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2011年10月31日 (月)

幸福指数(GNH)(3)

『幸福』とか『平和』とかいう『抽象概念』の言葉が尊ばれるのは、それが『安泰』という状態と関係しているからではなでしょうか。『安泰』ではない状態は、生きる上で『不安』『恐怖』というストレスとなって襲いかかってきます。多くの人が本能的に『変化』を嫌うのは、『変化』は『安泰』を乱すものと『感じる』からです。

それでは、ストレスは人間の大敵かと言うと、そうではないところが厄介な話になります。特に人間の脳は『適度のストレス』を必要とします。精神を活性化するにはストレスが必要になります。筋肉を使用しないと、筋力が失われるように、脳を使わないと、思考力や記憶力は衰えることになります。特に老人は、それでなくても『老化』が進行するわけですから、意識して普段から脳を使う努力をする必要に迫られます。梅爺にとってはブログを書くことが、何よりの脳ストレスになっているように感じています。

極度なストレスや、長期きわたるストレスの継続は、人間の精神生活に異常をもたらす可能性を秘めています。しかし、ストレスに耐える能力には、個人差があり、誰もが同じ状況で同じ症状になるとは限りません。云い換えれば、誰もが『うつ病』になるわけではありませんが、誰もが『うつ病』になる可能性は秘めているということになります。『うつ病』は特殊な人の病気ではありません。

『極度なストレスは好ましくないが、適度なストレスは必要』ということを考えて人間の行動を観察する必要がありそうです。『安泰』が基本的に脅かされない程度のストレスや変化ならば、人はむしろ好奇心の対象として求めます。変化の無い状態は、『安泰』であると同時に、『退屈』というストレスを生みだす要因になることが分かります。知らない土地を『旅する』ことが『楽しい』のはそのためです。

『幸福』や『平和』は、人間にとって何よりも望ましい状態であると思いたくなりますが、それが『常態』として続くと、人間はそれを『当たり前のこと』と感じ始め、むしろ『退屈』と感じ始める習性をもっていることになります。

『悩みや苦しみから解放された天国(極楽)』を望むのは、現在『悩み、苦しみ』の中で生きているからで、『天国(極楽)』に長期滞在すれば、皮肉なことに人間は『退屈』で『苦痛』と感じ始めるのではないでしょうか。都会生活に慣れた人が、のんびりした田舎の生活にあこがれながら、実際に体験すると、退屈で三日もしないうちに都会へ戻りたくなるという話と同じです。人間の生命活動は、肉体的にも、精神的にもストレス無しでは維持できないようにできています。

『幸福』という相対的な価値観を、『指数』で量る方法が、本当にあるのかどうか、梅爺には疑問ですが、何が多数の人にとって共通の『幸福』となるのかを考えたり、追い求めたりすることは、無意味ではないことは確かです。

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2011年10月30日 (日)

幸福指数(GNH)(2)

人間が他の生物より優(まさ)ると言えることの一つは、『抽象概念』を言葉として定義し、他人と共有できることにあります。『抽象概念』の多くは、脳の『情』が『感じる』状態の表現で、『美しい』『嬉しい』『悲しい』『寂しい』などが代表例です。この他に、『理』による『推論』や『空想』で、実際には存在することが物理的に確認できないものも『抽象概念』の対象になります。『神』『仏』『霊』『天国』『鳳凰』『龍』などがこれにあたります。『神』『仏』『霊』『天国(極楽)』を『抽象概念』とすることには、反論があることも承知してますが、ここでは梅爺の『考え方』としてお許しいただきたいと思います。

人間が生物進化の過程で『高度な言葉』を獲得しなければ、『抽象概念』は生まれなかったと考えると、新約聖書ヨハネ伝の冒頭の一節『はじめに言葉あり。言葉は神なりき』は、実に深遠であると気付きます。『言葉』と『神』が一体であるという表現は、人間にとって『神』とは何かを的確に示唆しているように思います。

『人間』『言葉』『抽象概念』は切り離せない組み合わせであり、もし人間がこの世から全ていなくなれば、残された自然環境には『抽象概念』も残っていないと梅爺は考えています。この考え方に従えば、『神』『仏』『霊』『天国(極楽)』も全て消滅することになります。

それでは『抽象概念』は、ばかげたものかと言えば、そうではありません。人間が何故『抽象概念』を必要とするかを考えれば、その意味が見えてきます。梅爺の仮説は、『人間は生物としての生き残りを求める本能を継承しており、それは心身の安泰を希求することである』ということです。更に人間は群をなして相互の安泰を確保しようとしてきたことから、『他人との絆』を求める本能も備えています。愛する人や親しい人の死は、絆の喪失となり、言いようのない悲しさ、寂しさに襲われます。迷子になった子供が泣き叫ぶのも、孤独の不安を本能で感ずるからです。

絆を確認するために、『抽象概念』の共有は重要な意味を持ちます。自分が悲しい状態にあることを、他人にも認知してもらいたいと願うからです。他人もまた悲しいと感じていることが分かれば、絆が確認できて、安堵します。つまり、絆を確認して安堵、安泰を感ずることが人間にとっては重要なことになります。芸術も、絆を求める行為であると梅爺は考えています。『愛国心』も当然絆を求める気持ちの発露です。『人』との絆を喪失した時に、それを穴埋めする対象として『神』『仏』『霊』との絆を求めたり、死の不安を緩和するために『天国(極楽)』という抽象概念を必要としたりしてきたのではないでしょうか。無神論者は、徹底して『神』の全てを否定しますが、梅爺は『抽象概念』としての『神』の意義を、完全否定することはできません。『安泰(心の安らぎ)』と『神(仏)』は密接に関与していて、『神(仏)』以上に『安泰』をもたらすものが、現状では見つかっていないからです。

『抽象概念』の特徴の一つで難点でもあることが、『情』や『空想(推論)』に立脚しているために、物理的な実態として表現することや、数値比較が難しいということです。つまり、『抽象概念』は相対的な価値観でしか観ることができないということになります。『幸福指数』という表現は、それ自体無理な話で、誰もが納得する尺度で、『幸福』を量ることは本来できないということを承知しておく必要があります。

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2011年10月29日 (土)

幸福指数(GNH)(1)

インドと中国に挟まれ、ヒマラヤ山脈の東に位置する山岳国『ブータン』は、仏教思想に基づいた『幸福指数(GNH:Gross National Happiness)』向上を国是とする国として、世界中から注目されています。

それほど、世界の先進国の多くが、『経済的に豊かになったら、人々は不幸せになった』という状況を深刻な問題として感じ始めているということでしょう。日本も例外ではなく、『何故こんなことになったのか』と、テレビや新聞が問題提起し、評論家と称する人たちが、もっともらしい話をしますが、『自殺者が増えている。精神疾患に悩む教師が増えている。孤独な老人が増えている。凄惨な犯罪が増えている。家庭内暴力が増えている』と現象の再認識にとどまったり、誰でも思いつく『経済至上主義の政策がまちがい』などという底の浅い分析であったっりして、梅爺にはどうもピンときません。

日本が抱える問題は、借金まみれの国家財政の立て直し、東アジアの中で紛争や戦争に巻き込まれないための外交の遂行などであることは明白ですが、最も本質的な問題は、『経済的に豊かになったら、人々は不幸せになった』という問題への対応であるはずです。しかし、この問題を正しく理解し、解決策を洞察しようとしている政治家が見当たらないのは、日本人にとって何よりも不幸なことではないかと梅爺は感じています。『子供手当』『高速道路無料化』や、『後ろめたい金に関係する政治家の糾弾』の議論だけに明け暮れるのが政治であるというような状況には、ほとほと閉口してしまいます。

『ブータン』という国を梅爺は良く知りません。勿論訪ねたこともありませんし、老人となった今では、『高地の山岳国』と聞いただけで、訪ねたいという気持ちもわいてきません。テレビや本で、観たり読んだりの断片的な情報しか持ち合わせていませんので、『幸福指数』を追い求める国であるからといって、手放しで礼賛することもできません。インターネット・カフェに群がり、飲酒喫煙する若者の映像をテレビで観たことがありますので、『ブータン』にも『不幸な現実の要因』があるのだろうと推察できます。国民の全員が『聖人』であるような話は、へそ曲がりな梅爺にはとてもうけいれられません。国民の全員が『将軍様』を慕っているという国の話も、ウソに決まっています。

『ブータン』の人の顔立ちや、生活風習が日本に似ているということで、昔言語学者の大野晋(すすむ)氏が、『日本人の先祖はブータンからやってきた』と主張したことを思い出しました。日本語の原型は、『古代タミル語』であるという大野氏の学説は、学会では批判する人が多く、定説にはなっていません。『ブータン』は8割がチベット人、2割がネパール人で構成されていますので、『モンゴロイド』の血を引くと言う点で、容貌が日本人と似ているのは不思議なことではありません。

2005年に王様が、『2008年から、王政を廃止して、民主選挙による立憲君主国になる』と宣言し、実行したことでも『ブータン』は有名です。当時国民は『どうか王政を止めないでください』と王様に嘆願したと聞いていますので、聡明な王様なのでしょう。どこやらの『将軍様』には、爪の垢でも煎じて飲んでいただきたいような気がします。

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2011年10月28日 (金)

子供の脳、大人の脳(6)

NHKBS第一放送の、ドキュメンタリー番組で、アメリカでは、『精神に異常がある』と診断された15歳以下の子供に、大人と同様に『薬物』が投与されるケースが増えていることを知り、梅爺は他国のことながら不安になりました。

人間の脳は、『理』と『情』の複雑な絡み合いで機能している上に、子供から大人へ向けて発育する過程の『個人差』もありますから、特に子供の表面的な行動をみて、脳の『正常』と『異常』を判別することは、非常に難しいはずです。人間は、誰でも『理』で『情』を抑制できない状態になる可能性を秘めていて、多くの場合はきわどいところで、バランスを保っているだけではないかと梅爺は想像しています。

『情緒不安定』『躁鬱症』などは、たしかに『情』の暴走で、本人にとっても周囲にとっても好ましくない状況になりますので、『症状』が緩和するのであれば、『薬物』にも頼りたくなりますが、脳のメカニズムが解明されていない以上、特に成長期にある子供の脳に、将来を含めてどのような副作用が現れるかは、現状では予測が難しいのではないかと心配になります。

