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2013年3月31日 (日)

日本の女性地位向上運動(2)

この番組で取り上げた日本の女性地位向上運動の貢献者は『平塚らいてう』と『市川房江』です。二人とも、明治の生まれで、戦後まで活動しましたので、長寿に恵まれています(平塚は85歳、市川は88歳で逝去)。

『平塚らいてう』は、女闘士というより、自身が『自由な生き方』を実践した『思想家、文学者』であり、『市川房江』は、几帳面で生真面目な女性リーダーの印象を梅爺は受けました。『平塚らいてう』の生き方は、人間臭い魅力にあふれています。

『平塚らいてう』の父は、元は紀州藩士で、明治政府では高官でした。父は西欧視察の経験もあり、解放的な家庭の雰囲気を許す人柄でしたが、どうしたわけか、ある日突然『国粋主義者』に転じて、『女に高等教育は不要』というような人物に変わってしまったと言われています。

国粋主義のモデル学校であった、『東京女子高等師範学校付属高等女学校』に入学しますが、お堅い『良妻賢母』教育に反抗して、授業をさぼったり、テニスに没頭したりしていたようです。父親を何とか説得して『日本女子大学家政科』へ進学します。本当は『英語科』へ進学を希望していましたが、これは父親から認められませんでした。

女子大を卒業後も、『英語』の専門学校に通ったり、女性では珍しい『禅』の修行に励んだりしていますから、『文学好き』『思索好き』は、生まれつきで才能にも恵まれていたことは、後の著作から分かります。文章は、論旨も明快で、感性豊かな詩的文体表現に秀でています。

そして、25歳の時に、母親が貯めていた結婚資金を使って、青鞜社を創立し文芸誌『青鞜(せいとう)』を発刊します。この雑誌の巻頭言の最初の言葉『原始、女性は太陽であった』が有名です。

『平塚らいてう』は、『性差別』『男尊女卑』を排除しようと立ちあがったというより、初めは女性にも自由な精神活動(思索や表現の自由)があってしかるべきという考えが強かったのではないでしょうか。『青鞜』が文芸誌であることがそれを示しています。

ところが、『青鞜』を読んで共鳴した女性が、多数全国から『平塚らいてう』を頼って上京してくるというような事態になり、事の成り行きに当の『平塚らいてう』自身が驚いたようです。

その後、恋人との『心中未遂事件(塩原事件)』や、5歳年下の男性画家との同棲などで、世間から冷たく扱われ、『女性地位向上運動』に目覚めていったのではないでしょうか。多感な女性が、外国文学、『禅』などから色々な影響を受け、自らの体験も加わって、『女性と社会』を思想の主対象にするようになっていったように梅爺には見えます。『恋愛』『出産』『育児』を経験しながらの思索ですから、人間臭い魅力はそれに由来するものなのでしょう。

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2013年3月30日 (土)

日本の女性地位向上運動(1)

NHK地上波教育チャンネルで、昨年から2年にわたり放映されてきた『日本人は何を考えてきたのか』シリーズの最終回は、『女性たちは解放を目指す~平塚らいてうと市川房江~』でした。 

番組の主旨に沿ってか、司会のアナウンサーも、レポーター(田中優子:法政大学教授)、コメンテーター(上野千鶴子:東京大学名誉教授)も全て女性でした。 

現代の日本は、『法』の上では、男女平等で、基本的な人権で女性が不利とはいえませんが、歴史的に継承されている『社会通念』で、女性が『平等』に扱われているとは云えない面もあります。問題は残っていますが、相対的には、日本は世界の中で女性の立場が低い国ではありません。 

現状の女性の権利は、日本人女性の解放運動の結果得られたというより、戦争に負けて、いわば押し付けられた『民主主義』の中で得たものですから、自分の手でつかんだというより、転がり込んできたと言えないこともありません。 

男社会が推し進めた『戦争』に負けて、国家としては高い高い代償を支払って得た『女性の権利』とも言えますから、皮肉な話です。 

『生物進化』の過程で、『子孫を残す方式』として、『両性生殖』が主流となり継承されてきました。何故『両性生殖』方式が出現したのかについては、細胞の中の小容体である『ミトコンドリア』が関係しているなど諸説がありますが、科学的にも解明されているわけではありません。元々『雄(オス)』は『雌(メス)』から派生してできたという説もあります。 

群のなかで『雄(オス)』をリーダーとする集団となるか、『雌(メス)』をリーダーとする集団になるかは、生物種によって一律ではありません。『外敵から集団を守る(ライオンやサルの集団など)』という要件が強い場合は『雄』のリーダーが、『子孫を沢山残す(蟻や蜂の集団など)』という要件が強い場合は『雌』のリーダーが出現するのではないかと推察できます。 

人類もこの『両性生殖』方式を受け継いできましたので、そもそも、『人間社会』は、男だけでも女だけでも成り立たないのは誰でも分かることです。そして、どのような場合でも必ず『男優位の社会構造』を採用するわけでもないことも、理解しておく必要があります。地球上には今でも『母系社会』を継承している部族が存在します。 

『男対女』の議論をする前に、人間は容姿、身体能力、精神世界の能力(思考、感受性)において『個性』を持って産まれてくることを認める必要があります。これも『生物進化』の過程で採用した『生殖方式』に由来するものですから、自分に与えられた『個性』を恨んだり、呪ったりしても始まりません。『個性』を活かした『生き方の選択』が認められている社会であることが最初に求められます。『男はこうあるべき』『女はこうあるべき』という型を強要しようとする人物が登場したら、警戒を要します。『女は良妻賢母であるべき』というような主張がこれにあたります。『良妻賢母』という概念そのものが悪いわけではありませんから、これを自分の意志で選択する女性がいても問題はありませんが、全ての女性に強要して『選択の自由』を奪うことは問題です。

女性が人間社会で『出産』という役割を負うことも、社会を継続していくために避けられないことですが、『出産』によって、女性の『生き方の選択自由』が著しく阻害されるのは好ましくないことですから、社会全体で是正する方法を考えなければなりません。北欧の国などは、この面で進んでいますが、日本はまだ遅れています。

人間社会の『社会通念』は、根強いもので、『女性の地位』だけではなく、好ましくない『差別』はなかなかなくなりません。『社会通念』を変えるには、『優れたリーダー』『教育のしくみ』などが必要となり、多大なエネルギーが必要になります。一気に解決することはむずかしいとしても、日本が、足踏みや後退せずに、着実に前進する社会であって欲しいと梅爺は願っています。

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2013年3月29日 (金)

山形県、新潟県ラクチン旅行(8)

Dscn9530越後一宮の『弥彦神社』

『寺泊』から『弥彦神社』へ向かいました。信濃川、阿賀野川の河口を中心に形成された広大な越後平野の中に、海に浮かぶ島のように存在する『弥彦山』は、古代人の信仰対象になったことは容易に想像できます。関東平野の『筑波山』も同様です。

バスのガイドさんが、『この神社の正式な参拝方式は、2礼4拍手1礼です』と説明してくれました。もし、それが本当なら、『弥彦神社』には大変な歴史が隠されているのではないかと、夢想癖の梅爺は考えてしまいました。日本の神社の参拝方式は一般的に『2礼2拍手1礼』で、『2礼4拍手1礼』は、『出雲大社』と同じで例外であるからです。

梅爺の勝手な推測は、『出雲大社』や『弥彦神社』は、『ヤマト朝廷』が確立する時に、これに最後まで抵抗して戦って非業に死を遂げた地方豪族を祀る神社であり、『ヤマト朝廷』側は、『祟(たた)り』を恐れて、特別の祭祀を継承してきた、というものです。『出雲大社』の神殿内部には、今でも皇族の方々も入れないしきたりがあると聞いたことがあります。『ヤマト朝廷』やそれに属する家臣の『氏神』と、異なった参拝方式で区別しているのもそのためと考えられます。

調べてみましたら『弥彦神社』では、宮中と同じ『鎮魂祭』を行うことが分かりました。『鎮魂祭』を行うのは、奈良の『石上神社』と『弥彦神社』だけのようです。『石上神社』は、物部氏の氏神を祀る神社で、物部氏は『ヤマト朝廷』と蘇我氏によって排斥された豪族ですから、『鎮魂祭』の意味が見えてきます。『ヤマト朝廷』が、『祟り』をいかに恐れていたかが窺えます。

『弥彦神社』に祀られている越後の豪族は、出雲の『大国(大国主命)』の配下、または同盟軍として『ヤマト朝廷』と戦ったのではないかと、更に空想は膨らみました。『弥彦神社』の名前の由来は、地元で継承されている『伊夜彦大神』とされていますので、越後の豪族の名前は『伊夜彦』であったのかもしれません。

これらは、梅爺の勝手な推測ですから、もっともらしいとは思いますが史実とは言えません。

『弥彦山』に隣接して『国上山(くがみやま)』があり、ここには、『良寛さんゆかりの国上寺(こくじょうじ)や五合庵』があります。梅爺は、高校三年の夏休みに、友人達4人と受験勉強の自主合宿を『国上寺』にこもって行いました。青春時代のなつかしい思い出の場所です。

『弥彦神社』を後にして、上越新幹線の『燕・三条駅』に近い、『地場産業会館(洋食器の産地、ノーベル賞受賞記念ディナーでもこの地で作られた食器が用いられることで有名)』でショッピングを楽しみ、新幹線で帰路につきました。

たった二日の『ラクチン旅行』でしたが、『ラクチン』な割には沢山観たり、感じたり、考えたりすることが多く、満足しています。

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2013年3月28日 (木)

山形県、新潟県ラクチン旅行(7)

Dscn9523『村上』の町屋に飾られている観光用のお雛様飾り

『村上』は、地域を挙げて観光に注力しており、分かりやすい『町屋散策マップ』が用意されていて、昔ながらの風情のお店が、観光客を歓迎してくれます。特にこの時期は各店に飾り付けられた『お雛様』が、観光の目玉になっています。訪れた日は土曜日であったためか、制服姿の中学生が、数人づつお店に配備されていて、お茶のサービスや、そのお店を紹介を担当していました。『社会科』の実習なのかもしれませんが、このような郷土を愛し、誇りに思う若い人や、地域のしみじみとした『絆』に接すると嬉しくなります。日本は、『捨てたものではない』ことをあらためて痛感しました。

『村上』を出て『寺泊』を訪れました。『寺泊』は昔は日本海に面した小さな漁村で、梅爺が小学生のころは海水浴でよく訪れたひなびた場所でしたが、最近では海岸道路に海産物問屋が店をならべ、新鮮な魚貝類を、一般客にも安く提供することで有名になり、『サカナのアメ横』と呼ばれています。関越高速道路を使い、都心から貸切バスにのった、オバサンの団体買い物客がどっと押し寄せる場所に様変わりしてしまいました。才覚のある海産物問屋は、逆に都心に何店舗も大型店を出していて、梅爺の住む青梅からでも、車で30分くらい走れば、『寺泊の魚』が購入できる店舗がありますから、普段は『寺泊』まで出向く必要はありません。

『寺泊』は、『燕市』で分かれた『信濃川』の一部(分水流)が、日本海へ注ぐ河口にも面しています。『信濃川』の洪水の被害を減らすために、この『分水路』は明治以降に人工的に掘られたもので、『大河内分水』と呼ばれています。全長9Km以上にも及ぶ、大土木工事でした。本流の新潟河口への流水量が減ったことで、色々な、メリット、デメリットが生じましたが、完成から80年経た現在では、ようやく『自然の一部』のように受け容れられています。

エジプト、ナイル川のアスワンハイダムの建設でも、洪水は減りましたが、沿岸の土地が肥沃ではなくなってしまうというデメリットも生じました。人間が自然に手を加えると、生物の生態系にも大きな影響がでますから、難しい話になります。『自然との共生』は云うは易く、行うは難いことが分かります。

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2013年3月27日 (水)

山形県、新潟県ラクチン旅行(6)

