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2013年2月28日 (木)

イサベル女王(4)

『イサベル(女王)』と『フェルナンド(王)』は共に、熱心なカトリック信者で、イベリア半島におけるイスラムの最後の砦グラナダ(アルハンブラ宮殿)を奪還したことの功績で、二人はローマ法王庁から『カトリック両王』の称号が与えられています。

『イサベル女王』が最終的に成し遂げた『レコンキスタ(国土再征服)』は、8世紀に、イベリア半島の大半を北アフリカから侵攻したイスラーム勢力によって奪われてから、800年かけてカトリック教徒が、再征服したことを指す『抗争の歴史』の総称です。

『イサベル女王』が即位した時には、既にイベリア半島の南端のグラナダ一帯だけが、イスラームの支配圏で、近辺のセビリアやコルドバなどの主要都市は、『カスティーリャ王国』の支配下にありました。イスラーム時代のモスクや宮殿は、カトリックの教会(大聖堂)や王宮に改造され、その何とも不思議な雰囲気の建造物は現在この地方の観光名所になっています。1482年にグラナダ内部で内乱がおきたことに乗じて、『イサベル女王』は一気にグラナダを攻め、徐々に支配領域を広げて、1492年にスルタンを降伏させ、最後の砦『アルハンブラ宮殿』を手に入れました。

『イサベル女王』は、異教徒を厳しく弾圧したことでも有名です。スルタンを降伏させる時の条件として『宗教の自由』を約束しておきながら、これを守らず、17万人のユダヤ人は国外追放し、20万人のイスラーム教徒には、カトリックへの改宗を迫りました。本当に改宗したかどうかを試すための『異端尋問裁判』も頻繁に行われました。

その様な熱心なカトリック信者であった『イサベル女王』が、何故イスラーム文化の象徴ともいえる『アルハンブラ宮殿』を破壊することなく、大半をそのまま後世に残そうとしたのかは、謎めいています。

『美に魅せられたから』『全てを越えて得られる安息をそこに求めたから』などという理由を歴史学者は述べていますが、彼女の心の奥底は誰にも分かりません。『アルハンブラ宮殿』の内部には、いたるところに『神のみぞ勝利者なり』という言葉(アラビア語)がモザイク模様で記されています。『イサベル女王』もこの言葉を後に使っていますが、その真意は分かりません。ただ、『破壊しなかった』ために、現在私たちは、この素晴らしい歴史遺産を堪能することができるわけですから、彼女の英断に感謝しなければなりません。

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2013年2月27日 (水)

イサベル女王(3)

『イサベル』の夫『フェルナンド』は、その後『アラゴン王国』の王位を継承しますので、彼女は『カスティーリャ王国』の女王であると同時に、『アラゴン王国』の王妃ということにもなりました。実質的にこの時点で現在のスペインに近い領土になりました。

世界中の『宮殿』には、王様と王妃が謁見等で使う『玉座(椅子)』が並べて残されています。『セゴビア城』にも、これがありますが、『玉座』の背面壁に『タント・モンタ』という文字が刻まれているのが他とは異なるところです。『タント・モンタ』は『二人は平等』と言う意味で、二人は『一心同体である』という愛の証(あかし)ともとれますが、むしろ『国政は平等に行う』という政治方針の表明と受け取れます。隣国同士の『カスティーリャ王国』と『アラゴン王国』との間の『安全保障条約』のような意味を持つ『宣言』であろうと梅爺は理解しました。『タント・モンタ』という表現を、もし『イサベル』が思いついたとしたら、大変な知恵者です。

二人の結婚生活は生涯表向きは破綻することはなく、現在『グラナダ大聖堂』に二人は並んで葬られています。『生涯意見がぶつかることはなかった』などということは普通は考えられませんから、『そのように見せかけた』のは、『イサベル』が賢い女性であった証拠であろうと梅爺は推察します。

二人の間には、一男四女の子供が産まれました(『フェルナンド』が愛人に産ませた子供は他にもいます)が、子供たちは必ずしも幸せな人生を送っていません。二女『ファナ(後に精神を病む)』の息子(イサベル女王の孫)が神聖ローマ帝国の『カール5世(スペインではカルロス1世)』となり、歴史に名を残しました。末娘(四女)の『カタリーナ』は、イングランドの『ヘンリー8世』の王妃となりましたが、王子が産まれないという理由で、『ヘンリー8世』は『カタリーナ』と離婚し、愛人『アン・ブーリン』と再婚することをローマ法王庁へ願い出ます。『ヘンリー8世』は熱心なカトリック信者であったからです。しかし、ローマ法王庁はこの離婚を認めなかったために、怒った『ヘンリー8世』は、ローマ法王庁と縁を切り、独自に『英国国教会』という宗派を設立し、思い通りに『カタリーナ』を離縁し『アン・ブーリン』と結婚します。この王の行動を諫めた『トーマス・モア』は処刑されました。『ヘンリー8世』と『アン・ブーリン』の間に産まれた娘が、『エリザベス1世(女王)』です。

まるで、日本の戦国時代の複雑な『政略結婚』と同じで、ヨーロッパの王室同士の関係も、『政略結婚』が繰り返され、これで歴史がつくられていきました。ヨーロッパの歴史で、それぞれ重要な役割を果たした『イサベル女王(スペイン)』と『ヘンリー8世(イングランド)』との間にも接点があるという話です。

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2013年2月26日 (火)

イサベル女王(2)

『ヨーロッパの歴史』を梅爺がスッキリ理解できない一つの理由は、『領土』『民族』『宗教』が時代によって変わり、これを頭の中で時系列で整理できていないことです。『異民族による支配』や『領土のめまぐるしい変貌(分割、統合の繰り返し)』を歴史的に経験していない『日本』では、『日本の歴史』は比較的単純に記述できますが、『スペインの歴史』『イタリアの歴史』となると、そうはいきません。現在の『スペイン』『イタリア』は、『日本』のように『変わらぬ領土』の国として存在し続けてきたわけではないからです。

『イサベル女王』の時代、『スペイン』という国家はありませんから、厳密に云えば『スペインのイサベル女王』という表現は正しくありません。イベリア半島の中央、北部に位置する『カスティーリャ王国』の女王として即位しました。

しかし、その即位は平坦なものではなく、じっと忍耐した後に、素早く行動して勝ち取ったものですので、『イサベル女王』は、『思慮深く、果断な人』と後世評されるようになりました。記録に残る言動は、いずれもこの評価を裏切るものではないように見えます。

『イサベル』は、『カスティーリャ王国』の『ファン2世』の2番目の妻の娘として生まれました。『ファン2世』は、日本流に云えば能力の無い『バカ殿』であったと伝えられていますが、『イサベル』が3歳の時に亡くなり、異母兄の『エンリケ4世』が王位に就いて、『イサベル』は母親、弟(アルフォンソ)と一緒に追放され、つらい少女時代を送ります。その生活は、母親が精神を患うほどの境遇でしたから、この体験が後の『イサベル女王』を考える上で、重要な要因ではないでしょうか。『蝶よ花よ』とチャラチャラ育てられたお姫様ではなかったということです。20年の流人(るにん)生活を送った源頼朝や、青年期に人質体験をした徳川家康なども、似た境遇で後のリーダー資質を培った言えるでしょう。

『エンリケ4世』は、浪費癖の激しいこれまた『バカ殿』で、その上同性愛者で世継ぎが生まれませんでしたが、突然王妃が女の子『ファナ』を産み、この子の父親は王様ではないだろうと周囲は疑惑を抱きます。『エンリケ4世』を見限って『イサベル』の弟『アルフォンソ』を担ぐ人たちが現れ、『カスティーリャ王国』は内紛状態になりますが、その『アルフォンソ』も若くして亡くなってしまいます。『アルフォンソ』を担いでいた人たちは、今度は姉の『イサベル』を擁立しようとしますが、『イサベル』は『兄(エンリケ4世)が生きている間は他の王は立てるべきではない』と主張し拒みます。誰の子か分からない『ファナ』よりは、自分の方が王位継承者として適任であると自負を抱きながら、周囲の期待が高まる好機をじっと待つという、したたかな対応であることが読み取れます。

更に『イサベル』は東側の隣国『アラゴン王国』の王子『フェルナンド』と結婚し、『エンリケ4世』が亡くなると、即座に夫『フェルナンド』と共同統治を掲げて『カスティーリャ王国』の女王に即位します。即位式は『セゴビア城』で行われました。この城はディズニーの『白雪姫』のお城のモデルになった、小高い丘の上の綺麗な建物です。

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2013年2月25日 (月)

イサベル女王(1)

中世ヨーロッパに君臨した有名な『女王』といえば、イングランドの『エリザベス1世(16世紀)』とスペインの『イサベル1世(15世紀)』が双璧ではないでしょうか。周囲に担がれた形だけの『王様』ではなく、強烈な個性と能力を発揮し、国の発展の礎を築いたという点も共通です。

梅爺は、2009年にスペインの観光旅行をし、『イサベル(1世)女王』と関連がある『セゴビア城』『セビリア城』『アルハンブラ宮殿(グラナダ)』を訪ねたこともあり、『イサベル女王』の生涯に興味を持つようになりました。

『イサベル女王』は、スペインの歴史の中では、イベリア半島から『イスラーム支配』の駆逐に成功した偉大な王様として讃えられています。イベリア半島は、8世紀に北アフリカから侵攻してきた『イスラーム勢力』によって、ほぼ全域が支配されましたが、北に追い詰められた『カトリック教徒』が反抗を開始し、800年間の抗争の後に、1492年に、ついに『イサベル女王』が奪還に成功しました。この800年の抗争は『レコンキスタ(国土再征服)』と呼ばれていて、スペイン観光ガイドでは度々耳にします。

『レコンキスタ』は、民族間の抗争でもあり、宗教間の争いでもありました。『キリスト教(カトリック)』が勝利を収めたこともあり、現在もスペインは、『カトリック』一色に近い特異な国です。他のヨーロッパの国では『プロテスタント』『正教』の存在があって、必ずしもスペインのように『カトリック』一色ではありません。しかし、スペイン南部は永年イスラーム教徒に支配されていたこともあり、明らかに『混血(アラブ系の顔立ち)』の影響をみてとることができる人たちに今でも出会います。