崇高に見える人間の脳の活動も、ミクロに観れば、情報とエネルギーの流れを伴う『物理反応』『化学反応』であると梅爺は思いますが、脳の機能はミクロでは分からない、複雑な総合機能ですから、『薬物』で、ある症状だけを緩和するなどという単純な対象物ではないと思います。対症療法的に、効果があるように見える『薬物』が、脳全体にとっては好ましくないものかもしれないという、リスクを抱えているように思えます。

『怒る』『ふさぎこむ』『周囲を拒絶する』などで、社会生活に適応できない子供を不憫に思い、藁をもつかむ思いで『薬物投与』に同意する親の様子を番組で見て、梅爺は暗い気持ちになりました。誰もこの親を責めることはできませんが、誰も『薬物』の投与結果がもたらす子供の将来に責任がとれないからです。

地球上のすべての人間の姿かたちが異なっているように、全ての人間の『精神世界』は異なっています。現在では、そうなる原因は、生殖時に、遺伝子の組み換えが偶発的におこなわれるという、生物進化で獲得したしくみによるものであることが分かっています。

どこからを『美人』と判定するかが難しいように、精神世界もどこからが『正常』であると線引きすることができません。特に子供の脳は、まだ生育過程にあるわけですから、それでなくても『不安定』である可能性が高いといえるのではないでしょうか。

脳は、人間が人間らしく生きる上で、頼りの綱でもありますが、底知れぬ怖ろしさも秘めています。特に子供の脳へ、大人がかかわる時には、慎重には慎重を期す必要があるのではないでしょうか。

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2011年10月27日 (木)

子供の脳、大人の脳(5)

人間の脳は、無限の可能性を秘めているようにも感じますが、現実には、自然界に存在する他のものと同様に、『許容限界』があり、過度のストレスを受けると、破壊されたり、正常に機能しなくなることが分かります。精神世界は、今のところ眼に見えない世界ですから、この破壊、損傷にどのように対応したら良いのか、科学の力を持ってしても、分かっていません。カウンセラーは、経験則や対処療法で対応します。将来の夢や希望を絵に描くことで、脳に『楽しいこと』を想起させ、『悲しいこと』を相対的に緩和する、という方法が実践されています。『悲しい記憶』は消し去ることができませんが、『楽しいこと』とのバランスの中で、表面化することを抑えようと言うことなのでしょう。

日本でも、関西淡路大震災の後、多くのカウンセラーが、『心の傷』を受けた人たちのケアに活躍しました。この経験は、東日本大震災でも活かされるはずです。

梅爺も、満4歳の時に、住んでいた新潟県長岡市で、米軍による焼夷弾(しょういだん)空爆を受け、家は文字通り灰塵(かいじん)に帰し、家族と一緒に、火の海の中を逃げまどいました。両親は負傷し、特に母親は重度の火傷をおって、路傍で家族は動けなくなっていたところを、教師をしていた父親の教え子に幸い発見され、急作りの病院へ担ぎ込まれました。その後、両親の傷が癒え(母親は下半身にケロイドが残りましたが)、市から市営住宅というバラックが支給されるまで、梅爺は、茨城県の親せきの家に預けられていました。

その頃の梅爺は、胃腸が弱く、その上栄養失調のような状態で、骨と皮のように痩せ細った子供で、両親も『この子は永くは生きられない』と覚悟したと後に聞かされました。肉体的な虚弱に加えて、『空襲や、両親と別れて生活する精神的なショック』が、梅爺を極限状態に追いやっていたのであろうと思います。母親が、茨城県の親戚の家まで梅爺を引き取りにやってきてくれた時に、とにかく嬉しく、泣きじゃくったことを、鮮明に覚えています。

この時の体験が、その後の梅爺の人格や性格形成にどのように影響しているのかは、今となって自分で思い起こしてみても判然とはしません。ただ、『世の中には、自分の力や努力だけではいかんともしがたい不条理なことがある』ことを、受け容れる『我慢強い』性格になったように思います。『正義』だけを振りかざして、白馬の騎士気取りの人とは、一線を画くするようになりました。

子供の頃、脳に強いショックをうけた梅爺が、その後、世の中に全て背を向けたり、アメリカへの復讐を誓ったりせずに、少々の『偏屈爺さん』程度にとどまっているのは、我ながら上出来と思いますが、それは、子供であった頃の梅爺に対して、両親や周囲の人たちの暖かい気遣いがあったからで、感謝のほかありません。

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2011年10月26日 (水)

子供の脳、大人の脳(4)

中国西海省のチベット族の子供たちは、大地震という突然の『天災』で両親や家族を失い、極度の『精神的ショック』を脳に受けたことになり、この場合は、原因を他人に求めることができません。『誰かを恨む』と言うより『深い悲しみ』が『精神的ショック』の実態です。科学知識の無かった時代の人間が同様の『仕打ち』に遭遇すれば、これは、『自分たちが神にそむいたことに対する神の怒りの現れ』と解釈したにちがいありません。『ノアの箱舟』『ソドムとゴモラ』などの伝説は、歴史上本当にあった『天災』を、神と関連付けて語り継いだものであろうと梅爺は推測しています。

しかし、イスラエルの『ガザ地区』で、イスラエル軍の砲撃で家族を失った子供たちの場合は、子供心にも『仕打ち』の元凶はイスラエルの兵士であることが理解できるために、『悲しみ』に加えて『憎しみ』が強く残ります。周囲の大人たちも、イスラエルの『非道』を口々に訴えますので、子供たちは一層『憎しみ』が増し、イスラエルへの『復讐心』が確固たるものとして残ります。

子供たちの遊びも、イスラエル対パレスチナの『戦争ごっこ』になり、『大人になったらイスラエル人を殺す』『反イスラエルのゲリラに加わる』『テロリストになる』と叫びます。『人災』で『精神的ショック』を受けた時の、人間の対応は非常に複雑で、悲劇の繰り返しになる可能性が高まります。仮想の状況を想定して『汝の敵を愛せよ』という教えを受け容れることができても、実際に愛する人たちが殺されたという状況で、この教えを受け容れることは至難のわざです。高度な『理』と『情』の絡みで行動する『人間』は、時に『崇高な存在』になりますが、『非常に危険な存在』にもなることは避けようがありません。本当に『危険な存在』になる、一歩手前で踏みとどまることができるかどうかが、最後に残されている『知恵』ではないでしょうか。

『ガザ地区』はイスラエルの喉にささった刺(とげ)で、どのような解決が待ち受けているのか梅爺には想像できません。ガザ地区のパレスチナ人は、無実の市民までイスラエルが殺していると叫び、イスラエルは、ガザ地区では、テロリストが市民達を隠れ蓑にしていると主張しています。どちらの主張も『ある真実』を表現していますが、それが『真実の全て』ではないところに、問題の根深さがあります。

日本も『尖閣列島』やら『北方領土』やらの問題を抱えていますが、『ガザ地区』のような深刻な問題ではないことが救いです。『ガザ地区』のような問題が発生したら、政治家は決して『能天気』ではいられなくなり、ことによっては、日本の子供たちも『復讐の鬼』に変身することがないとは言えません。

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2011年10月25日 (火)

子供の脳、大人の脳(3)

NHKBS第一放送の『世界のドキュメンタリー』番組で、『世界の子供たち』というシリーズが放映され、中国西海省玉樹の大地震で、両親を失ったチベット族の子供たち、イスラエルの『ガザ地区爆撃』で、家族が目の前殺される体験をしたパレスチナ人の子供たちの『心の傷』の問題が取り上げられました。

中国の場合は『天災』によって、ガザ地区の場合は『人災』によって、子供たちは、脳の『情』が許容できないほどの強いショックを受けたことになります。勿論大人も同様のショックを受けますが、『理』でショックを緩和しようとする能力が、子供よりは相対的に備わっているという違いがあります。大人でも、戦場で地獄を体験した兵士が、深い『心の傷』にその後悩まされることになりますので、程度の問題にすぎず、『理』が未熟な子供は、直接的な打撃を受けという度合が大きいというだけ話です。

中国西海省玉樹の大地震で、両親を失ったチベット族の約30人ほどの子供たちを、北京のNGO(心のケアを目的とする団体)が、北京に引き取って、3ケ月の共同生活を送り、子供たちの心の傷を緩和しようとする活動がドキュメンタリー番組の内容でした。共産党の一党独裁で、経済活動、軍事強化に奔走する『危なっかしい国』である中国に、このようなNGOが存在することは、『まともな国家』への歩みも、少しづつ存在し始めている証拠なのでしょう。

子供たちは、最初は心を閉ざして、泣いたり、悪夢に怯えたりしていますが、徐々に、ケアする人たちの献身的な愛情に接して、表面的には明るく過ごすようになります。しかし、ひょっとしたこと、たとえば『天国のお母さん』というような歌を聴いた時に、ショックが蘇り、呼吸困難の状態にまでなります。子供の心を開放するために、『絵を描かせる』という治療方法がとられます。将来への夢とのバランスの中で、子供たちは、『理不尽に思える現実を、現実として受け容れる』方向へ、少しづつ変わっていきます。合宿生活の最後に、現実を認めさせる『ショック療法』として、被災直後の現地の映像を子供たちに見せます。子供たちは、誰からともなく画面に向かって、合掌し祈る姿勢を取り始めます。チベット族が、幼いころから『仏教』の教えの中で生活していることが分かります。今までは形式的に祈っていたに違いない子供達が、どのような場合に『祈る』のかを体感して知った瞬間で、番組を観ていて梅爺も感動しました。

『世の中は理不尽なことで満ちている』などということを、できるだけ知らずに幼少期を過ごせるなら、その方が良いとも言えますが、理不尽を体験した子供たちのその後の人生は、不幸とも限らないのが人間の不思議なところです。かえって、チヤホヤ育てられた子供より、『強く立派な大人』になる場合もあります。

『理』と『情』の絶妙なバランスを取りながら、人間は生きていくことになり、その絶妙なバランスが、その人の『魅力』になります。

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2011年10月24日 (月)

子供の脳、大人の脳(2)

子供の脳の特徴は、『理』と『情』のバランスでいうと、極めて『情』の支配力が強いということでしょう。『情』は本能と直結していますから、外部の状況に反応して、ストレートに泣いたり、笑ったり、むずかったりします。赤ん坊は同じく本能に属する好奇心で、周囲の物を手で触れたり、口に入れたりしようとします。何が『危険』かを『理』で判断する能力を未だ持ちませんので、『情』で行動することになります。

