きで、評判が芳(かんば)しくないJR北海道の函館本線を利用しました。『コール39会』旅行後、同じくプライベートの北海道旅行を計画された仲間の中には、JR北海道を避けて、飛行機やレンタカーを利用された方もおられましたので、JR北海道を利用する私たちは、『ご無事を祈ります』などと冷やかされながら函館本線に乗り込みました。

疑心暗鬼で列車に乗っていると、普段首都圏で電車を利用している時には、気にならない『揺れ』を敏感に感じ、その度に、お互いが不安そうに顔を見合わせることになりました。梅爺は、少し前に『選択的注意』という、人間の『脳』の特徴的な習性についてブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-c5a7.html

『気になることには敏感に反応する(それ以外のことには鈍感になる)』という習性で、今回はそれを自ら体験したことになります。これを差し引いても、函館本線の乗り心地は、決して『良い』とは云えないものでした。途中の停車駅で、列車が再び走り出した折に、駅長が、最敬礼して見送る姿が窓越しに見えました。JR北海道の偉いさん達から、色々な通達が出ているのでしょう。梅爺もサラリーマン時代を思い出し、同情を禁じ得ませんでした。線路の補修の後れを、最敬礼で補おうとしても実質的な改善にならないのは、子供でも分かることです。しかし日本社会では、先ず『誠意』や『謝意』を表明することが大切であるということなのでしょう。企業が何かの問題を起こすたびに、企業幹部がテレビカメラの前で、深々と頭を下げ『誠に申し訳ありませんでした』と謝罪する儀式が行われます。そして『再発防止に取り組みます』と表明しますが、どういうわけか『再発防止』にはならず、再び同じ儀式が繰り返され続けています。『人間の行為にはミスは避けられない』という事実と、『ミスの責任をどうとるか』という話が、区別できていません。『ミスに寛容であれ』と言うつもりはありませんが、『人間はミスをしてはいけない』という現実にそぐわない論理になるのは、少し行き過ぎです。梅爺は、ミスをしない人に出会ったことはありませんし、勿論自分も沢山のミスを人生で犯してきました。

冷や冷やはしましたが、なんとか無事小樽へ到着しました。駅近くのホテルに宿泊し、3組の夫婦で、夜の街へ繰り出し、居酒屋で、北海道ならではの食材の料理を食べながら小宴会を催しました。『コール39会』の幹事役から解放された梅爺は、のんびり小樽を満喫することになりました。

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2013年11月 5日 (火)

大沼公園の絶景

『コール39会』の旅行では、大沼公園の『大沼プリンスホテル』に宿泊しました。翌日は各自が半日大沼公園を自由散策しました。

駒ケ岳の噴火で、土石流が山麓の窪地を堰き止め、大沼、小沼、蓴菜(ジュンサイ)沼などを創り出したものです。沼の中に火山の噴火で飛んできた大きな岩がいくつもの島を形成し、『ミニ松島』のような景色を創り出しています。大沼公園は『新日本三景』にも選ばれた景勝地です。

梅爺が拙文を綴るより、『フォトアルバム』で紹介します。

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2013年11月 4日 (月)

函館雑感(6)

Dscn0313_2『コール39会』が函館で宿泊したホテル『ラ・ビスタ函館ベイ』(茶色の建物)

『黒船の威嚇』で、艦砲射撃を受けた時に沿岸がパニックになることは容易に想像できます。長い海岸線を持つ日本を、全て防御する方法もありません。この問題は現在の日本でも同じことです。 

しかし、当時最先端の西欧戦艦といえども、燃料、水、食料、弾薬の『補給』が無ければ、長期の戦争はできない弱点があったわけですから、日本としてもしたたかな戦い方の選択がなかったわけではありません。戦艦で運べる程度の兵士で、日本全土を制圧できるわけではないからです。スペインが、南米原住民を大量殺戮で征圧したようなことは起こらなかったでしょう。戦争は、武器のレベル差が大きくものをいいますが、それが全てではなく『兵站(へいたん)』という経済的補給能力が続かなければ相手を圧倒はできません。 

