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2011年12月31日 (土)

先史人侮りがたし(5)

アイルランドの『ニューグレンジ』の東を向く正面や西を向く裏面に置かれた礎石壁面には『渦巻の紋様』が彫られています。『渦巻の紋様』は、蚊取り線香のような文様で、日本の『唐草紋様』にも似ています。『渦巻の紋様』は、ニューグレンジより1万年以上前の先史人が残した、世界各地の洞窟壁画にも頻繁に登場する共通の『紋様』で、単なる美的紋様ではなく、当時の人々の宗教など、精神世界と関連があると推測されています。日本の縄文土器の紋様にも使われています。人間は、誰もが同じようなことを思いつき、考えるものだと言ってしまえば、それまでですが、何故『渦巻紋様』なのかは不思議です。

宗教の原点の一つは、アミニズムに代表される『周囲の自然に対する畏怖の念』であったと想像できますが、グラハム・ハンコックは、人間の脳が体感する『超自然現象(Supernatural)』もその一つではないかと推定しています。これについては前にブログで紹介しました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_82a5.html

単調なリズムの繰り返し、連続した激しい踊り、麻薬となる薬草の服用などで、人間は『トランス(恍惚)状態』に陥ることがあり、肉体と精神が遊離した感覚を体験すると云われています。この世とは思えない不思議な世界の体験は、『神』や『死者の霊』との遭遇を思いつくきっかけになったというのが、グラハム・ハンコックの主張です。そう言われてみれば、仏教の木魚、イスラム教の一派の『メブラーナ教』の輪舞、アフリカや南米の呪術師の薬草服用など、宗教はこれを利用していることに思い当たります。『トランス状態』で人間が観る共通の紋様の一つが、明るい光の渦であると言われていますので、『渦巻の紋様』が精神世界の象徴であるという主張には一理があります。

『渦巻の紋様』はまた『繰り返し』の象徴でもあるように思えます。先史人にとっては、昼と夜の繰り返し(太陽の運行)、めぐる季節、月の満ち欠け、星座の動きなどの自然の摂理は、すべて『繰り返し』であり、そこに神秘な力が働いていると推定したのは、当然のことのように思います。

エジプトのファラオが、自分は星や太陽の化身であると主張して、『霊の不滅』『命の復活』を願ったことは、人間の『強欲』の象徴とも思えますが、自然の『繰り返し』を観ていれば、『自分の命も繰り返す』と信じたくなる気持ちもわからないではありません。『霊の不滅』『死後の世界の存在』『輪廻(りんね)』などは、世界の宗教に共通する考え方です。つまり推論能力を保有する人間が、実際には無いものを『在る』と推測し、それを語り伝えるようになるのは、自然の成り行きです。

先史人が『渦巻の紋様』の中に、不思議な力の本質を感じていたという主張には『そうかもしれない』と思わせるものがあります。繰り返しになりますが、現代人が先史人に比べて、人間として優れた能力をを保有しているように見えるのは、文明・科学で獲得した知識によるだけで、基本的な資質は変わっていないというのが梅爺の推測です。私たちも先史時代に生まれていれば、『渦巻の紋様』を、不思議な力の根源として崇めていたのではないでしょうか。

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2011年12月30日 (金)

先史人侮りがたし(4)

250pxstonehenge_closeup イングランドに残る巨石遺跡『ストーン・ヘンジ』は、エジプトのギザのミラミッド(BC2800年頃の建造と推定されている)と同じ頃に創られたと考えられています。エジプトには当時文字文化(ヒエログリフ)が存在していたと推定されていますので、ギザのピラミッドは、厳密には『先史時代の遺跡』とは言えないのかもしれませんが、『ストーン・ヘンジ』を残した人たちが文字を使用していた形跡は残されていませんので、『ストーン・ヘンジ』は『先史時代の遺跡』に該当します。

ギザのピラミッドでさえも、建造目的が解明されているわけではありませんので、『ストーン・ヘンジ』は、文字の手掛かりがないだけ、更に建造目的が謎のままになっています。太陽の運行を利用した『歴(こよみ)』ではないかとか、宗教儀式が行われた場所であるとか、色々な説がありますが、特定はできていません。

350pxnewgrange_ireland_750px アイルランドには、『ストーン・ヘンジ』より更に200~400年程度古いと考えられる『ニューグレンジ』が残されていて、これも『先史時代の遺跡』に該当します。ギザのピラミッド以前の遺跡ということになります。『ニューグレンジ』は巨石遺跡ではありませんが、石を積み重ねた人口の塚のようなもので、直径は90メートルにもなる大きさです。一年に1回、冬至の日の出の時だけ、太陽光が入口から差し込んで、奥の壁を照らすようにできていることから、『歴(こよみ)』でもあり『信仰の対象』でもあったのではないかと考えられていてます。

現代の建築設計士が、冬至の時だけ朝日が差し込むような建造物を創れといわれれば、さほど難しい話ではありませんが、5000年以上前に、人類はそれを可能にする知恵、知識や技術を保有していたことになりますから、『先史時代は野蛮な時代』と侮ることは危険です。天文学、幾何学などの基礎知識がなければ不可能であるからです。

先史人といっても、『ニューグレンジ』を建造した人たちは、人類がアフリカから大西洋を渡って南米大陸に到達した当時の先史人に比べれば、更に2万年くらい後の人たちですから、一層『賢く』なっていたのは当然の話です。

文字を持たない時代の人たちは、現代人に比べると格段に少ない情報をベースに理性で『推論』して行動していましたので、現代人には『馬鹿げていること』『迷信』と分かることを、真剣に信じていたのは、当然のことです。保有している情報量が乏しいだけで、脳の推論機能が現代人にくらべて劣っているとは言えません。『情感』を処理する脳の能力も現代人と何ら変わらないと考えられます。つまり、人間の基本的な資質としては、『ニューグレンジ』をつくった人たちと、私たちは『変わらない』のではないでしょうか。

『先史時代は野蛮な時代』という先入観念は、歴史や人間を見誤ることになりかねません。

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2011年12月29日 (木)

先史人侮りがたし(3)

アフリカを出た現生人類の祖先は、『原則、陸伝いで新しい土地へ進出していった。近い島や、狭い海峡は丸太舟や簡易筏(いかだ)で渡ったことはあっても、大洋は渡れなかった』というのが、従来の人類考古学の推測の根拠になっていました。この前提に立つと、アフリカから最も遠い大陸は南米大陸で、アフリカ、中東、アジア、シベリア、北米、中米を経て南米に到達した行程は、『大移動(The Great Journey)』と称されていました。

しかし、今回アフリカ西岸から、大西洋を横断して、南米東岸へ直接到達した可能性が浮上し、『なるほど』と思うと同時に、『本当かなぁ』と疑う気持ちも残ります。15世紀のコロンブスやマゼランの航海が、いかに過酷なものであったかを私たちは知っていますので、数万年前の現生人類が、本当に大洋を渡る知恵や、能力があったのだろうかと考えてしまいます。

多分、何らかの理由で、アフリカを脱出せざるをえなくなった人たちが、おびただしい数の挑戦を繰り返し、ほとんどは海の犠牲になったものの、一握りの人たちが幸運にも南米へたどり着いた、ということなのでしょう。人類の歴史は、『幸運に生き残った人たち』の歴史で、天災、疫病、戦争、事故の犠牲になり亡くなった『不運な人たち』が影に必ず存在します。『種』が進化するために、『種』の一部は犠牲になるという、過酷なルールから『人類』も逃れることができません。現在私たちが『毒キノコ』や『フグの肝』を食べないのは、それを食べて亡くなった多くの不運な人たちの失敗例を教訓として受け継いでいるからです。そう考えれば、『生きている』ということ自体が『幸運』であるということになります。失敗や犠牲を繰り返して得た知恵を利用するという、人間の能力が発揮されなければ、アフリカから大西洋を横断して南米へ達することは到底実現できなかったと考えられます。

2万2千年前に、現生人類の『ネグロイド』が、南米に存在していたと言う事実は、当時の人類は、優れた能力で、あるレベルの知恵や技術を駆使していたことを示しています。『言語レベル』も、私たちが想像する以上に高いものであったのではないでしょうか。そうでなければ、『知恵』を子孫へ伝承することは難しいからです。

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2011年12月28日 (水)

先史人侮りがたし(2)

NHKBSハイビジョンで、先史時代の『世界遺産』を特集した番組があり、これを録画して観て、梅爺は『先史人侮りがたし』の念を一層強くしました。

最も興味を惹かれたのは、先史・古代人は、想像以上に『遠洋航海技術』を身に着けていたのではないかということです。

南米ブラジルの『カピパラ山地国立公園』は、世界で最も豊富な『先史人洞窟壁画』が存在する『世界遺産』で、驚くべきことに、この付近で発見された古代人の頭蓋骨が、年代測定で2万2千年前のものであり、しかも『モンゴロイド(黄色人種)』ではなく『ネグロイド(黒人種)』であると判明したというのです。この頭蓋骨は目下、パリへ運ばれ、詳細の研究がおこなわれているとのことですが、もし、推定通りに2万2千年前のの『ネグロイド』であると確定すると、人類考古学に関する従来の『定説』は完全に覆ることになります。

従来の『定説』は、17万年前にアフリカ中部のサバンナ地帯で誕生した『現生人類』は、8万年ほど前から、『脱アフリカ』を開始し、砂漠に阻まれた北部アフリカ(現在のエジプトなど)へ陸路到達したのではなく、紅海を渡ってアラビア半島に達し、続いて中東、アジア、ヨーロッパへ進出し、シベリヤ、ベーリング海峡(当時は陸続き)経由で北米に達し、中米を経由して最終的に南米に達したというものでした。この説では、1万2千年前以前に、南米に『現生人類』が到達したことはあり得ないことになり、更に到達したのは『モンゴロイド』以外ではあり得ないということになって、上記の新発見は全く説明がつかないことになります。

梅爺も前に『定説』を疑う内容の『南米大陸の最初の住民』というブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-8256.html

この時梅爺は、オーストラリアに到達した『アボリジニ』が、遠洋航海で太平洋を渡り、『モンゴロイド』より先に南米大陸(西海岸)へ到達していたのではないかと、勝手な想像をしました。

しかし、今度の発見は、『アフリカの西海岸から、ネグロイドが遠洋航海で大西洋を渡り、モンゴロイドより先に、南米の東海岸へ到達していた』ことを示唆しています。つまり現生人類は、北米より先に南米へ到達したということになります。当時は現在よりも海面が140メートル低かったこと、ブラジルのカピパラ山地は東海岸に近いこと、海流の状況などを考えると、広い太平洋を航海したというより、大西洋を渡ったという方が、ずっと可能性が高いことに気付き、梅爺は『なるほど』と虚をつかれたように感じました。

梅爺が最初に現生人類の歴史についてブログを書いたのは、『エデンを離れて』で、2年前のことですので、それから短い間に、人類考古学は大きく変わろうとしていることが分かります。こんな面白いことが次々に起こるのでは、野次馬の梅爺はおちおち死ねません。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-17f7.html

