« UFOの正体(5) | トップページ | イスラームによる国家統治(2) »

2012年10月27日 (土)

イスラームによる国家統治(1)

『イスラームとは何か』という本を読むと、古代から中世にかけて、人類が『部族社会』から『国家社会』へ変貌する時に、『宗教』が如何に有効な『手段』として機能するものであるかが分かります。

『部族社会』でも『国家社会』でも、『外交』と『内政』の問題が生じますが、『見知った人たち』で構成される『部族社会』よりも、『見知らぬ人たち』が共存する『国家社会』の方が、格段に複雑な『内政』問題を抱えることになります。

『外交』は『敵』との抗争が主体で、『法』ではなく『力(武力)』による問題解決を余儀なくされますが、『内政』は、『法』の整備が重要な意味を持ちます。国民を説得する『法』を、国民が信奉する『宗教』の教えを基盤に整備するのは、実に巧妙な方法で、『イスラーム』国家では、国家と宗教が絶妙な関係が、『内政』を円滑にする要因として、少なくとも当時は成功しています。

『法』は、『イスラーム』のように、『神の教えを基盤とする』とみるか、西欧社会が試行錯誤で作り上げてきた『人間が考え出した約束事(知恵)』と見るかで、歴史的な意義や、『法』の基本認識が大きく異なってきます。

私たちは、『殺すなかれ』『盗むなかれ』などという『法』の基本は、『神の教え』と合致していると考えがちですが、梅爺が何回もブログに書いてきたように、人間は『自分にとって都合がよいか悪いか』を判別する本能から出発して、やがて群のなかの関係を良好に維持するために、『善』『悪』という抽象概念を考え出す能力があり、これを基準にものごとを区分けする能力も備わっていると考えると、全ての『法』は、『人間が考え出した約束事』であると考えて差し支えないのではないでしょうか。『神』が人間に『善』を教えたのではなく、『善』の究極の象徴として人間が『神』という概念を創り出したのであろうというのが、梅爺の畏れ多い推測です。

つまり、『人間が考え出した約束事』ですから、事情が変われば『法』の内容も変えるのは当然と考えます。しかし、『法』は『神の教えを基盤とする』と考えている人たちにとっては、そうはいきません。『法』を変えると言うことは、『神の教え』が『間違っていた』と認めることになりかねないからです。

『法』を『神の教え』として整備することは、『有無を言わせぬ』側面がありますから円滑に進むかもしれませんが、その後の『法』の運用の柔軟性は失われます。一方『法』は、その都度人間が合意した『知恵』とすると、議論が白熱したりして円滑な整備は難しくなりますが、『運用』は柔軟になります。

極端に言ってしまえば、『法』の視点で観るかぎり『イスラーム』は『神主主義』を基盤とした社会であり、日本を含む西欧国家などは『民主主義』を基盤としている社会なのではないでしょうか。

この根本的な『違い』を相互に理解しないと、共存の術(すべ)は見出せないことになります。『イスラーム』社会に『民主化運動』が始まったなどと、私たちは軽々しく口にしますが、『神主主義』から『民主主義』への移行が、そう容易なものとは思えません。1000年以上の『慣性』を保持している『イスラーム』社会に、私たちと同じような『民主主義』がすぐにでも定着すると考えている人がいるとしたならば、よほど楽観的な人です。

|

« UFOの正体(5) | トップページ | イスラームによる国家統治(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« UFOの正体(5) | トップページ | イスラームによる国家統治(2) »