梅爺が、徳川幕府の対応に異議を唱えてみても始まりませんが、『対応の選択肢』は、他にもあったであろうと無責任に考えただけに過ぎません。『外国の属国になってしまう』という過剰な危惧が、徳川幕府を怯えさせたのではないでしょうか。 

『日米和親条約』は、不平等条約で、幕府が腰の引けた対応をしたのではないかと言われますが、幕府側の特使『林大学頭(だいがくのかみ)』の対応は、毅然としており、威嚇するペリーに対して、なかなかの『ハード・ネゴシエーター(辣腕の交渉人)』であったことが残されている文献から分かっています。死を決して交渉の責任をとる覚悟であったとはいえ、『時が人材をうみだす』典型的な例ではないでしょうか。梅爺は仕事の現役時代に外国会社とのビジネス折衝を担当していた経験を思い浮かべて、『林大学頭』のご苦労に敬意を表したくなります。 

『ぺりー来航』から、『明治維新』まで、短期間にものごとが一気呵成に展開したような錯覚を、歴史音痴の梅爺はいだいていましたが、『ペリー来航』から『明治維新』までは、15年であったことを考えると、この期間は必ずしも『短期間』とはいえないことに気付きます。『五稜郭』の建設工期9年も、この15年に含まれます。この15年を日本人はどのように過ごしたのか、何ができて、何ができなかったのかを知りたくなります。 

ヨーロッパの歴史には『疾風怒濤の時代』というのがありますが、日本にとってこの15年間は文字通り『疾風怒濤の時代』でした。結局外国と戦ったわけではなく、日本人同士が戦って『近代国家日本』が誕生することになりました。 

アメリカの『南北戦争』ほどの犠牲者(62万人)は出ませんでしたが、『明治維新』では、日本人同士が殺し合い(戊辰の役の犠牲者8400人)、怨恨も残りました。 

『函館』は、日本が近代国家になる前後で、歴史的に大きな役割を果たした都市であることが分かります。 

『異国情緒の観光都市』で、函館山から絶景の夜景を楽しみ、朝市で買い物をし、新鮮な海の幸を食べ、修道院や正教会を訪ね、往時の青函連絡船を偲び、楽しい旅行でしたが、『五稜郭』は、『ここが昔函館戦争の主戦場であった』というだけでは済まされない気持ちになりました。

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2013年11月 3日 (日)

函館雑感(5)

Dscn0292『五稜郭』内に2010年に復元された『函館奉行所』

1842年 英国が中国(清)に圧勝した『アヘン戦争』の終結
1853年 ペリー率いる米国艦隊が来航、伊豆韮崎に反射炉建設
1854年 日米和親条約締結(下田、函館の開港)
1855年 日露和親条約締結
1857年 『五稜郭』着工
1863年 『薩英戦争』で、薩摩が英国艦隊に敗北
1864年 『五稜郭』内に『函館奉行所』移設。『下関戦争』で長州が四カ国艦隊に敗北
1866年 『五稜郭』完成
1868年 『明治維新』。大鳥圭助、土方歳三等の『佐幕派』が『五稜郭』占拠
1869年 『佐幕派』が『函館政権』を樹立(1月)、『函館戦争』終結(5月)で『佐幕派』敗北

中国(清)が英国艦隊に完敗した『アヘン戦争』の情報は、日本の知識人なら知っていて、やがては日本も西欧の攻撃標的になるであろうと深く危惧していたことでしょう。ペリーの米国艦隊(黒船)が下田沖に現れたのは、それから11年後で、晴天の霹靂(へきれき)というより、『ついにやってきたか』と当時の日本の知識人は受け止めたのではないでしょうか。『長崎』を窓として西欧の情報はある程度取得していて、太平洋のかなたに米国と言う大国が存在していることは承知していたと思いますが、日本を標的にするのはヨーロッパの国々かロシアであろうと推察していた時に、突如米国が日本の現実的な威嚇者として現れたことに先ず戸惑ったことでしょう。米国に関する情報は、ヨーロッパの国々に関する情報より少なかったはずです。 