いずれにしても、数万年前の現生人類は、既に遠洋航海をする技術を身に着けていたということに他なりませんから、『先史人侮りがたし』の念は一層深まります。

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2011年12月27日 (火)

先史人侮りがたし(1)

文字で書かれた史跡が発見されない昔を、私たちは『先史時代』と呼びます。現生人類が文字を発明したのはいつかは、特定が難しいことになりますので、いつの時点からが『先史時代』なのかも判然としません。地球上の場所によっても『先史時代』の定義は異なってきます。日本の『先史時代』は、エジプトや中国の『先史時代』と同じではありません。一般論では、5~6千年前以前が人類共通の『先史時代』ということになるのでしょうか。

文字は記号(コード)であり、話し言葉の文脈、内容を忠実に記録、再生できる手段と私たちは受け止めますが、表音文字を持たない時代の『絵』『模様』『彫刻』『建造物』には、一種の『表意機能』があったのではないかとも考えられます。イングランドの『ストーン・ヘンジ』、アイルランドの『ニューグレンジ』などの遺跡は、現代人には『謎』ですが、その時代の人たちやコミュニティでは、『誰もが知っている共通の意味』が存在していたことは間違いありません。先史人が世界中の洞窟内部の壁に残した『壁画』も、『人物』『手形』『動物』『異形の生物(神?)』『紋様』などが共通モチーフですが、単なる暇つぶしに描かれた『お絵かき』ではなく、絵を見ただけで、当時の人たちは『共通の意味』を読み取っていたとも考えられます。

つまり、『絵』や『造形物』には、広い意味で『文字』と同様に、コミュニティにおける『意味の共有』を実現する機能があったと考えられます。『グループの絆の確認手段』でもあり、共有する『精神世界』の表現でもあったのではないかと推測できます。

文字を持たない時代の人たちは『野蛮人』であったと、現代人の私たちが優越感で単純に決めつけるのは危険なような気がします。確かに現代人のような『知識』をもってはいませんが、その時代の知識をもとに、『推測する』『推論する』などの脳の基本機能は、現代人となんら変わらないようにも見えます。『知識』が少ないとはいえ、太陽、月、星を観測して知っていた天体に関する知識、建造物や船をつくる知識、食べ物や薬物に関する知識は、想像以上であったことが、最近の考古学の研究で判明してきています。

遺跡を残した『先史人』は、せいぜい数万年から数千年程度以前の人たちですから、人類種の数百万年に及ぶ長い歴史の中では、相対的に『つい最近』の話で、当時の人たちの『脳』は、ほぼ現代人と同じ程度に進化していたと考えるほうが自然です。『先史人侮りがたし』と梅爺が考える所以(ゆえん)です。

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2011年12月26日 (月)

雀百まで踊り忘れず

上方いろはカルタの『す』、『雀百まで踊り忘れず』の話です。

この諺は、現在でもよく引用されますので、説明を要しません。『若い時に身につけた、技能や習慣は、歳をとっても発揮できる』ということですから、『若い時には苦労をしてでも、色々なことを身につけておきなさい。そうすれば歳をとった時に助かりますよ』という前向きな教訓ともなりますが、一方、『あいつは、いい歳をして、まだ女道楽が止められない』などと、いちど覚えた癖はなかなか直らないことを嘲笑する場合にも使われることになります。

若い時に、しっかり脳に覚え込ませたことは、歳をとっても再び思い起こして利用できるということは、自分が歳をとった現在、ある程度『実感』できますが、『一度獲得した記憶は消えることが無い』と断言できるほど確かなものであるとは思えません。人間の『記憶』のメカニズムは完全に解明されていませんが、少なくとも年月を経ると、『記憶』は『薄らいでいく』か『変容していく』ことが心理学の実験などで確認されています。

同じ鮮明さで維持することはできませんが、ある条件で獲得した『記憶』は、『薄らぎ難い』『変容し難い』ということはあるのでしょう。どういう条件ならば、そのようなことになるのかは分かっていませんが、『脳神経ネットワークの形成が活発な時(若い時)』『繰り返し繰り返し同じ刺激を脳に与えた時』『情の制御範囲を越えたような強烈な刺激(ショック)を受けた時』に獲得した『記憶』がそれに相当するような気がします。

人間の場合『知性』にかかわる脳の機能が、重要なものとして話題になりますが、本来生物の脳は、『生き残りの確率を高める』目的で獲得したもので、人間も例外ではありません。一見高尚にみえる人間の脳の機能も、そもそもは『生きる』ための目的に立脚していると考えると合点がいくことが多いように梅爺は感じています。『生き残りの確率を高める』ということは、『安泰』であることを求め、判断し行動する能力のことです。『安泰』を脅かすものは、物理的なものであれ、精神的なものであれ、『不安』『危険』『心配』を本能的にストレスとして感ずることができるように脳はできています。『愛』とか『善良』とか高尚な概念も、元々は『安泰希求の本能』に根ざすものであろうと推察できます。

ストレスを感ずるとそれを排除しようと、身体も脳も反応するように人間はできています。排除しきれない時に、身体や心は病になります。

『雀百まで踊り忘れず』が、思わぬ脳の話になってしまいましたが、『記憶』という解明されていない人間の能力も、元はと言えば『生き残る』ために必要なものとして付与され、進化してきたものであるということが言いたかっただけのことです。『脳』は神聖な精神世界に関与しますが、『脳』そのものを神聖視する必要はないように思います。

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2011年12月25日 (日)

型破りの王様『フェデリコ2世』(5)

『教皇国』は、『フェデリコ2世』を苦々しく思っていましたが、『十字軍で出兵する』ことを条件に、神聖ローマ帝国皇帝になることを渋々認めます。しかし、『フェデリコ2世』もさるもので、その後何度『教皇国』から督促を受けても、いっこうに出兵する気配を見せません。怒り心頭の『教皇国』は、『フェデリコ2世』を『破門』し、『AntiChrist(反キリスト)』と罵倒します。

中世のカトリックは、自分の意に反する人を、『異端審問』という一方的な裁判で、『(神への)冒涜者(Blasphemous)』『異教徒(Pagan)』『異端者(Heresy)』と判決を下し、投獄、処刑を行いました。中世が『暗黒時代』と呼ばれる要因のひとつです。しかし、権力機構が、自分の価値観に従わない者を『非国民』『(国家に対する)反逆者』と決めつけ、拘束したり、処刑したりするのは、なにも中世だけの話ではありません。現在でも、多くの国家でそれが行われています。

『フェデリコ2世』への『AntiChrist』という罵倒の言葉は、『冒涜者』『異教徒』『異端者』よりも、ずっとひどい意味を持ちます。この世の終わりに、キリスト(Christ)が再来し、反キリスト(AntiChrist)と最後の決戦がアルマゲドンで行われてキリストが勝利するという、聖書の黙示録に書かれた予言に現れる反キリスト(AntiChrist)は、『悪魔の親玉』という意味に近いからです。

『フェデリコ2世』は、ついに十字軍として出兵しますが、『教皇国』は、他の十字軍へ通達をだして、『フェデリコ2世』には協力しないように要請します。このような状況下で、『フェデリコ2世』は、イスラム側のサルタン『アル・カーミル』と戦うことなく話し合いで、エルサレム奪還をしてしまいます。『ほら、お約束通りにエルサレムを奪還しましたよ。あなた方が殺し合いを繰り返しても得られなかった成果でしょう』という『フェデリコ2世』の高笑いが聴こえてくるような気します。本来は、これは『大殊勲』であるはずですが、『教皇国』は、全く面子(めんつ)をつぶされたことに立腹し、『イスラム教徒を一人も殺さなかったのは反逆行為』と難癖をつけ、ついに『教皇国』は、南イタリアの『フェデリコ2世』の領土を軍事で攻め、戦争になります。

『フェデリコ2世』は、今度は敢然と受けて立ち戦いますが、彼が生きている間は、決着はつきませんでした。しかし彼の死後、『教皇国』は優勢をとりもどし、ついに南イタリアは『教皇国』の支配下になり、輝かしかったシチリア王国の栄光は、衰退へ向かいます。

『フェデリコ2世』を、『平和を愛好する名君』と単純に評価するわけにはいかないと梅爺が思うのは、上記のような経緯を考えた上のことです。『フェデリコ2世』は、稀代の名君とは言えませんが、稀代の『型破りの王様』であったことは確かでしょう。梅爺は、こういう人物は嫌いになれません。

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2011年12月24日 (土)

型破りの王様『フェデリコ2世』(4)

『フェデリコ2世』の人物像を考える上で、彼が幼少時をシチリア(パレルモ)で過ごしたことの影響は無視できません。地中海の地図を眺めれば歴然ですが、シシリー島(シチリア)は、『地中海の臍(へそ)』とも言える要衝地です。古代から、フェニキア、ギリシャ、カルタゴ、ローマ帝国、東ローマ帝国がこの地を支配下に置こうと戦いが絶えない土地でした。

『フェデリコ2世』の時代は、ギリシャ正教のギリシャ人、イスラム教のアラブ人、カトリックのラテン系の人たちが、『共存』していました。宗教で対立するより、異なった価値観の存在を認めて『共存』する方が、『賢い生き方』であるという知恵を、凄惨な『殺し合い』を何度も経験した末に、人々は獲得していたのではないでしょうか。

『ヨーロッパのキリスト教圏』と『中東を中心とするイスラム教圏』は、十字軍以降は、基本的に『殺し合い』による問題解決は避けると言う『知恵』を双方が獲得したように見えます。勿論版図(はんと)獲得のための戦争はその後もありましたが、相手の宗教を殲滅しようという戦争ではありませんでした。宗教に関しては、相互に『不干渉』という『不文律』が成立しているように見えます。そのような苦い経験に基づく『知恵』を持たないアメリカ(ブッシュ大統領)は、皮相な『民主国家の確立』などを標榜して、イラクに軍事介入し、手痛いしっぺ返しを被(こうむ)りました。フランスやドイツはイスラム圏へ介入することは、単純なことではないことを知っているが故に逡巡(しゅんじゅん)したのは、当然のことのように思えます。

『宗教が共存する』ことを当然のこととして育った『フェデリコ2世』は、高い知性で客観的に宗教を比較する能力も持ち合わせていたのではないでしょうか。幼いころ『養育係』を名目に『教皇国』から派遣されてきた先生が、カトリックの価値観で自分を型にはめようとしたことへの反撥があったのかもしれません。南イタリアを愛し、ここに一番永く滞在した『フェデリコ2世』は、科学(学問)、芸術(音楽、文学)に興味を持ち、宮殿内にアフリカの動物をつれてきて『動物園』をつくったりもしました。また中世ヨーロッパでは最初の『法典』も制定しています。自分の理性でものごとを考えようとする合理的な姿勢と同時に、生きることを『楽しむ』ことにも貪欲であったように見えます。狩りを楽しみ、イスラムと同じように後宮に美女を侍らせたりもしています。

