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2012年2月29日 (水)

またまた『日本人のルーツ』(5)

日本で発見された古い人骨片から、4万年位前に『人間』が住んでいたと考えられています。これが『ホモ・サピエンス』であるとするのは少し無理があるように梅爺は感じますが、立証能力を欠いています。頭蓋骨や身体の骨がそろって発見された最も古い人骨としては、沖縄で発見された『港川人』と呼ばれるもので、1.8万年前と推定されています。これは間違いなく『ホモ・サピエンス』であると言えそうです。しかし、残念ながら、その時代の後の『縄文時代』に、日本全土の主要住民となった『縄文人』との関係は、科学的にも特定できていません。『港川人』の骨の形状の特徴は、現在の東南アジアや、オーストラリアの『アボリジニ』に似ていることから、『スンダランド(現在のマレー半島を含む地域)』に到達した『ホモ・サピエンス』が、一部はオーストラリアへ渡り『アボリジニ』になり、一部は更に中国大陸の東南岸経由で、かなり早い時期に日本へも到達していたのではないかと推測ができます。

『縄文時代』は1.3万年の長い期間(1.6万年前から3千年前まで)ですから、この間に、日本へ到達した人種は複数で、到来回数や到来ルートも複数であったと考えるのが常識的であろうと思います。『縄文時代』の初期には、日本とアジア大陸は陸続きであったと考えられ、陸路での到達も多かったと推察できます。その後、日本全土の主要住民となり、混血も進んで、『縄文時代』の後期には、『均一化された人種』のように見えるまでに変貌を遂げたのではないかと想像します。はじめから『均一の縄文人』がいたと勘違いすると、この時代は理解できないような気がします。

『縄文時代に日本へたどり着いた人たち』は、いずれも元はと言えば、『スンダランド』から、北(中国大陸内部、モンゴル、シベリア)へ、中国大陸の中心部へ、東(中国大陸東南沿岸)へと散っていった『ホモ・サピエンス』の子孫ですから、相互に似ているところがあってもおかしくはありません。現に、『縄文人』の人骨の特徴は、オーストラリアで発見された古代人の人骨と極めて似ているという研究報告もあります。

『縄文時代』の、日本への渡来ルートは、東南アジア、中国沿岸部、台湾経由で沖縄、九州へのルート、朝鮮半島経由で、九州、山陰へのルート、シベリア、樺太経由で北海道へのルートの少なくとも3つのルートがあったのではないかと思います。同じ『ホモ・サピエンス』の先祖を持つとは云え、日本へ到達するまでに、混血やら環境適応の進化やらを経ていますから、微妙に異なった人種(亜種)としての変化をそれぞれが遂げていたことでしょう。現在の分類で大雑把に云ってしまえば『モンゴロイド』として日本へ到来したことになります。そして、日本の中でそれらが溶け合って『縄文人』という一見均一に見える人種が誕生したことになります。『縄文人』は後の『弥生人』に比べて背は低いながら、ガッチリした体格であったことが分かっています。

梅爺の頭をいつも悩ませるのが『アイヌ人』の存在です。『アイヌ人』と『琉球人』の血液特性が似ているということで、元は同じという説を唱える人もいますが、なんとなく腑に落ちません。最後まで『日本人』の中へ同化してしまわずに、『アイヌ人』として独自の文化を護り続けることができた背景が推定できないからです。『アイヌ人』が、もし一時日本全土を支配するほどの勢力であったら、それを排除した人達によって、徹底せん滅されたのではないでしょうか。少なくとも『日本人』へ同化してしまったはずです。同化しなかったということは、いつの時代かに『こっそり』日本(多分北海道と東北地方)へ移り住み、できるだけ『縄文人』『弥生人』『日本人』とことを構えずに、ひっそり生き続けてきたからではないでしょうか。これはあくまでも梅爺の想像です。

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2012年2月28日 (火)

またまた『日本人のルーツ』(4)

『日本人』は、歴史的に観れば素性が分からない複数の人種が、『坩堝(るつぼ)』の中で、約2万年の時間をかけて溶け合わさった『混血人種』であるということになります。このように味気ない表現をされてしまうと『我こそは大和魂を持つ男子(おのこ)なり』『おしとやかで慎み深い大和なでしこなり』と、純粋な『日本人』の存在を信じて疑わない方にとっては、不愉快なことかもしれません。アメリカ人の40%は、今でも『人間は、猿から枝分かれして進化してきた』という『進化論』は受け入れず、『神が人間を創った』という聖書の教えが『正しい』と主張していますから、『こうあって欲しい』と願うことが『現実』と異なった時に、それを認めようとしない習性は、少なからず誰もが持ち合わせていることが分かります。これは人間の『脳』がそうできているからで、この話を始めるとキリがありませんから差し控えます。

しかし、『日本人』だけが『混血人種』であるわけではなく、現在『○○人』と呼ばれている世界中のどの人種も、歴史的に観れば全て『混血人種』であると言えます。『坩堝(るつぼ)』に投入した素材、その混合比、煮詰めた時間が、少し違うだけで、現在の『日本人』『韓国人』『中国人』が出来上がったということに過ぎません。『日本人』の方が『○○人』より優秀であるなどという優越感は、全く根拠がありません。『○○人』を際立たせている要因は、DNAなど身体的に受けついだ特徴より、その地域で受けついできた文化、風習、言語の影響の方が強いと思われます。『日本人』の子供も、アメリカ社会で育てば『アメリカ人』のような考え方になってしまう可能性が高いということに他なりません。

現在地球上で続いている『紛争』の多くは、『民族』と『民族』の争いです。誰もが歴史的には少なからず『混血人種』であるにもかかわらず、『自分は純粋な○○人』であると信じて、相手を嫌悪します。少し冷静に考えれば、『目くそ、鼻くそを笑う』という滑稽なことであることが分かるはずですが、現実には冷静になれる人間はほとんどいません。人間は生きていくために『群』をなし、自分がどの『群』に属しているかを確認することが、極めて重要であるということに由来するのでしょう。これも『脳』が本能的に求めることであるが故に厄介です。『家族』『仲間』『国家』など、内向きな『絆』の確認で済んでいれば美しい話で終わりますが、これが『外部と戦う』要因に転じた時には、大きな悲劇の種になりかねません。賢いはずの『人間』は、まだこの悲劇を回避する知恵を見出していません。

梅爺は、『お前には、縄文人、弥生人、アイヌ人、その他現在の科学では特定できない色々な人種の血が、混ざって受けつがれているのだぞ。云ってみれば、お前は合いの子だぞ』と言われても、特別に嫌な気持ちにはなりません。そのことと、一人の人間としての価値は、ほとんど無関係であると思うからです。

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2012年2月27日 (月)

またまた『日本人のルーツ』(3)

現在の『ネグロイド(黒色人種)』『モンゴロイド(黄色人種)』『コーカソイド(白色人種)』は、あまりにも容貌が異なっているために、従来は、現生人類は、別の人種で、異なった祖先からそれぞれの場所で個別に進化を遂げたと考える人類学者が多数いました。特にヨーロッパでは、『白人優位』の考え方からその主張が支持され、ヒトラーもドイツ人は優秀な民族であることを立証するために『アーリア人』などという、学問的には定義があいまいな民族を自分たちの『先祖』として吹聴し、その特定のために『調査』を命じたりもしています。『中国』では、いまでも自分たちの先祖は『北京原人』であると主張している学者がいます。頭蓋骨の骨格の類似を根拠にしていて、それなりの根拠があるようにも見えます。

しかし、『ミトコンドリアDNAの継承(母系継承)』『DNA』『血液型の詳細な分類』『Y染色体の継承(父系継承)』など、科学的な追跡の結果、現在では『ホモ・サピエンス』の共通祖先は『アフリカ』だけに存在していたという推定が、『定説』になっています。

この『定説』を受け容れると、『ホモ・サピエンス』は約10万年位の期間で、『ネグロイド』『モンゴロイド』『コーカソイド』という容貌が異なる『亜種』に枝分かれしたことになります。この原因は、全て『環境に適応するための進化』がもたらしたものという説明が、現在の『定説』です。太陽光が少ないヨーロッパでは、皮膚でビタミンDを合成するために、少しでも紫外線を多く吸収しようとして、紫外線をブロックするメラニン色素が減少し『皮膚が白くなった』とか、アジアでは寒さから眼をまもるために、脂肪が多い『一重まぶた』が増えて云ったとか、もっともらしい説明が行われますが、なんとなく全て『進化論』にこじつけているようにも聞こえて、梅爺は正直なところ釈然としません。

狼から1万5千年位前に分かれた『犬』が、現状では、容貌が全く異なる沢山の『亜種』に分かれていることを考えれば、10万年で『人類』が、容貌の異なる『亜種』に変貌することは、ありえるとも言えますが、『生物進化』のために、10万年は十分な期間とは考えにくいように感じます。『犬』が、短期に『亜種』に分かれたのは、新種を意図的に作り出そうとする人間の努力があったからです。

梅爺は、『ホモ・サピエンス』が進出した先で、既にそこに住んでいた『旧人』と交配が行われ、それが『容貌』が異なっていく大きな要因になったのではないかと勝手に推測しています。ただし学者ではありませんので、立証能力がありません。少数ながら一部の学者は、梅爺と同じ説を唱えていて、最近ドイツの研究でヨーロッパ人のDNAの数%に『ネアンデルタール人』のDNAが継承されているという調査結果が発表され、梅爺は意を強くしています。『ネアンデルタール人』は、『金髪、白い肌』であったと考えられています。残念ながら、アジアで、『ホモ・サピエンス』が先住『旧人』と交配したという『具体的な考古学の証拠』は今のところ見つかっていません。

『日本』に『ホモ・サピエンス』が到達したのは、発掘された人骨片から、4万年位前と推定されていますが、色々なことを考えるとこの推定は『古すぎる』ように感じます。4万年前は『アボリジニ』の祖先がオーストラリアへ到達した時期であり、同じ時期に日本への到達していたということは考えにくいからです。したがって『ホモ・サピエンス』ではなく、先住『旧人』の骨である可能性もあるのではないかと考えたくなります。しかし、『日本』に、『原人』や『旧人』がいたという『証拠』は見つかっていないということになっています。したがって『いなかったであろう』という推測にはなりますが、『いなかった』と断言もできません。

『縄文時代』は、今から1万6千年前から、3000年前の1万3000年の期間とされていますが、『縄文時代』以前の、いわゆる石器時代の『日本』はどうなっていたのかは、ほとんど分かっていません。最初に『日本』に到達した人たちはどうなってしまったのか、その子孫が『縄文人』なのか、『縄文人』は後に新しく渡ってきた人たちなのか、『縄文人』は1種類なのか、少なくとも『縄文時代』には『日本』に住んでいる『アイヌ人』は何者でどこから来たのか、何故『アイヌ人』だけは独立した人種(亜種)や文化を維持できたのかなど、多くのことが明確に説明できていません。

3000年前に渡来したと考えられる『弥生人』に関しては、推定材料が増えますが、それでも多くのことが分かっていません。

人類学、考古学の見地からは、曖昧でわからないことが多い『日本人』ですが、現在私たちは、『均一で連帯感が強い民族』であると思い込み、それを誇りにして『なでしこジャパン』の活躍に大喜びしていることになります

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2012年2月26日 (日)

またまた『日本人のルーツ』(2)

『ホモ・サピエンス』は、大雑把に『ネグロイド(黒色人種)』『モンゴロイド(黄色人種)』『コーカソイド(白色人種)』に分類され、『日本人』は当然『モンゴロイド』に属しています。

