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2012年5月31日 (木)

宇宙の渚(5)

『オーロラ』は、地球の極地(北極、南極)近辺で観察される天体現象で、地上80~500Kmで発生します。残念ながら梅爺は、実際に見たことがありませんが、夜空で観測できる幻想的な光景は、この世のものとは思えない美しいものに違いありません。昔の人たちは、その神々(こうごう)しさから、『神』と関連付けて考えたことでしょう。

番組では、国際宇宙ステーションから、古川さんが高感度ハイビジョンカメラで撮影した『オーロラ』が紹介されました。国際宇宙ステーションの軌道は、高度400Kmですから、時には『オーロラ』の中を通過することもあり、宇宙からの撮影ならではの光景を目にすることができます。

『オーロラ』の研究では、アラスカ大学フェアバンクス校の名誉教授『赤祖父俊一(あかそふしゅんいち)』博士が世界的な権威です。科学、芸術、スポーツなどの分野は、世界中が同じ評価基準で争える世界ですから、このような分野で有能な日本人が出現することは、日本の『文明度』の総合的な高さの証といえます。政治、経済の分野では、『国益』というバイアスがかかりますから、世界中が同じ評価基準で争うというわけにはいかないこともあり、傑出した日本人の国際的リーダーが現れ難いことになります。それにしても日本の政治家は『井の中の蛙』すぎるように感じます。

幻想的な『オーロラ』が発生する大元は、太陽から放射される極めて高温の電離された粒子(プラズマ)の流れ(『太陽風』)に依るものです。太陽からは、毎秒100万トンの質量に相当する『太陽風』が放射されています。

もし、この『太陽風』が地球を直撃すれば、地球の生命体は全滅してしまいますが、大変幸運なことに、地球は自転地軸の周りに『磁場』を有しており、この『磁場』がバリアとなって、『太陽風』は地球を回避して後方へ流れ去ります。この後方の流れの一部が収束して『プラズマシート』となり、今度は『電子』がこの『プラズマシート』を高速道路のように利用して逆流し、地球へ向かって突進してきます。この『電子』が、大気中の酸素や窒素とぶつかり『オーロラ』を発色させることになります。科学者は、地球上の『人工オーロラ発生装置』でこの現象を作り出すことに成功しています。私たちは、地球の『磁場』と『大気』という二つのバリアによって保護されていることが分かります。

私たちを保護するためにバリアがあるとみれば、『神が私たちのためにそのようにデザインしてくださった』という推測も成り立ちますが、実際はバリアがあったために私たちは偶然生存できているということではないでしょうか。自然の摂理のお陰で、私たちは生きていることは確かですが、私たち(人間)のために自然の摂理が存在するという考えは尊大すぎるように思います。

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2012年5月30日 (水)

宇宙の渚(4)

『流れ星』は、地上80~120Kmの高さで起きる事象です。宇宙の塵と氷が一体となったものが、地球の重力に引き寄せられた、高速に成層圏に突入し、高温で周囲の大気がプラズマとなって強力な発光をする現象です。

地上からでも、あれだけはっきり見えるものなので、梅爺はかなりの大きさの隕石が『流れ星』の正体と勝手に想像していましたが、実際には、直径1cm以下で、重さも1g以下の小さな塵と氷の結合体が大半であることを知りました。

宇宙には、星屑が大河のように流れている場所があり、地球は50本以上の大河と軌道上でぶつかるのだそうです。大河がどこからやってくるのかが気になりますが、有名な源流のひとつが『ペルセウス座』で、この大河は『ペルセウス座流星群』と呼ばれていて、地球が軌道上でこの大河を通過する時は、『流れ星』が沢山観察できることになります。

観測できない小さな塵も含め、一日に1億個が地球へ降り注いでおり、その総量は年間30万トンにもなるのだそうです。微小な塵は、『流れ星』にはならずにフワフワと地上に舞い降りてくるとのことでした。アメリカが宇宙でこの塵を回収し、分析したところ、有機化合物が含まれていることが判明し、地球に生命が誕生した時の『材料』は、これではないかと言う説があることを知りました。

梅爺は、地球で生命が誕生した時の『材料(有機化合物)』は、深海の熱泉噴出口付近で、偶然できたものと想像していましたので、驚きましたが、考えてみれば、稀有な偶然より、宇宙から降ってきたできあいの有機化合物を『材料』にしたと言う方が、圧倒的に可能性は高いことになります。もしそうなら、地球上の生命は宇宙の塵のお陰ということになり、更に宇宙には他の生命体が存在する可能性も高いと言うことになります。

日本には、アマチュアの『流れ星』観測家が沢山いて、観測データをインターネットで集め管理していることを知りました。このことだけでも、日本は大変な文明国であると言えます。国際宇宙ステーションから古川飛行士が撮影した『流れ星』と同じものを、日本の地上からアマチュア観測家がとらえていて、両者のデータを突き合わせると、『流れ星』の方向と、光っていた長さ(距離、時間)が正確に割り出せるということでした。

『流れ星』に願をかけるとと、必ず適うという言い伝えがあり、古川さんも母親と一緒に『流れ星』を観ながらお願いをしたと語っておられました。確かに憧れの『宇宙飛行士』になれたのですから、願いがかなったことになりますが、『流れ星』のせいなのか、本人の強い意志と努力のせいなのかは、判然としません。勿論判然とさせる必要もありません。『願い』は『情』が生みだすもので、科学のような『理』の世界で『真偽』を問うものではないからです。

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2012年5月29日 (火)

裏磐梯五色沼散策

5月26日から27日にかけて、『合唱』が縁でお付き合いが続いている『仲良し五人組(Uご夫妻、W夫人、梅爺夫婦)』で、裏磐梯を散策しました。いずれも『仕事』や『子育て』の責務を果たし終え、今は、ありがたいことに気ままな年金生活を送っている『老人仲間』です。全員体力の衰えはいかんともしがたいところがあるとは言え、口先はまだまだ達者で、集まると談笑が絶えません。

W夫人が、『年寄りには、「きょうよう」と「きょういく」が大切』とおっしゃるので、さすがに『教養』と『教育』とは深遠な御高説と感心しようとしましたら、実は『今日用』『今日行く』のことですと解説があり、大笑いしました。確かに、『今日やらねばならぬ用があり』『今日行かねばならぬ所がある』老人は幸せです。

いつものことですが、ホテルの部屋で夜遅くまで『宴会』が続きました。

旅行中の二日間は、快晴に恵まれ、『不動滝』『五色沼』のトレッキングを楽しみました。『不動滝』コースでは熊と遭遇するかもしれないということで、梅爺が『熊よけの鈴』を鳴らしながら歩きました。『紅葉時の五色沼』の絶景は有名ですが、今回のような『新緑時の五色沼』の景色もなかなかなものです。

『百聞は一見に如かず』ですので、駄文はここまでとして、以下写真をお楽しみください。

Dscn9248不動滝

Dscn9251_2柳沼

Dscn9254るり沼

Dscn9256弁天沼

Dscn9261みどろ沼

Dscn9263赤沼

Dscn9268_3毘沙門沼

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2012年5月28日 (月)

宇宙の渚(3)

『スプライト(妖精)』は、雷が地上へ向けて稲妻を走らせる時に、逆に宇宙へ向かって閃光が一瞬走る現象で、多くの場合赤色の閃光であることから、『レッド・スプライト』とも呼ばれます。地上40~100Kmの高さに出現します。

以前から飛行機のパイロットなどが目撃した報告がありましたが、科学的な検証ができないことから『錯覚』ではないかと疑われていました。しかし、天体の観測技術が進歩し、国際宇宙ステーションからの観測も可能になって、『スプライト』は確かに存在する『現象』であることが判明しました。

宇宙飛行士の古川さんは、『スプライト』を求めて、国際宇宙ステーションから根気よく撮影を続け、世界で初めて、『宇宙から観たスプライト』の何例かを捕えました。肉眼では、一瞬のことなので、気付かないような現象ですが、高感度ハイビジョンカメラには、しっかり映っていました。

宇宙ステーションが、雷発生領域に差し掛かると、眼下にまるで、線香花火のように稲妻が多数発生しているのに、梅爺は驚きました。地球規模でみれば、当然のことなのでしょうが、想像以上に、『同時多発』であることを知りました。

雷は、帯電した雲同士、または雲と地表の間で起こる『放電現象』ですが、何故『雲が帯電するのか』は、必ずしも明確に解明されていません。低温の上空でできた氷の粒子(氷晶)同士が、激しくぶつかりあう時の摩擦や粉砕で静電気が起きるという説が有力のようです。

『スプライト』は、雷が起きると必ず発生するものではなく、特に帯電量が多い、『強力な雷』の時に発生するものだということを知りました.『スプライト』のしくみは、完全に解明されていませんが、放電現象であり、大気中の窒素と反応して『赤く』光るらしいことが分かっています。

人類は、少し前まで、『雷』は『雷神』が、『風』は『風神』が起こすものと信じていました。特に『雷』は、『神の怒り』と考えられ、それらしいことが起きる時には、必ず『一天にわかにかき曇り、雷鳴がとどろく』ことになっていました。キリストが処刑された時も、このように情景が語られています。

昔の方が『ロマンチック』であったとも言えますが、現代は、科学が壮大な宇宙の事象を解明し続けているという意味で、これまた『ロマンチック』と言えないことはありません。

『スプライト』は、私たちの日常生活に直接影響するようなものではありませんが、科学者は『妖精』と名付けて、究明努力をしています。

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2012年5月27日 (日)

宇宙の渚(2)

地球上で、海と陸の間(はざま)に『渚』があるように、宇宙と地球の間(はざま)に、宇宙とも地球とも異なった『領域』があり、これをこの番組では『宇宙の渚』と呼んでいます。なかなか洒落た命名です。

『宇宙の渚』の領域定義は、地球表面からの高度10kmから500kmの空間です。旅客機の巡航高度(9km)より少し上から、国際宇宙ステーションの周回高度(400km)の100km上までということになります。

この番組では『宇宙の渚』でのみ起こる、『スプライト』『流れ星』『オーロラ』を取り上げていました。国際宇宙ステーションに、日本人宇宙飛行士としては、最長の167日間滞在した、古川聡(さとし)さんが撮影した映像が使われています。NHKが開発した、超高感度ハイビジョンカメラで撮影された映像で、肉眼では見えないような光もとらえていますので、大画面テレビで観る迫力はなかなかなものでした。国際宇宙ステーションは、1999年から宇宙での建設が開始され、日本を含む世界の15ケ国が参加する国際科学プロジェクトで、2011年に完成しました。当初2016年までの運用ということでしたが、現在では2020年まで運用延長することが検討されています。日本が設計開発した実験ブース『きぼう』も大活躍しています。運用累計費用が1500億ドルという、人類史上屈指の規模のプロジェクトです。そのお陰で、梅爺のような凡人でも、我が家のテレビで『宇宙からの眺め』を満喫できるわけですから、ありがたい話です。

