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2012年7月31日 (火)

日本人は何を考えてきたのか(10)

『キリスト教徒であると同時に日本人である』という『問題』への対応の仕方が、『内村鑑三』と『新渡戸稲造』では異なっているように梅爺は感じます。『新渡戸稲造』はアメリカ人女性と結婚したり、植民地『台湾』で仕事をしたり、『国際連盟』の事務次長として勤務したりと、『異文化』との共存を日常的に経験し、『相互理解は可能である』という楽観的な信念の持ち主であったように見えます。『武士道』という著作を発表したのも、自分が『日本人』であることを強調するためではなく、『異文化』の人たちとの『相互理解』のために、『自分の立場』を表明することが目的であったのではないでしょうか。勿論、『あなたがご存知ない、こんな素晴らしい異なった精神文化もあるのですよ』という自慢の心も全くなかったとはいえないかもしれません。

それに比べて『内村鑑三』は、『キリスト教徒』と『日本人』とを『どう折り合いをつけるか』を深刻に考える性格であったように見えます。アメリカから帰国後、第一高等中学校の嘱託教員になりますが、この時『教育勅語』に『奉拝』しなかったという有名な『不敬事件』を起こし、世間から糾弾されます。当然のことながら『キリスト教』は日本の『国体』にそぐわないなどという議論も巻き起こります。このような体験から、『内村鑑三』は日本人であることを強く意識せざるを得なくなったのかもしれません。

軽井沢にある『内村鑑三記念堂 石の教会』には、『I for Japan; Japan for the World; the World for Christ; and All for God.(我は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そして全ては神のために)』という直筆の書が展示されています。またこの言葉は『内村鑑三』の墓碑にも刻まれています。悩んだ末に行き着いた『境地』を如実に表しているように感じます。

梅爺は、『宗教』や『信仰』の本質は、『個人と神の一対一の関係をベースに心の安らぎを体感するもの』と考えていますから、本来『他人』や『民族』などが介入する余地がないもの推測しています。仮に『民族』を前提にした『宗教』があるとすれば、その『宗教』は、神から与えられたものではなく、人間が考え出したものであることを間接的に物語っている様な気がします。人間は『自分』や『自分たち』に都合のよいものを考え出して安堵しようとする習性を保有するからです。

現代に生きる梅爺ですので、このような能天気な自論を述べることができますが、明治維新以降、極東の小国が『世界の一等国』になろうと、無理な背伸びをしていた日本では、『愛国心』『国体の護持』などが、国民を一つにする重要な要因であったわけですから、そのような環境で『内村鑑三』が、『キリスト教徒』であり『日本人』であることにこだわらざるを得なかった事情は理解できます。

『内村鑑三』は、『武士道の上にキリスト教を接ぎ木すれば最強の組み合わせである』というようなことも言っています。真意は梅爺にも分かりかねますが、なんとか日本人にも『キリスト教』を理解してほしいという願いが現れているようにも感じます。しかし『武士道』と『キリスト教』を同列に論ずることは誤解を招くことにもなったのではないでしょうか。

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2012年7月30日 (月)

日本人は何を考えていたのか(9)

『内村鑑三』も『新渡戸稲造』も、アメリカを体験した当時としては『新しいタイプの日本人キリスト教徒』でしたが、帰国後『内村鑑三』が、『キリスト教の布教』を主軸に活動したのに対して、『新渡戸稲造』は、ドイツにも留学し、日本へ帰国後は、教育者(札幌農学校教授、京都帝大教授、東京帝大教授、第一高等学校校長、東京女子大学学長など)、著述家(英語で書いた『武士道』が有名)、官僚(台湾殖産局長など)、国際機関勤務者(国際連盟事務次長)などの華やかな実務キャリアを積み重ねていきます。アメリカ人女性と結婚したことも含め、『外国語』に苦労していないように見受けられるのは、梅爺には驚きです。

特に『新渡戸稲造』は、『国際連盟事務次長』として、各国の『平和団体』をネットワークして、国際平和に寄与しようとした活動が有名で、このアイデアが後の『国際連合ユネスコ』として結実しています。英語を流暢に操り、発想と行動に秀でた有能なアジア人は、驚きと尊敬の対象であったものと想像できます。

『新渡戸稲造』が英語で書いた『武士道』は、世界中で読まれ、日本人の死生観、倫理観の理解に貢献しました。『岡倉天心』の『茶の本』もそうですが、日本文化を世界の人たちに正しく理解してもらうには、日本からの情報発信が必要です。明治維新以降、日本は『軍事大国』『経済大国』へ向かってまい進してきましたが、結果は『失敗』や『行き詰り』であることが明白になってきました。これからの日本は『文化国家』として世界から尊敬されるようになることが求められるのではないでしょうか。それが世界の中で『異文化』と共存できる決め手であるように思います。それには国民の一人一人がもっともっと『独立した大人』になり、『自分で深く考える』能力を身につける必要があります。

『新渡戸稲造』は、晩年オフレコで発言した『日本を滅ぼすとしたら、それは共産主義か軍閥だ』が、表沙汰になり、軍部やマスコミから非難されます。しかし、日本は『新渡戸稲造』が案じたとおり、軍部が独走して戦争へ向かって突き進むことになります。『日米開戦』を避けようと『新渡戸稲造』はアメリカへ渡って『日本の立場』を説明しようとしますが、アメリカ人は『新渡戸稲造』が、日本軍閥の行動を肯定するために説明に来たとして、もはや耳を貸そうとしなかったと言われています。

現在の日本の政治家の中に、『東西の架け橋』になれる能力を持った人があまり見当たらないので心配になりますが、幸いなことに、『新渡戸稲造』の時代とは異なり、政治家でない人には、沢山有能な人材が存在します。これらの人材を顕在化し、結集して有効に活用する方法を見いだせれば、日本の将来は変わってくるのではないでしょうか。『国民の生活が第一』などという浅薄で幼稚な表現しかできない政治家が政治家として通用している間は、日本は世界から尊敬の眼では見てもらえないような気がします。国民の多くが大人で深く考える能力を身につけていれば、『国民の生活が一番』などというスローガンは、嘲笑の対象でしかないはずです。

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2012年7月29日 (日)

日本人は何を考えてきたのか(8)

『新渡戸稲造』は、アメリカに渡って、当時の『キリスト教』に接し、自分が思い描いていた『キリスト教』『キリスト教社会』との違いに失望しますが、やがて『クェーカー』というプロテスタントの一宗派の会合に参加して、『これが、求めていたものだ』と確信します。『クェーカー』の教会は、飾り気のない信者だけの集会所で、祭壇や説教壇はなく、牧師のような聖職者もいません。信者たちは、お互いに向かい合って椅子に座り、静かに祈りをささげ、一人一人が順番に立ちあがって、『神への自分の思いや感謝』を短く語るだけです。『新渡戸稲造』はこれこそが『神との霊的な交信』であると思ったのでしょう。アメリカ時代に『内村鑑三』にも声をかけ、一緒に『クェーカー』の会合に参加しています。『内村鑑三』は日本へ帰国後、『無教会』形式の会合を主催しますので、『クェーカー』の影響を強く受けているように見えます。『新渡戸稲造』は『クェーカー』の会合で出会ったアメリカ女性と結婚しています。そして生涯、書斎等で、『一人祈っていた』と家族が証言しています。『宗教』の本質は、『神と自分との関係』であって、他の一切の『形式』や『権威』などとは無縁なものと理解していたからではないでしょうか。

『内村鑑三』も、アメリカで養護施設で働いたり、大学や神学校に通ったりして、『キリスト教』を学び、聖職者になることも目指したりしますが、自分を納得させるものを見出せずに、学校は中退しています。それでも、日本へ帰国後は『キリスト教徒』としての活動は続け、日本のプロテスタント活動に大きな影響をと足跡を残しました。最初の布教形式が『無教会派』で、『クェーカー』と類似している所は注目に値します。『内村鑑三』が当時『理想』と考えた『キリスト教』がどんなものであるかをうかがい知ることができるからです。

しかし、その後『内村鑑三』は、『キリスト再臨信仰』をとなえ、『無教会』の閉鎖性をあらためて大規模集会形式を採用したりします。日清戦争の初期には『戦争』を肯定していましたが、実態が明らかになるにつれて反対に変わり、日露戦争の時には、『非戦論』を主張します。『無教会派』から『キリスト再臨信仰』へ、戦争肯定から反対へと、『内村鑑三』は、表向きには思慮が浅くコロコロ変節する人に見えます。しかし、その都度『自分の考え』を述べないと気が済まない性格で、後にその誤りも潔く認める性格であるとみれば、『自分を見せないでずる賢く振舞う人』よりは好感が持てます。

『考えを変えない』ことは、勿論素晴らしいことですが、時に『考えを変える』必要がある場合も出現します。悲しいことに、人間の能力では、何もかも『正しく』先を見通すことはできないからです。梅爺は自分のことを考えると、他人を『変節者』として糾弾できないと感ずることが往々にしてあります。仕事の現役時代には『俺は朝令暮改するぞ』と口に出して居直ったりしていました。しかし世の中は、自分を棚に上げて、相手を鬼の首を取ったように『変節者』呼ばわりする人達であふれています。

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2012年7月28日 (土)

日本人は何を考えてきたのか(7)

『内村鑑三』と『新渡戸稲造』は『札幌農学校』の2期生です。『札幌農学校』だけに当時の有能な人材が集まったのではなく、適切な教育は多くの人材を輩出する証左と考えるべきでしょう。萩の『松下村塾』なども同じことが言えます。『Boys, Be ambituous(少年よ大志を抱け)』で有名な教頭のウィリアム・クラークは、アメリカへ帰国した後で、2期生は接していませんが、クラークの薫陶を受けた1期生達は『キリスト教』に改宗していて、2期生にも改宗の署名を迫ります。

『新渡戸稲造』は比較的容易に署名しますが、『内村鑑三』は悩み続けた末に署名しています。『日本人がどうして西欧人の神を拝む必要があるのか』という素朴な疑問を払しょくできなかったのでしょう。幼い時から神社仏閣へ詣でることが当たり前であった人間にとっては当然の反応とも言えます。

『内村鑑三』も『新渡戸稲造』も、『どの神が本物の神か』と悩んでいますが、『神の存在』そのものには疑念を抱いていません。『札幌農学校』で、レベルの高いアメリカ式教育を受けた生徒たちは、教えられる全てが『日本より進んでいる正しい知識』と思い、その中に『キリスト教』も含まれていたために、多くは迷わず受け容れたのではないでしょうか。現代の日本に生きる梅爺が、能天気に『神は存在するのか』などと言っているのとは、まるで『環境』が違いますから比較の対象になりません。