私たちは、『イスラーム支配』のスペインは、『カトリック支配』より文明的に劣っていたと誤解しがちですが、実際には逆で、当時は、『イスラーム社会』の方が圧倒的に、建築、医学などで進んでいて、『イスラーム教徒』は『カトリック教徒』を野蛮人とみなしていました。『イスラーム』は『カトリック』と異なり、科学による『真実の追求』を奨励し、学問が盛んであったからです。

さらに『イスラーム社会』は、『異教徒』の共存を許したりもしていましたので、セビリアには今でも当時の『ユダヤ人街』が残されています。『レコンキスタ』の達成で、『カトリック』は『ユダヤ教徒(ユダヤ人)』を国外追放し、『カトリック』に改宗した『イスラーム教徒』だけの居住を許しました。したがって、セビリアの『ユダヤ人街』は今では、ユダヤ人が住んでいない『ユダヤ人街』として『観光名所』になっています。

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2013年2月24日 (日)

考える愉しさ(4)

人間は、生きている限り身体の機能を維持するために脳を駆使しているので、梅爺に云われるまでもなく、『脳は考えているのではないですか』という反論があるかもしれません。脳が働いていることを、脳が考えていることと広く定義すればその通りですが、このブログで梅爺が論じている『考える』は、脳の『理』の機能を『意識』的に使うという狭い定義に基づいています。

私たちは、『自分の脳は、完全に自分の意識で支配している』と勘違いしがちですが、驚くべきことに、『自分の意識で支配できる』部分は、ごく一部に過ぎません。『泣いたり』『笑ったり』『怒ったり』『感動したり』は、必ずしも意識して行う行為ではありませんし、眠っている時の『夢』などは、自分で支配できない代表的な例です。

『脳の機能で、意識的に利用できる部分は一部である』『自分の意識で支配できない脳が引き起こす行為も、自分の行為として受け入れなければばらばい』という二つのことを知れば、『自分』や『人間』の本質が見えてきます。

こう書いてしまうと、『人間』は、『自分で自分が制御できない存在である』と投げやりになってしまいますが、幸いなことに『理』は、『思いもよらないことが起こるかもしれない』ことを、あらかじめ予測意識し、『不都合な行為にならない』ように『自制する』こともできる機能を備えています。『涙』や『怒り』を抑えることができます。しかし、度を越えると『自制』は効かず、大の大人でも『泣いたり』『怒ったり』することになります。

『考える』ことは、自分の興味、疑問に自分なりの答を見つけることで、これは愉しいことですが、そればかりではなく、普段から、事象や人間の本質に関する自分なりの理解を深めておくことで、思いもよらないことや、願わない状況に遭遇した時に、自分が不都合な行為に及ばないように『自制する』可能性を高めることができます。

『考えるためには知る必要がある』ことは確かですが、『多くを知ることは考えることではない』ことも確かです。沢山のことを正しく記憶する努力も無用とは思いませんが、現在ではありがたいことに、インターネットでいくらでも『調べて知る』ことができますから、『考える』ための準備はそれほど大変ではありません。

梅爺の体験で申し上げれば、『沢山知っている(教えてもらう)』ことよりも『自分なりに考える』ことで得られる満足感や生きがいの方が、ずっと大きいものです。

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2013年2月23日 (土)

考える愉しさ(3)

『書く』と『話す』の違いは、表現するまでにかけることができる『思考時間』の多寡です。『話す』はまったなしで、表現をし続けなければなりませんので、十分に脳で『論理矛盾』や『美意識の比較』などを行う余裕がなく、つい『失言』『不適切な表現』をしてしまいがちです。凡庸な政治家の『舌過(ぜっか)』は大半この部類です。一方作家の開高健氏のように、『話言葉』をそのまま書きおろせば立派な文章になるという、驚くべき才能に恵まれた方も世の中には存在します。

これに比べると一般に『書く』は、事前に『論理矛盾はないか』『この表現で期待通りの理解が得られるだろうか』『語感、リズムなどに配慮した文体になっているか』など十分に思考を巡らせることができます。この間、脳は『推論機能(理)』『美追求機能(情)』を駆使することになり、それまで気付かなかった自分の中の新しい『発見』に遭遇し、深い満足感が得られます。『俳句』や『和歌』は、更にギリギリに制約された条件の中で、表現しようとするわけですから、完成時の満足感は一入(ひとしお)であろうと想像できます。

『数学』や『物理』の法則を論ずる文章は、『理』一辺倒で構成できますが、一般の文章は、書き手の『理』だけでなく『情』が表現に反映しますので、文章に『人柄』が現れます。読み手には楽しい話ですが、書き手にとっては裸身をさらすような恥ずかしい話です。

『ブログ』で心象を『書く』ことは、自分をさらけだすことでもあり、時に読者に不快感を与えてしまうこともあるだろうと、逡巡する気持ちにもなりますが、『爺さんのたわごと』としてお許しいただけるだろうと、勝手な前提で『梅爺閑話』を書いています。

『書く』ために『考え』、『考える』ことで、自分なりに『事象』の本質に少し近づけたと感ずるときや、思いもよらない自分の一面を見出した時の『愉しさ』は、文字通り『生きていることを実感』する満足感になります。

『科学』の分野を除き、世の中の『事象』には、簡単な『真偽』など存在しませんので、他人はともかく、『自分はこう思う』という『考え』を持つことが逆に重要になります。浅い思考で『真偽』を決めつけたり、自分の思考は放棄して、誰かに教えてもらおうとばかりしていては、真の『愉しさ』は得られないのではないでしょうか。折角の人生がもったいないことになります。

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2013年2月22日 (金)

考える愉しさ(2)

『毎日ブログを書いています』と話すと、『一日も欠かさずの日記は大変ですね』と応じて下さる方が時折おられて、梅爺は返答に窮します。梅爺には『日記を書いている』という意識は全くないからです。

『ブログ』が『日記』と同じと受け止められるのは、世の中には『日記風のブログ』が多いからなのでしょう。『今日仕事で横浜に出かけたので、久しぶりに中華街を訪れ昼食をとった。○○楼の麻婆豆腐は絶品だった』などとその日の出来事や感想を綴るのは比較的容易ですが、梅爺がこのような内容の『ブログ』を書いても、読者の方々からは『見ず知らずの爺さんが、どこで何を食べて、どう思おうと私の知ったことではない』とそっぽを向かれるのは必定(ひつじょう)のような気がします。

ところが、毎日のアクセス数が非常に多い『有名人のブログ』の内容は、『今日どこへ行って、誰と会い、何をした』というような『日記風記述』が主体です。多くの方にとって『有名人のプライバシー』を覗き見ることは、興味の対象なのでしょう。『梅爺のプライバシー』は、ほとんど誰の興味も引かないわけですから、大違いです。

そこで、梅爺は『ブログ』を書き始めるにあたって、『個人的な興味を対象として、自ら考えたこと、感じたことを書こう』と決意しました。その時点で新聞やテレビで報道されている『時事(政治、経済、事件)』については、興味が無いわけではありませんが、梅爺が『ブログ』で取り上げるまでもなく、多くの方が『ブログ』で意見を述べておられること、表面的な情報だけで論ずる自信が無いこと、下手をすると記述が『日記風』になってしまうかもしれないことを考え、『対象』としては優先度をさげることにしました。

云って観れば梅爺は、自分の『心象』を『ブログ』に書こうと決意したことになります。『心象』は梅爺が『知っていること』を書くのとは異なり、対象さえ見つければ、ネタ切れにならない長所がありますが、今度は『他人の心象を興味の対象にしてくださる読者は本当におられるのだろうか』という懸念が持ちあがります。梅爺はプロの著述家ではなく、『ブログ』で生計をたてるわけではありませんので、読者の数はどうでもよいではないかということになりますが、『面白い』と感じてくださる方がほとんどおられないというのでは、文字通り『独りよがりなつぶやき』になってしまって、書き続ける意欲が減退してしまいます。

『梅爺閑話』を始めた当初は、案じた通りに『難解で、面白くない』という感想が多く、『自分の興味の対象や考え方は、世間の標準からかなりズレているらしい』と思い知らされましたが、辛抱して書き続けている内に、徐々に読んで下さる方の数も増え始め、最近では『意欲』の源泉になっています。爺さんの『意欲』は、『生きていることの実感』に結びつきますので、感謝に堪えません。『梅爺閑話』に関係する『フレーズ・ランキング』が左側に表示され、これをみると梅爺自身が意外に思う『キーワード』検索で『梅爺閑話』を見つけてくださる方が多いことがわかり、『なるほど、世の中の興味は多種多彩なんだな』とあらためて痛感します。

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2013年2月21日 (木)

考える愉しさ(1)

梅爺が6年以上ブログを書き続けて得た強い実感は、当たり前なことですが、『考える愉しさ』は、自分が生きていることを意識できる最高の手段になりえるということです。

仕事の現役時代は、次々に押し寄せる難題を何とか克服しようと知恵を振り絞り、決断をし、時にはうまくいって喜び、時には絶望の淵にまで押し戻されて落胆を繰り返しましたが、どちらかと言えばそれらの難題は、与えられたもので、自分の興味の対象とは言えないものでした。当時は若かったこともあり、『生きている』ことは当たり前と生意気に思いこみ、ハードルを越えようと挑戦し続ける自分の行為に満足をしていたような気がします。勿論、組織がそういう自分を必要としてくれているという満足感もありました。

定年で仕事を引退した人の多くが、心の中から何かがスッポリ抜け落ちたような虚脱感を味わい、家の中でも『粗大ごみ』のように扱われて当惑するという話をよく耳にします。梅爺も生活パターンの変化になれるまでは、落ち着きませんでした。それでも、『これからは、自分を最優先に考え、わがままに振舞おう』と開き直った結果、自堕落な生活が日常化してしまいました。

そのような状況で、偶然『ブログを書こう』と思いついたのは、大変幸運なことでした。『書く』と言う行為は、頭の中で『対象内容』をまとめ、『表現形式』を詮索しなければなりませんから『考える』ことが前提になります。『見る』『観る』『読む』『聞く』『聴く』も、二次的に『考える』行為を誘発しますが、意識的に『考えた』というより受動的に『考えさせられた』ことになります。一方『書く』は『能動的(自分で対象を探して)に考える』色彩が濃くなります。

その分『書く』ことは『苦しさ』を伴い、『それより、テレビか映画を観ていた方が楽だ』と投げ出したくなりますが、その『苦しさ』を克服してみると、『観る』『聴く』『読む』では得られない大きな満足感が待ち受けていることを実感するようになりました。登山をする人と同じ心境なのでしょう。