『コーカソイド(白色人種)』が入植する以前の、北米、中南米、南米の原住民は全て『モンゴロイド(黄色人種)』で、『ホモ・サピエンス』が地球上で最後に到達することになった、ポリネシア、ミクロネシアの原住民も、先祖は台湾にいたと考えられる『モンゴロイド』です。ただし、南米には『モンゴロイド』以前に『ネグロイド』が到達していたかもしれないという、考古学的な証拠が見つかって最近話題になっています。アフリカから、陸伝いの『大移動(Long Journey)』で到達したのではなく、オーストラリアから太平洋を、またはアフリカから直に大西洋を横断する『遠洋航海』で南米に渡ったとしか考えられないために、学者は頭を抱え込んでいます。2万年以上前の人類に、そのような知恵や技術があったとは、従来の常識では到底考えられないからです。

『ホモ・サピエンス』の先祖の容貌は、『ネグロイド』に近いものであったと考えられます。オーストラリアの原住民『アボリジニ』も、この先祖に近いものと推測されます。『ホモ・サピエンス』がアフリカから各地へひろまっていった時代は、地球の氷期で、海面は現在より100メートル程度低かったと推定されています。マレー半島、ジャワ、ボルネオは当時陸続きで『スンダランド』を形成しており、オーストラリア、ニューギニア、タスマニアは同じく陸続きで『サフールランド』を形成していました。しかし、この時期でも『スンダランド』と『サフールランド』の間には深い海峡が横たわっており、かなり高度な航海技術がなければ『スンダランド』から『サフールランド』へは渡れなかったことになり、どうして『アボリジニ』の祖先が4万年まえに、『オーストラリア』に渡れたのかは、明解に説明ができていません。

余談になりますが、『スンダランド』と『サフールランド』の間には生物学的に『ウォーレス線』という境が設定されています。海に隔たれているため、両ランド間の生物の行き来は困難で、カンガルー等の『有袋類哺乳類』が、『サフールランド』だけで進化を遂げたのは、このためと考えられています。

『ホモ・サピエンス』だけが、この『ウォーレス線』を越えたわけですから、遠洋航海術を獲得していた可能性が高まります。その後、氷期が終わって海面が上昇し、オーストラリアは、前よりも一層隔離された島となり、17世紀の初めに、ヨーロッパ系白人がオーストラリアを発見するまでは、『アボリジニ』は、純粋な人種として生存していたことになります。『アボリジニ』が『ホモ・サピエンス』を解明するうえで、重要な意味を持つのはこのためです。

『ホモ・サピエンス』は『スンダランド』から一部は『サフールランド』へ渡りましたが、他は、さらに『スンダランド』から、東(中国、東アジア)へ、北(モンゴル、満州、シベリア)へと移動していきます。そして、ついにその一部が『日本』へ到達することになります。

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2012年2月25日 (土)

またまた『日本人のルーツ』(1)

梅爺はブログを書き始めてから、『宇宙の始まりと歴史』『生命体の出現と進化』『人類の出現と進化』『人間の脳のカラクリ』について、何度も書いてきました。いずれも、多くの人間が普遍的に抱く哲学的な問いである『私は一体何者で、どこからきてどこへ行こうとしているのか』と関連していますので、当然疑問を抱く分野とも言えますが、梅爺の興味は『哲学的な回答』よりもむしろ、『現代科学は、どこまで真実に迫っているのか』を知りたいだけの単純な欲求に過ぎません。

『宇宙』や『生命』は、『科学』が突き詰めれば、人類がまだ理解できていない『不変のルール』に到達するかもしれないとは、推測しますが、その『不変のルール』は、『宗教』が教義で唱える『神』とは、同じものではないと、考えています。つまり、その『不変のルール』は、万物の創造には関っているにしても、人間の『願い』や『祈り』とは無関係な冷徹なものであるからです。梅爺はこれを『自然の摂理の根源にあるもの』と呼んできました。『人間』は精神世界を獲得したために、『神』から目をかけられた特別の存在であると考えたくもなりますが、自然の中のごく当たり前の一部であって、それ以上のものではないと考えています。そして、そう考えることは『人間』の尊厳を貶(おとし)めることであるとは思っていません。

梅爺は、70年間『自分は日本人である』ということを疑わずに生きてきました。『なでしこジャパン』が世界一になり、澤選手や佐々木監督が、個人的に『世界一』の表彰を受ければ、わがことのように喜びました。しかし、科学的に『人類』を観れば観るほど、『日本人』を定義することは、難しいことに気付き、少し戸惑います。

梅爺が、『日本人同士の連帯感』に酔いしれているのは、梅爺が今までに『脳』に叩き込まれてきた『自分は日本人である』という考え方に由来するものです。『疑わずに信ずる』という行為と、『連帯感に酔いしれる』という行為は、『脳』の機能が結びつけたもので、『宗教』がもたらす『心の安らぎ』と類似しています。このことは、梅爺が人類学的に『日本人』であるかどうかとは、関係の無いことだとようやく気付きました。そうかといって、『自分は日本人である』と確信してきたことを悔いているわけではありません。

今までに、書いた『日本人のルーツ』に関するブログは以下です。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fab2.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-c01a.html

地球上に現存する『人類』は、容貌や肌の色は大きく異なりますが、生物学的には全て『ホモ・サピエンス』という同じ『種(しゅ)』に属します。勿論、『日本人』も梅爺も『ホモ・サピエンス』です。

母親が子供に継承する、『ミトコンドリア(細胞の中にある小容体)のDNA』や、父親が男の子に継承する『Y染色体』を頼りに、『科学』が根気よく先祖から先祖へとたどった結果、『ホモ・サピエンス』の最初の先祖は、17万年前のアフリカ中部の草原地帯に存在していたことを突き止めました。『ホモ・サピエンス』の『アダムとイヴ』の『エデンの園』はアフリカであったことになります。その後、地球環境の変動などがきっかけで、約10万年前に、一部がアフリカから『脱出』し、世界の隅々にまで広がっていったと考えられています。

現在地球上には、『ホモ・サピエンス』しか『人類種』は存在していませんが、最初の『人類種』は、約800万年前に、これもアフリカで、『チンパンジー』の先祖から枝分かれした『猿人』であると考えられています。その後『猿人』は、幾種類もの『原人』に進化し、『原人』はまた幾種類もの『旧人』に進化し、その『旧人』のいずれかが進化して『ホモ・サピエンス』になった、というのが大雑把な『人類種』の歴史です。『猿人』『原人』『旧人』は、全て絶滅してしまったことになります。ヨーロッパに存在していた『ネアンデルタール人』は『旧人』で、約3万年前に絶滅したことが分かっています。これが最後まで生き延びた『旧人』であろうと考えられていましたが、2003年に、インドネシアのフローレンス島で、『ホモ・フロレシェンシス』という『人類種』の骨が発見され、大騒ぎになりました。『ホモ・フロレシェンシス』は1.2万年前まで存在していたにもかかわらず、『旧人』というより『原人』に近い特徴であることが分かったからです。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-bc26.html

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2012年2月24日 (金)

Tough Choices in a Critical Time(4)

『ダボス会議』のNHK主催セッションでは、枝野氏(田坂氏)が『東日本大震災、原発事故』の対応について、タイの副首相が『最近の大洪水』について、ゴーン氏は『日産自動車の再建および東日本大震災』の対応について、デュプロー氏(アメリカのリスク管理コンサルタント会社)は『平時から危機に備えるための一般論』について発言しました。

枝野氏(田坂氏)やタイの副首相は、『危機』の際のリーダーの一人であったことは確かですが、現状で日本やタイが『危機』のレベルから脱しつつあるとしても、『彼らの決断』がその最大の要因であったとは云えない気がします。彼らの『経験談』や『その経験からの教訓』は、参考にはなりますが、実績を背景とした『説得力のある話』ではないように感じました。

デュプロー氏の『平時からの備え(組織論、リーダー論)』は、『風通しの良い柔軟な組織であること』『現場のリーダーに権限が移譲されていること』など、いちいちごもっともですが、『畳(たたみ)の上の水練』のようで、この程度の『論理』を展開しろと言われれば、梅爺でもできそうだと生意気に感じました。

それに比べて、ゴーン氏は紛れもなく『瀕死の日産自動車を再建』した立役者ですから、『実績』を裏付けとする話で、最も説得力を感じました。

ゴーン氏は、リーダーの資質は、平時も、『危機』においても『コミュニケーション能力』で、特に『危機』では、『心をオープンにし、目標を一つに絞り、落ち着いて、前向きに対応する』ことだと発現しました。『常識』とも言えるこれらのことを、普段から行動指針として自分に課し、実行できる人は多くはありません。『コミュニケーション』は、自説を主張するだけではなく、他人の価値観の本質も見抜く常識や洞察力も必要とします。自分の発言に対する相手の反応も事前に予測できなければなりませんから、『人間』の特性を知りつくしている必要もあります。それでも『危機』においては、分からないことが多いなかで、自分の『直感』を信じて、『決断』するしかありません。

『決断したら後は祈るしかない。危機の際のリーダーの決断は、先ず褒められることはない。後になって、褒められることがあっても、ほんの一瞬に過ぎない。こんな割の合わない役目がイヤなら、リーダーの座から即刻降りるべきだ』とゴーン氏は述べていました。

『経験に依る対応策が明確でない』のが『危機』であるとすれば、常識や洞察力があり、人間として周囲から信頼される人をリーダーに選んでおいて、任せるしか方法がありません。そして『危機』では、このリーダーや、リーダーが指名した『当事者能力』を保有する現場責任者の『決断』に、大衆は従う必要があります。屋上屋を重ねるような『対策委員会』しか思いつかないリーダーで、『危機』に臨まなければならない大衆は、不幸というしかありません。

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2012年2月23日 (木)

Tough Choices in a Critical Time(3)

『大変な事態が起きていることは分かるが、全貌(実態)が把握できない』『更に悪い方向へ環境が変化するかもしれないが、その原因がつかめない』などが『危機』と呼ばれる状況です。『人間および人間が構成する社会にとって極めて不都合な事態』を指す場合が大半ですが、正確には『私の危機』『組織の危機』『社会の危機』『国家の危機』『人類の危機』というような形容詞がつくはずです。したがって、当然『危機』に遭遇した『人間の心理』が、更に『危機』を増幅する危険を秘めています。

現場で、『情報』を絶たれた人間は、『情報が欲しい』と叫びますが、『情報』さえあれば救済されるとは限らず、反って本当の『情報』を知って、パニックが増大することもあります。リーダーは、大衆のパニックを恐れて『情報』を管理しよう(秘匿しよう)としますが、大衆はそれを直感で嗅ぎ分けて、怒りを表します。

『危機』と『情報』の関係は、単純ではありませんので、『ありのままに情報を提供する』のが『正しい』などという、これまた単純な『答』があるわけではありません。一般論で云えば『リーダーには、できるだけ本当の情報を、パニックが起きないような表現で提供できる才覚が求められる』ことになります。これが可能になるのは、リーダーの人間性に関して普段から大衆がある種の『信頼』を感じていることが条件になります。『この人は、保身のために嘘をついたりしない。仮に何かを隠すことがあっても、それは皆のためにそれが良いと配慮しているからだ』と『信頼』されているリーダーの言葉には、大衆は耳を貸そうとします。大衆は『何が語られているか』ではなく『誰が語っているか』を重視します。したがって『危機』はリーダーの、才覚、器量のレベルを容赦なくあぶりだします。逆に云えば、才覚、器量のないリーダーを普段選んでおいて、『危機』の時だけ、『真のリーダー』を求めても後の祭りということになります。

