« 映画『12人の優しい日本人』(4) | トップページ | 映画『12人の優しい日本人』(6) »

2013年2月 4日 (月)

映画『12人の優しい日本人』(5)

人間の脳が創り出す『精神世界』は、自らを『主体』と認識し、感覚器官が感知したモノや他人を『客体』として認識します。一方観方をかえると脳は『物質世界』のモノの一つに過ぎず、機能し続ける(生き続ける)ためには、エネルギーを必要とし、その情報処理能力にも限界があります。つまり『物質世界』の法則に支配されています。

脳の処理能力には限界があるために、感知した全てを認識するのではなく、興味のあるものだけを選択的に認識します。何を興味の対象にするのかは『精神世界』の『情』の機能が関与しており、人によって対象の範囲や度合いは異なっています。『興味』は、元はと言えば周囲が自分にとって都合のよいものかどうか(安泰でいられるかどうか)を判別するための引き金(トリガー)であり、生き残るために必要なものとして獲得した能力です。時には『興味』があだとなって身を滅ぼすこともありますが、確率的には『興味』のお陰で危険から身を救う度合いが高いということなのでしょう。

『精神世界』は遺伝子や、生後の経験レベルの違いで『個性』を保有しています。一人一人が異なった『精神世界』を保有しているということが、人間を魅力的にもし、時におどろおどろしいものにもしています。『好奇心の強弱』『危険察知能力の強弱』『好き嫌いの強弱』『美意識の強弱』などが『精神世界』を個性的にしています。人間関係や人間社会は、個性的な『精神世界』の集合体で構成されているということを知り、それを前提として考えることが重要です。

『精神世界』では、『興味』で認識した『客体』だけが大きな意味をもつと言えそうです。つまり、私たちは普段多くのことを物理的には見聞きしていながら、実際は特定のものしか『観たり』『聴いたり』はしていないことになります。都会の雑踏の中に身を置いても、周囲の他人を『客体』として認識しないかぎり『孤独』であることになります。

この映画の陪審員たちは、裁判に関係している被告(妻)、死んだ夫、それに証言した『目撃者のおばさん』『トラックの運転手』を、『客体』として認識します。すすんで『興味』を抱いたというより、陪審員として『興味』を強いられる立場になったからです。

ここからが『精神世界』の面白い所なのですが、人間は『客体』の中に、『主体』を投影してある種の判断を行おうとします。『客体』の容姿、言動が、自分(主体)が嫌う人間の容姿、言動に似ていれば、『客体』も『嫌な奴』と判断しようとします。

|

« 映画『12人の優しい日本人』(4) | トップページ | 映画『12人の優しい日本人』(6) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 映画『12人の優しい日本人』(4) | トップページ | 映画『12人の優しい日本人』(6) »