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2012年10月11日 (木)

柳田国男の民俗学(1)

NHK地上波教育放送チャンネルで、2年間にわたり特集放映されている『日本人は何を考えてきたのか』シリーズの7回目は、『魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく~』でした。

梅爺は、柳田国男が『民俗学者』であり、『遠野物語』の著者であるというような表面的な知識は持っていましたが、いままで、『民俗学』について深く考えたことはありませんでした。

娘がまだ小学生だった頃に、家族旅行で『遠野』を訪ね、『座敷童子(ざしきわらし)』『オシラサマ』『河童』などについて現地で説明を聞きましたが、『地方で語り継がれた民話』の類(たぐい)と受け止め、ことさら深く考えたりはしませんでした。

梅爺が『民俗学』を、なんとなく軽視してしまったのは、その名前が原因ではないかとようやく気付きました。日本における庶民の『精神の歴史』とでも名付けていただいていたら、きっと興味を示したに違いありません。『座敷童子』『オシラサマ』『河童』は表面的な事象で、そのような概念を生みだした日本人庶民の精神世界を探求することが目的というのであれば、よく理解ができます。日本人の『自然観』『死生観』『倫理観』『幸福観』などが見えてくれば、自分もみえてきますから、これは捨て置けないことになります。

『歴史』を私たちは、偉人、英雄、著名人の行動、顕著な出来事として学びますが、歴史の背景には、無数の無名の庶民(常民)が存在し、その各々に『人生』があったわけですから、その庶民の視点で『歴史』を観ることも大変重要なことと言えます。その時代の『社会』が、大多数の『常民』で構成されていたからです。

毎年8月15日の近辺では、テレビで『大東亜戦争』の記録、記憶が放映されますが、『沖縄戦に巻き込まれた庶民』『広島・長崎で生き延びた人たち』『地獄の最前線から生還した兵士』『特攻隊員が残した遺書』『満州で逃げ惑った開拓民』の証言や記録を中心とした番組を観れば、当時の日本のリーダー(軍幹部、政治家、天皇)を中心に語られる『大東亜戦争』とは、まったく趣の異なった印象を私たちは受けます。

『常民』にこのような艱難辛苦を課すだけの意味が『戦争』にあるのかと怒りがこみ上げてきますが、一方、日本が外国から辱めを受けたら、どのような手段でも対抗すべきであるなどと、勇ましいことを云いかねない習性を私たちは持っています。韓国大統領が、日本の領土である『竹島』に、不法上陸するなら、武力ででも阻止せよ、日本政府の弱腰は怪しからん、と叫んだりします。まさか、日韓全面戦争に発展することはないとしても、それに類する事態になって、両国の『常民』が、艱難辛苦に巻き込まれる可能性が無いとは言えません。もっとも『竹島』は、現在毎日韓国から観光客が押し寄せるほど、『実質韓国支配下』にありますから、日本が、これを看過してきた責任は否めません。

『民俗学』がこのような難問を解決する手段になるとは思いませんが、『常民』の視点で国家を考える一助にはなります。国家をマクロな視点で観ることと、『常民』のミクロな視点の集合体と観ることの、バランスをとる責任が政治リーダーに求められます。『国民の生活が第一』などと迎合ばかりするのも、『何としても国辱は晴らす』などと固執するのも、不幸な結末に至るのではないでしょうか。政治は、『正論』を述べるだけではなく、したたかな『知恵』を見つけ実行する能力の発揮場所です。

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コメント

実効支配とは、
ロシアの国家元首・メドベージェフ大統領が北方領土を訪問。
韓国の李明博大統領が竹島を訪問。
日本の野田首相が尖閣列島を訪問。
ということになるのかな。

北方領土をロシア軍が守る。竹島を韓国軍が守る。尖閣列島を日本軍が守るということでしょう。

日本の国は、米軍に頼ることなく、日本軍で守れ。
そのうえで、相互に安全を保障すれば、日米は対等になる。
我が国は、虎の威を借る狐であってはならない。
自分の力を示せ。力は正義である。(Might is right).
自分の力が及ぶ領域の範囲内に、自分の正義は通用する。

力がなければ、正義もない。単なる歌詠みである。ひ弱な花である。
他人に仕事を任せておいて、いちいちあれこれ言うのは不謹慎である。いつまでも、未成年の姿勢をとるな。
消去法を得意とする論客ばかりでは、総理の寿命も短くなる。筋の通った政治もできない。

未来社会の建設には、建設的な意見が必要である。
未来構文がなくては、未来の内容は過不足なく構築できない。
未来構文があれば、理想が語れる。無ければ、筋の通らない空想・空論になる。

日本語の文章には、未来・現在・過去の区別がない。
現在のことは過不足なく考えられても、過去と未来に関してはそれができない。
日本人は、未来のことに辻褄を合わせて語ることは得意でない。
最悪のシナリオなど考えられない。悪夢は常に想定外になる。
だから、有事の際の危機管理も破たんする。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年10月11日 (木) 23時44分

nogaさま、コメントありがとうございます。
基本的には、日本人は、価値観や立場の異なった相手と折衝(negotiate)することがあまり上手ではないように感じています。
私も、仕事の現役時代には、ビジネス折衝を外国の会社と頻繁に行いましたが、苦労しました。
時に、強硬姿勢、時に妥協と、ありとあらゆる方策で臨むのですが、こちらの期待通りにはななかなかことが進みませんでした。
ビジネス折衝は、少なくとも両者が、なんとか『落とし所』を見出そうとしますが、国家間の領土問題は、お互いに『自分に義がある』といいはるだけですから、更に難しいですね。
『殴り合い』も辞さずの姿勢でのぞんで、本当の『殴り合い』にまではいかないように止め、『口喧嘩』は継続しながら、実質『棚上げ状態』にとどめるのが当面の策かなと思いますが、そう期待通りには進まないかもしれませんンね。

投稿: 梅爺 | 2012年10月12日 (金) 10時17分

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