梅爺は、『物識り』ではありませんので、自分が『識っている』ことを書こうとすれば、ブログは直ぐネタ切れになることは眼に見えていましたので、『考えたこと』『感じたこと』を書こうと先ず決心しました。

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2013年2月20日 (水)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(6)

『大川周明』からは『複雑で謎めいた人物』の印象を受けます。1886年に山形県の庄内藩の医師の息子として生まれ、熊本の第5高等学校、東京帝大と進学していますから学業には恵まれた才能を持っていたのでしょう。大学では宗教学を学んでいますし、卒業後は宗教団体『道会』に加入したりしています。『東京裁判』で『A級戦犯』の訴追を免れた後は、『イスラームのクルアーン(コーラン)の翻訳』を完成させていますので、宗教への関心も高かったことが分かります。 

一方、『日本精神復古』を主張し、『皇国史観』寄りの歴史書を書くかと思えば、インドをはじめとするアジア各国の独立運動を支援し、西欧に対立する『アジア主義』をとなえたりしています。 

『日本改造』では、『北一輝』に共鳴し、実践のための結社『猶存社』などつくったりしていますから、『天皇制と社会主義の共存』のような考え方も持っていたらしいことが分かります。 

その上、外国の思想家の著作内容を日本へ紹介する学者のような仕事もしています。 

『宗教』『皇国史観』『アジア主義』『社会主義』が一人の人間の中に共存していることが『複雑さ』の原因になっています。全てを受け容れてしまう柔軟な人物とも言えますが、基本的には、眼の前の興味に何でも首を突っ込んでしまう『学者』の印象を強く感じます。多才であるが故に、その分自分の視点が定まらないという弱点もあったのではないでしょうか。 

『日本はいつか西欧と戦わざるを得ない日が来る』と考えながらも、日露戦争や、大東亜戦争の米国との戦争では、戦争回避を主張たり奔走したりしています。頭がよい人間ですから、日本にその国力がまだ備わっていないと直感的に感じ取っていたのではないでしょうか。 

軍人でも政治家でもない『大川周明』が、『東京裁判』で『A級戦犯』として告訴されたのは何故なのでしょう。彼は、学者の弱みとして国家権力に妥協する面もありましたが、終始おもねっていたわけではありません。『5.15事件』の時には禁固5年の有罪判決を受けています。 

連合国側としては、右翼的な大物思想家をひとり『見せしめ』に告訴したかったのかもしれません。 

『北一輝』『大川周明』それに『大本教』の『出口王仁三郎』などが提唱した『昭和維新』は実現せずに、日本は結局歴史上最悪の『敗北』へ向かって突き進むことになりました。将来同じような悲劇を繰り返さないために、日本人は『世界の中の日本』という視点を、より育む必要があるように思います。日本にとって都合のよい状態を、最大限に配慮する必要がありますが、それを単純に『正義』と勘違いすることは避けなければなりません。残念ながら、国と国の間には、共通で絶対的な尺度となる『正義』は無いからです。

したたかな対応ができる『大人の国家』に日本がなれるように、私たちは精進し続けるほかありません。

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2013年2月19日 (火)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(5)

『明治維新』は、『幕藩体制』から『近代国家体制』へ権力構造を変革する闘争で、基本的には一部の権力に近い人たち同士の争いでした。日本が列強の植民地政策の餌食にならないための必要な体制変革であったとも言えます。

庶民が自らの権利を求めて立ちあがった闘争ではありませんので、庶民にとっては『明治維新』は頭越しの変革で、わけもわからずに波に呑みこまれた感があったのではないでしょうか。

しかし、庶民は『蒙昧(もうまい)』だけであったわけではなく、やがて周囲の事情を理解して、体制への要求を主張するようになります。明治の初期には、各地で『憲法』のありかたの議論が行われ、沢山の『私版憲法素案』が作成されていたことが分かっています。『自由民権』『普通選挙による議会政治』等の要求もこの流れの中で出現しました。この庶民のレベルの高さは、近世以降の日本を考える上で重要な要因です。そして、今後も重要な要因であり続けるでしょう。

『憲法素案』は、『ビジョン』『構成能力』『法知識』『他国の憲法に関する知識』『表現能力』の全てを持ち合わせていなければ書きおろせません。これが可能な人材が、当時既に日本各地に散在していたというは驚くべきことです。

しかし、『明治政府』は、『自由民権思想』を弾圧し、『中央集権国家』作りに専心しました。日本を独立国家として世界に認めさせるためには、悠長な議論をしている余裕など無かったとも考えられますが、結局日本が『民主主義国家』になるためには、戦争、敗戦という高い代償を払うことになりました。

『近代国家日本』にとって、大きな問題は『天皇』をどのように位置づけるかでした。『明治政府』は、国体の中心に『天皇』を据え、『国民は天皇の赤子(せきし)』という思想を作り上げました。国民の精神の自立、自由(思想、宗教など)を認めず、むしろ『天皇』を利用して国民を拘束するようになっていきました。

これに対して『北一輝』や『大川周明』は、『天皇』は『国民の天皇』であるべきと主張しているように見えます。『天皇の国民(赤子)』か『国民の天皇』かは、大きな違いになります。『大川周明』は、『天皇は国民の共同生活の中心であるべき』などと表現していますから、現憲法の『天皇は日本の象徴』に近い考え方であったのかもしれません。

『天皇』自身が、『国民の天皇』の立場を支持するものと信じて立ちあがった、『2.26事件』の青年将校たちにとっては、『天皇』から『賊軍』と名指しされた結末は、大きな失望であり、処刑されるにあたっても、怒りや恨みが残ったにちがいありません。

列強の植民地にならないように頑張った近世日本が、ある程度体制が整ってくると、今度は、近隣国家を植民地化しようとする国家へ変身します。この矛盾にどう対応するかが、日本の知識人や思想家にとって試練になっていきます。『東洋を西洋の支配から解放し、解放後は日本を盟主とする共栄圏にする』というような、日本にとって都合がよい論理を考え出しますが、近隣国家にとって、『解放』はありがたいにしても、日本が盟主の実質支配は迷惑な話であるという単純なことに、気付かぬふりをして、結局国家や軍部の行為の追認を繰り返している内に、泥沼へはまりこんでいくことになりました。

『北一輝』も『大川周明』も、『アジアの解放、復興』と『日本の改造』を一緒に行うという考え方を持っていたように見えますが、西洋に対抗して東洋が一体になれると夢想しているように梅爺には見えます。

しかし、その後の歴史を見渡せば、東洋は一体どころか、東洋間の緊張が高まるばかりですから、『日本を盟主とする新秩序』などは、身勝手な空論にすぎないことがわかります。

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2013年2月18日 (月)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(4)

『北一輝』と『大川周明』は、自分の考え方を明確に述べる能力に長けた『論客』です。一般に『論客』と言える人は、脳の『理』を用いた論理思考が優れていますが、さらにその奥には、『因果関係を明らかにして自分を納得させる(わからないという不安を解消し安堵する)』『正邪をはっきりさせて、邪の存在をゆるさない(自分は正しい側にいることを確認して安堵する)』『自分が他人より優れていることを誇示したい(優位性を確認して安堵する)』など、いずれも『安堵(安泰)を希求する本能』が働いていると梅爺は考えています。

『梅爺閑話』の内容は、とても『論客』のそれには及びませんが、理屈っぽいという点では似ていますので、やはり『安堵(安泰)を希求する本能』が底にあることになります。梅爺の場合は、自己分析すると特に『正義心』や『名声欲』が旺盛とはいえそうにありませんので、『自分で考えて自分を納得させたい』という本能が強いように感じます。『自分で考えて自分を納得させる』ことは、心に大きな満足(安堵感)をもたらし、これが老後の『生き甲斐』『ボケ防止』になっていることは間違いなさそうです。

『北一輝』は明治16年(1883年)に、佐渡の造り酒屋の息子として生まれました。父親は町長を務めたような人物で、『自由民権』に関心が高かったために、『北一輝』もその影響を受けて育ったと考えられます。『北一輝』は学校での成績は抜群の優秀さでしたが、17歳の時に父親が家業に失敗し、学校を中退して『佐渡新聞(社長:森知機)』で働き始めます。

『佐渡新聞』は、幸徳秋水の社会主義思想に好意的な論説を掲げる新聞で、『北一輝』も社会主義へ傾倒していきます。『佐渡新聞』に掲載した彼の論文『人道の大義』では、労働組合の必要性などを説いています。

『北一輝』の風貌は、写真で観る限り、『理知的で男前』ですが、20歳にも満たない若者が、堂々と文筆で論陣を張っているわけですから、如何に異才の持ち主であったかが分かります。

その後上京して早稲田大学の聴講生となり、23歳の時に、『国体論および純正社会主義』という大著(100ページ)を自費出版しますが、五日後には、国によって発禁処分を受けてしまいます。

『天皇制』と『社会主義』を共存させるという西欧の『社会主義』とは一線を画する思想ですが、国家権力からすると、『社会主義』であることに違いが無いことになりますので、到底許すわけにはいかなかったのでしょう。

恥ずかしいことに、梅爺は『北一輝』の根底に『社会主義』があるとは今まで考えたことがありませんでした。彼は『維新革命の本義は実に民主主義にあり』と言っていますが、この『民主主義』は、『社会主義』的な『民主主義』であろうと思います。『北一輝』を『右翼思想の親玉』と考えていると、見間違うことになりそうです。

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2013年2月17日 (日)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(3)

『北一輝』と『大川周明』は、どちらも現在の視点で観れば『右翼的な思想を牽引した首魁(しゅかい)』ということになりますが、人物像は『瓜二つ』ではありません。

『北一輝』は、『命がけで信念をつらぬく武士の風格』の持ち主であり、一方『大川周明』は、『自分の思想に陶酔する学者』のように梅爺には見えます。

『北一輝』は、昭和11年の『2.26事件』の首謀者の一人として、検挙され銃殺刑で54歳の生涯を閉じています。『若殿に兜(かぶと)取られて負け戦』という、辞世の句には、天皇(昭和天皇:若殿)のために立ちあがった兵士たちが、その天皇から『賊軍』の汚名を着せられてしまった無念さが滲(にじ)んでいますが、信念のために死ぬという潔(いさぎよ)さが感じられます。