しかし、『内村鑑三』も『新渡戸稲造』も、言われるままに何もかも受け容れたわけではありません。むしろ自分で『こういうものがキリスト教であろう』と思い描きますが、二人とも後にアメリカへ渡り、拝金主義や人種差別の横行、形式的な教会の装飾や儀式を目にして、自分たちの思い描いた『キリスト教』や『キリスト教社会』との違いに失望し戸惑うことになります。

『理性的な人間』にとって、『宗教』とは何かを考える上で、この二人の、『期待』『失望』は重要なことを示唆しているように思います。人間は『宗教』にさえ、自分が思い描く『理想形』を設定し、それが満たされることを『望む』ことが分かります。しかし、これを許すと『宗教』は、複数の『理想形』が氾濫し、支離滅裂になるおそれがありますから、『宗教』側は逆に『一切疑わずに信ずる姿こそ信仰の基本』と教えようとします。

『理性的な人間』に『疑う心を捨てろ』と迫っても無理があります。一方、『神』さえも『疑い』の対象にされては、『宗教』は権威を失ってしまいます。この難問にどう対応するかは、個人の選択に任されることになります。最小限必要なことは、自分とは異なった選択をした人の存在を認めることではないでしょうか。

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2012年7月27日 (金)

日本人は何を考えてきたのか(6)

『中江兆民』は、フランス語の能力で、明治維新後の岩倉使節団の一員となり、アメリカ、ヨーロッパへ渡航することになりました。一方『福沢諭吉』は、幕末に『勝海舟』等と一緒に咸臨丸で、アメリカへ渡航、帰国後今度は幕府の文政使節団の一員(主として通訳)として、ヨーロッパへ渡航しています。明治維新後は再び使節団の一員としてアメリカへ再渡航しています。中津藩士の下級武士に過ぎなかった『福沢諭吉』が、当時の日本人としては非常に稀に、アメリカ、ヨーロッパの両方へ渡航できたのは、その非凡な『語学力』と『西欧に関する知識』で、既に一目おかれた存在であったからに違いありません。正しく両名とも『芸は身を助く』で、その後の業績の基盤は若いころに身に付けた『基礎語学力』であったことは注目に値します。激動の時代では、『身分』よりも『能力』を評価せざるをえなくなることを如実に物語っています。 

余談になりますが、『福沢諭吉』と『勝海舟』は生涯あまり仲が良くなかったと言われています。有能な人物は、自分を脅かしそうなライバルを本能的に警戒するからかもしれません。人間は『我以外皆わが師』などという悟りの境地にはなかなか到達できません。 

『福沢諭吉』の非凡さは、『語学力』だけではなく、『ものごとの本質を見抜く洞察力』こそがその真骨頂(しんこっちょう)と言えます。欧米の進んだ文明の表面的な様相だけに惑わされずに、その政治、経済、文化の基盤を理解し、その問題点までも見抜いています。そして、国家の理想的な形は、『一身独立して、一国独立す』であるという考えに到達します。つまり、国民の一人一人が自分を独立した存在として表現できてこそ、国家が成り立つという考えですから、それまでの日本の『お上があって、民がある』という考え方とは、180度の違いになります。 

『天皇』の存在などを考慮すると、イギリスの『立憲君主制』『2議院制』『2大政党が政争によって交互に政権を担う方式』が、日本が採用すべきモデルであるという結論に達します。欧米の議論の形式『ディベイト(Debate)』の重要性もすぐに理解し、後に設立した教育機関『慶応義塾』では、聴衆の前で『ディベイト』ができる『会場』も提供しています。 

『民の自尊』を『国家』は最も尊重すべきという考え方では、『中江兆民』と『福沢諭吉』は一緒ですが、『官』の役割の認識は微妙に異なっているように梅爺は感じます。『福沢諭吉』は『官民調和』を重視しています。 

明治維新後『福沢諭吉』は、政府には仕官せず、在野で教育などを主に活動をします。この頃朝鮮半島で『独立運動(中国清の支配からの独立)』が高まり、朝鮮の活動家の依頼を受けて『福沢諭吉』は支援しますが、運動が挫折するのをみて、一転して『自国の国民を守れないような国家は滅びた方が国民のためだ』という趣旨の『脱亜論』という論文を発表しています。 

『あれほど面倒をみてやったのに、このざまは何だ』という怒りは分かりますが、朝鮮半島の人たちの苦悩を配慮しない、『理』の論理になっているように梅爺は感じます。『理』による洞察力が鋭い人は、時折人間の『情』を軽視することになりかねません。戦争を終わらせるためには原爆投下はやむを得ないなどというトルーマンの決断も、これに類します。複雑な要因が絡む人間社会では、『八方美人』の『解』はないために、『非情な決断』は避けられませんが、犠牲者の悲しみ、苦しみが残ります。『非情な決断』の是非を決める『知恵』を人類は未だ見つけていません。

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2012年7月26日 (木)

日本人は何を考えてきたのか(5)

『中江兆民』が、『日本には哲学が無い』と嘆いた時に、彼がどのようなものを『哲学』と考えていたのかを知りたくなります。すぐに思い浮かぶのは、彼がフランスで勉強している時にその存在を知った『ジャン=ジャック・ルソー』の政治哲学です。

梅爺はとても『ジャン=ジャック・ルソー』の思想を、解説できる能力は持ち合わせていませんが、誤認を覚悟して思いきって言ってしまえば『主権』は『君主』ではなく『民』にあり、個人は伝統的な価値観や慣習から解放されることを理想と考えていたのではないでしょうか。現在では、むしろ誰もが奇異に感じない思想ですが、18世紀では過激であり、保守的な権力者や教会の顰蹙(ひんしゅく)を買い、著書の一部は当時発禁になったりしています。私生活における奔放な『性の嗜好』も、『ふしだらな人間が、偉そうなことをいうな』という糾弾の的になったのではないでしょうか。『ジャン=ジャック・ルソー』は、『理』だけでなく、多感な『情』の持ち主であり、その組み合わせが醸し出す、思想や小説は、人間味あふれる魅力に富んでいるために、後世の哲学者(カントなど)や、民衆の心をつかんだのではないかと梅爺は推測します。モーツァルトもそうですが、『非常に有能でもあり、どこかハチャメチャでもある』という人間は、『生真面目だけ』の人間より、時によっては魅力的なものです。

『中江兆民』は、『ジャン=ジャック・ルソー』の思想をベースに、日本での政治活動や啓蒙活動を行いました。民権には『民衆が回復すべき民権』と『君主から与えられる恩賜の民権』があり、当然前者が好ましいという、民衆によるボトムアップ型の『自由民権』を説いたわけですから、明治政府にとっては危険思想であり、弾圧の対象になりました。それでも、恩赦で釈放されると、第一回衆議院選挙には、大阪の『部落』地域から立候補し、『自分も下層の人間である』と訴え、見事当選します。『立憲自由党』を作りますが、仲間の裏切りに憤(いきどお)って、議員を辞職してしまいます。衆議院は『無血虫の陳列場』だと痛烈に批判しています。そう言われてみれば、現在でも衆議院は『無血虫の陳列場』の感が無いわけではありません。『中江兆民』には『三酔人経綸問答』という有名な著作があり、『洋学紳士君』『豪傑君』『南海先生』という架空の人物が、酒席で日本の政治基盤や外交のあり方を論ずる形式で問題提起しています。梅爺も以前『夢の中の神様との対話』というブログで、『神様』に登場いただき、梅爺との会話形式で問題の本質を浮き彫りにしようとしたことがありますので、『中江兆民』のこの手法の意図は理解できます。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-4845.html

『中江兆民』は、『道徳が無ければ文明ではない』と説いていて、この道徳の理想形を中国の『儒教』に求めているように見えるのも興味深いところです。彼は『道徳』をどのように考えていたのでしょうか。『道徳』は、コミュニティが『そうあるべき』と決めた不文律の『知恵』で、時代や環境によって内容が変化します。『道徳が無ければ文明ではない』と言われると、なんだかそのような気になりますが、実は『道徳』も『文明』も単純に論ずることが難しい対象のように梅爺は感じます。

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2012年7月25日 (水)

日本人は何を考えてきたのか(4)

現代の私たちは、有り余るほどの『情報』に囲まれて生活していますから、わざわざ現地へ出向かなくとも、『異文化』に関する知識はある程度得られます。梅爺は、『キリスト教』『仏教』と同等に『イスラーム』にも興味がありますが、『トルコ』を短期間観光旅行した程度の経験しかありませんから、とても『イスラーム』世界に接した経験があるなどとは言えません。それでも、モスクを訪れたり、モスクのミナレット(尖塔)から祈りの時間を知らせるために流される声明(しょうみょう)のような歌声を現地の街角で耳にしたりすれば、日本で想像していたものとは違う『空気』を感ずることができました。今後訪れることはないとは思いますが、『イラク』『イラン』『サウジアラビア』『エジプト』などへ出向けば、また異なった『空気』を感ずるに違いありません。 

『福沢諭吉(アメリカ・ヨーロッパ)』『中江兆民(アメリカ・ヨーロッパ、特にフランス)』『内村鑑三(アメリカ)』『新渡戸稲造(アメリカ)』が、幕末から明治の初期の時期に、『異国』を肌で直に感ずる体験をしていることが、どれだけ大きな意味を持つかは想像に難くありません。現在のように飛行機でひとっ飛びではありませんし、事前の情報も豊富では無かったでしょうから、文字通り『遠い異国』を体験したことになります。 

しかし、4人に共通しているところは、『西欧』の先進性は認めてはいるものの、全てを美化して受け容れたりはしていないことです。西欧の長所と同時に短所も洞察し、その視点で日本や自分を見直そうとしています。今でも外国を体験した多くの日本人が、『日本を違う視点で観ることができるようになった』と語っているのと似ています。『異文化』を知ることは、結局自分を知ることであることが分かります。

『中江兆民』は、フランスで法学者アコラスの私塾に通い、『ジャン=ジャック・ルソー』の『社会契約論』を知り、後に日本で自由民権運動を展開する時にその一部を翻訳し『民約約解』として発刊しています。これだけ見ると、西欧一辺倒のようですが、実は中江は『道徳が無ければ文明とは言えない』と言う主張をしていて、当時のヨーロッパは単に科学などが進んでいるだけで、優れた文明とは言えないと述べています。『歴史は進歩はするが、基本的に文明には優劣がない』と省察し、むしろ中国『儒教』の道徳観に関心を持って、日本に帰国後漢籍を勉強し直しています。 

4人に共通することは他にもあり、それは『非常に行動的である』ことです。時には非難されたり挫折したりしますが、とにかくまた新しいことを始めます。『福沢諭吉』は死の直前『自分の人生は楽しかった』というような述懐をしていますから楽観的な性格であったと言えますが、『中江兆民』は、ガンで余命1年半と宣告されて時に、さすがに、すこしひねくれた心で日本及び日本人を批判しています。 

