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2012年3月 1日 (木)

またまた『日本人のルーツ』(6)

そしていよいよ、現在の日本人のベースになっている『弥生人』が日本へ渡ってきます。今から約3000年前のことと推定されています。現在の日本人の『ミトコンドリアDNA』を調査すると、35%の『弥生人』、10%の『縄文人』の資質を継承していることが分かっています。勿論これは平均値で、沖縄、東北、北海道では『縄文人』の比率が高く、それ以外の日本では『弥生人』の比率が高くなります。

元は、色々な人種が雑居していた『縄文時代』ですが、やがてそれらが溶け合って均一に見える『縄文人』になり、沖縄から北海道まで全てに住んでいたところに、突然『弥生人』が、朝鮮半島経由で九州(または山陰)に上陸し、徐々に勢力を増していったという図式が見えてきます。

『縄文時代』は1万年以上続いていたわけですから、『弥生人』の到来は、日本にとっていかに大きな出来事であったかが分かります。後の『黒船来襲』以上の事件です。キリストの時代から現在まで約2千年しか経っていないわけですから、『縄文時代』の1万年以上という永さは、日本にとってはとてつもなく永い期間で、日本の歴史の大半は『縄文時代』であったことになります。

色々な考古学的な資料から、『縄文人』の一部は、船を用いて朝鮮半島と交流(交易)があったであろうと推測されています。つまり『縄文人』の一部は、海の向こうに『異国』があり、そこに『異人』がいることも知っていたことになり、当然『異人』側も、海を隔てた所に『縄文人』の居住区があることを知っていたことになります。

このように考えると、『弥生人』の到来は、全て『平和裏』に行われたとは、想像し難くなります。何らかの理由で、『弥生人』による侵攻が始まったのではないでしょうか。今でいえば『戦争』のようなものですから、武装した少数の『男達の集団』が、先ず先遣隊として上陸してきたと想像できます。しかし、これは、梅爺の勝手な推測で、実際は全くちがった展開であったということもあり得ます。

数の上では圧倒的に多い『縄文人』で構成されていた日本が、その後3千年の間に、『弥生人』優勢な社会に変わった背景は、『弥生人』が持ち込んだ『稲作農耕』技術であるというのが定説です。安定した食糧の供給により、『弥生人』の人口増加率が『縄文人』のそれを上回り、徐々に『縄文人』を圧倒し、ついに逆転したということです。

最初は、『縄文人』と『弥生人』の衝突があったにせよ、一度拠点を確保した『弥生人』は、そこからじわじわと勢力を拡大し、実質的に『支配者』になってからは、『交配』によって、『縄文人』の世界へ溶け込んでいったのではないでしょうか。現在の西日本地方では『弥生人』の資質を持った人が多く、東北地方では『縄文人』の資質を持った人が多いことから、そのような想定が浮かびます。そして最初の拠点は『九州』であったのではないでしょうか。『神武天皇の東征』などという『神話』は、この間の出来事が『伝承』されたものではないかと、梅爺の想像はどんどん膨らみます。

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