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2012年10月 6日 (土)

イスラームとは何か、再び(1)

『イスラームとは何か』と言う本を読み進んで、梅爺は『そういうことか』と理解が少しばかり深まりました。言うまでもなく、これは梅爺の主観に基づく理解にすぎず、客観的に『正しい』と言えるとは限りません。

分かりやすい比較をしてしまえば、『釈迦』は、人が生きることで抱え込む苦しみの根源は何かを徹底模索し、『煩悩の解脱』に答を見出した『哲学者』であり、『キリスト』は、ローマ帝国の属州とされ、ローマの文化に毒され、ユダヤ民族の信仰を見失ってしまったユダヤの同胞に、本来の信仰に立ち戻るように求めた『宗教改革者(厳密にはユダヤ教の改革者)』であると言えるような気がします。

一方『ムハンマド』は、『社会改革者』の優れたリーダーであると言えます。部族ごとに種々の宗教を掲げて分裂状態であったアラブ人社会を、『イスラーム』という一神教宗教を結束の手段として『同胞コミュニティ』に変えることに成功しています。『同胞コミュニティ』を生みだすために『神の啓示』を利用したのか、『神の啓示』を口にしていたら『同胞コミュニティ』が出来上がることになったのかは、梅爺には分かりませんが、結果的に歴史的には『社会変革者』としてアラブ社会に貢献したことになります。

この『釈迦』『キリスト』『ムハンマド』の本質比較でわかるように、『ムハンマド』は最も世俗的であり、その啓典『クルアーン』は、宗教的な規範であると同時に、日々の生活の規範を規定し提示したものでもあります。たとえば『夫は公平に処遇できるのであれば4人まで妻を娶(めと)ってもよい』などという細かいことまでが『クルアーン』で提示されています。『何故4人なのか』『こんなことまでアッラーは指示したのか』と梅爺は不思議に思いますが、『イスラーム』を信ずる人たちには、国家の法律以上に『クルアーン』は神聖で疑うことなど許されないことになります。

蛇足になりますが『ムハンマド』は、コミュニティのリーダーに登り詰めた後には10人以上の妻を娶(めと)っています。『イスラームとは何か』と言う本には、これらの『一夫多妻』は、私たちが思い浮かべる男の性的征服欲望や権力誇示の実現手段ではなく、当時部族間の抗争で男が多数戦死し、世の中は未亡人や孤児であふれていたために、甲斐性のある男は、これらの未亡人や孤児が生きていけるような救済する必要があったのだと書いてあります。そうだとすると『男尊女卑』の見下げた行為ではなく、むしろ『弱者救済』の現実的な制度ということになります。

この例でも分かるように、私たちは『自分の価値観』を尺度として世の中を見てしまいます。それを承知で申し上げれば、『イスラーム』は、深い精神世界の教えと言うより、『生きるための総合指南体系』ともいえるもので、世俗的、具体的色彩が強いように梅爺は感じます。『ムハンマド』が『釈迦』や『キリスト』に比べて劣っているというのではなく、同じ評価法で比べることに無理があると申し上げたいだけです。『釈迦』や『キリスト』が、『妻の数は4人まで認める』などと語る様子は想像し難いものです。

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