成人するまでに、『理』に属する『知恵』『知識』が増え、時に『情』のままに振舞うのは、『良くない』『思いやりに欠ける』『恥ずかしい』と判断するようになり、『理』で『情』を抑制できるようになっていきます。大人になっても『自分勝手に行動する人』は、この『理』の成長のプロセスが未熟か、常識的な『知恵』『知識』の取得ができていないかの人間です。それでも、『情』は地球のマグマのように、常に噴出の機会を狙っていますから、大人でさえも、『理』で『情』を抑え込むことができずに、泣くことがあります。梅爺のように、歳をとると『涙もろくなる』のは、『理』の抑制力が弱まるのか、単に肉体的に涙腺が弛緩(しかん)しただけなのか分かりませんが、面白い現象です。

逆に、自分の価値観だけに固執する大人は、単純な『理』の支配が強い人で、少しの違いでも相手を許さないと言うことになり、これもお付き合いが大変なことになります。

幼児期、少年少女期の『理』は、自分が体験した『厭なこと』『痛い目に合ったこと』を次からは避けようとする単純な経験知識か、周囲の大人(親や先生など)から教えられた知識で構成されていますので、これが行動の判断基準になります。そして、それが大人になってからも強い支配力を持ちます。チベットの仏教徒は、子供に『蚊にくわれても、たたき殺してはいけない』『自然の花を摘んではいけない』と教えます。そのため、チベットの子供は、外国人が平気で蚊をたたき殺すのを見ると、『自分が殺される』ように『怖い、ひどい』と感じます。

子供の時に脳に『刷り込まれた』行動の判断基準は、『洗脳』とも言えますので、非常に重要な意味を持ちますが、一方大人になった時にこれが邪魔することにもなります。

北欧の『自分で判断する能力』を重視する教育は、子供の時に『刷り込む知識』の量を最小限にとどめ、大人になった時に『自分で考えた判断』に従う比率を高めようという狙いで行われます。

自分で考えようとせず、外部の知識で判断することが重視される日本の教育では、『金太郎飴』のような人間になりやすく、未知の体験には、右往左往しがちです。富国強兵が強調された時代には、『金太郎飴社会』は、好ましい社会体制であったと思いますが、今後日本を『本当の民主社会』『人間らしい社会』にしていくためには、自分で判断して行動する比率を高めようという北欧型教育にもっと目を向ける必要があるのではないでしょうか。

幼児や子供に、『善悪の判断』などの基本を『刷り込む』ことは大切でもありますが、度を超すとその子供の将来を強く規制することにもなります。その限度を見極めることは易しくありませんが、少なくとも、『刷り込みの弊害』があることを大人が認識することは重要ではないでしょうか。高度な抽象概念を駆使して判断する能力が未熟な子供を洗脳して、『聖戦のための自爆テロリスト』に仕立てるような行為を慎むのが大人の責任であると梅爺は考えています。宗教は、『子供への刷り込みを制限する』という点で、最も対応が難しい世界のように感じています。生きることを苦悩と感じ、救いを求めるのは、基本的に脳が発達した大人の世界の話であると考えるからです。

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2011年10月23日 (日)

子供の脳、大人の脳(1)

人間が、産まれてから大人になるまでに、他の動物と比較して永い年月を要することに、『人間の習性に関わる秘密』が隠されているように思います。何歳からを大人とみなすかは判然としませんが、経験則で多くの国が、16~20歳で成人に達すると法で定めているのではないでしょうか。寿命の1/4が成長期に充てられているということになります。。

『人間』が直立二足歩行を開始したことで、骨格上、母胎の産道の大きさに制約が生じ、胎児の脳が大きくなると出産時の母胎の危険が増すために、他の動物に比べると『未熟児』で産まれるのだという説明が良くなされます。胎児の大きさの限界に関する説明としては一理ありますが、胎児が母胎内で育つ期間(10ケ月程度)と、産まれた後に大人になるまでに要する期間(20年程度)は、あまりに大きな差がありますから、『人間が産まれてから大人になるまでに永い時間を要する』ことには、他の理由があるものと推測できます。

種としての生き残りを考えると、短期間に成人に達する方が有利のように思えます。原始時代、人間は常に人間を餌食にしようとする外敵と共存していたわけですから、長期間か弱い子供の面倒を見なければならない大人のリスクは大きかったにちがいありません。そのようなリスクを背負っても、時間をかけた方が種としては総合的に有利であるということで、現在の『人間』ができあがっていると考えるほかありません。

人間が大人になるまでに、時間を要するのは、云いかえれば、脳があるレベルの完成に至るまでに時間がかかるということに他なりません。その脳の発達と『思春期』は連動していて、その頃に『生殖機能』が発露するようにできている絶妙なしくみは驚くほかありません。目に見えない『体内時計』『体内歴(こよみ)』で、私たちは制御されています。老齢に達し、死へ向かうのも同じようなしくみです。個人の『情』にとっては味気ない話ですが、種の存続には、『生殖』『死による世代交代』が必要であるという自然の摂理(しくみ)に他なりません。一方、自然の摂理は個人の『情』にとっては、必ずしも都合良くはできていないことが、個人を一生悩ませ続けることになります。そしてこの『煩悩(ぼんのう)』へ対応するために、人間は『宗教』を考え出したのではないでしょうか。

脳がある程度の完成をみるのは、脳神経細胞ネットワークがあるレベルまでに達することを意味します。云いかえれば、脳神経細胞ネットワークを完成させるための、『経験』『体験』は、ほとんどが産まれた後の外部世界との接触で得られるものですから、人間にとって、育った環境が如何に大きな意味を持つかがわかります。DNAで継承された生まれつきの才能、能力だけが、人間を支配しているのではないこことが、重要な意味を持ちます。

明治維新の直前に、鹿児島の鍛冶屋町や、萩の松下村塾近辺、高知の下士の仲間にのみ、偶然偉人の卵が存在していたわけではなく、環境条件がそろえば、そこから『偉人』達が排出されることを示していますから、『どのような環境で育ったのか』『どのような大人(親、教師など)に接しながら育ったのか』が如何に大きな要素であるかが分かります。

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2011年10月22日 (土)

ライバル(3)

『ライバル』が時に不都合なものであり、時に有効で必要なものであるということは、『ライバル』の存在が、それを感じる人の脳にストレスとなっていることを意味します。一般的に、ストレスは、人間には不都合なものであると同時に必要なものであるという矛盾した両面を持っているという話に置き換えることができます。

ストレスが強まると、人の脳は、無意識に、あるいは意識的に、このストレスの基となっている要因を排除しようとします。『厭なことを考えないようにする』『楽しいことに熱中しようとする』『酒や薬を飲んで気を紛らせようとする』『安らぎを求めて神や仏に祈る』など対応は様々ですが、これらはストレスの緩和のために人間が取る行動の例です。ストレスの基が『ライバル』の存在なら、『相手を無視しようとする』『相手を越そうと自ら努力する』『相手を抹殺しようとする』などの対応になります。

人間は一人ひとり『理性』や『感情』のレベルが異なりますから、同じような境遇に遭遇しても、誰がどのように対応するかは予測が困難です。『ライバル』への対応も、力ずくで『排除、抹殺』しようとする人もいれば、そういう行為は結局自らを貶(おとし)めることになると理性で考え、自分を抑制する人もいます。

『他人と関わるのは煩わしいので、一人静かに時間を過ごしたい』などと言っていた人も、本当に誰も相手になってくれる人がいない『孤独』の環境になれば、今度は『孤独は死ぬより辛い』などと言いだします。これは、群をなして生きることを選んだ人類が進化の過程で、『孤独』を『不安』というストレスで受け止める本能が形成されたためと推測できます。

過剰なストレスは、脳に有害に作用しますが、適度なストレスがないと、脳の機能は正常を保てない(時に退化、劣化してしまう)という、実に厄介な話です。更に老人には、脳の老化が襲いかかりますので、ストレスとどのように付き合うかは、重要な課題になります。

梅爺がブログを書いているのは、『自己顕示欲の発露』の面も勿論ありますが、それよりも、毎日文章を書く習慣が、かなりなストレス要因になっていて、『ボケ(脳の老化)防止』に役立つかもしれないという、期待が強いからです。しかし、梅婆からは『パソコンの前に座ってばかりでは、身体が鈍りますよ』と、今度は言われる羽目になってしまいます。脳も身体も健康な爺さんを維持するのは、並大抵な話ではありません。

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2011年10月21日 (金)

ライバル(2)

『ライバル』の存在は、それを不都合なものとして排除、抹殺しようとすると『争い』『紛争』『殺戮』のもととなり、その行為が更に相手の『恨み』を買って『復讐』を喚起し、際限のない泥沼に陥ります。『アルカイダ』と『アメリカ』、『ユダヤ人』と『パレスチナ系アラブ人』などの敵対関係はこの例で、和平の糸口すら見つかりそうにありません。

一方『ライバル』の存在を、自分を『向上』させる目標手段として有効に利用すれば、むしろ不都合なものというより、欠かせないものということになります。つまり、『ライバル』の存在そのものが善悪の対象ではなく、自分がそれをどのように受け止めるのかで、結果は大きく異なってくることになります。

野球やサッカーの『日韓戦』になると、やたらと両国は『ライバル意識』丸出しになりますが、この背景には、過去の歴史的関係が見え隠れし、『恨み』やその変形の『妬(ねた)み』が作用しているように思えます。しかし、スポーツのレベルアップの視点だけでみれば、このライバル関係が、両国を野球やサッカーの強国に押し上げる要因になっています。中国も日本へのライバル意識が強い国ですが、中国で開催されるサッカーの『日中戦』では、『日の丸や君が代へのブーイング』があるなど、歴史的、政治的な背景が勝っていて、一部の中国人の意識が、純粋なスポーツのライバル関係にまで昇華していないことが分かります。日本で、『日本対北朝鮮』のサッカー試合が行われる時に、観戦者は、北朝鮮の国旗や国歌にブーイングなどを浴びせませんので、日本人の方が、政治とスポーツを分けた大人の対応ができていることになります。

東アジアの日本、中国、韓国が、互いにライバル意識を燃やし切磋琢磨して、世界が認めるアスリート、芸術家、学者を排出することになれば、これに越したことはありません。しかし、互いに相手を敬う気持ちが底流になければ、良いライバル関係は成立しません。そして相手を敬う気持ちは、互いに大人でなければ保有、維持できません。

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2011年10月20日 (木)

ライバル(1)

『人間が皆争いの心を捨てれば世界は平和になる』という表現を論理の『命題』として真偽を検証してみると、とても『真』であるとは言い切れません。勿論、『平和』とは、どのような状態を指すのか、先ず定義をする必要がありますが、これまた困難で、誰もが納得する定義は簡単には見つかりません。

