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2013年2月25日 (月)

イサベル女王(1)

中世ヨーロッパに君臨した有名な『女王』といえば、イングランドの『エリザベス1世(16世紀)』とスペインの『イサベル1世(15世紀)』が双璧ではないでしょうか。周囲に担がれた形だけの『王様』ではなく、強烈な個性と能力を発揮し、国の発展の礎を築いたという点も共通です。

梅爺は、2009年にスペインの観光旅行をし、『イサベル(1世)女王』と関連がある『セゴビア城』『セビリア城』『アルハンブラ宮殿(グラナダ)』を訪ねたこともあり、『イサベル女王』の生涯に興味を持つようになりました。

『イサベル女王』は、スペインの歴史の中では、イベリア半島から『イスラーム支配』の駆逐に成功した偉大な王様として讃えられています。イベリア半島は、8世紀に北アフリカから侵攻してきた『イスラーム勢力』によって、ほぼ全域が支配されましたが、北に追い詰められた『カトリック教徒』が反抗を開始し、800年間の抗争の後に、1492年に、ついに『イサベル女王』が奪還に成功しました。この800年の抗争は『レコンキスタ(国土再征服)』と呼ばれていて、スペイン観光ガイドでは度々耳にします。

『レコンキスタ』は、民族間の抗争でもあり、宗教間の争いでもありました。『キリスト教(カトリック)』が勝利を収めたこともあり、現在もスペインは、『カトリック』一色に近い特異な国です。他のヨーロッパの国では『プロテスタント』『正教』の存在があって、必ずしもスペインのように『カトリック』一色ではありません。しかし、スペイン南部は永年イスラーム教徒に支配されていたこともあり、明らかに『混血(アラブ系の顔立ち)』の影響をみてとることができる人たちに今でも出会います。

私たちは、『イスラーム支配』のスペインは、『カトリック支配』より文明的に劣っていたと誤解しがちですが、実際には逆で、当時は、『イスラーム社会』の方が圧倒的に、建築、医学などで進んでいて、『イスラーム教徒』は『カトリック教徒』を野蛮人とみなしていました。『イスラーム』は『カトリック』と異なり、科学による『真実の追求』を奨励し、学問が盛んであったからです。

さらに『イスラーム社会』は、『異教徒』の共存を許したりもしていましたので、セビリアには今でも当時の『ユダヤ人街』が残されています。『レコンキスタ』の達成で、『カトリック』は『ユダヤ教徒(ユダヤ人)』を国外追放し、『カトリック』に改宗した『イスラーム教徒』だけの居住を許しました。したがって、セビリアの『ユダヤ人街』は今では、ユダヤ人が住んでいない『ユダヤ人街』として『観光名所』になっています。

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コメント

梅爺様へ


スペイン旅行でイザベル女王に興味をお持ちになられたとのこと。
明日のイザベル女王(2)を楽しみにしています。

スペインを知らない私ですが、アルハンブラの宮殿からギターのトレモロが聞こえてきます。

セビリアのたばこ工場からカルメンが登場して歯切れのよいスタッカートで、ラッタターラッタターのババネラ。エスカミーリョのポマードでテッカテカに光る豊かな黒髪が浮かびます。

私ってほんのちょっとだけど、スペインの文化に触れていたんだ、と気付かされました。

「・・・カトリック教徒を野蛮人とみなしていました・・・」とありました。

ローマ帝国滅亡後、文明が後退した期間が800年もあったということでしょうか。それをブレイクスルーしたのがルネッサンスだったのでしょうか。
歴史に疎い私には全く分かりません。

サラハディーン、12世紀の時代は医学など西洋よりも遙かに勝れていたと映画で知ったほどの知識しかありません。
 
それに「アラビアのロレンス」などは酷い、アラブ人は間抜けでおっちょこちょいにしか描かれてない。私達は欧米文化にどっぷりだったと思います。

先日ペルシャの偉人、ウマル・ハイヤームの四行詩で、僅かにイスラム文化に触れただけで眼から鱗が落ちるようでした。


それとイザベル色(灰黄色)を知りました(利休鼠のような洒落た響きはないけれど)、グラナダ勝利の願掛けに下着を変えなかったと知りました。

女性の私は、イザベラが夫のフェルンンドの無事を祈って願掛けをしたと思いたいのです。

万葉集の防人の歌にあるように、恋人や夫婦が互いに下着を交換して別れて、また逢う日まで肌身から離さなかったように。

草深ゆり

投稿: | 2013年2月25日 (月) 13時34分

草深ゆりさま、

『スペイン』という言葉だけで、草深さんは『アルハンブラの思いで(ギター)』『カルメン(オペラ)』がすぐに思い浮かび、更に『カトリック』『イスラーム』の文化の違い、『ローマ帝国の衰退』『ルネッサンス』『アラビアのロレンス』と続くわけですから、『考える愉しさ』のネタとしては十分です。

自分の頭の中でバラバラであった知識が、一つに繋がって見えてくると、『やったぞ』という満足感が味わえます。

この調子で、頭に去来することを書いている内に、それだけでは物足りなくなり、繋がりまでも推測したくなります。

『イザベラ女王』が、本当はどういう人物であったかを『知る』ことも無意味ではありませんが、草深さんが、『こういう女性であったのではないか』と『考える』ことが『愉しい』ことになります。かりに『実像』と『想像』がズレテいることが後に判明したとしても、『どうして食い違ったのだろうか』とまた『考える』ことになり、『愉しみ』が連鎖的に深まっていきます。

投稿: 梅爺 | 2013年2月28日 (木) 22時07分

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