このような『フェデリコ2世』は、カトリックの総本山『教皇国』にとっては、苦々しい存在であったことは想像に難くありません。両者は、ついに軍事対立することになりますが、『フェデリコ2世』は、ここでは『話し合いによる和平の模索』等はせず、真っ向から戦っています。イスラムのサルタン『アル・カーミル』は、話し合いに値する人物と認め、『教皇国』は話し合いに値しない相手と判断していた違いに関して、梅爺は興味を覚えます。この違いに『フェデリコ2世』の人物を理解する鍵があるのではないかと思うからです。得てして高い知性の持ち主は、同じく高い知性を感ずる相手は尊敬しますが、相手の知性を低いと感ずると、軽蔑してしまう欠点を持っているものです。

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2011年12月23日 (金)

型破りの王様『フェデリコ2世』(3)

古代や中世のヨーロッパの歴史が日本人に理解し難いのは、現代の国の領土と当時の国の領土が異なっているためです。どうしても、現代の領土を基準に、たとえば『イタリアの歴史』を考えようとしてしまいますが、当時は『イタリア』などと言う国家は存在していませんでしたので、『日本の歴史』のようには、単純に捉えられないからです。同じように『アフリカ』と聞いて多くの日本人には『ヨーロッパ』とは異った『文明の後進地帯』を想像しますが、古代地中海に面した北アフリカ(エジプト、チュニジアなど)は、一様の『地中海文明』を担う『文明の先端地域』でした。勿論住民も『ネグロイド(黒人)』とは限らず、ヨーロッパ系の『コーカソイド(白人)』主体の国家が存在していました。現在とは異なった視点で『歴史』を観るという行為は、『歴史好き人』には、想像がかきたてられてたまらない楽しさですが、そうでもない人には、ただ煩わしいことに過ぎないことかもしれません。

『フェデリコ2世』が治めていた領土も、非常に複雑です。『フェデリコ2世』は、ドイツ王位と神聖ローマ帝国皇帝位を継承していたホーエンシュタウフェン朝の王子として誕生しました。色々な紆余曲折はありましたが、後に『神聖ローマ帝国皇帝』の座につきました。一方、母親がシチリア王国の王女で、『フェデリコ2世』が3歳の時に、シチリア王国の後継者が途絶えたために、この王位も継承しました(摂政は母親で)。つまり、その後のある時期、現在のドイツと、南イタリアという離れた領地を両方所有する王様であったわけです。ただし、『シチリア王位継承』をローマ法王に認めてもらう条件で、シチリア王国の実質的統治権を『ローマ教皇国』へ母親は譲渡してしまいました。その後、母親(摂政)が早く亡くなってしまい、『ローマ教皇国』はここぞとばかりに『王様養育係』を送り込んで、『教皇国』に従順に従う『王様』を作り上げようとしました。『教皇国』にとっては、南イタリアを従順な国家にしておくことが、政治的安泰のための望ましい条件であったからです。

『教皇国』にとって、これが完全に裏目に出て、『フェデリコ2世』は、生涯『教皇国』に『従順に従わない王様』になっていきます。『価値観の押しつけ(洗脳)』に知性の高い『フェデリコ2世』が、反撥したのではないかと梅爺は想像します。理性で納得できないものは、徹底排除すると言う性格と、それであるが故に相手の『押しつけがましい態度』を嫌う性格が相俟(あいま)ってのことでしょう。

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2011年12月22日 (木)

型破りの王様『フェデリコ2世』(2)

『フェデリコ2世』が、『十字軍遠征で、イスラム教徒と戦わずにエルサレム奪還を果たした』という『事実』だけで、彼を『平和愛好者の名君』と褒め称える観方は単純過ぎるように思います。彼は、どのような場合でも紛争を話し合いで解決しようとしたわけではなく、尊敬に値しないと感じた敵対者(ヨーロッパのキリスト教圏の人たち)とは敢然と戦い、むしろ残酷とも言える仕打ちで徹底殲滅(せんめつ)しようともしています。

『フェデリコ2世』は、『真実の探究者』で、生まれつきの高い知性を志向する性格がその要因であったのではないかと推測できます。『イスラム教徒は野蛮である』などという先入観念なしに、当時のイスラム社会の、学問、芸術、技術の高いレベルを認めることができ、それに興味を抱いたのではないでしょうか。学問を愛し、学者を保護したことでも有名です。彼の領地の一つであった南イタリアに残る『ナポリ大学』は、彼が創設したものです。

『フェデリコ2世』は、『美の探究者』としても有名で、自ら詩を書き、楽器の演奏などを含め音楽を愛好しました。同じく南イタリア、ブーリアに彼が作った、八角形をした不思議な城『デル・モンテ城』は、現在世界遺産となっていますが、どうみても、この城は戦争のための配慮は施されているとは考えにくく、彼の『美意識』を具現化したもの、音楽演奏を楽しむなど彼の生活を豊かにする目的のものであったのではないかと考えられています。八角形を基調とする城のデザインは、彼が神聖ローマ帝国皇帝に即位したドイツ、アーヘンの大聖堂を模したものとも、イスラム教の幾何学模様デザインから啓発されたものとも言われていますが、城としてはあまり類をみません。

『フェデリコ2世』が興味深い人物であると梅爺が感ずるのは、勿論『真実の探究者』『美の探究者』であることもその一因ですが、何よりも『特定の宗教にこだわらない』という宗教観の持ち主であったように見えることが最大の要因です。当時のヨーロッパでは、キリスト教(特にローマン・カトリック)の宗教観が、絶対的な支配力を持っており、領主、王様、皇帝といえども、これを『当たり前の基盤』として受け容れていたことを考えると『フェデリコ2世』の言動が、いかに『型破り』であったかが分かります。

何故『型破り』の王様が出現したかという背景が、梅爺の興味の対象です。『彼の理性は、キリスト教の教義を、人間の自由な精神活動にとって窮屈なものと感じた』『ローマン・カトリックの政治干渉を快く思っていなかった』『彼の領地の一部でもあり、彼が育った土地でもある南イタリア(シチリアも含む)は、元々異なった宗教が混在することが当たり前の土地であった』などが思い浮かびますが、多分これらが複合的に彼に影響を与えていたのではないでしょうか。

客観的には信仰心に乏しい人物に見えますが、『フェデリコ2世』にとっては、『神の世界』よりは『人間の世界(現世)』の方に興味の中心があったのであろうと推測できます。『狩り』を楽しみ、後宮に美女を侍(はべ)らせるという一面もありましたから『知性にあふれた俗人』と呼べる人物であったように思います。そしてそのことに梅爺は、むしろ人間的な魅力を感じます。

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2011年12月21日 (水)

型破りの王様『フェデリコ2世』(1)

歴史には、沢山の王様や皇帝が登場し、その多くは、後世の評価では『凡人』の域を出ませんが、中には、権力を過信した『暴君』が時折現れ、悪い意味で後世までその名を残すことになります。勿論、後の世まで『名君』と褒め称えられる王様や皇帝もいないことはありませんが、その数は多くはありません。

梅爺は、13世紀の神聖ローマ帝国皇帝『フェデリコ2世(ドイツ語圏ではフリードリッヒ2世)』という人物に大変興味を惹かれます。『フェデリコ2世』は、庶民に徳政を施した『名君』とは必ずしも言えませんが、類まれなる知性を武器に、ヨーロッパ中世の価値観と異なった行動をとった『型破り』の皇帝です。

十字軍を率いてエルサレムへ向かい、イスラム教徒とは一切戦わずに、相手のサルタン『アル・カーミル』と話し合い(折衝)をすることで、エルサレム入場(聖地奪還)を成し遂げた皇帝であるという史実が、『型破り』の度合を物語っています。後にも先にも、一滴の血も流さず、エルサレムを奪還した十字軍の指揮官は、彼のほかには一人もいません。

900年後の私たちは、深刻な宗教対立(イスラエル人とパレスチナ人の対立、イスラム原理主義者のキリスト教社会へのテロ攻撃とそれへの報復合戦)を、『血を流さず』解決する方法が見つけることができずに、困惑していますので、過去にそれを成し遂げた『事例』の中に、現在の問題の解決の糸口や知恵があるのではないかと期待したくなります。

しかし、この奇跡に近い『平和的解決』の背景を観ると、誰もが可能という一般的な方法があるわけではなく、『キリスト教側のフェデリコ2世と、イスラム教側のアル・カーミルという二人の代表者が、双方にとても器量が大きい人物で、相手に畏敬の念を持っていた』という、極めて稀で幸運な条件が存在していることが分かります。

当時、キリスト教圏の人たちは、イスラム教徒は野蛮な人たちと勝手に思い込んでいましたが、文化、芸術、科学、医学、建築学などあらゆる面で、イスラム社会の方が、圧倒的に進んでいて、『フェデリコ2世』はそれを知っていました。彼は、アラビヤ語を学び、『アル・カーラル』との書簡交換は、アラビヤ語で書いた手紙を用い、折衝はアラビヤ語で行ったと言われています。

このことだけでも『アル・カーラル』が、『フェデリコ2世』に驚嘆し、心からの友になろうとしたのが肯けます。『異文化の相互尊重と共存』などという一般論は、誰でも云えますが、相手の言葉を習得することが、いかに基本的で重要なことであるかが分かります。

『フェデリコ2世』は、アラビヤ語を含め、9ケ国語の読み書きができ、7ケ国語で会話ができたと伝えられています。期待しても無理とは思いますが、日本の首相が、『北方領土』問題の話し合いでロシアに出向きロシア語で折衝し、『尖閣列島』問題の話し合いで中国へ出向き中国語で折衝し、『拉致』問題の話し合いで北朝鮮へ出向きハングルで折衝し、勿論『普天間』問題の話し合いではアメリカへ出向き英語で折衝すれば、少なくとも事態は現状より好転するかもしれません。『フェデリコ2世』は、そういうことができた『型破り』の皇帝なのです。

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2011年12月20日 (火)

映画『紳士協定』(5)

この映画の主人公(グレゴリー・ペックが演ずる)は、アメリカ西海岸で活躍していたジャーナリストですが、妻に先立たれ、一人息子と年老いた母親を連れて、東海岸に引っ越します。良識的でリベラルな姿勢が売り物の雑誌の編集長から、連載物の執筆を依頼されたからです。依頼された主題は『反ユダヤ主義について』でした。彼は、ありきたりの視点では新鮮味がないと思い、自分が『ユダヤ人である』としたら、周囲がどのように反応するかを体験し、それを記事にしようと思いつきます。ごく限定した人たちだけに、この秘密を明かし口止めした上で、姓を名乗る時に、本名の『グリーン』ではなく、『グリーンバーグ』を使うようにします。たったこれだけのことで、彼の周辺の人たちの反応が劇的に変わります。『○○バーグ』『○○シュタイン』という姓は、アメリカ社会では『ユダヤ人』の代名詞と考えられるからです。

彼が引っ越したアパートの管理人、母親のかかりつけの医者などの態度が変わり、息子は学校でいじめにあいます。高級ホテルでは、体(てい)良く宿泊を断られます。彼が連載をしようという良識的な雑誌社でさえ、人事担当は採用時に『ユダヤ人』を排除しているという皮肉な事実まで判明します。

更に、彼は幼馴染のユダヤ人の友人と再会し、『差別』の実態をあらためて実感します。友人は、『お前はいつでも、ユダヤ人ではない状態に戻れるけれど、私はそうはいかない』と皮肉を言います。『心の中で思っていても、行動しなければ敵前逃亡と同じだ。戦場だけが戦争ではない』とも言われてしまいます。