『人間が争いの心を捨てる』ことは所詮無理な話である、と言うことになれば『平和』の実現も所詮無理であるということになります。

広辞苑で『平和』を引けば『やすらかに、やわらぐこと』『穏やかで変わりがないこと』『戦争がなくて世が安穏(あんのん)であること』と書いてありますから、分かったような気にもなりますが、『やすらか』『穏やか』という状態は、相対的なもので、人によって同じ状態でも受けとめ方が異なりますので、結局『平和』という概念は、曖昧なものであると気付きます。

『理』で『真偽』を断定できることは、本を読んだり、辞書を引いたりして『正しい知識』を獲得できますが、世の中の多くの概念(言葉、定義)は、真偽の断定が難しいものですので、本や辞書から得た知識の大半は、自分の理解を深めるための補助手段にすぎないと梅爺は受け止めています。

絶対的な真偽を特定することは不可能であると分かっていても、自分はどう考えるかということに、異常なほどに執着する梅爺の性格は、カッコ良く言えば、『哲学的思考を好む性格』ということになりますが、世の中からは『屁理屈、偏屈爺さん』と敬遠されることになります。広辞苑に書いてある『平和』の定義を丸暗記して、『分かったぞ』と言えるような性格なら、周囲からは『素直な爺さん』と受け容れられるのでしょうが、なかなかそうはいきません。

『平和』を乱すものは『争い』であり、『争い』の元は『敵対者(ライバル)』の存在であると、論理で考えると、『ライバル』の存在は好ましくないことということになりますが、個人やコミュニティが『向上』するためには、『ライバル』が必要であるとも言われます。一体これはどういうことなのでしょう。

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2011年10月19日 (水)

縁の下の力持ち

上方いろはカルタ『ゑ』の『縁の下の力持ち』の話です。

この表現は、現在でも多用されますから、説明の必要がありません。表向きにものごとが成り立っている裏側では、人知れずそれを支えている人たちがいるということで、感謝すると同時に、自分も世の中でそのような役割を果たしたいものだと考えるきっかけにもなります。

表舞台で華やかな脚光を浴びると、裏方の努力など忘れて、自分だけの成果だと勘違いするのが、人の常ですから、このように自戒することは重要なことです。自分は『多くの人の努力』や『自然』に支えられて『生きている(生かされている)』という感謝の念を常に持ちたいものです。

宗教は『神の恵み』『仏の慈悲』に感謝の念を持つように教えを説きますが、『周囲への感謝の念』は、宗教とは無関係であっても理解できることです。梅爺のような『信仰の薄い人間』は、『感謝を知らず、冷酷な人間』と思われますが、そのようなことはありません。

上方いろはカルタでは、『縁の下の舞』という表現が採用されることもあるようです。この場合は『縁の下の力持ち』とは、意味合いが微妙に異なるように感じます。

『縁の下の舞』の場合は、『他人の目ばかりを意識して行動せずに、他人が観ていないところでも、手抜きせずに振舞いなさい』というような意味が汲み取れます。

表から見えないところの『おしゃれ』に気を使う、『粋(いき)』という感性と似たところがあります。

表面だけを取り繕って、うまくこの世を渡ろうと思っても、やがてメッキがはげる事例を沢山みれば、結局『内面を充実させる』ことが、重要であることに気付きます。自分の内面を高める努力は、『自己満足』だけではなく、世の中に自分を還元させる、切り札になります。

内面の素晴らしさは、周囲の感動を呼び起こし、また誰かがそれを越えようと、社会が『切磋琢磨』する要因になるからです。このような『切磋琢磨』の連鎖が起こる社会が、真に成熟した文明社会といえるのではないでしょうか。

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2011年10月18日 (火)

映画『人間の条件』(5)

山田洋次監督が、『人間の条件』という映画を、『家族』をテーマにした映画として『日本の映画100本』のひとつに選んだのには理由があるのでしょう。『人間らしく生きよう』とする個人の願いは、国家論理で遂行される『戦争』のような事態の中では、二の次とされるか無視されますが、この映画では、そのような状況の中でも、『夫婦愛』が『梶』の『生き続けよう』とする原動力になっていることに注目したのでしょう。

『夫婦や家族の絆を引き裂く戦争は邪悪な行為である』、従って『何としても戦争は回避すべきである』という主張に梅爺は異論がありませんが、残念なことに、『夫婦や家族の絆』が最も重要であるという価値観は、多くの人の『願い』であるにも関らず、絶対的な価値観ではありません。人間社会が産み出す『国家論理』に基づいた『戦争』が、『個人の幸せや願い』を踏みにじるのと同様に、自然の災害も非情なまでに『個人の幸せや願い』を踏みにじります。『戦争』と『自然災害』を一緒にするのはおかしい、『戦争』は人間が起こすものではないか、という反論はごもっともですが、人間は、『個人の論理と国家論理の中で、必ず個人の理論を優先する』という合意を確立するにいたっていません。従って遺憾ながら『自然災害』同様に、『戦争』はいつ起こるかわからない危険性を依然として秘めていると覚悟しておく必要があります。梅爺は、戦争肯定論者ではありませんが、『祈り』や『願い』だけでそれが回避できるとは思っていません。

作者の五味川純平氏は、この小説で、主人公『梶』の良心や、『梶』夫婦の『夫婦愛』が、非情に踏みにじられていく、『戦争』や『軍隊』の不条理さを訴えたかったとみれば、単純な『反戦小説』ということになりますが、むしろ、個人から観ると不条理なことを回避する知恵を人間が保有していないという哀しい現実を提示したかったのではないでしょうか。

『戦争』や『自然災害』は、避けえないものとしてまた起こり、その中で生きるための『極限状態』に追い込まれた時に、『あなたは、何を最後のよりどころにしますか、良心ですか、信仰ですか、絆ですか、それとも他人を排除しても自分だけはなんとしても生きると言う選択ですか』という問いが、『人間の条件』には込められているのではないかと感じました。

『人間の条件』は、日本の映画史に残る、重厚な映画であることは間違いありません。

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2011年10月17日 (月)

映画『人間の条件』(4)

『人間の条件』の主人公『梶』が体験した、日本軍捕虜に対するソ連の『強制労働』は、戦争がもたらした大きな悲劇の一つです。中国、満州で終戦を迎えた日本軍兵士57万人が抑留され、5.5万人が収容所で亡くなっています。

因みに、第二次世界大戦での、日本人兵士の戦死者数は、230万人、一般市民の犠牲者は80万人と言われています。一般市民の犠牲者が多いのは、広島20万人、長崎14万人、東京(大空襲)8.4万人、沖縄9.4万人です。梅爺が4歳の時に体験した新潟県長岡市の空襲では1500人が亡くなっています。

中国・満州での日本軍捕虜を、労働力として利用するために、ソ連のスターリンは50万人を確保するように命令しました。第二次世界大戦でのソ連の死者は、2000万人とも推計されており、極端な労働力不足であったにせよ、このスターリンの指示は、ポツダム協定違反です。捕虜は武力解除した上で、日本へ送還することが決められていたからです。

抑留された旧日本兵は、敗戦国の捕虜と言う恥辱に耐えながら、重労働に従事しますが、やがてソ連の思想教育(洗脳)によって、『仲間割れ』が生じます。抑留者は、スターリンの恐怖政治の実態などは知る由もありませんから、『社会主義』の考え方は、論理的、魅力的で本当に共鳴する人も多数あったのではないでしょうか。特に、文字情報に飢えていた知的レベルの高い人たちは、日本語で発行される収容所の新聞をむさぼり読み、洗脳されていったのものと想像できます。模範的労働者から、日本へ帰国させるというような噂も利用して、ソ連は巧みな洗脳を行います。収容者内に『反ファシスト委員会』と呼ばれるオルグをつくり、『アクティブ』『青年行動隊』などという協力者を選んで、秘密警察やつるしあげの大衆裁判まがいのことが行われていきます。この当時、日本共産党は、これらのシンパが、日本帰国時に共産党員となり活動してくれることを期待していました。

最初ソ連は、旧軍隊時の階級を重んじ、日本軍の将校であった人間は、収容所内で特別待遇し、重労働などは課しませんでした。しかし、社会主義洗脳教育が進み、仲間内の『反動分子』を大衆裁判形式でつるしあげるような行為が横行するようになり、将校の『特権』は剥奪されることになります。このような『仲間割れ』や『つるしあげ』に加担したことが、その後日本へ帰国した後も多くの関係者の『心の傷』として残ります。帰国時に、今度は、危険思想の持ち主としてGHQからは監視され、日本国民からも『共産主義者』と誹謗され、戸惑うことになります。ソ連が『日本人への強制労働』について謝罪したのは1993年(エリツィン大統領)になってのことです。

主人公の『梶』は、収容所内で『反動分子』とみなされ、収容所を脱走し、妻のもとへ帰ろうと荒野を彷徨し、ついに力尽きて雪に埋もれて亡くなります。悲劇の結末ですが、この小説の主旨から、メデタシ、メデタシの結末はありえなかったのでしょう。

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2011年10月16日 (日)

映画『人間の条件』(3)

映画の主人公『梶』役には、当時新進の舞台俳優であった仲代達矢さんが抜擢されました。4年間を要した『人間の条件』の撮影合間をぬって、黒澤明監督の『用心棒』などにも出演していますから、一気に映画俳優としての地位も確立したことになります。『人間の条件』では映画が進行するにつれて、『梶』は鬼気迫る風貌に変っていきますが、これを仲代さんは見事に演じています。

映画の舞台は、敗戦が濃厚になりつつあった頃から、終戦直後までの満州です。徴兵は免れないと覚悟した『梶』は、恋人(新珠三千代)との結婚を逡巡しますが、満州の石炭鉱山の労務管理の職を選べば、徴兵は免れることを知り、結婚して赴任します。しかし、そこは日本軍部から、過酷な生産ノルマを課せられた鉱山で、満州人を強制労働者(工人)や同じく満州人の慰安婦達の管理が仕事でした。その上、日本陸軍は、中国人捕虜達を『特殊工人』と称して、この鉱山へ送り込んできます。

『梶』は、虫けらのように扱われている満州人や中国人捕虜の待遇を少しでも改善しようと努力しますが、その態度は、会社の幹部や陸軍から疎(うと)まれるようになり、やがて捕虜の一部が脱走を企てたとして、首謀者が陸軍によって見せしめの斬首刑に処せられた時に、これを阻止しようとしたために、会社は解雇され、徴兵されて軍務に就くことになります。