番組では、撮影時の苦労話などを古川さんご自身が語っておられましたが、常に笑顔を絶やさないお人柄に梅爺は魅了されました。古川さんの国際宇宙ステーションとの往復は、ロシアの宇宙技術を利用して行われました。地球への帰還は、小さなカプセルで大気圏へ突入し、最後はパラシュートで降り立つという、想像しただけで、肉体的、精神的に大変なストレスを伴う体験をされながら、カプセルから救出された時の映像でも、終始笑顔を絶やさないのを観て、梅爺はすっかり古川さんのファンになりました。世界で活躍し、世界から愛される日本人である理由は、能力ばかりではなく、このお人柄にあると感じました。

古川さんは、東大医学部を卒業した外科の臨床医でしたが、少年の頃からの『宇宙への憧れ』止(や)み難く、宇宙飛行士の募集に応募して、夢をかなえました。医学の知識を利用して、宇宙では自分の身体を実験台として、貴重な実験も行いました。

古川さんの『宇宙への憧れ』の原点は、少年の時母親と一緒に屋根の上に寝そべって、『流星観察』をしたことであるというエピソードも紹介されました。まさしく『この母あって、この子あり』で、古川さんの笑顔はこのような環境で育(はぐく)まれたにちがいありません。

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2012年5月26日 (土)

宇宙の渚(1)

NHKBSプライムチャンネルで放映される『コズミック・フロント』という番組は、宇宙の科学を分かり易く解説してくれますので、梅爺のお気に入りで、欠かさず録画して観るようにしています。

宇宙には、まだまだ謎に包まれていることが沢山ありますが、それらを一つ一つ解明しようとする科学者たちの最新の努力内容とその成果に接することができるのはありがたい話です。

宇宙で繰り広げられている『事象』は、全て『自然の摂理』に適っていて、『理詰め』で説明できるという前提で科学者は追求をし続けています。つまり、『何が正しいか』を問題としています。

『芸術』の世界で『何が正しいか』を追求してもあまり意味が無く、『政治』や『経済』といった人間社会が創り出す『事象』で『何が正しいか』を絶対尺度で判定することが困難であるのに比べて、宇宙の謎の追求は、純粋な『理』の世界であることが大きな特徴です。

『理』だけで、『何が正しいか』を『知識』として獲得したいと願う人にとっては、『宇宙』ほど面白い分野はないでしょう。万人が、絶対尺度で『正しい』と認める『知識』がそこにあるからです。

しかし『梅爺閑話』と『宇宙に関する知識』の相性は良くありません。『梅爺閑話』では、絶対尺度で『何が正しいか』を決めることが難しい『事象』を取り上げ、『私はこう思う、こう考える、こう感じる』と個人的な心象を書き綴ることを目的としているからです。したがって『梅爺閑話』の内容は『正しい』などと主張するつもりは毛頭ありません。云いかえれば『梅爺閑話』は、梅爺の個人的な『精神世界』の反映であり、梅爺が『生きている』ことを実感する原動力になっているに過ぎません。まさしく『我思う、故に我あり』です。

『コズミック・フロント』から得られる『科学知識』は、誰にとっても等価な知識で、あらためて『梅爺閑話』でその内容を解説してみても、『二番煎じ』に過ぎません。梅爺が、梅爺なりの価値をその知識に与え付加することはできないからです。梅爺にとっては『初めて知った驚きや満足感』はありますが、既にご存知の方や、この番組をご覧になった方にとっては、どうでもよい話です。

『宇宙の最新科学知識』を、『私はこんなことを知っている』と自慢げに解説するのではなく、絶対尺度で『正しい、間違い』を論ずることができる『知識』に接して、梅爺の『精神世界』がどのように反応したのかを中心にこのブログは書こうと思います。

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2012年5月25日 (金)

ミステリー小説『The Serialist』(3)

人間を理解するには、脳の『情』と『理』の能力の複雑な絡み合いに関する洞察が必要ではないかと梅爺は度々ブログに書いてきました。『情』も『理』も、遺伝子で決定する生まれつきの要因と、生まれた後の成長のプロセスで経験、体験で得る要因が関与しますから、更に複雑な話になります。

仮に、ある人間の『クローン』を同時に2人作り出したとしても、異なった環境でそれぞれが成長すれば、微妙に異なった人間になると予測できます。同じ時期に、同じ原因で死を迎えるとも限りません。

『生まれた時点で、その人の運命や寿命は定められている』という云い方は、必ずしも適切ではない一方、『努力で人生は拓ける』という云い方も、同様に適切ではないことになります。

『知能指数(IQ)』が高い人は、『頭がよい』ということで、社会では一目置かれますが、『知能指数』だけで人間を評価することの弊害を、アメリカの脳心理学者『ダニエル・ゴールマン』が『Emotional Intelligence(感性能力)』という著作で指摘し、この本はベストセラーになりました。梅爺の『情と理の絡み合い』という考え方も、この本に触発されたものです。

ゴールマンは、『知能指数が高い人でも犯罪者になるが、Emotional Intekkigenceの高い人は犯罪者になる確率が低い』ことを、データで実証しています。

『The Serialist』というミステリー小説に登場する連続猟奇殺人犯は、既に服役中の犯人と、後に類似事件を実行するもうひとりの犯人と二人いますが、双方とも『知能指数』は高いことを示唆する人間として設定されています。

『知能指数』は、『記憶能力』『推論能力』などで決まりますが、落とし穴は、『自分で考えた論理帰結を正しいと盲信する』ことにあります。この小説の犯人も『世間の価値観が正しく、自分の価値観が間違いなどという判断基準は無い』というような主張をしています。オーム真理教の事件も、教祖の個人的論理を、信者たちが盲信して受け入れたことが暴走に繋がっています。

これらは、異常な世界で、自分は関係ないと云いたくなりますが、程度の差はあれ、誰もがこの落とし穴に陥る危険性を秘めているような気がします。『自分を信ずる』『自分を疑う』という矛盾した行為をバランスよくできる人が『素晴らしい人』ではないでしょうか。科学分野のように『理』一辺倒な世界は別にして、世の中の事象の大半は簡単に『真偽』の区別はできないからです。『自分を信ずる』だけの人は、本人も周囲も不幸なことになることが多いように梅爺は感じています。

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2012年5月24日 (木)

ミステリー小説『The Serialist』(2)

この小説は、最初の1/3程度は、異なったペンネームで色々なジャンルの大衆娯楽小説を書いている主人公の生活がユーモラスに描かれています。ニューヨークのクイーンズ地区が舞台で、アルバイトでマネージャーを務める女子大生(金持ちの娘)や、主人公の一人暮らしの母親などが登場します。『吸血鬼小説』は、女流作家と言う想定のペンネームで書いていますので、本に載せる著者肖像写真は、母親をモデルにして撮影したりします。母親もまんざらではない様子で要求に応えたりしますので、読んでいて笑っていまいました。しかし、母親が亡くなってしまい、困った主人公が、女装をしてモデル役を務めるなどのドタバタが続き、『こういう私小説的な内容なのか』と思いながら読み進んでいると、突然、主人公が凄惨な猟奇連続殺人事件に巻き込まれ、小説のトーンは一変します。

きっかけは、刑務所に服役中の『猟奇連続殺人犯』から、伝記を書いて欲しいと主人公に手紙が届いたことで、主人公は『これは金儲けになる』と服役囚に面会に出向きます。驚いたことに、服役囚には倒錯的な女性達からのファンレターが寄せられていて、主人公はこれらの手紙の差出人を訪ねてインタビューするように依頼されます。

渡されたリストに従って、主人公が手紙の差出人の女性たちを訪ねると、その直後に女性たちが、凄惨な猟奇殺人の被害者となって殺されてしまい、主人公は事件の渦中に放り込まれます。刑務所にいる服役囚が犯人ではないとすると、誰が犯人なのかと話はミステリーの様相を帯びてきますが、ついに犯人が捕まって、これで一件落着かと思いきや、小説の最後の1/3の部分で、またまた新事実が色々明るみに出て、どんでん返しがあるという趣向になっています。

小説としては、サービス旺盛な内容ですが、扱っている犯罪が、凄惨な猟奇的連続殺人で、当然犯人の倒錯した異常心理が裏にありますから、『残念ながら世の中には、こういう犯罪者がいる』とは思うものの、梅爺にとっては、わざわざ立ち入って覗いてみたいと思う世界ではありません。愛情に乏しい世界で育った人間が、このような異常犯罪者になっていくのだという背景描写もありきたりのように感じました。

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2012年5月23日 (水)

ミステリー小説『The Serialist』(1)

書店の洋書コーナーで、『このミステリーがすごい!2012年第一位(宝島社選定)』と宣伝付きの『The Serialist(David Gordon著)』を見つけ、いつものように迷わず購入してしまいました。アメリカ人の著者ゴードンにとって、この作品はデビュー作で、アメリカ探偵作家クラブの最優秀新人賞候補にノミネートされていることを知りました。したがって、梅爺もこの著者の作品を読むのは初めてです。

タイトルの『Serialist』は、『連載もの作家』という意味ですが、内容は『連続猟奇殺人鬼』を扱ったものですので、『続けさまに行う人』という意味で、かけ言葉になっているのかもしれないと想像しました。書店での広告では、『二流小説家』と日本語タイトルに訳されていましたが、これは少々意訳です。ただし、二流小説家は食いつなぐために、次から次へと書かなければばらばいという意味では、的外れとは言えないのかもしれません。

この小説の主人公(男性)は、食べていくために、どんなジャンルであろうと大衆娯楽小説を手掛け、それぞれ異なったペンネームで『空想科学小説』『吸血鬼小説』『ポルノ小説』と何でもこなす器用な作家という設定です。特に、『吸血鬼小説』では女流作家になりすまし、吸血鬼愛好家のファンクラブも存在するという話になっています。著者のゴードンは、コロンビア大学で英文学、比較文学などを専攻していますが、卒業後の職歴は、『映画業界』『ファッション業界』『ポルノ業界』などを転々としていますので、多分に自分の経験をこの作品では活かしているのでしょう。本格的な小説としては、この作品が『処女作』です。

読後の感想を一言で言ってしまえば、『梅爺好みの小説ではない』ということになります。ミステリーとして『謎解き』の要素もありますが、主体は、生々しい猟奇殺人の犯行描写、連続殺人鬼の異常な心理描写ですから、フィクションと分かっていても、後味の良いものではありません。

ハードボイルド小説に属するのかもしれませんが、レイモンド・チャンドラーの小説のような、ニヒルで洒落た科白(せりふ)を口にするような『チョイワル』私立探偵が登場するわけではなく、徹底したリアルな描写で終始していますから、息抜きのためにミステリー小説を読もうと思う梅爺のような人間の好みに合わないのは当然のことです。

しかし、好みは人それぞれですから、この作品は『駄作』とは言えません。小説の中に、主人公の作品である『空想科学小説』や『吸血鬼小説』の一部が挿入されるという凝った形式がとられていて、本筋の犯罪と微妙な関連が暗示されたりしますから、この著者が才能豊かであることは確かです。

英語の文体は難解ではありませんが、会話の部分はスラング(俗語)のオンパレードで、真面目な梅爺は、眉をしかめながら読みました。

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2012年5月22日 (火)

Faith's breach for love and kingdoms is no sin.

