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2012年3月 2日 (金)

またまた『日本人のルーツ』(7)

10万年前にアフリカを出た『ホモ・サピエンス』は、紅海を渡ってアラビア半島に達し、そこから、一部は中東、北アフリカ、ヨーロッパへと向かい、一部はインド沿岸を経由して、4万年位前に『スンダランド(現在のマレーシア半島を含む)』に到達し、その一部は、海を渡って南下しオーストラリアに達し(アボリジニ)、一部は北へ向かって中国中央部、モンゴル、満州、シベリア、朝鮮半島、日本(縄文人の一部および後の弥生人)へ到達、さらに異なった一部は東の中国東南沿岸を経由して、沖縄、日本(縄文人の一部)にまで到達したという進出経緯が想定できます。

日本人の共通先祖は、最初に『スンダランド』へ到達した『ホモ・サピエンス』であると言えますが、その後の経路の違い、進化の違いで、日本へ到達した時期に差異が生じ、当然『異なった人種(ホモ・サピエンスの亜種)』変わっていたことになります。『縄文時代』は大変永い期間ですから、その間複数の経路から、複数回数、複数の亜種が到来したと考えるべきでしょう。最も古い時期は、2万年位まえで、『スンダランド』から東へ向かった人たちの子孫ではなかったかと思います。勿論、『スンダランド』から北へ向かった人たちの子孫の一部も、やがて『縄文時代』の日本へ到達していると考えられます。『アイヌ人』はその中に含まれるのでしょう。

『弥生人』の先祖は、頭蓋の特徴などから、中央アジア、北アジアにいた人たちではないかと推定されています。シベリア、バイカル湖付近と特定する学者もいます。『縄文人』と異なり、永い期間アジア大陸で進化を遂げ、3千年前に日本へ到来した時には、『稲作農耕』『鉄器』など高い文化水準を保有していたことになります。文化水準の高い『弥生人』が、文化水準の低い『縄文人』と遭遇した時に、何が起きたのかは、推定するしかありませんが、興味深いことです。少なくとも数の上では圧倒的に多かった『縄文人』は、完全に絶滅へ追いやられることはなかったのは確かです。現代の日本人の『ミトコンドリアDNA』の35%が『弥生人』、10%が『縄文人』から継承されているという『事実』を、私たちがどう読み解くのかがカギとなります。

日本へ住み着いた『人』の歴史の永さを、短く見積もって約2万年と想定しても、3千年前の『弥生人』の到来は、『新しい出来事』であり、1700年前の『卑弥呼』は更に『最近の出来事』のように感じられます。『卑弥呼』はキリストより、200年も後の人物なのです。学校教育の『日本史』の時間では、このような相対的な時間感覚を教えませんから、多くの日本人は『弥生人』『卑弥呼』は、とんでもない大昔の人間と勘違いしているのではないでしょうか。

『古墳時代』を経て大和朝廷が日本の支配者になりますが、これらは『弥生人』の子孫、または、その後朝鮮半島から渡来した人々が中心であったものと思います。『縄文人』色の強い人たちは、徐々に東北地方や沖縄へ追いやられれていったのではないでしょうか。現在の日本人も、東北の人たちは『端正でおっとりした容貌(アイヌ人などとの混血のため?)』であり、沖縄の人たちは『目鼻立ちがはっきりした容貌(最初に到来した縄文人で東南アジア系の容貌に近い?)』と特徴を残しているのは、その名残ではないでしょうか。

『坩堝(るつぼ)』のなかで、複数の素材が溶け合って出来上がったのが『日本人』であることは確かですが、素材の配合比で、微妙に特徴の異なった金属ができるように、同じ『モンゴロイド』といっても、中国人、朝鮮人、日本人は、現在では異なった人種(亜種)になっていると云えます。日本人は、人類学的には、純粋な人種(亜種)とは言えませんが、文化的には独立した人種(亜種)になっていると云っても差し支えないのかもしれません。少なくとも、このような背景を私たちは理解していれば、トンチンカンな『日本人優位論』などは生まれないはずです。

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