Dscn9522『村上』の『味匠:喜っ川』の店内に、ぶら下がっている『塩引鮭』

初日は、由良温泉(山形県鶴岡市)に宿泊し、次の日は、専用の観光バスで新潟県(村上、寺泊、弥彦神社、燕・三条)を巡りました。
 

新潟県中越のの長岡市で高校までを過ごした梅爺は、『寺泊』『弥彦神社』『燕・三条』は馴染みのある土地ですが、下越(かえつ)の『村上市』は、今回初めて訪れました。 

『村上市』は、上杉謙信の庄内侵攻の拠点となった地ですが、関ヶ原の戦いの後に村上氏統治の立藩が認められ、『村上藩』と呼ばれるようになりました。『村上』はその城下町です。しかし、その後ずっと『村上家』が統治し続けたわけではありません。廃藩置県になる前の最後の殿さまは『内藤家』です。 

『村上』の名物は、土地の人が『イヨボヤ(魚の王様?)』と呼ぶ『鮭』や、漆塗りの工芸品です。『村上』で日本海へ注ぐ『三面(みおもて)川』を産卵のために遡上してくる『鮭』は、平安時代にも記録があるくらい昔からの特産です。『鮭』は、新潟県では正月料理に欠かせない食材で、梅爺が子供の頃には、貧しい家でも年末に無理をして『新巻鮭、塩引鮭を丸ごと一匹』を購入する風習がありました。 

因みに、『新巻(あらまき)鮭』は、生鮭の内臓を抜いた後に塩にまぶして冷凍したもので、『塩引(しおびき)鮭』は、『新巻鮭』と同じ加工をして、1週間後に、水で塩を洗い流し(塩引きし)、その後軒下などに2~3週間つるして乾燥させたものです。梅爺が子供の頃食べていた『焼き鮭』は、『新巻鮭』の切り身でしたので、かなりの塩気が強いもので、炊きたてのご飯との相性は抜群でした。『焼き鮭』は『しょっぱいもの』という既成概念がありますが、最近スーパー等で売られている『鮭』は、生鮭の冷凍品ですので、若い人たちにとっては、『鮭』と『塩気』は必ずしも結びついてはいないのでしょう。 

『村上』には、『鮭』の加工食品で『酒浸(さけびた)し』と呼ばれる珍味があることを知りました。これは、『塩引鮭』を更に1年ぐらいかけて乾燥・発酵させたもので、薄く切った切り身を食べる前に『酒に浸す』と、一段と美味しくなるために、こう呼ばれます。梅爺は、うっかりしてこの『酒浸し』を、購入しそこなってしまいました。ちょっと残念です。 

『村上』には『味匠(みしょう):喜っ川(きっかわ)』と呼ぶ、老舗(しにせ)の『鮭加工品』を売る店があり、ここの御主人が、観光客向けに説明してくれる、『村上の風習』『鮭の習性』の話は、大変面白く勉強になりました。 

『何故鮭のオスの鼻先は曲がっているのか』『何故鮭は海水でも淡水でも生きていけるのか』を梅爺は、初めて知りました。いずれも『生物進化』のプロセスで、『生き残り』の確率を高めるために獲得してきたもので、説明内容は『科学的』であり、梅爺は納得できました。『鮭』は、海水から淡水へ入る前に、3~4日かけて、細胞内のイオン濃度を変えて備えるのだそうです。稚魚で育った川に、産卵の時に必ず戻ってくると言う習性も、神秘に見えますが、DNAにそれを可能にする何らかの資質が受け継がれているのでしょう。『物質世界』を支配する摂理の全てを人間は未だ解き明かしてはいません。勿論、生物として人間の能力が、全てに優っているわけでもありません。

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2013年3月26日 (火)

山形県、新潟県ラクチン旅行(5)

Dscn9520東北の『江の島』と呼ばれる景勝地由良温泉(山形県鶴岡市)からみた日本海の夕日

『酒田』観光の折に、バスガイドさんから、江戸時代『酒田』には、日本一の地主(農地解放まで)『本間家』があり、『酒田』の防風林、灌漑の整備にも貢献していることから、今でも『酒田』の人たちから『本間さま』と慕われているという話を聞きました。
 

何しろ、『酒田』では、『本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様』という表現が庶民の間で云い伝えられているということですから、その隆盛ぶりは推測できます。武士の世で、このような言い回しは、大変不敬で、あからさまには口に出来なかったのではないかと思いますが、『凡庸な殿さま』を皮肉る庶民感覚は、梅爺の好みです。 

話が少し逸れますが、梅爺が仕事の現役であった頃、『社員の誰もが社長になりたいと口にする会社は大した会社ではない』という話をよく耳にしました。『あの程度の人物が社長になれるなら、自分も社長になれる』と誰もが思う会社は、そもそも凡庸な会社であるという意味です。 

それに反して、『あのような激務には耐えられないし、あのような高い能力を求められても自分は持ち合わせていない』と社員が社長を評価する会社は、『素晴らしいリーダーを擁する優秀な会社』であるということになります。 

それを考えると『酒田』の庶民の諧謔精神や、『殿さま』を観る鋭い『ホンネ』が垣間見えて、梅爺は笑ってしまいました。 

佐渡に『本間』という姓が多いことを梅爺は知っていましたので、調べてみましたら、やはり『酒田の本間家』のルーツは佐渡であることが分かりました。『酒田の本間家』は、海運業や金融業(大阪を拠点)で大金を儲け、それで『酒田』の土地を購入して、日本一の大地主になったということです。 

このような『豪商』『大地主』の存在は、武士からみると『目障(めざわ)り』であったはずですが、生き延びることができたのは、庄内藩、米沢藩への財政援助、地域への貢献など、したたかな対応があったのでしょう。『本間家』がなければ、誰もが困ると言う状況を、うまく演出したに違いありません。見事なものです。

沿岸航路を利用した『北前舟』や、最上川(山形県)、阿賀野川(新潟県)、信濃川(新潟県)を網目のように利用したローカルな運送路線など、現在とは異なる優れた物流システムがあり、ハイリスク・ハイリターンな商売に豪胆に挑戦する回船問屋、相場を利用した交易、大名を相手にする豪商の金貸しなどの金融業と、江戸時代には想像以上に高度で成熟した経済システムが日本に存在していたことが分かります。インターネットなどが無い時代に、商人たちが『北前船』で『情報』を入手していたのであろうと推測しました。

日本が明治維新以降、急速に西欧に追いつけたのは、それ以前に獲得していた文化や社会システムなど、日本が潜在能力を既に保有していたからではないでしょうか。日本人のポテンシャルを、私たちはもっと誇りに思い、自信を持ってもよいように思います。

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2013年3月25日 (月)

山形県、新潟県ラクチン旅行(4)

Dscn9506酒田の『山居倉庫』とケヤキ並木、JR東日本が 吉永小百合さんを起用して、ここでテレビ・こコマーシャルを撮影した。

芭蕉の句で有名な『最上川』は、山形県だけを流れる全長約230Kmの川です。1都道府県の中だけで完結する川としては、日本で最長です。水かさが多い時期には急流で有名で、昔は年季の入った船頭でも、操船は大変であったと言われています。

流域の産物(紅花や米など)が、河口の『酒田』へ運ばれ、全国から『酒田』に集まった品物が、逆に流域へもたらされたわけですから、文字とおり、『最上川』は流通の『幹線』であったわけです。

『紅花(べにばな)』は、日本では『末摘花(すえつむはな)』と呼ばれ、染料として珍重されてた花です。原産地はエジプトと言われ、飛鳥時代にシルクロード経由で日本へもたらされました。江戸時代には、『最上川』流域が、日本の最大の生産地になりました。何しろ、当時『金(きん)と紅花は、同じ重さなら等価』と言われるほどの貴重な品でしたので、これを扱った『酒田』の豪商が如何に儲かったかは容易に推測できます。

この地方で栽培を根付かせるためには、大変な努力があったに違いありませんが、『利』に敏(さと)く、チャレンジ精神が旺盛な『起業家』はいつの時代にも現れることが分かります。明治以降、人工染料が登場して『紅花』主役の時代は終わりました。

『酒田』には、『北前舟』が扱う交易品を一時貯蔵する木造の倉庫、『山居倉庫(さんきょそうこ)』が残されていて、今でも利用されていると同時に観光地にもなっています。梅爺は、なんとなくノルウェーの港町ベルゲンにある、木造倉庫群(タラの干物を貯蔵)を思い出しました。規模の大きさでは『山居倉庫』の方が圧倒的に勝ります。

『山居倉庫』とケヤキ並木(倉庫を夏の日差しから守るための並木)の風景は、JR東日本が吉永小百合さんを起用したテレビ・コマーシャルの撮影地としても有名です。ツア参加者も、挙(こぞ)って同じ背景の記念写真を撮りましたが、背景の景色は同じでも、吉永さんと同じ風情を再現できたわけではありません。

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2013年3月24日 (日)

山形県、新潟県ラクチン旅行(3)

Dscn9501_2昔豪商たちが集(つど)った酒田の料亭『相馬楼』。現在は、観光客向けに内部が公開されていて『舞娘踊り』が披露される。

『本当に旅好きな人』は、『パッケージ・ツア』などは利用しないのかもしれません。旅は自分で詳細を計画し、予約を行い、それでも現地では思わぬハプニングに遭遇して四苦八苦しながら対応したり、思わぬ出会いがあったりするところにこそ醍醐味がある、という主張には一理あります。 

梅爺は、子供たちが小さかった頃は家族で、最近は夫婦で、国内外の観光旅行を楽しんできましたが、特に海外旅行では『パッケージ・ツア』の利用が大半です。上記の『醍醐味』は犠牲になりますが、『経済的』『効率的(移動、日本語ガイド)』『安全(危険に遭遇する確率が小さい)』の魅力が勝るからです。 

国内旅行は、いざと言う時に『日本語』で用がすむわけですから、すべて『パッケージ・ツア』を利用してはいませんが、今回は『どう見ても格安』の魅力が勝りました。見ず知らずの人たちが一緒にグループ行動をすることになりますから、気遣いが必要などもありますが、『お膳立て』されたコースに従っていればよいという『気楽さ』もあります。 

現地の事情に長けたガイドさんが、次々に情報を提供してくれますから、『テレビの旅番組』を観ているのと大差ありません。『あそこに見える山の名前は何だろう』とか、『この土地は江戸時代何藩だったっけ』とか調べる必要もありません。つまり『ラクチン旅行』なのです。しかし、『ラクチン』は、その分永く強く記憶に止まらないというデメリットもあることを覚悟しなければなりません。 

未だ雪が残る『米沢』から、バスで山越えをして、最上川の河口の『酒田』へと向かいました。『酒田』はほとんど雪は残っていませんでした。盆地の『米沢』と、庄内平野、最上川河口の『酒田』では、この時期全く別世界の印象を受けます。『酒田』は江戸時代、『西回り北前舟』の寄港地として、回船問屋が財をなし、江戸はもとより、京や大阪の文化まで流入していた魅力的な港町です。現在では鉄道やトラック輸送が船に代り、昔の隆盛はありませんが、その分昔の風情を残す港町ですから、観光には最適です。 

梅爺夫婦は、以前友人達とのグループ旅行で、山形県の『山寺』『天童温泉』などを訪れ、『最上川船下り』も楽しみました。船頭さんが唄ってくれた『最上川船唄』は、男声合唱曲として梅爺は歌ったこともある、好きな曲です。 

『ヨーエサノマカ-ショ、エンヤコラマーカセ』の掛け声で始まり、『酒田さ行ぐさけ、まめでろーちゃ、はやり風邪などひがねよーに(酒田に行くのですから達者でいてください。はやり風邪などひかないようにしてください)』と唄われます。 

歌詞に出てくる『酒田』を一度訪ねてみたいと思っていましたが、今回果たすことができました。

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2013年3月23日 (土)

山形県、新潟県ラクチン旅行(2)

Dscn4611米沢から酒田へ向かうバスの車窓風景、晴天と雪景色の対比が素晴らしい、遠くに見える白雪の山は『月山(がっさん)』

『山形県』『新潟県』と聞くと、つい県一帯が、同じ『言葉』『精神風土』『伝統・習慣』を共有する地域と想像しがちですが、実際には、県の中でも場所によって異なった文化を継承しています。『所変われば品変わる』とは、よく言ったものです。

梅爺は、新潟県の長岡市(中越)で育ちましたので、『新潟県』については、新潟市(下越に近い)、上越市(旧高田市を含む、上越)と違いは知っていましたが、『山形県』について、今回訪れた『米沢』と『酒田』の違いを肌で感ずることができました。日本を旅するには、むしろ江戸時代の幕藩体制の区割りを基準に理解する方が、実際に即しているように思います。