しかし、ここでも古参兵による陰湿な弱者いじめに反抗し、ソ連との国境に近い最前線へ配備されます。圧倒的な火力や戦車で攻め込んできたソ連軍の前に、日本軍は玉砕状態になりますが、『梶』は辛うじて生き残り、『生きて帰る』と妻と約束したことだけを心のよりどころとして、満州の荒野をさまよい始めます。この頃、日本は既に敗戦で戦争は終わっていたはずですが、満州にいた日本人たちは、中国人の復讐や、ソ連軍の略奪、強姦に怯えることになります。

『梶』も逃亡の途中、日本兵の『残党狩り』をする中国人やソ連兵と戦って相手を殺すことも余儀なくされます。

それでも『梶』は、ついにソ連軍に捕まり、『旧日本兵』を対象とした『強制労働所』へ送られます。ここで待ち受けていたのは、勿論過酷な労働ですが、それよりも過酷なものは、日本人捕虜同士の密告、裏切りでした。ソ連は、捕虜たちを洗脳して、社会主義を信奉する人間に変えようとし、これに反抗する人間は、『反動分子』として糾弾しようとしました。『反動分子』のあぶりだしというスパイ行為のようなことが、捕虜仲間の中で横行するようになっていきます。

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2011年10月15日 (土)

映画『人間の条件』(2)

良識や良心が通用しない、不条理だけがまかり通る世の中で、人間らしく生きようと思えば、反って命を縮めることにもなりかねません。死も覚悟で『良心に従って行動する』か、とにかく『生き延びる』ことのどちらかを選ばなければならない状況下で、『生き延びる』ことを選択した人を、梅爺は責めることができません。そのような状況が自分の身に起きることを想定するのは、おぞましいことですが、自分も『生き延びる』ことを選択しないとは限らないからです。平穏で、条理が優先される環境下で、『人は良心に従って生きるべきだ』と主張することは誰にでもできます。

戦後、とにかく『生き延びて』故国へ帰還した兵士の多くが、平穏な暮らしを取り戻した時に、今度は『自分だけが生還した』ことに、『罪』の意識を感じ始めます。死んでいった仲間たちに『すまない』という気持ちに苛(さいな)まれます。前の戦争で、生還した兵士は、現在80歳以上の高齢者ですが、戦争懐古のドキュメンタリー番組の中で、目に涙を浮かべながら、共通して『罪』や『悔悟』を口にします。60年以上『心の重荷』を背負って生きていたことが分かります。

しかし、現実には、戦時中多くの人たちは、不条理には目をつむり、『生き延びる』ことを選択しました。『人間の条件』の作者五味川純平氏や、これを映画化した小林正樹監督は、自分もその一人であったことを、悔いる気持ちがあって、この作品をつくったのではないでしょうか。正義感で『反戦』小説、映画をつくったのではなく、自分も積極的ではないにせよ、この戦争に加担していた一人であることを告白する気持ちが込められているように感じました。そして、戦争の記憶が薄れ始めたことを危惧し、同じことを繰り返さないために、『忘れないで欲しい』という願いも込めたのではないでしょうか。

戦時下で主人公『梶』のように、良心に従って生きようとした人間は、五味川純平氏が、『こういう人間がいてほしい』という願いを込めて創造した人物ではないかと、昨日梅爺は書きました。小説故に存在意義がありますが、現実には『梶』のような人物は実存する可能性は低かったのではなかと想像しました。

主人公は、理想を託した『仮想のヒーロー』で、現実味が少ないとしても、その他のシーンには、徹底したリアリズムで貫かれています。古参兵が、初年兵を並べて、殴るシーンや、大量のソ連の戦車が攻め込んでくる戦闘シーンなどが圧倒的な迫力で展開します。

荒涼とした満州の光景は、北海道のロケで再現されたようです。リアリズムを強調するために、意図的にモノクロの映画様式が採用されています。CGなどの手法が無かった50年前のことですから、当時としては、異例の製作費がこの映画にを投入されていることが分かります。

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2011年10月14日 (金)

映画『人間の条件』(1)

NHKBSプライムチャンネルで、山田洋次監督が選んだ日本映画100本が、2年をかけて放映されることになっていて、1年目の今年は『家族』をテーマにした映画50本が放映中です。『日本映画を100本選んでみろ』と言われても、梅爺にはできそうにありませんし、できたとしても自分が観たことがある映画だけに限定されて、偏(かたよ)ったものになるにちがいありません。

業界の大御所山田洋次監督が選んでくださるというのはありがたいことで、映画大好きの梅爺にとっては、日本映画を体系的に展望できる絶好の機会でもあり、せっせと録画して観ています。小林正樹監督の『人間の条件(6部作)』が、連続6夜にわたり放映されました。6部作全部を観るのに9時間以上を要するものでしたが、梅爺は気合をいれて観ました。

1955年に発表された作家五味川純平氏の同名の小説を、映画化したもので、映画は1959年から1961年にかけて公開されました。撮影には4年間を要したという大作です。原作の小説は、五味川純平氏の実体験をベースにしたもので、1300万部売れたと言う大ベストセラーですが、当時梅爺は中学生ですから、読んでいません。敗戦から10年後の頃ですから、多くの日本人の中に『戦争』が生々しく残っていた時代で、それもベストセラーになった要因なのでしょう。映画が公開された時には、梅爺は、受験勉強中か大学入学直後ですから、それどころではなく、これも観ていません。勿論、世の中で小説や映画が話題になっていることは知っていましたが、『人間の条件』とは、なんと仰々(ぎょうぎょう)しいタイトルだろうと、生意気にも冷ややかに感じていたような記憶があります。

『戦争』や『軍隊』の中では、不条理や野蛮が横行し、『人間の尊厳』などは全く顧(かえり)みられないことになります。強靭な肉体や運動神経、それに幸運に恵まれた人だけが生き残ることができ、虚弱で動作が鈍いような人は、たとえどれだけ知性に恵まれ、心やさしくても、生き残れない世界です。梅爺はこのような世界では、最初の脱落者候補になるような気がします。

『人間の条件』では、強靭な肉体と、射撃能力など兵士としての秀でた資質に恵まれながら、不条理を排して人間らしくいきたいと考える『梶』が主人公です。この不条理の世界に適した資質を持つ人間が、不条理を排して生きようとする矛盾が小説や映画の見所です。人間の本質をあぶりだして見せようとするには、実に巧妙な設定です。

面白いことに、『人間の条件』の主人公は、『梶』という姓だけで扱われ、名前がありません。このような長編小説の主人公に、名前が無いと言うのは不自然なことで、五味川純平氏は、これにある意味を込めたのではないかと梅爺は推測しました。

つまり、『梶』のように、不条理に抗して、なんとか人間らしく生きたいという『そうあって欲しい日本人』をヒーローにしながら、現状は大半の日本人が、当時沈黙して不条理を受け容れていたことを、表現したかったのではないでしょうか。五味川純平氏も映画監督の小林正樹氏も、ともに戦争、軍隊の体験者ですが、自分たちが『梶』ではなかったことが心に重くのしかかっていて、それが逆に『仮想のヒーロー』である『梶』を産み出したのではないでしょうか。『仮想のヒーロー』ですから、『梶』という姓だけで止めたのではないかと、梅爺は推測しました。

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2011年10月13日 (木)

抽象概念の対語(4)

『神と悪魔』『天国(極楽浄土)と地獄』は、推論能力を保有する『人間』が、『抽象概念』として考え出したものだという主張は、梅爺が個人的に主張する『仮説』ですから、梅爺も正しいとは断言はできません。しかし、梅爺の保有する知識の範囲で、色々な事象を考えてみて、この『仮説』に致命的な欠陥があるようには感じられません。つまり、梅爺自身は、この考え方で、今のところ納得しています。

『神と悪魔』『天国と地獄』は、抽象概念ではなく、『実態のある存在』であると信じておられる方には、大変失礼な議論になりますが、『屁理屈爺』の『たわごと』ということで、ご勘弁いただきたいと思います。もしも、この主張に、梅爺が気づいていない欠陥があるのであれば、是非ご教示願いたいと思います。

仮に、梅爺の『仮説』が正しいとすれば、『神と悪魔』『天国と地獄』は、『生きている人間の脳の中にのみ、存在する抽象概念』ですから、その人が亡くなれば、消滅することになります。したがって、地球上から、すべての人類が消えうせれば、抽象概念はすべて無くなります。言い換えれば、人類が存在しない世界には、『神と悪魔』『天国と地獄』は概念さえも『存在しない』ことになります。『清く正しく生きたご褒美に、天国が待っている』という話は、梅爺も、つい『是非その話にあやかりたい』と乗り気になってしまいますが、残念なことに、そして味気ないことに、亡くなった人には、『死後の世界』は実在しないであろうと推定しています。『死後の世界』は生きている人の『願望』であろうと思います。

人類が、何故『神』という抽象概念を、考え出したのかという理由については、これまた梅爺の『仮説』として、何度もブログに書いてきましたので、繰り返しは避けます。地球上に存在するどのような未開な部族も、彼らの『神』の概念を持っているらしいことから、人間は、必ず言葉を作り出し、『神』という概念に行き着く共通の能力を保有していると言ってよさそうです。

しかし、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、到達した『唯一の神(一神教の思想)』は、更に、人間の高度な推論が導き出した特殊なケースで、人類がすべてこの概念を共有しているわけではありません。『神』を『聖徳、正善、慈愛』の象徴、『悪魔』を『邪悪、憎悪』の象徴とする考え方も、高度な推論が導き出したものであろうと想像しています。

『神』の対語として『悪魔』を、『天国』の対語として『地獄』という、相対する概念を考え出すのも、人間の特徴のように思います。梅爺が興味深く思うのは、『唯一の神』を強く主張する宗教も、梅爺の知識不足による誤解かもしれませんが、相対する『悪魔も唯一である』という主張はしていないように見えることです。『神』は『全知全能、絶対』などと、きらびやかに形容されますが、『悪魔』は、ただの『悪魔』にとどまっているのは、どうしてなのでしょう。『悪魔』の肩を持つわけではありませんが、『悪魔』にとっては、分の悪い話のように思えます。人間は、生きている限り『悪魔の誘惑』にさらされるようにできているので、身を護るために『神』を必要とするという主張なら、たとえ抽象概念であろうがなかろうが、『神』の存在には『意味がある』という結論になります。

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2011年10月12日 (水)

抽象概念の対語(3)