一方『大川周明』は、第二次世界大戦の敗戦後に、民間人としてただ一人『A級戦犯』として『東京裁判』にかけられましたが、法廷で『奇行(前に座っている東条首相の頭を何回も叩くなど)』を繰り返し、精神異常の疑いがあるとして、最後は訴追を免れています。『奇行』が本当に精神異常によるものか、裁判逃れのための『仮病』であったのかは、今でも議論の種になっていますが、なんとなく『仮病』ではないかと梅爺は感じます。

何故ならば、『大川周明』はその後の余生を、『イスラームのクルアーン(コーラン)』の翻訳に捧げているからです。アラビヤ語を始め、各国語に翻訳されている『クルアーン』を参照しながら、日本語訳を厳密に完成させる作業は、とても精神異常者のなせる業(わざ)とは思えません。

『東京裁判』は戦勝国が行う茶番であり、このような裁判で殺されてたまるかという気持ちがあったのではないかと推察はできますが、見破られない『仮病』をやり通したとすれば、その才覚は見事としかいいようがありません。しかし、どのような弁明があるにせよ、多くの日本人には、ここにいたって自分だけ生に執着するのは『潔くない』行為にみえるのではないでしょうか。梅爺は『学者』のひ弱さを感じます。『学者』は、権力の体制の中で『学者』の地位を得ていますので、基本的に権力に弱い面があり、庇護する権力がなくなった時には、今度は『自己擁護』を優先する可能性があるからです。

『北一輝』は、天皇を認めてはいますが、むしろ思想は『社会主義』に近く、貧しさに喘ぐ庶民の救済を念頭においていますが、『大川周明』は、『日本はどういう国家であるべきか、国際的にどう振舞うべきか』を学者風に論理的に考えていたように梅爺には見えます。『東西文明の衝突はやがて免れない』という彼の主張とおりに、日米は戦争をし、現在でも米中の対立がありますから、優れた洞察力の持ち主であったとは言えそうです。

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2013年2月16日 (土)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(2)

現在の日本人は『維新』という言葉を耳にすると、『旧弊(きゅうへい)を打破し、断固正しい路線を歩み始める』ことと、良いイメージとしてとらえるところがあります。この国民感情を利用して『維新の会』という政党ができたり、坂本竜馬気取りで平成版『船中八策』を披露したりする人物が登場しています。 

確かに『明治維新』に失敗していたら、現在の日本はなかったかもしれないとも言えますので、『維新』が『体制を一新して、正しいことを断行する』ということと同意義になってしまったのでしょう。 

不況が永く続いたり、大きな国難に遭遇したり、貧富の格差が大きくなったりすると、社会には閉塞感が蔓延し、これを打破しようと『維新』の必要性を唱える人物が登場することになります。この番組にレポーターとして出演した『田原総一郎』氏は、昭和の初めごろと現代は、世相が似ていると言っていました。しかし、昭和の初期の農村部の貧困の度合いはひどいもので、次男三男は兵隊になるしかなく、娘は身売りを余儀なくされる時代でしたから、相対的に『似ている』とは言えても、『同じ』ではありません。

それに人間社会で『体制を一新する』ことは、そう簡単な話ではありません。多くの人は保守的で『変わる』ことに不安を感じますし、現体制から利益を得ている人たちは、それにしがみつこうとします。『国会議員の数を減らす』『官僚の天下りを禁ずる』などということでさえも、そうスンナリとは事が運びません。

アメリカのオバマ大統領は、『チェンジ(変化)』を叫んで、大統領になりましたが、1期目は、ほとんど成果を挙げることができませんでした。ミシェル夫人の口出し、ホワイトハウスの側近間の意見の衝突など色々な要因が取りざたされていますが、『変革をしたい』という願望と、『変革を実施する』ことの間に大きな違いがあることを物語っています。『自己表現の能力』と『他人の能力を組織として利用する能力』の両方を兼ね備えたリーダーは、なかなかいないということかもしれません。日本でも、『自民党政治』を変革すると叫んで、国民の期待を集めた民主党も、能力不足を露呈し、『失望』だけを残して、再び自民党に大敗を喫することになりました。

『議会政治』『政党政治』の『話し合い』で、『体制を一新する』ことは、非常に難しいことを歴史は示しています。短兵急(たんぺいきゅう)に『体制を一新する』方法として、暴力的な手段が多く用いられてきました。『革命』『クーデター』『テロ(暗殺)』など、いずれも流血をともなう行為です。『明治維新』も穏やかな『話し合い』だけで実現したわけではありません。

『北一輝』『大川周明』は、主として著作物で『思想』を述べる論客でしたが、『体制一新』の実践には、『クーデター』や『テロ』はやむを得ないと考えていたのではないでしょうか。社会の閉塞感はそれほど深刻で、手遅れにならないように『変革』を行う必要があると思いつめたのでしょう。『暴力を肯定するなどもってのほか』と私たちは自分の価値観で非難したくなりますが、切羽詰まった非常事態でもその主張を通せるかと自問してみる必要があります。梅爺は『北一輝』『大川周明』を擁護したり、その思想を全面的に受け容れるつもりはありませんが、目的(体制一新)と手段(クーデターなど)の関係を論理的にとらえようとする考え方については、『そう云う考え方もある(自分の考え方とはちがうとしても)』と認めることができます。

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2013年2月15日 (金)

北一輝と大川周明の『昭和維新』(1)

NHK地上波教育チャンネルで、放映された『日本人は何を考えてきたのか』シリーズの第10回『昭和維新の指導者たち』を録画して観ました。 

『北一輝』と『大川周明』の思想を紹介し、彼らが目指した『昭和維新』がどのような運命をたどったかを解説する内容で、大正から昭和へかけての動乱の日本史を必ずしも詳しくない理解できていない梅爺には、大変参考になりました。 

幼い時に『戦争』を体験した梅爺のような人間でさえ、昭和初期の混乱は理解できていないわけですから、現在の若い日本人にとって『昭和維新』などは、全く念頭にないことなのでしょう。しかし、『日本』や『日本人』が歴史上体験した最も過酷な体験である『戦争』に、何故突入していったのかを知ることは、現在の日本人にとっても意義があると梅爺は思います。

結果から観れば、悲惨な戦争に突入し、沢山な命が失われ、国土が灰塵(かいじん)に帰した『戦争』行為の判断は、『間違っていた』ということは容易ですが、全ての責任を、『思い上がった軍隊』や『無能な政治家』のせいにして、『無辜(むこ)の国民が犠牲になった』という説明で済ますほど、背景は単純ではないと思っています。

現在の日本の困窮を、同じように『思い上がった財界』『無能な政治家』のせいにして、『無辜の国民が犠牲になっている』という説明で片付けようとする人たちが多いことに梅爺は違和感を覚えています。『昭和維新』を企てようとした人達が、何を考えていたのかを知ることは、現在や将来の日本のために無意味なことではありません。

自然界を構成する『物質世界』は、『自然の摂理(形式的な数学で表現できる法則など)』によって、『動的平衡』を求めてたえず変容を続けています。

人間社会も、政治や経済の分野で、同じように『動的平衡』をもとめて、変容しているように見えますが、人間社会の『動的平衡』は、『物質世界』の『動的平衡』と決定的な違いがあります。

それは、人間社会の『動的平衡』の要因に、人間の『精神世界』が創り出す、『意図』や『考え方』が強く作用しているということです。そしてその『意図』や『考え方』は、一部の人間やリーダーだけが決めているものであるとは、云い切れない側面があります。確かに一部の人間やリーダーの影響は、表面的には無視できない要素ですが、人間社会の行動様式は、それほど単純ではありません。

人間社会は、個々に価値観や個性が異なった『精神世界』を保有する人達で構成されています。このことが人間社会の行動様式を予測することを、『物質世界』の変容を予測する以上に難しくしています。『宇宙』の解明より、人間社会の解明が難しいのはこのためです。

梅爺は、この番組を観るまでは、恥ずかしいことに、『北一輝』や『大川周明』は『極右思想の親玉』であると思い込んでいました。『北一輝』の思想に心酔した若者が『一人一殺』などというテロ行為を行ったというような話を学校の歴史の時間に習ったことによるのでしょう。

番組を観て『北一輝』や『大川周明』を褒め称える気持ちにはなりませんでしたが、時代の中で苦悩し、自説を主張した一人の人間として、再評価に値すると感じました。

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2013年2月14日 (木)

繋がるほどに孤独(4)

人間は、群のなかの一員であり、特定の他人との間に、情感の交流が相互にできて、それ故にその相手から自分の存在が認められていることを確認して安堵する本能を持っています。このような関係(絆)が、相手の死などによって、突然断ち切られると、『寂寥感』『喪失感』に苛(さいなま)まれます。

永い生物進化の過程で、人間の脳は、そのように反応するように仕組まれているわけですから、程度の差はあれ、誰もが回避できません。人間の脳にとって『寂寥感』『喪失感』はストレスですので、これを軽減しようとする『ヒーリング機能』がこれも本能的に働きます。意図的に忘れようとする努力もありますが、何らかのホルモンが分泌されて、時間とともに軽減するようになっているように見受けられます。しかし、完全に消滅はできませんから、『家族、友人の死』や『戦争、災害の悲惨な体験』は、その人が生きている限り『つらい記憶』として付きまといます。

情感の交流ができる相手が周囲に一人もいない人は、絶望的で慢性的な『孤独』に苛(さいな)まれ、そのような強いストレスは『ヒーリング機能』などでは対応できなくなり、『精神世界』に歪みが生じます。ひどい場合は『自殺願望』や『無差別殺人願望』にまで発展してしまいます。

自分以外の人間との情感の交流は、相互作用ですから、自分から働きかけないと、相手も対応してくれないことを理解しなければなりません。『愛さなければ、愛してもらえない』という話ですが、母親の一方的な溺愛(できあい)だけで育った子供が、大人になっても情感の交流は、相互作用であり、自分からの行為が必要であることに気付かないと、自分で『孤独(ひきこもり)』環境をつくりだしてしまいます。

『情報機器』を利用して『絆』を確認しようとするのは、直接の対人関係で『絆』を確認することに比べると、確かに問題はありますが、『孤独』を回避するということでは、それなりの効用があるとも言えます。

『シェリー・タークル』の指摘する『孤独』は、本当の『孤独』にくらべれば、まだ救いようのあるものかもしれません。

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2013年2月13日 (水)

繋がるほどに孤独(3)

