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2012年10月21日 (日)

冤罪事件は何故起きるのか(4)

アメリカの裁判では、『事実認定』は裁判官が行うのではなく『陪審員』によって行われます。被告を『有罪』とするためには、『陪審員全員一致する同意』が必要ですので、検察側には必ずしも有利なしくみではありません。

岩永氏は、『Justice(正義)』に関する基本的な考え方の違いが、日米にあるのではないかと指摘されました。

『Justice』には、『悪い奴を逃すな』という意図と、『無辜(むこ:無実の人)を罰するな』という意図の、二つの側面がありますが、日本の場合は前者が、アメリカの場合は後者の考え方が強いのではないかというのが岩永氏の指摘です。

『悪い奴を逃すな』を強調すれば、『少々の冤罪が発生してもしかたが無い』ということになり、『無辜を罰するな』を強調すれば、『少々悪人が見逃されることがあってもしかたが無い』ということになりますから、日本で『冤罪事件』が起きやすい事情が理解できます。

梅爺は、これらの日米の考え方の違いは、『国家体制』の成立のプロセスと関連していると感じました。

日本は、明治維新で近代国家の歩みを始めましたが、形式を西欧諸国を模倣することから始めました。強引に新しい『器』をつくったことになります。『国家体制』作りは『お上(かみ)』主体で行われ、庶民はほとんど参加していません。『有能なお上が、蒙昧(もうまい)な庶民を導く』という考え方が根底にあり、確かに運よく、しかもタイミング良く『有能なお上』が出現したこともあって、庶民が蜂起して、『お上』を排除して自分たちの国家を作るなどといった体験をせずにやってきました。『有能なお上と蒙昧な庶民』という構図は、現在では大分是正されたとはいえ、いまだに日本社会に根強く残っているような気がします。裁判制度も、これが反映して、『お上』の側を代行する『検察側』は有能であり、間違いを起こす可能性は少ないという前提で、検察側に有利な制度になっているのではないでしょうか。当時は、『蒙昧な庶民による陪審員に判決を託す』などという考え方は、『お上』にとっては論外であったにちがいありません。

一方、アメリカは、市民の寄せ集めで、『国家』を手さぐりしながら作っていった経緯がありますから、市民の権利を守る、無実の罪で罰せららることが無いようにするという考え方が強くなったのではないでしょうか。しかし、『市民は蒙昧である』という考え方にも、一面の真理は含まれていますので、『市民に任せれば万全』とは必ずしもいえないような気もします。『裁判から間違いを排除する』のは、いずれのしくみにとっても難題であることが分かります。

日本に根付いてきた裁判制度は、それなりに長所があるとは思いますが、『冤罪』は国民の人権を侵害するものですから、それを産みだす可能性が高いというなら、是正のための努力や議論は重要です。『拷問による訊問』を排除するなどの、小手先の対応ではなく、岩永氏の指摘にあるような、『証拠の質』『事実認定の質』改善のための本質理解を前提とした議論であって欲しいと願います。そう云う議論ができないとすれば、『庶民は蒙昧』と言われてもしかたがりません。

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