人間の歴史に最も大きな影響を与えた抽象概念は、『愛』ではないかと、梅爺は書きました。『愛』という概念は、『男女の愛』『家族への愛』『所属するグループへの愛』『自然への愛』『弱者への愛』『神の愛』などと、きわめて広範です。『愛』は具象的には表現できませんが、誰もが『愛』という言葉に接すれば、どのような行為がそれに関係しているかを想像することができ、『幸せ』という、これまた抽象概念と深い関連があることを感じます。『愛』は、人間を殺伐なものから遠ざけます。

宇宙空間を探しても、『愛』という実態を見出すことはできませんが、生きている人間の脳の中には、『愛』という抽象概念が、間違いなく存在し、重要な意味を持っていることがわかります。

人間は論理思考ができますので、ある抽象概念を見出すと、多くの場合その反対の抽象概念、つまり『対語』となる概念を見出します。たとえば『愛』なら、『憎しみ』というようなことになります。『愛する』ことも『憎む』ことも、生物としての人間が、進化の過程で、もともと生き残るために必要な本能として遺伝子にプログラムされた習性(相手を受け容れるか、排除するかを決める)に由来しているものと思います。しかし、人間は、高尚な精神を求め、『愛』や『憎悪』を、理性を絡めた高尚な概念と考えるようになったのではないでしょうか。そうであっても、生物としての摂理からは、逃れられませんので、自分の中に、『愛する心』と『憎悪する心』が、ともに存在することを感じて、『悩む』ことになります。多くの宗教は、『愛する心』の大切さを、表現や教義は異なっているにしても、説いていますが、『愛する心』の大切さは、宗教が無くても、人間は、『感じる』ことができるのではないかと、梅爺は想像しています。

抽象概念の対語として、『愛と憎悪』のほかに、人間の歴史に大きな影響を与えてきたものが、『神と悪魔』『天国と地獄』ではないでしょうか。抽象概念と具象概念を渾然一体にしてしまう人間の習性が、この『対語』によって、厳粛なドラマや悲喜劇を生み出し続けてきたように感じています。

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2011年10月11日 (火)

抽象概念の対語(2)

人間が最初に、仲間内で共有した抽象概念は、自分の『情感』に関するものではなかったかと、梅爺は想像しています。『嬉しい』『楽しい』『恋しい』など、ポジティブな情感と、『悲しい』『寂しい』『憎い』などネガティブな情感が対象ではなかったかと思います。これらを、『言葉』に換えて、使い分け、共有することが、いかに重要な役割を果たしたかは、想像に難くありません。更に、人間は、言葉を『文字』として表現することを見つけ出し、世代を超えて、抽象概念を伝承する方法までも見つけました。そして、日本人は、『ワビ』『サビ』などという、きわめて繊細な情感の世界までも、この対象にしてきました。人間の精神生活にもっとも大きな影響を及ぼした抽象概念は、『愛』ではないかと梅爺は常々考えています。もし、人間が『愛』という抽象概念を思いつかなかったとしたら、人間の歴史はどのように変わっていたのだろうかと、ばかげたことを夢想してしまいます。

しかし、情感の違いを、表現の違いとするという行為は、人間だけの特徴ではなく、多くの動物も、プリミティブ(初期的)なレベルでは、これを行っています。我が家の老犬は、『嬉しい時』『悲しい(寂しい)時』『怒っている(威嚇している)時』のなき声や、目つきは明らかに異なっていて、永年一緒に暮らしてきた梅爺は、これを区別することができました。このことから、人間は動物としての進化のレベルが高いだけであることが分かります。つまり、犬同士も、この範囲では、ある程度のコミュニケーションはできるのでしょう。

しかし、明らかに人間にしか思いつくことができそうもない『抽象概念』を、人間は徐々に作り出していきます。それは、脳の『理』の領域の、『推論能力』と結びついたものです。

『竜(ドラゴン)』や『鳳凰(フェニックス)』など、架空の動物の概念や、この世に存在しない『スフィンクス』や『鬼神』など、『神や仏の化身』の概念を作り出します。そして、ややこしいことに、この概念を、絵や彫像といった具象物で表現して、共有しようとします。その結果、これらの『抽象概念』は『具象概念』と区別がつかなくなってしまいます。『サンタクロース』の衣装をつけたお爺さんや、『ミッキー』のぬいぐるみをきた人を見て、子供は、本当の『サンタクロース』や『ミッキー』であると思い、『架空の概念』であるとは、思いません。大人も、仏像をみて、仏の実在を信じているとすれば、『サンタクロース』や『ミッキー』を子供だけの微笑ましい話というわけにいかなくなります。

梅爺は、『サンタクロース』や『ミッキー』という、子供の夢を否定しようとしているわけではありません。いわんや、仏像は意味が無いなどと言いたいわけでもありません。ただ、『抽象概念』を『具象概念』に換え、やがてそれらを区別できなくしてしまう、人間には、高度な能力があるのだということを言いたいだけです。

『抽象概念』と『具象概念』を、渾然一体のものとしてしまう手法は、勿論宗教の世界でもっとも多用されますが、『芸術』の世界は、まさしくこの手法そのものといえるのではないでしょうか。政治家も時折、『神国日本』『美しい日本』『愛のある社会』などと、これを悪用しようとしますので、よほどその真意を確かめないと、騙されることになります。

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2011年10月10日 (月)

抽象概念の対語(1)

人間は、進化の過程で、集団で行動する仲間内の『共通認識』を必要とし、『言葉』を見出したものと思います。最初は、動物と同じように、危険を知らせる叫び声や、感情を表すわめき声のようなものであったと思われますが、やがて、『具象的なもの』に『名前』をつけることを覚えたのではないでしょうか。『名前』を『具象的なもの』の共通概念として利用することは、飛躍的にコミニュケーションの幅を拡げることになったに違いありません。そして、微妙な発音の区別をするために声帯などの、身体的構造も一緒に進化したものと思われます。

梅爺が、我が家の老犬(昨年12月に亡くなりました)と一緒に散歩をしていた時に、乳母車に乗ってすれ違う幼子(おさなご)の大半は、老犬を見て『ワンワン』と叫びます。その場合、幼子の視界に入っているものの中で、『犬』がもっとも興味をひきつける対象であることが分かりますが、それが何故なのかは不思議です。

更に不思議なのは、犬には色々な外見の異なる種類があり、幼子は、そのような事実を『ハッキリ知っている』とは思えないにもかかわらず、我が家の老犬を『犬』と認識して、『ワンワン』と叫ぶことです。たぶん、我が家の老犬とは、まったく外見が異なった犬とすれ違っても、『ワンワン』と叫ぶにちがいありません。

つまり、幼子は、脳の中に、自分自身で、『犬という一般概念』を作り上げていて、我が家の老犬も、その概念に属するひとつであることを、『認識』していると考えるほか理由が見つかりません。勿論、幼子の親が絵本の犬を見せて、『ワンワン』と教えたのでしょうが、その絵本の犬の外見や大きさは、我が家の老犬と同じようなものであったとは限りません。それに、『絵の犬』と『本物の犬』が何故、同じ概念であると認識できるのかも不思議です。

幼子は、脳の成長の過程で、特定な『具象物(我が家の老犬)』が、自分で作り上げた『一般概念(犬)』に属するものであることを『認識』できていることがわかります。そのようにしなさいと、誰かがこと細かく教えていないにもかかわらず、幼子は、ひとりでにそれができてしまっているということは、不思議以外のなにものでもありません。同じく、『赤い』とか『丸い』とかいう『一般概念』と、特定『具象物』を結びつけることもできます。赤い花を見ても、赤い洋服を見ても、『赤い』と言うようになります。

『一般概念』と、『具象物』を結びつけながら、言葉やその使い方を覚えていくという方法は、遺伝子のプログラムで制御されていると考えるのが妥当です。そして、そのプログラムは、永い進化の過程で、人間が獲得したものと思われます。

やがて、人間は、具象的ではない、『抽象的なもの』にも、『名前』をつけて、仲間内で共有したり、伝承したりするようになります。人間が知的高等動物といわれる理由のひとつが、この『抽象概念』の共有化であろうと思われます。

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2011年10月 9日 (日)

周恩来(10)

『周恩来』も人間ですから、ある時は間違いを犯し、弱点も擁していますが、その生き方、人生を大局的に観れば、『傑出した偉人』であったと言えるのではないでしょうか。梅爺は、重箱の隅をつつくように、『周恩来』を非難する気にはなれません。

『日中国交回復』の実質的足がかりを作った『岡崎嘉平太』は、最初に『周恩来』と交わした会話で、『周恩来』の器量に感銘を受けたと後に述懐しています。『偉人』同士、心に響く何かを感じたのでしょう。『周恩来』の訃報に接した時に、『岡崎嘉平太』は、生涯の友人を失ったように憔悴(しょうすい)してしまったと伝えられています。

『周恩来』と接した外国人も、口を揃えて、『偉大な人物』であったと回想しています。

キッシンジャー:『今までに会った中で最も深い感銘を受けた人物の一人。上品で、とてつもなく忍耐強く、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物』

ハマーショルド国連事務総長:『外交畑で今まで私が出会った人物の中で、最も優れた頭脳の持ち主』

シアヌーク(カンボジア):『彼の方が、(私より)王族らしい』

ディック・ウィルソン(『周恩来伝』の著者、ジャーナリスト)は、ケネディと比較した上で、『密度の濃さが違っていた。彼は中国古来の徳としての優雅さ、礼儀正しさ、謙虚さを体現していた』と賛辞を呈しています。

このような賛辞は、『毛沢東』には向けられていません。

『周恩来』の死後、『追悼』すると称して、中国国民は天安門広場に集まり、『4人組』排斥の運動へと移行していきます。

『毛沢東』は、現状でも辛うじて全ての名誉を剥奪されずにありますが、心ある中国国民は、真の指導者は『周恩来』であったと気付いているはずです。『文化大革命』に翻弄され、その激務で寿命を縮めたと言われる『周恩来』は、78歳で亡くなりました。そして、その8ケ月後に『毛沢東』も後を追うように亡くなり、『文化大革命』も終わりを告げました。

『周恩来』のお陰で復権し、『毛沢東』の後継者になった『鄧小平』は、『彼(周恩来)は同志と人民から尊敬された人物である。文化大革命の時、我々は下放(地方、農村での思想矯正)したが幸いにも彼は地位を保った。文化大革命のなかで彼のいた立場は非常に困難なものであり、心とは異なることをいくつも語り、心とは異なることをいくつもやった。しかし人民は彼を許している。彼はそうしなければ、そう言わなければ、彼自身地位を保てず、中和作用をはたしながら損失を減らすことが出来なかったからだ』と、当然ながら『周恩来』を擁護しています