『危機』が怖ろしいのは、リーダーさえも十分に『情報』を得られないことです。『東日本大震災』と同時に発生した原発事故は、『何が起きているのか』は、リーダーさえも把握できない状況の中での対応でした。枝野官房長官(当時)が、『当面健康に影響する放射能レベルではない』と表現すれば、大衆は『当面とはいつまでのことだ』とイライラし、日本政府が『半径20キロメートルを非難区域とする』と発表すれば、『アメリカ政府は80キロメートル以内から非難するように米国民に指示したではないか』と大衆は不安がりました。連日テレビに原子力工学の専門家が登場し『原発のしくみ』を解説しましたが、現場で何が起きているかになると、『現状では分からない』という説明になり、あまり『役に立つ情報』ではありませんでした。

『情報を公開せよ』と私たちは叫びますが、それは『正しく、役に立つ情報』のことで、私たちの側にも『情報を理解する能力』があるというのが前提です。残念なことに、世の中は『疑わしく、役に立たない情報』で満ち溢れていて、その上私たちも『理解する能力』を保有していないことが大半です。そうであるが故に、せめてリーダーには『才覚と器量』が求められるという話になります。

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2012年2月22日 (水)

Tough Choices in a Critical Time(2)

『危機におけるリーダーの決断能力』は重要なものだと梅爺も思いますが、『一般的に正しい決断を下す方法』や、もっとはっきり云ってしまえば『絶対に正しい決断』などというものは、そもそも『存在しない』『人智で求めても無理』と考えていますので、そういう視点でこの番組を観ました。

『危機におけるリーダーの正しい決断方法が存在するにちがいない。このパネリストたちがきっと自分が知らない答を教えてくれる』と期待してこの番組をご覧になったとすれば、極度の『欲求不満』で終わることになったでしょう。

人間は、本能的に『安泰』を希求しますから、『分からない』ままで放置すると、『不安』というストレスに苛(さいな)まれます。その結果、物事をシロクロで区分けし、自分を納得させようとします。そして、『何が正しいか』『あるべき姿は何か』という『問い』を発し、『答』を得ようとします。答が無いものに、答を求める習性が人間の宿命かもしれません。

世の中の『事象』の大半は、『自分(個人)にとって都合が良いか悪いか』は、勿論比較的容易に判別でき、対応の選択もできますが、『万人が正しい』と認める対応は、『存在』しないのが普通です。人間の『脳』が創り出す『精神世界』は、一人一人異なっており、『価値の評価優先度』も異なっているわけですから当然です。にもかかわらず、『自分にとって都合のよいことは正しい』と論理飛躍して、それを認めない他人を『マチガイ』と断ずる人が世の中には多いように梅爺は感じています。この傾向は、当然『国家』にも見受けられますから、『自国にとって都合の悪い行動をする他国は間違っている』と批難することになります。毎日の新聞に掲載される『国際紛争』は、この種の事例で満ち溢れています。

『北朝鮮』にとって『日本』は正しくなく、嫌な国でもありますから、『日本』がいくら国際世論を背景に、『拉致は非人道的な行為』と非難しても、『拉致問題』は解決へ向かいません。『北朝鮮』自身が『拉致問題』を解決した方が自国にとって都合がよいと考える状況を、『日本』がどのように提示できるかどうかが、『日本』外交の知恵の見せどころではないでしょうか。『相手が間違っている』と非難し続けることは『努力している』ことではなく、『何もしていない』か『解決をむしろ困難にしている』か、どちらかではないかと思います。

NHKが『ダボス会議』で主催した、セッションでは、『危機において、決して間違わない決断をする方法などない』と最初に宣言したパネリストがいなかったのは残念なことでした。なぜなら『決して間違わない決断をする方法などない』という認識が、もっとも重要であると梅爺は思っているからです。

『私ならこう対応する』『わたしなら、これを判断基準にする』という個人的な主張を聴くことは無駄ではなく、いざと言う時に、自分が決断を迫られた時の参考にはなりますが、それが『正しい』かどうかは別の問題です。

梅爺にとってこの番組の議論は、大いに『参考』にはなりましたが、『正しい答』を期待してご覧になった方は、肩すかしをくらったような気がしたのではないでしょうか。

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2012年2月21日 (火)

Tough Choices in a Critical Time(1)

2012年の『世界経済フォーラム(The World Economic Forum)』で、NHKが主催した『Tough Choices in a Critical Time(危機における困難な選択)』という討議セッション(Debate)の様子が、NHKテレビで放映され、梅爺は録画して観ました。『世界経済フォーラム』は、毎年スイスのダボスという小さな町で開催されることから通称『ダボス会議』と呼ばれています。世界各国の著名な政界、経済界の人たちが集まり、最もホットなトピックスに関して、公開の場で自由に意見交換することが目的になっています。『結論』は求められませんが、著名人の発言は、それなりに影響力を及ぼすことになります。

梅爺が現役時代に勤めていた会社の当時のN社長(後に会長)は、『通訳を介さずに英語が自由に話せる』『自分の考えを魅力的に表現できる』『幅広い話題に対応できる』能力の持ち主であったために、毎年のように貴重な日本人『パネリスト』『キーノート・スピーカー』として招聘されました。その当時は『情報処理技術(IT)』や『情報格差(Digital Divide)』がトピックスとして取り上げられることが多かったために、その分野の仕事をしていた梅爺も、事前準備の裏方として、発言やスピーチの原稿(案)つくりに関ることが幾度かありました。

経済界の場合は、著名な企業の会長、社長であることが正式メンバーの資格として求められます。『ダボス会議へ出席した』というだけで、ステータス・シンボルとなると勘違いした、日本の企業のトップや政治家(大臣クラス)の多くが、ただ『聴講する』だけの目的で『ダボス詣(もう)で』をする様をみて、梅爺は苦々しく思っていました。彼らには英語で国際討議に参加できる能力などはないことは明白ですし、仮に『通訳』つきであったとしても、トピックスに関して世界の人をうならせる洞察のきいた発言をする能力など持ち合わせていないであろうと推察できたからです。『聴講』しても、失礼ながら本質理解には程遠いのではないかと訝(いぶか)っていました。そこへゆくと、梅爺の会社のN社長は、『ダボス会議』事務局から直々のご指名(招聘)を受けるわけですから、梅爺は大変誇らしく感じていました。

2012年の『ダボス会議』で日本のNHKが開催したセッションは、以下のメンバーで討議が行われました。

司会    国谷裕子(NHKアナウンサー)
パネリスト カルロス・ゴーン(日産CEO)
       キティラット・ナ・ラノン(タイ副首相兼財務相)
       ブライアン・デュプロー(企業リスク管理コンサルタント会社CEO)
       枝野幸男(経済産業大臣)
       田坂広志(管首相当時の内閣官房参与)

『Tough Choices in a Critical Time(危機における困難な選択)』は、日本の『東日本大震災、原発事故』とタイの『大洪水被害』を題材に、このような場合の『リーダーの決断』はどうあるべきかを議論する内容でした。

日本からのパネリストである枝野氏は全て通訳付きの『日本語』で、田坂氏も主要発言の部分は『日本語』で対応しましたが、司会の国谷さんや他のメンバーは全て『英語』で対応しました。梅爺は『英語』の能力を特別視するわけではありませんが、女性アナウンサーだけが『英語』対応で、政治家や官僚は対応できない日本の現状が、日本人の『国際対応能力』のレベルを如実に示しているように感じました。国谷さんの『英語で議論を進める(司会する)能力』は、まちがいなく国際的には高い評価を受けたに違いありません。

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2012年2月20日 (月)

日本人の宗教観(8)

人間は、自分を尺度として他人を観ると同時に、他人を尺度として自分を観ようとします。人間が構成するコミュニティも同じことで、自分のコミュニティが持たない何かを、他のコミュニティが保有していれば、強い関心を持ちます。技術、文化、宗教なども、水が高い所から低い所へ流れ込むように、コミュニティ間を移動します。現代は、情報・通信技術がその流れを加速しますので、その速さは、昔とは比べ物になりませんが、『移動する』という本質は今も昔も変わりがありません。

卑弥呼が、中国から新しい宗教『鬼道』を取り込んで、他の部族を支配下に置く目的で利用したかどうかは、推測の域をでませんが、奈良時代の大和朝廷が、『仏教』を国家の礎(いしずえ)にしようとしたことは、歴史の事実です。

それ以前の日本の土着的な宗教にくらべ、人間の精神世界を『哲学』とも言える深い洞察で説く仏教の教えに、日本人は驚愕したのではないでしょうか。少なくとも、彼我の差を冷静に観ることができる『優秀な人たち』の驚きは、大変なもので、ショックを受けたという表現が適切ではないかと思います。何よりも、『教義』が『経典』という形式で整備されていることに目をみはったものと思います。

最初は、『中国の仏教』を、そのまま受け入れようとしましたが、やがて平安、鎌倉、室町と時代を経るに従って、『中国の仏教』は『日本の仏教』へ変貌していきます。優れた思想家である高僧が何人も出現し、独自の教義解釈をしたことと、民衆へ布教するために、土着の宗教様式も取り込んでいったことが『日本の仏教』を産みだしました。幸い、土着の『神々の世界』と、曼陀羅の『仏たちの世界』は、矛盾を感じずに融合し易かったのではないでしょうか。仏教ではなく、一神教の宗教が最初に日本へもたらされたとしたら、こう簡単に『神仏習合』は実現しなかったものと思います。

その後、武家に依る封建社会を維持するために『儒教』が、日本人の中に浸透します。現在の日本人の宗教観は、『日本土着の宗教』『日本の仏教』『儒教』がゴチャマゼになったもので、都合よく使い分けることにあまり矛盾を感じていません。宗教には色々な様式があると、当たり前に感じていますので、年末にはクリスマスを祝い、新年にはお宮に参拝し、お彼岸には仏教で先祖を祀ります。『死後の霊』『極楽と地獄』も、そんな世界もあるかもしれない程度に受け止めています。

西欧のキリスト教文化、中東のイスラム教文化の人たちからみると、何ともチャランポランな宗教観ですが、梅爺は日本人が宗教を蔑視しているとは思いません。多様な価値観を同時に受け容れる姿勢は、むしろ優れた資質で、これからの世界では、重要な意味を持つのではないかとも感じています。

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2012年2月19日 (日)

日本人の宗教観(7)

古代のコミュニティで、神の化身である王や、神の意図を伝えることができる神官の地位は、生活環境が『安泰』である限り問題が無く、権威を維持できました。庶民は、無事に暮らしていけるのは、王や神官が神とうまくやってくれているお陰と考えたからです。しかし、天変地異が起こり、生活環境が壊滅的に破壊されると、庶民は王や神官ばかりではなく、神をも疑うようになります。

栄華を誇った古代ギリシャのクレタ島ミノア文明は、紀元前15世紀に異民族による侵攻で崩壊しましたが、きっかけは、紀元前17世紀のサントリーニ島(クレタ島の北にある)の大噴火で、壊滅的な打撃を受け、神官の信用が失墜して、社会が不安定になったためとも言われています。

