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2012年2月29日 (水)

またまた『日本人のルーツ』(5)

日本で発見された古い人骨片から、4万年位前に『人間』が住んでいたと考えられています。これが『ホモ・サピエンス』であるとするのは少し無理があるように梅爺は感じますが、立証能力を欠いています。頭蓋骨や身体の骨がそろって発見された最も古い人骨としては、沖縄で発見された『港川人』と呼ばれるもので、1.8万年前と推定されています。これは間違いなく『ホモ・サピエンス』であると言えそうです。しかし、残念ながら、その時代の後の『縄文時代』に、日本全土の主要住民となった『縄文人』との関係は、科学的にも特定できていません。『港川人』の骨の形状の特徴は、現在の東南アジアや、オーストラリアの『アボリジニ』に似ていることから、『スンダランド(現在のマレー半島を含む地域)』に到達した『ホモ・サピエンス』が、一部はオーストラリアへ渡り『アボリジニ』になり、一部は更に中国大陸の東南岸経由で、かなり早い時期に日本へも到達していたのではないかと推測ができます。

『縄文時代』は1.3万年の長い期間(1.6万年前から3千年前まで)ですから、この間に、日本へ到達した人種は複数で、到来回数や到来ルートも複数であったと考えるのが常識的であろうと思います。『縄文時代』の初期には、日本とアジア大陸は陸続きであったと考えられ、陸路での到達も多かったと推察できます。その後、日本全土の主要住民となり、混血も進んで、『縄文時代』の後期には、『均一化された人種』のように見えるまでに変貌を遂げたのではないかと想像します。はじめから『均一の縄文人』がいたと勘違いすると、この時代は理解できないような気がします。

『縄文時代に日本へたどり着いた人たち』は、いずれも元はと言えば、『スンダランド』から、北(中国大陸内部、モンゴル、シベリア)へ、中国大陸の中心部へ、東(中国大陸東南沿岸)へと散っていった『ホモ・サピエンス』の子孫ですから、相互に似ているところがあってもおかしくはありません。現に、『縄文人』の人骨の特徴は、オーストラリアで発見された古代人の人骨と極めて似ているという研究報告もあります。

『縄文時代』の、日本への渡来ルートは、東南アジア、中国沿岸部、台湾経由で沖縄、九州へのルート、朝鮮半島経由で、九州、山陰へのルート、シベリア、樺太経由で北海道へのルートの少なくとも3つのルートがあったのではないかと思います。同じ『ホモ・サピエンス』の先祖を持つとは云え、日本へ到達するまでに、混血やら環境適応の進化やらを経ていますから、微妙に異なった人種(亜種)としての変化をそれぞれが遂げていたことでしょう。現在の分類で大雑把に云ってしまえば『モンゴロイド』として日本へ到来したことになります。そして、日本の中でそれらが溶け合って『縄文人』という一見均一に見える人種が誕生したことになります。『縄文人』は後の『弥生人』に比べて背は低いながら、ガッチリした体格であったことが分かっています。

梅爺の頭をいつも悩ませるのが『アイヌ人』の存在です。『アイヌ人』と『琉球人』の血液特性が似ているということで、元は同じという説を唱える人もいますが、なんとなく腑に落ちません。最後まで『日本人』の中へ同化してしまわずに、『アイヌ人』として独自の文化を護り続けることができた背景が推定できないからです。『アイヌ人』が、もし一時日本全土を支配するほどの勢力であったら、それを排除した人達によって、徹底せん滅されたのではないでしょうか。少なくとも『日本人』へ同化してしまったはずです。同化しなかったということは、いつの時代かに『こっそり』日本(多分北海道と東北地方)へ移り住み、できるだけ『縄文人』『弥生人』『日本人』とことを構えずに、ひっそり生き続けてきたからではないでしょうか。これはあくまでも梅爺の想像です。

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