『道具』が私たちをワクワクさせるのは、『道具』によって、自分の能力範囲が拡大したような気持ちになり、『道具』を使いこなしている自分に、一種の『優越感』を覚えるからではないでしょうか。『自動車』を運転すれば、歩くよりも速く移動できますし、歩くことでは到達できなかった遠い場所へも行けます。『道具』は、表向きは『便利』をもたらしますが、このように使い手の『精神世界』にも影響を与えていることにも注目すべきでしょう。

『デジタル情報機器』も同様で、表向きの『便利』だけではなく、使い手の『精神世界』へ影響するものがあり、その影響は、『人間にとって好ましくないもの』かもしれないと、『シェリー・タークル』はプレゼンテーションで警告しています。

しかし、『道具』は使い方によって『好ましくない事態を生ずる』のは、『デジタル情報機器』に限ったことではありません。『自動車』も『料理包丁』も、『兇器』になります。このことだけを強調して、『自動車』『料理包丁』を否定するわけにはいきません。

『道具』と接する時には、『道具』がもつ『本質的な特性』を理解した上で、『好ましくない使い方』を避ける『理性』が求められます。多くの『道具』の『便利さ』は、否定できないほどに魅力的ですから、使い手の『理性』をどのように、育むかが課題になります。

梅爺が『梅爺閑話』を書き始めて二日目(2007年1月)に『ITの本質』という駄文を掲載しました。リタイアする前に40年間携わった『IT業界』の体験から得た『本質』を以下のような箇条書きで紹介しました。

● 手段(道具)であって、目的ではない。
● 道具として使う人に、知恵と能力を求める。
● 『現実環境』と『仮想環境』の融合をもたらす。
● 複雑なネットワーク構造を可能にする。
● 全ての情報処理を、デジタル形式で表現し、統合する。
● システムの全体責任が、曖昧になる。
● 情報処理にかかわるコストを低減する。

現代に産まれた日本の子供たちは、『デジタル情報機器(テレビ、携帯電話、PC,ゲーム機など)』が、当たり前に存在する環境で育っています。そういうものが無かった梅爺の子供時代に比べれば、『夢のような便利な環境』ですが、一方梅爺の子供の時代にはなかった『精神世界』への影響も受けていることになります。中には『好ましくない影響』もあるに違いありません。

しかし、『デジタル情報機器』の存在を否定したり、『昔は良かった』と云ってみても、問題の解決にはなりません。文明の進化を、押しとどめることはできないという前提で、新しい環境を受け容れ、政治家や良識ある大人が、『本質』を理解して、あまり深く考えずに新しい環境にさらされてしまう子供たちや、『考える能力を持たない大人たち』への対応方法を考える必要があります。

『デジタル情報機器』の普及率が高い国家が文明国ではなく、『科学』や『文明』の『本質』を洞察できる大人が多い国が文明国なのです。

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2013年2月12日 (火)

繋がるほどに孤独(2)

電車に乗ると、大半の人が、『携帯電話』や『スマート・フォン』にかじりついている異様な光景を目にします。さすがに『電話機能』では、周囲に迷惑がかかり、自分のプライバシーも知られたくないと思うらしく、電話としてではなく、インターネットでの情報取得、メール受発信、『フェースブック』『ツィッター』によるソーシャル・ネットワークへの参加、オンライン・ゲームへの参加などを目的とした『デジタル情報機器』として没頭しています。満員電車の中なのに、皆が押し黙って、自分の世界に入り込み、『孤独』に見えるのは、確かに異様です。

少し前までは、同じく電車の中で、本や新聞を読んでいましたから、同じではないかということになりますが、『即時双方向で繋がっている』という環境が大きく異なっています。『仮想環境』では絆で結ばれていますが、『現実環境』では孤独に見えると言う現象です。

最近では、電車の中ばかりではなく、家族団欒の場、友人との会合の場、職場での会議中でも、一人一人が『携帯電話』や『スマート・フォン』を持ちだして、それへの対応を優先しているという、それこそ異様な状態が多くなってきたと、『シェリー・タークル』は指摘しています。

『情報機器』を利用して、『仮想環境における絆を確認する』行為が、これほど人々を惹きつける要因は一体なんだろうと考える必要があります。そして、そればかりに没頭してしまうと、どのような弊害が生ずるのかを同時に洞察することも必要です。

『シェリー・タークル』は、『情報機器を介した会話・対話』と『対面による声の会話・対話』では、『人間関係』を理解する上での情報の質が異なっていることを指摘しています。

『対面による声の会話・対話』では、その時の表情、しぐさや、話し方のに含まれる微妙なニュアンスを同時に感じ取れます。その上、人は『会話・対話』では、ついうっかり間違いや矛盾を口にしてしまいがちですから、これらを総合して、相手の云いたいこと、本当の気持ち(ホンネ)などを聴き手は感じ取ることができます。つまり、人間は『対面による声の会話・対話』を沢山経験することで、『人間関係』の深さを理解する能力を高めてきたことになります。

一方、『情報機器』を利用した『会話・対話』では、情報の発信者が、発信前に情報の添削を行います。まずいと思う内容は削除したり、表現を変えたり編集が加えられます。この結果、『情報』は、『生身の情報』ではなくなり、『とりすました情報』になってしまいます。『梅爺閑話』も、梅爺が添削を繰り返した拙文が掲載されますので、生身の梅爺ではなく、体裁を飾ってとりすました梅爺の一面しか伝えていないことになります。見知らぬ方が読んでくださって、『こういう爺さんかな』と想像される梅爺像と、本物の梅爺では、雲泥の差があるかもしれません。

政治家の談話を新聞で読むのと、テレビで本人が話す様子を観た時の違いを思い浮かべてみれば、これは歴然とします。テレビでは、いくら『綺麗ごと』を述べても、視聴者は『この政治家は信用置けない』と感じたりします。

『シェリー・タークル』は、『情報機器』だけの『会話・対話』だけに毒されて、『人間関係』の深さを理解できずに、極めて表面的にしか他人を理解できない人間が増えていくことの『怖ろしさ』を訴えています。

また、『常に繋がっていないと不安』という強迫観念に支配され、良い意味で『孤独』になって『自分と向き合う』時間がなくなっていくことの弊害も大きいと述べていました。子供の時から『孤独』に耐えられる訓練をすることも大切であると指摘していました。

『情報機器』は、『さびしがり屋の癖に、自分を直視しない臆病な人間』を創り出すという指摘です。

確かにこれらの主張には一理がありますが、『情報機器』は今後も変容していくでしょうから、全てをひとまとめにして『情報機器』を悪者にする必要はないように梅爺は思います。

『IT(情報通信技術)』の本質的な意味と、『人間』との関係を理解して付き合えば、弊害だけを誇張して悩むことはないと梅爺は考えています。

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2013年2月11日 (月)

繋がるほどに孤独(1)

NHK地上波教育テレビで土曜日の夜放映される『スーパー・プレゼンテーション』という番組に、アメリカMITの心理学者、『シェリー・タークル(Sherry Turkle)』が登場し、『Connnected, but alone(繋がるほどに孤独)』という内容のプレゼンテーションを行いました。

彼女は、1980年代の『PC(パーソナル・コンピュータ)』や、1990年代の『インターネット』の爆発的な普及時には、『仮想環境と現実環境の融合利用』という視点で、『IT(情報通信技術)』を、肯定的に賛美していました。

『本を読む』『映画やテレビを観る』ことも『仮想環境』の体験でしたが、それは『与えられた情報』に接すると言う、『一方(片道)通行』でした。しかし『PC』や『インターネット』の登場で、私たちは、『自分も情報発信源として参加する』という『即時双方向通行』の手段を手に入れました。

現実に眼の前に居る人とは、従来から『即時双方向(Interactive)通行』のコミニュケーションを体験してきましたが、遠く離れた、それも見知らぬ人と即時にコミニュケーションができるという体験は、画期的なことでした。

人類は、新しい環境や、新しい道具に接して、それに適応する能力を発揮し、自分の行動レベル、行動範囲を進化させてきました。人類の生物的な肉体進化は短期間には起こりませんが、人間社会の『文明進化』は、この100年間で、大きな変貌を遂げました。私たちは、人類として『非常に特異な時代に生きている』と認識する必要があります。『過去』を理解するには、当時の『文明レベル』を知る必要があります。奈良時代や平安時代の日本人は、『国難』『天災』『疫病』『飢饉』には、神仏への『加持祈祷(かじきとう)』が有効であると『本当に信じていた』が故に、神社仏閣が多数建立されました。勿論権力者の自己顕示や、外国への対抗意識、自分自身の来世での救済願望もありましたが、基本的には『神仏の加護』を信じて生きていたことになります。後代の私たちのための『観光資源』として残そうと考えていたわけではありません。

『IT(情報通信技術)』は、利便性などの点で、画期的な生活環境の変化をもたらしましたが、一方、人間をダメにするネガティブの要因にもなっていると指摘する人達が現れつつあります。

世の中のことは、何事も長所と短所が同居していますので、当然と云えば当然なのですが、『行き過ぎ』に対する『反省』が顕著になってきたということでしょう。

番組のプレゼンテータ『シェリー・タークル』も、従来の『IT』肯定論者から、一転して批判的になったことを自分でも認めた上での話でした。

タイトルにあるように、『携帯電話』『スマート・フォン』が普及し、ネットワークで『繋がれば繋がるほど、人間は孤独になる』という弊害について見解を述べました。勿論ここでいう『孤独』は、『精神世界』のことで、一見矛盾したこの表現を理解するには、人間の『精神世界』を洞察する必要があります。

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2013年2月10日 (日)

Better the devil you know than the devil you don't.