『纏向(まきむき)遺跡』のリーダーが、従来の土着の宗教(祭事に銅鐸が使われていたと考えられている)を否定し、中国から新しい宗教『鬼道』を導入してまで、コミュニティの基盤を強化しようとしたということが事実なら、背景には、のっぴきならぬ事情があったのであろうと、歴史学者は考えます。それは、当時の気象状態を推測する研究の結果、かなり長期の干ばつに見舞われたのが原因と推測されています。後に聖武天皇が、国家事業として『大仏開眼』を行ったのは、当時、干ばつや疫病で、国家が疲弊していて、これを仏教の力で救おうと考えたからです。宗教は、国家の存立そのものと関わっていました。『纏向遺跡』のリーダーも同じことを行ったのであろうという推測は、説得力があります。

コミュニティの宗教基盤を新しいものに変えるには、為政者の絶大なる権力と、新しい宗教そのものが、古いものより魅力的である両面が必要になります。古代エジプトの宗教は、忘れ去られ、現在のエジプトはイスラム教中心の国家に変ってしまっています。

日本は、土着の宗教(神道として継承)に加え、人間の精神世界に深く関与する仏教の教えを受け容れ、その後封建社会を維持するのに都合のよい儒教の教えも受け容れました。日本人の道徳観、倫理観、死生観に仏教、儒教が深く関与してしているのは当然のことです。しかし、人間の保守的な習性は、その昔日本人が抱いていた自然信仰の影響も今に伝えています。仏教も儒教も、自然信仰と結びついて、『日本の仏教』『日本の儒教』に変貌しました。『ワビ』『サビ』などという価値観は、これらの融合の上で成り立っています。

しかし、『文明開花』以降、日本人は『合理性』や『科学』の追求に重きを置くようになり、精神世界を相対的に軽んじるようになりました。精神世界は、金儲けや出世に関係がないと感じたからでしょう。これは日本ばかりではなく、どの近代国家でも同じことです。それでも『合理性』だけでは、人間は『心の安らぎ』が得られず、幸せとはいえないということに、多くの人たちが気付き始めました。

梅爺流に表現すれば、人間は『情』と『理』のバランスで生きていますので、『情』一辺倒でも、『理』一辺倒でも、落ち着かないということに他なりません。宗教が科学を排除しようとしても、科学が宗教を排除しようとしてもうまくいきません。『人間は何故宗教を必要とするのか』を、脳科学者は、科学の対象として追求し始めました。まだまだ分からないことだらけですが、宗教は科学の立ち入れない『聖域』であるとは、梅爺は思いませんので、いつの日にか大きな成果がもたらされることを期待しています。人間にとって、宗教が必ず必要なものではなく、『心の安らぎ』が、実は必ず必要なものであろうと予測しています。従来の宗教は、その時代の人間の知恵を結集して『心の安らぎ』を求めようとしたものですが、知識や知恵の基盤が大きく変わった現代では、『心の安らぎ』に新しい対応の方法が出現したとしても、不思議ではないように感じています。

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2012年2月18日 (土)

日本人の宗教観(6)

日本の古代史に興味がある人にとって『邪馬台国』の所在地の特定は、最大の関心事の一つです。『近畿説』『九州説』が、有力な候補ですが、決定的な『物証』が発見されていませんので、決着がついていません。決定的な『物証』は、中国の魏の皇帝から卑弥呼へ下された『金印』ですが、この発見はそう簡単ではないことは、誰の眼にも明らかですので、当分論争は続きそうです。

『近畿説』の場合は、奈良の『纏向(まきむき)遺跡』が、『九州説』の場合は佐賀県の『吉野ヶ里(よしのがり)遺跡』が、卑弥呼の宮殿跡に相当する規模を備えているために、『邪馬台国』跡として最有力視されています。『吉野ヶ里遺跡』の特徴は、鉄の剣が発見されていることで、これは大陸との交流で先行していたことと、鉄の剣は従来の青銅の剣にくらべて圧倒的に有利ですから、最強の武器を持つことで、他の部族に対して強い支配力を発揮できたであろうことの間接的な証拠になります。

『纏向遺跡』は何と言っても、『邪馬台国』が後の『大和朝廷国家』につながっているとすれば、地理的に有利です。巨大な古墳を周辺に多数持っていることも、権力の大きさの間接的な証拠になっています。最近『纏向遺跡』の発掘近況を伝えるテレビのドキュメンタリー番組で、興味深いものが出土したことが話題になりました。それは、『土抗』と呼ばれる、貴重なものを意図的に廃棄したと思われる場所から、銅鐸の破片と、数千個の桃の実の種が見つかったことです。

卑弥呼は『鬼道』を用いて、人を惑わせたと『魏志倭人伝』には書かれていて、従来『鬼道』は、日本土着の信仰である呪術(じゅじゅつ)のことと考えられていました。しかし『魏志』の他の部分の著述で、『鬼道』は中国の『道教』の原型であることが記されており、卑弥呼の用いた『鬼道』は、『中国から持ちこまれた新しい宗教』ではないかという解釈が浮上しました。『道教』では、桃は『仙果』と呼ばれ、不老長寿など特別な意味を持つ果物です。『纏向遺跡』から発掘された、異常に多い桃の実は、『鬼道』の祭事につながり、人為的に破壊された銅鐸の破片は、それまでの土着の宗教を否定したことを意味するのではないかという解釈です。

新しい外国の宗教を、国家基盤を固めるために利用する例は、ローマ帝国のキリスト教、奈良大和朝廷の仏教などが代表的です。3世紀の日本で、卑弥呼が外国の新しい宗教『鬼道(道教)』を、権力の掌握に利用したという考え方は刺激的です。卑弥呼は単なる巫子(みこ)、霊媒師であるというより、中国の文明のレベルも理解している賢いリーダーであるという姿が浮かび上がってくるからです。いずれにしても、日本人の宗教観は、土着の宗教と、外国からもたらされた宗教の『日本的な融合』の中で培われてきたと考えるのが自然ではないでしょうか。

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2012年2月17日 (金)

日本人の宗教観(5)

比較的自然環境に恵まれていた日本の古代人が、自然の恵みがあって生きていくことができると考えたのは当然のことのように思います。自然の移り変わりを観れば、『誕生』や『死』が運命づけられている人間も、特別なものではなく自然の一部であると考え、『自然と共に生きる』という死生観が根付いたのではないでしょうか。自然に手を加えることは最低限に抑え、自然と共存しようという考え方を、現在でも『里山』にみることができます。

自然環境や、地球環境さえも、制御できると傲慢に思い上がった人類が、環境からの逆襲を受け、あわてて『自然との共存』『生態系の維持』などを叫ぶようになってきましたが、昔の日本人にとっては、『自然との共存』は、当たり前のことでした。『里山』を復興させようという現在の運動は、日本のルネッサンスとも言えるもので、意義深いことです。

『豊かな、移り変わる自然とともに生き、死んで自然に帰る』という死生観は、日本人、アメリカ先住民、オーストラリアのアボリジニに共通の宗教観です。しかし、地球はどこも日本と同じではありません。砂漠の民や、不毛の地で生き抜こうとした人類にとっては、自然は対決すべき『怖ろしい』存在で、とても『共存』しようなどという発想が湧かない相手です。このような人々にとって、自然を司る『神は猛々しい』ものという認識になるのは当然のことのように思います。

『自然とともに生きる』という穏やかな死生観は、コミュニティにも反映し、『強いものだけが生き残る』というより、『肩を寄せ合って皆で生きる』という考え方が強まっていったのではないでしょうか。一方、不毛の地で生き残ろうとした人類は、『強いものが生き残る』と考え、当然『神』にも『一番強い神』がいると考えて、『一神教』の概念に行き着いたとも考えられます。

色々な自然の恵みがある日本では、それぞれに『神』が存在すると考え、どの『神』が一番強いかなどと悩む必要がありません。『神』が沢山存在しても何の不都合も感じません。しかし、強いものだけが生き残れるという考えが当たり前なところでは、沢山の『神』は不都合で、一番強い『唯一の神』を必要とするのかもしれません。

人類の宗教観は、その民族がどのような自然環境で生き残ろうとしたかと深くかかわっているように思います。日本人の宗教観は、幸いなことに、偶然恵まれた環境に由来していると梅爺は推測しています。

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2012年2月16日 (木)

日本人の宗教観(4)

古代では、コミュニティごとに、それぞれ『神』や『神々』の概念を創出し、共有していたものと思います。毎日接する山、川、森、大木、大岩などに『神』が宿ると考えるのも自然なことです。しかし、人類のすばらしいところは、やがてコミュニティ同士が接触することで、相互に有益な影響を受け、それを新しくとりいれていくことです。『殺して略奪する』ということもその一面ですが、『対立ではなく共存する』という知恵も持ち合わせています。自分の『安泰』のために、『殺戮』と『共存』のどちらが『得』かを、『推論』する能力を持っているためです。この大原則は、現代の外交でも同じことです。

コミュニティの交流手段の代表は『交易』で、必要なものを『交換』することになります。人間の経済行為の原点です。しかし、これ以外に『技術(道具)』『言語』『宗教』も相互に大きな影響を与える要因であることに注目すべきでしょう。コミュニケートするために相手の『言語』を理解しようとするのは当然で、その過程で、相手が自分たちの持たない『名前』『概念』『表現様式』を持っていると気付けば、それを自分達の言葉にも反映させようとします。現代でも、日本語は『外来語』の名前で満ち溢れています。

『技術(道具)』も、有効と分かればすぐに取り入れることになります。『火をおこす』『石器を利用する』『鉱石から金属を取り出し加工する』『農耕をする』『牧畜をする』などの知識は、またたく間にコミュニティの間で伝播していったに違いありません。『インターネット』を世界が短期間で取り入れるのと同じ話です。

『宗教』も同じことで、相手の『神』や『祭事』が自分たちよりは優っていると思えば、良いところを自分たちも取り入れようとします。『釈迦がインドで始めた仏教』が、どのような変遷を経て『各地の仏教』になり、やがて『日本の仏教』に変っていったかをみれば、この原則は昔も今も変わりがないことが分かります。異なったコミュニティが、共通の『宗教概念』を持つことは、『絆』となり、人類の大きな強みになっていきます。ヨーロッパのキリスト教、中東のイスラム教は今でも地域の『絆』となっています。現生人類が、ネアンデルタール人を絶滅に追い込んでいったのは、『共通する宗教概念』で連携して行動したからであるという学説を唱える学者がいるくらいです。確かに、ヨーロッパ、西アジアの現生人類の遺跡からは、豊満な女体の石像が共通に見つかっており、これは『神の像』と考えられています。『生命の誕生』を、『摩訶不思議』と考え、神と関連付けて宗教的祭事を行っていたであろうことは、想像に難くありません。

日本の縄文時代、弥生時代に、各コミュニティが、どのような『神』を受け容れていたのか、それはコミュニティごとに異なっていたのか、それとも、時代とともに『共通の神』の概念を保有するようになっていたのか、などは日本人の宗教観を考える上で重要なことになります。

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2012年2月15日 (水)

日本人の宗教観(3)

古代の人間にとって、『摩訶不思議』は、沢山存在しました。天体に関するものが多いのは当然のことでしょう。太陽、月、星、星の位置関係(星座)がその代表で、特に太陽は、エジプトの太陽神『ラー』をはじめ、多くの民族で『神』の対象になっています。民族で継承されている『神話』には、太陽、月、星、星座が多く登場します。

