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2012年10月 8日 (月)

イスラームとは何か、再び(3)

『ムハンマド』の言語録『ハディース』には、『キリスト』の『汝の敵を愛せよ』とか、般若心経の『色即是空』のような、この世や人間を深く洞察した名言がちりばめられているのかと期待しましたが、『イスラームとは何か』と言う本の中で、重要な『ハディース』のひとつと紹介されている内容を読んで、期待は少々裏切られました。以下のようなものであったからです。

アブー・フライラは、神の御使い(ムハンマド)がこう言ったのを聞いたと語った。---私が汝らに禁じたことは、それを避けよ。私が汝らに命じたことは、可能なかぎり、それを実践せよ。昔の民が滅びたのは、自分たちの預言者に(忠実に従わず)やたらに質問し、背いたからである。

宗教は『信ずる』ことで成立するとは言え、こうあからさまに『問答無用、私の云う通りにせよ』といわれてしまうと身も蓋(ふた)もありません。これで全員が平伏してしまうのであれば、『北朝鮮』『オーム真理教』のような世界を思い浮かべてしまいます。もし仮に梅爺がこのような発言をしたとすれば、周囲は平伏などせず、『ついにあの爺さんも歳をとって頭がおかしくなってしまった』と憐れむ程度が関の山です。それが普通の人間の常識的で健全な反応です。

梅爺は、『完全無欠の人間が存在して誤謬はおかさない』という命題を『真』として無条件にうけいれることができない、厄介な性格の持ち主ですが、そんな梅爺でも、尊敬する人物の言葉であるから、『傾聴に値する』と思い込んでしまうところがないわけではありません。一度『聖人』『偉人』であると思える人に遭遇すると、その人の言葉は『何から何まで傾聴に値する』と思い込んでしまう習性を人間は持っています。

『松下幸之助語録』『土光敏夫語録』それに『イチロー語録』のように、読者が自分の人生訓として読む分には構いませんが、『毛沢東語録』『金日成語録』『ハディース』のように、『無条件な信奉』を強いる目的で使われるものには、梅爺はどうしても警戒心を強めてしまいます。

西欧社会の知識人が、比較的『イスラーム』に対して批判的である背景は、勿論『キリスト教文化』との違いもありますが、『無条件服従』を強いる姿勢に違和感を覚えるためではないでしょうか。『イスラーム原理主義者』の集団の中にその傾向が顕著に表れています。『信ずる』『疑う』という相互に矛盾する人間の習性は本能に由来するもので、人為的にどちらかを禁じてみても、結果は必ずしも幸せなものになるとは限りません。自分の中に『信ずる(信じたい)』『疑う(疑いたい)』という矛盾する心が共存することを素直に受け容れた方が健全に生きていけそうだと梅爺は感じています。

『ムハンマド』が真に偉大な人物であったのか、『イスラーム』の成立、布教過程で偉大な人物に仕立てられていったのか梅爺には判断がつきかねますが、少なくとも後者の要素はゼロではないように感じます。『イスラームとは何か』と言う本を読んでも、『イスラームは人類が創り出した斬新で究極ともいえる宗教』という実感は得られませんでした。

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