« イサベル女王(2) | トップページ | イサベル女王(4) »

2013年2月27日 (水)

イサベル女王(3)

『イサベル』の夫『フェルナンド』は、その後『アラゴン王国』の王位を継承しますので、彼女は『カスティーリャ王国』の女王であると同時に、『アラゴン王国』の王妃ということにもなりました。実質的にこの時点で現在のスペインに近い領土になりました。

世界中の『宮殿』には、王様と王妃が謁見等で使う『玉座(椅子)』が並べて残されています。『セゴビア城』にも、これがありますが、『玉座』の背面壁に『タント・モンタ』という文字が刻まれているのが他とは異なるところです。『タント・モンタ』は『二人は平等』と言う意味で、二人は『一心同体である』という愛の証(あかし)ともとれますが、むしろ『国政は平等に行う』という政治方針の表明と受け取れます。隣国同士の『カスティーリャ王国』と『アラゴン王国』との間の『安全保障条約』のような意味を持つ『宣言』であろうと梅爺は理解しました。『タント・モンタ』という表現を、もし『イサベル』が思いついたとしたら、大変な知恵者です。

二人の結婚生活は生涯表向きは破綻することはなく、現在『グラナダ大聖堂』に二人は並んで葬られています。『生涯意見がぶつかることはなかった』などということは普通は考えられませんから、『そのように見せかけた』のは、『イサベル』が賢い女性であった証拠であろうと梅爺は推察します。

二人の間には、一男四女の子供が産まれました(『フェルナンド』が愛人に産ませた子供は他にもいます)が、子供たちは必ずしも幸せな人生を送っていません。二女『ファナ(後に精神を病む)』の息子(イサベル女王の孫)が神聖ローマ帝国の『カール5世(スペインではカルロス1世)』となり、歴史に名を残しました。末娘(四女)の『カタリーナ』は、イングランドの『ヘンリー8世』の王妃となりましたが、王子が産まれないという理由で、『ヘンリー8世』は『カタリーナ』と離婚し、愛人『アン・ブーリン』と再婚することをローマ法王庁へ願い出ます。『ヘンリー8世』は熱心なカトリック信者であったからです。しかし、ローマ法王庁はこの離婚を認めなかったために、怒った『ヘンリー8世』は、ローマ法王庁と縁を切り、独自に『英国国教会』という宗派を設立し、思い通りに『カタリーナ』を離縁し『アン・ブーリン』と結婚します。この王の行動を諫めた『トーマス・モア』は処刑されました。『ヘンリー8世』と『アン・ブーリン』の間に産まれた娘が、『エリザベス1世(女王)』です。

まるで、日本の戦国時代の複雑な『政略結婚』と同じで、ヨーロッパの王室同士の関係も、『政略結婚』が繰り返され、これで歴史がつくられていきました。ヨーロッパの歴史で、それぞれ重要な役割を果たした『イサベル女王(スペイン)』と『ヘンリー8世(イングランド)』との間にも接点があるという話です。

|

« イサベル女王(2) | トップページ | イサベル女王(4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« イサベル女王(2) | トップページ | イサベル女王(4) »