『アヘン戦争』から『ペリー来航』までの11年間、日本の為政者や知識人は何を考え、いざという時にどう対応するかをどのように考えていたのでしょうか。11年間は、決して短い時間ではありませんから、その気になれば、色々な準備はできたはずです。しかし、『ペリー来航』の時の徳川幕府の狼狽ぶりを見ると、『十分準備をして待ち受けていた』とは到底思えません。

人間は、ある程度将来に危惧の念を抱いても、『そんなことは起こらない』『起きてもなんとかなる』と根拠のない考えを『信じて』、逃避しようとします。『精神世界』が安泰を希求する本能を有しているからです。将来何が起きるかは、だれも正確に予測はできませんので、それでうまくいく場合もないではありませんが、深刻な状況に遭遇してから、大騒ぎになります。現在の原発事故での右往左往もこれです。

当時の日本も、現在の日本も残念ながら、変っていません。『日本人は先見性が乏しい』などと他人事(ひとごと)のように、批判することは容易ですが、梅爺自身も『逃避癖』は持ち合わせていますので、偉そうな発言はできません。人間や人間社会が持つ、本質的な弱点の一つで、これは日本だけの問題ではありません。将来に警鐘を鳴らす人がいても、『ネガティブな発想で不安を煽る嫌な奴』として、むしろ社会からは嫌われたりします。

『ペリー来航』で、形式的で不平等な『和親条約』を結んだものの、外国による侵攻を恐れる幕府は、泥縄式の対応策をいくつか講じ始めます。反射炉をつくって大型大砲を鋳造する、お台場に砲台を築く、最新の兵器、戦艦をヨーロッパから購入するなどがそれです。『五稜郭』は、主としてロシアの侵攻を恐れて幕府が建造を指示したものです(稜堡式の西洋指揮城郭、設計は洋式軍学者の武田斐三郎)。着工から完成までに9年を要しています。『函館』の冬の寒さなどを考えれば、そのくらいの長い工期は必要であったろうと肯けます。しかし、皮肉なことに実際には『日本人同士が戦う城』として利用されることになりました。『函館戦争』は、9年に及ぶ長い『五稜郭』の歴史の最後の1ページにしか過ぎません。

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2013年11月 2日 (土)

函館雑感(4)

0032_large『函館の五稜郭』

『函館』の『五稜郭』という城も、興味深いものです。『榎本武揚』等が立てこもって、明治政府軍と戦った『函館戦争』で有名ですが、勿論この戦いのために築かれた城ではありません。

梅爺は、学校の『歴史』の時間に、『重要な事件がいつ起きたか』という断片的な事柄だけを強調して教えられたために、『時の流れ』を総合的に把握できていないきらいがあります。『事件』を『知識』として記憶することは、無意味ではありませんが、『事件』は『時の流れ』の中で、『因果関係』を推定して理解することが実は重要です。『記憶する』と『因果関係を推定する』は、どちらも『脳』の機能ですが、別の機能です。『因果関係を推定する』は『考える』ことで、『考える』ことは色々なことに応用ができ、自分なりに『因果関係』が把握できた時に、大きな満足感が得られます。これが『考える愉しみ』になります。

『あることを知る(記憶する)』は『あることを考える』起点になりますが、より大きな満足感は『考える』ことで得られます。沢山のことを『知っている』ことは、『知らない』よりはましですが、『知っている』ことを『考える』ことに結びつけないのではもったいない話です。逆に『考える』ことに必要な知識を、ひとは自ら求めますから、『考える』ことに関連付けて『知る』方が、効率が良く、その知識もしっかり脳に根付きます。『知る』ことは主目的ではなく、『考える』ことの手段であるという認識が重要です。

『教育』は『考える』基礎訓練をすることですが、日本の『教育』が知識を詰め込む(記憶する)ことを優先しているのは残念なことです。世界に通用する人材を育成するには『考える』訓練を優先する『教育』に方針転換すべきです。『問題』に直面すると、日本人は手っとり早く『答』を、『他人の意見』『新聞やテレビの報道』『書籍』の中に求めて『知ろう』とします。しかし、多くの『問題』には、普遍的な『答』はありませんから、『自分がより納得できる因果関係を推定し、それを自分の答とする』しか方法はありません。『自分の答』を表明することは勇気と責任を伴います。そして『他人の答』は『自分の答』とは異なっているかもしれないことを認める寛容さが要求されます。