天体に続き『摩訶不思議』の対象として、気象や自然災害(噴火、地震、洪水など)に関するものも沢山あります。特に、生命を維持するために必要な『水』の供給源である『雨』の恵みを神にお願いする『雨乞いの儀式』は、多くの民族で共通なものです。雨不足で全員が死ぬくらいなら、生きている人間を『生贄(いきにえ)』として神様へ差し出そうという『論理思考』も人間ならではのものです。現代人は『生贄』は野蛮な行為という価値観だけで観ますが、古代人には、全員の生死がかかった、切羽詰まったものであったことを理解する必要があります。つまり、価値観が異なっている『異文化』を理解しないと古代は見えてきません。現代でも『異文化との共存』の重要性が説かれますが、それは並大抵なことではありません。

食料が、安定して入手できるように願うのも当然なことで、日本でも各地に『豊作祈願』『大漁祈願』の祭りごとが継承されています。自然は全て神の恵みという、考え方は、多くの民族で継承されている宗教観です。この延長で、『山』『川』『巨石』『巨木』なども『神』が宿る対象となっていきます。

『生まれる』『病気にかかる』『死ぬ』という現象も『摩訶不思議』の対象でした。無から『命』が誕生するように見える『生殖』は、その代表ですから、『性器崇拝』も当然の発想です。これも現代人の価値観で、淫猥と観ては、理解できません。『死』も不可解なもので、残された人たちは、本能に依る情の悲しみを感じますから、特別な意味があるものと古代人は考えたにちがいありません。そして、『死後の世界』『霊の永久存続』などという、『推論思考』にたどり着くのも当然の帰結であるように思います。

自分たちの命を危険にさらす強い動物や、不気味な格好をした動物も、『神』の対象になりました。ライオン、トラ、雄牛、鷲、ワニ、ヘビが、多くの部族の信仰の対象になっています。

現代人にとっては、『科学』のお陰で、これらの『摩訶不思議』の大半は、『摩訶不思議』でなくなってしまいました。『神』や『仏』の居場所が、どんどん狭められ、具象物を信仰の対象とする宗教は、廃れていくことになりました。宗教は永遠のものではなく、盛衰があることが分かります。

古代日本人の宗教観は、基本的に自然崇拝(アミニズム)であったと考えられますが、比較的穏やかな自然に恵まれていたため、これらの『神々』も比較的穏やかな存在として受け止められていたように感じます。『ゲゲゲの鬼太郎』の妖怪達が、ユーモラスで、親しみやすいものであるのは、日本人の宗教観の一つの現れではないでしょうか。

一方、砂漠や、生活するのが厳しい環境の民族の『神』や『神々』は、もっと『厳しい神』『怖ろしい神』『猛々(たけだけ)しい神』であるように梅爺は感じます。『一神教』の源が、厳しい環境で生きたユダヤ民族の間に生まれたのも、なんとなく肯けます。『旧約聖書』に現れる、荒々しい『神』の性格に、多くの日本人が違和感を覚えるのは、宗教観の違いに起因するのではないかと推察しています。日本にも『荒らぶる神』という表現がありますので、『神』が『畏怖』の対象である一面を持っていることは承知していますが、相対的に『猛々しさ』の程度が異なると感じています。

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2012年2月14日 (火)

日本人の宗教観(2)

縄文時代や弥生時代に、外から日本へ移住してきた人たちは、『新しい居住の地』を見出して満足したかもしれませんが、自分たちが『日本人』であるという誇りや認識は持ち合わせていなかったことでしょう。部族単位の『コミュニティ意識』は当然あったものと思いますが、『日本人』の意識はなかったことになります。海を渡ってきたことで、日本が『島』であるとは想像したかもしれませんが、どの程度の大きさの、どのような形状の『島』であるかも知らなかったはずです。

つまり、日本に住んでいる人たちが、自分たちを『日本人』と認識し始めるのは、大和朝廷による国家統一が成し遂げられ、当時の圧倒的な先進国である、中国(魏、隋、唐)に対して、劣等意識、羨望意識、対抗意識が芽生えてからのことになります。

梅爺が『日本人の宗教観』を考察する時の『日本人』は、『日本人』としての自覚を持たない時代も含みます。日本の土地に住んでいた人たちという、広い解釈です。人類の歴史で、『人間が生きること』『コミュニティを運営していくこと』に、『宗教』は深く関ってきました。近世でようやく『政治』と『宗教』を分離するという考え方が、一部に定着し始めましたが、現在でも『宗教』が『政治』に対して隠然たる影響を及ぼし続けています。日本は、『政教分離』では、世界の中でも最も進んだ国の一つです。このことにも『日本人の宗教観』が関係していると梅爺は考えています。

日本に限らず、古代の人類のコミュニティは、『宗教』が全ての中心でした。現在でも、アフリカや南米の奥地に住む未開部族のコミュニティでは、部族のリーダーは『シャーマン(霊媒師)』であるのが普通です。人間の生きる環境の周辺は、『摩訶不思議』に満ちていて、この『摩訶不思議』は、『神の仕業』であると人間の脳は『推論』するようにできているからではないでしょうか。

『理解できないこと』を放置することを、人間の脳は『不安』と感じ、『安泰』を脅かすものと考えて、何としても、ある『論理』を考え出して、納得したいと感じます。『不安』を放置しては、身に危険が及ぶかもしれないからで、『安泰』を求めるのは、生物種として生き残りの『本能』ではないでしょうか。『不安』を緩和するために、やがて人類はとっておきの『解決策』を思いつきます。それは、『摩訶不思議』を支配するのは『神』であるという『推論』です。そして『神』に祈り、または捧げものをして、『摩訶不思議』が自分たちに都合の悪い方向に作用しないようにお願いをするようになります。このためには『神』と交流し、『神』の意図を確認する役割が必要になりますから、そのような特別の能力をもった『シャーマン(霊媒師)』が主役になるのは当然です。現在の洗練された宗教では、さすがに聖職者を『シャーマン』とは呼びませんが、『シャーマン』の本質は受けつ継がれているように感じます。

日本の古代コミュニティでも、『シャーマン』による支配が中心であったと考えてよいのではないかと思いますが、日本が、海の幸、山の幸に比較的恵まれた自然環境であったために、『摩訶不思議』のレベルが、穏やかなものであったと言えるのではないかと思います。砂漠や荒れ地や山岳高地で、生き残ろうとした人類の『摩訶不思議』のレベルにくらべれば、有利な環境であったと言う意味です。日本にも、干ばつや飢饉はあったことは梅爺も承知していますので、勿論相対的に有利であったと言いたいだけです。この比較的穏やかな『摩訶不思議』との関係が、『日本人の宗教観』の根幹をつくりあげていったのではないかと考えています。日本人と『神』の関係は、比較的穏やかなものであることが特徴のような気がします。

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2012年2月13日 (月)

日本人の宗教観(1)

梅爺は、ブログを書き始める前は、『神』『仏』『宗教』に関して、それほど深く考えたことはありませんでした。勿論、幼いころから周囲の人の話を聴き、本を読み、映画を観て、人間社会には『宗教』が必ずつきまとい、個人や国家への大きな影響力を持つものらしい、程度の認識は保有していました。

しかし、『生物種の中で、何故人間だけが宗教を保有するのか』『7世紀のイスラム教の成立以来、世界宗教と言われるような新しい宗教は何故出現しなくなったのか』『宗教は何故心の安らぎをもたらすのか、何故人間は心の安らぎを求めるのか』などといった、基本的な疑問に答を見出そうと、無い知恵を絞って考えてみればみるほど、『宗教』は『人間の脳の活動(特に精神活動)』と深くかかわっているらしいと確信が湧いてきました。

人間とは無関係に、『神』や『仏』は元々自然界に存在していて、ついに人間がその存在に『気付いた』と考えるか、『神』や『仏』は自然界には存在せず、人間が脳で『創造した』ものにすぎないと考えるか、二通りの考え方に分かれますが、梅爺は後者ではないかと思っています。『存在しないものを、あたかも存在するものとして扱う』ことができる抽象化能力は、人間の脳の優れた点で、『神』や『仏』だけではなく、『愛』『正義』『平和』などといった抽象概念を、沢山人間同士で共有しています。これらの抽象概念は、自然界に実態が無いから無意味なものとは言えず、人間社会にとっては、極めて重要で、影響力のある概念です。しかし、人間が存在しない世界では、はこれらの抽象概念も存在しないことになると考えています。

このように梅爺は、人間が創造し、脳の中に保有する『神』や『仏』の概念(もしそうだとすれば)の意義は、認めていますので、コチコチの無神論者ではありませんが、世界の有名な一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が教義で示す、『宇宙空間のどこかに存在する神(天にまします神)』や、仏教の『西方極楽浄土の阿弥陀如来』『東方浄瑠璃世界の薬師如来』の実態としての存在は、大変失礼ながら疑っています。

それでは、人間の脳の中(精神世界)以外に『神』は存在しないのか、と問われると梅爺は答に窮します。宗教の教義が示すような『神』は、存在しないだろうと想像していますが、自然の摂理の奥に、『真理の中核』が存在するのではないかと考えていますので、これを『神』と命名すれば、『神』の存在を否定できません。この『真理の中核』があって、宇宙や人間を含む地球環境が成り立っていると想像しています。この場合は、人間が存在しない世界にも『真理の中核』は存在するということになります。

『なんだ、やっぱりお前も神を信じているのではないか』とご指摘を受けそうですが、梅爺が定義した『神(真理の中核)』は、人間だけを特別に愛して下さったり、人間の祈りを聴き入れて下さったりはしません。ただの峻厳たる『真理』に過ぎません。『真理』には人間に都合の悪いことも含まれています。

そのようなわけで、梅爺は自分を無神論者ではなく、『不可知論者』と定義しています。『神』とは何かを本当に理解しているとは言えないからです。梅爺のような考え方の持ち主は、日本ばかりではなく、世界のなかでも『変った人間』に属するのではないでしょうか。地球上の人間の90%以上の人は、何らかの宗教が教義で提示する『神』『神々』『仏』を信じていると言われています。

今回は、梅爺自身ではなく、平均的な日本人が受け継いできた宗教観について考えてみたいと思いつきました。変わった考えの持ち主であるとはいえ、梅爺も日本人としてこの宗教観の一端は受け継いでいるのではないかという前提です。

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2012年2月12日 (日)

第五の文明(3)

古代の人たちが、コミュニティを形成していく背景に、宗教が大きな影響を及ぼしています。勿論今から5000年前には、現在の世界宗教と言われるキリスト教、イスラム教、仏教は成立していませんので、各コミュニティが、独自に神々を信仰の対象にしていました。ここで『神々』と書いたのは重要なことで、人類は『神』ではなく『神々』という概念を先ず思いつくのが自然の成り行きであったということです。得体のしれないもの、不思議なものの背景に『神』を思いつけば、その数は複数になるのは当然のことです。日本の土着の宗教観『八百万の神』は、その典型です。

やがて人類は、得体のしれない宇宙のしくみや、命のしくみに、推論で『ある仮説』を作り上げ、その仮説にあてはめて『神々』を配置するようになり、やがては『神(唯一の神)』というような、非常に特殊な『神』をも考え出しました。このような『理』による宗教の変貌は、今から2500年前から始まりました。

『畏れ、不思議』の対象であった『神々』の時代と、人間の『理』の推論が加えられた『神々(または神)』の時代の境界線は、今から2500年前ごろと、梅爺は推測しています。キリスト教、イスラム教、仏教が、さらに洗練された『世界宗教』に変貌するのは、今から1700年前から1200年前のことで、歴史の中では、比較的最近のことです。