英語の諺『Better the devil you know than the devil you don't.』の話です。

直訳すれば『知らない悪魔より、知っている悪魔のほうが始末に良い』ということになります。英語には『Better XXX than YYY.』という構文を利用して『YYYよりXXXの方がまし』という表現の諺が沢山あり、これもその一つです。

明らかに悪魔と思えるものが忍び寄ってきたら、対応のしようがありますが、悪魔が姿を変えて忍び寄ってきたら対応のしようがない、ということで、誰でも、『友人と思っていた人に裏切られた』『良い人と思って信用していた人からひどい仕打ちを受けた』というような体験を思い出して、『まったく、そのとおり』と肯きたくなるかもしれません。

悪人とすぐにばれてしまう悪人は、まだ可愛いレベルで、本当の悪人や、始末に悪い詐欺師などは、そうは見えないところが世の中の厄介な所です。全てを疑って『騙されない』ように心がけるという生き方もありますが、猜疑心(さいぎしん)だけの人間は、魅力を欠きますので、腹立たしいことでも人生で『騙される』ことはある程度避けがたいことだとあきらめ、せめて自分が『騙す』側の人間にはなるまいと心がけるしかないのかもしれません。

『悪魔』を『悪意を持っている他人』ととらえると、上記のような解釈になりますが、『悪魔』を自分の中の『邪心』と考えると、大分話は変わってきます。

自分の中の『邪心』に気付かない人、それとなく気付いていても認めようとしない人は、『手に負えない』という意味になるからです。

私たち日本人は、幼いころから『釈迦』の教えに接していますので、『邪心』や『煩悩』は誰にも付きまとうものと理解しています。ありがたいことに、人間には『仏心』も授けられているとも教えられていますので、できるだけ『邪心』を排除して、『仏心』に従うことを生きる目的としなさいということになります。『釈迦』でさえも、『煩悩』と悪戦苦闘したわけですから、凡人の我々が『煩悩』に苛(さいな)まれるのはしかたがないと考えます。

一方『キリスト教』では、『イエス』は『神の子』ですから、『イエス』の中に『邪心』はあるはずがないという想定になります。『凡人』が『聖人』になれないのは、心に忍び込み誘惑する『悪魔』を排除しきれないためということになります。『邪心』は誰の内にも元々備わっているものとする『仏教』と、『悪魔』は外から忍び込もうとするものとする『キリスト教』の違いがあります。

人間は『仏心、邪心』を併せ持つ矛盾した存在と観るか、本来『善なるもの』であるにもかかわらず『悪魔の誘惑に負けやすい習性をもっている』とみるかの違いですが、『矛盾を内包している』という考え方の方が、現実に即しているように梅爺は感じます。西欧の論理は、『善か悪か』『白か黒か』と、何事もすっきり区分けしたがり、分かりやすい側面はありますが、逆に浅い洞察になってしまうこともあると感じています。

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2013年2月 9日 (土)

日本近世の民衆宗教(4)

学んだり、考えたりすればするほど、『自然』や『人間』について自分はほとんど何も分かっていないことを痛感して、謙虚になる人もいれば、少しの知識や拙い思考だけで、『全てが分かった』と勘違いしてしまう人もいます。梅爺もブログを書きながら、両者の間を揺れ動き、結局は自分は無知であるという思いが強くなりました。 

新興宗教の教祖や伝道者は、『我こそが真実を知る者』というように、自信たっぷりに振舞います。自信のないようなそぶりを見せれば信者はついてきませんから当然のことです。『大本教』の開祖『出口なお』は、『なになにであるぞよ』という口調で、神のお告げを述べたり書いたり(ひらがなだけの文章で)しました。実質的に教団を発展させたのは『出口王仁三郎』で、かれは文筆の才能があり、『霊界物語(全51巻)』など、沢山の著作を残しています。 

しかし『出口王仁三郎』の考え方の基本は実に単純であるように梅爺には見えます。『神と人が統一すれば、理想的な世界が実現できる』『日本を親国にして、天皇中心の世界大家族を実現すれば世界平和が得られる』『利己主義がはびこる外国も、やがて日本の考え方を受け容れるようになる』などです。一言で云ってしまえば『一君(天皇)万民』で、万民(全人類)平等(公平)な世が実現できるという主張に見えます。この考え方を進めるために、万国共通語の『エスペラント』を習得すべきなどと唱え実践しようともしています。 

『世界文明や他の宗教の歴史に関する理解』『言語の本質に関する理解』『人間の本質に関する理解』などが抜け落ちているか、または極めて浅いことに、梅爺のような人間でも気付きます。 

民衆がこのような単純な日本中心、天皇中心の思想を受け容れるのは、分からないでもありませんが、日露戦争で活躍した『秋山真之(軍人)』や『浅野和三郎(英文学者)』などの知識人も、『皇道大本』に賛意を表明していますので、『出口王仁三郎』にはカリスマ的な雰囲気があったのかもしれません。 

やがて昭和に入ると、『出口王仁三郎』は、『昭和神聖会』を結成し、『昭和維新』を唱えます。思想を実践に移そうとしたことになりますが、賛同者や信者は800万人にも及び、政治的な力も持ち始めたために、ついに国家にとって危険な団体とみなされ、弾圧の対象になりました。昭和10年に、検察が『大本教』本部を襲撃し、施設を徹底破壊すると同時に、関係者1000人を検挙するにいたりました。『出口なお』の墓は掘り返され、信者の墓碑の文字が削る取られたりもしました。あまりのすさまじい弾圧に、信者には精神を病む人や自殺者も多数出ると言う悲劇になりました。『出口王仁三郎』は無期懲役を言い渡されましたが、その後懲役5年に減刑になっています。保釈後は、畑仕事や陶芸に励み、昭和23年に76歳で亡くなっています。 

明治維新以降の日本の近代化で、軍隊は強化され、財閥中心の経済活動は活発になりましたが、富は財閥へ集中し、底辺の庶民の生活は一層苦しいものになりました。民衆は『宗教』による『世直し』や救済を期待しましたが、弾圧によってもっと苦しい立場に追い込まれることになりました。

『一君万民』で万民は平等という思想は理想的に見えても、近代国家としては実践は難しいということでもあり、『超国家主義(天皇を中心とする国際大家族主義)』という考え方も、結局は『極端な国粋主義』へ日本が進むことをむしろ助長する皮肉な結果になりました。

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2013年2月 8日 (金)

日本近世の民衆宗教(3)

平穏な世が乱れた時に、『預言者』や『救世主』が出現することになるのは、歴史上、洋の東西を問いません。

天災や飢饉、疫病の蔓延などの平穏を脅かす状況は、民衆も直接体感できますが、外国からの圧力、政治体制の変化、価値観の変化などの眼に見えない脅威も、民衆は何となく肌で感じます。

日本では、幕末から明治の初期にかけて、『金光教(岡山県)』『天理教(奈良県)』『黒住教(岡山県)』『大本教(京都府)』『丸山教(東京)』などの新しい『宗教』が産まれました。世の中が大きく変わる『気配』と、それに伴う『不安』を民衆も感じ取っていたからではないでしょうか。いずれも『神道』の強い影響を受けていますが、『教義』には違いがあります。

世の中が、『自分たちにとって都合の悪い方向へ変わっていく』ことを肌で感じた民衆が、それぞれ開祖が説く『神が望む生き方』に共鳴して、大きな『教団組織』にまで発展していきました。

『大本教』は、開祖『出口なお』に、『艮(うしとら)の金神(こんじん)』が乗り移り(神がかりになり)、『この世は、獣のような利己主義が跋扈(ばっこ)する悪い場所であり、立替(たてかえ)を必要とする』と説きました。現世を基本的に『悪』ととらえる考え方は、日本では珍しいと番組では解説していました。日本人は本来『性善』を好む、穏やかな文化を踏襲してきたと云いたいのかもしれませんが、梅爺は少し美化しすぎではないかと感じました。

極貧の中で、懸命に生きてきた『出口なお』に、今度は明治維新の変革(西欧の制度や、考え方、新しい技術の導入)が襲いかかり、更に貧富の差が拡大していくことに対して、『出口なお』や貧しい民衆が『国家権力』に抵抗できる残された手段は、『宗教』しかなかったように梅爺には見えます。

京都の田舎が生活の中心であり、まともな教育を受けていない『出口なお』には、見知らぬ西欧は『獣が跋扈すると想像できる世界』であり、これに日本が毒されていくのは耐えがたいことだったのではないでしょうか。今日でも、『グローバライゼーション』への盲従は、日本をダメにし、思いやりなどの日本の美徳が失せつつあると嘆く人たちは沢山いますから、『出口なお』の心情がわからないでもありません。

『大本教』が、その後日本の国家権力にとって、看過(かんか)できない集団になっていくのは、『出口なお』の娘と結婚し、実質的に教団を指揮した『出口王仁三郎(本名上田善三郎)』の思想が大きく影響しています。

『出口王仁三郎』は、『出口なお』と出会う前に『神道』の神職者になるための基礎を学んでいますので、『神道』から大きな影響を受けています。日本の天皇のみが、『世界平和』を達成できる中心の存在であるという、驚くほど単純で楽観的な世界観を表明し、世界中の人たちが一つの共通語を持つべきであると主張して、『エスペラント』の普及にも努力しています。

『出口なお』も『出口王仁三郎』も、限られた見聞、知識で自分中心の幼稚ともいえる世界観を持ち、『それが正しい』と本心信じていたために、やがて過酷な試練をうけることになりました。

国家権力が推進する『国家(皇国)神道』よりも、更に尖鋭とも言える『出口王仁三郎』の思想は、『異端』として徹底糾弾されることになりました。『大きな違い』より『小さな違い』の方が、『異端』として憎しみの対象になるのも、歴史上、洋の東西を問いません。

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2013年2月 7日 (木)

日本近世の民衆宗教(2)

地球上の広域に布教を成功させた『宗教』は、7世紀の『イスラーム』以降出現していないのは何故だろうと、梅爺は前に書いた記憶があります。 

しかし、それ以降『新しい宗教』の出現は影をひそめたのではなく、沢山の新興宗教が出現したものの、『世界宗教』と言われるレベルにまでは至らなかったという表現が妥当ではないかと思います。云いかえれば、何故新興宗教は『世界宗教』にまで発展しないのか、という疑問になります。 

『科学』『文明』『教育』のレベルが変わり、人々は『理(理性)』で判断する度合いが高まったという変化が影響しているように思いますが、簡単には立証できません。『理』で考え出された『イデオロギー』が、『宗教』に変わって近世、現代では人類社会へ大きな影響力を持つようになったようにも見えます。 

『イデオロギー』といえども、最後は『信奉する(信ずる)』という『情』に属する行為がないと成立しませんから、人間は、『信じて生きる対象を何かしら必要とする』という習性を持っているのかもしれません。 

『宗教』が成立するには、『神の言葉を伝える開祖、預言者』と、それを信ずる『信徒たち』の存在が必要になります。たとえ『立派な内容の言葉』であっても、信ずる人達がいなければ、成り立ちませんし、逆に『怪しげな内容の言葉』でも、信ずる人たちがいれば成り立ちます。ただし、土着宗教の多くは、遡(さかのぼ)って誰が『開祖、預言者』であったかを特定ができず、『伝承』がベースになって信仰行為が継承されています。『この山には神が宿る』『この大木は御神木である』というような云い伝えがそれにあたります。 

