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2011年3月13日 (日)

梅爺の逃避奮闘録(1)

梅爺にとって人生最大の地震を、銀座のビル地下2階にある居酒屋で宴会中に体験しました。年に一度の、『会社時代の同期会』の最中で、平均年齢70歳の46人の爺さん達が、酒の勢いも借りて、健康談議、趣味談議、孫談議に花を咲かせていた時のことでした。去年から、コスト・パフォーマンスが良いと言う理由で、この居酒屋が会場になっています。

揺れの大きさ、揺れの持続時間の長さで、『これは尋常な地震ではない』ことは、誰もが気付きました。ニュージーランド、クライスト・チャーチのような最悪の事態が頭に浮かび、『何はともあれ、倒壊の下敷きになる前に、地上へ脱出すべき』であることは、考えつきましたが、誰もそれを実行した人はいませんでした。その場で揺れに耐えるのが精いっぱいであったからです。平常時に作成された『防災マニュアル』通りには、人間はなかなか行動できないものであることが分かります。すぐに『全ての交通機関がストップしている』とお店の人から告げられました。

急遽宴会を打ち上げて、外に出てみると、銀座の街は、歩行者や、ビルで勤務していて、外へ退避した人であふれていました。ビルの高層階のガラスが割れたり、看板が倒れたりという様子はないことはすぐに確認できました。さすがに『地震大国日本』と感服したのは、ビルの外へ退避した多くの人たちが、会社から支給されたヘルメットをかぶり、非常時に必要なものが入っているリュックサックを背負っていたことでした。防災ヘルメットや、非常用リュックサクをほとんどの会社が常備しているということなのでしょう。

さて、ここから一人ぼっちではぐれてしまった梅爺が、『どう行動するか』を判断し、『実行』せざるを得ない孤独な状況になりました。とりあえず、『無事』を梅婆に知らせ、梅婆の状況も通話で確認しようと携帯電話を何度もかけましたが、全くつながらず、災害状況情報を入手しようと、携帯電話でインターネットサイトへアクセスしようとしましたが、これもつながらないことが分かりました。通話をあきらめ、携帯電話のメール発信を試みましたら、何度かのトライで運よく送信できました。これに対して梅婆の返信メールがあり、お互いの無事が確認できました。関西に住む娘からもも、『思いつきで行動せずに、安全な場所にじっとしていなさい』という忠告メールがありました。梅爺の『向う見ずな盲動癖』を心配してのことでしょう。時間はかかりましたが、埼玉県和光市に住み、都心に勤務する息子一家の全員無事もメールで確認できました。携帯電話で、テレビのワンセグ放送も受信でき、断片的ではありますが、災害の状況も知ることができました。いざと言う時に、つながりずらいという難点はありますが、携帯電話の威力は大変なものです。周りを見渡しても、ほとんどの人が携帯電話を利用していました。

交通機関の復旧を待つためにも、大きなターミナル駅まで歩いていくしかないと判断し、とりあえず東京駅へ向かいました。都心から青梅へ戻るには、中央線が頼りの綱と考えたからです。東京駅は、列車や電車が動くような状態ではなく、途方に暮れた人たちでごった返していましたが、とりあえずペットボトルのお茶と、非常食となる菓子を購入し、駅構内の階段に腰かけて、『情報』を待つことにしました。長期戦は覚悟し、持っていた本を読むことで気を紛らわせようとしましたが、堅いコンクリートの上に、寒い環境で長時間座り続けることは、想像以上の苦痛で、結局時折無目的にその辺を歩いては時間をつぶすことになりました。『二次災害を避けるために、安全な場所にじっとしていなさい』というような『対応マニュアル』は、頭では理解できても、人間は、肉体的苦痛、精神的不安の中で、そのとおりには、行動しにくいことが分かりました。

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