『わが日本 古(いにしえ)より哲学なし』と嘆き、日本人は『極めて常識に富める民なり。常識以上に抜きんでることは到底望むべからざるなり』と断じています。耳に痛い言葉で、へそ曲がりの梅爺も同意する部分はありますが、『日本人は、そう捨てたものでもないでしょう』と反論もしたくなります。

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2012年7月24日 (火)

日本人は何を考えてきたのか(3)

『福沢諭吉』は豊後中津藩の下級武士の子、『中江兆民』は土佐藩の郷士(足軽)の子、『内村鑑三』は高崎藩士の子、『新渡戸稲造』は盛岡藩士の子と、それぞれ『武士階級』に産まれていますから、少年期は『武士道』『儒教』の価値観の世界で育ったものと推測できます。特に『福沢諭吉』の父親は儒学者でしたから、厳格な薫陶(くんとう)を受けたに違いありませんが、後の言動をみると『儒学』に束縛はされているようには見えませんから、生まれつき批判精神や自由精神の持ち主であったのではないでしょうか。

4人とも『儒学』の世界に止まらず、比較的若いころから『外国語』の勉強を開始しています。『福沢諭吉』は長崎や大阪の『適塾(緒方洪庵が開いた塾)』でオランダ語を学び、後に英語の必要性を痛感して『蘭英辞典』による独学で英語を習得しています。『中江兆民』は、藩の留学生として長崎へ赴き、外国語、特にフランス語を習得し、幕末期には幕府の『フランス通辞(通訳)』として働いています。『内村鑑三』と『新渡戸稲造』は先ず東京で英語を学んだ後に、二人とも『札幌農学校』に入学し更に英語を研鑽しています。

『適塾』に残されている成績表や、『札幌農学校』に残されている成績表をみる限り、『福沢諭吉』や『内村鑑三』『新渡戸稲造』の成績は群を抜いており、特に外国語の能力が高いことが分かります。

4人が『外国語』を習得しようとした背景は、『個人的な好奇心』『時代の要請』『経済的理由(優秀なら官費で勉強できた)』などが想像できますが、結果的には『語学力』が、後の業績の土台となっています。つまり、異国の中に身を置いて、悪戦苦闘しながら、異文化に接し、その本質を肌で感じて吸収し、良い部分を日本にも根付かせようと努力ができたのは、『語学力』あってのことです。

『外国語』に堪能である人が『優秀』とは必ずしも言えませんが、『外国語』を手段として異文化を『認知』『消化』『吸収』できる人は間違いなく『優秀』です。

現在の日本の『外国語教育』が、あまり実用的でない『畳の上の水練』のような形式的なものにとどまっているのは、すこし残念なことです。しかし、東大がグローバル・エリートを育成するために『外国語の堪能な人材』を育成するコースを設定すると発表したことに、梅爺は少し違和感を覚えています。異文化を『認知』『消化』『吸収』できる能力は、『客観的にものごとを観る能力』『洞察能力』『推論能力』が無ければ得られないもので、『外国語』の能力とは必ずしも一致しないと思うからですからです。もっとはっきり言ってしまえば、日本語で自己表現や議論ができない人は、外国語でも自己表現や議論はできません。従って、異文化対応能力が目的であり、語学能力は手段であると理解しないと本末転倒になり、単に通訳育成に終わることになりかねません。

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2012年7月23日 (月)

日本人は何を考えてきたのか(2)

『福沢諭吉と中江兆民』は、明治維新の前後に、日本の有能な知識人が、『国家基盤』のありかたに関して何を考えたのか、『内村鑑三と新渡戸稲造』は、明治時代に、同じく日本の有能な知識人が『キリスト教』と遭遇し、『キリスト教と自分(日本人)』『キリスト教と日本(国家)』の関係をどのように考えようとしたのかを解説した番組で、どちらも梅爺には大変興味深い内容でした。

4人の人生の全てに関して、梅爺は必ずしも詳しい知識を持ち合わせていませんので、断片的な知識で判断することをお許しいただけるなら、4人の言動のある部分には同意でき、ある部分には同意しかねると感じました。つまり、人物全体を『何から何まで立派な人だ』と無条件に賛美する気持ちにはなりませんでした。

そう考えたのは、梅爺が4人に匹敵し凌駕するほど『立派な人物である』からではなく、梅爺が、4人より後世の日本人として、4人とは異なった環境で育ち、異なった教育を受け、異なった常識(価値観、最新の知識)を保有しているからに過ぎません。

もしも梅爺が、彼らと同じ時代に生きた日本人で、彼らと同じ環境に身を置いたら、彼らのように振舞えたかと想像してみると、途端に自信を喪失してしまいます。そう考えれば、やはり彼らは『非の打ちどころのない日本人』ではなかったにせよ、『秀でた日本人』であったと尊敬したくなります。逆に彼らが現代の日本に生きていたら、どう行動したのだろうと考えてみたくもなります。

彼ら4人に共通することは、異文化を『認知』『吸収』『消化』し、自分および日本(日本の文化)にその成果をどのように『還元』するかに関して、努力をし、時に悪戦苦闘していることです。異文化を『認知』『吸収』『消化』『還元』することは、いかなる時代でも必要かつ重要なことですが、全てが国際規模で変動する現代に生きている私たちには、特に求められることです。現在の日本人は異文化を『対決』『無視(無関心)』の対象とはしますが『共存』の対象とする『訓練』や『知恵』を欠いているように梅爺は感じます。これは日本の将来にとって好ましいことではありません。

4人が異文化とどのように対応しようとしたのかを学べば、私たちは多くのヒントを得ることができるのではないでしょうか。

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2012年7月22日 (日)

日本人は何を考えてきたのか(1)

NHK地上波教育放送チャンネルで、『日本人は何を考えてきたのか』という以下の教養啓蒙番組がシリーズで放送されていることを知りました。 

第一回 日本はどこへゆくのか ~福沢諭吉と中江兆民~
第二回 自由民権 東北で始まる
第三回 森と水と共に生きる ~田中正造と南方熊楠~
第四回 非戦と平等を求めて ~幸徳秋水と堺利彦~
第五回 東と西をつなぐ ~内村鑑三と新渡戸稲造~
第六回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造と石橋湛山~
第七回 人間復興の経済学をめざして ~河上肇と福田徳三~
第八回 魂のゆくえを見つめて ~柳田国男 東北をゆく~
第九回 ひろがる民衆宗教 ~出口なお・王仁三郎と大本教事件~
第十回 昭和維新の指導者たち ~北一輝・大川周明と2.26事件~
第十一回 京都学派の哲学者と戦争 ~西田幾多郎から三木清まで~
第十二回 女性解放運動はこうして始まった ~平塚らいてうから市川房江へ~
 

第一回から第四回までが、2012年1月に、第五回から第八回までが、2012年7月に放送され、残りの第九回から第十二回は2013年1月に放送予定という長期的な取り組みですので、NHKの力の入れようが伝わってきます。 

経済成長期の日本の快進撃がバブルの崩壊で止まり、政治的、経済的に閉塞感が漂う中で、『泣きっ面に蜂』のようなリーマン・ショックやら大災害に見舞われて、日本はオドオド振舞うしかないような国家になってしまいました。心を明るくしてくれるものは『スポーツ』と『芸能』しかないといった塩梅(あんばい)です。 

こういう時こそ、先人の『知』のなかに、将来のためのヒントがあるにちがいないとNHKがこのようなシリーズ番組を企画したのでしょう。徹底した取材、適切なコメンテーターの選択など、NHKのレベルの高さが際立っています。現在の日本の民間放送局には、このような企画、制作は期待できません。能力が無いと決めつけるのは失礼であるにせよ、『視聴率最優先』『収益優先』の足かせは想像以上に重いものなのでしょう。時折思いついたように『教養番組』らしいものを放映したりしますが、視聴率稼ぎのためか、全く教養の無い芸能人をゲストに招いたりして、興ざめそのものです。テレビが『一億総白痴化』の原因になってしまうのを、NHKが辛うじて食い止めてくれていますので、梅爺はNHKファンです。勿論視聴料も喜んで支払います。 

とは云うものの、梅爺がこのシリーズに気付いたのは最近で、既に放送された全てを観ているわけではありません。再放送された『福沢諭吉と中江兆民』と、新規に放映された『内村鑑三と新渡戸稲造』を録画して観て、大いに啓発されました。 

今後残りのシリーズは、忘れずに録画して観たいと思います。

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2012年7月21日 (土)

『生命』は人工的に創れるか(3)

ハーバード大学のジャック・ショスタク博士が、原始の海を再現し、実験的に『生命』を創り出そうとしていることを知りました。

ショスタク博士は、2009年に、染色体の末端構造である『テロメア』の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞しています。『テロメア』は、染色体を保護する機能を保有し、正常な染色体のコピー作成には欠かせないものですが、コピーを繰り返す中で、『テロメア』が細くなっていき、これが人間の『老化』に関与していることを博士がつきとめました。それでは、『テロメア』を人工的に補強する方法を見つければ『老化』は防げるのか、と考えてしまいますが、『老化』は『テロメア』だけに由来するものではないと思われますので、そう簡単な話ではないのでしょう。

『生命』は『宇宙』同様に、まだまだ分からないことだらけの未知の世界です。自分が知らないしくみで、自分が生かされているということは驚くべきことです。しかし、『生命』のしくみの一端が判明するにつれ、人間だけが特別の生物ではないことが、明確になってきました。少なくとも、生きるための基本的なしくみは、他の生物と変ることがありません。

このような、『証拠』を提示されても、アメリカの国民の4割の人たちが『生物進化論』を受け容れることを拒否しているという事実は、梅爺には異様に見えます。勿論、『人間は、神が神に似せて創ったもの』という聖書の教えを信じてのことですが、『自分を猿のようなものと一緒にされるのは嫌だ』という『好き嫌い』の『情』が強く働いているのではないかと推測できます。因みに日本人で『生物進化論』を受け入れない人は国民の1割程度と推定され、先進国の中では最も低い比率です。日本人は『狐』『狸』や、『蛇』や『鶴』までも『人間になって現れる』という昔話に接して育っていますから、『あなたの先祖は猿だ』と言われても、いっこうに動じないのかもしれません。

ショスタク博士は、水素と一酸化炭素で形成される『脂肪酸』が、原始の海を模擬した環境で、集まって『境界膜』を形成することを確認しました。この『境界』の内部に、遺伝子情報を創り出す『ヌクレオチド』を注入すると、核酸ができ、更に脂肪酸を注入すると、これをエネルギー源に変える『代謝』のような反応を示し、『自己複写』まで起きることを確かめたと報じられています。『ヌクレオチド』や『脂肪酸』を注入するという、人為的な操作が加わっていますから、これで『人工生命』の創り出しに成功したとは、単純に言えないとは思いますが、無機質の世界から有機体の『生命』が誕生する可能性があることを実証しているという点で重要な成果であると思います。

深海の300℃にもなる熱水噴出口では、元素素材が豊富で、アミノ酸が創られ、さらにアミノ酸がタンパク質になる可能性が高く、これを実験室で検証しようと言う研究も日本で行われています。