英語の諺『Faith's breach for love and kingdoms is no sin.』の話です。直訳すると『恋と王国のためなら、信仰に反する行為も、罪にはならない』ということになります。

キリスト教文化を基盤に持つ西欧社会では、『Faith(信仰)』と『Sin(罪)』は対となる重要な言葉で、日本人が『信念』『罪』と言う言葉に接して思い浮かべる内容とは微妙に異なっていると想像する必要があります。キリスト教文化圏では、最高の美徳は『Faithful(信仰深い)』人間であることで、これも日本流に『信念を貫く』と訳してしまうとニュアンスが異なります。

西欧人にとっては、『信仰に反することは全て罪である』という考え方が『常識』であるはずですが、この諺では、『恋』と『王国』のための行為は『例外』であると言っているわけですから、真面目な人は目を白黒させることになるにちがいありません。

この諺に接して『ニヤリ』とする西欧人は、『人間は、切羽詰まれば自分本位の価値観を優先するものだ』という本性を理解できていて柔軟な思考ができる人ということになります。時と場合によって、『神の教え』も最優先でなくなってしまうという『不真面目(ふまじめ)』な話ですが、梅爺は『真面目』『不真面目』も相対的な価値観であると認識している人が好きです。

文字通りに理解すれば、異教の娘と恋におちたら、自分の宗旨を捨てても構わない、王国のためには、敵国の人間を殺しても構わないというような話になりますから、こんな『例外』を認め始めたら収集がつかなくなるのではと心配になります。しかし、戦争に出向く兵士に王様が、『王国のために敵を殺すことは神を許して下さる』と檄を飛ばすにが都合のよい諺です。

この諺は、『神の教え』を軽視することが目的ではなく、『人間は自分に都合よく価値観を設定するものだ』と言いたいのでないでしょうか。そのために『恋』と『王国』を例に挙げたのも秀逸な選択です。

誰もが『当たり前』と考えている社会常識に、疑念を提示してみたくなる『へそ曲がり』がどの社会にもいるものだと、『へそ曲がり』な梅爺は感じました。平穏無事な環境で『戦争反対』は誰でも叫べますが、自分めがけて敵のミサイルが飛来する時でも、『戦争反対』と叫べますかと問うているような諺なのではないでしょうか。

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2012年5月21日 (月)

『会津』を知れば日本が見える(8)

Dscn9241 昔の姿を復元するために最近『赤瓦』に葺(ふ)きかえられた『鶴ヶ城』

日本の歴史を眺めてみると、『国家体制』を変える『争い』は何度もありました。各地の豪族を平定した『大和朝廷』の成立、天皇、公卿中心の政治から武家政治への移行などが代表的な例です。いずれの場合も『外国』の影響は皆無ではありませんでしたが、基本的には国内の『争いごと』でした。

しかし『明治維新』は、日本が『世界の中で一国家として存続できるか』という問題を突きつけられた改革でしたから、それ以前の『争いごと』とは異なっています。列強による植民地支配は、日本のすぐそばにまで及んでおり、日本は『風前の灯(ともしび)』の状態でした。極東の島国である地形が幸いして、持ちこたえていたとも言えます。

『明治維新』は、日本を独立国家として維持するための、言いかえれば『外国』を意識した『国家体制改革』でした。『日本』と、列強と呼ばれる『外国』の国力の『彼我(ひが)の差』を冷静に比較できる、ごく一部の人たちが『改革』の推進役を担いました。私たちは、これらの先見能力のある先人に感謝すべきでしょう。『明治維新』があのタイミングで成就しなければ、その後の日本の歴史は変わっていたからです。

『彼我の差』を認識できない人たちは、『尊王攘夷』などという自分中心の精神論で日本の独立が保てると考えていたことになります。『会津藩』は、真面目で立派な藩主を擁する藩でしたが、精神論に殉じて悲劇に見舞われました。自分中心の『義』を信奉し、外の世界や情勢を洞察できる殿さまや家臣を欠いたことは不幸なことでした。リーダーは『真面目で高潔』であることが必須の条件ですが、更に周囲との関係、『彼我の差』を冷静に洞察できる能力の持ち主であることが求められます。

『明治維新』以降、日本は『彼我の差』を冷静に洞察できる国家になったのかと言えばそうではありません。『第二次世界大戦の敗戦』『現在の政治経済の低迷』など、すべて『彼我の差』を洞察、分析できない結果でもたらされたものではないでしょうか。すこしばかり幸運なことがあると、それが内々(うちうち)だけで長続きすると言う思い込みに支配される悪い癖から脱皮できていません。外の世界を理解せずに、自分中心の『義』を信奉しようとするところは、『会津藩』と変わりがありません。

『日本人としての誇りを持つ』『皆で力を合わせて頑張る』ということは大切なことですが、そのような精神論だけで、日本は国家体制を維持できません。昔以上に『世界の中の日本』という視点はは重要な要因になりつつあります。『周囲との関係』『彼我の差』を冷静に洞察できる人材を欠くと、不幸が待ち受けていることは『会津藩』の先例が教えてくれます。

『会津』を訪れて、『会津藩』を現在の『日本』と重ね合わせて考えてしまいました。

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2012年5月20日 (日)

『会津』を知れば日本が見える(7)

Dscn9235 『阿弥陀寺』には、昔『鶴ヶ城』本丸敷地内にあった『御三階(ごさんかい)』と呼ばれる密談用に使われた建物が移築されて残っている

新しくできた明治政府は、『賊軍』であった『会津』に冷たくあたりました。戦死した『会津藩士』の遺骸は、埋葬するどころか手を触れることさえ最初は許されず、嘆願の末にようやく1年後に埋葬許可が出ました。この時1300人をまとめて埋葬した『阿弥陀寺』や、自決した『白虎隊』隊員の遺骸を不憫に思った土地の人がこっそり埋葬した『妙国寺』などを今回訪れました。『妙国寺』は、降伏した『松平容保』が約1ケ月間蟄居(ちっきょ)させられた寺としても有名です。

明治政府は、『統一標準日本語』を作り出す時に、各地の『言葉(ものの呼び名など)』を参照しましたが、『会津』の言葉は除外されました。

これほど虐(しいた)げられた『会津』から、東京帝大の総長になった『山川健次郎』を始め、明治以降の日本を背負って立つ人材が沢山排出されました。『日新館』の教育は、目に見えない社会の人材資産を継承する土台になったのでしょう。第二次世界大戦の敗戦で、全てを失った日本が復興できたのは、高度な教育システムが残した『人材』は残っていたからで、『会津』の例と似ています。『教育』を重視しない社会は脆弱であるとも言えます。

梅爺が更に興味を感じたのは、『会津藩』出身の秀れた女性が明治に出現していることです。『山川健次郎』の妹の『山川捨松』や、来年のNHK大河ドラマの主人公に予定されている『山本八重』等です。『山川捨松』は、日本最初の女性留学生として『津田梅子』などとともにアメリカで学び帰国後元老『大山巌』と結婚して、『鹿鳴館の華』と呼ばれた才色兼備の女性です。薩摩藩出身の『大山巌』と、会津藩出身の『山川捨松』の結婚も、新しい時代の到来を示唆しています。

『山本八重』は、鶴ヶ城に籠城して、鉄砲を撃ったと言われているほど、活発、エネルギッシュな女性で、明治時代には京都に移り、『同志社大学』創始者の『新島譲』とクリスチャン同士の結婚をしました。日本風の美徳と、西欧風の合理性が共存する新しいタイプの女性であったために、周囲からは『悪女、烈婦』などとみなされることもありました。現代の日本ならば、特に珍しい女性とは言えないのかもしれません。

『儒教思想』の男社会であった『会津藩』から、優秀な女性が出てきたのは、偶然なのか、理由があることなのか梅爺には分かりませんが、男性であろうが女性であろうが優秀な人は優秀であると認める風潮が『会津藩』にはあったのではないかと推測しています。『儒教』は『男尊女卑』などと表面的に理解してはいけないのではないでしょうか。

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2012年5月19日 (土)

『会津』を知れば日本が見える(6)

Dscn9232 自決した白虎隊を讃えてイタリアから贈られた記念碑(飯盛山)

幕末と明治の初期の『内戦』以降、日本人同士の『戦争』は起きていません。いまだに『内戦』が続いている他の国を思えば、幸せなことですが、明治以降の『富国強兵』の国策は、日本及び日本人をもっとひどい戦火に巻き込むことになりました。

 『維新(革命)』『国体護持』などという『大義』のために『戦う』人間の習性を冷静に抑制することは、それほど簡単なことではありません。誰かがもっともらしい『大義』を唱えた時には、用心しなくてはなりません。

 『明治維新』の成就のためには、勝者と敗者を明確にする必要があり、『会津藩』を見せしめに徹底殲滅されたと観る歴史学者もいます。もしそうだとすれば、『家訓』にこだわる『会津藩』は、格好の『餌食』であったのでしょう。

『戊辰戦争』で『会津』の城下は、灰塵に帰しましたが、『会津若松城(鶴ヶ城)』は、1ケ月の籠城抗戦でも、燃え落ちたりせず辛うじて姿をとどめました。『白虎隊』が、飯盛山から城が燃えているのをみて、『もはやこれまで』と自決したというのは史実ではないようです。城下が火の海になっているのをみて、勘違いしたのかもしれません。

