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2013年2月20日 (水)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(6)

『大川周明』からは『複雑で謎めいた人物』の印象を受けます。1886年に山形県の庄内藩の医師の息子として生まれ、熊本の第5高等学校、東京帝大と進学していますから学業には恵まれた才能を持っていたのでしょう。大学では宗教学を学んでいますし、卒業後は宗教団体『道会』に加入したりしています。『東京裁判』で『A級戦犯』の訴追を免れた後は、『イスラームのクルアーン(コーラン)の翻訳』を完成させていますので、宗教への関心も高かったことが分かります。 

一方、『日本精神復古』を主張し、『皇国史観』寄りの歴史書を書くかと思えば、インドをはじめとするアジア各国の独立運動を支援し、西欧に対立する『アジア主義』をとなえたりしています。 

『日本改造』では、『北一輝』に共鳴し、実践のための結社『猶存社』などつくったりしていますから、『天皇制と社会主義の共存』のような考え方も持っていたらしいことが分かります。 

その上、外国の思想家の著作内容を日本へ紹介する学者のような仕事もしています。 

『宗教』『皇国史観』『アジア主義』『社会主義』が一人の人間の中に共存していることが『複雑さ』の原因になっています。全てを受け容れてしまう柔軟な人物とも言えますが、基本的には、眼の前の興味に何でも首を突っ込んでしまう『学者』の印象を強く感じます。多才であるが故に、その分自分の視点が定まらないという弱点もあったのではないでしょうか。 

『日本はいつか西欧と戦わざるを得ない日が来る』と考えながらも、日露戦争や、大東亜戦争の米国との戦争では、戦争回避を主張たり奔走したりしています。頭がよい人間ですから、日本にその国力がまだ備わっていないと直感的に感じ取っていたのではないでしょうか。 

軍人でも政治家でもない『大川周明』が、『東京裁判』で『A級戦犯』として告訴されたのは何故なのでしょう。彼は、学者の弱みとして国家権力に妥協する面もありましたが、終始おもねっていたわけではありません。『5.15事件』の時には禁固5年の有罪判決を受けています。 

連合国側としては、右翼的な大物思想家をひとり『見せしめ』に告訴したかったのかもしれません。 

『北一輝』『大川周明』それに『大本教』の『出口王仁三郎』などが提唱した『昭和維新』は実現せずに、日本は結局歴史上最悪の『敗北』へ向かって突き進むことになりました。将来同じような悲劇を繰り返さないために、日本人は『世界の中の日本』という視点を、より育む必要があるように思います。日本にとって都合のよい状態を、最大限に配慮する必要がありますが、それを単純に『正義』と勘違いすることは避けなければなりません。残念ながら、国と国の間には、共通で絶対的な尺度となる『正義』は無いからです。

したたかな対応ができる『大人の国家』に日本がなれるように、私たちは精進し続けるほかありません。

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