『生命』誕生の謎に、現代科学は、梅爺が想像していた以上に肉薄していることをあらためて知りました。

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2012年7月20日 (金)

『生命』は人工的に創れるか(2)

約40億年前に、深海の熱泉が湧き出ている付近で、地球上の最初の『生命体』である『単細胞生物』が誕生したのであろう、というのが科学的に有力な仮説の一つです。

この他にも、『パンスペルミア説』と呼ばれる、最初の『生命体』は隕石と一緒に宇宙から飛来したという仮説もありますが、これも仮説に過ぎません。この仮説の弱みは、隕石に含まれていた『生命体』は、そもそもどのようにできたのかという、設問には答えられません。政治家が問題解決を、先送りにして、その場限りの対応をしようとするようなものですから、梅爺はこの『隕石とともに飛来』した説は、評価していません。しかし、微細な『星屑』は多量に地球に降り注いでいて、この中に『有機物質』が含まれていることが分かっていますので、これが『生命体』をつくる材料となったというのであれば、可能性は残ります。いずれにしても、梅爺の推測は『直感』ですから、科学的な意味を持ちません。

確かに深海の熱泉噴出口付近には、『生命体』を構成する元素が存在し、高温という環境も化学変化を起こすには有利な条件ですが、現在の動物、植物がエネルギー代謝のために必要とする『酸素(ミトコンドリヤによるエネルギー生成)』や『太陽光(葉緑体の光合成によりエネルギー生成)』が希薄な環境は、説明のためには不利な条件です。最初に出現した『生命体』は、現在の常識からすると、かなり異なったしくみのもので、『動物』や『植物』の代謝のしくみは、ずっと後に獲得したものであろうという推測になります。

現在、世界中の科学者の大半は、地球以外にも宇宙には『生命体』が存在すると予測していますが、エネルギー摂取のための代謝のしくみは、地球上の生物と似ているとは限らないと考えています。水が存在しなくても『生命体』が存在しないとは限りません。私たちが知らない『アッと驚く生命維持のしくみ』が宇宙には存在する可能性があるということです。

科学者は、『生命体』を定義する以下の三つの『条件』を挙げています。『境界を有すること』『自ら代謝を行う機能を保持していること』『自己複製機能を有していること』です。

『境界』は、私たちの身体が、皮膚、毛髪、爪などを『境界』として、外の世界から守られていることからも、理解しやすい条件です。単細胞生物では、細胞膜が、『境界』を形成しています。ミクロに観れば私たちも細胞の集合体ですから、『境界』は細胞膜が基本とも言えます。

『代謝』は、自らエネルギー源を獲得、利用して、生命維持を継続するための機能で、自動車もガソリンを燃やして動いていることで、これに類似していますが、自動車は『自ら』ガソリンを確保する機能を持ち合わせていません(人間が補給してやる必要がある)ので、自動車は生物とは言えないことになります。

『自己複製』は、自分は死滅しても、その前に、自分と同じ機能を有する子孫を残す機能のことですから、『細胞の増殖』『生物の生殖』などがこれにあたります。『自己複製』の機能があったからこそ、地球の『生物』は、現在まで種を維持し続けてきたことになります。

『代謝』も『自己複製』も、遺伝子で継承される情報で行われますので、遺伝子のしくみこそが、地球上の『生物』の原点とも言えるかもしれません。『生物』の出現も、不思議に満ちてますが、この『生物』が、遺伝子のしくみを保有するにいたった経緯も更に不思議に満ちています。

遺伝子情報が、DNAで継承されるということが『発見』され、更にその情報(遺伝子配列情報)が、解読できるようになったことが、いかに大きな意味を持つかが分かります。

『動的平衡』を求めて、環境条件は変容するという自然の摂理の中で、稀有な偶然で、地球環境が出現し、更に稀有な偶然で、『生命』とそれを維持する『遺伝子のしくみ』が出現したという説明は、『理』でしか理解できません。

確率を計算すると、人間の感覚では『あり得ない話』になりますが、その値がゼロでない限り『稀有な偶然』は存在したという前提で、科学者は謎を解明しようとしています。人工的に『生命』に近いものを創り出すことができれば、その信憑性は一気に高まることになります。

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2012年7月19日 (木)

『生命』は人工的に創れるか(1)

梅爺が、『生命』は人工的に創り出せるのか、と言い出しただけで、多くの方が拒絶反応を示されるにちがいありません。『生命は神の領域であり、人間が踏み込んではいけない』と宗教的な立場で拒絶される方や、『自然の摂理を操作しようとする行為は、結果的に人類を不幸にする』と、文明の限界に関する危惧から拒絶される方もおられることでしょう。

ここでいう、人工的な『生命』は、『クローン人間』をつくることや、『万能細胞』から目的の臓器をつくることではありません。これらは『細胞(遺伝子)』を操作する話で、『細胞』も一種の『生命』ですから、『生命を操作して新しい生命を創る』領域の話になります。この領域も、考えようによっては『神の領域をおかす行為』や『自然の摂理に反する行為』であり、科学に『倫理』が求められていますが、現時点で明解なルールができているわけではありません。

『クローン人間』は、おぞましい話ですが、食糧不足を補うために、収獲率の高い作物品種を遺伝子操作で創り出すことや、『万能細胞』を利用して、正常な臓器細胞を創り出し、難病疾患に悩む人を救済することは、必ずしも『やってはいけないこと』と全面否定できない側面を持っています。

人類は、一歩間違えば、自分たちを絶滅してしまう『方法』を見出すほどに『文明』、特に『科学技術』を進展させてきたということでしょう。この『方法』は、制御しきれないかもしれない『負の要因』を秘めていながら、一方において人類救済の『決め手』にもなる可能性も保有していますので、悩ましい話になります。『原子力の利用』『細胞(遺伝子)の操作』などが、これに当たります。

前置きが長くなりましたが、梅爺が問題提起している『生命』は、地球上に始めて誕生したような『生命』のことで、これを人工的に再現させて創りだせるかということです。無機質素材だけの世界に、忽然(こつぜん)と有機体の『生命』が誕生した謎は、科学ではまだ明解な説明ができていませんが、どこまで明解な説明に迫っているのかが興味の対象です。

地球上に『生命』が誕生したプロセスは、稀有な偶然が関与していると梅爺は想像し、この偶然を人工的に再現することは、ほとんど不可能なことで、謎を説明するには『仮説』しかないだろうと思っていましたが、実際には、思いのほか『実現』に肉薄してることを知りました。

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2012年7月18日 (水)

God made the country and man made the town.

英語の諺『God made the country and man made the town.』の話です。

『神が国をつくり、人が町をつくった』と訳すと、何を言おうとしているのかが判然としなくなります。『国』も『町』も人間がつくった『コミュニティ』ですから、『神が国をつくった』という表現に無理があります。強いて解釈すれば、『神が大きな器を設定し、人間はその中で行動しているにすぎない』、つまり人間は『お釈迦様の掌(たなごころ)を大きな世界と勘違いして生きている』ということになるのでしょうか。

『The Country』は『国』ではなく『(自然美にあふれた)田園』で、『The town』は『(自然美を失った醜悪な)都会』と考えると、対比の意味が見えてきます。

『神の摂理で支配されている美しい自然』と『人間の欲望や価値観で人工的に創り出された醜悪な都会』を対比させ、人間の傲慢な『驕(おご)り』を批判している諺なのでしょう。『せっかく神がつくってくださった自然を、人間が醜悪な姿に変えてしまっている』ということになるのでしょうか。

人間も生物の一種として、大自然を『生きる場』として、それと調和し、その恵みを利用して生きる本能を獲得してきたのではないでしょうか。そのため『穏やかで恵みにあふれた自然』は、何よりも『都合のよい環境』で、『美しく、安泰をもたらしてくれるもの』と受け止める習性をもっています。静かな森林や、穏やかな海は心の安らぎをもたらします。

しかし、この恵み深い大自然が、時折猛獣のように牙をむいて人間に襲いかかってくることがあり、一転して『不安』や『恐怖』の原因になることに、人間は困惑もしてきました。恵みをもたらすと同時に、破滅ももたらす矛盾した自然を畏怖し、人間は自然を『神』という概念と結びつけて考えるようになったのではないかと梅爺は推察しています。原始宗教は、必ずと言えるほどに自然が関与しています。

やがて人間は高い『知性』を育み、自然を『科学』の対象として『摂理』を解き明かそうと努力し、更に見つけた『摂理』の一部を利用して、自然を『ありのまま』ではなく『自分たちに都合のよいもの』に変えるまでにいたりました。

『ありのままの自然』を『美しい』と感ずるのは、人間が生物進化の過程で獲得してきた本能的な価値観ですから、相対的に人工的に変えたものを『醜い』といいたくなるだけの話で、人工的なものは全て『醜悪』とは限りません。

70億人以上に増えた地球の人口は、『ありのままの自然』では支えきれませんので、『自然の摂理を人工的に利用する手段(農業、牧畜、養殖、工業製品など)』に頼らざるを得ませんが、地球で人間だけが勝手に振舞って良いのか、やがて自然から大きなしっぺ返しを被ることにならないのかと、不安が心をよぎります。うまい話の裏には落とし穴が待ち受けていると感ずるからです。

原発を再稼働するかどうかというような議論は、端的にこの問題を反映しています。人間の振舞いの限界については、だれも絶対的な判断基準を今のところ提示できません。『神がつくった美しい自然を、人間が醜悪に変えている』と非難するのは容易ですが、変えなければ生き残れないという現実から目をそむけることはできません。

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2012年7月17日 (火)

平清盛(6)

『平清盛』は平家一門の頭(かしら)であった『平忠盛』の嫡男として育ったことになっていますが、本当の両親は誰なのかは諸説があるようです。父親は『白河院』で、母親は『白河院』の最後の寵妃とされる『祇園女御』または、『祇園女御』と関連がある女性(一説では妹)という説がありますが、NHKの大河ドラマでは父親は『白河院』で母親は身分の卑しい踊り子ということになっています。『白河院』の警護役であった平氏一門が、皇室の一員としては育てられない『白河院』の『ご落胤(おとしだね)』を引き取ったという話は、大いにありうる話のように思えます。現代人には『ひどい尻拭い』のようにも観えますが、当時の武士の立場からすれば『光栄なこと』であり、『朝廷への貸し』として、したたかに利用できると踏んだのかもしれません。

当時の朝廷内の男女関係は、政略と愛欲が複雑に絡み、現代人から観ると乱脈を極めていて、こういうことに疎い梅爺は、大河ドラマを観ながらその相関を理解するのに四苦八苦しています。

梅爺にとっては『平清盛』の人間像が興味の対象であって、その『出自(しゅつじ)』はどうでもよいことですが、仮に大河ドラマの設定が正しいとすれば、『平清盛』にとっては自分の『出自』は、生涯心の重荷であり、人間形成にも影響を及ぼしたことでしょう。

