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2012年10月31日 (水)

イスラームによる国家統治(5)

『イスラーム』の考え方に従えば、『モーゼ』『キリスト』『ムハンマド』はいずれも『預言者』であり、それぞれ『モーゼに導かれたユダヤ教徒』『キリストに導かれたキリスト教徒』『ムハンマドに導かれたイスラーム教徒』が存在することを基本的に認めています。『預言者』によって信仰の形式は異なっても『唯一の神』に到達することでは同じという考え方です。

それならば、『ユダヤ教徒』『キリスト教徒』『イスラーム教徒』は穏やかに共存できるはずですが、歴史はその様には展開しませんでしたし、現在もそのようにはなっていません。『国家や帝国の領土維持、拡大』という政治的な野望は、『穏やかな共存』とは相容れないからです。『領土維持、拡大のための戦い』は、外観(そとみ)には『異教徒との戦い』ということになる場合が多く、その時は『宗教戦争』ということになりますが、『政治戦争』を正統化するために『宗教』を掲げて『聖戦』と呼ぶことが実態として多いように梅爺は感じます。

人間社会の歴史において、『宗教が政治を支配する』『政治が宗教を支配する』という抗争が繰り広げられ、西欧国家や日本は、『結局どちらもいけない』という合意が形成されて、『政教分離』の考え方を採用しています。しかし、どの国も『完全に分離できている』わけではありません。アメリカ大統領は就任時に聖書に手を置いて宣誓しますし、演説の終わりには『アメリカに神の御加護を』などと付けたしたりします。『政教分離』では日本の方が進んでいる国かもしれません。

『イスラーム圏』国家の多くは、『宗教が実質的に政治を支配している』『為政者が宗教を利用している』のどちらかの状態ですから、『政教分離』を目指すと言う考え方そのものが主流になり難いことになります。民衆の蜂起で独裁政権を倒した『エジプト』も、その後の選挙では『イスラーム派』が勝利しています。私たちは独裁政権打倒は『民主化』のはじまりと考えますが、『エジプト』の人たちの多くは、むしろ『政教一体』の社会に回帰することを求めているらしいことが分かります。

『イスラーム』の文化では、政治的為政者は『剣の人』、宗教指導者は『文の人』と呼ばれ、両者はバランスを保っていますが、いざという時には『文の人』の発言が重視されるという『知恵』で成り立っています。ここに『政教分離』の考え方を持ちこむことは至難の業です。

『政教分離』が本質的に難しい『イスラームによる国家統治』の実態を、私たち日本人が肌で感じて理解することも、これまた難しいと感じます。

従って、『北アフリカのイスラーム諸国の民主化』『イラクやアフガニスタンの国家体制』が今後どのように推移するのかを見とおすことも、難しいと感じます。少なくとも『西欧型民主主義の方が優れている』という先入観念を排除して、推移を見守りたいと梅爺は考えています。

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