彼は、編集長の姪と恋仲になりますが、彼女が『口先だけの差別反対論者』で、行動することは躊躇してしまう姿勢に違和感を覚え、二人の中は冷えていきます。彼女は良識的な大衆の平均像です。

彼の連載が開始され、大きな反響となり、編集長の姪もようやく『行動する』ことを決意し、二人の仲はもとのさやに納まるというハッピーエンドで映画は終わります。このハッピー・エンドには、監督エリア・カザンのアメリカの将来に対する期待が込められていると感じました。

いつの時代も、少数の人が社会を変えようと、主張をしますが、結局『普通の人たち』の心が変わり、行動するようにならなければ、社会は変わりません。社会は大きな『慣性』を持っていて、なかなか動きませんが、一度動き出すと今度は止められないという習性も持っています。

それにしても、当時この映画を、アメリカの黒人たちはどのような気持ちで観ていたのかと考えてしまいました。『もっと大きくて、ひどい差別がアメリカにはあるのに』と白人への不信感を更に強めることになったのではないでしょうか。

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2011年12月19日 (月)

映画『紳士協定』(4)

『アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)』を公(おおやけ)に唱えることは、当時のアメリカでは『タブー』であり、始めて真っ向からこの問題を取り上げ映画『紳士協定』は、大変勇気のいる仕事であったことになります。建国時に高らかに『自由・平等』を国家理念を掲げた『建国の父達』も、ヨーロッパ系白人で構成させる国家を前提に考えていたのではないでしょうか。その証拠に『ネィティブ・アメリカン(インディアン)』は、最初から平等の国民として扱われていたとは、到底言えません。その後、奴隷として多くの『アフリカ系アメリカ人』が移住し、『アジア系』『ヒスパニック系』『アラブ系』などの移住者も増えて、現実には『建国の理念』は名ばかりの、差別が横行する『人種の坩堝(るつぼ)』国家になっていきます。

建国に貢献した最初の白人たちは、自分たちの属性『WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)』を優先して、実質的に国家を支配しようとしました。今でも、隠然とこの『差別』があると言われています。しかし、この『属性』から外れたアイルランド系カトリックの『ケネディ』や、アフリカ系アメリカ人の『オバマ』が、『差別』をはねのけて大統領になるまでになったのですから、『建国の理念』に文字通り立ち戻ろうとするアメリカの姿勢は、評価に値します。『真の自由平等な民主国家』は、綺麗(きれい)ごとの掛け声では実現できず、辛抱強い意識改革が必要であることが分かります。ほぼ『均一人種国家』の日本は、アメリカに比べると有利な環境ですが、それでも政治家が『差別のない安心して暮らせる社会を実現する』などと言ったら、眉に唾(つば)してかかったほうがよさそうです。

この映画が『タブー』に挑戦できたのは、挑戦できる背景がある程度整っていたということでしょう。この映画の脚本を書いたハートや、監督のカザン自身が、ユダヤ系アメリカ人であることが直接の要因ですが、ハリウッドの映画産業の資本がユダヤ系アメリカ人に握られていて、こっそり後押しする人達がいたのではないかと梅爺は想像します。そうでなければ、企画段階で、握りつぶされていたはずです。

『差別反対』と叫ぶ前に、ユダヤ系アメリカ人は、金融、報道、映画などの分野を実質的に資本支配し、著名な学者も輩出して、アカデミー分野での発言権も獲得して、『差別したいならしてごらん』といえるような体制を築きつつあったのではないでしょうか。『ユダヤ民族』が、歴史上他民族から嫌われ、警戒されてきたのには、この優秀な現実対応能力があったからではないかと思います。とびきり優秀な人は、尊敬もされますが嫌われもします。

中東問題で、アメリカが、『イスラエル寄り』の姿勢をとり続けてきた背景には、『ユダヤ系アメリカ人』の巧みなロビー活動があると言われています。

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2011年12月18日 (日)

映画『紳士協定』(3)

人間の歴史の中で、文明の出現と発展は、大規模な『コミュニティ』と、その中の『異なった資質の人たちが共存する状況』を産みだしました。顔見知りの少数の人間で構成されていた同族社会から大きな変貌を遂げたことになります。同族社会では、『内(仲間)』と『外(敵)』の区別で悩むことはありませんが、文明が進んだ大規模な社会では、『見知らぬ人』との出会いが日常的に発生し、その都度相手は『仲間(自分にとって都合のよい人)』なのか『敵(自分にとって都合の悪い人)』なのかの判断を迫られることになります。『異なった資質の人たち』の間に発生する『揉(も)め事』も複雑になりますので、『法』『裁判のしくみ』『契約の概念』などが高度に発展していきます。

『異なった資質』は、『人種』『言語』『宗教』がその代表的な属性で、アレキサンダー大王以来、『帝国』規模の支配圏を獲得した『コミュニティ』は、この属性をどう処理するかが重要な政策となりました。『ローマ帝国』は、最初制圧した土地の土着の『宗教』を許容していましたが、やがて『キリスト教』を『国教』にする政策変換を行います。高校の『世界史』の時間に、『4世紀に、コンスタンチヌス帝がキリスト教を国教とした』という『史実』を習いましたが、何故そうなったのかについての説明はありませんでした。こういう味気ない史実や知識だけを詰め込もうとする授業に、梅爺は馴染めませんでした。それへの反撥もあり、ブログを書き始めて『ローマ帝国は、何故キリスト教を国教にしたのか』という駄文を書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e51b.html

大規模社会では、何らかの『属性』で、『多数派』と『少数派』の区別が生じ、これが『差別』の要因となっていきます。人間は、自分の『安泰(有利な状況)』を確保するために、『属性』を利用しようとします。何よりも自分の身を『多数派』側に置こうとします。日本人は『皆で渡れば怖くない』という習性を持っていて、『自己主張を嫌う』ところがありますが、それは下手に自己主張すると『少数派』として『村はずれ』にされる危険を感ずるからなのでしょう。一方アメリカ人は『自己主張』が強いと考えられていますが、梅爺の体験では、本当に自分で考えた『自己主張』をする人は少なく、彼らも周りの状況に大きく影響されているようにみえました。つまり、『自己主張』を持ち合わせていないくせに、『自己主張』していると勘違いしているのではないかと思いました。『9・11』の後、こぞって国旗を振りかざし、『USA』と叫ぶ人たちをみると、『あなたに、日本人は自分の考えを持たない』などと言われたくないという気持ちになります。

アメリカで、『ユダヤ人』『ユダヤ教徒』は、『少数派』であり、最も『差別』の対象になりやすいものであることが分かります。宗教は改宗することができても、『ユダヤ人』という属性は捨てることができませんので、むしろ『民族の誇り』に固執することになります。人類学的に観れば『ユダヤ人』という特定の人種がいるわけではありませんので、『差別』も『民族の誇り』も根拠のある話ではありませんが、それでも人間はこれに固執するわけですから、人間の習性はなんとも厄介であるということになります。

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2011年12月17日 (土)

映画『紳士協定』(2)

この映画が作られた時代のアメリカで、『ユダヤ人差別』だけが『差別』であったわけではありません。『黒人』や、直前まで戦争相手であった『日本人』に対する『差別』は、もっと『あからさま』でした。『あからさま』であるということは、白人にとって『良心の呵責(かしゃく)』の対象にさえなっていなかったということではないでしょうか。人間は一度『当たり前』と思い込んでしまうと、それを疑ってみようとはしません。

この映画がアメリカの白人社会で反響を呼んだのは、ある程度教養のある『白人キリスト教徒』が、自分の中にあるあまり根拠のない『ユダヤ教徒』忌避の気持ちに『良心の呵責』を感じていたからではないかと思います。

当時、アメリカの金融、報道メディア等の実業分野で、ユダヤ系の人たちが成功をおさめ、科学の分野でも、傑出した科学者はユダヤ系の人たちであることを多くのアメリカ人は知っていたはずです。『ひょっとすると、自分たちよりは優秀な人たちかもしれない』と薄々感じていたにちがいありません。内心では、『優秀な人たち』と感じながら、一方でそれを認めたくない気持ちもあり、『差別』が『白人キリスト教社会』の『紳士協定』として定着していったのでしょう。ヒトラーの『ユダヤ人迫害』と、この陰湿な『紳士協定』は、根っこのところで同じであると、思いいたらないアメリカ人は、能天気であると言わざるをえません。

この『差別』の口実として、『キリスト教は素晴らしい宗教』で『ユダヤ教は邪(よこしま)な宗教』という断定が行われました。教養のあるキリスト教徒なら、キリスト教は元々ユダヤ教から派生したものであることを承知しているはずですから、この断定にも『ひっかかるもの』があったに違いありません。『イエス・キリスト』は『神』なので、人種は無関係ということなのかもしれませんが、客観的に観れば、イエスはユダヤで産まれたユダヤ人ですから、『ユダヤ人排斥』には、キリスト教徒にとって自己矛盾になりかねません。

西欧の文明社会は、キリスト教がつくりあげたもので、中東、アジア、アフリカなどは、自分たちよりも『遅れている』と、信じ込んでいる白人が、特にアメリカに多いように感じます。現在も『イスラム教は邪(よこしま)な宗教』と断ずるアメリカ人は沢山います。『イスラム教』と『テロリスト』を切り離して理解できないばかりか、『テロリスト』を産み出す温床が『イスラム教』であると短絡的に理解している人が大半です。

アメリカ社会の『ユダヤ人差別』は、『イスラム教徒』に対するような『あからさまな差別』ではなく、陰湿な『紳士協定』で行われているところに、この問題の本質が隠れていると梅爺は感じました。

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2011年12月16日 (金)

映画『紳士協定』(1)

NHKBSプレミアム・チャンネルで放映された、1947年のアメリカ映画『紳士協定(エリア・カザン監督)』を録画して観ました。当時のアメリカ社会を支配していた陰湿な『ユダヤ人に対する偏見、差別』を取り上げた映画で、人間の中にある『暗い部分』をあぶり出してみせることでは、出色の手腕をもつ映画監督『エリア・カザン』ならではの見事な映画でした。

1947年と言えば、日本は敗戦に依る疲弊のどん底で、当時6歳であった梅爺の一家も、家や家財道具を全て空襲で失い、毎日を生きることだけで精いっぱいの時代でしたから、同じ時代にアメリカで、このような映画が作られていたことの彼我の差を強く感じました。

この映画に、エリア・カザンは、『20世紀は変革の時代で、アメリカが偏見を克服してほしい』というようなメッセージを込めていると梅爺は受け取りましたが、残念ながら、21世紀になった現在でも、アメリカ社会から偏見は払しょくされていません。アフリカ系アメリカ人が大統領になったり、『公民権法』が議会を通って、見掛け上の『差別』は減っているように見えますが、人種差別(黒人、有色人種、ヒスパニック、ユダヤ人など)、思想、信条を持つ人への差別(共産主義者、無神論者、イスラム教徒、ユダヤ教徒など)は依然として根強く残っています。