 『官軍』は、近くの小田山に最新のアームストロング砲の砲台を築き、8000発の砲弾を『鶴ヶ城』へ撃ちこんだと言われていますから、それでも崩壊、炎上しなかった『鶴ヶ城』は、名城と言えます。しかし、『会津藩』は戦国時代のような装備で、近代兵器に立ち向かったわけですから、負けを承知で戦ったとしか思えません。明治になって城は取り壊され、現在の城は1965年に復元再建されたものです。

 飯盛山で自決した『白虎隊』隊員は19名で、命を取り留めた人が一人いること、『白虎隊』は総勢300人以上で、飯盛山に居合わせなかった他の隊員は自決していないことなどを知りました。自決をしようとして生き残った一人や、飯盛山に居合わせなかった他の隊員は、その後の人生を『後ろめたさ』を抱きながら送ったという話を聴いて、日本的な『死生観』をあらためて感じました。

 飯盛山には、昭和の初期にイタリアから寄贈された『白虎隊を讃える碑』がありました。何が西欧人の心を動かしたのか、『生き恥をさらさない』などという武士道の精神はどこまで理解されるのかと梅爺は興味を覚えました。

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2012年5月18日 (金)

『会津』を知れば日本が見える(5)

Dscn9231 『飯盛山』の白虎隊自決の地

『会津』の観光地の説明員やお寺の住職さんの話を聴いていると、『戊辰戦争』で会津に攻め込んできた軍隊を決して『官軍』とは呼ばずに『西軍』と呼びます。『官軍』を認めてしまうと『会津藩』は『賊軍』ということになってしまい、甚だ不本意であるという反骨精神が垣間見えて微笑ましく感じました。

最後の藩主『松平容保』も、『京都守護職』の時に孝明天皇から下賜された『お前には感謝し、期待しているぞ』というような内容の『ご宸翰』(ごしんかん:天皇直筆の手紙)と『御製』(ぎょせい:天皇の和歌)を生涯肌身離さず所持し続けたと言われていますので、『自分は賊軍ではない』という強い自負心があったのでしょう。『真面目』『純真』な人柄が伝わってきます。もっとも、この『ご宸翰』のお陰で、『戊辰戦争』で降伏した後も、切腹を免れ命を取り留めたのかもしれません。『松平容保』は明治の世も生き延び、日光東照宮の宮司となっていますから、『家訓』通りに『徳川家』に忠誠を護り続けたことになります。

因みに秩父宮勢津子妃殿下は、『松平容保』の孫にあたりますから、結婚後『お国入り』した折には、『会津』の人たちは、『汚名が晴れた』と大喜びしたと言われています。

『戊辰戦争』で、まともに『官軍』と戦ったのは、『会津藩』と梅爺のふるさとである『越後長岡藩』だけです。他の藩は『形勢不利』とみるや全て『官軍』に恭順の意を表してしまいました。『長岡藩』には傑物の家老『河井継之助』がいて、江戸城同様に無血開城を申し出ましたが、攻め込んできた『官軍』の軍監『岩村精一郎』は『西郷隆盛』のような大人物ではなく、聴く耳を持たなかったために、城を取ったり取られたりの戦争となって、『会津』同様『長岡』も焼け野原になりました。ただ『河井継之助』は、会津藩と異なり、時代が見えていましたから、最新のガットリング銃(機関銃)を装備して『官軍』を迎え撃ち、藩主『牧野忠恭』をフランスへ亡命させようとまでしました。『河井継之助』は『戊辰戦争』で戦死しています。

『会津藩』は立派な藩でしたが、武士道にこだわり刀や旧式の鉄砲で『官軍』と戦ったわけですから、初めから勝ち目のない戦であったと言えます。『河井継之助』のような、傑物の家臣がいなかったのは不幸とも言えますが、逆に『河井継之助』は、『会津』の風土では評価されなかったかもしれません。

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2012年5月17日 (木)

『会津』を知れば日本が見える(4)

Dscn9230 『会津武家屋敷』内に復元された会津藩家老『西郷頼母(たのも)』の邸宅。実物は戊辰戦争で焼失。妻と五人の娘が自決すると言う悲劇がここであった。

歴史上の大変革は、多くの場合少数の人間の野望や信念で始まり、遂行されます。周囲の人間や庶民は、事態が理解できないままにその大きなうねりに巻き込まれていきます。

面白いことに、大変革の時代には、『そのために生まれてきた』としか考えられないような『特異な人物』が登場します。明治維新前後の日本には、『坂本竜馬』『西郷隆盛』『河井継之助』『大村益次郎』等が登場しました。これらの人たちは『人間研究』の格好な材料ですから、司馬遼太郎が歴史小説の主人公に取り上げたくなった気持ちがよく分かります。

『西郷隆盛』は維新の後に、『命もいらず名もいらず、地位も金もいらぬと言う人は始末に負えない。しかし、この始末に負えぬ人でなければ国家の大業はなしとげられぬ』と語ったと伝えられています。まさしく、『自分は始末に負えない人間である』と言っていることになります。『西郷隆盛』は、負け戦を承知で不満を抱く元武士達の御神輿(おみこし)に担がれ『西南戦争』で亡くなっていますから、『義を貫く人』にも見えますが、『武士の世は終わった』ということを分からせるためには、自分が死んでみせるしかないと覚悟の上の行動であったとも考えられます。『仇敵長州との連合』『江戸の無血開城』などの決断は、したたかな権謀術数ですから、単純な『至誠の人』などという言葉では表されない、不思議な魅力を秘めた人物です。

これに比べると、『会津』の最後の藩主『松平容保』は、『清純無垢』で真面目一辺倒であり、権謀術数などとは縁のない人物に見えます。残されている写真を見ても、梅爺には『ボクちゃんのお殿様』に見えます。幕末に他の大名が嫌がる『京都守護職』を引き受け、長州の恨みの対象になり、挙句の果てに、忠誠を誓う幕府の将軍がさっさと恭順の意を表明してしまっているにもかかわらず、官軍の見せしめ征伐の対象になって、『会津』は徹底破壊の対象になりました。薩長からすれば、『江戸』を徹底破壊することが本来筋ですが、そうすれば戦後の復興経費は膨大になりますので、代りに『会津』で『革命の終焉』を演出したとも言えます。

もし『松平容保』が、したたかな人物であったとしたら、『会津』の歴史は違ったものになっていたでしょう。真面目一辺倒な人物は、平穏な時代には『立派な方』で通りますが、乱世では『悲劇』を作り出してしまう原因にもなると言う話ですから、人の生き方を論ずるのは難しいことが分かります。

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2012年5月16日 (水)

『会津』を知れば日本が見える(3)

Dscn9222 藩校『日新館』の中にある孔子を祀る立派な廟

有能なコミュニティのリーダーなら、コミュニティを永続させるのに最も有効な手段は、少々回り道に見えても結局『人材の育成』であることに気づくはずです。
『教育』は、『型にはまった人間』を目指すのか『型にはまらない人間』を目指すのかでは大きく異なります。本質的な目的は、『問題対応能力』を養うことですが、ここでいう『問題』は数学の問題のように、誰もが認める『正しい答』があるものではなく、人間が生きていく上で次々に遭遇する『初めて体験する状況』のことです。現在の日本でいえば『今後原子力発電に頼るか頼らないか』というような問題ですから、誰もが認める『正しい答』などはありません。基礎知識や基本技量の習得は、それ自体が目的ではなく、いざという時の対応策の選択幅を広げるための手段です。

『型にはまった人間』を育成したり、基礎知識や基礎技量をたたきこむことが教育の目的であると多くの人が勘違いしているように梅爺は感じます。ずる賢いリーダーは、これに乗じて『コミュニティにとって都合のよい人間』を育成しようとしたり、最悪な場合『洗脳』を行ったりします。

明治維新以降、日本は『富国強兵』のために都合のよい『金太郎飴教育』を展開しました。その結果、日本は繁栄もしましたが、大きな悲劇も体験することになりました。自分自身やコミュニティを批判的に観る柔軟な思考ができないと、大きな落とし穴が待ち受けていることになります。『自分で考える』ことを放棄した人たちの集まりは危険です。『秩序』の意味も、自分で考えて従う必要があります。

今回の観光では、会津藩校『日新館』を見学しました。5代藩主『松平容頌』に仕えた家老『田中玄宰』が進言して1803年に設立された、藩士子弟(男児)の学校ですが、1000人以上の生徒を収容できるその規模の大きさに驚かされました。江戸時代は、日本のいたるところに、優れた文化が散在していたことが分かります。『日新館』は、城下にありましたが、戊辰戦争で焼失したために、現在の見ることができる施設は、別の場所に忠実に復元されたものです。

文武両道を修めるための学校ですから、剣術、弓術、柔術、砲術などのほか泳法取得のための人工のプールまで施設として具備しています。基本的な読み書きは勿論のこと、算術、天文学も教えていました。しかし、何と言っても教えの中心は『儒教』で、『年長者を敬い、弱い人を労わる』ことを、子供でも分かるようにやさしく説いた『什(じゅう)の掟』が、今でも『会津』には継承されています。

戊辰戦争の悲劇の象徴のような『白虎隊集団自決』も、『日新館』で学んだ少年たちの行動ですから、教育は優れた人材を創ると同時に、一つの価値観に縛られる人間を生みだす危険性も秘めていることをあらためて感じました。日本の教育の将来を考える上で、『日新館』は多くの示唆を提供してくれます。

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2012年5月15日 (火)

『会津』を知れば日本が見える(2)

Dscn9224 復元された会津藩藩校『日新館』。藩士の子弟1000人以上を収容できる大規模教育施設。白虎隊の隊員もここで学んだ。

人間の作り出すコミュニティには、そのコミュニティ独自の『文化、風土』が芽生えます。気候や地理の影響も受けますが、出現した指導者、支配者の『考え方』が色濃く影響することがあります。『文化、風土』は、そのコミュニティに繁栄ももたらしますが、時には悲劇の要因にもなります。

ものごとには長所、短所があり、『文化、風土』も例外ではないということになります。長所の恩恵だけが永続きしないのは、日本の場合、『バブル経済の崩壊』『原子力政策の破綻』の事例をみても分かります。

『会津』の場合は、江戸時代に藩主となった『保科正之』の考え方が『文化』形成に大きな影響を与えています。

『保科正之』が残した『会津藩家訓(かきん)』の第一条が以下です。

『大君の義、一心大切に忠勤に存ずべし。列国の例をもって自ら拠るべからず。若し二心を懐かば即ち我が子孫にあらず。面を決して従うべからず』

『徳川幕府には無条件に忠誠を誓いなさい。他藩の言動に惑わされることがあってはいけません。これができないような藩主は会津藩主ではありません。家臣もその様な藩主には決然として従ってはいけません』ということですから、北朝鮮の指導者が読めば、すぐにでも採用したくなるような内容です。