『平忠盛』と正妻の間には、『平家盛』等の息子達がおり(形式的には『平清盛』の弟たち)、『平家盛』は、『平氏の跡目は自分が継ぐ』と宣言しますが、早死にしてしまい、結局『平清盛』が、平氏一門を率いて、大出世を遂げていくことになります。

あまりにも急速に権勢を手に入れた『平清盛』は、朝廷(特に『後白河院』)、公卿、寺社、他の武士(源氏)の妬みの対象になり、『平清盛』の死後、あっけなく平家は源氏との戦いに敗れてしまいます。当時、不運にも世の中は飢饉に襲われ、『平清盛』が確立した貨幣経済が機能しなくなったことも、平家衰亡に拍車をかけました。生き残った平家の武士は、全国各地の山奥の『平家落人の郷(さと)』で、ひっそり暮らすような羽目になりました。

一人の『才人』が一代で繁栄を築き、死後権勢が崩壊した話は、『豊臣秀吉』が『平清盛』に似ています。そこへいくと、250年以上も続いた『徳川幕府』を作り上げた『徳川家康』は、日本史における際立った『傑物』といえるのではないでしょうか。

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2012年7月16日 (月)

平清盛(5)

『平清盛』は、貿易相手の宋を介して、当時の東アジアの情勢も把握していたのではないでしょうか。『宋』は当時北方民族国家『金』に攻め込まれていて、国家体制が弱体化していることも見抜き、これを利用して宋と対等に渡り合う戦略をしたたかに実施しようとしたのでしょう。

『平清盛』が、『仏教』に頼ろうとしていたことは、高野山への曼荼羅図寄進や、『厳島神社』への経文奉納などから窺えます。『厳島神社』へ奉納した経文には、清盛直筆の『抜苦与楽』と書かれた『願文』が残されています。

『平清盛』と同時代の武士『佐藤信清』が、出家して『西行』となって、『心の安らぎ』を求めたのとは異なり、『平清盛』の仏教依存は、もう少し俗世の御利益を願ったものではないかと想像します。自分自身や平家一門が、疫病や災害にあわずに、繁栄したいという願いが中心であったのでしょう。疫病や天災に悩まされていた当時の人たちが仏に救済を求めたのは当然のことで、『俗世の御利益』と蔑むことはできません。『生きる』ことと『仏教』は直接結びついていたと考えるべきで、現代人の『宗教観』とは異なります。

『平清盛』は、宋の仏教勢力との結びつきもしたたかに利用して、貿易に役立てています。中国の寺に材木を寄進して、見返りに『仏舎利』を手に入れようとしたりしています。

『平清盛』は、皇族や藤原摂関家の内部の、ドロドロした権力争いの中をうまく泳いで、それまでは皇族の『番犬』扱いであった武士としては前代未聞の正従一位太政大臣にまで登り詰めたわけですから、政治手腕、バランス感覚は並はずれであったことが窺えます。

しかし、早々に息子『平重盛』に官職は譲り、51歳で出家してしまいますが、世捨て人になるのが目的ではなく、『宋貿易』に本格的に取り組みたかったからであろうと考えられています。

あまりに急速に『栄華』を手に入れた平家は、その分妬みの対象にもなり、『源頼朝』が平氏追討の挙兵をした翌年、63歳で『平清盛』は没します。

『驕(おご)る平家は久しからず』などと、凡人は『それみろ』とばかりに云って、自分が凡人であることを肯定したくなるものですが、凡人でもある梅爺は、『才覚』で時代を走りぬいた『平清盛』のような歴史上の才人は嫌いではありません。

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2012年7月15日 (日)

平清盛(4)

安芸の宮島『厳島神社』は、『平清盛』が建立した海に突き出た舞台を持つ神殿で、日本の他の神社とは趣が異なります。

平家一門が、『厳島神社』に経文を奉納したとか、『平清盛』が1000人の僧を呼び寄せて法要をおこなったとかいう話を聞いて、梅爺は、どうして仏教の寺院ではなく、『神社』なのだろうと疑問に思っていました。

建立時には、本殿の後ろに、『阿弥陀仏』を安置した阿弥陀堂があったということを知って、当時の日本人の宗教観が『神仏習合』であったことに思い当りました。本尊である『阿弥陀仏』を護るために神社があるという考え方が、不自然ではなかったのでしょう。この『阿弥陀仏』は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策で、同じ宮島にある大聖院というお寺に移され、現在に至っています。

『平清盛』が、何故宮島に、日本の文化レベルを誇示するような壮麗な神殿を建立したのかを理解するためには、『平清盛』の『世界観』『経済観』を知る必要があるように思います。単なる思いつきや、神仏への信仰心だけではないと想像できるからです。

平家繁栄の基盤は、中国(宋)との貿易で獲得した財力でであることは知られています。『平清盛』以前は、貿易の拠点は、中国の『寧波』(浙江省:ニンポー)と日本の『博多』の両港でした。博多には宋の貿易商が店を構え、貿易の実態は『宋宋間貿易』といえるもので、日本側は、宋の貿易商の儲けの一部を税として徴収するものでした。

『平清盛』の卓越している所は、宋の貿易商を介さずに、貿易を自らが直接行うようにして莫大な利益を得たことです。このために、宋の大型船が、瀬戸内海経由で、『平清盛』の本拠地福原の大輪田泊(おおわだのとまり:現在の神戸)にまで入ってくることができるように、海路を整備し、そのための大土木工事を行いました。特に呉(広島県)と倉橋島の間の浅瀬の海峡(音戸の瀬戸)を開削した工事は有名です。利益を一人占めすることが目的ですが、自分の権力の大きさを宋へ誇示する目的もあったのでしょう。それにしても、12世紀の日本で海を開削する技術があったことは驚きです。道具のレベルなどを想像するだけで気の遠くなるような難工事であったであろうことは分かります。

当時の船旅は、荒海をわたる危険なもので、中国側の港『寧波』の近くに、『阿弥陀仏』を本尊とする霊場の島『普陀山(ふださん)』があり、船人達は、ここを通過する時に安全を祈願し、安全に感謝するしきたりになっていました。

『厳島神社』は、中国側の『普陀山』に相当する、船旅の安全祈願、安全感謝のための霊場として造られたと考えると、建立意図が明確になります。大輪田泊(神戸港)に出入りする船にとって、『厳島神社』は心のよりどころであったということでしょう。『阿弥陀仏』が本尊であることは『普陀山』と共通ですが、『平清盛』は、日本の文化を中国人に誇示するために、寺院形式ではなく、壮麗な日本式神社の形式を採用したのではないでしょうか。

『平清盛』は、宋銭を輸入し、これを日本の貨幣として流通させました。本格的な貨幣経済のしくみを導入したことになります。これで経済活動は活発になり平家繁栄に貢献しましたが、後に不幸にも飢饉となって、貨幣価値が暴落し、源氏の台頭を促すきっかけにもなりました。源氏は関東武士に、貨幣ではなく『土地』を与える方策で対応したからです。

しかし、『平清盛』は、『宋との直接貿易』『海路の整備や厳島神社の建立など大土木工事』『宋銭による貨幣経済のしくみ導入』など、卓越した発想を実行できる指導者であったことは疑いの余地がありません。

『平家物語』で悪人の印象だけが強調されて、それが定着してしまっているのは、気の毒な気がします。

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2012年7月14日 (土)

平清盛(3)

日本の歴史は以下のように区分してみることができます。

(1)『天皇家』が権力者になる以前の時代(大和朝廷成立以前)
(2)『天皇家』と文人の取り巻き(公家や、藤原摂関家など)が、実質権力者であった時代
(3)『天皇家』の権力を形式化し、武人が実質権力者であった時代
(4)『天皇家』の権力を形式化し、国民の代表者が実質政治を行うようになった時代

いずれの時代も、武力でコミュニティ、国家、権力構造を護るための兵士や軍人は存在していましたが、武人の親玉が、実質権力者になるという(3)の時代への移行の魁(さきがけ)となったのが『平清盛』で、徳川幕府の終焉までそれは続きました。

もう一つ、日本の政治権力構造の特徴は、(3)(4)の時代も、『形式的』ではあれ『天皇家』が完全に否定されていないことで、現在もそれが継承されています。

この『実質権力者』と、『形式』『象徴』であれ、別次元で国民の尊敬の対象である『天皇』が2重構造で存在する様式は、『実質権力者』を暴走させないための、実に巧妙な『安全弁』となっているように梅爺は感じます。このような様式を、当たり前の文化として確立、継続してきた日本人の知恵は、なかなかなものであると梅爺は考えています。アメリカのように、国民が選んだ大統領に大半の権限が集中するという方式は、一見理に適っているように見えますが、『大統領といえども完全な人間ではない』ことを考えれば、日本の方式の方が賢いと言えるかもしれません。

『平清盛』が、本当は『天皇家』をどのように考えていたのかは分かりませんが、少なくとも、自分の娘得子(後の建礼門院)を高倉天皇に嫁がせ、孫の安徳天皇の後ろ盾として、権力を握ろうとしていますので、表向きは『天皇家』を利用しています。

強い武力を掌握した人間が権力者になるということと、武人の親玉が権力者になるということは、同じではありません。『天皇』は、少なくとも天皇家が成立してからは、強い武人といえどもその地位に就くことはできないという考え方が、庶民や国民の間で継承されてきています。このことは、日本の歴史を考える上で極めて重要なことではないかと梅爺は思います。それに民主主義基盤がある程度できあがっていますので、偶然成りあがった人物の子孫が3代にわたって、独裁者として君臨するお隣の国のようなことは、極めて起こり難い社会になっています。

『平清盛』『源頼朝』『織田信長』『豊臣秀吉』『徳川家康』のいずれも、天皇家を排除して、自分が『天皇』になろうと画策した人物はいない(いないように見える)ということの意味を、私たちは再考してみる必要があるように思います。庶民が『権力』を警戒するバランス感覚を、実質権力者は無視できないものと、肌で感じていたからではないでしょうか。更に『この職は、天皇から拝命されたものだ』という口実は、庶民を従わせる上で、実に便利なものであったにちがいありません。庶民は力づくで権力の座をもぎ取った人を、心の底で嫌う習性があるからです。

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2012年7月13日 (金)

平清盛(2)

梅爺は日本人でありながら、『日本の歴史』に必ずしも精通しているわけではありませんので、『平清盛』に関しても、『こういう人物であったらしい』と勝手な思い込みをしてしまう可能性があります。

『歴史』は、『何が起こったのか』という『事実』を知ることも重要ですが、それに関った人物たちの欲望、思いや、その人たちが生きた時代背景などを『推測する』ことにもっと大きな意味があるのではないでしょうか。人間や、人間社会が、どのような状況では、どのように行動するのかを学ぶ意味で『歴史』ほど有効な教材は無いからです。

