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2013年2月 8日 (金)

日本近世の民衆宗教(3)

平穏な世が乱れた時に、『預言者』や『救世主』が出現することになるのは、歴史上、洋の東西を問いません。

天災や飢饉、疫病の蔓延などの平穏を脅かす状況は、民衆も直接体感できますが、外国からの圧力、政治体制の変化、価値観の変化などの眼に見えない脅威も、民衆は何となく肌で感じます。

日本では、幕末から明治の初期にかけて、『金光教(岡山県)』『天理教(奈良県)』『黒住教(岡山県)』『大本教(京都府)』『丸山教(東京)』などの新しい『宗教』が産まれました。世の中が大きく変わる『気配』と、それに伴う『不安』を民衆も感じ取っていたからではないでしょうか。いずれも『神道』の強い影響を受けていますが、『教義』には違いがあります。

世の中が、『自分たちにとって都合の悪い方向へ変わっていく』ことを肌で感じた民衆が、それぞれ開祖が説く『神が望む生き方』に共鳴して、大きな『教団組織』にまで発展していきました。

『大本教』は、開祖『出口なお』に、『艮(うしとら)の金神(こんじん)』が乗り移り(神がかりになり)、『この世は、獣のような利己主義が跋扈(ばっこ)する悪い場所であり、立替(たてかえ)を必要とする』と説きました。現世を基本的に『悪』ととらえる考え方は、日本では珍しいと番組では解説していました。日本人は本来『性善』を好む、穏やかな文化を踏襲してきたと云いたいのかもしれませんが、梅爺は少し美化しすぎではないかと感じました。

極貧の中で、懸命に生きてきた『出口なお』に、今度は明治維新の変革(西欧の制度や、考え方、新しい技術の導入)が襲いかかり、更に貧富の差が拡大していくことに対して、『出口なお』や貧しい民衆が『国家権力』に抵抗できる残された手段は、『宗教』しかなかったように梅爺には見えます。

京都の田舎が生活の中心であり、まともな教育を受けていない『出口なお』には、見知らぬ西欧は『獣が跋扈すると想像できる世界』であり、これに日本が毒されていくのは耐えがたいことだったのではないでしょうか。今日でも、『グローバライゼーション』への盲従は、日本をダメにし、思いやりなどの日本の美徳が失せつつあると嘆く人たちは沢山いますから、『出口なお』の心情がわからないでもありません。

『大本教』が、その後日本の国家権力にとって、看過(かんか)できない集団になっていくのは、『出口なお』の娘と結婚し、実質的に教団を指揮した『出口王仁三郎(本名上田善三郎)』の思想が大きく影響しています。

『出口王仁三郎』は、『出口なお』と出会う前に『神道』の神職者になるための基礎を学んでいますので、『神道』から大きな影響を受けています。日本の天皇のみが、『世界平和』を達成できる中心の存在であるという、驚くほど単純で楽観的な世界観を表明し、世界中の人たちが一つの共通語を持つべきであると主張して、『エスペラント』の普及にも努力しています。

『出口なお』も『出口王仁三郎』も、限られた見聞、知識で自分中心の幼稚ともいえる世界観を持ち、『それが正しい』と本心信じていたために、やがて過酷な試練をうけることになりました。

国家権力が推進する『国家(皇国)神道』よりも、更に尖鋭とも言える『出口王仁三郎』の思想は、『異端』として徹底糾弾されることになりました。『大きな違い』より『小さな違い』の方が、『異端』として憎しみの対象になるのも、歴史上、洋の東西を問いません。

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