『差別はいけない』は『理』の世界の話で、『差別を好む』習性は『情』の世界の本能ですから、人間社会が継続する限り、『差別』が払しょくされることはないと梅爺は感じています。生物としての生き残りを求めて進化してきた人間の中には、『安泰』を希求する本能があり、『安泰』を確認する方法として、『差別』を設定したがる習性があるということです。その結果、同じく本能的に『優越感』『劣等感』を抱くことになります。勿論『情』がマグマのように噴出しないように、『理』で抑制することが重要であることは言うまでもありません。これこそが、人間を人間たらしめる原動力であるからです。

エリア・カザンは、『差別には反対』と口ではいいながら、自分は『差別』されない方に身を置いて、『差別』を黙認する人達、つまり『言動が一致しない人たち』を『偽善者』として糾弾し、社会を変えるためには『言動を一致させること』、つまり『行動をおこすこと』が重要であると主張しているように見えます。正義は行動することで得られると言うアメリカ的な理想主義が垣間見えます。

その主張に、異論をさしはさむつもりはありませんが、梅爺は『差別』の根源は本能的な習性で、これは覆い隠すことはできても、消滅させることはできないと考えている点で、エリア・カザンより悲観論者です。皆で行動すれば、『差別』の無い社会が到来すると、楽観的には考えていません。ある『差別』が消滅したように見えても、必ず別の『差別』を人間は考え出します。『生きる』ことには『競争』が関係し、『勝敗』『優劣』『差別』を伴います。『許せる差別』と『許せない差別』などという都合のよい区分けで妥協できたとしても、何らかの『差別』そのものは厳然と存在することになります。

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2011年12月15日 (木)

男声合唱組曲『わが古き日のうた』(4)

京都『清水寺』が発表する年末恒例の『今年の漢字一字』に、『絆』が選ばれました。日本人の『絆』が真に問われた年でしたので、当を得た選択であるように思います。

これも、何度もブログに書いてきたことですが、『人間』も生物の一種として進化してきたために、他の動物と共通する『本能』を継承しています。それは『安泰』を求める習性で、先ず『生き残る』ことを最優先にしようとします。その後理性で、『善いこと』『悪いこと』などという抽象概念で手段を区分けするようになったものと推察できます。そして、『安泰』の可能性を高める手段として『人間』は『群をなして生きる』ことも『本能』の一つとしてきました。高度な『脳』の精神世界を獲得した『人間』は、身の『安泰』だけではなく、心の『安泰』も求めます。身に及ぶ危険を察知して避けようとするだけでなく、心も『安泰』を脅かす要因を感ずると、『脳』は『不安』を知らせる危険信号を発します。『悲しい』『寂しい』などは、この『不安』の信号(ストレス)の一種であろうと梅爺は考えています。人間は推量能力があるために、『自分の死』を予測して『不安』を創り出してしまったりしますから、更に厄介です。

『群から離れる』ことは、『安泰』を脅かす要因ですから、迷子の子供は恐怖で泣き叫び、身寄りを失った老人は、限りない寂寥感に苛(さいな)まれます。『人間』にとっては、『孤独』がもっとも怖ろしい状況になります。『絆』は、自分が『群の一員』であることを確認する手段であるとすれば、『絆』が人間にとって如何に大切なものかは説明を要しません。

『宗教』は、頼りない人間同士の『絆』の代わりに、『確かな神仏との絆』を想定し、心の『安泰』を得ようとするもので、『人間』が『理』で考え出した見事な方法であると、梅爺は不謹慎に考えています。

『芸術』は、定量的に確認が難しい『人間』の『情』の世界で、他人との『絆』を確認する、これまた『人間』が考え出した見事な方法ではないかと思います。『音楽』は、演奏者(発信者)と聴衆(受信者)が、『情』の『絆』を確認しあうことを目的としています。『本能』がそれを求めるからです。一見無力に思える『音楽』が、『希望』や『生きる喜び』を産みだす力になるのはそのためです。

今回の演奏で、最後の舞台練習の後に、三澤先生が、『皆さんの演奏には、何かが足りません。本番までに良く考えておいてください』と言われました。『絆』を産みだす要因は、歌を楽譜通りに、うまく歌うことではないという、本質的なことをおっしゃりたかったのでしょう。

本番で、三澤先生は、楽譜を見ずに(暗譜で)練習時とは異なる表現の指揮をなさいました。先生もまた、『情』に触発され、『絆』を創り出そうとされたのでしょう。合唱団員は、なんとかその意図をくみ取り、表現しようと頑張りました。もし、聞いて下さった方々の心に何かが届いたのであれば、三澤先生と合唱団員が、『絆』を感じながら演奏し、それが演奏者と聴衆の『絆』にもなったのであろうと思います。

演奏者にとって、こんな幸せな瞬間はありません。

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2011年12月14日 (水)

男声合唱組曲『わが古き日のうた』(3)

今回のの合唱組曲の『歌詞』は、詩人『三好達治』の複数の詩集から選ばれたものです。梅爺がブログに何度も書いてきたように、『言葉』は『理』の表現には適した『手段』ですが、『情』の表現には、必ずしも万全な『手段』ではありません。『悲しい』と表現しても、悲しさの質や程度は伝わるとは限りません。文学者は、このような制約が言葉にあるからこそ、斬新な表現で個性的に『情』を伝えることに情熱を燃やします。しかし、基本的には『書き手』と『読み手』のレベルがある程度あっていないと、『文学』は成立しません。これは芸術一般にも言えることかもしれません。

天才的な詩人と言われる『三好達治』について、梅爺の知識は浅いものですので、評論する能力は持ち合わせていませんが、今回歌った7つの詩の中の2つを以下に紹介します。

『甃(いし)のうへ』

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの
跫音(あいおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする
甃(いし)のうへ

     詩集『測量船』(1930年)

『三好達治』が30歳の頃の詩で、『ながれ(流れ)』『しづけさ(静けさ)』を基調に、春の伽藍が醸し出す穏やかで物憂い気配と、自分の寂寥感とを対比して、抒情あふれる表現になっています。

『木兎(みみずく)』

木兎が鳴いてゐる
ああまた木兎が鳴いてゐる
古い歌
聴きなれた昔の歌
お前の歌を聴くために
私は都にかへってきたのか………
さうだ
私はいま私の心にさう答へる

十年の月日がたった
その間に私は何をしてきたか
私のしてきたことといへば
さて何だらう………
一つ一つ私は希望をうしなった
ただそれだけ

木兎が鳴いてゐる
ああまた木兎が鳴いてゐる
昔の声で
昔の歌を歌ってゐる

それでは私もお前の真似をするとしよう
すこしばかり歳をとった この木兎もさ

    詩集 『一點鐘』(1940年)

こちらは、40歳の頃で、年代でも分かるように、戦争の危機が迫っている時代背景があり、『抒情的』というより『観念的』な詩であるように思います。『木兎(みみずく)』とは何か、『聴きなれた昔の歌』とは何かと想像をかきたてられます。『みみずくの歌を聞くために都へ来たのに、希望を一つ一つと失い、自分も年老いたみみずくになってしまった』という表現は意味深長です。『みみずく』が文字通りの『鳥』だけを指すのではないことは分かりますが、真意は想像するしかありません。

『俗物』とは知らず『俗物』にあこがれ都へ出てきて、次々に夢が破れ、気が付いたら自分も『俗物』になっていたというのなら、年老いた梅爺にも思い当たることがあります。

今回も『合唱』のお陰で、色々なことを学びました。

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2011年12月13日 (火)

男声合唱組曲『わが古き日のうた』(2)

今回の『わが古き日のうた』の演奏では、日本語の歌い方(発声、発音)に関して、何度も何度も、三澤先生から手厳しいご指摘を受けました。温厚な三澤先生が、たまらず声を荒げられたこともありますので、ご指摘というより『叱責』をうけたというのが当たっています。

ドイツで指揮を学ばれた三澤先生ですから、ドイツ語は当然として、ラテン語も含めた西欧の言葉に精通しておられ、合唱の練習では、音楽以前に『言葉』の指導がいつも先行します。『歌』と『言葉』の関係は、どの『言語』であろうと共通であるからです。英語を少しだけ知っている程度の梅爺には、この言葉の解説は大変勉強になり、練習の際の楽しみの一つです。

今回は、日本人が日本語の歌を歌うわけですから、問題が少ないと思われるかもしれませんが、実はそうは簡単ではありません。『日本語』と『西洋音楽形式』が合体し、明治以降日本語で歌われる『声楽』『合唱』が出現しましたが、聴く人に日本語を『美しく』『自然に』『はっきりと』伝えるためには、発声や発音に、『話し言葉』とは異なった繊細な配慮をする必要が生じます。

『話し言葉』のイントネーションにそぐわない旋律が付与された場合、歌いにくいのは当然ですが、山田耕作や多田武彦氏のような作曲家は、『作詩に寄り添う』ような配慮がありますので、問題の多くは歌う側に責任があります。

『a』『i』『u』『e』『o』という日本語の母音を、均質な響きや声量で『歌う』ことが実は大変難しいことになります。特に『a』は、発声しやすいこともあり、他の母音より大きな声になったり、時として『品の無い』声になってしまいます。また『ゆ』や『を』は、かなり意識して『yu』『wo』の『y』『w』を強調しないと『う』『お』に聴こえてしまいます。たとえば『約束(yakusoku)』は話し言葉では、『yaksok』となりがちですので、『ya・ku・so・ku』としっかり個別に発音する必要があります。

三澤先生からは、『歌う日本語』は『話す日本語』と別なものです、と再三注意を受けますが、梅爺のような老人の頭は頑固で切り替えが難しく、四苦八苦することになります。

『歌詞』の内容に合った声質を全員が意識して揃えないと、絶妙なハーモニーはつくれないことも、難しさの一つです。自分は『美声』であると思い込んでいる人は、自分の『声質』が、ハーモニーを乱す要因になっているとは気付かないからです。

素晴らしい合唱を実現するためには、一人ひとりが楽しく自己流で歌えばよいというわけにはいきません。それぞれ異なる個人の主張や価値観を認めながら、『合唱団』をまとめていくのは、容易な話ではありません。

別の云い方をすれば、同好の士が集まった素人『合唱団』といえども、人間のコミュニティが持つ問題点を内包しているという事に他なりません。

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2011年12月12日 (月)

男声合唱組曲『わが゙古き日のうた』(1)

12月10日(土)に、代々木にある『国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール』で開催された、東京大学音楽部合唱団『コールアカデミー(男声)』『コール・レティツィア(女声)』の定期演奏会に、梅爺が参加している『アカデミカ・コール(コールアカデミーのOB合唱団)』が賛助出演し、現役の『コールアカデミー』と一緒に、多田武彦作曲の男声合唱組曲『わが古き日のうた(全7曲)』を歌いました。指揮は、『アカデミカ・コール』を日ごろご指導くださっている三澤洋史(みさわひろふみ)先生でした。

多田武彦氏は、日本で『男声合唱』を少しでも経験された方なら、必ず一度は歌ったことがあるであろう数多くの『合唱組曲』を手掛けてこられた作曲家です。北原白秋の詩による『柳河風俗詩』、草野心平の詩による『富士山』などが、特に有名です。合唱愛好家の仲間内では、『タダタケ』などと縮めて、物知り顔に呼ばれますが、梅爺は、語感もさることながら、このような『お前は知らないだろうが、私はしっている』といわんばかりの表現は、好きではありません。