云いかえれば『歴史』は『科学』のように、『何が正しいか』を追求する対象ではなく、自分や現代に照らし合わせて、『人間の生き方』を学ぶ格好の教材であると言えます。

非常に特殊な例を除いて、一人の人間を『善良』『邪悪』と白黒で識別することはあまり意味がありません。人間は誰もが『善良であり邪悪である側面』を保有していると考えないと、人間や人間社会は洞察できません。自分をそのような存在として認めたくないと、誰もが思いますが、これを直視することが『生きる』大前提ではないでしょうか。東日本大震災で命や生活を奪われた方々に、『日本はひとつ』と叫んで同情や援助を差し延べる一方、ガレキの処理受け入れは拒み、自分の子供にだけは、放射能被害が及ばないようにという選択を優先します。この『矛盾』を、単純に『正しい』『間違い』と区別しようとする議論は、梅爺の好みではありません。

『平清盛』も、時に自分を最優先し、時に他人を思いやる人間であったにちがいないと梅爺は想像します。

『平清盛』自身が、どのように事の本質を考えて行動したのかは、想像するしかありませんが、結果的に彼の行動は、日本の歴史に大きな影響を与えました。

『天皇、公卿の権威を実質的に奪い、武人として権力者へ登り詰めたこと』『中国(宋)との交易や、貨幣流通を経済基盤としたこと』などが功績ですが、いずれも凡人では発想が難しいことですので、政治家としては、大局的に物事が観える類稀(たぐいまれ)な才能に恵まれていた人物であろうと推定できます。

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2012年7月12日 (木)

平清盛(1)

大容量ハードディスクに、テレビ番組を録画して番組を観るようになって、梅爺のテレビ視聴スタイルは、昔とはすっかり変わってしまいました。『リアルタイム視聴』は、スポーツとニュースくらいで、その他は全て一度録画をしたものを、好きな時間に観ています。つまり大半は『タイムシフト視聴』ですから、もし多くの人が梅爺と同じようにテレビと付き合っているのであるとすると、『テレビ視聴率(リアルタイム視聴率)』は、どれほどの意味があるものかと考えてしまいます。このような時代では、スポーツやニュース速報など『実況性』の高い番組内容の『リアルタイム視聴率』が高くなるのは当然のように思います。

梅爺が、録画視聴をするようになったのは、仕事を引退して『暇な爺さん』になったこともありますが、『録画・再生技術』が格段に進歩して、昔のように品質が劣化した録画画像(磁気テープに記録)を我慢して観る必要がなくなったことも大きな要因です。ハイビジョン番組を、ハイビジョン画質で再生でき、気になる場面は静止させて観たり、巻き戻し再生して確認したり、あまり重要でない部分は2倍速再生(少々不自然ながら音も同期)したり自由自在ですから、実に快適です。

昔は見なかったNHKの大河ドラマも、『龍馬伝』以来録画視聴する習慣になって、『平清盛』も観ています。

若い頃の『平清盛』を野人の印象で演出しようとし、当時の荒廃した時代背景を強調するためか、カメラワークがソフトフォーカスで、色彩もわざとセピア調にしてあり、その上主人公の衣装も武人として粗末なものですので、『汚らしい』と嫌う視聴者もいるようですが、梅爺はあまり気になりません。

確かに、韓国から輸入される『韓流宮廷ドラマ』などの絢爛豪華な舞台、色彩に比べると、『平清盛』は折角のハイビジョン特性が活かされていないとも言えますが、『ドラマの演出意図』と割り切って観ています。

『平清盛』の人物像について、梅爺は今まで断片的な知識しか持ち合わせていませんでしたので、ドラマを介して体系的に把握できるのはありがたい話です。歴史小説と同じく、歴史ドラマも作者が設定した主人公像が提示されますので、実像との差異は、視聴者自身が判断するしかありません。『平家物語』であくなき権力者として描かれている『平清盛』が、大河ドラマでは『世直しに情熱を傾ける純真な青年』として登場したからと知って戸惑う必要はありません。ドラマを観ながら梅爺の想像する『平清盛』象が自分の中に形成されることが楽しみです。

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2012年7月11日 (水)

ひのえうまのいななき(3)

『信はたて糸、愛はよこ糸、織りなせ、人の世を美しく』

『岡崎嘉平太』氏が、好んで口にしておられた言葉です。日中国交回復の難事に立ち向かわれた時も、周恩来首相との信頼関係を強固に育んでいった時も、この信念が支え続けました。

『ひのえうまのいななき』の最後に、『岡崎嘉平太』氏が亡くなられた後に、以下の解釈を思いついたと奥さまは述べておられます。

信の源泉はたて糸で強い男  つまりは夫
愛の表現はよこ糸で優しい女 つまりは妻
 

よこ糸の愛をもって、強いたて糸と縒り合さり、美しく織りなすことを迂闊にも気づかずに過ごした私の一生です。(中略)私の乏しい愛にも一本筋を通した夫のたて糸でした事を、急逝されてから今更のように感じ、悔やむ私です。
『オソイオソイ、ヤット今気ガツクヨウデハ間ニ合ワヌ』
草葉の陰から亡き夫の微苦笑が聞こえます。

60年以上寄り添われ、楽しいこと、苦しいこと、悲しいことの全てを共有されたお二人の関係が読む人に、ほのぼのと伝わってきます。

『私はダメな男』『私はいたらぬ女』と、ためらいなく言える人が梅爺は好きです。心底『自分は立派だ』と信じているらしい人で、本当に立派な人に、梅爺は人生であまりお目にかかったことがありません。

太平洋戦争の敗戦で全てを失った日本で、自らも一度は『公職追放』の処分を受けた身でありながら、『企業再建』『新事業の立ち上げ』に経営者として多大な業績を残し、最後の大仕事として歴史に残る『日中国交回復』の礎(いしずえ)をつくった『岡崎嘉平太』氏の『表舞台』での活躍は有名ですが、その『岡崎嘉平太』氏の伴侶として『舞台裏』を支えた令夫人の書き残した断片的なエピソードを集めた『ひのえうまのいななき』は、『私的な逸話集』でありながら、間接的に『時代の証言』にもなっています。

『ひのえうまのいななき』が、何らかの方法で再び公開され、多くの方に読んでいただけるようになったらいいな、と梅爺は願いながら読み終えました。

 

 

 

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2012年7月10日 (火)

ひのえうまのいななき(2)

『岡崎嘉平太』氏は、平成元年に92歳で他界され、令夫人は翌年、それまでの住まいであった東京を離れて、お嬢さん(W夫人)の嫁ぎ先の宇都宮での同居生活が始まりました。85歳の頃の話です。 

問わず語りに昔の思い出を話される内容が面白かったために、『文章にして残したら』とお嬢さん(W夫人)やお孫さん(S子さん)が薦め、それから約2年書きため続けたものを、W夫人、S子さんがワープロに入力し、編集してまとめ上げたものが『ひのうえまのいななき』になりました。一貫した自伝風の内容ではなく、断片的なエピソードの寄せ集めで構成されています。  

梅爺にとっても『梅爺閑話』がそうであるように、老人にとって『書く』という行為は、脳の老化防止であると同時に、生きていることが実感できる要因になります。令夫人が『小学校以来、作文なんか書いたことが無い』とおっしゃりながら、いそいそと原稿用紙に向かわれたお気持ちが分かるような気がします。東京から、宇都宮に移り住んだ、環境変化のストレス軽減にも役だったのでしょう。  

『ひのえうまのいななき』は、『私家本(非売品)』であるために、梅爺が『これは面白い』といくら叫んでも、ブログの読者の皆様にお読みいただく手段が無いのは残念で、申し訳ないような気がします。  

最初の章『調教ならず』の序文だけを、以下に無断引用します。これで、全体の『面白さ』をご想像ください。  

『ひのえうま』の調教がはじまりました。賢夫・愚妻共に努力をした、そんな時期です。しかし、主人の調教は失敗に終わりよい馬にはなりませんでした。

『ひのえうまのいななき』は、一人の女性の『生い立ち』『結婚』『家庭生活』『夫との死別』を網羅した回顧随筆として読んでも面白いのですが、夫が『岡崎嘉平太』氏であることを知っている人には、違う興味の対象として読むことができます。 

公人『岡崎嘉平太』ではない、私人『岡崎嘉平太』の側面を垣間見ることができるからです。夫婦の間で交わされる何気ない会話の中に、『岡崎嘉平太』氏の価値観、人生観それにお人柄が感じ取れますので、『岡崎嘉平太』の研究者にとっては、貴重な資料ということになります。 

どんな立派な人でも、私人として観れば『普通の男』に見えるものです。公人としての『偉大さ』と私人としての『普通さ』が同居していることに、その人の魅力が潜んでいるのではないでしょうか。『外』でも『家』でも、非の打ちどころがない『男』などはいません。非の打ちどころのない『女』がいないのと同様の話です。『ひのえうまのいななき』はそれを十分わきまえて書かれているように感じます。夫の言動(価値観)の全てを無条件に受け容れたりはしていませんが、そうかといって一方的に否定するようなこともしていません。岡崎夫妻には、適切な表現ではありませんが、『われ鍋にとじぶた』を承知している夫婦が、実は最も円満なのではないでしょうか。

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2012年7月 9日 (月)

ひのえうまのいななき(1)

大学時代の合唱仲間Wさん(故人)の奥さまが、『岡崎嘉平太』氏のお嬢さんであることを後に知り、梅爺は『岡崎嘉平太』氏の人物像への関心が高まりました。業績を報じたテレビのドキュメンタリー番組を観たり、関連書籍を読んだりして断片的な情報を紡(つむ)いで、少しばかり全体人物像が脳裏に浮かぶようになりました。 

W夫人とのお付き合いの中で、『岡崎嘉平太記念館』が岡崎氏の故郷である岡山県にあることを知り、梅婆と一緒に今年の4月に記念館を訪れました。 

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-5a40.html

この時記念館に、『岡崎嘉平太』氏の令夫人『岡崎時子』様が、岡崎氏が他界された(平成元年)後に、ご自分の人生を断片的に書き綴られた随筆風『回顧録』(タイトルは『ひのえうまのいななき』)が、関連資料として展示してありました。岡崎氏も令夫人も今は故人となってしまわれました。 

梅爺は、すぐに『岡崎嘉平太』氏の奥さまも、著作をものにされるほどの才人にちがいないと推測し、何よりも『ひのえうまのいななき』という才覚あふれたタイトルに興味をそそられました。 

『丙午(ひのえうま)』生まれの女性は、気性があらく(良く云えば情熱的)、結婚相手の男を不幸にするという言い伝えが古来日本にあり、本のタイトルから、岡崎氏の奥さまは『丙午』なのだろうと推察できました。人はできれば自分に不利なことは包み隠して、『清く、正しく、美しい』人間であることを強調したくなるものですが、『丙午』を逆手にとって、いかにも『じゃじゃ馬』を連想させる『いななき』という言葉で、ご自分を笑い飛ばしてしまおうとなされるユーモア精神に先ず惹きつけられました。梅爺はこういうユーモア精神が大好きです。

