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2013年2月17日 (日)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(3)

『北一輝』と『大川周明』は、どちらも現在の視点で観れば『右翼的な思想を牽引した首魁(しゅかい)』ということになりますが、人物像は『瓜二つ』ではありません。

『北一輝』は、『命がけで信念をつらぬく武士の風格』の持ち主であり、一方『大川周明』は、『自分の思想に陶酔する学者』のように梅爺には見えます。

『北一輝』は、昭和11年の『2.26事件』の首謀者の一人として、検挙され銃殺刑で54歳の生涯を閉じています。『若殿に兜(かぶと)取られて負け戦』という、辞世の句には、天皇(昭和天皇:若殿)のために立ちあがった兵士たちが、その天皇から『賊軍』の汚名を着せられてしまった無念さが滲(にじ)んでいますが、信念のために死ぬという潔(いさぎよ)さが感じられます。

一方『大川周明』は、第二次世界大戦の敗戦後に、民間人としてただ一人『A級戦犯』として『東京裁判』にかけられましたが、法廷で『奇行(前に座っている東条首相の頭を何回も叩くなど)』を繰り返し、精神異常の疑いがあるとして、最後は訴追を免れています。『奇行』が本当に精神異常によるものか、裁判逃れのための『仮病』であったのかは、今でも議論の種になっていますが、なんとなく『仮病』ではないかと梅爺は感じます。

何故ならば、『大川周明』はその後の余生を、『イスラームのクルアーン(コーラン)』の翻訳に捧げているからです。アラビヤ語を始め、各国語に翻訳されている『クルアーン』を参照しながら、日本語訳を厳密に完成させる作業は、とても精神異常者のなせる業(わざ)とは思えません。

『東京裁判』は戦勝国が行う茶番であり、このような裁判で殺されてたまるかという気持ちがあったのではないかと推察はできますが、見破られない『仮病』をやり通したとすれば、その才覚は見事としかいいようがありません。しかし、どのような弁明があるにせよ、多くの日本人には、ここにいたって自分だけ生に執着するのは『潔くない』行為にみえるのではないでしょうか。梅爺は『学者』のひ弱さを感じます。『学者』は、権力の体制の中で『学者』の地位を得ていますので、基本的に権力に弱い面があり、庇護する権力がなくなった時には、今度は『自己擁護』を優先する可能性があるからです。

『北一輝』は、天皇を認めてはいますが、むしろ思想は『社会主義』に近く、貧しさに喘ぐ庶民の救済を念頭においていますが、『大川周明』は、『日本はどういう国家であるべきか、国際的にどう振舞うべきか』を学者風に論理的に考えていたように梅爺には見えます。『東西文明の衝突はやがて免れない』という彼の主張とおりに、日米は戦争をし、現在でも米中の対立がありますから、優れた洞察力の持ち主であったとは言えそうです。

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