今回の旅行は、『米沢』から始まりました。3月の中旬でも、あたり一面の雪景色に先ず驚きました。道路のわきには除雪した雪がうずたかく積まれていて、当然ながら畑や田んぼは、雪に埋もれていました。四方山に囲まれた『米沢盆地』の地形によるものですが、これでは、『冬は寒く、夏は暑い』に違いありません。

今回の旅行は概ね天候に恵まれ、特に『山形県』では晴天でした。抜けるような青空と、『米沢』一帯の雪景色、周囲の雪山の景色の対比はすばらしいものでした。

雪国に育った梅爺は、冬の間は晴天は2~3日しかなく、ほとんど毎日が『どんよりした鉛色』であることを知っていますので、晴天と雪景色の対比は、ことさら珍しく感じました。

青空のない雪景色は、雪の白さが強調されて、その他の色は失せてしまい、『墨絵』の風情になります。大学受験で梅爺が上京した時に、国境のトンネルを抜けた途端に、周囲が色彩あふれる世界に変ったことを印象深く覚えています。川端康成の『雪国』の『国境のトンネルを抜けると、そこは雪国だった』の逆を体験したことになります。

雪国の人たちは、冬の間色彩のない世界で暮らし、その上、『雪かき、雪下ろし』といった、考えてみれば無駄な労力を強いられるわけですから、『我慢強い』性格になるのは肯けます。気候風土は、人間の『精神世界』に大きな影響を及ぼすことがわかります。特に自然との共生について、『諦念(ていねん)』のようなものを持つに至ります。

Dscn9497米沢の酒蔵『東光』に飾られていた江戸時代の雛人形

過酷な環境にあった『米沢藩』を、名君『上杉鷹山(ようざん)』が、産業振興と節約で救った話は有名ですが、これも『米沢』の人々の『我慢強さ』があってのことであろうと想像しました。

『上杉鷹山(出羽米沢藩9代藩主)』は、日向高鍋藩の殿さまの息子として生まれて、米沢上杉藩の養子になった人です。優秀な『婿』の方が、凡庸な『後継ぎ息子』より良いという典型例です。20万石の借財、天明の大飢饉で疲弊した『米沢藩』を、見事に立て直したわけですから、現在の日本に欲しい人材です。

こういう実績のある人に『成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり』などと言われてしまうと、ただただ畏れ入るしかありませんが、梅爺はこのような精神主義は好きではありません。

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2013年3月22日 (金)

山形県、新潟県ラクチン旅行(1)

Dscn4662由良温泉の『日本海大漁御膳』

梅爺と梅婆は、JR東日本の『大人の休日倶楽部』の会員になっています。JR路線の200Km以上の区間を利用すれば、料金が3割引きとなりますから、年金爺さん、婆さんにはありがたいサービスです。 

新幹線の最速モデルには搭乗できない、年末年始などの混雑時には利用できない、などの制約がありますが、もともと一刻をあらそうような身分ではありませんし、混雑時は旅行しない主義ですから、気になりません。 

娘夫婦が、関西の夙川に住んでいた時には、孫に会うために、このサービスを度々利用し、ついでに岡山、広島などに足を延ばして、旅先でレンタカーを借りるなどして、夫婦で国内旅行を楽しんできました。 

『大人の休日倶楽部』からダイレクト・メールで送られてきた『パッケージ・ツア』の広告の中に、『山形県、新潟県を巡る一泊二日の旅』があることを梅婆が見つけて、早速申し込みました。 

Oshinagaki『日本海大漁御膳』のお品書

山形県(米沢、酒田、由良温泉)、新潟県(村上、寺泊、弥彦神社、燕・三条)を新幹線と専用の観光バスを利用して巡る旅程で、添乗員も同行しますから、全くの『ラクチン旅行』です。このツアの売り物の一つは、宿泊する由良温泉で、『日本海の幸を堪能する大漁御膳』が夕食に供せられるというもので、『本当かいな?』と半信半疑で出かけましたが、『大きく看板に偽りはない』食事が出てきました。
 

参加者は、38名で、18組の夫婦(当然老夫婦)と単独参加2名(男性一人、女性一人)の構成でした。『大人の休日倶楽部』が、日本の老齢化社会に大きく貢献していることが分かります。それほどの高額ではありませんが、年寄りにお金を使わせるということは、『アベノミクス』にとっても悪い話ではありません。添乗員(女性)によれば、このツアは、キャンセル待ちが出るほどの人気コースなのだそうです。 

梅婆が最近読んだ『さだまさし』のエッセイの中に、『東京から離れれば離れるほど、捨てたものではない日本がある』という一文があるらしく、『正しく至言』と感心していました。 

たった2日の小旅行でしたが、旅先で、素晴らしい人柄の人たち、受け継がれている伝統文化、雄大な自然、美味しい食材などに出会い、『日本は捨てたものではない』ことを痛感しました。

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2013年3月21日 (木)

テオドール・グヴィの『スターバト・マーテル』(3)

今回の演奏会で最初に演奏された『ブルックナーのミサ第3番(抜粋演奏)』は、大変重厚な作品です。

『アントン・ブルックナー(オーストリア)』は、『ベートーベン』の後の世代を代表する音楽家の一人で、『交響曲』が特に有名です。『リスト(ハンガリー)』『ベルリオーズ(フランス)』『ブラームス(ドイツ)』『ヴェルディ(イタリア)』『ワグナー(ドイツ)』などとほぼ同世代です。『テオドール・グヴィ(フランス)』も、上記の作曲家とほぼ同じ時代に活躍した人物ですが、上記の作曲家ほど現在有名ではありません。

『グヴィ』は、フランスとドイツの国境紛争地帯の出身であったこともあり、32歳になるまで『フランス国籍』が得られなかった、などの不運も重なって、『交響曲』や『室内楽曲』『宗教曲』『オペラ』など多作であったにもかかわらず、フランスでは評価されませんでした。20世紀の後半(死後100年後)に、『グヴィのレクイエム』が再演奏され、現在では評価が高まっています。今回『スターバト・マーテル』が日本で初演されたことは、『グヴィ』にとっても、日本にとっても大きな意味があるように思います。

一方『ブルックナー』は、生前からある程度の名声を得ていました。しかし、『ワグナー』の音楽に接したり、批評家から酷評されたりすると、それまでの『交響曲』を『徹底改訂する』ようなことをしていますので、『理論家』『完璧主義者』であったのかもしれません。『ベートーベン』や『ワグナー』の影響を受けていることからも分かるように、作風は『重厚』です。

梅爺も合唱を続けていますので、分かるのですが、『指揮者』の人柄、感性、表現能力などは、演奏に多大な影響を及ぼします。聴衆は、『本番演奏』だけに接するだけですので、指揮者の後ろ姿をみて、『タクトを振っているだけ』と思いがちですが、実は、本番に至るまでのリハーサルで、指揮者が団員に『何を伝えようとしたか』が重要で、この内容が啓発的なのです。時折、テレビで、色々な演奏会のリハーサルの様子が放映されることがありますが、ひょっとすると『本番より、こちらの方が面白い』と感ずることが多々あります。

郡司博氏も、リハーサル中に合唱団員をきっと啓発されているに違いないと推察しながら、今回は『本番』だけを拝聴しました。

友人のUさんご夫妻が、合唱に加わっていること、ソリストの一人『成田真』氏(バス)が、梅爺の合唱団(アカデミカ・コール)のボイス・トレーナーを務めてくださっていることもあり、親近感を抱きながら演奏を楽しむことができました。

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2013年3月20日 (水)

テオドール・グヴィの『スターバト・マーテル』(2)

『幼な子イエスを抱く聖母マリヤ』は、キリスト教美術の定番で、多くの画家や彫刻家が作品を残してきました。『天使から受胎の告知を受ける処女マリア』も多くの画家が作品を描いています。マリアの衣服の色は赤、ガウンの色は青、そして『純潔』を示唆する百合の花を描き加えるなどの形式が踏襲されています。  

『スターバト・マーテル』は、キリスト処刑後の『十字架降下』の場面をミサ曲にしたもので、『十字架降下』も多くの絵画、彫刻の対象になっています。『聖母マリヤ』『聖母マリヤの異父妹マリヤ』『マグダラのマリヤ』の3人の『マリヤ』が立ち会ったということになっています。肝心の『12人の弟子達』は、類が及ぶのを恐れて、逃げてしまい、『アリマタヤのヨセフ』という人物が、遺体を引き取ったことになっています。ただし、『十字架の刑』は、ローマ帝国(当時ユダヤはローマ帝国の属州)の処刑方式で、罪人を十字架から下ろすことは許されていなかったはずだと、この部分の聖書の記述を疑問視する歴史学者もいます。 

理屈っぽい西洋人は、『キリストが神の子ならば、母親も普通の人間であるはずがない』と考え、『処女マリアの懐妊』を『無原罪のお宿り』などと表現するようになっていきます。グレコの『無原罪のお宿り』という絵が有名です。 

『マリアは罪の穢(けが)れとは無関係な特別な人間』と考えたくなる気持ちは分からないでもありませんが、それでは、『マリアの母親』はどういう人間だったのかなどと信仰の薄い梅爺は、揶揄したくなりますので、手に負えません。 

『スターバト・マーテル』の歌詞は、我が子イエスの十字架の処刑に立ち会った母親マリアの悲嘆、イエスの苦しみを共有させて欲しいと願い、そして最後には、『自分が死んだら、マリア様のお口添えで、自分を天国へ送って欲しい』という切実なお願いして終わっています。  

『レクイエム』もそうですが、死者に哀悼をささげるだけと思いきや、最後には、死者を差し置いて『最後の審判の時には、私を天国へ送って欲しい』と願う内容になっています。死後に地獄へ行くことが、如何に悲惨なものかを多くの宗教が繰り返し述べ、『地獄図』でそれを強調しますので、敬虔な信徒は、『何としても地獄は嫌だ』という強迫観念を抱くことになります。  

『死で肉体は朽ち果てるが、魂は存続し続ける』『死後、生前の行いを対象に審判が下され、天国か地獄かの行き先が決まる』という教えは、純真な民衆を宗教へ拘束する常套手段になっていますが、梅爺は、あまり好ましいことであるとは思っていません。特に、『理性』が発達する以前の子供に、このような考えを刷り込むことには、控えるべきと考えています。宗教の目的は、『いかに生きるか』を説き、生きている人間に『心の安らぎを』をもたらすものであって欲しいと願っています。  

話が逸れてしまいましたが、このような梅爺の屁理屈で『グヴィのスターバト・マーテル』の音楽の素晴らしさや、演奏の見事さが損なわれるわけではありません。全身を使う情熱的な郡司氏の指揮や、オーケストラと大合唱団が醸し出すハーモニーは感動的でした

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2013年3月19日 (火)

テオドール・グヴィの『スターバト・マーテル』(1)

Pietaミケランジェロの『ピエタ』

3月14日(木)の夕刻、池袋の『東京芸術劇場コンサートホール』で開催された『郡司博合唱指揮45周年記念』演奏会を、梅婆ともども聴きに出かけました。 

大学時代からの合唱仲間Uさんと奥さまが、合唱メンバーとして演奏に参加され、梅爺夫婦はご招待にあずかりました。 

Uさんは、梅爺と一緒に、2月の末にニューヨークの『カーネギーホール』で、『ケルビーニのレクイエム』を歌って帰国したばかり(奥さまもニューヨークへ同行された)ですので、『合唱にかける情熱』には、頭が下がります。  

今回の演奏会のプログラム内容は以下です。 

(1) ブルックナー『ミサ第3番』からGloria、 Benedeitus、 Abnus Deiの抜粋演奏 :合唱(ソリスト付き)およびオーケストラ 指揮 郡司博
(2) エドワード・スモールドーン『The Beauty of Innuendo~遥かなるものへ~』 :オーケストラ 指揮 右近大次郎
(3) グヴィ『スターバト・マーテル』 :合唱(ソリスト付き)およびオーケストラ 指揮 郡司博
 

いずれも、オーケストラは,『オラトリオ・シンフォニカJapan』で、郡司氏の演奏会には欠かせない常連です。 

(2)のエドワード・スモールドーン氏は、現代アメリカの作曲家(クィーン大学アーロン・コープランド音楽学校学部長)で、今回の作品は、『作曲委嘱』されたものですのから、当然ながら『世界初演』です。作曲家自身が来日され、演奏後に壇上で賞賛の拍手を受けました。  

