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2012年10月 9日 (火)

イスラームとは何か、再び(4)

『イスラーム』の聖職者の立場を理解することが、『イスラーム』を理解する早道かもしれないと梅爺は感じました。『キリスト教』『仏教』の聖職者と同じであろうと推察すると間違いを犯します。

『イスラーム』の聖職者は、コミュニティの中で最も『知識を保有する人』が務めることになり、平信徒から指導者として尊敬をあつめますが、『神(アッラー)』の前では特別な存在ではなく、従って特別に『厳しい戒律』や『厳しい修行』は求められません。聖職者だけが妻帯を禁じられたり、長期の断食をしなければならないというようなことがありません。聖職者同士の横の組織連携や、『総本山』『法皇』などといった位階もありません。『イスラーム』には、『キリスト教』の『修道院』、『仏教』の『禅寺(修行寺)』のようなものはありません。

『イスラーム』の聖職者の『権威』は、『クルアーン、ハディースに記載されている知識』で保たれていて、それ以外の位階やきらびやかな服装で保たれているわけではありません。多くの『宗教』で、聖職者の『権威主義』が堕落を招く要因になりがちですが、その弊害は『イスラーム』にはありません。

コミュニティに問題が生ずると、平信徒は答を聖職者に求め、聖職者は『クルアーン』『ハディース』に『こう書いてある』と提示して平信徒を導きます。『クルアーン』『ハディース』に前例が記載されていない場合は、聖職者が『判断』して良いと定めた『前例』が『ハディース』にあるらしく、この方法が採られます。

中近東の『イスラーム圏の国』で、政治問題に『最高宗教指導者○○師』なる人物が登場し『アメリカは口出しするな』と言えば、その国の外交戦略は『反米』になります。『アル・カイーダ』の指導者が、純粋な若者に、『アメリカへの聖戦(ジハード)』を指示すれば、テロは『崇高な行為』として実行されます。宗教指導者の『一言』が重大な運命を決めることになります。

自分の生き方を決める時に、『自分の理性』を優先して判断しようとする文化に育った私たちから観ると、『クルアーン』『ハディース』『宗教指導者の言葉』を最優先する『イスラーム』の文化は、一種の『マインド・コントロール』で『異様』です。『オーム真理教』が『異様』なのは同様な理由です。『マインド・コントロール』されることが厭なら、私たちは自分の理性を研ぎ澄まし、時に『神』をも疑う必要があるということになります。梅爺は『宗教はマインド・コントロールである』と断ずるつもりはありませんが、少なくともその要素があると、畏れ多くも考えています。

この文化の違いに配慮を欠いたり、逆に『イスラーム』の人たちからは私たちが『異様』に見えていることを理解しないと、『憎みあい』『罵(ののし)りあい』は止むことがありません。『ムハンマド』を冒涜した内容の映画がアメリカで作られたということで、アメリカ大使館へ抗議のために押しかけた人たちは、私たちには『暴徒』に見えますが、『イスラーム』では『敬虔な信者』なのではないでしょうか。自分の尊厳が傷つけられたと感じた時に、私たちもこのような行動に走らないとは言えません。

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