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2013年2月18日 (月)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(4)

『北一輝』と『大川周明』は、自分の考え方を明確に述べる能力に長けた『論客』です。一般に『論客』と言える人は、脳の『理』を用いた論理思考が優れていますが、さらにその奥には、『因果関係を明らかにして自分を納得させる(わからないという不安を解消し安堵する)』『正邪をはっきりさせて、邪の存在をゆるさない(自分は正しい側にいることを確認して安堵する)』『自分が他人より優れていることを誇示したい(優位性を確認して安堵する)』など、いずれも『安堵(安泰)を希求する本能』が働いていると梅爺は考えています。

『梅爺閑話』の内容は、とても『論客』のそれには及びませんが、理屈っぽいという点では似ていますので、やはり『安堵(安泰)を希求する本能』が底にあることになります。梅爺の場合は、自己分析すると特に『正義心』や『名声欲』が旺盛とはいえそうにありませんので、『自分で考えて自分を納得させたい』という本能が強いように感じます。『自分で考えて自分を納得させる』ことは、心に大きな満足(安堵感)をもたらし、これが老後の『生き甲斐』『ボケ防止』になっていることは間違いなさそうです。

『北一輝』は明治16年(1883年)に、佐渡の造り酒屋の息子として生まれました。父親は町長を務めたような人物で、『自由民権』に関心が高かったために、『北一輝』もその影響を受けて育ったと考えられます。『北一輝』は学校での成績は抜群の優秀さでしたが、17歳の時に父親が家業に失敗し、学校を中退して『佐渡新聞(社長:森知機)』で働き始めます。

『佐渡新聞』は、幸徳秋水の社会主義思想に好意的な論説を掲げる新聞で、『北一輝』も社会主義へ傾倒していきます。『佐渡新聞』に掲載した彼の論文『人道の大義』では、労働組合の必要性などを説いています。

『北一輝』の風貌は、写真で観る限り、『理知的で男前』ですが、20歳にも満たない若者が、堂々と文筆で論陣を張っているわけですから、如何に異才の持ち主であったかが分かります。

その後上京して早稲田大学の聴講生となり、23歳の時に、『国体論および純正社会主義』という大著(100ページ)を自費出版しますが、五日後には、国によって発禁処分を受けてしまいます。

『天皇制』と『社会主義』を共存させるという西欧の『社会主義』とは一線を画する思想ですが、国家権力からすると、『社会主義』であることに違いが無いことになりますので、到底許すわけにはいかなかったのでしょう。

恥ずかしいことに、梅爺は『北一輝』の根底に『社会主義』があるとは今まで考えたことがありませんでした。彼は『維新革命の本義は実に民主主義にあり』と言っていますが、この『民主主義』は、『社会主義』的な『民主主義』であろうと思います。『北一輝』を『右翼思想の親玉』と考えていると、見間違うことになりそうです。

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