多田氏は、梅爺よりも10歳くらい年上ですので、80歳を迎えられたはずです。京都大学法学部に在学中に、男声合唱団の学生指揮者を務められ、卒業後は銀行に就職されましたが、休日を利用して『合唱曲』を作曲してこられました。日曜画家ならぬ、日曜作曲家ですが、作品のレベルはプロフェショナルです。ご自分が『男声合唱』を体験されていますから、何よりも『男声合唱』の魅力を引き出すヅボも心得ておられます。多田氏は、『作詩に寄り添う』ように作曲されることをモットーとされておられますので、『日本語』の詩の特徴である、抒情性、語感の美しさの表現が聴く人を魅了します。

今回演奏した『わが古き日のうた』は、『三好達治』の詩集から歌詞が選ばれています。

指揮をしてくださった三澤先生は、現在50歳半ばの、日本を代表するバリバリの指揮者で、最近、イタリア、ミラノへの短期留学から戻られました。2001年から、新国立劇場の合唱指揮者として、活躍されておられることからも分かるように、日本の合唱指揮の重鎮のお一人です。三澤先生も、高崎高校時代に『男声合唱』を経験しておられ、『多田武彦の男声合唱曲』は、音楽との出合いの一つであったに違いありません。

卓越した日本語の歌詞(三好達治)、男声合唱を知りつくしておられる、多田氏(作曲)、三澤氏(指揮)、それに男声合唱に魅せられている成人、老人(アカデミカ・コール)と青年(コールアカデミー)の組み合わせで、今回の『わが古き日のうた』は演奏されました。

三澤先生の厳しい練習のお陰もあり、お聴きくださった方々に、日本の『男声合唱曲』の魅力の一端は感じ取っていただけたのではないかと、すこしばかり自負できる程度の演奏ができました(できたようなな気がしています)。

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2011年12月11日 (日)

太陽(3)

『太陽』の半径は70万キロメートルで、『地球』の110倍、質量は『地球』の33万倍です。この質量は、太陽系全体の質量の99.86%にあたりますから、圧倒的な引力で、太陽系全体の運行を支配していることがわかります。

形状は、理想的な球体に近いことが分かっていますが、『地球』のように、はっきりした堅い『表面』が存在するわけではありません。中心の『太陽核』から外へ向かって『放射層』『対流層』『光球』が覆っていると考えられていて、『光球』を便宜上『表面』として、大きさなどを定義しているようです。『光球』を観察すると、一様にうごめく『粒状斑』が見え、ところどころに『黒点』や『紅炎(プロミネンス)』が現れ、更に『太陽フレア』と呼ばれる爆発現象が起きていることが分かっています。『太陽フレア』の爆発規模は、水素爆弾の1万個分に相当するというのですから自然の威力を思い知ります。人間は自然に対して謙虚になるべきです。

『光球』の外側には、超高温のプラズマによる太陽大気『コロナ』層があり、この一部が太陽の引力の束縛から逃れて『太陽風』として宇宙空間へ放出され、地球で観測される『オーロラ』のもとになっています。

太陽の表面温度は6000度Cなのに、『コロナ』は200万度Cと高いのは、何故かという謎は、現在でも科学的な追及対象になっています。

『太陽』の『黒点』増減を観測したデータ(最古のものは400年前)を解析して、『黒点』の増減には11年周期があることが分かりました。

現在では、『黒点』や『周期』は、『太陽』の磁場活動と関係しているというのが定説です。表面が流動的な『太陽』では、赤道部分と極地部分では、自転速度が異なり、これが、複雑な磁力線のねじれを周期的に発生させる原因となります。二つの『黒点』は磁力線の吹き出し口として、対になって存在すると考えられています。

最近の『太陽』観測で、11年周期が当てはまらない異常事態が始まっていることが判明しました。『黒点』が減ったままで、増えて来ないと言う現象です。17世紀から18世紀にかけて、同じように70年間、『黒点』が減ったままになっていた時期(マウンダー極小期)があり、この時期『地球』は寒冷化したことも分かっています。これは、『太陽』の磁力の変化が、『地球』の雲の発生量に影響するためと考えられています。

人間が放出する炭酸ガスで、『地球』は暑くなると脅かされ、今度は『太陽』の『黒点』増減周期が、異常時期に突入して、『地球』は寒くなると脅かされ、科学知識が乏しい梅爺の頭は混乱してしまい、『一体、どっちなんだ』と叫びたくなります。『地球』の気温を決める要因は複雑多岐で、単純に『炭酸ガス』や『太陽の黒点』だけで論ずることに無理があるということなのでしょう。自分が知っている知識だけで判断して、人は右往左往する『定め』から逃れられません。

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2011年12月10日 (土)

太陽(2)

銀河系に、太陽系が誕生したのは、46億年前と考えられています。『ビッグバン』から約90億年経った後の事です。宇宙の中の塵やガスが寄せ集まって、恒星である『太陽』や、惑星である『地球』などが、同時期に出現したというのが科学の定説です。

勿論、太陽系は忽然(こつぜん)と姿を現したのではなく、宇宙の複雑な『動的平衡』の推移があって、結果的に、比較的安定なバランス点を見出したことになりますので、『出来始め』はいつかを特定することは、難しいように思います。結局、『始め』は『ビッグバン』まで遡ることになるのかもしれません。

自然の摂理の中で、『太陽』も他の恒星と同様に、『誕生』があって、やがて『死』を迎えます。『太陽』のエネルギー源は、内部にある水素ガスを熱核融合で消費して得られていると考えられており、46億年で、保有する水素ガスの約半分が既に使われたと推定されています。つまりあと約50億年で、『太陽』は燃え尽き、寿命を迎えることになります。最後は、膨張して大爆発を起こし、一部は再び塵とガスに戻り、残りは暗い星(白色矮星)となるのかもしれません。その時太陽系は、バランスが崩れて、地球などの惑星も、現在の軌道は保てなくなります。勿論『地球』の生命体が維持できる条件も消失しますので、『地球』も残念ながら死の星になると考えるのが妥当です。科学者は『太陽』の死どころか、それよりずっと先の『宇宙』の死をも予測しています。

『それは大変だ、宗教が主張するように、末世、この世の終末はあるのか。どうしよう』とあわてふためく必要はありません。人間と言う生物が、それらしい形で地球上に出現したのは、たった700万年位前のことで、現生人類(ホモ・サピエンス)の出現は17万年前、文明が発生して約5000年、イエス・キリストが出現してからは、2000年しか経っていません。『太陽』の残り寿命50億年は、人間の時間感覚でみれば、ほぼ『永久』といって良い時間の長さです。『太陽』の寿命より、心配しなければならない『人類絶滅』の要因は、他に沢山あります。

偶然のバランスで実現した、『太陽』と『地球』の距離が、『地球』に生命体を生みだす、『水(液体)』、『大気(特に酸素、炭酸ガス)』『温度環境』をもたらしました。『太陽』の恵み(熱、光)が無ければ、人間を含む生物は、存在できなかったことになりますので、私たちは、『自然の摂理』に深く感謝し、生きている時間を大切にしなければなりません。

『太陽』の『熱エネルギー』『光エネルギー』は、幸いなことに、ほぼ一定の水準を維持していることが分かっています。しかし、『太陽』に『黒点』が現れると、地球の気象条件に変化が生じることも経験則で分かっています。『黒点』の正体は何か、何故『黒点』は地球の気象に影響を及ぼすのかなどを、世界中の科学者が共同して追及しています。専用の観測衛星や、地上の観測施設がもたらすデータで、新しいことがすこしづつ分かってきています。日本も勿論この観測では、世界に大きく貢献しています。

『地球』から最も近い恒星『太陽』のことも、まだまだ分からないことだらけなのだと知りました。

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2011年12月 9日 (金)

太陽(1)

古代の人類が最も信仰の対象として崇めた天体は『太陽』でしょう。科学知識を持たない人間が、精一杯『理性』を駆使して『推測』すれば、『太陽』は自然界の支配者という結論に到達するのは当然のことです。

毎日、朝には東の空から昇り、夕方になれば西に空に沈んでいくという周期性も神秘的ですし、『光』や『暖かさ』といった有難い恵みのもとでもありますので、『太陽』は自分たちの運命を握る『神』であると、人間は考えたにちがいありません。更に、命の水『雨』も、『太陽』の神のご意向でもたらされると考えるようになります。『太陽の神』が、ご機嫌を損ねて、雲の中にお隠れになると、この世は暗くなり、逆に日照りばかり続いて、『雨』が振らなければ、生物は死に絶えますので、なんとかご機嫌をを損ねないようにと、生贄(いけにえ)をささげたり、祈ったりしました。

日本のアマテラス神話も、太陽の化身ですし、太陽に愛される国『日の本(もと)の国』という命名も、国旗の『日ノ丸』もすべて『太陽』信仰に由来しています。概して『太陽』は、『良いこと』をもたらす象徴として、捉えられていますが、インドのように灼熱に悩むところでは『邪悪の象徴』であると、どこかで聞いたことがありますが、真偽のほどは分かりません。何事にも『表裏』の理解があるとすれば、『太陽』が邪悪の象徴という考えも、別に不思議ではありません。

人間の形成するコミュニティの規模が大きくなると、必ず『支配者』が登場し、この支配者は、自分の立場を権威付けるために、自分こそが『太陽の神の化身』としてこの世に遣わされてものだと、云い始めます。

『ヒミコ』は『日の巫子』とも取れますし、天皇家の先祖は『日の皇子』とされていますので、日本の古代も典型的な太陽信仰が支配していたのではないでしょうか。しかし、現代人は『太陽』は『神』であるとは思っていません。『科学』が、『太陽は、銀河系に存在するごくありふれた恒星の一つ』という味気ない事実を明らかにしたからです。

このように『科学』は、宗教の基盤を根元から覆してしまう可能性を秘めています。『これは大変』と宗教は感じ、『世の中には科学では説明できないことがあり、それこそが神の領域である』と釈明します。たしかに世の中は『分からないこと』で満ち溢れていますが、それを『神の領域』とするのは、論理の飛躍のように梅爺は感じます。

『神の存在』は、人間が本能的に求める『心の安泰』と密接な関連を持っていることは分かっています。しかし、『神の存在』と『心の安泰』の因果関係の究明は、必ずしも神聖で立ち入ってはいけないとは言えません。『科学』がこの領域にまで踏み込んでくることを宗教は覚悟しなければなりません。身体であれ心であれ、『安泰』を脅かしそうなものに遭遇すると、人間の脳は危険信号を発して回避する行動を促します。『不安』『恐怖』『寂しさ』などは危険信号であろうと梅爺は推定しています。『脳のカラクリ』の究明は、『太陽』と同じように『味気ない事実』を明らかにしてしまう可能性があるということです。『心の安泰』は『信仰』で得られますが、『信仰』だけが唯一の手段であるとは思えません。

