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2011年5月 4日 (水)

福岡伸一著『動的平衡』(8)

私たちは、生きている以上『不変の自分』が存在すると想像しがちですが、細胞や細胞を構成する分子レベルは、刻々『新旧交代』を繰り返していますので、常に『新しい自分』に生まれ変わりながら、全体としての自分を維持していることになります。この本では以下のように表現されています。

生命を構成している分子は、全て高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けていくのである。だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へ解き放たれていく。

つまり、『生命』は、『分子の流れの淀み』であると、福岡先生は表現しておられます。『生命』は、環境との関係も、それ自身の内部もすべて『動的平衡』で維持されていることになります。機械のように、部品が壊れないかぎり、同じ部品で構成され機能しているわけではありません。

『生命』の『動的平衡』が維持できなくなった時に、全体としての『個』は『死』を迎え、もはや分子の再生産はできませんので、肉体はやがて分解して環境(自然)へ戻っていくだけになります。しかし、マクロに観れば、子孫へ『生命』は受け継がれていますので、これも『動的平衡』と観るこことができます。

『動的平衡』が、自然の摂理に深く関与していると梅爺は感じています。

人間の崇高さは、主として『精神活動』に起因しますが、崇高な精神活動を支える基盤は、『分子の流れの淀み』として存在している肉体(脳も含む)であるという、なんとも不思議な組み合わせに、梅爺は戸惑いを感じます。

梅爺が戸惑うのは、『精神活動』やそれを支える脳のしくみが、ほとんど解明されておらず、その知識を持ち合わせていないからです。この解明は『パンドラの箱』を開けるようなものだと主張される方もおられますが、梅爺はそうは思いません。味気ない『真実』が待ち受けているかもしれませんが、その『真実』とどう向き合うかが、次の世代の人間の『知恵』に任せれば良いと考えています。『真実』が明らかになると同時に、人間の崇高さが失われていくとは思いません。

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