(2)のタイトルの『The Beauty of Innuendo』は、直訳すれば『ほのめかされた美』で、直接的に感覚器官がとらえた『美』というよりも、抽象的な『精神世界』の中で、密やかに感じ取れる『美』というような意味ではないかと推察できます。英語の『Innuendo』は、通常は『当てこすり、風刺』というような良い意味で用いられる単語ではありませんが、この場合は『悪い意味』は込められていないのでしょう。プログラムで使われている『遥かなものへ』という訳は、あまりにも意訳で、せめて『秘められた美』程度が良いのではないかと、梅爺は勝手に思いました。  

(1)と(3)が、荘厳な宗教曲であるために、(2)の前衛的な音楽が、対比的に『面白い』とも言えると同時に、この部分だけ『異質』な感じも受けました。『宗教曲』は、『信仰』という目的が明確な『精神世界への誘い』ですが、単に『秘められた美』の探訪ということになると、対象はあらゆるものになり、極めて抽象的な思考行為ということになるからです。 

(3)の『グヴィのスターバト・マーテル』は、キリストの十字架の刑に立ち会った母マリアの嘆き、悲しみをテーマにして『ミサ曲』形式の一つです。彫刻でこれを見事に表現したものが、バチカンに飾られているミケランジェロの『ピエタ』で、梅爺が大好きな彫刻の一つです。 

キリスト教の信仰を支える一つが『聖母マリア崇拝』で、特に女性の信徒を獲得するのに、大きな役割を果たしてきました。『キリストの愛』は、『理』で受け止められる概念ですが、『母の愛』は、誰もが『情』で直感できる分かりやすい概念であるからなのでしょう。

スターバト・マーテル』というタイトルは、ラテン語の歌詞の最初の部分『Stabat mater dolorosa 悲しみの母は立っていた』から採られたものです。 

13世紀あたりから、この『スターバト・マーテル』という主題は、『ミサ曲』に採用されるようになり、多くの作曲家が作品を作っています。ハイドン、ロッシーニ、ドヴォルザーク等の作品が有名ですが、演奏されたグヴィの作品は、郡司氏等の努力で、フランスの『グヴィ・インスチチュート』から楽譜がとり寄せられたもので、今回が『日本初演』でした。 

演奏が見事であったこともあり、『スターバト・マーテル』としては、旋律の美しさという点で傑作に属するものと梅爺は感じました

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2013年3月18日 (月)

A rich man's joke is always funny.

英語の諺、『A rich man's joke is always fanny.』の話です。

直訳すれば『金持ちのジョークは、いつだって面白い』ということになりますが、そんなはずはありませんから、大変な皮肉が込められていることが分かります。

うろ覚えなので、少し表現は違っているかもしれませんが、日本の川柳にも『高笑い絶える間が無い社長室』というようなものがあります。

財力や権力を持っている人の周辺には、分け前、おこぼれに与(あずか)ろうとすり寄る人が現れます。こういう人たちは、金持ちやボスの機嫌を損ねないように、面白くない話でも、さも面白そうに反応し、笑って応えます。

いわゆる『お追従(ついしょう)連、幇間(たいこもち)達のヨイショ』ですが、人間は、ヨイショばかりされていると、段々それが当たり前に感じられるようになってしまうという、哀しい習性があります。

取り巻きがチヤホヤするのは、『金』や『肩書』があるからで、それらを失った時には、誰も見向きもしなくなるということに、なかなか気づきません。それどころか、見捨てられて後も、『あれほど俺が面倒をみてやったのに、なんと薄情な奴らだ』などと昔の取り巻きを非難したりします。

金持ちの面白くないジョークに、喝采してみせる方も、自分のさもしい根性に自己嫌悪を覚えることがないとしたら、あまり器の大きい人間とはいえません。

能力の無い人間が、『金』や『肩書』に吸い寄せられて集まった取り巻きのヨイショで勘違いし、『偉そうに振舞う』のは始末に負えませんが、人間社会で、この種の例が無かった時代はありません。お隣の国の『将軍様』も、梅爺の眼には怪しげに映ります。ヨイショをしないと、命の保証がないという恐怖政治下の国民には同情を禁じ得ません。

法の下で、個人の基本権利に関する『平等』は保証されていますが、人間社会は、必ず『差異』を前提に構成されます。『経済』などは、『差異』がなければ成り立ちません。他人より高い評価を得ようとすれば、『財力』『権力』『能力』に頼ることになるのも必然です。

『財力』『権力』『能力』を持ち合わせているとは到底言えない梅爺のような凡人は、『高望みせず、平凡に生きることが最も人生では大切なことだ』などと自分に言い聞かせながら、生きていくことになります。

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2013年3月17日 (日)

西田幾多郎と京都学派(8)

政治に比較的『非関与(デタッチメント)』の姿勢を貫いていたかに見えた『西田幾多郎』が、陸軍の要請に応えて『近衛首相の所信演説の内容に組み込むべき内容』をメモで手渡し、結局それが無視されたことに批判的な発言をしていたという事実が番組で紹介され、梅爺は『西田幾多郎といえども人間だ』とホッとしたり、少しがっかりしたりしました。メモの内容は『東亜共栄圏と日本の盟主の役割』を肯定するものであったからです。

レポーターの『福岡伸一』先生も、『非関与(デッタチメント)から積極関与(コミットメント)』へと姿勢が変わったことに不可解の表情をされました。公共放送の中では、さすがに批判を口にはされませんでしたが、少しがっかりされたのではないでしょうか。

勿論『西田幾多郎』が想定した『東亜共栄圏』は、軍事手段で達成するものではなかったと思いますが、その危険性を予知できなかったことは『あまりに世事に疎(うと)い』と批判されても仕方が無いでしょう。

梅爺は、6年間ブログを書いてきて、『真偽(正しい、間違い)』を厳密に判定できるのは、『物質世界』を支配する『形式的な数学の世界』の事象に限定されると考えるようになりました。

云いかえれば、『精神世界』の『善い、悪い』『美しい、醜くい』『崇高、下劣』『清らか、汚らわしい』などの抽象的な比較表現は、絶対評価基準のない相対的なものに過ぎないと考えるようになりました。『私が善いと思う』ことを、多くの人に支持していただきたいとは願いますが、誰もが『善いと思う』保証はないということです。

『美しい山』は、『美しい』と感じる『精神世界』を持つ人間が存在することで成り立つ表現で、この世から人間がいなくなれば、『物質世界』には『美しい山』は存在しません。『山』は『山』に過ぎないからです。

人間社会のコミュニケーションは、『精神世界』で表現される情報を用いて行われます。厄介なことに『精神世界』には『個性』があり、微妙に異なった『考え方(価値観)』『感じ方』の複雑なぶつかり合いにならざるを得ません。

『私にとって都合のよいことは、相手にとっては都合が悪いこと』であることを承知の上で、妥協接点を模索するのが『政治』『経済』の基本行為です。清濁併せのむ覚悟がなければできないダイナミックで一律の解が無い世界ですから、『宗教』や『哲学』のように普遍性でガイドできるとは限りません。

宗教家や哲学者は政治に口を出すな、とは申しませんが、精々『私はこう思う』という発言レベルにとどめ、『これが正しいからこの道を歩め』という発言は控えていただきたいと思います。

『精神世界』の『善悪』という概念が、『物質世界』の摂理に適用される『真偽』という概念と巧妙にすり替えられないように、梅爺は用心したいと考えています。

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2013年3月16日 (土)

西田幾多郎と京都学派(7)

『哲学』は、脳の『理』の機能を最大限に駆使して、『自分が存在する意味』を解き明かそうとするのであれば、脳が形成されるにいたった経緯も配慮する必要があるのではないでしょうか。

『宇宙の生成』に端を発し、摂理にしたがって変容し続ける『物質世界』の中に一員として『生命を持つ人類』が登場し、生物としての進化の過程で、現在の脳を獲得したわけですから、『哲学』は本来、最先端の『自然科学』の知識を配慮する必要があると梅爺は思います。

哲学者が『形而上学』の範囲に自らの活動(思索)範囲を規制し、『哲学』は何やら崇高なことを考える学問であると考えておられるなら、失礼ながら勘違いではないかと申し上げたくなります。『物質世界』の事象を『形而下(けいじげ)』のこととして、軽んずるようなことがあるとすれば、大変な思い違いではないでしょうか。何故ならば脳そのものが、『物質世界』に属し、その摂理の影響をうけて活動しているからです。

『哲学』は、現状で人類が獲得している全ての知識を駆使して、納得のいく説明を心がけるべきです。その意味では、どの学問より『学際的』でなければなりませんから、『哲学』はあらゆる学問の中で、もっとも難しい能力を要求されるように思います。

『生物分子学』『脳科学』『宇宙物理学』『量子力学』などの専門知識をもつ学者の方が、『哲学者』より先に、『物質世界』と『精神世界』の関係を矛盾なく説明することに成功するかもしれません。云いかえれば『形而下』と『形而上』の両方の事象の関連を見つけることですから、新しい発見があれば、『哲学』ばかりではなく、『宗教』や『芸術』も大きな影響を受けるかもしれません。

人類はその時『パンドラの箱』を開けてしまったような、戸惑いを感ずるかもしれません。神聖、崇高、神秘、深遠と考えていたものが、実は意外なものを基盤として出来上がっていることを観てしまうかもしれないからです。『幽霊をとらえてみれば枯れ尾花』ということもあり得ます。

『物質世界に生命が誕生したからくり』『生物全てに共通する遺伝子構造のしくみ』『汎用細胞から専用細胞を創り出すしくみ』『脳の部位の機能役割分担のしくみ』などが判明しつつありますから、既に『パンドラの箱』の蓋(ふた)に手がかかっているところまできているとも言えます。

『精神世界』の特殊性と、『物質世界』と共通する普遍性について、未だ私たちは区分けができていませんが、その関係が明らかになれば、『宗教』や『芸術』の神秘性や崇高性の一部が失われることになるのかもしれません。

そうなれば、人間の尊厳が失われると心配される方もおられると思いますが、梅爺はそうは思いません。『パンドラの箱』を開けて、一時は唖然とすることがあっても、新しい状況での生き方を必ず模索し始めると楽観的に予想しています。

梅爺はこれからも、『物質世界』と『精神世界』の関連を示すものには、所構わず野次馬根性で首を突っ込み続けることになりそうです。

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2013年3月15日 (金)

西田幾多郎と京都学派(6)

この番組の主旨は、『西田幾多郎』とその弟子である『京都学派』の哲学者たちの思索内容を紹介することではなく、哲学者たちが『時代』とどのように関ったのかを考証しようというものです。

大正から昭和の初期にかけて、日本は『世界大恐慌』のあおりで大不況による社会格差が拡大し、政党政治は統率能力を失っていました。軍部は東アジアでの支配強化の軍事行動を行い、日本を経済制裁しようとするアメリカとの国家間対立も深刻化するという、内外に大きな『国難』を抱えた時代と、哲学者たちの活動時代が重なっていることに番組は注目したことになります。

近代になって『戦争』は、もはや昔のような、『侍』『騎士』『兵隊』だけが局所的に戦う行為ではなく、国家の全てを動員する『総力戦』と化しました。『一般人を殺傷対象としてはいけない』などという『国際法』も、いざとなれば、無視され、男だけでなく、女も子供も、誰もが、財産、土地、それに命までも一瞬に奪われる悲惨で、非生産的な人間の行為が『戦争』です。

哲学者たちが、日本が引きずり込まれていく『戦争』の意味を、どのように認識していたのかは梅爺の興味の対象ですが、『認識』どころか、日本が行う行為の『正当性』を論理づけようと協力していたらしいことを番組で知って驚きました。

もっとも、哲学者たちから協力を申し出たわけではなく、『政治家』や『軍人』からの依頼を受けて、協力したというのが実情のようです。『西田幾多郎』は最後の最後まで、表には立ちませんでしたが『京都学派』の『三木清』などは、近衛秀麻首相の政策ブレーンである『昭和研究会』のメンバーになり、『東亜共同体論』の思想原理をまとめることに尽力しています。