それでは『太陽』のことは『分かっている』のかというと、科学的にも『分からない』ことが大半です。『分かっている』ことの一つが『太陽は神ではない』ということです。

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2011年12月 8日 (木)

性は道によって賢し

上方いろはカルタの『せ』、『性は道によって賢し』の話です。

ことわざ辞典などで調べてみても、これは元々『芸は道によって賢し』であったものが変形したものという説明があるだけで、味も素っ気もありません。もしそうなら、これは『その道の専門家は、それなりの知恵を持っている』という意味になり、直前の『も』、『餅は餅屋』とほぼ同じ意味になってしまいます。上方いろはカルタを編纂した人が、本当にそのような無神経に同じような意味の諺を並べたとは考えにくいように梅爺は感じます。

確かに、元は『芸は道によって賢し』であったとしても、語感が似ていると言う理由だけで『芸』を『性』に変えたのではなく、『性』に変えることで全く異なった意味が生ずることを重視したのではないかと推察したくなります。

そこで、以下に梅爺の勝手な解釈を試みることにします。この解釈が『正しい』と言い張るつもりは微塵もありませんので、『へー、屁理屈爺さんが読み解くとそういうことになるの』という程度に、気軽に読んでいただければ幸甚です。

『性』は、その人の人柄と解釈し、『道』は物事の道理と解釈すると、突然深遠な意味が見えてきます。

毎度毎度の梅爺の主張で恐縮ですが、人間の脳のはたらきは『情』と『理』の複雑な絡み合いで出来上がっていると考えると、その人の人柄は、脳のはたらきが表面に現れたものということになります。『情』は『情が深い』などと良い意味を持つ言葉としても使われますが、本来は生物としての本能に根ざしていて、自分にとって都合がよいか悪いかを判断するために保有しているものであると梅爺は考えています。『嬉しい』『悲しい』は、『情』の感覚ですが、本能ですから自分で悲しもうと考えて悲しんでいるわけではありません。悲しみは突然襲ってきます。『愛する』『恨む』というような行為も同様で、好き、嫌いの『情』が、理屈抜きに先行します。『好きな理由』は、『理』が後付けで考えたものに過ぎません。

むき出しの『情』は、子供ならば『無邪気でかわいい』と受け容れられますが、大人の場合は、そうはいきません。道理をわきまえて、むき出しの『情』が周囲を気まずくしないように、自ら『情』を抑制することが求められるようになります。『温厚柔和』は、『理』による抑制が効いた大人が到達できる境地ですが、『情』は地底のマグマのように、噴出する機会を常に窺(うかが)っていますから、容易に到達できる境地ではありません。

『性は道によって賢し』は、『道理(理)で、煩悩(情)を抑制できる人は賢い』と言っているのではないかというのが、梅爺の解釈です。人間の深遠な習性を洞察した見事な諺ということになります。

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2011年12月 7日 (水)

パワーポイントで『仮名手本忠臣蔵』を鑑賞(4)

『歌舞伎』は今でこそ、日本を代表する『伝統芸能』のひとつとされていますが、江戸時代にはむしろ新興の『庶民芸能』で、新しいことに挑戦しながら洗練度を増していったものと思われます。多くの演目は『人形浄瑠璃』からの借用であることを知りました。

『歌舞伎』に限らず、日本人は『とことん美の世界を追い求める』習性が強く、陶磁器、日本画、彫金、七宝、漆工芸など世界で、職人が見せる超絶技法に、明治維新以降接した西欧人は驚嘆しました。現在でも、多くの現代音楽の世界で日本人演奏家が、世界のコンクールで上位入選を果たし続けるのは、このような習性の名残かもしれません。

歌舞伎役者が、映画、テレビドラマ、現代舞台劇、ミュージカルなどに今でも挑戦するのは、新興芸能であったころの進取の気象が残っているためかもしれません。市川猿之助が率いる『スーパー歌舞伎』なども、その一例なのでしょう。『梨園』と称する、役者の『世襲制度』の是非の議論はありますが、伝統を大切にしながら新しいものへの挑戦をすることは、必ずしも矛盾するものではありませんので、梅爺は『歌舞伎』界の挑戦姿勢に拍手を送ります。ただし、分もわきまえず酔っぱらって狼藉沙汰に及ぶと言うような行為は、芸の挑戦とは無関係でいただけません。

石田氏の話で面白かったのは、チェコ大使の時に体験された、チェコの『操り人形劇』と日本の『人形浄瑠璃劇』を比較論に関するものでした。チェコの『操り人形』では、できるだけリアルに見せるために、操り糸を細くして目立たないようにしているのに、『人形浄瑠璃』では、人形の使い手が舞台に登場して『邪魔』であるという意見がチェコの人に多いとのことでした。日本人は、『人形は所詮人形』と割り切りながら、その人形に魂を吹き込む使い手の人間の技が賞賛の対象になりますから、人形と使い手は『一体』であることは当然と受け止めるのではないでしょうか。

『人形』を『人形ではないものであって欲しい』と願うチェコの人と、『人形は人形』と認めた上で、人間が美や技を追求する日本の価値観の違いは、興味深いと感じました。梅爺もプラハで、『操り人形劇 ドンジョバンニ』を観ましたが、人形のリアルな動きと言う点では、『人形浄瑠璃』の方が数段上と感じました。糸が太いとか細いとかいうレベル以前の話です。

もう一つ面白かった話は、石田氏が西欧人の客を歌舞伎座へ案内した時の反応で、『綺麗な踊り』などがうけると思いきや、むしろ『込み入ったストーリー展開』に西欧人は興味を示したという内容でした。これも単純な比較は誤解のもとで、控えるべきですが、一般的には西欧文化は『理』を優先し、日本文化は『情』を優先することを示す一例ではないでしょうか。

石田氏の軽妙なお話を拝聴し、『歌舞伎』の奥深さの一端を垣間見ることができました。次回は是非、『異文化論』に関する石田氏のお話をうかがいたいものと期待がふくらみました。

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2011年12月 6日 (火)

パワーポイントで『仮名手本忠臣蔵』を鑑賞(3)

赤穂浪士の討ち入り事件は、元禄14年(1701年)、『仮名手本忠臣蔵』が、人形浄瑠璃として大阪竹本座で初演されたのは寛永元年(1748年)で、奇しくも、『47』士と語呂合わせをしたように『47』年後であることを知りました。歌舞伎は、同年(寛永元年)に大阪で、翌年に江戸で初演されました。

『討ち入り事件』に関しては、芝居になる以前に、沢山の『物語』が既に存在し、本や講釈師によって庶民は馴染んでいたということになります。現在でも講談には、沢山の義士に関する『外伝』演目があります。とにかく、『義士』に関連付ければ、どんな話でもうけるということですから、こんなうまい話はありません。『冬は義士、夏はお化けで飯を食い』と講釈師は茶化されています。

現在の私たちが、『第九』や『紅白歌合戦』で年末を迎えるように、江戸時代の庶民には『忠臣蔵』は年末の恒例行事であったのでしょう。

全部で『11段』構成で芝居はできていますが、全てを『通し』で上演することはほとんどないことも知りました。観客は、『先刻ご承知』の物語を観に来ますので、中間が省略されようが気にはせず、自分たちが『観たい』名場面が、お気に入りの役者で演じられることで満足したのでしょう。なんとなく日本的な『大雑把』を許容する価値観を感じます。西欧の文化では、『省略は是か非か』などという『議論』になるのではないでしょうか。

脚本は、『竹田出雲』『三好松洛』『並木千柳』の合作とされていますが、実に観客の好みを知りつくした見事な構成で、一見『討ち入り』とは無関係に見える、『美男美女(お軽勘平)の恋』『入り組んだ人間関係、利害関係、義理人情』がちりばめられています。『入り組んだ関係』をつくり出すために、唐突で無茶とも思える『設定』が提示されますが、観客は、そのような細かい話は気にしなかったのでしょう。とにかくサービス精神旺盛な脚本です。

誰もが、この話は『赤穂浪士の討ち入り』の話であることは承知しているものの、公儀の手前『そうは言えません』から、時代や場所は、『太平記』時代の鎌倉ということになっていて、登場人物も大半は名前が変えられています。『大石内蔵助』は『大星由良之助』に、『間十次郎』が『矢間重太郎』になど、きわどい変名になっていますが、庶民はこの機知に富んだ名付けも滑稽の対象として楽しんだのでしょう。そのくせ、最後の討ち入りの場だけは、妙にリアルになっていて、どうみても鎌倉ではなく、江戸の隅田川らしい大川を背景に義士の面々が勢ぞろいするところも、『ホンネ』が垣間見えて笑ってしまいたくなります。

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2011年12月 5日 (月)

パワーポイントで『仮名手本忠臣蔵』を鑑賞(2)

梅爺は、前の『東京歌舞伎座』(現在は建て直し中)には、1度しか観劇に出向いたことがありませんから、全くと言って良いほど、『歌舞伎』の知識がありません。それも『解説イヤホン』を借りて、知識不足を補いましたので、まるで外人並みです。それでも、舞台で展開される『所作』や、衣装、舞台装置の見事な『美しさ』には、日本人のDNAが反応して、うっとり見とれました。

鳴り物(音楽)入りで、役者が演じたり、踊ったりする舞台芸能様式は、古代ギリシャで既に完成度の高いレベルに達していたらしいことがわかっています。文明は、『神事』から『芸能』を独立させ、それを洗練された様式へ進化させていく基盤の役目をはたしていることもわかります。西欧の『芸能』の多くが、教会や王侯貴族をパトロンとして、育まれたのとは異なり、日本の『歌舞伎』は、江戸の庶民を後ろ盾にして、洗練された芸能様式へ進化していったことは、注目に値します。為政者の武士を、表向きは『立て』ながら、庶民が高い文化レベルを保有していた証拠ですから、こういう日本人の『社会感覚』は、大いに誇るべきものではないでしょうか。今でも日本人は『お上』だけをあてにして、必ずしも世の中のことは考えない『ホンネ』を持ち合わせているように感じます。

『仮名手本忠臣蔵』は、『赤穂浪士討ち入り事件』を土台にした芝居である程度のことは知っていますが、梅爺は実際にこの歌舞伎演目を観たことはありません。石田氏の簡潔な資料と説明に接して、一気に『仮名手本忠臣蔵』通になったような気になりました。厚かましい話です。

『主君(浅野内匠頭:あさのたくみのかみ)をイビって、死に追いやった憎っくき吉良上野介(きらこうずけのすけ)を、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)以下の家臣が仇討で討ち取る』という事件は、太平ムードの元禄時代を揺るがせた『大事件』であったことは容易に想像できます。

注目すべきことは、当時の庶民が、『赤穂浪士』達に、ヒーローとして喝采を浴びせたことです。石田氏の言を借りれば、『なでしこジャパン』のように熱狂的に受け容れられたことになります。『忠』『義』『仁』『信』などという儒教の思想が、日本文化に定着していたことの証(あかし)かもしれません。『お侍は、ただ威張っているだけかと思いきや、中には忠義をわきまえた根性のあるお方もおられるんだね』と庶民は、対岸の火事を見物するように楽しんだのでしょう。反動で、吉良上野介は、『煮ても焼いても食えぬ悪い爺さん』のイメージが定着してしまいました。少々同情したくもなります。