何でも信仰の対象にしてしまう人間の不思議な習性を、昔の日本人は『鰯(いわし)の頭も信心から』と一方で笑い飛ばしています。『大真面目』と『笑い』が紙一重であることを喝破している諧謔精神が、梅爺は大好きです。『チャップリン』『伊丹十三』『三谷幸喜』などは、この紙一重を利用して私たちを笑わせてくれます。 

梅爺は『宗教』を軽んずるためにこのようなことを書いているのではありません。人間の『精神世界』では、生きるために信ずる対象を必要とし、『宗教』がその目的のために極めて効果的であることは承知しています。しかし、人間の『精神世界』には、一方で因果関係が曖昧なものには不安を感ずる厄介な習性もあり、『信ずる』ことよりも『疑う』ことを優先することがあります。『宗教』は『信ずる』ことをベースに成立しますが、『疑い』の対象になる宿命も帯びています。

『物質世界』には『真偽』を判定する基準がありますが、『精神世界』の『真偽』の判定は相対的なものが大半です。このために『信ずる』ことが大きな意味を持ちます。『安泰』をもとめて『信ずる』ことになりますが、やがて『本当に信じてしまって良いのだろうか』という『疑い』も芽生え、『信ずる』ことが次なる不安を呼び起こして安泰を脅かすことにもなります。『精神世界』は実に厄介です。

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2013年2月 6日 (水)

日本近世の民衆宗教(1)

2013年の1月を迎え、NHK地上波教育放送で、『日本人は何を考えてきたのか』シリーズの放映が再開されました。2012年1月に4回、7月に4回、そして2013年1月に4回と、このシリーズは12回で構成されています。以前に放送された時の感想はブログで紹介しました。 

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9944.html 

『歴史』を事件、人物の行動などで紹介することは、そう難しくありませんが、単なる知識の伝達に止まり、深い興味の対象にはなりません。『1600年、関ヶ原の戦いで、徳川家康率いる東軍が、石田光成率いる西軍に勝った』と歴史の時間に教えられ、試験のために『1600年』『関ヶ原の戦い』『徳川家康』『石田光成』という単語を暗記させられましたが、梅爺は少しも興味が湧きませんでした。『沢山正しく暗記している子は頭がよい子』という評価は、日本の知識偏重教育の象徴のように思います。教育は『自分で考える方法』を教えることが主体で、知識は補助手段に過ぎないと梅爺は考えています。『考える方法』は応用が効き、考えるために必要な知識は自ら探し求めるようになります。知識だけを詰め込むことは、極めて効率の悪い教育方法です。 

『歴史』と『思想』の関係を解説することは、梅爺にとってはこの上ない興味の対象ですが、一般的には易しくはありません。したがって『日本人は(歴史の中で)何を考えてきたのか』というこのシリーズ番組は、大変勇気のある挑戦です。特に公共放送であるNHKが、これを取りあげようとすると、『公平さ』への配慮が求められますから、がんじがらめの手かせ足かせの中で、ギリギリの表現をしなければならなくなります。『思想』は、ある意味で偏っていることに特徴があるからです。ある『思想』には、必ず『反思想(アンチテーゼ)』があり、両方を公平に『こうとも言えるが、一方こうとも言える』などと紹介していては、主旨がボケてしまいます。 

『梅爺閑話』は、梅爺の責任で『偏った主張』が許され、偏っているが故に『なるほど、そのように考える変な爺さんがいるのか』と興味をもっていただけますが、公共放送のNHKはそうはいきません。 

特に9回目の番組は、大正末期から昭和の初期にかけて、『国体』を揺るがしかねない宗教団体『大本教(おおもときょう)』が出現し、民衆と国家権力が対立した事件をあつかっていますので、『宗教と政治』という微妙な問題を扱うことになります。『大本教』は今でも存続する宗教団体ですので、NHKは教義そのものへの批判的な表現は控えねばなりません。 

従って『大本教』の開祖『出口なお』や、布教の中心人物『出口王仁三郎(おにさぶろう)』の言葉をありのままに伝え、『何故新興宗教が生まれたのか』『何故民衆の支持が得られたのか』『何故国家権力と対立したのか』という時代背景との関係を中心に番組は構成されていました。 

梅爺は『大本教』に関しては、ほとんど知識がありませんでしたので、番組構成内容だけでも十分興味が湧きましたが、NHKが触れない部分でも、色々考えさせられました。『大本教』は、世界の他の『宗教』と同じ本質を備えていると感じたからです。 

京都府の田舎『綾部』で、すさまじい極貧を経験した主婦『出口なお』が、55歳の時に突然『神がかり(トランス状態)』になり、『神の言葉』を、口にし、筆で書きとめるようになります。まともな教育を受けていませんから、漢字抜きのひらがなだけで書き綴られている資料は『筆先』と呼ばれ、『大本教』の教義の土台になっています。

『預言者』や『開祖』が、『神がかり』になったり『神のお告げ』を受けて、突然『神の言葉』を口にするようになるというパターンは、『宗教』の常道で、『大本教』も例外ではありません。『預言者』や『開祖』の『精神世界』に何が起こったのか、これは『超自然現象』と言えるのかどうかなど、現時点では解明の方法が見当たりません。『出口なお』が、突然『出口なお』をはるかに越えた存在になったかどうかは、周囲が判断することになりますが、これも明確な判定基準がありません。

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2013年2月 5日 (火)

映画『12人の優しい日本人』(6)

この映画の陪審員の一人は、真面目に働いている青年ですが、女性や結婚には縁がありません。そのため、この事件の死んだ夫が、ぐうたら男であるにもかかわらず綺麗な若い女性(被告)と結婚したことに、無意識の反感を抱いており、『こんな男は事故で死んで当然』と判断し、妻(被告)は『無罪』と主張します。 

もう一人の陪審員は、目下妻と別居中(妻が子供を連れて出ていった)で、その視点でみると、裁判の被告(妻)も、子供を連れて家でしていることを許すことができず、『こういう女は悪い奴』として『有罪』を主張します。

更にもう一人の陪審員は、以前にも陪審員を務めたことがあり、この時『有罪』としたことが、後々『トラウマ(心の痛み)』になり、嫌な思いをしたので今回は『無罪』にしたいと主張します。 

つまり、人間は他人を純粋に客観視することが難しく、常に自分の価値観や経験で判断していることになります。哲学的に難しい表現をすれば、『客体』を『主体』の事情を投影しながら観ているということになります。 

梅爺も、『冷静に、客観的にものごとを観て判断したい』と願いながら、実は極めて自分中心に考え、振舞っているに違いありません。そのような習性から逃れられないのであれば、むしろ居直って、『私はこう感じます。こう判断します』と自分を主張した方が、むしろ、誤解を避けられるのではないかと、これまた自分勝手な論理で、『梅爺閑話』を書いています。『梅爺閑話』の内容は、誤認、間違いに満ちているに違いありませんから、必ずしもこれを『正しい』と確信して書いているわけではありません。『世の中には、このように考える人がいる(人間の精神世界は個性的である)』ということを知っていただくことに意義があると思っています。 

『精神世界』の、『理』よりは『情』で物事を判断しようとする日本人の習性を、脚本家の『三谷幸喜』は『優しい日本人』と表現しているのでしょう。『優しさ』を美徳と褒め称えているわけではなく、『優しさ』の陰に隠れた『危なっかしさ』を指摘したかったのかもしれません。 

日本人の習性は、『陪審員制度』には向かないために『喜劇』のネタにし易かったとも言えます。後に『裁判員制度』が日本でも採用されることを知らずに、この映画は作られています。現在施行されている『裁判員制度』で、『三谷幸喜』が予感した事態が実際に起きているのかどうか、知りたいところです

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2013年2月 4日 (月)

映画『12人の優しい日本人』(5)

人間の脳が創り出す『精神世界』は、自らを『主体』と認識し、感覚器官が感知したモノや他人を『客体』として認識します。一方観方をかえると脳は『物質世界』のモノの一つに過ぎず、機能し続ける(生き続ける)ためには、エネルギーを必要とし、その情報処理能力にも限界があります。つまり『物質世界』の法則に支配されています。

脳の処理能力には限界があるために、感知した全てを認識するのではなく、興味のあるものだけを選択的に認識します。何を興味の対象にするのかは『精神世界』の『情』の機能が関与しており、人によって対象の範囲や度合いは異なっています。『興味』は、元はと言えば周囲が自分にとって都合のよいものかどうか(安泰でいられるかどうか)を判別するための引き金(トリガー)であり、生き残るために必要なものとして獲得した能力です。時には『興味』があだとなって身を滅ぼすこともありますが、確率的には『興味』のお陰で危険から身を救う度合いが高いということなのでしょう。

『精神世界』は遺伝子や、生後の経験レベルの違いで『個性』を保有しています。一人一人が異なった『精神世界』を保有しているということが、人間を魅力的にもし、時におどろおどろしいものにもしています。『好奇心の強弱』『危険察知能力の強弱』『好き嫌いの強弱』『美意識の強弱』などが『精神世界』を個性的にしています。人間関係や人間社会は、個性的な『精神世界』の集合体で構成されているということを知り、それを前提として考えることが重要です。

『精神世界』では、『興味』で認識した『客体』だけが大きな意味をもつと言えそうです。つまり、私たちは普段多くのことを物理的には見聞きしていながら、実際は特定のものしか『観たり』『聴いたり』はしていないことになります。都会の雑踏の中に身を置いても、周囲の他人を『客体』として認識しないかぎり『孤独』であることになります。

この映画の陪審員たちは、裁判に関係している被告(妻)、死んだ夫、それに証言した『目撃者のおばさん』『トラックの運転手』を、『客体』として認識します。すすんで『興味』を抱いたというより、陪審員として『興味』を強いられる立場になったからです。

ここからが『精神世界』の面白い所なのですが、人間は『客体』の中に、『主体』を投影してある種の判断を行おうとします。『客体』の容姿、言動が、自分(主体)が嫌う人間の容姿、言動に似ていれば、『客体』も『嫌な奴』と判断しようとします。

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2013年2月 3日 (日)

映画『12人の優しい日本人』(4)