『カラル遺跡』は、今から5000年も前の遺跡ですから、この文明を支えた宗教を推測するのに、現代人の宗教観で観るのは妥当ではありません。必ずしも、肥沃とは言えない土地で、コミュニティを維持するには、『雨』が命の綱であり、これを支配するのは『太陽の神』と考えていたのではないでしょうか。古代人にとっては宗教は『心の安らぎ』のためではなく『生きていく』ための全てであったに違いありません。

『カラル遺跡』は、何代にもわたって、積み重ねたピラミッドですが、3000人程度の人口で、10ものピラミッドは多すぎますから、ここは、かなり広汎な地域の宗教の中心地、つまり『聖地』であったのではないかと梅爺は思います。もしそうであれば、同じ『宗教観』を持つ、複数のコミュニティが、その地域に広く点在してことになます。重要な宗教儀式の時に、人々は『カラル』へ巡礼していたのではないでしょうか。

『カラル遺跡』の周辺には、新しい遺跡跡が見つかっていますので、この推測は可能性が高いと思います。今から、3800年前に、忽然とこの文明は終わりを告げています。エルニーニョ現象で、異常気象が長期に続き、生活の維持ができなくなったからと考えられています。しかし、人々は死に絶えたわけではないとすれば、どうなったのでしょう。『カラル遺跡』は、古代アンデス文明の発祥地で、その後、この文明は、他の南米文明に、継承されていったのではないでしょうか。『マチュピチュ遺跡』なども、突然出現したわけではなく、永い歴史のお膳立てがあったのではないかと、梅爺は感じました。

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2012年2月11日 (土)

第五の文明(2)

文明の成立を構成する要因は、明確には定義されていませんが、『文字を保有すること』『組織化された社会構造と相当の人口を有すること』『広域の交易活動が行われていること』『巨大建造物の建築などの技術を有していること』等ではないでしょうか。

この条件にあてはめてみると南米の『カラル遺跡』は、文字らしいものは見つかっていませんし、人口3000人と言うのも小規模ですから、文明として認めるのは難しいのかもしれません。ただ、石を積み上げた巨大なピラミッドのような建造物を多数残しており(現在までに10個見つかっている)、これがエジプトと比較されるために、注目度が高いのかもしれません。建造技術の特徴は、葦(アシ)の縄で編んだ『シクラ』と呼ばれる袋に大きい石と小さい石を組み合わせて入れて、それを積み上げて、地震の時に総崩れにならない配慮がなされていることです。この地域は今でも地震の多発地帯ですから、古代人も対応の知恵を身に着けていたのでしょう。

この時代の日本は、縄文時代ですが、中には建造物土台跡から類推して、かなりの巨木を建材として用いた規模の大きい木造建築物が存在したことが分かっている遺跡もあります。残念ながら木造建築はそのままの形では残っていませんので、石造の遺跡にくらべると不利ですが、当時のコミュニティ規模は『カラル遺跡』に引けをとりません。また船を使って、朝鮮との交易も行っていた例も判明していますので、『カラル遺跡』を文明と呼ぶならば、日本にも『古代文明』が存在したと言えないことはありません。

『カラル遺跡』を残した人たちは、『戦争』を回避した平和の民で、歌や祈りを生活の中心にしていたのではないかと、この番組では紹介していましたが、梅爺は、それは少しロマンチック過ぎる推測ではないかと感じました。この人たちが『戦争は罪悪である』などという高度な信念を共有していたのではなく、偶然の環境条件から『戦争をしなくてもやっていける社会』を実現していたと考える方が現実的であるように思います。人間は、コミュニティの置かれた環境次第で、『戦争をする』『戦争をしない』と対応を選びます。どんな環境下でも『絶対戦争は避けるべきである』という共通認識は、現在でさえも醸成されていません。生物種として、『自分や自分が属するコミュニティを護るためには闘う』という本能をもっていますので、当然なのかもしれません。戦争に巻き込まれる可能性が低い環境下で、『戦争反対』を叫ぶことは誰にとっても易しいことです。自分や家族の命が危険にさらされた状況でも『戦争絶対反対』と主張できるのかどうか、梅爺には自信がありません。

『カラル遺跡』を残した人たちは、『何よりも人の命を大切にした』とは言えないことが、ピラミッド頂上部にある『聖なる場所』で、人間を生贄(いけにえ)として神にささげていた痕跡が発見されたことからも明らかです。『何と野蛮なこと』と眉をしかめるのは、現代人の価値観によるもので、当時は、一人の命より、コミュニティ全体に、『豊かな雨量』『農耕の豊作』『はやり病に見舞われない』という恩恵が『神』によってもたらされることの方が重要であるという『価値観』が優先されたと考えるべきでしょう。神の恩恵を受けるのは、それ相応の捧げものが必要と言う考え方は、原始的な宗教に共通しています。もっとも貴重な人間の命を捧げれば、もっとも大きな恩恵をうけることができると、考えるのも自然の成り行きです。現在の洗練された宗教では、この捧げものが、『祈り』『念仏』などに代わり、人の命を捧げると言うようなことはなくなりました。

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2012年2月10日 (金)

第五の文明(1)

世界の古代四大文明の発祥地は、エジプト(ナイル川)、メソポタミア(チグリス・ユーフラテス川)、インド(インダス川)、中国(黄河)と学校で習いました。こういう『知識』を丸暗記すれば歴史のテストでそこそこの点が採れると言う程度のことは、梅爺も子供心に分かっていましたので、嫌々付き合いましたが本心は、ほとんど興味が湧きませんでした。

しかし、ブログを書いてみて、『17万年前にアフリカに出現した現生人類は、どのようなルートで世界へ分散していったのか』『文明とは何か』『文明の発祥に何故川(大河)が必要なのか』などに興味を抱き、調べたり、推論を巡らせたりするようになり、初めて自分の興味の対象として、古代文明を考えるようになりました。日本の学校の先生は、表面的な『知識』だけを生徒に詰め込もうとしますが、本当は生徒の興味を喚起することが重要なのではないでしょうか。『知識』を伝授することと、『興味を喚起する』ことでは、先生の資質に雲泥の差が要求されることになります。本質を理解したり考えたりしたことのない先生には、生徒の『興味を喚起する』ことはできないからです。梅爺が子供の頃、良い歴史の先生に出会っていたら、全く違った反応をしたに違いありません。

NHKBSハイビジョンで『第五の文明』を紹介する特集番組があり、録画して観ました。南米ペルーの『カラル遺跡』(南米西海岸に近い場所)を紹介するもので、エジプトのピラミッドを建設した古王朝時代とほぼ同時期に、南米にもピラミッドのような建造物を保有する文明が存在していたという驚くべき事実を梅爺は知りました。

遺跡は、1996年に、干からびた荒涼たる土地の、小山の下から発見されました。原住民が自然の小山であると思っていたものは、ピラミッドなどの建造物の上に土砂が堆積してできたものであることが判明しましました。『驚くべき』と梅爺が書いたのは、『南米は現生人類が最後に到達した地球の地域で、エジプトの古王朝時代に相当する時代は、とても文明などは存在しなったであろう』というのが、歴史学者の共通認識であったからです。それに『カラル遺跡』の近辺には、小さな川はありますが、大河やその痕跡もありません。文明発祥の地としては、極めて不利な条件に見えます。

南米に現生人類(モンゴロイド種)が到達したのは、シベリア、ベーリング海峡、北米、中米を経由という途方もない距離を移動した結果で、1万3千年前のころと推定されています。しかし、最近、もっと古い4~5万年前に南米に現生人類の祖先、それもネグロイドらしい人種が存在していたらしい痕跡が発見され、人類史を見直さなければならないかもしれないと騒がれています。この時代にネグロイドが南米に達するには、とても陸路の移動は考えにくくなりますから、オーストラリアから太平洋を横断するか、アフリカ西海岸から大西洋を横断するという、遠洋航海しか思いつきません。つまり、想像以上に古代人の遠洋航海技術は進んでいたと考えるしかありません。このことは、前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-8256.html

『カラル遺跡』近辺には、当時3000人程度の人たちが生活していたと推測されていますが、いくら遺跡を発掘しても、『戦争』や『闘争』の痕跡は見つかっていません。城壁や見はりの塔、武器、武具の類(たぐい)はもとより、大量に虐殺された人骨なども発見されていません。他の『4大文明』が戦争に明け暮れたことを考えると、同時期に、戦争を回避して繁栄した文明が地球上に存在していたかもしれないということになり、人類の将来にとっても重要な意味を持つかもしれません。

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2012年2月 9日 (木)

The bread never falls but on its buttered side 

『梅爺閑話』で、『江戸いろはカルタ』『上方いろはカルタ』の全てに感想を書き綴りました。ブログを書き始めた時に、気軽に考えて始めましたが、そのうちに梅爺の興味の対象が、やれ『神』だ、やれ『生命』だとあらぬ方向へ飛び火をし始め、『いろはカルタ』はそれらの話題の合間に時折顔を出す程度になったために、全てを網羅するのに4年近い年月を要してしまいました。

『いろはカルタ』は、日本人庶民の、人生観、処世観、死生観が見事に表現されていて、そのレベルの高さにあらためて感嘆しました。明治維新以降、日本を訪れた多くの西欧人が、日本人の美意識や、心の優しさを知って驚くことになりましたが、その様な『精神文化』の一翼を『いろはカルタ』が背負っていたことになります。日本語のしくみをうまく利用した『いろはカルタ』は、日本の文化遺産の最たるものではないでしょうか。『いろはカルタ』は、『知っている』だけや『ありきたりの解説を読む』だけではあまり意味が無く、2様にも3様にも読み取れる表現の奥底を、『自分なりに理解する』ことに大きな価値があるように思います。なによりも『矛盾』を『滑稽』として笑い飛ばす精神が、梅爺は好きです。

外国にも、勿論『諺』や『金言』があり、表現様式がその国の文化と深いかかわりがあるのも当然です。一方『人間』である以上、『同じようなことを思いつく』ことも多く、『諺』や『金言』は、『人間』研究には欠かせないもののようにも思えます。

梅爺が辛うじて、理解できそうな『外国語』は『英語』ですので、『英語の諺』の中から、勝手に選んで紹介することを今後少し続けてみたいと思いつきました。最初に選んだのが『The bread never falls but on its buttered side』です。忠実に訳せば『パンは、バターを塗った面を下にする以外の落ち方を決してしない』となり、日本語としてはかなり不自然ですので、意訳すれば『パンを落とすと、どういうわけか必ずバターを塗った面が下になってしまう』となります。

受験英語を記憶されておられる方は『never(not only) A but B』に気付かれるかもしれません。『どういうわけか必ずAではなくBになる』というニュアンスですが、この構文形式を、日常の英会話の中で自由に使える日本人は、かなり英語の達人です。この諺では『単に落ちるのではなく、必ずバターを塗った面を下にして落ちる』ということになります。

『そうあって欲しくないことが必ず起きる』ということで、『人生は思い通りにはいかない』『泣きっ面に蜂』というようなことが云いたいのでしょう。

確率論から云えば、『バターを塗った面が下になる』確率は50%ですから、『必ず下になる』と言う表現は『真実』ではありませんが、人間にとっては、『願いがかなわない時』の精神的な衝撃の方が大きいために、このように悲観的な表現になったのでしょう。