これだけを読むと、『保科正之』は、こちこちの石頭のような人物に見えますが、実態はそうではなく、四代将軍徳川家綱を補佐して、国政では見事な手腕を発揮し、会津藩主としても、他の藩では類をみない善政を実施した『名君』です。庶民あっての武士という立場も心得ていましたし、有能な人材を見抜いて登用する能力、形式にとらわれずに優先度を決める能力なども優れていました。何よりも私利私欲を表に出さないのも立派です。現代に産まれていたら、大政治家、大実業家になっていたことでしょう。

そのような『保科正之』が何故、『会津藩家訓』を残したのかを知るには、彼の生い立ちを知る必要があります。『保科正之』は、二代将軍徳川秀忠の庶子(4男)として生まれました。将軍が庶民の娘(名は静)に産ませた『ご落胤(らくいん)』ですが、正室の『お江(ごう)』には、疎まれて命まで狙われました。幸い、庇護者がいて、信州高遠藩の養子になり、やがて藩主となってメキメキと実力を発揮し始めます。三代将軍徳川家光もこの腹違いの弟の才能を評価し、死に際に四代将軍徳川家綱の補佐役になって欲しいと嘆願します。この家光に対する恩義の念が、『会津藩家訓』になりました。仁義にも厚い人物であったことが分かります。

しかし、会津藩最後の藩主『松平容保』は、くそまじめにこの『家訓』を守り、幕末で最も悲劇的な藩に『会津』をしてしまいました。

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2012年5月14日 (月)

『会津』を知れば日本が見える(1)

Dscn9226 江戸の風情を残す『会津西街道』の『大内宿』

毎年恒例の『大学同級会(昭和39年東京大学工学部精密機械工学科卒業)』が、今年は福島県の『東山温泉』で開催されました。5月10日から11日にかけて、同級会(宴会)と観光が行われました。今回の参加者は19名で、総勢22名(存命者)ですから、年齢を考えると驚異的な出席率です。

今年の幹事は、梅爺とKさんで、半年前位から、計画を練り始めました。何しろ梅爺でさえも舌を巻く『好奇心旺盛』『議論好き』の爺さんたちの集団ですから、これを統率し、あるレベルのご満足いただくようにするのは容易な話ではありません。『東山温泉』を選んだのは、福島復興支援の一助となればと考えた結果です。大半は『年金爺さん』ですので、自慢できるほどの『支援』とはいきませんが、身分相応に『散財』をしようと呼びかけました。

幹事とはいえ、梅爺もKさんも、現地に精通しているわけではありませんので、地元の『福島交通観光』に、希望条件を提示し、1泊2日の貸切バスツアーを立案していただきました。念のために3月末に、梅爺とKさんで『現地視察』にも出かけました。結論的に言えばこの手法が『大正解』で、東北新幹線の『郡山』駅に集合し、貸切バス(同じ車両、同じ運転手さん、ガイドさん)で、宿や観光地を全てめぐり、翌日再び『郡山』駅で解散するという全工程がスムーズに実行できました。まさしく『餅は餅屋』です。

関越自動車道で、悲惨なバス事故があった直後ということで、『福島交通観光』は、更に添乗員(女性)を一人を同行させるという気の使いようでした。

基本的には、『東山温泉』での宴会、宿泊を中心に、『会津西街道』の『大内宿(おおうちじゅく)』や『会津若松』の歴史にかかわる観光地を巡りましたが、『会津の歴史』は、どうしても幕末の『戊辰(ぼしん)戦争』が中心となることから、『戊辰戦争』を通じて、『会津』をあらためて知ることになり、梅爺にとっては、意外なことにそれは、日本人や日本を見つめなおすことになりました。

日本の歴史上、類まれな『名君』と言われる『保科正之』によって、江戸時代に素晴らしい『体制』『文化』を築き上げていった『会津藩』が、何故幕末には日本で最も悲惨な運命に向かって突き進むことになったのかを知れば知るほど、現在や将来の日本や日本人にとって、多くの教訓を歴史は含んでいると感じました。

『ならぬことはなりませぬ』という言葉が、今でも会津の人たちに継承されています。一見素晴らしい言葉ですが、これは世の中には『真』や『義』が存在するということを前提としていますので、もし、仮に絶対的な尺度では『真』や『義』を論ずることは難しいということになると、『融通のきかない、独り善がりな考え方』になってしまうという危険性を包含しています。

『軸がぶれない』ということは大切ですが、一方『周囲の状況に合わせる』ことも、生きていくためには必要になります。両者のバランスを取ることは、人生最大の難事です。『会津藩』の悲劇は、あまりにも『軸がぶれない』ことだけにこだわり過ぎたためのように、梅爺には見えます。バランス感覚抜群の『西郷隆盛』に比べて、会津の当時の藩主『松平容保(かたもり)』はあまりにも、『真面目』でその結果『ひ弱』に見えます。梅爺は『真面目』な人は好きですが、それ故に真面目な人が不幸になっていく『会津の歴史』には胸が痛みました。

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2012年5月13日 (日)

『理』の対象(5)

多くの方が『神』を論ずる時に、以下の二つの異なった定義を区別せずに話されるので、混乱が生じているのではないかと梅爺は考えています。

(A) 宇宙空間(天)のどこかに存在する実態としての神
(B) 人間の脳(心)の中にある抽象概念としての神

梅爺は、ブログで何回も書いてきたように、(A)の神の存在に疑念を持っていますが、(B)の神には疑念を感じていません。

(A)の神に疑念を持っているとは言え、梅爺は『存在しない』と断ずる能力を持ちませんので、『分からない』という表現が適切かと思います。梅爺が自分を『不可知論者』と呼ぶのはその意味です。

勿論、何となく疑っているわけですが、梅爺なりの疑う理由は、色々な事象を見ると、『存在する』と考えるより、『存在しない』と考えた方が矛盾が少ないと『感じている』からです。しかし、梅爺の事象を見る範囲は限定されていますから、『感じている』以外のなにものでもありません。

そのような梅爺でも、宇宙や自然が、『何かの摂理(ルール)』に支配されているという主張には、疑いを感じません。色々な事象がそう考えた方が矛盾が少ないと逆に『感じている』からです。この『摂理』は、人間の『情感』や『期待』などとは無関係な冷徹なものではないかと考えています。前にこの『摂理』の一つとして、『自律分散処理のルール』を、『仮説』としてブログに書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-5cb4.html

宗教が提示する(A)の神の定義ではなく、この『摂理』を仮に『神と呼ぶ』ということであれば、梅爺は、疑いなく受け容れることができます。しかし、この『神(摂理)』は、人間の情感とは無関係な冷徹なものですので、『愛』や『慈悲』に満ちているわけではありませし、祈れば『願いを適えてくれる』というようなものでもありません。アインシュタインが、『神は信じないが、自然の摂理の存在は信ずる』と語った真意は、梅爺の考え方と似ているのではないかと想像しています。

一方、(B)の神は、『愛』という抽象概念と同じようなもので、人間が『本能的に感ずるなにか』に対して、脳の中で作り上げ、名づけたものです。しかし、抽象概念であって、実態がないから意味が無いとは言えません。人間が生きる上で『必要』または『重要』なものとして、考え出されたに違いないからです。宇宙空間の中をいくら探しても『愛』という独立した実態は見付からないから、『愛』は妄想に過ぎないと言うのと同じことで、宇宙空間に『神』の実態は見付からないから、人間の脳に存在する概念としての『神』は意味が無いとは言えません。

『愛』や『(B)の神』を信ずる人たちが、柔和で善良である事例は、誰もが周囲に見出すことができるのではないでしょうか。

ユダヤ教を原点とする、キリスト教、イスラム教は、教義として、(A)の神と(B)の神を同一のものとして、信者に説いているように思います。そのために、理性で考えると説明がつきにくいことを包含してしまい、結局、『疑わずただ信ずることが正しい信仰の道』という説明になるのではないでしょうか。仏教も現状は(A)と(B)が一緒になっていますが、大元の釈迦の教えは、(B)であったのではないかと思います。つまり、『自分の中にある邪悪な心を排して、善良な心に従え』といったのではないでしょうか。『邪悪な心』も『善良な心』も抽象概念です。ただし、こういう考えは、宗教の歴史(特に仏教の歴史)に詳しくない梅爺のとんでもない誤解かもしれません。

『神(善良な心)と悪魔(邪悪な心)を併せ持つのが人間で、人間らしくあるために神の方を尊(とうと)びなさい』という表現(教え)なら、梅爺は何も異存がありません。この二つの概念を識別できるのは、人間だけのように感じます。他の動物は、識別せずに、そして悩まずに、ただ本能に従って行動しているように見えます。ただし、くどくなって恐縮ですが、Bの神は人間が抽象概念として考え出し、名前をつけたものに過ぎませんから、人間と共に『存在し』、人間が、この世からいなくなれば神も『存在しなくなる』という道理になります。『愛』も同じく、人間がこの世からいなくなれば、なくなるものと考えています。『永遠で絶対的な愛』は、残念ながら存在しそうにありません。

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2012年5月12日 (土)

『理』の対象(4)

『真』か『偽』かを追求する人間の『理』の思考対象には、制約はありませんし、制約すべきものでもないと梅爺は考えています。仮に、権力者が『規制』をしても、守られません。北朝鮮では『将軍様やその後継者の権威』を疑うことは許されていませんが、国民の中には、いくら洗脳されても『本心では疑っている人』が必ずいるに違いありません。

『神』も『理』の思考対象として、例外にはなりえません。しかし、多くの宗教関係者や宗教の理解者は、『神や信仰は、理性で論ずる対象ではない』と主張されます。そのような主張の根拠は、以下のいずれかではないでしょうか。

A.神や信仰は、そもそも『理』ではなく『情』に属することなので、これを『理』で論ずること自体がお門違いである。
B.神や信仰は、それによって人間に『もたらされるもの(心の安らぎ、慈愛や善良の心など)』の価値が重要であって、単に『真偽』を論ずることは、『もたらされるもの』の重要さから眼を逸らすことになり本末転倒である。
C.神や信仰が、小賢しい『理』の議論で、『偽』とされることが嫌だ(『偽』とされる
ことは、不愉快だ)。

