« 柳田国男の民俗学(4) | トップページ | 柳田国男の民俗学(6) »

2012年10月15日 (月)

柳田国男の民俗学(5)

当然のことながら、古代の宗教は、自分達の住む世界、感知できる自然環境の中で、『神』との関係を『推量』しようとしました。『自然崇拝』『土着の宗教』と呼ばれる所以(ゆえん)です。

古代エジプトでは、ナイル川を舞台に、『カバ』『ワニ』それに猛毒をもつ『コブラ』、そして『糞コロガシ』といった虫さえも、『再生』という『摩訶不思議な世界』に関与する『神』の使者と考えました。インドの宗教では『象』が『神』の姿で出現します。同じ時代の別の場所に住む『カバ』『ワニ』『象』を知らない人達には、エジプトやインドの宗教は理解を越えていることになります。

『環境』とは切り離して、純粋に抽象化された『神』の概念を提示した『宗教』の出現は、人類の歴史上画期的なことです。『仏教』『キリスト教』『イスラーム』が世界宗教として成立する背景には、この『神』や『仏』の『普遍化』があります。『ユダヤ教』から、ユダヤ色(ユダヤの戒律など)を払拭(ふっしょく)した『パウロ』の功績が、『キリスト教』を生みだしました。

仏教が伝来する以前の日本各地には、その自然環境と密接に関係をもつ『土着の宗教』があったであろうことは、想像に難くありません。『死者の魂が住むあの世』も、沖縄では『海のかなた』になり、岩手県遠野では、『里を見下ろす山』ということになります。『死者の魂』は怖ろしいものではなく、『自分達を見守ってくれる』『自分たちに幸せを届けてくれる』存在と考えていました。そして逆に『死者の魂』が『あの世』で楽しく過ごして欲しいと願いました。後に『仏教』と『土着の宗教』が混ざって、『お盆』の先祖の里帰りのような行事が恒例となりましたが、陰々滅滅(いんいんめつめつ)の雰囲気ではなく、むしろ一族が集う楽しい行事という雰囲気になっているのはこのためです。

『死者の魂(先祖の霊)』だけではなく、恵みや災害をもたらすもろもろの『自然』や『環境』に、全て『霊』が存在すると考え、自分たちはこれらの『霊』との関連で『生きている』と昔の日本人は考え、それを信じていました。

先祖や自然を大切にして感謝するという、表向きの風習として、それが現代に日本人に受け継がれているとすれば、それには『非科学的』などと軽視してはいけない『本質』が関与しているように梅爺は感じます。

『魂』や『霊』の存在とは無関係に、『自分が何かによって生かされている』ことは誰もが実感できることで、その『なにか』は、先祖や自然であることも疑いがないように感じます。

『民俗学』では、昔の日本人の『精神世界』が多く形式的に語られますが、その奥に、現在、将来にも共通につながる『本質』を私たちが見出すことができるのなら、『カビ臭い学問』ではなくなるのではないでしょうか。

|

« 柳田国男の民俗学(4) | トップページ | 柳田国男の民俗学(6) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 柳田国男の民俗学(4) | トップページ | 柳田国男の民俗学(6) »