哲学者が、『歴史と社会を動かす』ことに加担することは、ドイツの偉大な哲学者『ハイデガー』が、ナチの『全体主義』に関与したことも知られています。『三木清』も政治が哲学者を必要としていると感じて、誇らしく感じていたのかもしれません。『自分は利用されていてピエロを演じている』とは疑ってもみなかったのでしょう。

この他にも、『京都学派』の学者たちは、陸軍から内々の依頼を受けて、『東亜共栄圏』を理論づけるための秘密会合を重ねていたことが、最近発見された会議メモで明らかになりました。会合は京都の一流料亭で行われています。大学教授では身分不相応の場所ですから、『何かおかしい』と疑う人がいなかったのかどうか気になります。普段周囲からあまり関心が寄せられない哲学者が、『あなたが頼りです』と言われて、舞い上がってしまったのかもしれません。他人事(ひとごと)ではなく、梅爺も『お知恵を拝借』などと言われると、嬉しくなって見境なく直ぐその気になるところがありますから、心情が分からないでもありません。

哲学者たちの結論は、『大東亜共栄圏』を肯定し、日本がその『盟主』となることも肯定するものでした。最後まで表に立たなかった『西田幾多郎』も、同様の内容のメモを、近衛首相の所信演説の内容に採用してもらうために提出しています。

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2013年3月14日 (木)

西田幾多郎と京都学派(5)

『西田哲学』の真髄の一つとされる『絶対矛盾的自己同一』について、番組のレポーターの『福岡伸一』先生(生物分子学者)は、『西田幾多郎』が好んで色紙に描いた『円相図(ひと筆描きで円を描く)』を例に挙げ、『無数に近い独立した細胞の相互活動で構成される生命全体』を連想すると述べておられました。哲学者が、近代科学が後に明らかにしたことを既に予見しているように感じたからではないでしょうか。

人間の場合は、70兆個に及ぶ細胞が、黙々と自分の役目を果たすことで『命』が維持されています。梅爺の細胞には、梅爺の遺伝子が組み込まれていて、個性をもっています。それが全体としての梅爺を構成する要因にはなっていますが、個々の細胞は梅爺の『精神世界』によって、直接管理、支配されているとは言えません。無数のサブシステム(システムを構成する部分システム)の比較的独立した自由な活動が寄せ集まって、システム(全体)が動的に平衡を維持する様子を『福岡伸一』先生は『動的平衡』と呼んでおられます。梅爺の細胞も、毎日多くが死滅し、新しいものに入れ替わっています。全体としての梅爺は、1年前と大きく異なってはいませんが、梅爺の細胞は、この間に『総取換え』と言って良いほどに変わっています。これが『命』が『動的平衡』で成り立っている証拠です。

『物質世界』の『摂理』の一つが『動的平衡』であり、宇宙も自然界もすべて『動的平衡』で絶え間なく変容しています。『動的平衡』は、システム構成要因の一部に『ムラ』があると、それを解消しようと全体が変容することですから、どれが『始め』でどれが『終わり』かの特定もできません。人間には不都合の天災も、地球環境が『動的平衡』で変容していることで起きるものです。そこには『精神世界』が思いつく『神の怒り』『祟(たた)り』などというものは存在しません。『物質世界』の視点で観れば、人間はその一員にすぎませんから、基本的に『命』が『動的平衡』で維持されていることは驚きではありません。

しかし、本当の驚きは、『物質世界』の一員でありながら、人間の『脳』が、『精神世界』という別世界を産みだしたという事実です。『精神世界』は、勿論『物質世界』の影響を受けていますが、それだけではなく独自の『ルール(論理)』や『価値観(美意識などの情感)』を保有しているように見えます。『精神世界』は突然出現したものではなく、生物進化とともに、永い時間をかけて独自に進化してきたものです。最初は『生き残りのための安泰を優先する本能』という単純なものでしたが、現在では、崇高、深遠、複雑な『世界』にまでに変貌を遂げています。この進化には『脳神経細胞のネットワーク』の発達が関与していますが、プロセスは全て解明されてはいません。

『精神世界』が人間の文明を産みだしました。『物質世界』のしくみを解明し応用する『科学、工学』、人間社会を維持するために必要な『法』『組織体制』『政治のしくみ』『経済のしくみ』『教育』、それに『哲学』『宗教』『芸術』など全てが『精神世界』の産物です。

生物としての人間が、他の生物と異なっているのは、生物進化の過程で『偶然』取得した高度な『精神世界』を保有していることにあります。梅爺には『精神世界』は人間が自ら獲得したもので、『神』から授けられたものであるとは思えません。

哲学者や宗教学者が今後とも『自分とは何か』を問い続けるのであれば、『自然科学』の最新知識などを取り込んで考える必要があるのではないでしょうか。日本に『西田幾多郎』という哲学者が登場したことは誇らしいことですが、私たちは、ただ偉業を褒め称えるだけではなく、現在の知識を総動員して、『西田幾多郎』の考えを検証する必要があるように思います。その意味で、番組が生物分子学の『福岡伸一』先生をレポーターとして登用したことは当を得ていると感じました。

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2013年3月13日 (水)

西田幾多郎と京都学派(4)

それでなくても、『難しい、面白くない』と言われている『梅爺閑話』で、連日『哲学』用語の感想が続いていて、『いい加減にしろ』といわれそうですが、ここまできたら乗り掛かった船とあきらめてお付き合いください。

さて次は『西田哲学』を代表する概念『絶対矛盾的自己同一』の感想です。

『物質世界』は、『摂理』ともいわれる『形式的な数学の世界(法則)』に支配されていますから、『矛盾』は存在しないものと推定できます。一見人間には『矛盾』に見える事象があったとしても、それは『摂理』の一部が未だ解き明かされていないためと考えられます。『自然科学』は、この考え方を前提に解明が進められています。

『物質世界』に属する『人間の脳』が、『精神世界』という仮想世界を産みだし、『精神世界』の中で私たちは『矛盾』という抽象概念を共有しています。云いかえれば『矛盾』は『精神世界』にのみ存在することになります。

『精神世界』は、あまりにも広大ですので、私たちは『物質世界』ではちっぽけな存在である人間(個人)の中に、このような広大な世界を保有していることを不思議、神秘と感じます。『哲学』『宗教』『芸術』『法』などは、すべて『精神世界』の産物です。

しかしこの『精神世界』も、元はと言えば『生き残りのために安泰を希求する本能』から出発した『脳神経細胞ネットワーク』の進化がもたらしたものと梅爺は推測しています。結果的に不思議、神秘に見えますが、進化そのものは神秘ではありません。

『生き残りのための安泰』の一つの条件は『仲間との絆』ですから、『精神世界』は、『仲間との絆』は重要な意味を持ちます。自分が生き残るための『食欲』と同時に、『子孫を残して種を存続させる』ための『性欲』も基本的な本能として『脳』で継承され、それが『精神世界』にも影響を与えています。

もっとも厄介な話は、『生殖方式』に、遺伝子という『個性』を伴う条件が関与すること(これも『摂理』のなかで選択された方式)で、このため、容姿だけでなく、『脳神経ネットワーク』のパターンも『個性』を保有することになります。人間は個人ごとに『考え方』『感じ方』の内容や度合いが異なっています。云いかえれば『精神世界』は『個性』を持っていることになります。

個性的な『精神世界』を保有する人間が集まって『社会』が構成されていますから、『社会』の行動は極めて複雑になります。身近な人間関係だけでなく、国際関係などが多くの問題をはらむのはこのためです。

単純な本能から進化した『精神世界』はやがて複雑なものになり、『矛盾』という概念も考え出しましたが、この『矛盾』で観ると『精神世界』は『矛盾に満ちている』ことになります。たとえば『良心』と『邪心』を両方併せ持つなどというように見えることがその例です。

『絶対矛盾的自己同一』などと難しいことを言わなくても、『精神世界』に『矛盾』に見えるものが存在する理由は説明できるのではないでしょうか。

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2013年3月12日 (火)

西田幾多郎と京都学派(3)

『西田幾多郎』が47歳の時の著作『自覚における直感と反省』で、次のような定義、説明がなされていると、番組では紹介がありました。 

『直感=直接的経験』
『反省=思慮分別』
『自覚=直感と反省が連続かつ繰り返しで起こること』
 

梅爺は、この思考内容にはあまり違和感を覚えません。梅爺流に表現すれば、『直感』は、『人間の五感を通じて取得した外部情報に対する脳の最初の反応』と言うことになります。外部情報が最初に集まる脳の場所(脳幹と呼ばれる部分)は、現代の脳科学で推測ができていますが、膨大であるはずの入力情報量を並列的に短時間に処理し、『直感』といわれる出力を得る『しくみ』に関しては、十分解明できていません。 

『脳で行われる情報の並列処理』についても、コンピュータの主力処理方式である『直列処理』とは決定的に異なっているであろうことは推測できますが、具体的な『しくみ』は分かっていません。『低消費(エネルギー)型の高速並列処理コンピュータ』を私たちは頭の中に保有しているらしいことだけが分かっています。 

『直感』は、生物進化の中で、生き残りのために取得した能力(本能)であろうと推定されます。外部の状況が、自分の生き残りのために都合がよいものか、悪いものであるかを短時間に判断することが重要であったからです。当然、この能力は人間だけが保有するものではなく、生物(動物)に共通しています。 

危険な飛来物が自分へ向かって飛んでくるのを察知すれば、私たちは無意識に身を庇(かば)おうとしますし、苦いものを間違って口にすれば、咄嗟にペッと吐き出そうとします。これらは『直感』によるもので、『理』による『意図』が関与する以前の行動です。 

梅爺はこの『直感』に関る脳の機能を『情』と呼んで、何度もブログに書いてきました。『情』は崇高なものとして受け止められたりしますが、元はと言えば『自分の生き残りに都合がよいか悪いかを瞬時に判断する本能』に由来するという考えです。云いかえれば『自分の安泰を最優先する本能』ですから、こう考えれば、人間の中に何故『良心』と『邪心』が混在するかというような謎が解けます。後に『理』が発達した人類は、『善』『悪』というような抽象概念を見出し、『自分の安泰を最優先する行動』は必ずしも良いことではないというような共通認識を持つようになりました。これは『罪』の意識ですが、『罪』も抽象概念です。人間を理解するためには、誰もが『自分の安泰を最優先する本能』をもっているという事実を直視する必要があると思います。『罪』は神に許しを乞うものではなく、自らが『理』で抑制すべきものです。本能がある以上、私たちは『罪』を犯す可能性を秘めていると覚悟すべきです。 

『西田幾多郎』が『反省』と呼ぶものを、梅爺流に表現すれば『理を駆使した認識』ということになります。見知らぬ人と接した時に、『怪しげな人間』と『直感』で察知し、身構えたりしますが、その後の対応であらたな情報を取得し、『理』が総合判断して『そう悪い人間ではなさそうだ』と認識を変えるような行為がその例です。 

『西田幾多郎』が、『自覚』と定義していることは重要で、これも梅爺流に表現すれば、脳の中では先ず『情』の判断が先行し、次に『理』を駆使した認識が追従するということになります。外部情報は刻々と変わりますし、『理』も様々なパターン応用して認識も変容しますから、『自覚』が『繰り返し行為』であると指摘は当を得ていると思います。『福岡伸一』先生の表現なら、『自覚』は自然の摂理である『動的平衡』と合致し、無限の繰り返し行為であるということになるのでしょうか。 

『精神世界』に『物質世界』の摂理の影響が及んでいるという興味深い話ですが、『脳』も観方によっては『物質世界』のモノに過ぎませんから当然のことなのかもしれません。

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2013年3月11日 (月)

西田幾多郎と京都学派(2)

梅爺は『哲学』には興味があるのですが、『言葉の壁』にぶちあたって、すごすご退散することがままあります。 

『非常に頭の良い人』が、『非常に深遠なこと』を考え、それを表現しようとすると、『新しい抽象概念』を必要とするであろうことは、想像できますが、それにしても、そこで思いつく『言葉(語彙)』がどうしてこうも難解である必要があるのかと恨めしくなります。 

『頭が悪いお前には、どうせ理解はできないだろうが、一応言ってきかせておくぞ』と言われているようで、畏れいってしまいます。 

『難しい事柄を、言葉や行為で易しく表現することは簡単ではない』ことは、『吉川英治』も色紙に『やさしい、むずかしい』と書いているくらいですから、梅爺も理解していますが、難しいことを難しく表現されると、『本当はあなたも理解できていないので、煙に巻こうとしているのではないですか』と、失礼な質問をしてみたくなります。このように、梅爺のような凡人は、自分の能力で周囲を推し量り、自分に都合のよい発言をしようとしますから、手に負えません。 

