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2013年2月10日 (日)

Better the devil you know than the devil you don't.

英語の諺『Better the devil you know than the devil you don't.』の話です。

直訳すれば『知らない悪魔より、知っている悪魔のほうが始末に良い』ということになります。英語には『Better XXX than YYY.』という構文を利用して『YYYよりXXXの方がまし』という表現の諺が沢山あり、これもその一つです。

明らかに悪魔と思えるものが忍び寄ってきたら、対応のしようがありますが、悪魔が姿を変えて忍び寄ってきたら対応のしようがない、ということで、誰でも、『友人と思っていた人に裏切られた』『良い人と思って信用していた人からひどい仕打ちを受けた』というような体験を思い出して、『まったく、そのとおり』と肯きたくなるかもしれません。

悪人とすぐにばれてしまう悪人は、まだ可愛いレベルで、本当の悪人や、始末に悪い詐欺師などは、そうは見えないところが世の中の厄介な所です。全てを疑って『騙されない』ように心がけるという生き方もありますが、猜疑心(さいぎしん)だけの人間は、魅力を欠きますので、腹立たしいことでも人生で『騙される』ことはある程度避けがたいことだとあきらめ、せめて自分が『騙す』側の人間にはなるまいと心がけるしかないのかもしれません。

『悪魔』を『悪意を持っている他人』ととらえると、上記のような解釈になりますが、『悪魔』を自分の中の『邪心』と考えると、大分話は変わってきます。

自分の中の『邪心』に気付かない人、それとなく気付いていても認めようとしない人は、『手に負えない』という意味になるからです。

私たち日本人は、幼いころから『釈迦』の教えに接していますので、『邪心』や『煩悩』は誰にも付きまとうものと理解しています。ありがたいことに、人間には『仏心』も授けられているとも教えられていますので、できるだけ『邪心』を排除して、『仏心』に従うことを生きる目的としなさいということになります。『釈迦』でさえも、『煩悩』と悪戦苦闘したわけですから、凡人の我々が『煩悩』に苛(さいな)まれるのはしかたがないと考えます。

一方『キリスト教』では、『イエス』は『神の子』ですから、『イエス』の中に『邪心』はあるはずがないという想定になります。『凡人』が『聖人』になれないのは、心に忍び込み誘惑する『悪魔』を排除しきれないためということになります。『邪心』は誰の内にも元々備わっているものとする『仏教』と、『悪魔』は外から忍び込もうとするものとする『キリスト教』の違いがあります。

人間は『仏心、邪心』を併せ持つ矛盾した存在と観るか、本来『善なるもの』であるにもかかわらず『悪魔の誘惑に負けやすい習性をもっている』とみるかの違いですが、『矛盾を内包している』という考え方の方が、現実に即しているように梅爺は感じます。西欧の論理は、『善か悪か』『白か黒か』と、何事もすっきり区分けしたがり、分かりやすい側面はありますが、逆に浅い洞察になってしまうこともあると感じています。

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