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2012年3月 7日 (水)

ドキュメンタリー番組『なぜ人間になれたのか』(3)

『人間』が他の動物と大きく異なる点と云えば、進化した『脳』が作り出す高度な『精神世界』を保有することでしょう。『精神世界』をどのように定義するかにもよりますが、『精神世界』を保有するのは『人間』だけとは考え難いように思います。『生物進化』の過程で、突然人間だけが降ってわいたように『精神世界』を獲得したという想定は無理があるからです。『他の動物は、人間と同程度の精神世界は保有していない』という表現が妥当なのではないでしょうか。

梅爺は以前『人の心、動物の心』というテーマのブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-b189.html

『人間』の『精神世界』は、『理と情』『意識と無意識』の要素が複雑に絡み合った世界(論理的には4象限に分類できる)である、というのが梅爺の推測です。そして『本能』は多く『情/無意識』に根ざしていると推定しています。こう考えると、摩訶不思議に見える『人間』の『脳』の活動の本質が垣間見えるように思うからです。『人は何故神や仏を必要とし、願いや祈りをささげるのか』『人は何故睡眠中に夢をみるのか』『愛する人を失うと何故嘆き悲しむのか』というような疑問に、詳細ではないにしても、大雑把な説明が可能になります。

私たちは、『自分のことは、自分が一番よく分かっている』と勘違いしてしているのではないでしょうか。『分かっている』といえるのは『理/意識』の象限だけの話で、その他の象限の『脳』の活動は、自分でも『分からない』はずですから、本当は『自分のことの多くは分からない』という認識が必要になります。冷たい云い方になりますが『分からない』ことを思い悩んでみても始まりませんから、『分からない』と認める方が現実的です。

『心のときめき』『悲しさ』『寂しさ』などの情感は、突然襲ってきます。荘厳な景色を観て『感動した』ことは分かりますが、何故その景色が『感動』を呼び起こしたのかは分かりません。

生物が、環境からうける『情報』を判断する能力を最初に獲得したであろうことは容易に推測できます。『生き残りのために都合がよい、都合が悪い』を判断できる資質をもった子孫が生き延びたと考えられるからです。勿論この『判断』には、人間の場合は特に『理と情』『意識と無意識』の組み合わせが複雑に絡みます。

実は『人間』にとっても、『脳』の基本機能は、『生き残りのために都合がよい、都合が悪い』を判断することであると推定すると、『人間』の摩訶不思議さの多くを説明できるような気がします。

その後高度な『精神世界』を獲得した『人間』は、『善良』『邪悪』などの抽象概念を考え出し、これで自分の行動を律するようになって、今度は、自分の中に『善良な心』と『邪悪な心』が共存することの矛盾に悩み始めます。

本来は、『都合の良し悪し』が最優先に判断対象になると考えれば、『善良か邪悪か』は結果的に生ずる区分ですから、誰の中にも『善良な心』『邪悪な心』が『存在する』のは当然のことになります。

自分の中に『邪悪な心』があることを『罪』として恥じることも、無意味ではありませんが、それよりも、『邪悪な心』の存在を素直に認めて、『自分はそれには従わないぞ』と『理性』で自分を律しようとすることが『人間らしさ』なのではないでしょうか。

この番組では、『人間』らしさの原点は、『分かち合う心(思いやりの心)』であると紹介していましたが、本来は、『分かち合わないと生き残れない』過酷な環境に遭遇して獲得した資質であったと考えられます。

『愛』『思いやり』『正義』などという一見崇高に観える人間世界の重要な抽象概念も、原点は『生き残りに有利な要素』から出発していると梅爺は考えています。そう考えれば、何故『愛』『思いやり』『正義』が、人間社会に必要であるかが逆に理解できるからです。

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