『西田幾多郎』が思索の果てに考え出した概念には、『純粋経験』と『絶対矛盾的自己同一』があります。以前の梅爺ならば、こんな言葉に遭遇したら、尻尾をまいて逃げ帰るところですが、6年間以上『梅爺閑話』を書いてきたお陰で、自分なりに物事の本質の理解ができてきたと思い上がるところもあり、『純粋経験』や『絶対矛盾的自己同一』を、梅爺なりに理解し、表現するとどうなるのかを考えてみました。 

勿論、梅爺の試みは、『形而上的な概念』を、『物質世界』との関係で理解しようとするものです。『当を得ている』か『トンチンカンな的外れ』かは、皆様にご評価いただくしかありません。 

『西田幾多郎』は、若くして妻との離婚、子供たちの死というような挫折、苦悩を体験したためか、20歳代の後半から約10年間、『禅の修行』に打ち込んでいます。同郷の『鈴木大拙』とも親交がありましたから、『西田哲学』には『禅』が色濃く影響しています。 

『純粋経験』は、『禅』で『無の境地(煩悩を解脱した悟りの境地)』と言われているものを哲学的に理論化したものと言われています。もしそうなら、『純粋経験』は、『常人が理想として追い求めても、達成が困難な経験』ということになります。達成できないのなら追い求めることは無駄かと言うと、そうではありません。梅爺の中には『良心』と『邪心』がありますが、『良心』に重きを置いて生きよう、行動しようと努力することは、梅爺個人にとっても梅爺が属する社会にとっても意味があることであるからです。『邪心』は、生物進化のなかで受けついできた『自分の安泰を優先する本能』に由来していますので、その存在を否定したり、見て見ぬふりをしても始まりません。

『純粋経験』の意味を『理』で理解することも無意味ではありませんが、到達が実際は不可能でも、それへ到達しようとする行為が、重要であり、なぜ重要なのかを分かり易く説明することが『哲学』に本来求められることなのではないでしょうか。

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2013年3月10日 (日)

西田幾多郎と京都学派(1)

NHK地上波教育チャンネルで、放映されている『日本人は何を考えてきたのか』シリーズ(全12回)の11回目は、『近代を超えて~西田幾多郎と京都学派~』でした。 

この番組は、近世以降の著名な日本人思索(思想、宗教)家の考え方が、時代との間で相互にどのような影響しあっているかを検証しようと言う、壮大な試みの内容で、視聴率一辺倒の民放では望みえない、NHKならではの企画です。 

『西田幾多郎(きたろう)』は、近世日本が排出した著名な『哲学者』で、彼が教鞭をとった京都大学での弟子たちは『京都学派』と呼ばれています。 

古代ギリシャに端を発し、3000年以上の歴史を持つ『西欧哲学』が日本に紹介されたのは明治維新以降のことですので、日本の哲学の歴史が浅いのはしかたがないことです。 

『自分は何者なのか』『生や死とは何なのか』を根源的に問うことが『哲学』であるとすれば、明治維新以前の日本で、そのようなことを突き詰めようとした日本人がいなかったわけではありません。『道元』『親鸞』などの仏教の教えは、深遠な精神世界を探索しようとしていますし、『徒然草(吉田兼好)』『奥の細道(松尾芭蕉)』の内容も、随筆や紀行文でありながら、哲学的でもあります。 

日本人は哲学的思索が苦手であるなどと卑下する必要は無いように思います。西欧哲学に日本人が違和感を覚えるとすれば、それはあまりに『理』を重視する思考形式であるからではないでしょうか。日本人は、自分の精神世界が『理』と『情』の支配を受けていることを、潜在的に感じていて、『情』がもたらすものの価値を大切にしようとする傾向があるからではないかと梅爺は考えています。 

『西田幾多郎』も、『従来の哲学は、根源的な立場でものを観ていない』というような不満を表明しています。不満の原因は憶測するしかありませんが、『理の重視だけでは精神世界は見通せない』という日本人的な考えがあるからではないでしょうか。 

梅爺は、『哲学』を体系だって勉強したことがありませんし、『西田幾多郎』の著作(『善の研究』など)を精読したこともありませんので、このブログで書く内容は、誤解や誤認に満ちているかもしれないことを先ずお断りします。 

『自分は何者なのか』『生や死とは何なのか』という問いに答えうるのは『哲学』の領域だけではありません。『ビッグ・バン』『元素の誕生』『生物の出現』『人類の出現』は、自然科学の『物質世界』を扱う学問領域で、かなり解明されています。 

『物質世界』で、私たちの脳や身体を眺めれば、『細胞が活動するためのエネルギー取得のしくみ』『各細胞が周囲の情報に反応して行動するしくみ』などもある程度判明しています。脳や身体は、特別な素材でできているわけではなく、その活動のしくみも『物質世界』の中では特殊なものではありません。

しかし、『物質世界』のなかでは特殊性の無い素材で構成され、特殊でないしくみで活動している『人間の脳』の中に、『物質世界』とは異質な『精神世界』が存在していることが、私たちを戸惑わさせます。

この『物質世界』と『精神世界』の関連は、現時点では解明が進んでいません。『哲学』が、『自分は何者か』『生や死とは何なのか』を問うのであれば、その時点での『物質世界』の研究成果を最大限に利用する必要があるのではないでしょうか。

梅爺が従来の『哲学』に不満を持つのは、この『学際的な視点』が希薄で、あたかも『哲学』という聖域があるかのように、そこだけで苦吟(くぎん)しているように見えることです。

梅爺は、『プラトン』『アリストテレス』『ソクラテス』『カント』『ニーチェ』『西田幾多郎』より優れた思考能力を持っているなどとは、露ほども考えませんが、生まれてきた時代の違いのお陰で、彼らより『物質世界の真理』の知識を沢山持ち合わせていますから、梅爺が『哲学』的思考をする上で、格段に有利な立場にあります。

その意味で、この番組のレポーターにNHKが、生物分子学者で梅爺が尊敬する『福岡伸一』先生を起用したことは当を得ていると感じました。

想像通り『福岡伸一』先生のコメントは、大変適切で、梅爺はすんなり受け容れることができました。

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2013年3月 9日 (土)

マンハッタン散策(3)

Dscn9491セントラルパークに近い高級『プラザ・ホテル』。『カーネギーホール』の舞台稽古と本番の間に時間があり、仲間とコーヒーを飲みに出かけました。なんと一杯1500円!日本の帝国ホテルもビックリというところです。
Dscn9486
五番街に進出した日本の『ユニクロ』の店。真珠の『ミキモト』は昔から五番街にある。

2月24日の夜は、ニューヨークの『Japan Society』主宰の、レセプション・パーティに私たちは招待されました。『Japan Society』、1907年に日米の財界指導者の協力で創立された由緒ある団体で、専用のオフィスやパーティ会場も保有しています。先人が苦労して築き上げてきたものですが、戦時中などは試練の時代であったにちがいありません。この『レセプション・パーティ』も『泉道夫』氏の私たちへの配慮で開催いただきました。何から何まで感謝のほかありません。

ニューヨーク観光と云えば、オペラやミュージカルの観劇、スポーツ(野球、アメリカンフットボール、バスケット、アイスホッケー)観戦などが思い浮かびます。

今回は、滞在期間が短かったことと、観光が主目的ではなかったことで、梅爺は、ミュージカル『オペラ座の怪人』を観劇しただけでした。

大学同期の合唱仲間で今回の公演にも参加したUさん(および同行された奥さま)が、事前のチケット予約や、劇場に出かける前の夕食の予約などの手配一切を引き受けてくれました。Uさんのお嬢さん一家がボストンにおられるため、Uさんご夫妻は事前にボストンに入り、お孫さん達とスキーを楽しまれてからニューヨークで私たちと合流しました。Uさんは、現役時代10年以上ニューヨークで勤務経験がある方ですので、ニューヨークは勝手知ったる場所です。

『オペラ座の怪人』は、フランスの推理小説作家『ガストン・ルルー』の原作小説を題材としたもので、映画は1916年から何回も制作されています。ミュージカルは、1986年にロンドンで初演され、ニューヨーク・ブロードウェイでは1988年から上演が始まり、今でも連続公演記録を更新中という、脅威的な作品です。日本でも1988年に初演され(劇団四季)、その後も連続ではありませんが今でも繰り返し上演されています。

私たちの今回の『カーネギーホール公演』もそうですが、アメリカでは、開演が夜の8時ごろですから、終わるのは11時過ぎになってしまいます。『オペラ座の怪人』もそうでした。『夕食を食べてから開演』ということなのでしょうが、日本の場合は、『帰宅が遅くならないように』開演時間が、6時とか7時に設定されるために、夕食を手軽にとるなどの配慮が必要になります。これも『何を重視するか』の両国の考え方の違いで、興味深いところです。

梅爺は、少々『時差ぼけ』と格闘しながらも、『オペラ座の怪人』を最後まで愉しむことができました。

梅爺は今回挑戦しませんでしたが、『オペラ好き』には、『メトロポリタン歌劇場』は欠かせません。Uさんご夫妻をはじめ、何人かの仲間は、ニューヨークで個人的に延泊してオペラ観劇をしています。

ニューヨークは、人間が作りだした最も人工的な都市です。人によって好き嫌いはあろうと思いますが、『エキサイティングな都市』といって良いのではないでしょうか。梅爺は、短期間ながら滞在して、その思いをあらためて抱きました。

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2013年3月 8日 (金)

マンハッタン散策(2)

Dscn9479『Top of the Rock』からの眺め。エンパイヤステートビルのずっと遠方に『グランド・ゼロ』がある。右側にはハドソン川とその河口が遠望できる。

2月15日の午前中は、仲間内の『観光ツア』に参加して、ホテルから歩いて、『ロックフェラーセンター』『グランドセントラル駅』などの見学に出かけました。
 

『ロックフェラーセンター』には、屋外の『アイススケート・リンク』があり、クリスマス・シーズンの華やかさは有名で、ニュースや数々の映画の場面で登場するニューヨークの名所のひとつです。梅爺が勤務していた会社の『アメリカ本部』は『ロックフェラーセンター』の一角のビルにオフィスがありましたので、この場所は何度も訪れたことがあるのですが、中心の背の高いビル(GEビル)の屋上『マンハッタンを見下ろす展望台:Top of the Rock(有料)』があることは今回初めて知りました。

『Top of the Rock』は、『ロックフェラービルの屋上』という意味と、『岩盤(Rock)の上にあるマンハッタンの頂上』という意味がこめられているのかなと推察しましたが考えすぎかもしれません。

『おのぼりさん』として展望台(70階程度に相当)に登って見ると、少し曇ってはいましたがマンハッタンの全貌を見下ろすことができました。ハドソン川とイーストリバーに囲まれたマンハッタン島の地形や、セントラル・パークの全貌が手に取るように観てとれました。

日本料理屋で、『信州そば』の昼食をとった後に、『グランド・セントラル駅』を見学にいきました。この中央ホールも有名な場所で、アメリカ映画には度々登場します。1階にある庶民的な市場や、地下の飲食店街も散策しました。飲食店街の一角にあるシーフード・レストラン『オイスター・バー』も有名です。この『オイスター・バー』の姉妹店が、東京品川の駅ビルにもありますので、同じようなメニューや雰囲気を東京でも味わえます。東京は実に便利な都会です。

『9.11』でテロの対象になった、『世界貿易センタービル(ツイン・タワー)』も、昔仕事で訪ねたことがありますが、跡地『グランド・ゼロ』は今回訪ねませんでした。その様子は何回もテレビで観ている上に、なんとなく気が進まなかったためです。何故気が進まなかったのかは、自分でも判然としませんが、悲劇の現場を個人的な好奇心の対象にしたくないという気持ちが強かったのかもしれません。現場へ赴いて、心から哀悼の意を表するのも対応の一つですから、どういう対応がよいとか悪いとかいう話ではありません。

