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2012年3月 8日 (木)

ドキュメンタリー番組『なぜ人間になれたのか』(4)

昨日も書いたように、人間には『自分に都合よく考え、行動しようとする』生物としての原始的とも言える本能があります。一方、『身勝手な考え、身勝手な行動』は、グループの『和』を乱すものとして、多くの場合顰蹙(ひんしゅく)の対象になります。『他人様(ひとさま)のご迷惑にならないように』と幼い時からしつけられます。

梅爺は、『身勝手』は原始的な本能で、『和』が大切という考え方は、人間が『理性』で後に獲得した『知恵』ではないかと永らく思っていました。しかし、この番組を観る限り、人間には『見ず知らずの他人とも分かち合おう』とする本能が備わっていることを知りました。心理学者が、以下のような実験でそれを確認しました。

この実験の被験者は、密室に招き入れられます。そして、『誰か見ず知らずの人の存在を思い描いて下さい。目の前に、コイン(またはお札)が10ケ(枚)あります。どうぞ、自分が思うままの数のコインを持ちかえってください。あなたにコインは差し上げます』と告げられます。興味深いことに、被験者の多くはコインを一人占めにして持ちかえりません。この実験は、世界中で行われ、数値には多少の違いがありますが、平均的には、コインの半分程度を『見ず知らずの他人』のために残すという結果が得られました。

社会風習、宗教の教え、教育のレベル、見栄など、この結果に影響を与えている要因はあるとは思いますが、もし、この番組の解説通りに『人間には、見ず知らずの人とも分かち合う心』が、『生き残り』に有利な基本的な資質(本能)として継承されているとしたら、『身勝手』と『分かち合い』という一見矛盾する資質(本能)を両方持ち合わせていることになります。ここで重要なことは、『分かち合い』は、道徳的な『善』である故に継承されてきたのではなく、『生き残る』という切羽詰まった状況がもたらしたということです。『分かち合い』をしなければ、現生人類は絶滅していたかもしれないということです。

繰り返しで恐縮ですが、人間は『理性』で、自分たちの考え方や行動を『善良』『邪悪』という抽象概念で区分するようになり、やがて『善良』『邪悪』の象徴として『神』『悪魔』と言う概念をも創りだしたのであろうと梅爺は推測しています。云いかえれば、宗教とは無関係に人間は『善良』『邪悪』を思いつく能力を持っていたと考えています。

吉川英治は『新平家物語』のなかで、『人間とは一日中に、何百遍(へん)も菩薩になり悪魔になり、たえまなく変化(へんげ)している』と書いていますが、一見摩訶不思議なこの資質は、上記の『生き残りをかけた生物進化の過程』を考えれば、説明がつきます。

『悪魔(身勝手を優先する資質)』は、私たちが不徳であるが故に、忍びこんでくるものではなく、『元々そういうふうにできている』と直視してしまうほうが現実的です。人間である以上『悪魔』を抱え込む宿命を帯びていて、自分の責任とはいえません。誰もがそうなのですから、『私は罪深い』と悩んでみても始まりません。ただこの『悪魔』が奔放に振舞わないように手綱を引くことは、大切なことで、個人の責任の対象にもなるということではないでしょうか。人間の『理性』がそれを可能にしています。

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