この映画の『裁判』では、被告の若い女性(妻)が、人気(ひとけ)のない夜間の路上に酔っている夫を連れ出し、走ってくるトラックの前に夫を突き飛ばして殺したという容疑で検察から告訴されています。被告や弁護側は、偶然の『事故』であって『殺意はない』と主張しています。 

『殺意』という精神世界の抽象概念の存在を、『理(論理)』で説明することができれば『殺人罪』として『有罪』になりますが、説明できなければ『疑わしきは罰せず』のルールで『無罪』ということになります。被告(妻)と夫は路上で諍(いさか)いをしていたとすると、夫の暴力的な攻撃を避けるために、妻が突き放そうとしたということならば『正当防衛』という解釈も成立し、これも『無罪』の可能性が高まります。 

『咄嗟の、または計画的な殺意』や『正当防衛』という、抽象概念の存在を『理』で説明できるかどうかを思考し、その結果で『有罪』『無罪』を決めるという『情』の入り込まないプロセスに多くの日本人は不慣れで、それがこの映画の陪審員の言動になって現れます。 

『無罪(有罪)のような気がする(情の判断)けれど、理でそれを説明できない人』『潜在的な偏った価値観で判断しておきながら、自分が偏った価値観を持っていることを自覚していない人』『理のプロセスは理解しているために、逆に前提が変わると主張がコロコロ変わる節操のない人』などを、脚本家の『三谷幸喜』は実に巧みに登場人物(陪審員たち)として書きわけています。これらの人たちが交わすトンチンカンな会話が、『喜劇』を盛り上げていきます。 

梅爺が特に面白いと思ったキャラクターは、一人の女性陪審員で、彼女は、『全てを忠実に記録する性癖』が強く、裁判における証言、質疑の内容を手帳にきめ細かく記録しています。この記録内容は、陪審員たちが議論する時に大いに役立つものですが、彼女自身は、『情報を記録する』ことに満足してしまっていて、『情報が持つ本質的な意味』を考える能力を欠いています。 

この女性は、梅爺の眼には『日本の教育がつくりだす典型的な人物』として映りました。つまり『沢山のことを正しく知っている』ことを重視するレベルに止まっていて、『知識の裏側の本質』について『自分で考える』ことに興味を示さない人物です。このような人は『知る』ことは自分で『考える』ための手段に過ぎないとは思い及ばず、ただただ『知る』ことに情熱を傾けます。このため、教室では先生の言葉を一字一句もらすまいとノートに書き留めたり、『新聞や雑誌にこう書いてある』『誰それと言う学者や評論家はこう主張している』というようなことにこだわったりします。疑問の回答は、自分で考えて獲得しようとせず、他人の主張の中に見いだそうとします。日本では『博覧強記』の人は『頭の良い人』と尊敬されますが、意外なことに、このような人が自分の『考え』を持ち合わせていないことに、梅爺は気付くようになりました。 

『物質世界』の法則に関しては、確かにニュートンやアインシュタインに回答を求めるしかありませんが、『自分の生きがいは何か』などという『精神世界』の問いへの回答を、他人の中に見いだそうとしても、うまくいくとは限りません。 

『沢山外から得た知識を持っている』ことも精神世界に安堵(満足)をもたらす要因ですが、それよりも『沢山自分の考えを持っている、考える方法論を知っている』ほうがより安堵(満足)は深まるように思います。疑問への回答を常に他人(外の世界)に求めようとすると、回答が無いかもしれないという不安に駆られますが、自分で考える場合は、なんとかなる、なんとかしようという気持ちになるからです。

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2013年2月 2日 (土)

映画『12人の優しい日本人』(3)

映画の導入部で、一室に集められた陪審員が、好きな飲み物を注文して良いと言われ、メニューの中から各自選ぶシーンがあります。『私はこれにします。あ、やっぱり変えてこれにします』と言ったり、他人の注文を聴いて『さっきの注文は取り消して、私もそれにします』などと大騒ぎになります。 

自分の飲み物さえ主体的に直ぐに決めることができない人たちが、これから他人の厳粛な『有罪』『無罪』の議論、票決に立ち向かおうとする滑稽さを『三谷幸喜』は、暗示しています。 

ことほどさように、この映画では、何気ない発言や表情の中に、登場人物の個性を暗示するものが、計算されて組み込まれています。それらは、人間の特質でもあり、特に日本人にありがちな特質でもありますから、映画を観ている人は笑ったり、身につまされたりします。『三谷幸喜』の洞察力に梅爺は感服しました。梅爺は『三谷幸喜』が大好きで、彼が脚本を書いた『笑いの大学』や監督を務めた『ラジオの時間』といった映画もお気に入りです。 

最初に、陪審員長(12人の中から選ばれた人)が、一人一人に『有罪』か『無罪』かを問います。多くの人は、『有罪と思う』『無罪と思う』と答えますが、『何故そう思うのですか』と問われると、論理的な説明ができず、『何となくそう感じます』と自信なさそうになってしまいます。 

このことは、人間が『情』で判断することは容易で速いのに対し、『理』で判断することが極めて難しいことを示しています。生物進化の過程で、『安泰かどうかを瞬時に見極める能力(生物に共通する能力)』が優先され、それが人間の脳に『本能』として受け継がれているからです。『理』で論理的に考えると言う能力は、後に人間が獲得したもので、咄嗟の場合の判断は『情』が優先するのはそのためです(脳は『情』と『理』の二重構造になっており、『情』が根底にある)。 

梅爺も、『ピーナッツ』が好物ですが、『何故好きなのですか』と問われれば答に窮します。『好き、嫌い』『美味しい、不味い』『美しい、醜い』は、『情』の判断ですので、『理』で説明することは、あまり意味がありません。そして重要なことは『情』の判断には、個性があり、全員同じとは限らないということです。梅爺の好物は『ピーナッツ』ですが、誰もがそうとうは限りません。ある人が『モーツァルトは好き』、ある人は『ピカソは嫌い』と『感ずる』のは、個性であって、『モーツァルトを理解できない人は教養が無い』などと非難するのはお門違いです。『信ずる』『期待する』『夢見る』なども『情』の行為ですから、個性に差異があり、『理』で説明することは必ずしも易しくありません。このことは意外に理解されておらず、『私と同じように信じない、期待しない、夢見ないのは怪しからん』と他人を非難する行為が、世の中には満ち溢れています。 

この映画の陪審員の多くが、『何となく無罪(有罪)と感じた』というのは、いわゆる『直感』ですが、脳は、瞬時に取得した複数の情報を並列処理して、『直感』を創り出します。『直感』は実に重要な判断で、『当たる』こともありますが、後に『間違い』と判明することもあります。『親切な人と直感で判断し、付き合ったら裏切られた』などという体験を私たちは繰り返し、生きています。 

陪審員の責務は、『理』で『有罪』『無罪』を説明し判断することで、、この『理』で判断する行為を、多くの日本人は苦手にしています。社会も『理屈っぽい人間』を忌避する風潮があります。梅爺のような『理屈屋』は、会社では『ぐずぐず言っていないで、汗を流して働け』と言われることになります。 

欧米(特にアメリカ)では、『理』による説得能力が、社会人として重要視され、小学生の時から『ディベート(議論)』『プレゼンテーション(表現)』の訓練を受けます。梅爺は、アメリカ人と仕事の上でつきあって、この『彼我(ひが)の差』を嫌というほど体験しました。しかし、日本人としては『理屈屋』の梅爺は、むしろアメリカ流が心地よいこともありました。

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2013年2月 1日 (金)

映画『12人の優しい日本人』(2)

『12人の怒れる男』と同様に、この映画には、『事件』や『裁判』のシーンは一切登場しませんから、映画を観る人は、陪審員たちの議論や会話からそれを想像するしかありません。 

ぐうたら亭主に愛想を尽かし、5歳の子供をつれて別居している若い女性に、酔ったぐうたら亭主から復縁を迫る呼び出しがあり、二人は会って、人気が少ない夜の路上で云い争っている内に、近づいてきたトラックにぐうたら亭主が轢かれて死んでしまうという『事件』が『裁判』の対象であることが判明します。被告である若い女性(妻)に、夫殺害の意図があったかどうかが、裁判で争われ、被告は『無罪』を主張します。『事件』の目撃証言者は、偶然路の反対側で、男女の言い争いを見聞きした中年の女性と、トラックの運転手の二人だけです。 

中年の女性の証言では、『男女の言い争いを耳にした。女の方が優勢で「死んじゃえ!」と叫んでいた。自分はその場を離れようとしたら、トラックの警笛が聞こえ、振り返ってみたら男が轢かれていた』というような内容で、トラックの運転手は、『男女の存在に気付き、警笛(クラクション)を鳴らしたが、男がトラックの前によろめいて出てきて急ブレーキを踏んだが間に合わなかった』という内容です。 

これらの『状況証拠』から、被告(妻)が、殺意を抱いて夫を突き飛ばしたのではないかと嫌疑がかかりますが、当然被告は否定します。

議論が進む中で、『中年の女性』と『トラック運転手』の証言内容には矛盾があることが明らかになり、『間違っている』『嘘をついている』のではないかと疑惑が浮上し、一層話がややこしくなります。 

陪審員は、『殺意のある計画的な殺人(有罪)』か、『偶然の事故または正当防衛(無罪)』かを審議し『全員一致』で、『有罪』か『無罪』かを決めなければなりません。 

最初は、簡単に『無罪』に決まりそうになりますが、陪審員の一人(若い男性)が、『有罪』の可能性もあると主張し、議論することを求めます。議論している内に、今度は『有罪』が優勢になり、もう少しで『有罪』で決まりそうになりますが、二人の陪審員(中年のオバサンと同じく中年のオジサン)が、『何となく釈然としない』と云い張り、またまた議論が蒸し返されて、最後は全員一致で『無罪』という結末になります。 

『12人の怒れる男』では、ほとんどが『有罪』を主張する中で、一人の男が、もっと検証してみようと云いだし、議論の末に全員一致で『無罪』の票決にいたるという筋書きですが、『12人の優しい日本人』の方は、一転、二転して『無罪』になるという込み入った筋書きになっています。 

『12人の優しい日本人』は、『理』による議論が苦手な日本人が、議論をするとどんなことになるかを、『喜劇』として表現しています。映画を観ながら、『たしかにこのようなタイプの人は世の中にいる』と思ったり、『自分もこのような面を持っている』と感じたりして、笑ったり、同情したりすることになります。

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