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2012年10月 7日 (日)

イスラームとは何か、再び(2)

『イスラーム』の主啓典は『クルアーン』ですが、もう一つ重要な啓典『ハディース』で、これは『預言者(ムハンマド)言語録』です。『ムハンマド』の側(そば)に仕えた人たちが、私は『預言者がこう語るのを聴いた』と語った内容を、後の世の人たちが集めたものです。

こういう形式は、『キリスト教』における『トマスの福音書』『ユダの福音書』などと類似しています。現在『聖書』に掲載されている『マタイ』『マルコ』『ルカ』『ヨハネ』の4大福音書は『正典』とされ、上記の『トマスの福音書』『ユダの福音書』などは『外典』と区分されます。ローマ帝国のコンチアヌス帝が、『キリスト教』を国教と定め、聖職者、神学者が集まって、『聖書』が編纂されました。『キリスト』の死後300年程度経過していて、沢山の『関係書』が存在していた中から、矛盾がなく一貫している『教義』を創り出すために、大議論が行われ、結局『トマスの福音書』や『ユダの福音書』は『異端』として採用されませんでした。

この時『キリストは神の子か、それとも人間の預言者か』も議論され、結局『神の子派』が勝って、『父(神)と子と聖霊は三位一体』などという、後の人たちを悩ませる難しい話になってしまいました。『トマスの福音書』『ユダの福音書』や、『グノーシス派』などは『異端』とされましたが、これらはいずれも『キリストは人間の預言者』とする立場で、『聖書』の福音書が『キリストの言動』を総合伝記風に記述しているのに対し、『トマスの福音書』『ユダの福音書』は、『キリストの言葉』だけを記述しています。つまり、『処女マリアから生まれた』『奇跡をおこなった』『死後3日目に蘇(よみがえ)った』などという『出来事』には触れていません。梅爺は、むしろ『異端』とされた記録のほうが、『キリスト』の実態を反映しているのではないかと想像しています。聖書に書かれているキリストに関する『出来事』の大半は、『教義』を権威づけるために、後の世の知恵者が創造したものではないかと疑っています。しかしこれも梅爺の推測に過ぎません。

『キリスト教』にも沢山の『キリストの言語録』と称するものが出現したように、『ムハンマド』の場合も、死後100年位の間に、無数とも言える『預言者の言葉』が出現します。その数なんと100万ケと言われていま。何故このようなことになったのかは明白で、短期間に『イスラーム』がアラブ社会にひろまったために、自分を正統化する目的で『ムハンマドがこう言った』と誰も彼もが『自分に都合のよいハディース』をでっち上げるようになったからです。『虎の威を借りようとする人』は、いつの世にもいます。

ついに大学者『ブハーリー』が出現し、『これは確かにムハンマドの言葉にちがいない』と確信が持てるものだけ7300ケを厳選し『ハディース』の『真正集』を編纂し、ようやく混乱はおさまりました。しかしこれも梅爺のようなへそ曲がりは『真正集は正しいとどうして言えるのか』と問いたくなります。

一つ一つの『ハディース』には、信憑性をにおわせるために『誰が聞き伝えたものか』が必ず書き添えられています。

『梅爺閑話』は掲載回数は2000回に満ちませんので、7300ケの『言語録』を残すためには、更に大変な努力が必要になります。このような現状ではとても『梅爺教の教祖』にはなれそうもありません。

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