その後、W夫人にお会いする機会があり、この話をしましたら、この本の編集や出版に、W夫人やお嬢さんのS子さん(岡崎嘉平太ご夫妻の孫)が深くかかわっておられたこと、この本は『私家本』で一般販売はなされていないこと、読んだ方からは『かっぱえびせん(やめられない、とまらない)』と評されていることなど解説いただきました。

そして『お読みいただけるなら』と、お手持ちの一冊を、御親切にも梅爺、梅婆あてに郵送くださいました。読み始めて、『なるほど、(かっぱえびせん)とはうまいことをいったものだ』と感心しました。読み始めると止められない滅法面白い本であったからです。

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2012年7月 8日 (日)

ヒッグス粒子の存在確認(3)

『科学』は、物質は、『元素』や『元素』の組み合わせで構成され、元素は『分子』という基本要素で成り立ち、『分子』はその中心に『原子核』を保有し、『原子核』は、『陽子』『中性子』という『核子』と『電子』という『素粒子』の一種で構成され、『核子』は、種々の『素粒子』から出来上がったものである、という『事実』を明らかにしてきました。『ヒッグス粒子の存在確認』は、この『事実』を更に強固なものにしたとも言えます。ただし謎の物質『ダークマター』だけは、上記のルールでは説明ができないことがだんだんわかってきて、『標準理論』以上の『理論』が必要ではないかと言われ始めています。

上記のルールは、工業分野でいう『リバース・エンジニアリング』のような手法で、『全体』から『全体を構成する要素』の解明を、論理的に行ってきたことになります。

『物質』を構成する原則の前では、『生命』や『人間』にも例外ではないということを知って、『我々はロボットと同じなのか』と『人間』は戸惑いました。味気ない素材で構成されている『人間』の『精神世界』が産みだす『哲学』『宗教』『芸術』は、一体どう説明すればよいのかと反論したくなるのも当然のことです。

現在のところ、『宇宙の成り立ち』と『人間の精神世界の成り立ち』は、同列に論ずる方法は見つかっていませんが、それでも一見崇高に見える『精神世界』も、元をたどれば、『自然の摂理(物理、化学法則など)』に行き着くのであろうと、梅爺は想像しています。

『自然の摂理』が、多様な自然界を作り出しているように、崇高に見える『精神世界』を生みだす元となっているにちがいないと考えています。

『宗教』の世界で重要な意味を持つ『霊』という概念に梅爺が疑念を持つのは、『自然の摂理』とは無縁なものとして説明されるからです。笑われそうですが、『霊』を構成する素材は何で、『霊』が活動するためのエネルギーは何なのだろうと考えてしまいます。『科学で説明できないことがある』という『命題』の存在は否定しませんが、その『命題』を『真』とする論理や説明に遭遇したことがありません。『無条件に信じなさい。それが重要なのです』という説明では、どうもスッキリしません。『ダークマター』は現時点では『霊』同様に不可解な存在ですが、科学者は少なくとも『理論』で説明しようと努力しています。

人間の尊厳は、『科学で説明できないことがある』ということを前提にしないと維持できないとは思いません。『科学』は『哲学』『宗教』『芸術』にも多大な影響をもたらしますが、『宇宙の成り立ち』を『宗教』が説明しようとすることにはあまり意味が無いように感じます。

『ヒッグス粒子の存在確認』のニュースで、梅爺はその念を一層強めました。

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2012年7月 7日 (土)

ヒッグス粒子の存在確認(2)

私たちが接することができるものばかりではなく、『宇宙』の全てに存在しているものは、『有限な素材』でできているらしいということを人類は約200年前に知り、衝撃を受けました。何故ならば、『宇宙』の中で、『人間』は『何も特別な存在ではない』と思い知らされたからです。最近では『宇宙』の85%は、未知の物質『ダークマター』で構成されているらしいことが判明し、『ダークマター』も含めて『有限な素材』でできていると断言はできませんが、『人間』が『有限な素材』でできていることには変わりがありません。

『人間』は、『神の恩寵(おんちょう)』『仏の慈悲』の対象となる『特別な存在』という宗教的な説明が難しくなりました。『宇宙』を動かしている根源に『自然の摂理』という何らかのルールが存在することは、科学者も認めていますが、この『自然の摂理』は、冷厳なもので、『人間』にとって都合のよい『恩寵』とか『慈悲』とは無縁のものであるように見えるからです。つまり、『天地は神が創造した』と仮にしたとしても、その『神』が『私たちを愛して下さる』『私たちの願いや祈りを聞き届けてくださる』という説明には無理が生じてしまいます。

『ヒッグス粒子の存在確認』は、1964年にイギリスの『ヒッグス博士』が、『何故宇宙の物質には質量があるのか』を説明するために、『ビッグバン』の直後、宇宙に『ある素粒子(ヒッグス粒子)』が突如出現し、他の『素粒子』との相互作用の中で、他の『素粒子』に『質量』を付与する結果になったという『仮説』を提示しました。勿論日本の南部陽一郎博士(ノーベル賞受賞)などが唱えた物理の『標準理論』の延長で推論したものです。『ヒッグス粒子』が存在しなければ、その後の『宇宙』は現在の姿のようにはならず、従って『人類』も存在しなかったことになります。

『標準理論』は多くの科学者が受け容れ『定説』になりつつありますが、基本的には『仮説』です。この『標準理論』では、『17種の素粒子』が存在することになり、『17番目の素粒子』が『ヒッグス粒子』ということになります。

『欧州原子核研究所(CERN)』は、巨大な加速装置を用いて、『陽子と陽子の衝突』を数百兆回繰り返し、『ミニビッグバン』の環境を作り出して、この時発生する『素粒子』を観測し、ついに『ヒッグス粒子』の存在を確認したというのが今回の発表です。現代科学の全てを投入し、国際的な科学者のネットワークで根気のよい実験と分析を繰り返しての成果です。勿論日本の科学者グループもこれに参加しています。

『謎』の一つが解明され、『科学』は一歩前進しましたが、更に『ヒッグス粒子は何故突然出現したのか』など新たな『謎』が待ち受けていますから、今回の『確認』は、『科学』にとっては『終わりではなく始まり』でもあります。

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2012年7月 6日 (金)

ヒッグス粒子の存在確認(1)

7月4日に、『欧州原子核研究機構(CERN)』が、記者会見を開き、『ヒッグス粒子(Higgs Boson)の存在がほぼ特定できた』と発表し、科学ニュースとしてというより、一般ニュースとして大々的に報じられました。

梅爺は、直近の政治的、経済的、社会的、私的『事件』をブログで取り上がることは最小限にとどめるようにしています。梅爺も『事件』に接して『いい加減にしろ』『怪しからん』と悲憤慷慨したい気持ちには駆られますが、多くの場合『事件』には、複雑な要因が絡んでいて、表面的な報道だけで、感情的に反応してみても空しいように感ずるからです。物事を、『自分にとって都合が悪いかどうか』で判定することは比較的容易ですが、色々な角度から公平に『観る』という行為は易しくはありません。それに、『悲憤慷慨型』のブログは既に沢山存在しますから、今更梅爺が参加するまでもないだろうと、へそ曲がり名気持ちも働いています。

しかし、『社会的出来事』『私的出来事』は全く取り上げないわけではありませんので、その時には『評論』『解説』はできるだけ最小限度にとどめ、梅爺の精神世界に及ぼした個人的な影響について書くように心がけています。その意味で『梅爺閑話』は『日記』ではなく、『心象記録』です。

私たちは周囲の自然を見渡しただけでも、『万華鏡』を覗き込んでいるような気になります。しかし、この無限とも思える『多様性』は、実は『有限の素材』でできていることを、『科学』は突き止めました。この世は『有限な物質素材で構成されている』という『仮説』は、ギリシャのアリストテレスの時代から唱えられていましたが、現代の『元素』の認識が確立したのは19世紀の中ごろですから、私たちが『科学知識』を得てから200年足らずの時間しか経過していません。

今回の『ヒッグス粒子の存在確認』のニュースもそうですが、『それが分かって私たちの生活にどういう影響があるのか』と多くの人が『私には関係ない』と無関心を装います。科学者の道楽に付き合わされるのは御免だと言わんばかりの人もいます。確かに今日明日の日常生活が変わることはありませんが、やがて『科学知識』は、人類の生活様式、精神世界に大きな変化をもたらすようになることは、過去の歴史からも推察できます。

便利な工業製品の恩恵(時に被害)をこうむるだけではなく、私たちが常識として受け容れてきた『宗教的な世界観』の見直しを余儀なくされることになるような気がします。

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2012年7月 5日 (木)

東京六大学OB合唱連盟演奏会

7月1日に、五反田の『ゆうぽうとホール』で、『第七回東京六大学OB合唱連盟演奏会』が開催され、梅爺も『東京大学音楽部OB合唱団アカデミカコール』の一員として、舞台へ登り歌いました。日本には沢山のアマチュア『男声合唱団』があり、その数や質の高さが、『文化国家』の証になっていて、東京六大学OB合唱連盟はその一翼を担っています。 

今回『アカデミカコール』は、『ロマン派からの流れ』という副題で、4人のドイツ人ロマン派作曲家の男声合唱曲から選曲して歌いました。『ロマン派』といわれる音楽の変遷を聞いて下さる方にも体験いただけるように、歌う順序も時代順にと配慮しました。 

シューベルト 『Die Nacht(夜)』
シューマン 『Die Minnnesänger(恋愛歌人)』
ラハナー 『Hymne an die Musik(音楽への賛歌)』
ブライレ 『Diotima(ディオティマ)』

音楽における『ロマン派』は、19世紀の約100年間主流でしたが、それ以前の『古典派』に比べて、価値観や表現様式が大きく変わっていることが特徴です。

今回配布されたプログラムの中で、『和声』『編曲』に詳しい大橋正教氏(アカデミカコールの団員のお一人)が、『古典派』と『ロマン派』の違いを以下のように解説しておられます。

(1)価値観が、『普遍的、客観的真理、理想』から『個人的、主観的な憧れ、幻想』へ。
(2)音楽の様式が、均整のとれた類型的、大規模なものから、自由で形式にとらわれない小品(特に歌曲など)へ。
(3)和声法が、狭く限定されていた枠を超え、拡張された協和音、大胆な非和声音、意表をつく転調など、より表現力の豊かな和声へ。

この変化は、音楽だけではなく、人類の文明の価値観の変遷を考える上で、非常に興味深いものであるように感じます。全体の調和や規律を重んずるか、個の個性的な表現を重視するかの問題ですが、時代や環境でこのバランスは揺れ動きます。

