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2013年2月24日 (日)

考える愉しさ(4)

人間は、生きている限り身体の機能を維持するために脳を駆使しているので、梅爺に云われるまでもなく、『脳は考えているのではないですか』という反論があるかもしれません。脳が働いていることを、脳が考えていることと広く定義すればその通りですが、このブログで梅爺が論じている『考える』は、脳の『理』の機能を『意識』的に使うという狭い定義に基づいています。

私たちは、『自分の脳は、完全に自分の意識で支配している』と勘違いしがちですが、驚くべきことに、『自分の意識で支配できる』部分は、ごく一部に過ぎません。『泣いたり』『笑ったり』『怒ったり』『感動したり』は、必ずしも意識して行う行為ではありませんし、眠っている時の『夢』などは、自分で支配できない代表的な例です。

『脳の機能で、意識的に利用できる部分は一部である』『自分の意識で支配できない脳が引き起こす行為も、自分の行為として受け入れなければばらばい』という二つのことを知れば、『自分』や『人間』の本質が見えてきます。

こう書いてしまうと、『人間』は、『自分で自分が制御できない存在である』と投げやりになってしまいますが、幸いなことに『理』は、『思いもよらないことが起こるかもしれない』ことを、あらかじめ予測意識し、『不都合な行為にならない』ように『自制する』こともできる機能を備えています。『涙』や『怒り』を抑えることができます。しかし、度を越えると『自制』は効かず、大の大人でも『泣いたり』『怒ったり』することになります。

『考える』ことは、自分の興味、疑問に自分なりの答を見つけることで、これは愉しいことですが、そればかりではなく、普段から、事象や人間の本質に関する自分なりの理解を深めておくことで、思いもよらないことや、願わない状況に遭遇した時に、自分が不都合な行為に及ばないように『自制する』可能性を高めることができます。

『考えるためには知る必要がある』ことは確かですが、『多くを知ることは考えることではない』ことも確かです。沢山のことを正しく記憶する努力も無用とは思いませんが、現在ではありがたいことに、インターネットでいくらでも『調べて知る』ことができますから、『考える』ための準備はそれほど大変ではありません。

梅爺の体験で申し上げれば、『沢山知っている(教えてもらう)』ことよりも『自分なりに考える』ことで得られる満足感や生きがいの方が、ずっと大きいものです。

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コメント

はじめまして
草深ゆりと申します。

私の文章は論理的では無く、拙い文章であると承知しておりますが、梅爺様のお言葉に触れ、私も「考えるたのしさ」を体験したくなりました。

今の私にできますことは、何んとか文字に起こす事だけかもしれません。

インターネットの出現以前は生き字引と言われる人は、ほんの一握りだったと思います。
逆立ちをしてもその「生き字引」に成れない私に「自分なりに考えられるが大切である」と梅爺様は勇気付けて下さいました。

インターネット以前は、老人の知恵が宝物だったと思いますが、今やその価値が薄れてしまったのではのではないでしょうか。
若者はPCをたたけばいいわけですから、わざわざ老人にお伺いを立てる必要がありませんものね。

この様な思いの中、
時代に取り残されたような私にも「考えるたのしさ」はできるかもしれないと、思えたのです。

慣れぬ手つきでPCをたたきました。
楽しかった。

ありがとうございました。

投稿: | 2013年2月24日 (日) 07時20分

草深ゆりさま、コメントありがとうございます。
1週間ばかり、ニューヨークへ出向いていて、返事が遅れ申し訳ありません。

考える仲間が、一人増えて嬉しい限りです。
考えたこと、感じたことを文字にすることは、易しくなく、特にそれを他人が理解できるように書くことは、難しいので、投げ出したくなりますが、気負わず書いている内に、能力も高まるように感じています。

老人にとっては、自分が生きていることを実感し、感謝したくなるわけですから、妙薬ではないでしょうか。

是非お続くださるように期待しています。

投稿: 梅爺 | 2013年2月28日 (木) 21時42分

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