人間の『脳』は、『願う』『期待する』『祈る』ようにできています。『自分に都合のよい状態』は『生き残り』に必要と本能的に『考える』『求める』からなのでしょう。

『自分の思うようにことが運ばない』現実を、冷静に受け止められる人は、古今東西少ないために、このような『諺』が出現するのではないかと思いました。徳川家康の『不自由を常と思えば不足なし』という教えにあい通ずるような気がします。

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2012年2月 8日 (水)

塩野七生(100年インタビュー)(8)

この番組の中の、塩野さんの以下の発言内容を梅爺は面白いと感じました。一つ一つコメントしたい気持ちがありますが、冗長になりますので控えます。ただ、いずれも共感できるものです。

●『狂信』は『知らない』ことから生まれる。
●新しいことは、物質的にも、精神的にも『余裕』『ムダ』から生まれる。
●新しい事態には、『損をする人』が先ず敏感に反応する。『得をする人』は事態が理解できないことが多い。政治リーダーは、事態の意味を理解できるように説明する必要がある。
●政治(政治リーダー)は重要で『魚の頭』のようなもの。『頭』が腐ったら『身』も腐る。庶民がしっかりしていればよいというわけにはいかない。
●日本人は、具体的な問題の解決は得意であるが、抽象的な想定(推論)は苦手である。
●『格差』はいつの時代、どこにも存在する。問題は『格差』を生み出す要因が、時代とともに変わる流動性をもっているかどうかである。
●『歴史』の意義は、そこで沢山の追体験ができることである。人生で出会える人の数には限界があるが、『歴史』のなかでは、3000年前までさかのぼって、多くの人と出会える。

梅爺と塩野さんの大きな違いは、塩野さんは『科学』の分野には、踏み込んでいないことです。梅爺は、『宇宙』『生命』『生物進化』『人間の脳』などにも首を突っ込み、『神』でさえも、『科学』と関連付けて得心しようとします。『人文科学』と『自然科学』は別の世界と垣根を設ける時代は終わりつつあると感じています。

塩野さんは、『科学』をご自分の専門外とみなしておられるのか、『万人が正しいと思うことの追求』は専門家に任せておけばよいと考えておられるのかどちらかではないでしょうか。『万人が正しいと思うこと』を、自分も『知る』ということは、それほど心躍ることではなく、『自分が知りたいことを、自分流儀で考えて、文章で表現する』というプロセスに興味を抱かれるのでしょう。素材は『歴史』ですが、表現は『文学』になっています。

したがって、ご自分の『思い描いたカエサル像が正しい』などとは考えずに、『皆さんなら、どう考えますか』という素材として提示しているものと推察できます。もしそうなら、『梅爺閑話』と同じ姿勢です。

番組の最後に、『100年後の日本人へのメッセージ』がありました。

『100年なんて、短いものです。100年後でも、自分の著作を読んでいただければ、何かの役には立つと同時に、面白いと感じていただけるでしょう』

人間の本質を洞察しているが故に、内容の『普遍性』に、並々ならぬ自負をお持ちであることが分かります。梅爺は、100年後も色あせない『評論』『論旨』を展開する自信などありませんので、畏れ入るばかりでした

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2012年2月 7日 (火)

塩野七生(100年インアビュー)(7)

『ローマ帝国』のコインには、『クレメンチャ(寛容)』というラテン語が刻まれていて、これが『ローマ帝国』を理解する鍵であるとよく言われます。確かに、『ローマ帝国』の基礎固めの時代には、『寛容』が大きな力になっているように見えます。制圧した地方は、『ローマ帝国』に歯向かわないかぎり、『属州』として、その住民も、条件によっては『ローマ市民』になることができました。『属州』独自の宗教も、基本的には認められていましたし、『属州』出身の『ローマ皇帝』も数多く出現しました。『キリスト』が出現した時の『ユダヤ』は、『ローマ帝国』の『属州』の一つでした。したがって、『十字架の刑』は、ローマの法に基づいた処刑で、『ローマ帝国』からユダヤ『属州』の総督として赴任していたポンテオ・ピラトによって判決が下されました。『キリスト』の言動は、『ローマ帝国およびユダヤ属州』にとって、都合が悪いものであったからです。つまり、『寛容』は、誰に対してもと言うことではなく、『歯向かわない者へのご褒美』という意味が込められていることが分かります。

『ローマ帝国』の基盤が固まり、体制維持が重要になってきた、4世紀の前半に、コンスタンティヌス帝は、宗教政策を一変して、『多神教』から、『一神教』の『キリスト教』を国教とします。『帝国』を支配するために、『神』に信任された『リーダー』という権威を『皇帝』に付与して利用しようとしたとも言えます。日本の『天皇家』も『天照大神』の正統な子孫ということになっていますから、『同じこと』と考えるのは早計で、日本の場合は『庶民』には、『庶民』の『神』が別に存在する『多神教』の社会ですから、『一神教』の意味を肌身で理解することが易しくありません。『多神教』は、一人の人間が多数の神を拝むという側面より、誰もが好きな『神』を選ぶことができるという側面が重要です。云いかえれば、他人が他人の『神』を選ぶことも認めるわけですから、それが争いのタネにはなりません。

『一神教』という『概念』を、見いだした人類の推論能力は見事ですが、それ以外は『悪魔』『邪神』という論理帰結になりますから、今度は自分と同じ『神』を拝まない人たちは『異教徒』として排除することになり、抹殺することさえも『神の意志に沿う行為』であるという、『寛容』とは程遠い考え方につながっていきます。真の『寛容』は、自分とは異なった『価値観』の存在を認めることです。自分と同じ『価値観』を持つ人同士で、『寛容』を確かめ合うことは、誰にでもできます。

人間社会が一つの『価値観』に染まるということは、人間の特性を考えれば不自然なことですから、『民意の統一』などということは、望むべくもないと塩野さんは指摘しています。人間社会で唯一可能なことは、多様な『価値観』の共存を、『寛容』で認めあうことです。そうは言っても、現実には『許容限界』があり、それが人間社会に多くの悲喜劇を生みだす要因になることも事実ですので、実に厄介です。『寛容』『愛』『絆』などは、耳に心地よく響く言葉ですが、人生の種々の局面で、それとどう付き合うかは、易しいことではありません。

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2012年2月 6日 (月)

塩野七生(100年インタビュー)(6)

社会は、『リーダーとそれを支える人材グループ』を必要とします。つまり『リーダー』だけでは機能しません。難局を舵取りしなければならない現在の日本に、『リーダーとそれを支える人材グループ』がいないと、私たちは嘆きますが、塩野さんは、『人材はいかなる時代でも存在する』もので、現在の日本に欠いているものは『人材を見つけ出し、活かすしくみ』であると指摘されました。『人材』が点在するのではなく、集まることの相乗効果は計り知れません。

しかし考えてみると、『人材を見つけ出し、活かすしくみ』は、西欧の先進国でも万全ではなく、どこも似たり寄ったりのように見えます。『民主主義に基づく公平で自由な選挙』で選ばれるのは、『政治家になりたい人』で、『政治家に適した人』ではないからです。『民主主義』と『人材を見つけ出し、生かすしくみ』の相性は、あまりよくないように見えます。

梅爺が務めていた会社の『社長』は、歴代前の『社長』が、次の『社長』を選んで指名する方式が継承されています。つまり『個人の眼力』で後継者を選ぶ方式で、『民主的な方法』ではありませんが、結果をみると実にうまく機能しています。『知力、倫理観、総合判断力に富み、外国語も堪能』な社長が次々に登場しました。この方式は『立派な人材』は、『立派な人材』を見出すという前提ですので、一度『立派でない人材』が混入すると、一気におかしなことになる危険性を秘めています。それに、『社長』になりたかった人は、自分が選ばれなかったことに不満を抱き、『密室で決まるのは公明ではない』などと不平を口にしたりもしますから、しこりが残らないわけではありません。それでも『立派でない人材』がトップに上り詰めてしまうと、大会社といえども、不幸な『問題』や『事件』が起こり易くなるという、もっと深刻な弊害が待ち受けています。

北朝鮮の、世襲で後継者が決まる方式は、なんともいかがわしく見えますが、中国のリーダー選出方式は、意外にうまく機能する可能性を秘めているのかもしれません。しかし、実態は、覇権を競うグループ間の、微妙なパワー・バランスで、リーダーが決まっているのではないでしょうか。

人類は、リーダーや人材を選ぶ、うまい方法を未だ見つけていないのかもしれません。考えようによっては、万人が認める真の『リーダー』などという人間は存在しないのかもしれません。塩野さんは、世界的に『リーダー』が出現しない背景は、『平和の代償』であると指摘していました。

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2012年2月 5日 (日)

塩野七生(100年インタビュー)(5)

イタリアの教科書には、『リーダーの資質』として次の5つの要因が記載されていると塩野さんは紹介されました。(1)知力(知識ではなく本質を見抜く力)(2)説得力(敵に対する)(3)耐久力(肉体的な)(4)持続する意思(5)自己制御能力(職責にふさわしく行動する)。

日本では、『リーダーの資質』として、よく『決断力』『実行力』が挙げられますが、上記の5つの要因を満たせば、そんなものは誰もが思いつくことで、当たり前なことであると、塩野さんは指摘していました。

魅力的なリーダー(男)は、敵をたぶらかす『殺し文句』で意表をつく、チャランポランでハッタリがきく人物である、というのが塩野さんの主張です。更に、女に操られるような男は、男としては2流以下であると、容赦ない糾弾が続きます。クレオパトラを手玉に取ったカエサルは1流で、クレオパトラの虜になって一緒に死ぬことになったアントニウスは2流以下ということになります。

生真面目な方は、なんとひどいことをおっしゃるのか、『リーダーは、誠実で義を貫く人物ではないのか』と憤慨なさるかもしれません。『清く正しく美しく』が『正しい人の道』と教えられ、疑うことなくそれを信じておられるからなのでしょう。梅爺は塩野さんの表現に共感を覚えます。塩野さんも梅爺も、『清く正しく美しく』を無意味なことと否定するつもりなどありません。ただ、それだけで人間を理解することには無理があると言っているだけです。リーダーが周囲を惹きつけるためには『生真面目一辺倒』ではだめで、『豪放磊落(ごうほうらいらく)』な一面を持っている必要があります。周囲は、自分達の不安をリーダーが取り除いてくれることを無意識に期待するからです。そして、『豪放磊落』は、時に『チャランポランなハッタリ』にも見えることがあります。

昔のリーダー(男)は偉く、昨今のリーダーは偉くないというわけではないと、塩野さんは解説されました。一番の違いは、昔のリーダーは、成功しなければ『死ぬ』ことが明白であったということです。つまり、『死のリスク』を背負えば、時にイチかバチかのハッタリも必要になるということなのでしょう。『西郷隆盛』と『勝海舟』は、『死のリスク』を覚悟して、『江戸城の無血開城』の折衝の場に臨んだに違いありません。

そう言えば、昨今の日本では綺麗ごとの『マニフェスト』が、ことごとく反故(ほご)になって、職責を投げ出しても、まだ『元首相』という肩書で、恥ずることなく意見を述べたりする『ボクチャン』がいますから、首相職は『死のリスク』などとは縁遠い、気楽な稼業であることが分かります。梅爺は、『ボクチャン』は切腹すべきであるなどと野蛮なことを云うつもりはありませんが、せめて、男なら恥じて、身を慎んでもらいたいと願います。臆面なく振舞い、メディアもそれを恭(うやうや)しく取り上げる神経は、理解の域を越えています。

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2012年2月 4日 (土)

塩野七生(100年インタビュー)(4)