徳川幕府も、犯人達(赤穂浪士)の処罰には、頭を悩ませた末に、全員『切腹』を言い渡しました。庶民はまた、これに『見事に花を咲かせてパッと散っていく桜』の潔(いさぎよ)いイメージをだぶらせて、一層の喝采を送ったのではないでしょうか。凄惨な事件は一転して、美化され、娯楽として語り継がれることになりました。

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2011年12月 4日 (日)

パワーポイントで『仮名手本忠臣蔵』を鑑賞(1)

11月30日に、『横浜フォーラム』で、『石田寛人』氏の講演を拝聴し、『パワーポイント』で『仮名手本忠臣蔵』を鑑賞しました。

上記の文章は日本語としての形式は満たしていますが、文意を即座にご理解いただくには、かなりの『関連知識』を必要とします。

『横浜フォーラム』は、梅爺の大学時代の合唱仲間のMさんが主宰する、月一回の会合の名称で、毎回異なった分野の講師をお招きしてお話を拝聴し、呑んで、食べて、議論をする楽しい会合です。メンバーの大半は、梅爺同様、今は第一線を退いていますが、現役時代は、色々な分野で活躍された方々です。異なった業種経歴が、この会合の議論を多彩、かつ有意義なものにしています。

今回の講師の『石田寛人』氏は、主宰者Mさんの高校時代の級友で、『横浜フォーラム』のメンバーのお一人でもあります。東大工学部原子力工学科を卒業後、科学技術庁へ入省され、アメリカのイリノイ大学への留学(修士課程)などを経て、技術系官僚としては、最高位の科学技術事務次官にまで登り詰められました。その後もチェコ大使、東大客員教授、金沢学院大学学長、各種財団の要職を歴任されてこられました。ご専門の『エネルギー行政』『原子力技術行政』については、勿論以前に講演いただいていますが、今回は、趣味の『歌舞伎』のお話でした。趣味と言っても尋常のレベルではなく、『歌舞伎の創作脚本』を書くほどの深い造詣をお持ちです。石田氏をみていると、『天は二物を与えず』などというのは、どうも嘘らしいことが分かります。前にチェコ大使時代のことを書かれた随筆『プラハ 金沢 街角だより』を拝読して、見事な『日本語』表現に感服しました。何をやっても『一流』という能力は、羨ましい限りです。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_ac9f.html

『パワーポイント』は、パーソナルコンピュータで『プレゼンテーション』を行う時の『ツール(ソフトウェア)』です。『電子紙芝居』の風情ですが、石田氏は今回の講演のために200枚ほどの『スライド(画面情報)』を準備されました。200枚のスライドは、通常は4~5時間の講演に匹敵する量ですが、これで2時間弱に収めるわけですから、いかに語り口が『小気味良い』ものであったかは、ご想像いただけるでしょう。

『仮名手本忠臣蔵』は、ご存知歌舞伎の18番演目の一つのことです。石田氏は、全て上演したら1日以上の時間を要するこの演目内容を、短時間で面白おかしく、お話ししてくださいました。

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2011年12月 3日 (土)

パウロ・コエーリョ『The Winner Stands Alone』(4)

主人公は、偶然カンヌで遭遇した他人を、周到な手段で殺害し、その都度元妻の携帯電話に『世の終わり』を臭わせるメッセージ・メール送り、反応してくれることを期待しますが、無視され、彼女と彼女の現在の夫が出席するパーティの乗り込んで、二人を人目のない場所に連れ出します。口論の末、思い通りにことが運ばないことに絶望して、結局この二人も手際良く殺害して、モスクワへ逃げ帰るために専用ジェット機に搭乗するところで、小説は終わります。

フランスの警察関係者や、英国の犯罪心理学者なども登場しますが、犯罪推理小説ではありませんので、この後の展開は読者が想像するしかありません。このほか、映画スターや一流モデルになることを求めて、関係者の眼にとまるために世界中からカンヌにやってくる若い女たちも沢山小説に登場します。人間にとって麻薬のような『虚栄』とは何なのかをパウロ・コエーリョは問おうとしたのかもしれませんが、梅爺の日常とはあまりにもかけ離れた世界で、ピンときませんでした。

勿論梅爺も、『自分以上に自分を見せかけよう』という『虚栄』の心理が働いて、後々、自己嫌悪に陥ることはありますが、幸い、『虚栄』の底なし沼へはまることなく、人生を過ごしてきました。理性の抑制が効いているとも言えますが、目がくらむような『虚栄』のタネに遭遇しなかっただけのことかもしれません。

この小説は、梅爺好みではありませんが、さすがにパウロ・コエーリョならではの表現は随所にちりばめられていて、それはそれで堪能できました。小説の筋書きとは直接関係ありませんが、以下に二つの例を、梅爺の拙訳で紹介します。

愛を重ねれば幸せが、憎しみを重ねれば不幸が到来します。人は問題に巻き込まれなかったり、問題に気付かなかったりすると、その戸口を開け放したままで立ち去ります。そして、やがてその戸口から、悲劇が忍びこんできます。

有能なビジネスマンは、グラフや数値を検証した上で、市場動向に逆らった決断を下し、富を得ます。優秀な芸術家は、『そんなものは、誰も興味を示さないよ』と誰もがいう表現形式で、一世を風靡(ふうび)します。聖職者は、教義に照らせばこの世で最も重要なものであるはずの『愛』の話をさしおいて、『恐れ』や『罪』の話をして、信者の数を増やします。

いかがでしょうか。梅爺がパウロ・コエーリョが好きな理由がお分かりいただけたでしょうか。人間に対する深い洞察力、そしてピリリと辛みが効いているシニカルながらどことなく暖かいユーモアがこの作家の魅力です。夏目漱石に似ています。

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2011年12月 2日 (金)

パウロ・コエーリョ『The Winner Stands Alone』(3)

この小説では、『映画祭』という外観(そとみ)には華やかでも、虚栄を求める人たちが集まる場所で、『実業』で成功をおさめた男が、昔の妻を取り戻そうという目的のために『無差別連続殺人』を実行するという、梅爺のような凡人の感覚からは程遠い『別世界』の話が展開します。

『The Winner Stands Alone』は、『勝者は一人ぼっち』と訳すこともできます。映画スターにしても、実業での成功者にしても、頂点でチヤホヤされ、フラッシュライトを浴びるのは一時で、やがて、坂道を転がり落ちるようなことになり、誰も見向いてくれない時が訪れることになります。その落差の大きさを予感できるからこそ、頂点にいながら、凡人よりも『心の空しさ』『一人ぼっち』を強く感ずるのかもしれません。栄華を求めながら、心は孤独感にさいなまれるというように、人間の脳は実に厄介にできています。『人間は、辻褄が合わないものだ』ということを際立たせるために、パウロ・コエーリョは『極端な舞台と極端な人物』を設定したのかもしれません。

主人公の元妻は、今はアラブ出身の新進の『オート・クチュール』デザイナーと一緒に暮らしていて、始めて映画をプロジュースすることを発表するために『カンヌ映画祭』へ乗り込んできた夫に同行しています。『アパレル・ブランド』の世界も、映画界同様に、虚栄がはびこる世界です。映画祭の時のカンヌは、映画のプロジューサー、配給の元締めなどが世界から集まり、これらの人の眼にとまりたい俳優や俳優の卵も押し寄せて、連日ホテルでパーティが開催されます。勿論、業界専門の記者やカメラマンも押し寄せます。

主人公は、この元妻の動静を知った上で、モスクワから、『コーポレート・ジェット(会社の専用機)』で、カンヌへ乗り込んできます。そして、元妻の関心をひくために、無差別の『殺人事件』を開始し、そのたびに元妻の携帯電話へ、匿名でメッセージを送ります。元妻が気付いて、返事を返してくれることを期待してのことです。

実業界で成功を収めたくらいの男ですから、すくなくとも世の中の酸いも甘いも知りつくしているのではないかと想像したくなりますが、何故このような異常な挙動に出るのかは、梅爺にはまったく理解できません。元妻に対して、自分を見捨てた恨みを晴らすために、入念な復讐を企画したというなら、まだ理解できます。

この小説は、パウロ・コエーリョが、従来の殻を破った画期的な作品なのか、彼にしては駄作なのか、梅爺には判断できません。ただ、梅爺好みの小説ではないことは確かです。

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2011年12月 1日 (木)

パウロ・コエーリョ『The Winner Stands Alone』(2)

映画祭でにぎわうフランスのカンヌを舞台に、一見無差別に見える『連続殺人』を行う犯人は、ロシアで携帯電話事業を起こして大成功している中年の男です。世間の『ダメ男』達がやっかみたくなるような、富も地位も名誉も手に入れている人物です。ただ、この男にとって唯一『思い通りにならなかったこと』は『女』で、妻が自分を見限って去って行ってしまったことです。

この男は、ソ連の優秀な特殊部隊兵士としてアフガニスタンで戦った経歴を持ち、『人間を手際よく殺害する種々の方法』を熟知しています。戦場で『人を殺した』経験も豊富に持ち合わせています。

アフガニスタンから帰国後、ソ連崩壊、ロシア建国のドサクサをうまく利用して、携帯電話事業の会社を興し、最初の苦難を乗り越え、ロシアで業界No.1の会社をつくりあげます。仕事優先の生活に明け暮れる夫に愛想を尽かして、妻が去っていきます。こういう男女の考え方の行き違いは、世界中どこにでもある話で珍しくはありません。梅爺も若いころは、深夜に帰宅し、早朝に仕事へ出かける生活を繰り返していましたから、家族にとっては、『ひどい夫で父親』でした。しかし、当時の梅爺は自分が『ひどい夫で父親』であるという認識よりも、『家族のために身を粉にして働いている』と思っていました。これも今になって考えてみれば、『家族のために』は半分口実で、実は『自分のために』働いていたのではないかと思い当たります。人間は、自分中心に考え、そういう自分を肯定しようと色々な理屈を思いつくものです。

ついでに言ってしまえば、『家庭を省(かえり)みない夫』をなじる妻も、夫が仕事をしないで、家にいてチヤホヤしてくれれば満足かと言えばそうではなく、今度は『甲斐しょなし、煩わしい』となじることになるのではないでしょうか。男女の価値観の違いはいかんともしがたいところがありますが、自分中心に考え、その自分を肯定しようとする習性は、男女とも同じです。しかし、そのように達観できる人は稀で、多くの人は『不満を押し殺しながら生きている』ことになります。

この小説の主人公も、仕事熱心であったのは、妻に対する愛情が欠如しているためとは考えていませんから、去っていった昔の妻に、なんとかそれを気付いてもらい、自分のもとに再び戻ってきて欲しいと、強く願います。ここまでは、別に珍しい話の展開ではありませんが、異常であるのは、そのために夫がとった『無差別連続殺人』という『手段』です。

『愛』は、紙一重のところで『邪悪』に変貌するということを、パウロ・コエーリョが言いたかったのかどうか分かりませんが、物分かりがよいと自認している梅爺も、この『手段』は不可解です。つまりこの小説の真意が理解できているとは言えません。

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