話が逸れましたが、『函館』の『五稜郭』は、『榎本武揚』『大鳥圭介』『土方歳三』のために準備されたものではないということを申し上げたかっただけです。彼らは『五稜郭』を戦いのために利用しただけで、『五稜郭』そのものは、まったく違う目的のために、建造されました。『五稜郭』を『時の流れ』の中で理解すると、色々なことが見えてきます。つまり徳川幕府が、西欧の日本侵攻を恐れ、どのように対応しようとしていたかが見えてきます。

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2013年11月 1日 (金)

函館雑感(3)

0033_large『五稜郭タワー』の展望台にある『土方歳三』の像。『鬼の新撰組副長』は美男子で、これでは京の女たちが騒いだであろうと納得できる。

『函館』と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは、『五稜郭』中心に行われた、明治維新後の『函館戦争』です。
 

徳川幕府側の最後の抵抗勢力が、『函館』に結集し、征圧に乗り込んできた明治政府軍と戦い、敗北しました。抵抗軍の、幕府海軍副総裁『榎本武揚』、幕府陸軍軍人『大鳥圭介』と並んで、『函館戦争』で悲愴な死を遂げた新撰組副長『土方歳三』が有名ですが、梅爺はどちらかと言うと、幕臣としては、先進の教養を身に着けていた『榎本武揚』『大鳥圭介』の両名に人間としての興味を抱きます。 

『榎本武揚』『大鳥圭介』は、明治2年に『函館戦争』で降伏し、投獄されますが、明治5年に特赦で出獄し、その後は、明治政府の要人として登用され、外交官、政治家として活躍しています。 

多摩の農村の末っ子として生まれた『土方歳三』は、剣の修行を積み、『近藤勇』と出会って『新撰組』に加わり、『鬼の副長』として、『新撰組』の規律をつくり、京都では池田屋事件などで勤王の志士達を次々に殺害します。その後『戊辰の役』では、最後まで幕府に忠誠をつくし、盟友『近藤勇』が千葉、流山で捕縛され斬首刑になった後も、『函館戦争』で加わって『陸軍部行並』として華々しい戦死を遂げます。『土方歳三』は、残されている写真から、かなりの美男子であったことが分かっています。『百姓の子が立身出世して侍として、男らしい最後を遂げた』こともあいまって、維新の歴史の中で日本人に人気の高い人物です。『信念を曲げない男らしい男』としては、並はずれの人物であるとは思いますが、比較的に理解しやすい人物であるように梅爺は感じます。 

一方『榎本武揚』『大鳥圭介』は、幕府きっての教養人であったわけですから、『日本の行く末』について、幕臣でありながら色々な思惑を持っていたに違いありません。『榎本武揚』は、オランダへ留学していますし、『大鳥圭介』は米国から帰国した『ジョン・万次郎』から英語を学んでいますから、西欧の事情や政治体制については知っていたはずです。『榎本武揚』は、『函館』で『蝦夷共和国』の立国宣言をしていますから、あくまでも幕府体制維持を目指して戦ったわけではなく、幕臣としての立場上、『明治政府軍(薩長中心勢力)』に反抗したのではないかと推察できます。

新撰組として、会津藩の世話になり、その後幕臣としてとりたてられた徳川幕府への恩義や、『近藤勇』を斬首刑にした政府軍への復讐のために、純粋に戦った『土方歳三』と、『榎本武揚』『大鳥圭介』の立場は、微妙に異なっているということではないでしょうか。

その証拠に、『榎本武揚』『大鳥圭介』は、明治政府から恩赦をうけ、出獄した後は、むしろ有能な外交官、政治家として明治政府のために働いています。有能な人材を、必要とした明治政府の事情も分かりますが、『幕府』から『明治政府』へすんなり乗り換えた二人の心情は、興味深いものです。『土方歳三』が生きていたら、このような転身はできなかったでしょう。

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