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2013年2月12日 (火)

繋がるほどに孤独(2)

電車に乗ると、大半の人が、『携帯電話』や『スマート・フォン』にかじりついている異様な光景を目にします。さすがに『電話機能』では、周囲に迷惑がかかり、自分のプライバシーも知られたくないと思うらしく、電話としてではなく、インターネットでの情報取得、メール受発信、『フェースブック』『ツィッター』によるソーシャル・ネットワークへの参加、オンライン・ゲームへの参加などを目的とした『デジタル情報機器』として没頭しています。満員電車の中なのに、皆が押し黙って、自分の世界に入り込み、『孤独』に見えるのは、確かに異様です。

少し前までは、同じく電車の中で、本や新聞を読んでいましたから、同じではないかということになりますが、『即時双方向で繋がっている』という環境が大きく異なっています。『仮想環境』では絆で結ばれていますが、『現実環境』では孤独に見えると言う現象です。

最近では、電車の中ばかりではなく、家族団欒の場、友人との会合の場、職場での会議中でも、一人一人が『携帯電話』や『スマート・フォン』を持ちだして、それへの対応を優先しているという、それこそ異様な状態が多くなってきたと、『シェリー・タークル』は指摘しています。

『情報機器』を利用して、『仮想環境における絆を確認する』行為が、これほど人々を惹きつける要因は一体なんだろうと考える必要があります。そして、そればかりに没頭してしまうと、どのような弊害が生ずるのかを同時に洞察することも必要です。

『シェリー・タークル』は、『情報機器を介した会話・対話』と『対面による声の会話・対話』では、『人間関係』を理解する上での情報の質が異なっていることを指摘しています。

『対面による声の会話・対話』では、その時の表情、しぐさや、話し方のに含まれる微妙なニュアンスを同時に感じ取れます。その上、人は『会話・対話』では、ついうっかり間違いや矛盾を口にしてしまいがちですから、これらを総合して、相手の云いたいこと、本当の気持ち(ホンネ)などを聴き手は感じ取ることができます。つまり、人間は『対面による声の会話・対話』を沢山経験することで、『人間関係』の深さを理解する能力を高めてきたことになります。

一方、『情報機器』を利用した『会話・対話』では、情報の発信者が、発信前に情報の添削を行います。まずいと思う内容は削除したり、表現を変えたり編集が加えられます。この結果、『情報』は、『生身の情報』ではなくなり、『とりすました情報』になってしまいます。『梅爺閑話』も、梅爺が添削を繰り返した拙文が掲載されますので、生身の梅爺ではなく、体裁を飾ってとりすました梅爺の一面しか伝えていないことになります。見知らぬ方が読んでくださって、『こういう爺さんかな』と想像される梅爺像と、本物の梅爺では、雲泥の差があるかもしれません。

政治家の談話を新聞で読むのと、テレビで本人が話す様子を観た時の違いを思い浮かべてみれば、これは歴然とします。テレビでは、いくら『綺麗ごと』を述べても、視聴者は『この政治家は信用置けない』と感じたりします。

『シェリー・タークル』は、『情報機器』だけの『会話・対話』だけに毒されて、『人間関係』の深さを理解できずに、極めて表面的にしか他人を理解できない人間が増えていくことの『怖ろしさ』を訴えています。

また、『常に繋がっていないと不安』という強迫観念に支配され、良い意味で『孤独』になって『自分と向き合う』時間がなくなっていくことの弊害も大きいと述べていました。子供の時から『孤独』に耐えられる訓練をすることも大切であると指摘していました。

『情報機器』は、『さびしがり屋の癖に、自分を直視しない臆病な人間』を創り出すという指摘です。

確かにこれらの主張には一理がありますが、『情報機器』は今後も変容していくでしょうから、全てをひとまとめにして『情報機器』を悪者にする必要はないように梅爺は思います。

『IT(情報通信技術)』の本質的な意味と、『人間』との関係を理解して付き合えば、弊害だけを誇張して悩むことはないと梅爺は考えています。

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