梅爺は、人間の精神生活は、全て『理』と『情』の絡み合い、と考えていますので『信仰は純粋に情の世界に属する』というAの主張には、無理があるように感じます。

梅爺も、自分の好きな『読売巨人軍』への非難を聞けば、『おもしろくない』と感じますので、Cの気持ちはよく理解できます。しかし、他人が『読売巨人軍』の非難をすることは、『まちがっている』とまでは考えません。

したがって、一番重要なことは、Bの、単なる『真偽』の議論が、もっとも重要な価値を否定することにつながることは、避けるべきだ、という主張に意味があるように思います。心の安らぎを得たり、全てを慈愛の眼で見る善良な心が、『自分の中に存在することを実感する』という素晴らしい体験を、信仰を持った人はされており、誰がなんと言おうと『そのことが一番重要』だと考えておられるからに、ちがいないからです。

梅爺は、『神や信仰』を『理』で論ずることは、『間違っている』とは思いませんが、Bの重要さを理解しない議論は、少々空しいような気がします。

味気ない表現をお許しいただければ、『穏やかな心、善良な心』も、大元は、そうであった方が、肉体が病に冒される確率が低く、他人から攻撃され殺される確率も低いという、生物が生き残りのために獲得した本能に根ざしているのではないかと思います。『信仰』という崇高な精神活動に人間が発展させたため、生物の本能との関係が、分かりにくくなってしまっているだけのことではないでしょうか。

本能に根ざしているからといって『信仰』の価値が、損なわれるという議論にはなりません。因果関係がどうあろうと、『信仰』を持つ意味は、人間にとって重要であることは、何も変わりません。何故ならば、『信仰』と同じように『心の多すらぎ』『慈愛に満ちた善良な心』が得られる『薬』も『方法』も、永い人間の歴史の中で、未だ見つかっていないからです。

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2012年5月11日 (金)

『理』の対象(3)

梅爺のように、自分が不思議に思うことに関して、『実はこういうことではないか』と考えようとする(科学者と似た習性)のは、意図的に(随意に)『理』を働かせようとしているように表面的には見えますが、実は人間として『不安の真因を確認したい』という本能(『情』に属する脳の機能)が、無意識に(不随意に)背後で働いているに違いありません。不安の正体を確認して『逃げる』『闘う』『無視する』などは、生物(人間)の生き残りには、必要な行為であるからです。このように、人間の精神生活や心には、少なからず全てに『随意』と『不随意』、『理』と『情』が絡んでいると推測できます。そして、高尚に見えることも、元を辿れば生物の生きるための原始的な本能に由来しているのではないかと思います。

『理』は、煎じ詰めればものごとの『真』か『偽』かを問う思考行為です。そして通常『真』か『偽』を証明するために『論理』を用います。矛盾が少ない『論理』は『仮説』として成り立ち、多くの人がそれを支持すれば『定説』になります。新しい『論理』の登場で、それまでの『仮説』や、時に『定説』までもが覆ることがあります。科学は、このようにして『進歩』していきます。スポーツの記録更新と同じで、自分の『論理』を超える『論理』の登場は、超えられた人にとっては、残念であっても、不名誉なことではありません。

人間は『理』の行為で、『全てを知り尽くすこと』はできるのかという、これまた『理』の対象となる疑問が生じます。『一つのことを知ると、それに起因する新たな疑問が生じる』という『命題』が、『真』だとすれば、疑問は減るどころか増えるばかりですので、『知り尽くすことはできない』という論理的な結論に達します。しかし、『命題』が『偽』だとすれば、『知り尽くすことはできる』という結論になります。

『科学』の歴史を見ると、『知れば知るほど、知らないことが増える』ように見えますし、梅爺の実感とも矛盾しませんので、『人間は全てを知り尽くすことはできない』が、正しいのではないかと考えています。こういうことを論じた『理性の限界(高橋昌一郎著:講談社現代新書)』という本を購入してありますが、梅爺は未だ読んでいません。

つまり、『多くのことを知っている人ほど、知らないことが多い』という、パラドックスになります。哲学者木田元先生の『反哲学入門』というブログを前に書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fac2.html

この中で、先生は、『哲学などに興味を持たずに生きる人生の方が健康的だ』と述べておられます。知らなければ、その分『不安』は感じないわけですから、そのとおりと梅爺も思います。しかし、『知りたい』という欲求が、生まれつき強い人間もいて、不健康であろうが無かろうが、哲学へ没頭してしまう方もおられます。

科学者も同じ性向をもって生まれてきた人たちなのでしょう。ただ、『科学』が『哲学』と異なるのは、その『成果』が、人類全体に、直接的な大きな影響を及ぼすことがあるということでしょう。その証拠に、『科学』は嫌いと言う方でも、テレビを観、電話を利用し、車に乗り、薬を飲んで生活をしています。一方『哲学は嫌い』で済ますことができます。

『やたらと理屈ばかり言っている人間は、鼻持ちならない嫌な奴』と敬遠されますが、科学に関する限り、その人たちの恩恵もこうむっていることになります。

梅爺の『理屈』は、人類に貢献するような大袈裟なものでなく、『自己満足』に過ぎませんから、『鼻持ちならぬ部類』に属することは、自分でもよく承知しています。

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2012年5月10日 (木)

『理』の対象(2)

梅爺は、仕事の現役の頃は、『コンピュータ・システムを企業顧客に買っていただく』ための仕事に従事していましたので、お客様に、梅爺の会社のコンピュータ・システムが『最適である』と、判断していただくための『理屈』を懸命に考えました。

数あるライバル会社のコンピュータ・システムに比べて、梅爺の会社のシステムが『最適である』かどうかなどということは、当の梅爺にも『本当は分からない』にもかかわらず、そういう『理屈』を考えていたわけですから、これこそ本当の『屁理屈』なのでしょう。しかし、お客様に直ぐに『屁理屈』と見破られるものは、逆効果ですので、それなりに、大変な仕事であったとは言えます。

現在の梅爺は、ありがたいことに、『立場上無理な理屈を考える必要』には迫られませんので、自分の興味の対象や、何故だろうと不思議に思えることに、自分で納得がいく『理屈』を考えることに精を出しています。従って、『下心がない、純粋な理屈』と言えないことはありません。『梅爺閑話』はまさしく、そういった『理屈』のオン・パレードです。

その分、対象に興味のない方には、『何で、この爺さんは、こんなことにこだわるのだろうか』と、不思議に思われることでしょう。もし、梅爺がブログを売り物にして、生計を立てようというのなら、こんなことでは済まされません。懸命に『一人でも多くの方に興味を持っていただける内容』を探し、読んでいただく方が、『読むことに特段の努力を必要とせず、面白く平易で、再度読みたくなる表現方式』を、『意図的に模索する』にちがいありません。そういう意味では、『梅爺閑話』は、『独りよがり、身勝手なブログ』の典型です。

梅爺の興味の対象は、一言で言ってしまえば『人間』で、その不可思議な存在の中枢をなす『脳』には、特に興味が尽きません。目下のところ、先端科学でも解明できていない対象ですから、『不思議の宝庫』のようなもので、梅爺が『あーか、こーか』と勝手に思い巡らせるには格好な対象です。したがって、ブログのネタが尽きることはありません。

何よりも、梅爺自身が『人間』であり、『不思議な自分』も洞察の対象になりますから、こんな好都合な対象は、ほかにはあまりありません。不思議を求めて、世界の果てまで出かける必要もありません。

梅爺が、『神や仏』について、沢山書いてきたのは、『神や仏』そのものにも勿論興味がありますが、そういう概念を考え出し、必要とする『人間』の方にむしろ強い興味があるからです。

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2012年5月 9日 (水)

『理』の対象(1)

梅爺は、自分自身はそう思っていませんが、周囲の方から『お前は理屈屋だ』とよく言われます。そして多くの場合『世の中は、理屈だけではやっていけませんよ』と、それに続いてたしなめられます。

このことから、『理屈屋は、世の中のことが全て理で判断できると考えている人間』と単純に受け取られているらしいことが分かります。時には『情感の薄い、冷酷な人間』という意味も込められているように感じます。梅爺の自己表現が下手なこともあろうかと思いますが、こういう意味で『理屈屋』と呼ばれることは、梅爺にとっては、はなはだ不本意なことです。梅爺は、『世の中には理で判断できないものがある。むしろ大半がそれに属する』ことは百も承知しています。例えば、『愛する』『嫌う』『信ずる』『疑う』『感動する』などの行為の多くは、自分が何故そのように振舞うのかさえ、自分でも理解できないものであることを承知しています。『今、自分が感動している』という状態は認知できますが、感動しようと思って、意図的に感動した結果ではありませんので、自分の内部から、不意打ちをくらったも同然です。

『心』は人間の脳の活動が、総合的につくりだしている現象であると、梅爺は考えています。そして、何回もブログに書いてきたように、脳の活動は、『随意』『不随意』に区分できると考えています。更に、もう一つ違う区分のしかたとして、『理』と『情』があるとも考えています。こういう『定義』や『区分』を試みる習性自体は、確かに『理』のなせる業です。

『随意』『不随意』や、『理』『情』が、完全に独立した機能であれば、ことは簡単ですが、脳の中では『相互に影響しあっているらしい』ことが、人間の精神活動や心を、ややこしいものにしているように感じています。これについても以前書いたことがあります。

数学の問題やパズルを解くなどという行為は、『随意』『理』の領域だけで行われますが、『美しい音楽を聴いて感動する』『神の愛や仏の慈悲を感じて感謝し、心がやすらぐ』等と言う行為は、『随意』『不随意』、『理』『情』が複雑に絡み合った脳の活動ですので、『理』だけでは説明がつきません。

『何となく嫌い』と感ずるのは、『不随意』『情』の領域が先ず働いたことになりますが、その後、『何故嫌いなのか』という理由を探して、自分を納得させようとします。この後段の行為においては、少なくとも『理』が働いています。

梅爺は、確かに『随意』『理』だけで処理できる『科学』のような世界を好む習性が強いように思いますが、人間の精神活動や心は、それだけではないことも理解しているつもりです。精神活動や心は、人間が生きていく上で極めて重要なものであることも承知しています。

人間は、程度の差はあれ、誰も『理屈屋』です。自分では気付かないまでも、少なくとも『自分を納得させる(肯定する)理屈』を見つけ出そうとして、懸命に思考します。自分は『理屈屋』ではないと思っている人も、自分を肯定する『理屈』を無意識に考えているはずです。『あの時は、ああするしかなかった』などという言い訳は典型的な例です。人間は、ストレスを解消するために、それを求めるようにできているからです。

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2012年5月 8日 (火)