その他の自由時間は、個人で、気ままに歩き回ったり、買い物をしたりしました。梅婆から、睡眠補助剤の『メラトニン』を買ってきて欲しいと頼まれていたため、これを探すのに少し時間をとられました。『メラトニン』は副作用の少ないホルモンですが、どういうわけか日本では販売認可が下りていないために、日本の薬局では購入できません(インターネットでは購入可能、しかし少々高額)。

宿泊していたシェラトンホテルの周辺は、東京で云えば銀座のようなところで、薬屋はあまりないのですが、カ-ネギ-ホール演奏会の前日、前々日の歌の練習場『救世軍ビル』は、マンハッタンでも下町に近かったために、付近に『薬屋のチェーンストア』があり、ここで安価に『メラトニン』を購入できました。

孫たちへのお土産を買うために、五番街のセントラルパーク寄りにある、有名なおもちゃや『F.A.O Schwarz』へも出かけました。

梅爺自身のための買い物は、『カーネギーホール』の売店で売っている記念のTシャツだけでした。胸に『Ask me about my debut(私のデビューについてお訊ねください)』と書かれたもので、とても気恥かしくて人前では着られそうもありませんが、記念に購入しました。

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2013年3月 7日 (木)

マンハッタン散策(1)

Dscn9455メトロポリタン美術館に展示されているフェルメール5作品の一つ『眠る女』

梅爺が仕事の現役時代に、最も多く出張した外国はアメリカでした。それは単純な理由で、梅爺が国内で担当していた『企業向け情報通信システム事業』の基盤となるハードウェア、ソフトウェア、コンサルタント業務の面でアメリカが先進国であったからです。最先端の技術を提携導入するためのビジネス折衝や、若いシステムエンジニア達をアメリカへ送り込んで、コンサルタント・スキルを習得させる教育の場の設定など、様々な目的で出張しました。日本のお客様の『米国研修旅行』と称する『観光旅行』のお伴をするという、比較的のんきな出張もありましたが、大半は、『キッタハッタ』の折衝の場に臨むもので、観光などする時間はあまりありませんでした。
 

当時ニューヨークへは、主としてIBMのマンハッタンにあるオフィスや、郊外(アーモンク)にある本社を訪問する目的で出向きました。ビジネス出張の折のホテルは、ヒルトンやシェラトンを利用しましたが、会社の社長や副社長に同行する時には、クラシックで豪華なホテル『セイント・レジス』に、日本のお客様を案内する時には、ブロードウェイのキンキラキンのホテル『マリオット・マーキス』に宿泊したこともありました。 

今回の演奏会のために、ニューヨークのシェラトン・ホテルに4連泊しました。事前の練習日(2日間)と公演当日の合わせて3日間は、午前中自由時間がありましたので、観光や買い物で比較的ゆったりマンハッタンを散策することができました。 

2月24日の午前中は、仲間とタクシーを利用して『メトロポリタン美術館』へ出向きました。梅爺のお目当ては『印象派の絵画』ですので、エジプトや、ギリシャ・ローマの展示は、そこそこにして、大半は、絵画の展示を観ることに時間を割きました。 

梅爺の記憶では、昔は『メトロポリタン美術館』は入館無料で、ただし入口に大きな壺が置いてあり、5ドル程度の寄付金を入れれば良い習慣になっていましたが、今回はバッチリ入場料を支払わなければならないシステムに変っていて、しかも、日本円で2000円程度(シニア割引はある)であることが分かりました。アメリカの世知辛い経済状況の反映なのでしょう。一般に、ニューヨークの物価は、東京より感覚的に『高い』と感じました。 

『メトロポリタン美術館』の絵画部門の特徴は、『印象派』の絵画を沢山所蔵していることです。歴史の浅いアメリカが、財力で名画を買いあさる時に、アメリカ人好みの『印象派』の絵画を主に取得したためではないでしょうか。『セザンヌ』『ルノアール』『マネ』『モネ』『ゴッホ』『ゴーギャン』『シスレー』などの名画が、ごく普通に、それもふんだんに展示されています。

『印象派』以前の絵画では、『フェルメール』の作品を観ようと思い、『フェルメールの所蔵は2枚でしたっけ?』と係員に知識不足の質問しましたら、とんでもないという顔で『5点です』と言われてしまいました。その場に赴くと確かに5点展示してありました。世界の美術館で、5点の『フェルメール』を所蔵しているのは『メトロポリタン美術館』だけではないでしょうか。同じニューヨークの『フリック・コレクション』が『フェルメール』を他に3点所蔵しているらしいので、ニューヨークだけで、30数点しかないと言われる『フェルメール』の作品の内8点存在することになります。これは『フェルメール』の本国オランダをもしのいでいます(アムステルダム国立美術館4点、ハーグのマウリッツハイス美術館3点)。

『フェルメールを今までに何点観た』と言って自慢するのは、ミーハーのようで恥ずかしいのですが、梅爺は、今までに20点以上を、あちらこちらの美術館で観ています。勿論、日本で開催された『フェルメール展』も観にいきました。一番の好みはマウリッツハイス美術館所蔵の『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』です。

『メトロポリタン美術館』を短時間で観て回るというのは、老人には重労働で、結構つかれました。

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2013年3月 6日 (水)

梅爺カーネギーホールで歌う(4)

83156カーネギーホール1階席後方より、レクイエム演奏中のステージを望む

今回の公演で、ニューヨークで活躍する二人の日本人、実業家の『泉道夫』氏と指揮者の『伊藤玲阿奈(れおな)』氏、の存在を知りました。泉氏については、昨日のブログで簡単に紹介しました。

『伊藤玲阿奈』氏は、お祖父さんとお母さんが共にオーケストラの指揮者(筑豊青少年交響楽団:福岡県)という、音楽一家に産まれました。4歳からピアノやバイオリンの基礎教育をうけ、8歳でオーケストラのための曲を作曲する才能を発揮しました。しかし、日本の高校卒業後、政治学の勉強のために渡米し、ジョージ・ワシントン大学国際情勢学部を卒業しました。

それでも音楽への夢は断ち切れず、指揮者になることを再決意し、ジュリアード音楽院、マネス音楽院、クイーンズカレッジで、作曲や指揮を習得されました。

現在は、アメリカを拠点に、ヨーロッパでも活躍する新進の指揮者で、ニューヨークでは、将来プロの演奏家を目指す音楽専攻の学生などをメンバーに、『レオナ・イトー・チャンバース・オーケストラ』を主宰したり、アマチュアの合唱団の指揮をしたりして、地域に根差した音楽活動も展開しています。

今回は、『アカデミカ・コール』との共演のために、本番前の2日間、リハーサルでオーケストラの指導ぶりを拝見することになりましたが、メリハリの効いた的確な指示を即座に伝える(もちろん英語で)姿勢に感銘を受けました。アメリカ文化の中では、このようでないとリーダーは務まらないとはいえ、才能が無ければできることではありません。

伊藤氏が目指す『音楽』を理解し、ついていけるようになるのに、『アカデミカ・コール』も悪戦苦闘しましたが、本番では、まあまあのレベルは達成できたような気がします。

伊藤氏の人柄は、演奏会後『アカデミカ・コール』へ送られてきた感謝のメールの文章に現れていますので、すこし長くなりますが以下に紹介します。

私の演奏暦などは微々たるものですが、その中でも最良のものになりました。恐らく録音ではあまり捉えられないと思いますが、一回限りの感動がありましたね。オーケストラも全く違う音を出し(練習では表現できなかった素晴らしい音の意:梅爺注)、テンポが練習と本番で全く違う気まぐれな私についてきましたが合唱の皆さんの気迫にも、私は支えられ、勇気付けられました。

その場の霊感に身を任せるのが私の特徴ですが、特に今日はカーネギーに住まう音楽の神々も味方してくれ、いつも以上に音楽に入り込むことができ、また違った指揮(テンポ??)になりました。

途中で、皆さんを見ながら涙が出そうになることもあったのですが、最後のAgnus Deiの輝かしい最終部分まで振り切ることができました。

私は10代の大事な時期に音楽教育を受けなかったことと、政治の後に音楽の道に進んだ為に、20代の時は地獄のような日々もありましたがそれが最後にすごく良い意味で蘇ってきました。
いかに理不尽で不合理に見えても、人生に無駄な箇所は無いということ、そして、生がそれゆえに素晴らしいものであるということが感じられました。
(あのレクイエムも、究極的にはそのように今は私は捉えています。すさまじい遅いテンポでしたが、Agnus Deiの最後はあれしかないとやはり確信しました)私は、これを伝えて、味わって頂く為に今後も音楽家でいたいと思います。

皆さんのお陰で、一生の思い出になりました。どうかこれからも機会があればまた一緒に音楽を作ることが出来たら光栄です。どうもありがとうございました。

アメリカで活躍する素晴らしい日本人を知る機会を得たことは、梅爺にとっても無常の喜びでした。伊藤氏の演奏を聴くために、福岡から駆け付けた伊藤氏のお母さんの『打ち上げ会』での嬉しそうなお顔も印象的でした。

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2013年3月 5日 (火)

梅爺カーネギーホールで歌う(3)

Dscn94467番街からみたカーネギーホール側面(外観改装中、正面入口は57ストリートに面している)

梅爺は、仕事の現役時代の経験に照らしてみて、今回の『カーネギーホールでのチャリティ・コンサート』を成功させるために、裏側で費やされた知恵や努力の膨大さを考えずにはいられません。参加メンバーの一人である梅爺自身は、『冥土の土産』のありがたい体験をすることができましたが、些細な貢献しかしていません。 

世の中で、何かを成し遂げようとすると、以下のような役割を担う人たちを必要とします。これは、政治でも、事業でも、今回のようなプロジェクトでも同じことです。 

(A) 基本構想を発案する人
(B) 構想を実現するための具体的な方法(計画)を練り上げる人
   (運用経費の算出と捻出を行い、収支結果に責任を持つ人も含む)
(C) 役割に応じて、計画実現のための努力をする人
 

『カーネギーホールで、東日本大震災へのアメリカの復興支援に対する感謝と、ニューヨークを襲ったハリケーンの被害者へ義捐(ぎえん)金を送るためのチャリティ・コンサートを開催しよう』という『発想』は、誰でも思いつけるものではありませんが、それでも『発想』にとどまれば『夢』にしか過ぎません。 

今回のプロジェクトの(A)にあたる『発案者』は、アメリカで日本の伝統的石材工芸品(庭石、灯篭など)を中心に、日本庭園を創作、提案、施工を行う事業を経営しているニューヨーク在住の日本人『泉道夫』氏です。 

『泉道夫』氏は、人脈を利用し、ニューヨークで活躍中の若手日本人指揮者『伊藤玲阿奈(れおな)』氏や、東京の弁護士『三木祥史(よしひと)』氏(アカデミカ・コールのメンバー)に声をかけ、(B)の具体的な計画を練り上げていきました。この結果、伊藤氏の率いるオーケストラと、三木氏がメンバーである『アカデミカ・コール』の共演が具体化しました。因みに三木氏の御嬢さん(三木蓉子さん)は、東京芸大大学院でピアノを専攻する才媛で、普段『アカデミカ・コール』のピアノ伴奏を担当してくださっていますので、今回もオーケストラのオルガン伴奏、アンコール(Amazing Grace)のピアノ伴奏で、カーネギーホール・デビューを果たすことになりました。人生は『人の輪』で形成されていくことが分かります。多くの『幸運』は、『行動する人』の上に微笑むものであることも分かります。更に人脈は広がり、『アカデミカ・コール』の団内指揮者『酒井雅弘』氏、も計画実現の構想作りに参画し、今回の演奏が具体化していきました。酒井氏は、泉氏の今回の偉業を『男のロマン』と表現されました。本当の『男のロマン』実現には、能力、努力、人間力、お金、時間など全ての条件が求められることが分かります。

カーネギーホールは、誰にでも会場利用を許可するわけではありませんから、審査に合格するためにも大変な努力があったはずです。今回の公演には、多くの団体や企業の、後援、協力、協賛をいただきましたが、これらも泉氏の人脈ばかりではなく、その情熱があったからこそと推測できます。

泉氏は、演奏会で配られたプログラムの中の挨拶文で『人間の力は弱いものです。だから、助け合うことが大切なのです』と書いておられます。『構想力』『実行力』に秀でた泉氏の、この謙虚な姿勢に頭が下がります。 

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2013年3月 4日 (月)

梅爺カーネギーホールで歌う(2)