今回の演奏は、団内指揮者のお一人である川越和雄氏の卓越した指導力のもと練習を重ねて本番に臨みました。何よりもドイツ語表現(発音、速い言い回しなど)と、複雑な転調、和声の表現に苦戦しました。

演奏会の最後は、六大学の参加者全員(300人以上)が舞台にのぼり、各校の『エール(校歌に類する)』とアンコールの『ふるさと』を一緒に歌いました。300人以上の『男声合唱』は稀有な構成で、声量は会場を圧倒するものでした。『これはもはや音楽というよりスポーツである』と仲間内で揶揄する人もいましたが、これはこれでこの演奏会の目玉になっています。

 

 

 

 

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2012年7月 4日 (水)

生命の神秘(6)

科学的に『生命』を定義する条件は、『子孫を残す能力』『境界を形成する能力』『代謝を行う能力』であると前に書きました。

『代謝(メタボリズム)』は、『生命』を維持するために行われる化学反応で、『異化(カタボリズム)』と『同化(アナボリズム)』に分かれます。『異化』は、有機物質を分解してエネルギーを生成するプロセスであり、『同化』は逆にエネルギーを利用して有機物質(タンパク質、核酸など)を生成するプロセスのことです。

『代謝(メタボリズム)』こそが、『生命』維持の基本ですから、『メタボ』を肥満を指す言葉として悪用するのは、『代謝』に失礼な話です。

『生命』は、エネルギーを作っては余分を貯め込み、エネルギーが足りない時には貯めたものを消費するという、ハイブリッド車のような見事な『しくみ』を保有しています。ミクロに観れば、すべて、物理、化学反応で、科学が『理』で説明できる世界です。

地球上の植物の多くは、『光合成(太陽光と炭酸ガスを利用して、酸素を排出する)』を、動物の多くは『酸素呼吸(酸素を利用して、炭酸ガスを排出する)』をエネルギー獲得手段としています。『光合成』には、細胞内の『葉緑体』が、『酸素呼吸』には同じく細胞内の『ミトコンドリア』が関与しています。『葉緑体』も『ミトコンドリア』も元々は、独立した『生命体』であったものが、他の『生命体』の細胞に取り込まれたものと考えられています。取り込む方も、取り込まれる方も、双方『生き残り』をかけた『選択』をしたということになります。

動物が採用した『酸素呼吸』にもリスクがあります。体内の『活性酸素』は細胞を破壊して、老化や病気の原因になるからです。リスクを承知で、メリットの方を重視した選択ですから『原子力発電』を受け入れるかどうかの選択に似ています。

『生命』のしくみの多くは科学的に解明されつつありますが、全体として『神秘』であることは変わりません。しかし、生物進化の過程で、メリットとデメリットを天秤にかけながら、ギリギリの選択を継続して今日に至っていると言えそうです。その証拠に、『生命』は、総じて合理的ではありますが、何から何まで合理的にできているとはとても言えません。肉体も精神も矛盾を包含しています。したがって全能の神が、人間を『神に似せて創った』とはとても思えないと言うのが梅爺の正直な感想です。

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2012年7月 3日 (火)

生命の神秘(5)

同じ両親から産まれた兄弟でも、DNA構造が異なっているということは、受精時の『遺伝子組み換え(両親のDNAを利用した)』は、偶発的(偶然)であるように見えます。微細に環境条件を解明すれば、新しいDNA構造の出現は『必然』なのかもしれませんが、少なくとも人間の一般的な感覚では偶然のできごとのように見えます。

このようにして出来上がったDNA構造は、その人のその後の一生を支配することになります。1ケの卵細胞から、細胞分裂を開始して胎児が形成され、産まれた後も、『成長する』『生きる』という全ての事象は、DNA構造の持つ情報に従って行われます。

DNA(デオキシリボ核酸)は、ヌクレオチドと呼ばれる4種の化学構造物質(塩基)の組み合わせでできていて、この組み合わせ配列が『遺伝情報』を作り出しています。私たちの『言葉』に例えれば、4種のアルファベットで、言葉や文章が表現されていると言うことに相当します。複雑に見える『生命』活動の原点は、非常に単純なルールであることが分かります。このことから、『自然の摂理』の根源も、実は単純なルールなのではないかと予測したくなります。

『成長する』『生きる』には、細胞分裂が欠かせませんが、その際DNA構造は、どのように『複製』されるのかというしくみや、DNA構造を参照してタンパク質(こちらは20種のアミノ酸の組み合わせで合成される)を作り出す時のしくみについては、科学者の解明が進んでいます。DNA情報からタンパク質を生成する過程でRNA(リボ核酸)が利用されるなどという話を聞かされても、梅爺のように、基礎知識を持たない人間には、詳細を理解することはほとんど不可能です。

つまり、梅爺は、自分の体内で一時も休まず繰り広げられている『生命活動』の詳細を理解せずに『生きて』いることになります。これは脳の詳細を理解せずに『泣いたり、笑ったり、考えたり』していることと似ています。自分自身が不思議な『ワンダーランド』なのです。

これではとても、『自分の力で生きている』とは言い難く、『自然の摂理のお陰で生かされている』という方が、実態に近いような気がします。『自然の摂理』を『神』と呼ぶのであれば、梅爺は、躊躇なく『神』に感謝します。しかし、この『神(自然の摂理)』は、梅爺のことを最優先に考えて存在しているわけではありませんので、何かを『お願い』しても、かなえてはいただけることはないと考えています。『神』は人間が一方的に、そして無条件に感謝をささげる対象であって、人間が『お願い』などを持ちだした途端に、おかしな話になってしまうような気がします。

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2012年7月 2日 (月)

生命の神秘(4)

科学的に『生命』を定義する必要条件の一つとして、昨日は『子孫を残す能力』を挙げました。これ以外の必要条件としては『生命体の外と内を隔てる境界を有すること』『代謝機能を有すること』があります。

人間の場合、受精した1ケの卵子(細胞)が、分裂を繰り返し、やがては、各種臓器、脳、骨、皮膚、毛髪などという必要要素が創り出されて、『人間』が形成されます。一見魔法のように見えるこのプロセスは、受精時に、行われた『遺伝子組み換え(両親の遺伝子を利用した)』で卵細胞が獲得したDNA構造を情報源として行われることが分かっています。全ての細胞分裂時に、このDNA構造はコピーされて新しい細胞に受けつがれますから、結果的に『ある人の全ての細胞には同じDNA構造が内包されている』ことになります。梅爺の梅爺たる所以(ゆえん)は、梅爺のDNA構造がなせる技なのです。

身体の全ての部位を作り上げる『設計指示書』が、『一つのDNA構造』に集約されているという驚くべき方法が、『生命』を支えています。云いかえれば、同じ『設計指示書』から、全く形状や機能が異なる部位が創り出されていることになりますから、どうしてそのようなことが可能になるのかを知りたくなります。DNA構造のなかのある遺伝子が、機能を発揮する(オンになる)タイミングが、環境条件でコントロールされているのであろうと考えられていますが、個々の遺伝子が、何によってオンになるのかは、詳細に解明されていません。これを研究するのが『エピ・ジェネティクス』という学問分野であることを梅爺は知りました。この環境条件もまた、ホルモンや酵素などの化学物質が関与しているのでしょう。ミクロなレベルで『生命』を観察すれば、すべて化学や物理法則で説明がつく、理に適った現象で、魔法などは存在しないと推察できます。ただ、人類が『未だ知らない』ことは沢山あります。仮に遺伝子と環境条件の関係が解明されれば、人類は難病を克服し、寿命を延ばすことが可能になるでしょう。しかし、それはまた新しい問題を人間社会にもたらしますから、『バラ色の未来』だけを想像するのは禁物です。

『生命体の外と内を隔てる境界』を作り出すためには、細胞が寄り集まって『複雑な形状』を作り出す必要があります。細胞を構成するタンパク質と、ある種の『酵素(生体でおきる化学反応の触媒となる分子)』が反応して、この『複雑な形状』が可能になるのであろうと推測されています。

結果だけを観れば、『なんと見事なしくみなのだろう』と感嘆し、こんなしくみは神様しか思いつかないと云いたくなりますが、実際は、38億年間、気も遠くなるような『試行錯誤』が行われ、その結果現状に至っていると科学者は考えています。『目的』や『意図』のない変容(平衡を求めての変化)が『生物進化』の基本になっています。非常に効率の悪い方法で、非常に効率のよいしくみを見出したと言う、パラドックスのような話です。

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2012年7月 1日 (日)

生命の神秘(3)

自然の摂理によって、生物の『固体』は、必ず『死』を迎えますが、その生物の『種』は、死に絶えずに存続する可能性が与えられています。20万年におよぶ歴史を持つ私たち現生人類(ホモサピエンス)の先祖は、個人と言う意味では全て亡くなっています。王侯貴族であろうが、庶民であろうが、賢者であろうが愚者であろうが、その宿命には分けへだてはありません。しかし、現生人類という『種』は、地球上で絶滅することもなく現在繁栄しています。

『個』は消滅しますが、『種』の『生命』は継承されるという見事な『しくみ』のお陰で、私たちは一時の『生命』をこの世で体験できるわけですから、先祖に感謝しなければならないのは当然のことです。この『感謝』を多くの宗教は『供養』という形式で表現します。先祖は無に帰して、実態としては存在しないというのでは分かりにくい話になりますので、『先祖の霊』が存在するということにしたのであろうと、信仰心の薄い梅爺は失礼な想像をしています。

亡くなった人を偲び、愛し続けるのは、生きている人の脳の精神活動がそうさせるようにできているからです。梅爺の夢にも、時折亡くなった両親が現れたりしますから、記憶が無意識の世界でも強固に残っているのでしょう。これまた信仰心の薄い梅爺は、『両親の霊』が存在するから夢に現れるとは思いません。故人に関する記憶が、脳に存在する限り、残された人たちにとって故人は仮想的に存在し続けます。しかし、梅爺が死ねば、両親の記憶も一緒に消滅することになり、仮想の存在も消滅するであろうと想像しています。

科学的に『生命』の条件を定義すれば、『子孫を残す能力を保有していること』がその一つに挙げられます。単細胞生物のように、単純に細胞分裂して増えるものから、『両性生殖』のしくみを利用して、新しい個体(子供)を作り出すものまでありますが、親のDNAが子供DNAに何らかの形で影響、継承されるという基本的なしくみは同じです。

『親が存在するから子も存在する』という、『しくみ』は、38億年程度と予測される生物進の歴史で、一度も途絶えることなく営々と繰り返されてきたことになります。つまり地球上の生物の『生命』はその間全滅することはなかったと推察できます。

ここで、最大の謎は、『最初の親(地球上に出現した最初の生命体)』はどのように出現したのであろうかということになります。『最初の親』が存在したという前提で、その後の生物進化は矛盾なく説明できますが、『最初の親』がどのように出現したのかは、現在の科学でも、仮説にとどまっていて完全には解明できていません。

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