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2012年10月19日 (金)

冤罪事件は何故起こるのか(2)

岩永氏は、論理的に話をされますので、梅爺のような理屈屋は、『なるほど』と頷(うなづ)くことができます。しかし、自分の『思い込み』を排除して、話し手の『論理』だけで判断を積み上げていくという理性的な行為は、意外に難しいことです。梅爺は、現役時代に外国人とのビジネス折衝を繰り返すことで、『ディベート(debate)』の基本として、これを苦労して身につけました。 

話し手の『論理』を理解しようとせずに、自分の『思い込みによる勝手な解釈』で、議論に割りこんだりするとかみ合わなくなります。世の中は、『勝手なこと』を云いあって、自分たちは『議論』していると勘違いしている例が多いように思います。学校教育で『ディベート』の訓練を受けていない日本人は、『あなたの論理や定義には同意できない』ということを論理的に説明しようとせず、『あなたは気にいらない。だから、あなたの云うことも気にいらない』というような発言になることが多いように感じます。 

たとえば、岩永氏は、『裁判における「事実」は、「証拠」から推認されたことを指し、「真実」とは言えません』というように話をされます。これは、ある前提、条件のなかで、『事実は必ずしも真実ではない』と云っていることになりますが、一般的に『事実は真実でもある』と思い込んでいる人は、一瞬戸惑うことになります。話し手の『論理』を追うためには、話し手の言葉に対する『定義』を理解する必要があります。自分が思い込んでいる『定義』や『解釈』だけにこだわると、そこから相手の『論理』が観えなくなります。自分の知っている言葉の定義だけで解釈しようとすると、外国語も理解できないのも同じようなことです。 

岩永氏が、『日本の裁判制度は冤罪を産みだしやすい』と主張する『論理』は明解です。それは『有罪を立証しようとする検察側が被告や弁護側よりも有利な制度である』からで、『何故検察側に有利なのか』は具体的な例を挙げて説明がありました。

簡単に云ってしまえば、日本の刑事裁判で法廷に提出される『証拠(物的証拠、供述調書)』は、原則として検察側が捜査や聴きとりをして集めたもので、当然のことながら検察側は『証拠』を集めるための法的な『捜査権』を持っています。これに対して、弁護側は、任意に『証拠』を集めることはできるのが関の山で、検察側のような『捜査権』を持っていません。アメリカの場合は、弁護側も法で保障された『捜査権』を保有していて、検察側と弁護側が法廷で、『対等』に争えますから、この点が日本と決定的に異なることになります。

日本の場合、検察側は『被告を有罪にする』ことを目的としますから、人間である以上、心情的に自分に有利な『証拠』を法廷に持ちだそうとするはずです。つまり、自分に不利な『証拠』は、『証拠』として提出しないことや、自分に有利な供述調書内容を提出するなどの、『恣意(しい)』が働かないとは言い難いことになります。弁護側には、捜査内容を全部公開させる権利もありませんから、検察側の『恣意』を論証するのは難しいことになります。

この結果、被告にとって不利な状況で裁判が進み、結果的に『冤罪』も産まれやすいということになります。

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