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2011年10月 8日 (土)

周恩来(9)

私たちは、物事を白黒に分けて、『どちらが正しい、どちらが間違い』と論じないと気が済まない習性を持っています。そうしないと、『優柔不断』と糾弾されたりします。これは、生き残りのための『安泰』を求める本能のせいで、『ハッキリしない』ことは『不安』を増長させ、脳はストレスを感じるからです。

この結果、『共産主義』と『資本主義』、『神を信ずる心』『神を疑う心』などが、極端な『対立概念』となり、『どちらが正しい、そちらが間違い』の議論の対象になります。しかし、人間の本性、それに基ずく人間社会の性格を考えれば、一方を『善』、他方を『悪』と単純に律することには無理があります。人間社会は『共産主義』と『資本主義』の両面を共存させる必要があり、一人の人間の中には『神を信ずる心』と『神を疑う心』が共存していると考える方が自然のように思えます。

列強の植民地の対象として、分捕り合いの脅威にさらされていた中国の国民として、『周恩来』が、植民地帝国主義の背景には『資本主義』があると観て、『共産主義』に傾いていったのは、当時の情勢からして、無理からぬことと理解できます。しかし、『周恩来』は、必ずしも『共産主義』ならば全てがうまくいくとは、考えない『合理的な思考』の持ち主であったのではないでしょうか。『周恩来』と一緒にパリに留学していた『鄧小平』も同じ考え方の人物であるように見えます。

『毛沢東』や後の『4人組』は、『共産主義』を『正しい』と絶対視する言動に徹した人たちで、それ以外は全て『間違い』と断じました。こういう姿勢は、『分かり易く』、『毛沢東』をカリスマに仕立て、誰も反論できない体制をつくることになりました。中国国民が『どうもおかしいぞ』と気付いた時には、『大躍進運動』『文化大革命』で、国土も、文化遺産も、人身も荒廃した後でした。『イデオロギーだけの白黒論争』は、空しく、危険なものであるという教訓を、多大な犠牲を払って中国人は得たことになります。梅爺は、『カリスマ』は多くの場合『眉唾もの』であると疑うことにしています。

『文化大革命』の最後の時期に、『毛沢東』の老衰も顕著になって、後継を争う権力闘争が激しくなりました。『4人組』は、目障りな『周恩来』『鄧小平』を排除しようとしますが、『周恩来』は、ガンとの戦う身でありながら、『毛沢東』の静養先を訪ね、『鄧小平』を、後継の第一候補とすることを『毛沢東』に認めさせます。どのような論法で、『周恩来』が『毛沢東』を説得したのかは分かりませんが、全て『毛沢東』に従ってきた『周恩来』が、この時だけは『自説』を主張して譲らなかったのでしょう。

現在の中国は、この『選択』のお陰と言えます。イデオロギー一辺倒ではない、『鄧小平』の経済路線が実現したからです。

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2011年10月 7日 (金)

周恩来(8)

『周恩来』は中国建国時は51歳、『文化大革命』が始まった時には68歳でした。特に、70歳近くになって、一人で抗することができない、『文化大革命』の波に呑みこまれ、身も心も極限状態に追い込まれたのは、つらいことであったでしょう。表向きは『毛沢東』に追従する姿勢を見せながら、国家の『秩序』維持に腐心します。この間の『毛沢東』追従姿勢が、今でも『周恩来』批判のタネにされますが、死を決した決別の方が、むしろ簡単な選択であったように梅爺には思えます。『周恩来』は自分の命を惜しんで、耐え忍んで生きたわけではないと推測できます。人間の人生には、程度の差はあれ、このような『耐え忍んで生きる』選択を迫られることが、誰にもあります。全体の安泰のために、『No.2の座』に徹することも、一つの生き方です

『文化大革命』で混乱に陥っている中国に、更に追い打ちをかける、内政、外交の難問が襲いかかります。『林彪』の造反事件、フルシチョフが出現したソ連との関係悪化などです。中ソ国境での戦闘という、最悪の状態に追い込まれます。

ここで、『毛沢東』と『周恩来』は、世界中がアッと驚く『外交』に打って出ます。アメリカとの関係改善です。ソ連を牽制するために、それまで犬猿の仲であったアメリカに接近するという外交戦略は、『昨日の敵は今日の友』という、いかにも中国の歴史によくでてくる『戦略』ですが、それにしても大胆な外交です。アメリカも、ベトナム戦争から手をひくために、ベトナムと中国の関係を利用したいというキッシンジャーの思惑があり、中米関係改善が進みました。そして、ニクソン大統領の中国訪問を、『周恩来』は実現します。

頭越しに、中米関係が改善され、つんぼ桟敷(さじき)に置かれた日本は大慌てしましたが、それならば、こちらもと『日中国交回復』へ拍車がかかりました。アメリカも中国も、いざとなれば日本の思惑などは二の次にして、自分の国益に走るということに過ぎません。日本も『日中国交回復』で、『台湾』との国交を見捨てました。

日米は同盟国なので、いざと言う時にはアメリカは日本を守ってくれるというのは、日本の甘い期待です。アメリカは、日本を守る行動にでるとは思いますが、日本のために日本を守るのではなく、アメリカのために日本を守るのであるということは承知しておく必要がありそうです。アメリカにとって、日本を守る必要が薄れれば、容赦なく見捨てられるでしょう。『外交』は、倫理や道徳とは無関係な『非情な世界』です。

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2011年10月 6日 (木)

周恩来(7)

『毛沢東』が、『中華人民共和国』建国の功労者であることは、議論の余地がありませんが、その後、彼が推進した『大増産運動』と『文化大革命』は、国家を荒廃させ、人民に耐えがたいほどの苦痛をあたえた失政であったこともまた議論の余地がありません。『食料』と『鉄』の大増産を命じた『大量産運動』では、『デッチアゲの成果』だけが華々しく喧伝されましたが、実態は逆で、1千万人以上の人が飢えで死に、質の悪い粗鋼をつくるために、森林の木は伐採され、現状でも脅威が続く砂漠化をもたらすことになりました。北京のすぐそばまで砂漠化は押し寄せています。『文化大革命』の犠牲者数も数百万から1千万と言われています。こちらは、国民の間に『いがみ合い』『心の傷』を残したことのほかに、文化遺産の破壊などの野蛮な行為が行われました。10億人以上の人口であるにしても、数千万人の犠牲者の数は異常です。

人間は、『身体』と『心』の両面を、ある状態に保たなければ生きていけないという単純な本質は、『共産主義』でも『資本主義』でも変わりがありません。『毛語録』を振りかざして、極端なイデオロギー偏向の理想を唱えてみても、日々の食べ物にこと欠けば、人は飢え死にします。『周恩来』はこのことを理解していたが故に、『大増産運動』では、『無理な計画』に反対し、『文化大革命』では、『職場へ戻って生産を継続するように』国民へ訴えました。そして、そのことが、『毛沢東』や彼を崇める人たちから、うとまれる原因になりました。梅爺ならば、『いい加減にしろ、やっていられるか』と全てを投げ出したくなりますが、生涯じっと耐えた『周恩来』は、やはり偉人といえるでしょう。

高い代償を払った中国人は、『周恩来』や『毛沢東』の死後、『4人組』を有罪として処刑することで、間接的に『毛沢東』批判を行いました。そして、『周恩来』を高く評価する人達も増えました。これらは、『人民が目覚めた』ともいえますが、背後に『鄧小平』の舵取りがあるようにも見えます。

人民が、権力者の『権力闘争』に引きずりまわされるという、構図から中国は未だ脱していません。つまり『民主主義』の国家にはなっていません。

逆に、日本は『民主主義』はある程度根付いていますが、有能な政治リーダー不在に、悩んでいます。日本に『周恩来』のような人物が現れるのは、いつのことなのでしょうか。それとも『民主主義』では、『周恩来』のような人物は現れないのでしょうか。

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2011年10月 5日 (水)

周恩来(6)

『周恩来』が几帳面な人であったことは既に紹介しました。秘書は、『おおよそ』とか『かなり』とか、曖昧な表現をすると必ずとがめられたと述懐しています。『理(論理思考)』が勝っている人にありがちな傾向で、物事を曖昧にうちやっておくことができない性分ですから、梅爺のように『チャランポラン』で妥協する人間にくらべると、ストレスも大変なものになるはずです。

『周恩来』は、つまらないことで自分が政敵から糾弾されないように、周到な洞察を行い、時に権謀術数も弄しています。『文化大革命』の時に、実の弟に『走資派』の嫌疑がかかっていることを知ると、すぐに公安に命じて、弟を逮捕、拘束させています。『紅衛兵』に先に拘束されたら、気の弱い弟は拷問尋問に耐えられず、不利な証言をしてしまうだろうと推測したからです。公安に逮捕させたのは、むしろその方が弟の身の安全が計れ、ひいては自分に類が及ばないと考えたからです。日常生活では、妻にさえも『ホンネ』をもらすようなことがなかったと言われていますから、徹底しています。権謀術数は、保身のためというより、『国家建設』という大義のためと考えていたのでしょう。

『周恩来』の几帳面、周到さは、『日中国交回復』の時もいかんなく発揮されました。事前の民間レベルの交流で、日本から、芸能人、スポーツ選手、財界人が中国を訪問した際には、自ら『会う』努力を惜しみませんでした。特に、財界人の『岡崎嘉平太』氏との交流は有名で、『日中国交回復』の真の功労者は『岡崎嘉平太』氏であると言われています。『周恩来』と田中角栄の歴史的調印式に参列する日本側メンバー・リストに『岡崎嘉平太』氏の名前が無いことをしった『周恩来』は、前日プライベートに『岡崎嘉平太』氏を招いて、感謝の食事会を催しています。実に細やかな配慮です。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_9dea.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_ed21.html

『田中角栄』についても、事前に徹底調査し、『田中角栄』が朝型人間であることを知って、夜型人間であった『周恩来』は、事前に生活習慣を変える努力をしたと言われています。『田中角栄』の食事での好物や、汗かきでやたらと扇子を使うことなども全て承知して準備をします。それでも、秘書が『田中角栄の女性問題』まで調べ上げて報告した時には、さすがに『これ(報告)と日中国交回復とは、どういう関係があるのか』と取り合わなかったとのことでした。『周恩来』は、外交相手の『田中角栄』を、日本を代表する人物として敬意をはらっただけで、『田中角栄』という人物(個人)に敬意をはらったわけではないことが分かります。『外交は、自国の利益だけを考えることではない』と秘書たちに諭しています。

