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2012年3月 3日 (土)

またまた『日本人のルーツ』(8)

東北地方出身の作家『井上ひさし』氏は、日本語の原型は『縄文人』の言葉であり、東北弁がその名残を残すと、主張しています。身びいきの仮説とも言えますが、『日本人』同様に『日本語(特に縄文人の言葉)』もどのような経緯で出来上がってきたのかは、はっきり分かっていませんので、諸説が可能であり、井上氏の仮説もその一つと言えます。

文化水準の高い『弥生人』が渡来してきたにもかかわらず、言葉は『縄文人』のものがベースとして継承されたとすれば、『弥生人』の日本への溶け込み方を推測する上で、大きな要素の一つになります。圧倒的に文化のレベルが高い人たちが、一挙に多数渡来したとすれば、自分たちの言葉をベースに『置き換え』が起こったはずです。明治時代に、朝鮮や台湾を支配下にした日本は、現地の人たちに『日本語』を強いました。

このことから、最初に渡来した『弥生人』の数はそれほど多くなく、日本で自分たちの存在を認めさせるために、言葉のうえでは『縄文人』に合わせようとしたことが推察できます。勿論、ものの名前や概念で、新しい単語が持ち込まれたことはあったと思いますが、基本的な文法は『縄文人』の言葉が残ったということになります。

一方、井上氏とは逆に、『弥生人』の言葉が日本語のベースに変わったという仮説も考えられます。この場合は、かなり強圧的に『弥生人』は『縄文人』を支配する手段をとったということになります。

梅爺はどちらが正しいかを判断する能力を欠いていますが、直感的には『縄文人』の言葉が基本として残ったという仮説が正しいように感じます。

その後、中国大陸から『文字』として『漢字』が持ち込まれ、当時の『やまと言葉』に大きな影響を与えます。一部の人たちは『中国語』をそのまま習得しました(空海など)が、多くの人は『やまと言葉』を『漢字』を当て字として利用して表現しました(万葉集)。やがて当て字を簡略化した『カタカナ』『ひらがな』を考え出し、『ひらがな』を用いた女流文学(源氏物語)も出現しました。同時に、『やまと言葉』の意味を考え、相当する『漢字』をもちいる『訓読み』が導入され(『やま』には『山』、『かわ』には『川』など)、便利にはなりましたが、複雑にもなりました。『漢字』の『音読み』と『訓読み』を覚えなければならなくなったからです。

勿論、ものの名前、抽象概念などは中国語の漢字表記がそのまま使われるようになり、更に近世になると西欧の言葉を『カタカナ』で表記する習慣も根付きましたから、日本語は非常に複雑になりました。日本人は、無意識に『やまと言葉』『中国の概念の漢字表記』『西欧の概念のカタカナ表記』を使い分けていますが、外国人には理解が難しい世界にちがいありません。

現在の日本語は、明治政府が人為的に作り上げた『標準日本語』ですから、100年ちょっとの歴史しかありません。言葉は、文化の中で根強くのこるものと、環境に応じて柔軟に変貌するものとの両面があることを承知しておかないと、歴史は正しく理解できません。

『日本人』は、『坩堝(るつぼ)』のなかで溶け合ってできた人種(亜種)であり、『日本語』は、その『日本人』が、環境に応じて知恵を絞って作り上げてきた『文化遺産』であることが分かります。

これらを総合して私たちは『日本人』であり、日本の文化を継承していることを自覚して、誇りをもつことは重要なことですが、そうであるからといって、『日本人は特別優秀な人種である』という主張に転ずることは、差し控えるべきであると梅爺は考えています。

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