83124今回のカーネギーホールにおける『ケルビーニのレクイエム』演奏風景

今回のチャリティ・コンサートでは、東京大学音楽部OB男声合唱団『アカデミカ・コール』が、『法華懺法(藤原義久作曲:指揮酒井雅弘)』と『ケルビーニのレクイエム』の二つのステージを担当しました。

この他には、『ニューヨーク能狂言グループ』による『能謡/狂言・小舞』や、同じくニューヨークで活躍する和楽器(尺八、篠笛、三味線、太鼓)奏者グループによる『東北民謡(南部牛追い歌、大漁節、会津磐梯山)』も演じられました。

アメリカ人の中に、日本文化に対する興味が浸透しつつあることは、大変喜ばしいことです。アメリカ人の一人でも多くが、世界には色々な文化があり、それぞれが人々の生き方に大きな影響を与えていることを知って欲しいと願っています。今回の企画は、その意味で有意義であったと思います。『禅』『ワビ・サビ』を始め、日本文化は深い『精神性』を特徴とし、『死生観』『人間関係の把握様式』『美意識』にまで影響を及ぼしています。世界のどの文化が優れているかなどという比較は、無意味ですが、日本人が日本文化に誇りを持ち、世界に知ってもらう努力をすることは重要なことです。

『アカデミカ・コール』のステージの一つは、無伴奏で歌われる男声合唱曲『法華懺法』でした(このステージには梅爺は参加しませんでした)。この曲は、天台宗で毎朝行われる、自分の罪を自覚し懺悔するための『勤行(ごんぎょう)』として唱えられる『声明(しょうみょう)』を、洋楽の男声合唱曲とした異色の作品です。キリスト教でも罪の告白と悔い改めが大事な教義になっていて、共通しているところは興味深いところです。ただし、仏教では『仏心』は誰の中にもあると教えますが、キリスト教では『神』は、人間とは別の存在です。仏教の『法華懺法』と、キリスト教(カトリック)の『レクイエム』が同じ舞台で歌われることは、日本人には奇妙な組み合わせではありませんが、アメリカの聴衆の一部は戸惑ったかもしれません。

梅爺が大学を卒業後、後輩の『コール・アカデミー』が、ドイツへの演奏旅行を行った際に、作曲家藤原義久氏へ作曲を委嘱した作品が『法華懺法』です。

『アカデミカ・コール』には、3人の『団内指揮者(仲間内の指揮者)』がいます。いずれも優れた方で、頑固者が多い『合唱団』を、なだめすかして指導してくださっています。今回はそのうちの一人である『酒井雅弘』さんが、『法華懺法』の指揮と、『ケルビーニのレクイエム』の日本での練習を担当してくれました。

『ケルビーニのレクイエム』は、アメリカから練習のために指揮者の『伊藤玲阿奈(れおな)』が来日する機会は限定されましたので、酒井氏が、伊藤氏と連絡を取りながら、日本での練習の大半を代行しました。

数少ない伊藤氏の来日機会を利用して、2月10日に、ニューヨーク公演のための『壮行演奏会』を代々木オリンピックセンターで開催しました。この時の『ケルビーニのレクイエム』の出来は、あまりよくなく、未熟な発声が目立ったり、伊藤氏の指揮についていけない部分があったりしました。

私たちは、大いに危機感を抱き、『反省会』で、意見を言い合って本番に備えました。その甲斐あって、本番では伊藤氏が演奏中に感動していただけるほどの演奏ができました。カーネギーホールの一杯のお客様の前で、渾身の演奏ができたことは、何よりもうれしいことでした。

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2013年3月 3日 (日)

梅爺カーネギーホールで歌う(1)

_0001_2今回の演奏会で配布されたプログラムの表紙

タイトルをご覧になって、『理屈癖』の梅爺が、今度は可哀そうなことに、ついに『妄想癖』にも取りつかれたのかと、思われた方もおられるでしょう。しかし、梅爺が、あの音楽の殿堂であるニューヨークのカーネギーホールの舞台に立って『歌った』というのは、本当の話です。 

もっとも『アイ・ジョージ』や『和田アキ子』のように、独りで『歌った』わけではなく、男声合唱団(東京大学コール・アカデミーとOB合唱団であるアカデミカ・コールの連合合唱団)の一員として、演奏に加わったという話ですから、梅爺独りの努力で実現したわけではなく、それほど『手柄話』にはならないのかもしれません。 

それでも、音楽に関った人間なら、『カーネギーホールの舞台で演奏する』ことは、ゴルフをやる人が、『オーガスタでプレーする』ことを夢見るような話ですから、梅爺にとっては一生の思い出になる『出来事』となりました。 

2月26日(ニューヨーク日付)に、カーネギーホールで、『東日本大震災復興支援への感謝とハリケーン・サンディ救済支援のためのチャリレィ・コンサート(東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコール・コンサート)』が開催され、この演奏会の最終演目である『ケルビーニのレクイエム』の演奏に、梅爺は、コーラスの一員として参加しました。 

『ルイジ・ケルビーニ』は、18世紀から19世紀にかけて活躍したイタリアの作曲家で、現在ではそれほど著名ではありませんが、当時はベートーベンにも評価され、その作曲技法は、ショパンやシューマンも教本として採用されています。 

『ケルビーニ』は生涯に『レクイエム』を2作品残しています。今回演奏した『レクイエム第二番(ニ短調)』は、『ケルビーニ』が晩年に自分の葬式で演奏されることを想定して作曲したと言われています。当時教会聖堂内で女性が歌うことが禁じられていたこともあり、この『レクイエム』は、男声合唱の曲として作曲されたと伝えられています。

『モーツアルトのレクイエム』『ベルディのレクイエム』『フォーレのレクイエム』が、『3大レクイエム』とされ、日本でも度々演奏されますが、いずれも、『ソリスト(ソプラノ、アルト、バリトン、バス)と混声合唱』で歌が構成されています。『ケルビーニ』のもう一つの『レクイエム第一番(ハ短調)』は、伝統的な『ソリストと混声合唱』でつくられています。 

『ケルビーニのレクイエム第二番二短調』は、『ソリストなしの男声合唱』だけで歌われるという点で、『レクイエム』としては、珍しいものです。オペラの作曲も手がけ、敬虔なカトリック教徒でもあった『ケルビーニ』らしく、死後の審判を惧れる心が、徐々に魂の救済を確信へと変わり、解放される喜びへと変わっていく、大変『ドラマティック』な表現が感動を呼ぶ作品になっています。『レクイエム』はミサ曲の一種ですから、歌詞はラテン語です。

梅爺は、大学1年生の時に、この『ケルビーニのレクイエム第二番』を初めて前田幸市郎先生の指揮で歌いました。これが、この曲の『日本初演』となりました。それれ以来、私たちはこの『レクイエム』の魅力に取りつかれ、大学4年生の時にも再演し、卒業後も『OB合唱団(アカデミカ・コール』で、三澤洋史先生、前田幸康先生(前田幸市郎先生の御子息)の指揮で、何度も演奏会で歌ってきました。

今回は、ニューヨークを拠点に活躍中の、日本人若手指揮者『伊藤玲阿奈(れおな)』氏の指揮で、伊藤さんが率いる『レオナ・イトー・チャンバー・オーケストラ』と一緒に演奏しました。

合唱には、『アカデミカ・コール(OB男性合唱団)』から67名、『コール・アカデミー(東大現役男声合唱団)』から25名の計92名が参加しました。

カーネギーホールは、客席数が2800席ほどもあり、舞台から客席を観ると、数層のバルコニー席や、見上げる高さの正面5階席などに圧倒されます。しかし、さすがに音響はよく、大変歌いやすい会場でした。

このコンサートを主催した現地スタッフの方々の大変な努力で、2600枚以上のチケットが売れ、会場は盛況でした。日本のアマチュア合唱団としては、今までは1500人程度の観客動員がカーネギーホールでは最高と聞いていますので、今回は『新記録』を作ったのではないでしょうか。

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2013年3月 2日 (土)

イサベル女王(6)

『イサベル女王』が、約30年間、女王の座を全うできたのは、幸運だけではなく彼女の才能によるところが多いと観るべきなのでしょう。この間に遭遇したであろう種々の公的、私的『問題』を、『権威』だけで乗り切れたとは考えにくいからです。魅力的な人物であったかどうかは別にしても、有能な人物であったにちがいありません。日本流に云えば、非業の死を遂げずに『畳の上で死ねた』わけですから立派なものです。

彼女は『遺言』で、『遺体は、アルハンブラ宮殿内のフランシスコ修道院に埋葬すること。華美な葬儀は不要。名前だけの墓碑でよい』と指示し、その通りに埋葬されました。多くの権力者が、死後も名声や功績を残そうとすることを考えれば、大変立派な話です。

国費の無駄遣いを戒めたともとれますが、『神のみぞ勝利者なり』というイスラム教の言葉の意味に共鳴する気持ちがあったのではないでしょうか。『自分は神の栄光を実現するために働いただけで、讃えられるべきは神だけである』という信仰心がベースにあったのであろうと梅爺は想像します。

あるいは、乗り越えてきた人生の荒波は、全て空しいものに感じ、天国をも連想させる『アルハンブラ宮殿』の美しさの中で、永遠の安らぎのみを得たいと考えたのかもしれません。

同じく『遺言』の中で、後継者に『税金を取るだけの王になるな。西インド諸島(植民地)の人たちを苦しめるようなことはするな』と戒めています。スペインがその後中南米の植民地で行った暴虐を予感し、危惧していたのかもしれません。

死の20年後、『イサベル女王』は、夫『フェルナンド王』と一緒に、グラナダ大聖堂に再葬されました。こちらは華美を極めた棺や石像の墓ですから、『イサベル女王』の『遺言』の意図通りとは言えません。

最初に葬られた『アルハンブラ宮殿』には、墓碑のみの床石が今でも残っています。

『イサベル女王』が、何故イスラム文化の象徴である『アルハンブラ宮殿』を破壊せずに残したのかは、今になっては謎ですが、人の心は謎めいているということの証左のひとつのような気がします。

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2013年3月 1日 (金)

イサベル女王(5)

イベリア半島南部の都市、『セビリア』『コルドバ』『グラナダ』は、スペイン観光では欠かせない所です。昨日も書いたように、元々あったイスラーム様式の建物を、キリスト教(カトリック)様式に改装しているものが多く、その微妙なバランスは一見に値します。特に日本人にとっては、普段接することがない『異文化の世界』ですから、珍しいものとして眼に映ります。

『セビリア』は、海に面してはいませんが、グアダルキビール川を利用して、大西洋から船舶が遡行できますので、西インド諸島、中南米各地の植民地との交易拠点(港)として繁栄しました。その繁栄の原点は、『イサベル女王』が、資金援助をした『コロンブスの新大陸発見』によるものです。

『コロンブス』はイタリア人の探検家(航海家)で、現在で云えば『一匹狼の起業家』といったところでしょう。大西洋を西回りで航海する『プラン』を立て、ポルトガルの王様に、発見先で得られる利益の10%を自分が受け取ることを条件に『プラン』実行の資金援助を求めますが拒絶され、今度はスペインへ移って、『イサベル女王』『フェルナンド王』に同じような『提案』をします。

『イサベル女王』はこの『提案』に興味を示しますが、『フェルナンド王』は、イスラーム勢力との戦いに戦費がかさんでいたこともあり資金援助に難色を示します。最終的には『イサベル女王』の決断で『プラン』は実行されることになり、スペインは大繁栄して、『コロンブス』は世界史にその名を残すことになりました。ポルトガルはビジネス・チャンスの『判断ミス』で、大魚を逸したことになります。

『コロンブス』が『イサベル女王』と交わした契約条件は、『発見した土地の終身提督になり、その地位は相続対象となる』『提督領から得られた利益の10%を取得する』『航海の費用の1/8は自分が負担する』等です。梅爺も仕事の現役時代に、外国の会社とこの種の『ビジネス折衝』を繰り返していましたので、『コロンブス』に対しては『おぬし、なかなかやるのぉ』と親近感を抱きます。15世紀の末頃の西欧社会が、既に『契約社会』であったことが分かります。

『イサベル女王』の才覚で、大繁栄したスペインですが、今ではユーロ圏の中で、『信用不安』が噂される国の一つになってしまっています。栄枯盛衰は世の常とは云え、『歴史の無常』は色々なことを教えてくれます。

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