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2012年10月16日 (火)

柳田国男の民俗学(6)

柳田国男は、兵庫県に儒家の息子として生まれていますが、第一高等学校、東京帝大(法学部)を卒業後、農商務省に入省、その後も、内閣書記官、貴族院書記官と、官僚としては『花道』を歩んだエリートでした。学生時代から、文学に傾倒し、同人誌に投稿したりしています。官僚となっても、島崎藤村、田山花袋、小山内薫などと交流がありました。

国際連盟(ジュネーブ)の委任統治委員に就任して、海外生活も経験しています。国際連盟の公用語が英語とフランス語で、小国が苦労していることを目の当たりにし、新渡戸稲造とともに『エスペラント語』を世界の公立学校で教えることを国際連盟に提案をして可決させたりしています。自らも『エスペラント語』を学習し、日本へ帰国後もこの普及に尽力しています。

日本へ帰国後は、枢密顧問官に就任しますが、同時に自宅に『民俗学研究所』を設立、亡くなるまで日本の『民俗学』のために尽力しました。

柳田国男の『民俗学』を考える時には、彼の『文学好き、文学的才能』は見落とせない要因の一つであるように思います。また、海外生活を体験したことで、『日本人の精神世界の原点』を探究したいという思いが強まり、その方法論として、フォークロア(伝承されている習慣や民話)を重視する『民俗学』へ傾注していったのではないでしょうか。

『エスペラント語』を普及させれば、言葉の障壁がなくなるなどという、理想主義的な考えの人であったことも分かります。言語論理が人間の脳に形成される幼児期のプロセスを考えれば、『人工言語』を普及させることは、不可能に近い難事ですから、『法』で定めれば『エスペラント語』が世界の公用語になるなどとは、梅爺は思いません。

柳田国男自身の倫理観、審美観が『民俗学』に反映しているために、『性に関すること』が、切り捨てられているとして批判されたりもしています。『性』に関する考え方は、古代人と現代人では大きく異なっているはずですから、確かに問題があるように梅爺も思います。古代人にとっては『新しいいのちの誕生』という『再生』に、『性』は関与する『摩訶不思議なもの』であったはずです。古代人の精神世界を、現代人の倫理観や価値観というフィンルターを介して観ては、『本質』を見落としかねません。

『死者の魂』についての、柳田国男と折口信夫の論争もNHKの番組では紹介していました。柳田は、『死者の魂』は、『その家の守り神』となると主張したのに対して、折口は『死者の魂は、あの世で一体化し個性はなくなる』と主張しています。

このように人文科学では、『主張』が『主張』で留まるところが、自然科学に比べると弱点です。誰もが、好き勝手に『主張』でき、誰もどの主張が『正しい』かを絶対的尺度で判別できません。梅爺は、この種の『主張』は嫌いではありませんが、それが『正しい』と言わんばかりの表現になった時には警戒することにしています。

『死者の魂』の存在を疑っている梅爺にとっては、『死者の魂』に個性があるかないかなどという議論は、あまり興味の対象になりません。

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