人間は、『清く正しく美しく』生きなさいと言われて、『ハイ、分かりました』と従順に従えるようにはできていません。梅爺は、自分を棚に上げて『世の中には、社会の秩序を乱したり、身勝手な人がいる』と嘆いているわけではありません。自分自身を冷静に観察して観れば、切羽詰まった状況に追い込まれた時に、咄嗟に自分に都合のよい身勝手な解決法や、言い訳を考える習性があることが分かります。そして、この習性は人間である以上誰にでもあるように見えます。

仏教は、この習性を『煩悩(ぼんのう)がなせる業(わざ)』と説明し、キリスト教では『心が邪悪(悪魔)に支配されているが故に犯す罪』と説明します。したがって、仏教は『煩悩を解脱するよう修行しなさい』と説き、キリスト教は『神だけを見て、悪魔の囁きには耳を貸してはいけません』と説きます。結果的には同じような教えを説いているように見えますが、キリスト教のように『外部要因(邪悪、悪魔)』が罪の原因であると説明するより、『人間は生まれながらにして煩悩を内に抱えている』という仏教の説明の方が、梅爺には納得がいきます。

しかし、仏教でさえも、『何故人間は生まれながらにして煩悩を抱えているのか』という理由は説明していないように思います。『梅爺閑話』をお読みいただいてる方には、いつもの話で恐縮ですが、『煩悩』の正体は、人間が生物進化の過程で獲得した、『生き残りのために、自分にとって都合のよい状態(安泰)を希求する本能』であろうと、梅爺は推測しました。更に人間はその後高い『理(理性)』の能力を獲得し、『理』で『煩悩』をある程度制御する術(すべ)も身につけました。これとても、制御した方が『安泰』を産みだす確率が高いと、推論したからです。したがって『善良』『邪悪』という概念は、神に教えられたものではなく、人間が上記のプロセスで自ら考え出し、区分けした抽象概念であろうと、梅爺は考えています。

人間社会の歴史には、むしろ強い『煩悩』に突き動かされる人物が登場し、時に『強者』『勝者』として権力を背景に社会を牽引し、時に無惨な『敗者』となって、自分ばかりか周囲も破滅へと導いたりします。『清く正しく美しく』生きようとした庶民は、右往左往させられてきました。

塩野さんは、強い『煩悩』に突き動かされた歴史上の人物がお好きなように見えます。『清く正しく美しく』などとは程遠い、人間臭さがプンプンするような人物に興味を覚えるのでしょう。1000年の歴史を刻んだ『ローマ帝国(西ローマ帝国と東ローマ帝国を含め)』には、体制維持や権力を巡って、人間臭さがプンプンする人物が沢山登場しましたから、『ローマ人の物語』を書くには事欠かなかったことでしょう。

どの国の歴史もドラマチックですが、特に『ローマ帝国』『中世ヨーロッパ』は、ドラマの宝庫であると梅爺も感じています。『宗教』と『権力』の関係や、『悔い改めよ』と信者には説きながら、褒められたものではない『権力』体制に染まっていく『宗教』組織の歴史をみていると、人間の『素晴らしさ』と『愚かさ』が見えてくるからです。

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2012年2月 3日 (金)

塩野七生(100年インタビュー)(3)

塩野さんの『著作』は、歴史を題材にしていますが、『小説』や『評論』とはいえず、そうかといって『ノンフィクション』とも言えません。日本の書店で、塩野さんの作品をどの書棚に陳列するか、店員が迷った末に、結局『女流作家』の書棚に並べているらしいと、塩野さんは笑って語っておられました。『はじめから女流作家としてみとめてくださるのなら、塩野七生などという本名ではなく、もっと女性らしい可愛らしいペンネームにしておけばよかった』と冗談もおっしゃいました。

勿論、これは冗談で、塩野さんのホンネではないに違いありません。『装い』で『中身』は律することはできませんよ、というシニカルなメッセージで、それ故に梅爺は、何人かの女流作家のペンネームを思い浮かべたり、『部長』という肩書で呼ばれるようになって、急に偉そうに振舞いだした昔の上司を思い浮かべて、ニヤリとしてしまいました。

塩野さんも、司馬遼太郎も、実在する歴史の人物を、自分で歴史的な資料を調べ上げ、それで得られた断片的な情報を組み合わせて、自分の脳裏の中にその『人物像』を作り上げ、『著作』の中に登場させます。塩野七生の『カエサル』、司馬遼太郎の『坂本竜馬』『西郷隆盛』『秋山真之』であるということにになります。そこには作家の『主観』『遊び心』『無意識の美化』などが混入することになりますが、『学問書』ではありませんから、それは当然許されます。

作家は、『私はこう考えましたよ』という『人物像』を提示しているわけですから、読者は、作家がつくりだした世界を楽しむと同時に、本当にそのような人物であったかどうかについては、自分で『考え、判断しながら』接する必要があります。

塩野さんは、『基本的に自分が知りたいとおもうことを題材に書いている』と言っておられました。このことは、『正しい知識』よりも、『こうではないかと自分で考えたこと』を書くことに興味の中心があるということで、これまたレベルの差はありますが、梅爺が『梅爺閑話』を書くときの姿勢と同じです。『梅爺閑話』はやたらと蘊蓄を傾けることが目的なのであろうと誤解されますが、『自分が考えたことが絶対正しい』などとは少しも考えたことがありません。

しかし、塩野さんは、梅爺のような薄っぺらな推測だけで書いておられるわけではなく、イタリア語の関連資料だけでなく、時にはギリシャ語、ラテン語の古い資料にまで目を通し、輪郭線だけの地図に、人物との関連事項を書き込んだりして、徐々に『昔の人物』へ肉薄していきます。『カエサルの筋肉の動きまで感ずることができるようになって、初めて書けるようになった』と述懐されておられますから、自分の『カエサル』を脳裏につくりだすのに、大変な努力が先行していることがわかります。

読者には、ただ読んで、『そうだったのか』と内容を受け止めるだけでなく、『あなたにも考えてほしい』と塩野さんは付け加えられました。梅爺も同じ思いでブログを書いています。

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2012年2月 2日 (木)

塩野七生(100年インタビュー)(2)

女性の塩野さんが、『男らしい発想をする』と言うことは、逆に云えば多くの女性は『塩野さんのようには発想しない』ということになります。男女の『脳』の違いについては、脳科学者や心理学者が論じていますから、原因が必ずしも突き止められてるとは言えないまでも、一般論としては『違いがある』と考えて差し支えないのでしょう。

梅爺は、以前『脳と性別の関係』、『男は火星人、女は金星人』というタイトルで、これに関するブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post_84dd.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b3dc.html

荒っぽく云ってしまえば、男は『理』を優先して『考え』、女は『情』を優先して『感じる』という傾向が強いということでしょう。多分生物としての進化の過程における、生き残りのための『役割分担』と密接な関係があるのでしょう。塩野さんは、男性のように『理』で本質を観ようとする性向が強いと言うことになります。

塩野さんの一番の大作は、15巻からなる『ローマ人の物語』で、執筆には15年を要しました。『男として魅了されたユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)について書きたいいう動機で執筆した』と塩野さんは述べておられます。カエサルは絶世の美男子でもない上に、女たらしでもありましたから、塩野さんが魅了されたのは、うわべのことではなく、その言動から窺える、良くも悪くも男の臭いがプンプンするような『性格』『能力』に魅せられたということなのでしょう。男の本質的価値を見抜いているわけですから、『イケメンでヤサシイ男性に愛されたい』などといったり、韓流ドラマの『ヨンさま』にうっとりしている世の多くの女性とは、確かに一線を画する女性であるということになります。塩野さんが『好き』という、『カエサル』『マッキャベリ』『織田信長』は、全て並みの『優男(やさおとこ』ではありません。

番組では、塩野さんの本の中にある以下の『カエサルの名言』が紹介されました。

● どんな悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそもの動機は善意によったものであった。
● 人間ならば誰でも現実全てが見えるわけではない。
● 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

このような『洞察力』『論法』に、魅了される塩野さんと、梅爺がおこがましくも『波長が合う』と感ずるのは当然で、『梅爺閑話』のへそ曲がりな記述は、程度の差はありますが、このような発想、表現と類似しています。この『名言』の本質をすぐに理解してニヤリとされる方に、梅爺は親近感を覚えます。キョトンとされる方は、『梅爺閑話』にもキョトンとされるのでしょう。

『結果を観てから良し悪しを論ずる人』『世の中は見通せるものと勘違いしている人』『自分本位に振舞いながら、世のため人のためなどと言う人』に出会うと、梅爺は、つい茶化したくなり、それが顰蹙(ひんしゅく)を買う原因になっています。

『理』で本質を『洞察』しようとする塩野さんの発想は、確かに、男の一部が好むものであるということになり、したがって塩野さんは『珍しい女性』であるということにもなるのでしょう。話が少し逸れましたが、塩野さんが女性であることを梅爺がこだわったり、気にしたりしているわけではありません。

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2012年2月 1日 (水)

塩野七生(100年インタビュー)(1)

NHKBSプライム・チャンネルで、作家『塩野七生(ななみ)』さんへのインタビュー内容が『100年メッセージ』として放映され、録画して観ました。

塩野さんは、イタリア在住で、ローマ帝国や中世ヨーロッパを題材にした多くの著作て有名な女流作家です。

塩野さんの発想と表現は、梅爺が頭の隅で、なんとなく感じていながら、適切な表現方法が思い当たらず、モヤモヤしている時に、それを見事に代弁してくださる感があり、大好きです。おこがましい云い方で恐縮ですが、『波長が合っている』と感じる作家のお一人です。

梅爺は、普段周囲から、『物事を素直に受け取らない』『他人の話に水をかける』などと非難されることが多く、云いかえれば『ズレている人』の部類に属するらしいことを知って、『そうか、俺はズレているのか』と自分でも思い込むようになりました。

自分が『当たり前』に発想、表現していることが、実は他人からみると『ズレている』ようにみえているらしいということですから、自分は『それほどブスではない』と内心思っているのに、『あいつはブスだ』と言われているようなもので、本心は釈然としないものがあります。どうせそう言われるのであれば、『ブスのままで通してしまえ』とばかりに、『梅爺閑話』のような内容を、節(せつ)を曲げずに書き続けています。

しかし、塩野さんの文章を読んで、梅爺は何の違和感も覚えず、むしろ『波長が合っている』と感ずるわけですから、もし梅爺が『ズレている』なら、塩野さんも『ズレている』ことになるはずです。それなのに、塩野さんの著作は、ことごとくベストセラーになるわけですから、ひょっとすると、世間は『ズレている』人を待ち望んでいるのかもしれない、自分の存在価値もそう捨てたものでもないのかもしれないと、淡い希望が湧いてきました。

たしかに、『一見、誰一人ズレている人がいない』ように見える、北朝鮮のような社会は不気味ですから、『ズレている』人を認める社会は健全で優れているのではないでしょうか。『梅爺閑話』は、顰蹙(ひんしゅく)を買うことはあっても、言論弾圧の対象にはならない現在の日本は、ありがたい社会であると感謝しなくてはなりません。

塩野さんは、『男の心理を書く、女らしくない作家』とよく言われますが、インタビューの中では、『女の心理を書く男の作家がいるのですから、その逆があっても不思議ではないでしょう』と笑っておられました。勿論、そのようなことを意識しながら書いておられるわけではなく、当たり前に発想すると、それがたまたま『男の発想』に近いということで、『発想』そのものの価値とは関係が無いように思います。

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