ジーン・シャープの非暴力闘争論(3)

シャープ博士の著作の中で有名なのは、90年代の初めに、ミャンマーの民主化活動家(亡命者)の依頼で執筆した『独裁政権から民主主義へ』という小冊子であることが分かりました。シャープ博士は、ミャンマーに関する詳細な知識を持ち合わせていなかったために、40年に渡って続けてきた『権力構造』に関する研究をベースに『一般論』として論旨を展開しました。

ところが、この『独裁政権から民主主義へ』は、各国語に翻訳され、ミャンマーばかりか、世界中の『民主化運動指導者(リーダー)』のバイブルとなっていきました。内容は、必ずしも読みやすいものではないにもかかわらず、このように扱われることに、シャープ博士自身が一番驚いたと述べておられます。高い知性が創り出す『論理』は、同じく知性を尊ぶ人たちを啓発するということなのでしょう。『情』が人の心を動かすのと同様に、『理』も人の心を動かすことがわかります。インターネットを通じて、この『バイブル』は、密かに世界中に浸透していきました。

勿論世界中の『独裁者』達も、自分たちの基盤を揺るがしかねない『民主化運動』の背後に、シャープ博士の『指南的論理』が存在することを知り、お抱えメディアを介して、『ジーン・シャープは、アメリカCIAのまわし者』『アメリカの国家謀略の黒幕』などと必死に宣伝しています。しかし、梅爺が番組で観る限り、シャープ博士の私設研究所は『ただの書斎』に見える質素なもので、博士を尊敬する少数の研究員でボランティア的に維持されているだけです。とても『黒幕』には見えませんでした。『独裁者』達にとって、軍事力や経済力で『民主化』を迫ってくるアメリカそのものより、小さな書斎で思索するだけのシャープ博士が厄介な相手であるというのは、なんとも痛快な話です。蟻が象を倒すというような話であるからです。ただ、暗愚な『独裁者』が、シャープ博士の暗殺を試みるというような馬鹿げたことが起きるかもしれないと不安にもなりました。

シャープ博士は、『独裁者』の権力基盤が何によって維持されているかを冷静に分析することから開始するように薦めています。『秘密警察組織』『軍』『私財を蓄える経済的なしくみ』『洗脳教育、宣伝』などが一般に思い浮かびますが、それらを切り崩し、無力化していく『暴力に依らない具体的手段』を考え出し、民衆が戦略的に行動するように訴えています。中国の『天安門事件』のときには、他にも思いつきのようなデモが多発したにも関わらず鎮圧されてしまったのは、統一的な戦略を欠いていたためと博士は指摘しています。

権力構造の弱点を見抜いて、そこをじわじわ責めて、構造を崩壊させるという理に適った話で、更に『独裁者』個人を倒すのではなく、誰も『独裁者』になれないように、権力基盤を崩壊させるという考え方も理に適っていますが、現実は、困難を極めることも容易に想像できます。しかし、『武力蜂起』して多くの血を流すよりは『賢い』手段であることは確かです。

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2012年5月 7日 (月)

ジーン・シャープの非暴力闘争論(2)

シャープ博士の数多くの『論文』は、各国語に翻訳され、インターネットで配信され、世界中の『レジスタンス運動』の指導者のバイブルにもなっています。特に『198種の具体的な非暴力抵抗手段』をリストアップしたものは有名で、各地で実践されています。たとえば、デモ隊の先頭には、花束をもった笑顔の若い女性たちを配置し、警官隊や軍隊がデモ隊に向かって発砲し難い状況を作り出すなどというようなものです。子供だましの手段にも見えますが、花を渡され『あなたもデモに参加しませんか』と若い女性から笑顔で勧誘された警官や兵士が、職務を放棄して民衆側に寝返るケースが現実に起きているらしいことが分かりました。警官や兵士には、同じ国民に、それも笑顔の人たちに向かって発砲することには本心抵抗があり、『良心』に従うことがあるのでしょう。

シャープ博士の思考は、西欧人らしく、『権力構造』に関する本質の『洞察』から開始されています。抽象化された共通の本質を見抜くという思考方法は、日本人が苦手にしていることで、仲間にこのような『理屈屋』がいると、日本では『そんな理屈ばかりこねていないで、具体的な行動をしろ』と疎(うと)まれることになりかねません。梅爺も、幸か不幸かこの『理屈屋』の習性が強く、海外出張で西欧人と論争することはそれほど苦になりませんでしたが、日本に戻ると会社の中では、居心地が悪いと感ずることが度々ありました。

シャープ博士は、『民主主義政権』であれ『独裁政権』であれ、いかなる『政治体制』も、為政者の指示に、民衆が『従う』ことで体制は維持されていると考え、これを起点に論理を構築していきます。したがって為政者(権力者)を無力にするには、民衆が為政者に『従わない』方法を講ずればよいという単純な話になります。為政者が為政者であるのは、その人物の資質によるものではなく、『民衆の従う行為』がそうさせているという洞察です。北朝鮮の現状を思い浮かべれば、『なるほどその通り』と肯けます。

『民主主義政権』では、民衆からそっぽを向かれたら為政者は失脚するという単純な話ですが、『独裁政権』では、独裁者も死に物狂いで『従わない民衆を弾圧する』しくみを考え、これを実行しますので、話は簡単ではありません。『秘密警察』『密告の奨励』『軍隊を掌握』『報道メディアの統制』などが、『独裁政権』が採用する代表的な手法で、従わない人物は投獄、強制労働所送りになり、時には処刑されます。このような『恐怖政治』では、命を落とさないように民衆は『我慢をする』ことになり、これは結局『従う』ことになって、権力者の地位が保たれています。

このよう一見手詰まりにみえる状況でも、『知恵』を結集し、『非暴力手段』で、『権力者』を『権力者』たらしめている基盤を一つ一つ切り崩していこうというのがシャープ博士の基本発想です。

シャープ博士自身が、抵抗運動の最前線で旗振りをしているわけではなく。研究所で『論理思索』をして『理論』を展開しているだけですが、それを実践する人達が大きな成果を挙げていることに、博士は『自分でも信じられない』と率直に述べておられます。学者にとっては『嬉しい驚き』なのでしょう。

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2012年5月 6日 (日)

ジーン・シャープの非暴力闘争論(1)

NHKBS第一チャンネルで放映されたドキュメンタリー番組で、アメリカの社会政治学者ジ-ン・シャープ博士の『非暴力闘争論』が紹介されました。最近中東や北アフリカの諸国で連鎖的に起きている『民主化革命』は勿論のこと、アジアの軍事政権、独裁政権に抵抗する民衆運動、ベルリンの壁崩壊直前のソ連、東欧の共産主義政権に抵抗する民衆運動においても、博士の論文が大きな影響を与えていることを紹介する内容でした。

浅学にして、シャープ博士の存在やその主張内容を知らなかった梅爺は、大変感銘を受けました。インドのガンジーや、アメリカのキング牧師などのリーダーが、『非暴力運動』で権力に立ち向かったことは承知していましたが、『非暴力運動』が成功する例は残念ながら稀で、結局権力を崩壊に至らしめるには、『暴力による血の犠牲(民衆の蜂起、他国の軍事介入など)』は避けられないものと、なんとなく感じていました。人類の歴史は、暴力による権力闘争の歴史とも言えるからです。

『暴力に依らない問題解決』は『望ましい』と多くの人が思いながら、何故今まで『非暴力運動』を論理体系として考えようとする人がいなかったのかが不思議なくらいです。梅爺と同じように、『所詮それは無理だ』と先入観念で可能性を排除してしまっていたのかもしれません。そういう意味では『眼から鱗が落ちる』感じを受けました。

シャープ博士は、1928年にアメリカ、オハイオ州のプロテスタント系宗派の巡回牧師の子として生まれました。オハイオ州立大学で社会学を学びましたが、朝鮮戦争への徴兵を拒否し、9ケ月間投獄された経験の持ち主です。その後、オックスフォード大学から哲学博士の称号を取得し、マサチュセッツ州のダートマス大学やハーバード大学で教鞭をとり、1983年に、『アルバート・アインシュタイン研究所』を創設して、独裁政権の権力構造などの研究を続けておられます。

テレビで拝見した博士は、高齢(84歳)のため、歩行もおぼつかない様子でしたが、今でも研究所で、若い研究員とともに、研究活動を継続されておられ、インタビューへの対応口調はしっかりしたものでした。

日本は、敗戦後、アメリカからの押しつけであったにせよ『民主主義』『言論、思想、宗教の自由』を国の基本方針として掲げ、悪戦苦闘しながら育んできました。そして、理想には遠いとしても、ようやく『我が物』として定着しつつあります。頼りない政治リーダーしかいないと、私たちは嘆きますが、『品性下劣でいかがわしい独裁者』よりはましで、そのような『下劣な独裁者』の出現を許さない社会基盤もある程度は出来上がっています。テレビの映像を観ただけで国民は『いかがわしさ』を鋭く見抜くからです。

しかし、世界には、『一党独裁の思想統制政権』『独裁政権』『軍事政権』などが現在でも数多く存在し、民衆は『日本人が享受しているような自由』とは程遠い生活を強いられています。

シャープ博士は、一貫してこれらの『独裁政権』に民衆が『非暴力』で立ち向かう具体的な手法を提示し続けてきました。

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2012年5月 5日 (土)

岡山城

Dscn9216_2 『岡山城』

『岡山城』は、流麗な白壁造りの『姫路城』が、『白鷺(はくろ:しらさぎ)城』と呼ばれるのに対して、黒塗りの外観のために『烏(う)城』と呼ばれています。日本の『100名城』の一つに選ばれています。

江戸時代に建築された四重六階の天守閣は、1945年の空襲で焼失してしまい、現在の天守閣は1964年にコンクリート造りで復元されたものです。エレベーターで一気に最上階まであがり、下りは階段を使いながら、各階の展示物を見学する構造になっています。戦国武将がこれをみたら、目を丸くすることでしょう。

『岡山城』の初代藩主は、戦国時代の『宇喜多秀家』です。秀家は『関ヶ原の戦い』で西軍の主力武将でしたから、戦いに敗れ八丈島に流罪となり、『宇喜多家』は改易となります。代って『小早川秀秋』が藩主となりますが、急死して嗣子が無かったために『小早川家』も断絶となります。

次に姫路藩主『池田輝政』の次男『池田忠継(当時5歳)』が、藩主となり、以降明治維新まで、『岡山城』は、『池田家』の居城となります。

『岡山城』は小高い丘の上にあるとは言え、地形を利用した天然の要塞ではなく、基本的には平山城です。このため、防御を固めるため、付近を流れている旭川の流路を人工的に変えるなどして濠(ほり)をめぐらすといった苦労があったようです。