調印式で、得意満面に振舞う『田中角栄』の映像を観て、『あんた、すっかり相手に見透かされてしまっているんだよ』と梅爺は呟(つぶや)きました。

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2011年10月 4日 (火)

周恩来(5)

パリ留学から帰国した『周恩来』は、学生運動時代に知り合った鄧穎超と結婚、鄧穎超は懐妊しますが、子供は政治運動遂行に障害になるということで、妻の一存で堕胎してしまいます。『周恩来』は、『自分に相談してほしかった』と後に語っていますが、妻を責めることはなく、この夫婦は一生そい遂げています。ただ、その後子供はできませんでした。

首相として、中南海の西花庁に住むようになった『周恩来』夫婦は、貧しい弟たちの子供(甥、姪)を6人を引き取って、親代わりに育てています。高潔な『周恩来』は、権威を利用して、親族を優遇するようなことは一切なく、育てた甥や姪も、特別扱いせず、国のために身を犠牲にするように強いています。後に『周恩来』の政敵が、彼を追い落とすために、なんとか『落ち度』を見つけて攻撃しようとしますが、うまくいきませんでした。『周恩来』は、言動に気をつけ、つまらないことで『言質(げんち)』や『揚げ足』をとられないように周到な配慮をしています。食うか食われるかの権力闘争で生き抜くということは、こういうことかと、能天気な日本の政治家の軽い言動に辟易していた梅爺は、ため息をついてしまいました。逆にいえば、『周恩来』を輩出したために、親族は必要以上の『自己犠牲』を強いられたとも言えます。

パリから帰国後、孫文が設立した黄埔軍官学校の政治部副主任に就任します。この時の校長が『蒋介石』です。しかし、『蒋介石』とはすぐに袂(たもと)を分かち、上海など各地で起きた人民、労働者の革命決起の指導者に転じていき、やがて『毛沢東』の長征に参加します。最初は『周恩来』の方が、『毛沢東』に指示を出す立場にありましたが、『軍事戦略家』としての『毛沢東』の才能を認めて、その後『毛沢東』を支える立場に身を置くようになって、生涯この立場を貫きました。

『中華人民共和国』の建国は、『毛沢東』だけでも『周恩来』だけでも、成し遂げられなかったのではないでしょうか。二人の異なった性格、才能が相互に補間された偉業ですが、『相克』も激しかったに違いありません。同等にやり合っていれば喧嘩別れになりますが、『周恩来』のすごい所は、自分が一歩身を引いて、徹底して『毛沢東』の補佐役に徹したことです。『毛沢東』は、この『周恩来』の素晴らしさに気付いていたのでしょうか。どうも、言動からして、『自分の方が偉いから偉くなった』と勘違いしていたのではないかと梅爺は推測しています。どうみても、人物の『器量』は、『周恩来』の方が一枚上のように思えます。

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2011年10月 3日 (月)

周恩来(4)

梅爺は、自他共に認める『ズボラ人間』ですが、『周恩来』は『几帳面人間』であったことが、周囲の人たちの証言で分かります。その『几帳面さ』は、並みのものではなく、あらゆる公務文書に細かく目を通し、添削するばかりか、重要な書類の作文、計算などは、自分でやらないと気が済まない性格であったようです。

梅爺が、仕事の現役時代に仕えた上司にも、このタイプの方がおられ、苦労しましたので、『周恩来』に仕えた秘書たちや部下も、気苦労が絶えなかったものと思います。

何から何まで思い通りに取り仕切りたいという気持ちは分かりますが、国家や大会社のような組織では、リーダーは、『方向付け』をして、細部は、組織の人たちの才覚に任せた方が、効率が良いに決まっています。全員の『知恵』が相乗的に活かされるからです。組織の人たちが、上司の顔色だけをうかがい、言われたことしかやらなくなったら、組織は衰退します。

『周恩来』は、この性格故に、文字通り寝食の時間も惜しんで、仕事に没頭しました。睡眠薬で短い睡眠をとるだけであったようで、それでも寝室にまで書類を持ちこみチェックし、なけなしの睡眠時間中でも、『毛沢東』からの呼び出しがあれば、起きて出向いて対応していたと関係者は証言しています。若い時はともかく、ガンを発症した晩年も、この生活パターンを変えなかったということですので、『壮絶』と言うほかありません。周囲の人が、見かねて『どうか休んでください』と頼んでも、『この仕事を他の誰がやるのか』と言って、聞き入れなかったということです。

さすがに、死の直前『疲れた』と始めてもらすのを聞いて、秘書たちは病室の外に出て、大声をあげて泣いたと、当時の秘書の一人は、思い出して、涙ながらに語っていました。『国家、人民に一生を捧げた』といえば、それまでですが、誰にでもできることではありません。

イデオロギーにこだわり、『大増産運動』や『文化大革命』で猪突猛進する『毛沢東』や、共産党幹部間の権力闘争に翻弄されながら『周恩来』は、『人々が生きていける堅実な経済的国家基盤』が必要であることを、国民に理解してもらおうと、『職場へ戻って自分の責務を果たしてほしい』と訴えます。しかし、この姿勢は、中庸すぎ、資本主義へ加担するものとして、『毛沢東』からも、『自己批判』するように迫られます。屈辱に耐えながら、全人民代表会議の席で、『自己批判』を読み上げる『周恩来』の姿を映像を観て、梅爺はその心中を察し、深い同情の念に駆られました。

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2011年10月 2日 (日)

周恩来(3)

『周恩来』は1917年、19歳で日本へ留学しています。1915年に、日本は『袁世凱』の中国政権に対して、『対華21ヶ条』をつきつけ、中国国内で反日運動が高まりました。日露戦争に勝利した日本は、インド、ベトナム、中国から、西欧の植民地支配アジアを解放してくれる『同胞国』と期待され、多くのアジアの若者が、『日本から学ぼう』と留学してきました。その期待されていた日本が、西欧列強と同じような植民地支配とも受けとめられる要求を中国へ突きつけたわけですから、アジア諸国の失望は大きなものでした。このような、日中関係の微妙な時期に『周恩来』は日本へ留学していたことになります。

日本では、東亜高等予備学校(日華同人共立東亜高等予備学校)、東京神田区高等予備校(法政大学付属学校)、明治大学政治経済科(旧政学部、現政治経済学部)に通学し、同じ中国からの留学仲間と祖国の将来について語り合っていたようです。この時の日本体験が、後の『周恩来』にどのような影響を及ぼしたのかを論ずることは容易ではありません。少なくとも日本に関する知識がゼロではなかったことは、日本にとってはマイナスではなかったと言えるかもしれません。梅爺も、一度だけでも訪れたことがある国には、名前だけしか知らない国より、なんとなく親しみを覚えます。

1919年に、祖国の南開大学に戻り、学生運動のリーダーとして頭角を現します。

1920年から1924年にかけて、今度はフランスへ留学し、『共産主義』に共鳴して、中国共産党欧州総支部が設立されるとその書記に就任しています。この間、イギリスなどの見聞も深めています。留学仲間には、鄧小平、陳毅、朱徳など後の中国共産党の幹部となったそうそうたる人たちが多数いました。外国を知り、国際感覚を身に付けた『周恩来』や他のエリート幹部と、『現場叩き上げ』のカリスマ・リーダー『毛沢東』の確執が、その後の中国の歴史に大きくかかわることになります。前にも書いたように、『毛沢東』のエリート共産党員に対する劣等意識と、その裏返しの優越意識が、『大躍進運動』や『文化大革命』という、苦痛を中国人民に強いる原因になったと、梅爺は推測しています。『文化大革命』で教養人、知識人は、『走資派』として、言われもなく弾圧されました。

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2011年10月 1日 (土)

周恩来(2)

近世中国の歴史において、国家基盤を『共産主義』にしたことが現在にまで大きな影響を及ぼしていますが、それよりも『毛沢東』が最初の政治リーダーになったことの影響の方が、さらに大きかったのではないでしょうか。

中国の人民が『毛沢東』という一人の人間に、良くも悪くも翻弄されたといえますが、『毛沢東』の周囲の他の指導者たちも、彼に翻弄されました。

他人の意見具申などにはあまり耳を貸さない、モンスターのようなカリスマになってしまった『毛沢東』の周囲には、彼にオベッカをつかう人たちが群がるのは自然のことで、少しでも反抗的な姿勢をとり『毛沢東』の機嫌を損ねた人は、失脚させられました。『毛沢東』の次に国家主席に就いた『劉少奇』は、文化大革命で党籍をはく奪され、地方に幽閉され、死に追いやられました。エリート共産党員としてソ連に留学したことのある『劉少奇』は、実務に長けた政治家でした。同じくフランスへの留学経験をもつ『周恩来』も、『毛沢東』からみれば、『頭でっかちで口だけの人間』に見えていたのではないでしょうか。『毛沢東』は自分が現場の叩き上げであり、エリート教育を受けてきた人や高学歴者に、コンプレックスがあり、その裏返しとして、『お前に何が分かるのか』という不遜な優越意識があったのかもしれません。

『毛沢東』とは、政治姿勢がことなっている『周恩来』は、まかり間違えば、失脚の憂き目をみるところですが、際どい綱渡りのような対応で、最後まで見掛け上の関係を維持しました。『周恩来』のしたたかな権謀術数、『毛沢東』への配慮ともいえますが、実態は『周恩来』が屈辱に耐えたということでしょう。

もしも、『周恩来』が『毛沢東』の政策に異を唱えて、対立すれば、建国途上の中国は二分され、内戦状態になると『周恩来』は考え、国家や共産党のために全ての屈辱に耐えたのではないでしょうか。

『周恩来』を、二枚舌、オベッカ使い、臆病者と悪く評する人達も沢山いますが、梅爺にはそうは思えません。『偉大な人物』のとった行動が、凡人にはそう見えるだけのことではないでしょうか。

しかし、さすがの『周恩来』も、『毛沢東』の暴走がもたらすものを、予測しきれなかったものと思います。国家体制の維持を最優先したために、結果的には『毛沢東』の暴走に手を貸す結果になってしまいました。『周恩来』の最も大きな苦悩はこれに根ざしていたものと思います。

『周恩来』は、この苦悩を側近に、『私が地獄に堕ちなくて、誰が地獄に堕ちるのか。私が虎穴に入らずして、誰が虎穴に入るのか』というような表現で吐露(とろ)しています。

『毛沢東』ではなく、権力や私利私欲を望まない『周恩来』が、中国の初代国家主席になっていたら、中国の歴史は大きく変わっていたかもしれません。

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