岡山は今でも『マスカット』や『桃』が名産であることからも分かるように温暖な気候で、瀬戸内海にも面していますから、山の幸、海の幸の豊富な豊かな地方です。戦乱が無かった江戸時代の『備前の国』は、日本の中では住みやすい場所の一つであったに違いありません。

今回の旅行は、岡山の同じホテルに3連泊し、大雑把な計画だけで、気の赴くままに時間をゆっくり使って観光をしました。時間に急きたてられることはありませんので、老人の旅行スタイルには適しているように思います。それでも、思いがけない発見、人との出会いや会話を十分楽しむことができました。勿論、この土地ならではの美味も堪能できました。

孫との初対面も含め、梅爺には楽しい旅になりました。

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2012年5月 4日 (金)

後楽園(岡山)

Dscn9206_2 『後楽園』

日本の三大名園の一つとされる岡山の『後楽園』を梅爺は初めて訪れました。水戸の『偕楽園』、金沢の『兼六園』は既に訪れていますので、これで三大名園をようやく『制覇』したことになります。

いずれも岡山藩(池田家)、水戸藩(徳川家)、加賀藩(前田家)の藩主の命で造園されたものですが、『偕楽園』は食糧にする梅の実を収穫する実用的な目的を兼ねていて、庶民にも開放されていましたので、他とは少し趣が異なるような気がします。

『後楽園』『兼六園』が庶民にも公開されるようになったのは、明治維新以降のことですので、『日本三大名園』の呼び名が確立したのも明治以降のことなのでしょう。誰が選定したのかは、はっきりしていないようです。高松の『栗林公園』などは、『わしを差し置いて怪しからん』とご立腹なのかもしれません。

漢籍の『先憂後楽(先に苦労して、後で楽しむ)』という言葉から『後楽園』と命名されたということで、最初からこの名前であったのかと思いましたら、この呼び名は明治以降のことで、もとは『御後園』と呼ばれていたと知りました。因みに東京小石川の『後楽園』は、水戸藩江戸屋敷の庭園で、岡山の『後楽園』とは関係がありません。

今でこそ、岡山『後楽園』は観光名所になっていますが、明治維新以降、岡山の県議会が、買収するかどうかを議論した時に『それだけの価値が無い』という意見が多かったということですから、当時の評価は低かったものと想像できます。誰か知恵者がいて、『日本三大名園』の一つにまんまともぐりこませることに成功し、今日があるのではないでしょうか。

今回は、ボランティアのガイドさんの説明を聴きながら、約1時間かけて、庭をめぐりました。西洋人の団体客ともすれちがいましたが、彼らの目には『日本庭園』はどう映っているのでしょう。『日本庭園』は、日本人の美意識、自然観の集大成のようなものですから、梅爺には何の抵抗もなく受け入れられますが、彼らにはエキゾチックで斬新な『美』であるのでしょう。

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2012年5月 3日 (木)

岡崎嘉平太記念館(2)

Dscn9193 『岡崎嘉平太記念館』の玄関に置かれてある像

『岡崎嘉平太』氏が、信条として好んで使われていた言葉が『信はたて糸、愛はよこ糸、織り成せ人の世を美しく』です。梅爺が大変興味深く感ずるのは、『信』『愛』『美』が、いずれも人間の脳が創り出した『情』に関する抽象概念であることです。

何度もブログに書いてきたように、人間の脳の精神活動は『情/理』『意識/無意識』の複雑な絡み合いで構成されていると梅爺は推測しています。生物として『安泰の希求』が本能の根源にあり、群をなして生き残るために『絆(これも安泰の要素)』を求める本能も同時に私たちは継承しています。『安泰を確認するもの』『安泰を脅かすもの』を脳は感じて行動を起こしますが、特に『安泰を脅かすもの』は『不安』や『恐怖』というストレスとして脳は感じます。

『岡崎嘉平太』氏の『信』『愛』『美』は、いずれも『安泰を確認するもの』に属する抽象概念です。つまり岡崎氏は『安泰を脅かすもの』である対極の『疑』『憎』『醜』を排除した人間関係を望んでおられたことが分かります。

しかし残念ながらこの世は、『疑』『憎』『醜』で満ち溢れています。自分の『安泰』だけを最優先すれば、自分の心の中にも『疑』『憎』『醜』が容赦なく入り込んできます。企業の経営(利益優先)や、国交(国益優先)に関与された『岡崎嘉平太』氏は、そのことを誰よりも知っておられたに違いありません。

生きていくことは、『信』『愛』『美』と『疑』『憎』『醜』の葛藤であることを誰よりもご存知であった故に、この信条を大切にされたのでしょう。高僧や哲学者の言葉ではなく、自らを葛藤の中に身を置いた『岡崎嘉平太』氏の言葉であることが重要な意味をもちます。

『疑』『憎』『醜』を排除できるとすれば、それは『理性』しかありません。そして『理性』は、不断の『学ぶ姿勢』無しには得られません。

『信はたて糸、愛はよこ糸、織り成せ人の世を美しく』という言葉は、『疑』『憎』『醜』に時に屈して生きてきた梅爺には、一入(ひとしお)心に響きます。せめて残りの人生はそうありたいと願います。

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2012年5月 2日 (水)

岡崎嘉平太記念館(1)

Dscn9192 岡崎嘉平太記念館

『岡崎嘉平太記念館』は、岡山市から内陸へ入った吉備中央町にあります。岡山自動車道(高速道路)の賀陽(かよう)インターチェンジで降りて、目的地へ向かおうと考えていましたが、レンタカーのお店の人に、『一般道で十分』と教えられ、そうすることにしました。確かに一般道と言っても整備された道路が続き、東京近辺のような交通量はありませんので、快適なドライブでした。日本の社会インフラのレベルの高さを再確認しました。

吉備中央町は、日本の原風景のような、美しくのんびりした田舎町なのですが、突然モダンなデザインの建物(きびプラザ)と広場(さんさん広場)が目の前に現れ、ホテルや飲食店、売店などがあるこの建物の1階に、『岡崎嘉平太記念館』がありました。多分、施設全体はバブル期に『町起こし』として造られたのではないでしょうか。

念願の『岡崎嘉平太記念館』訪問が実現し、記念館の方々にも丁重なご対応をいただき、梅爺はワクワクしながら見学しました。予備知識がありましたので、『驚き』というより、なんとなく『懐かしさ』を感じました。『岡崎嘉平太』氏の生涯は、『学業時代(岡山中学、第一高等学校、東京帝大)』『日銀時代(ドイツ駐在を含む)』『上海時代(華興商業銀行設立、陸軍省嘱託、大使館参事官など)』、敗戦で公職追放になり、それが解除された後の『実業家時代(池貝鉄工、丸善石油、全日空などの社長歴任)』、そして人生の集大成ともなる『日中国交正常化へ向けての道ならしの時代』に区分することができます。

『周恩来』には、65歳の時に出会い、10年間の親交があって、75歳の時に『日中国交正常化』が実現しました。『周恩来』の信頼を勝ち得た『岡崎嘉平太』氏の人柄は、それ以前の人生の集積が産みだしたものであろうと推察できます。

岡山県の農村出身の少年が、秀才コースを経て、日銀マンになったことをみれば、恵まれた才能の方であることは明白です。しかし、世の中には『学業時代は秀才』である方は、それほど珍しくなく、沢山おられます。『岡崎嘉平太』氏の偉業は、誰もが実現は難しいと考えていた『日中国交回復』に粘り強く取り組み、ついに実現させたことです。中国に対する思い入れ、日本人としての罪の意識などが複雑に根底にあったのでしょう。この努力が無ければ、私たちが『当たり前』のものとして受け容れている現在の日中関係はありませんから、文字通り日本の歴史を変える偉業であったことになります。『学業秀才』だけが、このような偉業の原動力であったとは思えません。

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2012年5月 1日 (火)

最上稲荷(さいじょういなり)(岡山)

レンタカーのお店の人に、『吉備津神社に行かれるなら、ついでに日本三大稲荷の最上(さいじょう)稲荷もご覧になったらいかがですか』と薦められ、何の予備知識もなく『最上稲荷』を訪れました。『日本三大○○』と言われると、野次馬の梅爺はすぐ観ないと損なような気になる悪い癖があります。ちなみに、『三大稲荷』とは、『伏見』『豊川』それに『最上』と知りました。

Dscn3351 『妙教寺』

ナビで『最上稲荷』を指定して、着いてみると、日蓮宗の『妙教寺』という立派なお寺で、『アレッ、間違ったかな』と思いましたが、見回してみるとお寺の隣に立派な神社があり、お寺と神社は一体であるらしいことが分かりました。

Dscn9189 『最上稲荷神社』

熊野古道を訪ねた時もそうでしたが、『神仏習合』という考え方に疎(うと)い梅爺は、こういう状況をすぐに理解できずに戸惑ってしまいます。

ある宗教が布教の過程で、その土地の土着の宗教やしきたりと混じり合って変容していくという一般的な現象があることは、アジア各地の仏教、アフリカのキリスト教、アメリカ黒人のキリスト教などの例で理解できますが、日本において『なにが、どのように起きたのか』を梅爺は不勉強で良く理解していません。修行の形式で『修験道(しゅげんどう)』のようなものが出現したことは分かりますが、れっきとした神社の神様が『実は、仏が姿を変えて出現したもの(権現など)である』ということになっていたり、お寺と神社がごく自然に同居しているのを見たりすると、戸惑うことになります。

布教を容易にするためとはいえ、仏教の方から神道など土着の宗教へ歩み寄ったのか、土着の宗教の方が都合よく仏教を利用しようとしたのか、いずれにしても不思議な話です。なぜなら、宗教同士は一般的には『排他的』で、『節を曲げる』ことを最も嫌うはずであるからです。

多分仏教の宗派によっては、または神社の系列によっては、『妥協』を許さないものがあるのでしょうが、それも詳しくは理解できていません。ただ『御利益』の多さを願う庶民にとっては、『神と仏が一緒になれば、御利益は大きい』と受け止めるのは当然のことです。

『最上稲荷妙教寺』は、第二次世界大戦の後に、『最上稲荷教』の総本山として独立し、2009年にふたたび日蓮宗へ復帰したと言うことですので、神社の併設も含め複雑な事情があるらしいと知りました。何でも受け入れる日本人の寛容さの象徴のような場所なのかもしれません。

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